こう云う場合に抽出の約束は成立しそうにもない。約束が成立しない以上は、この作物の生命はないと云うより、生命を許し得ないと云う方がよかろうと思います。
一般の世の中が腐敗して道義の観念が薄くなればなるほどこの種の理想は低くなります。
つまり一般の人間の徳義的感覚が鈍くなるから、作家批評家の理想も他の方面へ走って、こちらは御留守(おるす)になる。
ついに善などはどうでも真さえあらわせばと云う気分になるんではありますまいか。