フリークラス宣言
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「フリークラスなんて、勝てなくなった棋士の救済措置じゃないか。そんなところに、佐藤天彦をやれるかよ……」
“昭和最後の棋士”中田功がフリクラ森内に見ていた姑息
https://bunshun.jp/articles/-/51413 あ、勝てなくなったので、フリクラ逃亡して隠れます。
あ、65歳まで引退しません 宣言によるフリークラス棋士
・B級1組以下の棋士が順位戦終了後から年度末の間に「フリークラス宣言」をすると、「フリークラス棋士」となります。
・「フリークラス棋士」は順位戦を対局しません。また、一度宣言すると順位戦に復帰することはできません。
・順位戦以外の棋戦は対局できます。 森内なんかじゃなくて、レートがアマチュア以下の41名の「プロ」に言え。
あ、中田功も該当者だった。 フリークラス棋士の引退規定
・宣言によるフリ―クラス棋士は原則として65歳、その他のフリ―クラス棋士は原則として60歳で定年となり、引退することになります。
・その他のフリ―クラス棋士はC級2組から陥落(もしくは三段リーグ次点2回で四段昇段)後10年以内にC級2組に昇級できないと引退になります。なお、10月1日付でフリ―クラス四段に昇段した棋士の場合は、10年半以内に昇級できないと引退になります。
・宣言によるフリ―クラス棋士の場合、順位戦在籍可能最短年数(現在のクラスから、降級と降級点を毎年続けた場合の順位戦に在籍できる年数)に15年を加えた年数が過ぎると、引退になります。例・C級1組で降級点1つ持っている棋士の場合は19年。
・上記年数に達しなくても、65歳になると引退になります。
・ただし、順位戦在籍可能最短年数の間ですと、65歳を過ぎても現役でいることができます。(例・B級2組で降級点を持っていない63歳の棋士がフリ―クラス宣言をしたら、70歳まで現役を続ける事が可能) フリークラス棋士一覧(2021年9月9日現在)
木下浩一七段 2009/4/1(宣言)
小林健二九段 2018/4/1(宣言)
所司和晴七段 2010/4/1(宣言)
神崎健二八段 2018/4/1(宣言)
山本真也六段 2010/4/1(宣言)
室岡克彦七段 2012/4/1(宣言)
福崎文吾九段 2021/4/1(宣言)
脇 謙二九段 2019/4/1(宣言)
勝又清和七段 2015/4/1(宣言)
森内俊之九段 2017/4/1(宣言)
泉 正樹八段 2019/4/1(宣言)
有森浩三七段 2007/4/1(宣言)
松本佳介六段 2013/4/1(宣言)
浦野真彦八段 2017/4/1(宣言)
神谷広志八段 2020/4/1(宣言)
小林 宏七段 2011/4/1(宣言) フリークラス棋士一覧(2021年9月9日現在)
桐山清澄九段 2020/4/1【引退(引退日は最終対局日)】
藤原直哉七段 2017/4/1
川上 猛七段 2013/4/1
岡崎 洋七段 2018/4/1
中座 真七段 2021/4/1
伊奈祐介七段 2014/4/1
村田智弘七段 2021/4/1
西川慶二八段 2015/4/1
増田裕司六段 2015/4/1
上野裕和六段 2013/4/1
大平武洋六段 2021/4/1
藤倉勇樹五段 2010/4/1【引退(引退日は最終対局日)】
島本 亮五段 2020/4/1
石川陽生七段 2015/4/1
渡辺正和五段 2019/4/1
折田翔吾四段 2020/4/1
小倉久史七段 2016/4/1 フリークラスへの編入
棋士がフリークラスに編入されるのは以下の場合である。
順位戦C級2組在籍の棋士が満60歳を迎える年度前までに降級点が3つ溜まった場合、フリークラスに陥落する。
半年に1度行われる奨励会三段リーグの次点を通算2つ獲得して得た「プロ棋士になる権利」を行使する場合、フリークラスに編入される。
この権利を行使した例は6名。
伊奈祐介(1998年4月編入)、伊藤真吾(2007年4月編入)、吉田正和(2008年10月編入)、渡辺大夢(2012年10月編入)、佐々木大地(2016年4月編入)、古賀悠聖(2020年10月編入)
この権利を行使せずに三段リーグに留まることもできる
(この場合次点は1つ「残り」、もう一度次点を取ることで再びフリークラス入りの権利を得る)。
2004年前期に2度目の次点となった佐藤天彦が、権利を行使せずに三段リーグに留まり、第39回三段リーグ(2006年度前期)で2位となって、フリークラスではなくC級2組の棋士としてプロ入りした。
アマチュアまたは女流棋士で、公式戦でプロに混じって一定の成績を収めた者が棋士編入試験(旧名:プロ編入試験)に合格しプロ棋士になると、フリークラスに編入される。
この制度については「棋士 (将棋)#棋士編入試験制度」を参照。
棋士編入試験に合格しアマチュアからフリークラスに編入された例は3名。
瀬川晶司(2005年11月編入)
今泉健司(2015年4月編入)
折田翔吾(2020年4月編入) 順位戦上位(C級1組以上)在籍時にフリークラス宣言をした例(5人)(2018年度終了時点、年齢は年度末時点)
・鈴木輝彦(第55期終了時(1997年3月)に42歳で宣言、翌期「C級1組 降級点なし」、宣言から21年後(2018年3月31日)まで在籍可、2004年3月31日引退)
・勝浦修(第55期終了時(1997年3月)に50歳で宣言、翌期「B級2組 降級点1」、宣言から15年後(2012年3月31日)まで在籍可、2011年8月19日引退)
・米長邦雄(第56期終了時(1998年3月)に54歳で宣言、翌期「B級1組」、宣言から11年後(2009年3月31日)まで在籍可、2003年12月18日引退)
・中原誠(第60期終了時(2002年3月)に54歳で宣言、翌期「B級1組」、宣言から11年後(2013年3月31日)まで在籍可、2009年3月31日引退)
・森内俊之(第75期終了時(2017年3月)に46歳で宣言、翌期「B級1組」、宣言から19年後(2036年3月31日)まで在籍可) 第80期順位戦
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/第80期順位戦
宣言フリークラス棋士
金沢孝史 五段 0年 1973年5月13日 48 31 2005年 4月 C級2組.降級点2 16年 (1+15) 引退/2021年5月17日
東和男 八段 0年 1955年8月17日 66 52 2008年 4月 C級2組.降級点2 13年 (1+12) 引退/2021年5月17日
小林健二 九段 1年 1957年3月31日 64 61 2018年 4月 C級2組.降級点2 4年 (1+3)
室岡克彦 七段 3年 1959年3月21日 62 59 2018年 4月 C級2組.降級点1 6年 (2+4)
有森浩三 七段 4年 1963年2月13日 58 44 2007年 4月 C級2組.降級点0 18年 (3+15)
木下浩一 七段 4年 1967年8月29日 54 41 2009年 4月 C級2組.降級点2 16年 (1+15)
所司和晴 七段 5年 1961年10月23日 60 48 2010年 4月 C級2組.降級点2 16年 (1+15)
泉正樹 八段 5年 1961年1月11日 61 58 2019年 4月 C級2組.降級点0 7年 (3+4)
脇謙二 九段 5年 1960年8月10日 61 58 2019年 4月 C級2組.降級点2 7年 (1+6)
山本真也 六段 6年 1971年10月24日 50 38 2010年 4月 C級2組.降級点1 17年 (2+15)
小林宏 七段 6年 1962年12月18日 59 48 2011年 4月 C級2組.降級点2 16年 (1+15)
神谷広志 八段 6年 1961年 4月21日 60 58 2020年 4月 C級2組.降級点2 7年 (1+6)
松本佳介 六段 8年 1971年12月17日 50 41 2013年 4月 C級2組.降級点2 16年 (1+15)
浦野真彦 八段 8年 1964年3月14日 57 53 2017年 4月 C級2組.降級点1 12年 (2+10)
神崎健二 八段 8年 1963年12月8日 58 54 2018年 4月 C級2組.降級点2 11年 (1+10)
勝又清和 七段 10年 1969年3月21日 52 46 2015年 4月 C級2組.降級点2 16年 (1+15)
森内俊之 九段 15年 1970年10月10日 51 46 2017年 4月 B級1組 19年 (8+11)
福崎文吾 九段 4年 1959年12月6日 62 61 2021年 4月 C級2組.降級点2 4年 (1+3) 2021年度から 最下級のC級2組でも悪い成績を取ってしまったらどうなるか。C級2組では成績下位者の10名ほどに「降級点」がつけられるが、これを3回取るとC級2組からも降級してしまう。降級と言ってもC級2組より下の階級はないので、順位戦を指せなくなるのだ。昭和30年代は、現在でいう三段リーグに落とされて、奨励会員を相手に指していたケースもあった。
最下級のクラスから落とすのはあんまりだということで、1981年度の第40期順位戦からC級2組の降級点はつかなくなったが、6年後の第46期には降級点制度が復活している。棋士の足切りをしないと、日本将棋連盟の運営に差し障るからだ。降級点制度の復活からすぐさま3期連続で降級点を取り、第49期から順位戦に参加できなくなった棋士もいる。 フリークラスとは力の衰えた者が落とされる監獄
順位戦上位クラスだと醜態を晒すのでフリークラスへ逃げ込む卑怯者の巣窟でもある。
フリークラスでも醜態を晒すことには変わりない
本来なら引退するべきであろう 中田功の年齢だと、フリクラ降級もフリクラ宣言も、タイムリミットという意味ではあんま変わらんのよな
それなら復活の可能性がある降級の方が良いか 次点2回の若手以外だと
歴代最強のフリクラは誰?
やっぱり川上?森内? ・米長邦雄
プロ四段:19歳
タイトル19期 棋戦優勝16回
A級昇級:27歳 A級陥落:54歳
フリクラ:54歳(宣言)
初タイトル:30歳 最終タイトル獲得:49歳
引退:60歳
・中原誠
プロ四段:18歳
タイトル64期 棋戦優勝28回
A級昇級:22歳 A級陥落:53歳
フリクラ:54歳(宣言)
初タイトル:20歳 最終タイトル獲得:45歳
引退:61歳
・谷川浩司
プロ四段:14歳
タイトル27期 棋戦優勝22回
A級昇級:19歳 A級陥落:51歳 B1陥落:58歳
フリクラ:未
初タイトル:21歳
最終タイトル獲得:44歳
引退:未
・森内
プロ四段:16歳
タイトル12期 棋戦優勝13回
A級昇級:24歳 A級陥落:46歳
フリクラ:46歳(宣言)
初タイトル:31歳 最終タイトル獲得:43歳
引退:未 森内はフリクラ宣言後悔してるぞ
しなきゃよかったと そこは絶対タブーだよね
森内はフリクラ宣言したのがソフト研究に目覚める前だったからな
羽生世代の中では一番ソフト使った棋力向上とかの取組には向いてそうだし早まったかなーと思った可能性はあるね
ただもしB1やB2にいたらYouTubeなんかとても出来なかったろうし好きなことしながら余生を送ると考えたら良かったかな 実力者ばかり集まった冤罪事件
直接関わっていないのにA級の変則状態に巻き込まれて降級
計り知れない矜持を持ってフリクラへ
許せない
順位戦の森内と指していない棋士は認めたくない
仮にB級勢に負け越すような当時の森内だったとしても絶対に油断できない相手
逆に言えば順位戦の森内を経験していない棋士こそ被害者かもしれない
大切な大事な機会を逃した 「あ、負けました」
2017年2月26日、東京将棋会館
前日から続いていた第75期名人戦A級順位戦最終日。
森内俊之対稲葉陽。森内に勝利の女神は微笑まなかった。
今年度唯一のA級降級者に森内が選ばれた瞬間だった。
勝った稲葉は8勝1敗でA級順位戦優勝。佐藤天彦名人とのタイトル戦に出場が決まった。
「あ、僕は横綱。あ、B級で醜態を晒したら僕の威厳が落ちてしまう。あ、フリクラになります」
フリクラ棋士森内俊之(46)誕生の瞬間だった。 旧三段リーグに陥落しながら復帰した、北村文男、星田啓三、橋本三治は、それなりに大したもの
復帰できなかったひとや、即引退を決めた人もいるので 今の時代、三段リーグに落ちたら復帰は無理だよね
森内でも5期程度だと復帰できない確率が高いと思うし 森内ならB1に復帰できたら
一期でA級に上がれるな 森内がフリクラ脱出条件を満たしたら、特例として、永世名人資格返上のうえでC2復帰させるとか
仮にC2に復帰しても5年間以内には降級点3とってフリクラに逆戻りだろうけど >>27
誰のこと?
新4段C2から降級点3ストレート獲得してフリクラに落ちた熊坂なら3段リーグには戻っていないが >>26
旧三段リーグからの復帰は、期間制限なし
10年以上指してダメだったのも複数
復帰した橋本三治も5年ぐらいかかっている
それはそれで立派 >>31
北村文男
1956年奨励会初段テストに合格し同年奨励会予備クラス入り。11勝1敗の成績で1期で昇段を決め、1958年38歳で四段昇段
最初に参加した第13期順位戦C級2組では6勝8敗で同星多数ながら序列最下位のため降級し、1959年に奨励会「予備クラス」に戻る
1961年は「予備クラス」後期西軍優勝も、人員調整で東軍に編入されていた東軍優勝高島弘光に敗れる。この年から行われるようになった敗者戦を前期東西決戦敗者の板谷進と指して勝利し、順位戦に復帰する。「予備クラス」から順位戦への復帰は星田啓三に次ぐ2例目で、後に達成した橋本三治と合わせ3人しか達成していない
当時の奨励会制度は詳しく分からないが、三段リーグではなさそうだが
因みに北村文男は囲碁は関西棋院中部総本部で1960年初段、1965年三段となっている。 旧三段リーグ
東西決戦あり
順位戦データベースを見よ 30歳代後半での新四段といえど、勝ち越せないようでは 昭和31年度から昭和36年度まで奨励会予備クラス前期後期
昭和37年度から昭和48年度まで奨励会A組前期後期
昭和34年度から東西に分かれ、各優勝者が東西決戦
昭和62年度から年2回の現行三段リーグ開始
第1回3段リーグからの昇級は中川大輔(18)13勝3敗、先崎学(17)12勝4敗 >>38
57歳の塚田はほぼ確実に宣言
棋士人生残り3年か8年の差は大きい
塚田より10歳若い矢倉が半々ってとこか ・1962年(昭和37年) - B級2組以下で降級点制を導入する。B級2組、C級1組は降級点2回、C級2組は3回で降級。
・1981年(昭和56年)- 昇降級リーグ戦4組(現・C級2組)からの降級点制を廃止。
・1987年(昭和62年)- C級2組からの降級点制が復活。
・1994年(平成6年) - 順位戦に参加しない、フリークラス制度が設けられる。C級2組から降級した棋士の他、B級1組以下からフリークラス宣言をした棋士が所属する。
・1997年(平成9年)- 奨励会三段リーグに次点の制度が設けられる。三段リーグで次点を2回とった場合、フリークラスの棋士になる権利を得る。
・2006年(平成18年) - 前年の瀬川晶司のフリークラス編入を受け、アマチュア選手・女流棋士のフリークラス編入制度が正式化される。 >>39
矢倉7段なんてまだ47歳なのに早いな。この先どうすんだろか。食えるのかな。 >>41
フリクラで年間1勝か2勝で年収どのくらいなのかな
解説や将棋教室とかやってなさそうだし食っていけるんか シーザーはもう引退したらどうだろう
フリクラで指す意味ある?
つかぽんは弟子を鍛える時間もほしいだろうし
こちらも引退で 歴代フリクラだと佐々木大地が最強だけど
宣言フリクラ限定スレだから森内になるか
新四段フリクラ>編入試験フリクラ>宣言フリクラ>C2降格フリクラ
だいたいこんな感じになっててフリクラ同士でも格差があるよね 宣言フリクラは厳しい勝負から逃げたカスというイメージがある まだ引退したくはないが、衰えた醜態を晒すのは恥ずかしい。
そういう者の隠れ場所がフリクラ
米長や中原が悪しき前例を作り、森内が便乗した 木村義雄は2回目の名人失冠のあと47歳で引退した。
それを引き合いにだして、大山は、永世名人がA級から落ちたら云々と言いだし、力の衰えた中原を痛めつけた。
困った中原はA級陥落のあとB級で少しやってからフリクラ宣言してフリクラへ逃亡した。
一方、大山は盤外戦術で育成した鴨に助けられA級から陥落しなかった。 木村義雄・・2度目の名人失冠後、47歳で引退
塚田正夫・・57歳A級陥落、58歳A級復帰。61歳A級陥落。63歳B1で現役のまま死去
大山康晴・・69歳A級で現役のまま死去
升田幸三・・61歳A級在籍のまま引退
中原誠・・53歳A級陥落。2年間B1級の後、55歳でフリクラ宣言。61歳で引退。
加藤一二三・・21歳で最年少A級陥落。2歳で最年少A級復帰A級昇級、B1陥落を計5回繰り返す。最後のA級陥落は62歳。77歳C2で降級点3となり順位戦終了。
2017年6月20日の第30期竜王戦6組昇級者決定戦での対高野智史戦となり、これに敗れ、加藤はこの日をもって現役引退となった。通算成績は1,324勝1,180敗(対局数2,505)。現役最年長記録77歳5か月
谷川浩司・・51歳A級陥落。58歳B1陥落。フリクラ宣言未。引退未。
米長邦雄・・54歳A級陥落。54歳フリクラ宣言。60歳引退。
森内俊之・・46歳A級陥落。46歳フリクラ宣言。引退未。65歳までフリクラで現役続行可能。 加藤一二三 のように60歳以上でC2降級点3の場合は、フリクラ陥落なしで引退になる。
55歳から59歳でフリクラ宣言すれば65歳引退。 若くして引退した元名人木村が生活に困って
度々連盟に金を無心しにきていたという話があるから
引退棋士救済の意味があるんだろうね
元棋士が生活に困って云々なんて事件が多発すると棋界が成立しなくなるし 木村名人が金欠だったのかなあ
朝日と読売で、1局掲載後、観戦記欄の半分ほどの講評を晩年までに1000局はやったはず
印税収入もあった
義徳が京都に建てた家は、義雄の援助もあったような記憶 フリークラスだと給料はでないのでしょ
どうやって生活するの?
指導料? フリークラスじゃなくても「給料」はないでしょ
順位戦の分のお金がなくなる
連盟道場の師範とか企業派遣のお仕事を回してくれるはずだけど
病気でそういうのもできないと厳しいやね… 木村義雄・・A級陥落:なし、フリクラ:なし、引退:47歳
大山康晴・・A級陥落なし、フリクラ:なし、 引退:69歳(死去)
升田幸三・・A級陥落:なし、フリクラ:なし、引退:61歳
中原誠・・A級陥落:53歳、フリクラ:55歳、引退:61歳米長米長邦雄・・A級陥落:54歳、フリクラ:54歳、引退:60歳
谷川浩司・・A級陥落:51歳、フリクラ:未、引退:未
森内俊之・・A級陥落:46歳、フリクラ:46歳、引退:65歳予定
この中で、唯一40代でA級陥落し、40代でフリクラ逃亡した者がいます。
その名は
↓ タイトル経験者が40代でフリクラだから
歴代最強フリクラは森内だと言われるんだよね
50代の中原米長よりはさすがに森内だし フリクラとは相撲で言えば幕下
C1C2が十両、B1B2が幕内、A級が三役
横綱はタイトル保持者
将棋が相撲とは異なるところは、幕下でも幕内や三役と対戦することがあるところ 相撲は番付の序列が唯一だけど
将棋は順位戦って数ある序列のうちの一つにすぎないからね C2で降級点3とってフリクラへ落ちるのは仕方ない。
制度上弱者は淘汰されるのが当然だが、規程を満たしてフリクラ脱出する目標がある。
フリクラ宣言してフリクラへ逃げる者は勝負師として失格。
即引退するか廃業して消えてもらいたい。 木村義雄から名人を最初に奪ったのが塚田正夫名誉十段である。1947年の第6期名人戦で、塚田32歳の時だ。その2年後に木村に奪回を許してからは再び名人に就くことはなかったが、長年にわたりA級の地位を維持した。
塚田がA級から陥落したのは1972年、57歳の時。名人経験者の順位戦降級はこの時の塚田が初の例となる。周囲から引退も勧められたようだが「私は人のために将棋を指しているわけではない。まだ実戦で指してみたい戦法もあるから」と現役を続行。はたしてわずか1期でB級1組から復帰した。それからは還暦A級を実現した後、63歳で現役B級1組のままガンで亡くなった。 高齢でも通用していた時代だったんだよね
層が薄かったといえるしごまかしが効いていたとも 12 名無し名人[sage] 2022/02/04(金) 23:07:46.64 ID:o8z349bp
おいそこのフリクラ!焼きそばパン買ってこい >>52
「粋」を気取ってたくせに見苦しい晩年だな >>52
「粋」を気取ってたくせに見苦しい晩年だな 宣言と編入は、制度が違いすぎるし、名前を分けたほうが良い気がするが。
順位戦の参加資格がないってのが、最大の特徴であることは分かるけど、
その他の違いは取るに足らない話だ、わざわざ区別するほどの差ではない
ってことでもあるまい。 >>21
当時矢倉ボコボコにされて終わったと勘違いしてしまったのもあるだろうね >>73
同意
固定資産税毎年払うだけで大きな負担 >>64
昭和の時代のトップ棋士はレベルが高かった証拠だよ
塚田だけでなく4歳下の升田、丸田、花村、9歳下の大山、21歳下の有吉、26歳下の内藤、加藤一二三も高齢になっても若い棋士に負けず劣らず強かっただろ
加藤一二三が53歳でA級復帰を決めたときに同時に昇級したのが羽生だから「高齢でも通用した時代だった」という理屈が通るなら羽生がA級に昇級できたのも当時のB級1組のレベルが低かったからということになるぞ
高橋九段がA級を最後に陥落したのは52歳のときだが、そこまで持ちこたえられたのは当時のA級のレベル(羽生世代と渡辺)が低くかったせいかね?
51歳で羽生が陥落したのは相当A級のレベルが上がっているのか?
そんなことないだろ
大山が51歳のときのA級を見てみなよ
あの陣容で7勝3敗が大山だから
羽生が勝手に弱くなっただけだよ
地力があれば大山、升田のような棋士になれたはずだね 昔は弱かったじゃなくて上限が煮詰まってきただけじゃねえのって感じがするけどね 内藤なんか絶対に大山に頭が上がらない。
でも、大山から王位を奪取したのは本当に強かったから、立派だよ。 中田功八段(54)C2で降級点3確定。
来期よりフリクラへ 60歳で定年か
宣言してたらプラス10年で64まで現役でおれたわけね
その4年を大きいととるかあまり変わらないととるか・・・宣言しなかったってことは後者かね 田中寅九段(64)、C2で降級点3確定。年齢制限規定によりフリクラ転出不能。強制引退へ 自力で降級点を消すってやりかたもあるからね。宣言するってことは自分では出来ませんって認めてるようなもんだし 陥落フリクラは3年以内に復帰できなきゃ引退でもいい コーヤンは天彦が次点2回取ったときも、フリクラ経由のプロ入りを望まなかった
(口には出さず、天彦に決めさせたものの内心では)というからフリクラによい
印象もってないのかもね
棋力が落ちたならしがみつくより潔く引退しようと 天彦の昇段経緯を考えると、自分がフリクラ宣言するわけにはいかないか フリクラ宣言の意味がない棋士
青野照市 高橋道雄 谷川浩司 中村修 井上慶太 >>84
一時12勝6敗と順調だったがアマや三段に負けるなど4連敗で後退
今は7連勝のみが条件に 可能性があるのは羽生塚田堀口あたりかな
森下もあるかも >>83
竜王戦5組昇級したら所属はどうなるのか
桐山とか藤倉みたいになった場合 >>97
塚田堀口森下いずれもまだライフが残ってるから
今期は無いんじゃね?
羽生は立場上宣言するかも >>82
フリクラから脱出すれば
もうちょい寿命は伸びるんだが・・・
なぜ脱出できない前提なのか?
宣言しないというのは
当然、フリクラに落ちても
ふたたび這い上がれる自信も込みなんだよ 次点2回組は別として、C2からフリクラに落ちて、復帰した例なんてあったっけ? 伊藤博文七段ね、ありがと
なるほど、当時40前後のケースだけど実例はあるんだ 旧三段リーグから、北村文男、橋本三治、星田の復帰がすごい
年齢制限こそないが、若者と戦っての40歳代
順位戦以外も指せなかった
フリクラからの復帰のほうが甘い https://www.excite.co.jp/news/article/NHKtextview_43089/?p=3
森内俊之九段、フリークラス宣言の真意
2020年9月19日 15:00
A級順位戦というのは、成績がよかった人が急に悪くなって落ちるということはあまりないんですよね。2年とか3年とか、何年かかけて悪い成績が続いていってリーグ順位が下がって落ちるというのが一般的なので。私の場合はその前の年も負け越しでしたし、落ちるべくして落ちたと思いました。
そのときは、翌年続けてもA級に復帰できるという感じではなかったですし、さらにB級2組に降級するかもしれないとさえ感じているような状況でしたので、フリークラス転出を宣言しました。
私のフリークラス入りに直接関係していますが、奨励会同期の佐藤康光が急遽(きょ)会長職に就いたこともあって、少しでも早く佐藤康光から会長を奪わなければという想いもありました。
■『NHK将棋講座』連載「平成の勝負師たち」2020年7月号より 建前上は公務・普及のための制度だから
順位戦がなくて暇な分下は将棋教室等、上は理事等してもらわないと困るよな 橋本三治と星田啓三が再びC2から降級した時に
ちょうど旧三段リーグがなくなって落ちる場所が
なく引退になるはずが、順位戦以外の参加を認められて
フリクラの原型になった。一度C2の降級点制度がなくなる
までに落ちた6人が対象になったようだ。
C2の降級点制度復活の後に降級した人は
現行フリクラ制度の対象になっている。 https://shogidb.com/shogiDb/playerByYear/27/1959/
木村義雄14世名人は1952年に引退したことになっているが、1959年まで対局がある。
小遣い稼ぎのために時々対局していたのだろうか?
その対局が公式対局に含まれているとしたら、当時の運営や制度は欠陥としか言えないだろう >>106
これ最後の部分大丈夫なの?
一応通報しとくわ 中田功の弟子がフリクラデビュー
中田功もフリクラデビュー 中田功の弟子は、もうフリクラ脱出してた
古賀悠聖(21)
1年でフリクラ脱出できるからフリクラデビューもありか 203名無し名人2022/03/22(火) 18:45:21.43ID:HK5xGzqM
引退して将棋がなくなるのは寂しいからと
低レベルなフリクラでだらだら将棋を指して
胡散臭いYouTuberなんかやってるカスプロ、恥を知れと言いたい フリークラス宣言
塚田泰明(57)
タイトル獲得1期 王座(第35期-1987年度)
棋戦優勝3回
順位戦A級7期、竜王戦1組9期
https://shogititle.nobody.jp/junisen_fc.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています