川端康成総合スレ2@文学板
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
私がお訪ねしたときにトーストと牛乳が出た。行儀のわるい癖で、トーストを牛乳に浸して
たべてゐた。すると川端さんがちらと横眼でこちらを見て、やがて御自分もトーストを
牛乳に浸して口へ運ばれだした。別段おいしさうな顔もなさらずに。
三島由紀夫「現代作家寸描集――川端康成」より 「学習院の連中が、ジャズにこり、ダンスダンスでうかれてゐる、けしからん」と私が云つたら氏は笑つて、
「全くけしからんですね」と云はれた。それはそんなことをけしからがつてゐるやうぢやだめですよ、と
云つてゐるやうに思はれる。
川端氏のあのギョッとしたやうな表情は何なのか、殺人犯人の目を氏はもつてゐるのではないか。僕が
「羽仁五郎は雄略帝の残虐を引用して天皇を弾劾してゐるが、暴虐をした君主の後裔でなくて何で喜んで
天皇を戴くものか」と反語的な物言ひをしたらびつくりしたやうな困つたやうな迷惑さうな顔をした。
「近頃百貨店の本屋にもよく学生が来てゐますよ」と云はれるから、 「でも碌(ろく)な本はありますまい」
と云つたら、 「エエッ」とびつくりして顔色を変へられた。そんなに僕の物言ひが怖ろしいのだらうか。
雨のしげき道を鎌倉駅へかへりぬ。
三島由紀夫「川端康成印象記」より 最近新潮文庫がやたら改版してるな
古都、眠れる美女に加えて山の音も活字が大きくなってる 川端氏は僕の吹く勝手な熱をしじゆう喜んでニコニコしてきいてくれた。おしまひには僕が悲しくなつて了つた。
僕の生意気な友人たちだつたら、フフンと鼻の先であしらひさうなこんなつまらない笑ひ話や、ユーモアのない
又聞き話が、どういふ経緯で川端氏の口に微笑を誘ふのだらう。
しかしかうして一人で喋つてゐるうちに、だんだん僕が感知しだしたのは僕の孤独ではなくて、むしろ川端氏の
孤独なのだつた。ひろい家の中には夕闇がよどんで来た。ひろい家のさみしさが身にしみる時刻だ。
平岡公威(三島由紀夫)昭和22年「会計日記」より 川端氏とのさびしい夕食、川端氏のかへつてゆく一人の書斎、僕は僕の行方にあるものをまざまざと見る気がした。
名声とは何だらう。このひろい家によどんでくるどうにも逃げようもない夜のことなのか?否しかしなほ僕は
名声を愛してゐる。なぜなら名声でやつとたへられるものが僕の中にあるからだ。
名声とは必要不可欠な人間にだけ来るものだ。さうして名声があるために、ある人の慰めになる不幸があるものだ。
こんな孤独の実質を名声は少しもかへえないが、名前と形容詞だけは支へてくれる。
文学の仕事、それが形容詞の創造であるとするなら、かうして形容詞の冷酷で花やかな報いをうけるのは当然だ。
平岡公威(三島由紀夫)昭和22年「会計日記」より 川端さんへは又いつかの機会に御一緒にまゐりませう。
あの眼だけでも見ていたゞきたいと思ひます。酷薄さと温情がいりまじつた鋭い眼、あそこに川端さんの文学の
象徴があります。川端さんといふと、芸だの感覚だの抒情だのといふ言葉しか知らない批評家に憤慨して、
川端康成ノートを作つてゐますが、二、三年たつたら書けると思ひます。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年7月25日、徳川義恭への書簡より この間川端さんが、睡眠薬の服用を急激にやめられたことから、禁断症状の発作を起され、東大病院に御入院中で、
面会謝絶と知りつゝ、強引に押し込んで御見舞をしましたところ、もう相当御元気で一安心しました。
「睡眠薬遊び」はもうお懲りになつたでせう、と諫言しましたら、苦虫を噛みつぶしておいででした。
三島由紀夫
昭和37年2月27日、中村光夫への書簡より 警 告
皆さん、民主党を批判するのはやめなさい。皆さんはその有資格者ではありません。
民主党に投票したひとは、当たり前ですが民主党の方針を批判する資格はありません。
これはあなたたち自身が常々主張している理屈です。
民主党に投票しなかったひとは前提として民主党の敵ですから、その言説はすべて
ためにする批判・批判のための批判であって、一顧だにする余地はありません。
民主党を批判する権利があるのは、民主党に投票し、なおかつ民主党の理想と方針に
今まで完全に同意してきて、現在もこの先も完璧に同意し、何があろうとも民主党を
支持しつづけるひとだけです。これが正論であり、民主主義というものです。
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
// ""⌒⌒\ )
i / ⌒ ⌒ ヽ )
!゙ (・ )` ´( ・) i/
.| ⌒(__人_)⌒ .| 僕はほんとは菅ちゃん応援してたんだよ
\ `ー' /
_lVl ヽ
〈゛⊂) }
川端康成はごく日本的な作家だと思はれてゐる。しかし本当の意味で日本的な作家などが現在ゐるわけでは
ないことは、本当の意味で西洋的な作家が日本にゐないと同様である。どんなに日本的に見える作家も、
明治以来の西欧思潮の大洗礼から、完全に免れて得てゐないので、ただそのあらはれが、日本的に見えるか
見えないかといふ色合の差にすぎない。(中略)
作家の芸術的潔癖が、直ちに文明批評につながることは、現代日本の作家の宿命でさへあるやうに思ふはれ、
荷風はもつとも忠実にこれを実行した人である。なぜなら芸術家肌の作家ほど、作品世界の調和と統一に
敏感であり、又これを裏目から支える風土の問題に敏感である。(中略)
悲しいことに、われわれは、西欧を批評するといふその批評の道具をさへ、西欧から教はつたのである。
西洋イコール批評と云つても差支へない。(中略)
川端氏は俊敏な批評家であつて、一見知的大問題を扱つた横光氏よりも、批評家として上であつた。氏の最も
西欧的な、批評的な作品は「禽獣」であつて、これは横光氏の「機械」と同じ位置をもつといふのが私の意見である。
三島由紀夫「川端康成の東洋と西洋」 より …氏のエロティシズムは、氏自身の官能の発露といふよりは、官能の本体つまり生命に対する、永遠に論理的
帰結を辿らぬ、不断の接触、あるひは接触の試みと云つたはうが近い。それが真の意味のエロティシズムなのは、
対象すなはち生命が、永遠に触れられないといふメカニズムにあり、氏が好んで処女を描くのは、処女に
とどまる限り永遠に不可触であるが、犯されたときはすでに処女ではない、といふ処女独特のメカニズムに
対する興味だと思はれる。
…しかし乱暴な要約を試みるなら、氏が生命を官能的なものとして讃仰する仕方には、それと反対の極の
知的なものに対する身の背け方と、一対をなすものがあるやうに思はれる。生命は讃仰されるが、接触したが最後、
破壊的に働らくのである。そして一本の絹糸、一羽の蝶のやうな芸術作品は、知性と官能との、いづれにも
破壊されることなしに、太陽をうける月のやうに、ただその幸福な光りを浴びつつ、成立してゐるのである。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より 戦争がをはつたとき、氏は次のやうな意味の言葉を言はれた。
「私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の美しさしか歌ふまい」――これは一管の笛のなげきのやうに聴かれて、
私の胸を搏つた。
三島由紀夫「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」より 川端さんは、暗黒時代に生きる名人で、川端さんにとつて「よい時代」などといふのはなかつたにちがひない。
「葬式の名人」とは、川端さんにとつて、「生きることの名人」の同義語に他ならなかつた。この世は巨大な
火葬場だ。それなら、地獄の火にも涼しい顔をして生きなければならないが、現代はどうもそればかりでは
ないらしい。地獄の焔が、つかんでも、スルスル逃げてしまふのである。そして頬に当るのは生あたたかい風
ばかりである。
これには川端さんも少し閉口されたらしい。「眠れる美女」は、そのやうな精神の窒息状態のギリギリの舞踏の
姿である。あの作品の、二度と浮ぶ見込のなくなつた潜水艦の内部のやうな、閉塞状況の胸苦しさは比類がない。
そこで川端さんの睡眠薬の濫用がはじまり、濫用だけに終つてゐればよかつたが、その突然の停止が、あたかも、
潜水夫が急に海面に引き上げられたやうな、怖ろしい潜水病に似た発作を起した。(中略)
三島由紀夫「最近の川端さん」より 幼少のころ病弱で、このごろになつてバカに健康第一になつた私などには、殊に健康の有難味がわかる一方、
生れつき健康な人の知らない、肉体的健康の云ひしれぬ不健全さもわかるのである。
健康といふものの不気味さ、たえず健康に留意するといふことの病的な関心、各種の運動の裡にひそむ奇怪な
官能的魅力、外面と内面とのおそろしい乖離、あらゆる精神と神経のデカダンスに青空と黄金の麦の色を与へる
傲慢、……これらのものは、ヒロポンも阿片も、マリワーナ煙草も、ハシシュも、睡眠薬も、決して与へない
奇怪な症状である。
三島由紀夫「最近の川端さん」より 『川端康成氏の小説に、童貞を重荷に感ずる少年が、月に向かって、「僕の童貞をあげよう」
と叫ぶ美しい場面があるが、こんな厄介なそして持ち重りのする荷物は、一刻も早く捨てるに越したことはないのです。』
この小説の題名って何ていうの? 三島の文章、引用しまくってる奴って、何が楽しいの? 三島って、すごいな。これほどの文章が書けて。
それに惚れこむ自分もセンスあるな。
こんな感じか。 三島君はこの最初の長篇小説で、恋人が結婚のその日に心中するといふ心理に陥り、その作品を「盗賊」と名づけた。
自殺する二人が盗み去つたものはなんであるか。すべて架空であり、あるひはすべて真実であらう。
私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。三島君の新しさは容易には理解されない。
三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によつてなんの傷も負はないかのやうに見る人もあらう。しかし三島君の数々の深い傷から
作品が出てゐると見る人もあらう。
この冷たさうな毒は決して人に飲ませるものではないやうな強さもある。この脆そうな造花は生花の髄を
編み合せたやうな生々しさもある。
川端康成「盗賊 序文」より 今日(10月2日)から「川端康成と三島由紀夫展」
鎌倉文学館で12月まで開催
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
昭和20年3月、川端康成は、20歳の三島由紀夫から最初の小説集『花ざかりの森』を贈られ礼状を認めます。
そして、終戦をはさんだ翌年の1月、三島は原稿を携え川端を訪ねました。川端はそれを読み雑誌「人間」に推薦、三島は本格的に文壇デビューします。
そこから、三島が亡くなるまで24年にわたり二人は深く交流しました。本展では、二人の交流の軌跡を多彩な資料でご紹介します。
鎌倉文学館は鎌倉市長谷。下記にアクセス
http://www.kamakurabungaku.com/info/index.html
(月曜休館) 関連イベント
○文学講演会
10月26日 午後一時〜三時
場所 鎌倉生涯学習センターホール
川端香男里(川端記念館理事長)
松本 徹(三島記念館館長)
事前に申し込み(定員280名)
○伝統へ、世界へ 文学講座
11月5日 午後一時〜二時半
場所 鎌倉生涯学習センターホール
講師 佐藤秀明(近畿大学教授、文藝評論家)
事前申し込み(定員280名)
申し込み方法 官製はがき、メール、FAXに郵便番号、住所、氏名、電話番号、参加人数を書いて、鎌倉文学館「文学講演会」「文学講座」係まで。
はがき 248−0016 鎌倉市長谷1−5−3 鎌倉文学館
メール bungakukan@kamakura-arts.or.jp
FAX (0467)23−5952 川端氏の文学は近代小説の烙印を押された宿命的な古典の書である。
川端康成論(試論第一)
一、川端氏は抒情や感覚といふ低次な概念で総括さるべき作家ならず。
一、分析力と綜合力との矛盾せる競合、対象への背反
対象の前に行はれる作者自身の旋回、小説の可能性を最も豊かに感じさせると共に、小説の末期感をつきつめた仕事。
最後の仕事、天地創造(トルストイ*)の深い疲労に溢れた安息日(康成)
日常性の求める永遠の日曜日
*悪夢のやうな近代文学
一、川端氏とその作品の基底たる日常性の問題(旅― 孤児―)
日常性の抑圧と揚棄
川端康成=『生への嫉妬』
平岡公威(三島由紀夫)21歳のノートより 私にとつて技法的に影響をうける作家は長つづきせぬ。
精神的に影響をうける作家は長つづきする。
川端さんとリラダンとが私にとつてそれだ。
しかもリラダンは殆んどよんでゐない。よんでなくともわかるからだ。川端さんのも沢山よまないやうに
気をつけてゐる。「女の手」「過去」
人間愛がかういふ屈折をとらざるをえぬ文学。それは愛情のつきつめた一極点。
『愛情の北極』
・神への不信と虚妄
・ある川端氏と近しい人が
「それは川端さんは気附かれなかつたらしい」といふのをきいた時、私はわが耳を疑つた。
私には川端氏が気がつかぬ事柄なんてこの世にあると思へなかつたのだ。
川端康成――(芸術的)個性と自我の完璧な分離
川端氏の作品に僕は小説の極めて豊かな眼界を感じる。
牧野信一、稲垣足穂の作品に僕は小説のきはめて窮屈な眼界を感じる。
川端氏の眼界の豊けさは、薄や虫類や小魚をよせあつめる波打際のゆたけさだ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳のノートより 「名人」は囲碁を全然知らなくても、
飽きずに読めるように書かれてある。
「雪国」と並ぶ作者のお気に入り。 駅弁、文士の玉手箱伊豆の踊り子弁当が三島駅で売ってますよ。 川端ファンの皆様、どうかWikipediaの“神取忍”の項目を訂正しておいてください。
http://www.unkar.org/read/changi.2ch.net/csaloon/1249719044
心が折れる、という表現はバキ発
1 :マロン名無しさん[sage]:2009/08/08(土) 17:10:44 ID:???
今、世間でこの表現が定番化してるが発祥はバキ。
とりあえずこれを言いたかった。
それと、目が点になるってのも漫画発。
どおくまんの漫画でよく使われる表現をさだまさしが流行らせた。
44 :1[age]:2009/08/12(水) 19:33:17 ID:???
みなさん、お久しぶりです
1です
その節はご迷惑をおかけしました。
「心が折れる」という表現はバキ発と言いましたが
皆さんから神取忍という指摘を受けて非常にショックを受けました。
しかし、あれから私は調べました。
その結果、とんでもない事実が判明しました。
何と「心が折れる」という表現の発祥はバキでも神取忍でもなく
川端康成だったのです。
昭和7年に発表された「抒情歌」という小説で既に使われていたのです。
「父は母の死に心折れて・・・」という一文があるのですが
興味のある方は文庫本か図書館で確認してください。 マルケスが川端の「眠れる美女」の影響を受けている、という人はいるよ。
マルケス自身が言ってたかどうか知らないが。 ガルシア=マルケスは『眠れる美女』をなぜ自分が書かなかったのか、
悔しいといった趣旨のことを言っている。
だから『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書いた。 それは物語としての影響ですか?
それとも、文章としての影響ですか?
日本語の読めないマルケスが文章としての影響を受けているとは思えませんが、
38のスレで語れれているのは、文章力に関する話なので・・・ 川端康成は霊能力が有った。
──幼い時の私は搜しもののありかなどを言ひあてた。明日の來客なども言ひあてた。
さういふ勘を不思議がられる以上に、幾らか實際の便利とされてゐた。
物が紛失したり、明日の天氣模樣を知りたい時など、祖父母は私にたづねた。
私はなんの氣なしに答へるだけだつたし、あたつてもなんとも思はなかつたのだが、
小學校へ入るころには、さういふ勘は消えるともなしに消え失せてゐた。──
川端康成著 『故園』
だから、川端康成が後年、霊能力者 エマヌエル スウェデンボルグに惹かれたのは
当然と言えば当然であった。その事を知った上で川端康成の文章を読んでみると、
今までとは違った新たな発見が得られるだろう。 >>41
38のレスの全部に眼を通さなきゃならないのか?w
マルケスのmemories of melancholy whore の主人公の男のキャラ設定は
川端のhouse of sleeping beautiesの主人公とそっくりらしいと聞いた
がナ。たしかに、醜くてシャイな主人公は川端作品に良く登場する。
川端の作品はスペイン語に翻訳されてるから、川端に強い関心を持って
いたとすれば、翻訳越しにでも影響を受けた可能性はあるだろう。
丁度、春樹の文体がアメリカ文学の影響を受けてると、この板で議論さ
れるようにw
>>20
言っている文句は多少違うが、小説の題名は『掌の小説』の中の『月』。 俺はあまり本は読まないし文章を読むのさえめんどくさい
ぐらいのメンヘラーなのだが芥川龍之介の歯車と川端康成の
眠れる美女はかなり良かった。さすがは一流作家だなと思ったな 川端の方が三島より世界性がある。japonismとは無関係に。
三島がいくら言い訳しようとも、三島は川端のことを過小評価
していたんだな。 >>50
川端作品は三島由紀夫が一番評価して推薦してるの知らないバカですか?
それに、一説には「眠れる美女」は三島由紀夫の代筆だというのもあるし。そう証言してる編集関係者もいるようですけど。 蘭陵王の79頁で「眠れる美女」を褒めちぎっているけど
自分の作品を褒めて恥ずかしくないのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています