大山の業績と功績
■大山十五世名人は戦争の影響で出世が遅れたが、三冠に増えたタイトルを独占。その後創設されたタイトルも難なく獲得し、四冠、五冠独占と続けて無敵時代を築いた。当時七、八冠あってもおそらく全冠制覇を達成していたであろう。
晩年もトップの実力を維持し、66歳での棋王挑戦、そして69歳で亡くなるまでA級に在籍した。
76〜89年に日本将棋連盟会長を務めた。東西の将棋会館の建設にも尽力した。90年には将棋界初の文化功労者。晩年はがんと闘いながらも現役を貫き、92年、A級在籍のまま69歳で死去。名人・A級に連続44期在籍も最長記録。
■1993年3月功績をたたえて大山基金が設立され、大山康晴賞が創設された。また同年7月には新しい女流プロ公式棋戦“大山名人杯倉敷藤花戦”が創設された。
■「将棋が強くなければ、女性というだけでプロに認めない」という保守的な考えを排して将棋の未来は女性にかかっていると大山が説いていなければ1974年の女流棋士制度は実現していなかった。
東京の将棋会館は、大山の献身的な募金活動によって34年前に建設されたが、大山は会館の設計にあたって、女子トイレの増設を主張した。
当時の棋界はプロもアマも女性は少なかったのだが、いずれ多くの女性が会館を訪れる時代がくるはずだと期待した大山の先見性は、今日の女流棋界隆盛や女性ファン増加で証明されている。
■全国2箇所に記念館があるのも大山のみであり、大山名人杯倉敷藤花戦は故人棋士の名を冠した唯一の女流タイトル戦である。