【訃報】 木村九段 死去
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令和3年6月29日(火)午前8時34分、木村義徳九段が京都市内の介護施設で老衰のためお亡くなりになりました。86歳でした。
謹んで哀悼の意を表します。葬儀は、ご親族のみにて執り行われましたことをご報告いたします
https://www.shogi.or.jp/news/2021/07/post_2033.html?mi=cu_event 義徳は、故・山田道美に「大山さんを弱くしたような将棋」と言われたことがあった
それもあって振飛車党だったが、居飛車で短期決戦(弱いのが強いのに勝つ法)に代えてA級に昇級
この当たって砕けろの精神は、令和の将棋を予見していまいか A級からB2に戻り、なぜかまたいつしか振り飛車党に >>203
>居飛車で短期決戦(弱いのが強いのに勝つ法)に代えてA級に昇級
一発屋芸人みたいなもんだが、いちおう成功したな。
福崎文吾や中村修は一時はかなり強かったが、それができなかったからA級に行けなかった。 西村は義徳より200勝以上しているが、ノンタイトルでもあり、全敗でもA級に入った義徳とは違う 義徳のA級昇級時、花村との初戦はまだ振り飛車だった
次の大五郎は、義徳は相振りを指さない対抗型党ゆえ、居飛車
3局めの芹沢戦から居飛車
芹沢も居飛車党だったから、相居飛車だった 「弱いのが強いのに勝つ法」の木村九段か
謹んでご冥福をお祈り申し上げる 将棋世界の連載で、草創期(安土桃山から江戸初期)の名人の棋力について、
「今の名人には、二枚落ちでは勝てても飛車落ちでは勝てないだろう」
と推測していた
ただし「そのような状況で現代将棋のルールが生まれたのは驚異的」と述べている >>209
振り飛車の花村よりは、居飛車の花村のほうが戦いやすかったのではないか? 高島弘光とは義徳が振り飛車の対抗形が普通だったはずだが、昇級決定の一番では逆だった
有吉へのひねり飛車で連勝がストップ
その前、ひねり飛車の名手の丸田にひねり飛車で快勝
対局後に飲みに誘われ、思い出A級でいいから、行ってきたまえ、と変な激励をされている >>213
「思い出代打」「思い出ヘッスラ」みたいなフレーズは近年よく目にするが
40年以上前の当時から「思い出●●」みたいな言い方してたんだろうか ご教示に感謝
ややそれるが、当時は対抗型という言い方はなかったような
大山は好んではいたが、「飛車の正面衝突が好き」と言っていたはず 本当の本当に飛車の正面衝突なら向かい飛車になるねえ 義徳が8−1で迎えたB1順位戦の殴打との対局は、勝てばA級当確ということで、本人も知らううちに継ぎ盤で注目されていた
知っていたら勝てなかったかもしれない、と述懐
なぜなら、注目の一番など指したことがないから >>223
プレッシャーがなかったから昇進できた、ってのはあるだろうな。 芹沢に勝って3連勝
西村「やっと降級候補から外れた程度」
芹沢「みんなが勝てると思っているから危ない。ひょっとすると逃げられるぞ」
芹沢の慧眼 「人気薄の逃げ馬は買い」という言葉があるように
普段はノーマークの奴がレース序盤から先行(逃げ)してもすぐバテて力尽きるのだが
たまに奇跡的な大逃げで勝ってしまう事が競馬や競輪であるから
ギャンブル好きの芹澤はそのあたりを感じたかもしれない B1は一期抜けしたんだよね
中原、谷川、羽生レベルの快挙だった 初B1は一期で降級
2回めがよもや(?)のA級
戻ってきて即B2へ
B1「残留」歴なし A級棋士になって、副立ち会いの仕事が来た
温泉だったので、楽しかったっと >>36
トーナメントプロを引退しても段位はそのまま、
規定により上がることも 金易二郎さんは名誉九段だったなあ。
今は 名誉●段 を名乗る制度はないんだっけ? 高柳と佐瀬?
高柳は「九段は名人の段」と主張して九段は固辞 九段は名人経験者だけにして、その他の棋士は名誉九段でいいと思う
永世竜王保持者については、竜王戦が元九段戦だった経緯を尊重して、永世九段でいい そうすると囲碁界に比べて九段の人数が極端に少なくなってバランスが悪くなるから、
意図的に将棋の方でも九段を増やしてきたんだが >>235
それは囲碁界のほうがおかしいのだ。
とはいえ九段が濫造されてる事実には抗いようがないので、将棋界も九段を増やさなければなるまい。
しかしそれでは九段の価値が下がってしまうわけで、ならばどうするべきか。
段位としての十段を設けることだ。これは囲碁にも設けるべき。
そして十段の基準を厳格にして濫造させないこと。←ここ重要
これを破って緩くすると十一段が必要になってくる。
こんなことを繰り返してはいけない。
元はと言えば囲碁界が九段を濫造したことに原因がある。 タイトルとしての九段を経て 段位としての九段が生まれたのは昭和33年だから そんな昔のことでもない
でもその頃の九段はすごく重くて今でいう永世称号くらいの感覚だったんだよ
だからトップ棋士でも大半は八段だった
一方囲碁界は九段を量産した
だから囲碁のトップ棋士と将棋のトップ棋士がテレビで共演すると囲碁は九段で将棋は八段ということになる
テレビマンはその辺の経緯を知っているわけじゃないんで将棋の棋士は「格下扱い」を受けていたんだよ
それが悔しいというんで将棋界も九段を増やそうという動きが生まれたんだね
升田なんかは「九段は名人の段位である」と言って反対したんだが九段量産の流れは止められなかった >>36
木村先生が九段に昇段したのは引退して10年後のことだったんだよ
だから、九段が元九段になったのではなく、元八段が九段になった 8段になったのが遅かったので、現役時代は8段のまま引退し、引退後追贈で9段になったんだよな 解説はハキハキしていて聞きやすいしわかりやすい
ユーモアも交えるので、聞き手の女流棋士も笑っていることが多い (当時にそういう語はなかったようだが)対抗形を好み、振り飛車党時代でも、相振りは指さなかった記憶 >>245
女流棋士より永井さんの聞き手が多かったかな
解説では十四世名人のエピソードもよく話してくれた 現役時代、連盟に批判的で、連盟から除名されるのではと連名以外の人から心配された
本人は「株主を除名できる株式会社はない」という論理で」、どこ吹く風だった ネットではハゲとか書かれているけど実はロマンスグレーだったな >>253
???
>>252
将棋界初の大学院修了棋士 >>252
木村先生の観戦記は味わい深い
文章力は新聞記者にも負けないものがあった >>255
アマのトップはプロの中ぐらい、重いと厚いはわすかな差、駒得は味わるし
など木村節が随所に冴えた京都新聞夕刊のアマチュア将棋の解説 木村九段の元弟子の田中沙紀が大野八一雄門下で女流棋士になる 木村九段に基礎を教わった後、大野九段に大野流三間飛車を教わった 飛車を振って王様を美濃に固く囲っておけば序盤は特に考えなくていいというのが
大野先生の教えだから、女流棋士でも覚えやすかったんだろうな 木村九段はオーソドックスな居飛車将棋だったからな
矢倉が得意だった >>267
義徳さんがB1から奇跡の昇級を果たした時期限定かな 木村先生も振飛車を指すことはあったよ
でも、大野先生のお株を奪うほどではなかった 源一さんほど強くなかったが、義徳さんも基本、振り飛車党 >>261
大野先生は大山名人にも振り飛車を教えていたよ
おかげで大山名人は代表的な振り飛車の使い手になった 早稲田の大学院で東洋史専攻
院生時代に三段で奨励会入り 将棋史については木村先生と大内先生が詳しかった
今の将棋の源流を探求しようとした 増川さんは7月11日に亡くなっているから木村九段の12日後だった 悪質すぎるわ
99,9999%の人は木村といったらおじさん思い浮かべるやろが
スレタイみてほとんどの人がえっ?ってびっくりするの想像して
ニヤケてる>>1が想像できる、通報したくなかったけどするほかなかった
この木村義徳??って人をしってる人がどれだけおんの?
うちのじいちゃんより年いってんねんけどまじで >>281
将棋やる人なら知ってていい棋士なんだがな
木村義雄の子供なんだし 多分読んだことは無いだろうが「弱いのが強いのに勝つ方」は、書名だけでも覚えとくべき名著 >>167
長年親しくさせて頂いた
→実際は大会の審判で来てた時に挨拶交わす程度だったんだろうな
ジジイは話を大きくしたがる、自分を大きく見せたがるから >>281
同感
おかしな逆上反応する奴は脳のキャパシティーがちっさすぎるんじゃねえの >>281
木村先生知らないとか将棋ファンの風上にもおけんわ
黙って半年ROMってろニワカ
将棋板だとひところは館長と呼ばれることが多かったが米長のせいで由来を知る人もどんどん減ってくな 将棋界きってのインテリだったからな
由来や故実に詳しかった かつては旧制中学を出ていればインテリ棋士と呼ばれたからな
大学院まで出ていた木村先生は超絶インテリ棋士だった 14世名人は義徳先生を棋士にしたかったのかな?
大学まで行かせてふつうのサラリーマンにしたかったような気がする 同姓の棋士では板谷四郎・進、高島一岐代・弘光、西川慶二・和宏、藤森奈津子・哲也が有名だが
木村義雄・義徳・嘉孝・一基についても記憶にとどめるべき >>10
勝負術の本としてはかなり優れた部類に入る >>296
むしろ学者だったかも
だから大学院にも行っている
三段付け出しなのは、当時、参加可能だった十段戦の予選で、芹沢などを相手に活躍できたから
名人の反対はなかっただろう
四段になった時にも、八段にはなれると言っていた
ただし、義徳が言うように、確かに親バカ
奇跡の最高齢A級昇級だった >>297
前者は家族関係
木村姓で、親子と同姓がごちゃまぜ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています