>>649
よく、考えなよ
大野が高齢なのであってA級が高齢化していたのではない
大山や加藤が高齢なのであってA級が高齢化していたのではないのと同じことで、大野は若いA級棋士に混じって高齢でもA級を張れるほど強い棋士だったということなんだよ
当時のA級棋士全体のレベルが低いなら大野より下の年齢のA級棋士からは高齢のA級棋士は現れなくなるはず
ところが、実際はどうだったか
大野より若い塚田、花村、升田、丸田、大山はいずれも60歳でもA級だったり復帰したりしていた
A級はサバイバルなので高齢でも仲良く残れるところではない
強い棋士しか上がれないし、強い棋士しか残れない
もちろん、10期以上A級だった棋士が多ければ多いほどその時代のA級棋士のレベルは高いことになる
1910年代生まれは大野、塚田、花村、升田、丸田の5名、20年代生まれは松田、原田、大山、加藤博二、灘蓮照の5名、30年代生まれは二上、有吉、内藤、加藤の4名、40年代生まれは米長、森け、中原、桐山の4名とレベルが高かった
もちろん、大野(1911年度生まれ)が弱い棋士であったら自分より若いA級棋士のレベルが高いのだから高齢でA級に残れるわけがない
50歳でも無理だ
(40歳代が20代生まれ、30歳代が30代生まれ、20歳代が40代生まれ)

大野(1911年度生まれ)が51歳A級で7勝3敗と勝ち越した1962年度の対戦相手は休場明けの塚田を含めて10名、そのうちの7名(塚田、花村、升田、丸田、灘、二上、加藤一二三)が通算10期以上を数えることになるA級棋士だった
そして、有吉(1935年度生まれ)が60歳A級だったのは1995年度、加藤一二三(1939年度生まれ)が61歳でA級に残ったのは2000年度である

>当時のA級は高齢化してて、おじいちゃんでも活躍出来る程
>業界全体が今よりレベルが低いとも考えられる

なんて妄想を垂れ流してはダメだよ