ヘルマン・ヘッセ part3
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>>391
ゴーヴィンダが再びシッダールタを訪ねると、もうそこにシッダールタの姿はなく
彼もまた森に去っていったことを若い渡し守に聞かされる
というような内容だったと思う。
詳しくはよくわからないけど、原稿かなんかが残ってて参考程度に訳したという感じだった。
全集は最近の臨川書店のだから、図書館にあればいいんだけど。 う〜んこれは難しい
どちらも言葉自体は平易だし会話や思索に推進力もあるから、
あとはテーマの描き方との相性だろう。
俺はもともと仏教思想に親しみがあったからシッダールタに大変な共感を覚えたが、
前もってヘッセの思想もしくは仏教思想にある程度の理解がないとしっくり来ないかもしれない。
それに対して、デミアンは物語の骨子、テーマはかなり分かりやすく書いてくれているのに対し
フロイトに影響を受けた夢分析的な描写が多く、簡潔な部分と難解な部分が両極端。
ただ一つ言えるのは、ヘッセはその二冊を読む前に
それ以前の作品を何冊か読んできた方がいいってこと。
デミアンとシッダールタはヘッセが生涯かけて悩んできたことへの解答が書かれているから、
いきなりそんなものを味わってしまうのは実に勿体無い。 どうせ読む人は何度も読むんだから何から読んでもいいと思うけどね >>394
ありがとう
車輪の下は読んだけど、ヘッセを知るためにおすすめありますか? 新潮文庫で今も出てるか分からないけど高橋健二訳の詩集が好きだな もう新潮文庫の高橋健二訳ガラス玉って再版されないのかな
なんかの本の解説で「新潮社はあっさりと名作を絶版にしてしまうように思う」みたいな発言があったが、全くその通り。 新潮社文庫のガラス玉演戯はコレクターズアイテムになってるね。
一時期欲しかったけど、値段の割に小汚いのばかりだったので熱が冷めた。
たまに、そんなレア本があるのも面白いと思うよ。
どうしても読みたいなら、デジタルデータで販売されてるし、全集でも読めるし。
というか、もっと電子書籍が増えてくれたら嬉しい。 ヘッセのヒッピー思想への影響は、アメリカでのヘッセ作品の輸入の仕方を見てみるとぼんやりと見えてく
る。ヘッセはポピュラーな作家である分、各国での受け入れられ方の差が割とでかい。よくもわるくも、研
究者という狭い範囲で読まれてきたわけではないので、誤読が多い。ヒッピー思想が何かなどという問いは
無謀であるが、それでもヒッピー思想を特徴付けてみると、西洋文明への絶望からの東洋的神秘主義への傾
倒、といえると私は思う。そのようなヒッピー思想に重なるのは、シッダールダでありデミアンである。つ
まり後期ヘッセの諸作品。アメリカではこれらの作品を中心にヘッセを輸入した。一方で日本におけるヘッ
セは、思春期の多感さ・青春を描く作家としてのイメージが強い。すると、車輪の下を中心とした前期作品
の輸入が積極的に行われたわけだ。しかし、実際のヘッセはあれもヘッセ、これもヘッセ。
仏教的に見えるヘッセ、ユング的に見えるヘッセ、グノーシス的に見えるヘッセ、わがままなヘッセ、世界市民的なヘッセ。
ヘッセは時代の変化により様々な仮面を、ある時は積極的にある時は嫌々に、身に付ける作家であった。
自我の多元化を作品内外で試みている。そのような多元化を行う理由は、彼の生への執着から
であり、永遠への憧れを動機にしているところがあるように私は感じる。
そしてそれはノヴァーリス的なロマン主義でありながらも、当時対立していたゲーテ的な市民としての思想
を凝視した末の、行為であると私は思う。 ヘッセ思想がユング思想の影響を受けたというのは、正確に言えば誤りである。デミアンでユング思想への
積極的アプローチがあるが、それはヘッセが自分の思想とユング思想が近い部分があることに気付き、接近
を試みたということだと思う。つまり、影響を受けているというよりも、似ているという感じ。ヘッセのユ
ング的な部分は、ヘッセがユングを詳しく知らないであろうペーターカーメンチントの序ですでに見受けられる。 仏教的なヘッセ、というのも周知のとおり誤りである。
ヘッセは自分の考えに、ラディカルに(悪く言えばいいように)仏教的なものを取り入れた。
ヘッセの根幹は西洋的。変化を受け入れながらも、永遠への信仰がある。 仮面でないヘッセ、ヘッセの根幹をどのように探れるだろうか。それはやはり、当然といえば当然だが、独
文学としてヘッセを読むことだろう。心理学や仏教などを、ヘッセの根幹に置く読み方は、私は違和感を感
じる。独文学の一つの伝統に、ビルドゥングスロマンがあり、ヘッセはトーマス・マンとともに、よくこれ
を体現した作家である。そこで問題となるのは、自我と社会の比重であり、内面と外面の接触・摩擦・統合
である。ヘッセの言うところの、ふたつの世界をその理解に置くと、彼の文学の揺れ動き悩む様が作品ごと
に感じられる。内面と外面の対立という土台があってこそ、デミアンは彼の転機となる作品になる。ユング
思想にアプローチをかけたことが、彼の転機であるとするという読みは、表面的。 反論はないですけど、「心理学や仏教などを、ヘッセの根幹に置く読み方」
なんてしてる人実際にいます?仮想敵をわざわざ創りだしているように思えますが。
だいたいの人は「内面と外面の対立」を念頭に置いて読むからこそ
デミアンに感銘を受けるし評価されてるんじゃないですかね。
皆がユング思想が根幹だと思って読んでたらもっと人気ないですよ、きっと。 それと、ラディカルってどちらかと言えば根幹からの変化に使われる言葉では? 仮想敵というか、このスレよんでて仏教やらユングやらに注目しすぎだなって思ったんです。もっと他に着
目すべき点があると感じたのです。あと、ヘッセはアイドル的に扱われることがあって、いわゆる俗っぽい
理解があるじゃあないですか。ヒッピーによるヘッセ理解はヘッセの一面に過ぎないと言えると思うんです
。そういうのを敵対視してるところはあるけど、別に誰の論ってわけじゃないから、自分の言いたいことの
ために、無理矢理敵をつくった感はあります。でも、それでもやはり、ヘッセのイメージに対する誤解は、
他の作家に比べ多いと思うんだ。 自分には少なくとも、デミアンについてはユングの影響が無いとは考えられません。
・ユングの心理学クラブ訪問
・ユング派の人による治療
・共時性としか捉えにくいデミアンでの描写
仏教的なものは、当時のヨーロッパに於ける仏教解釈の一端なのかと興味深く感じますが、
ヘッセが全くもって仏教に傾倒していたとは感じられませんね。 ヘッセの思想と仏教思想は「こう生きていくべき」って話で
ユング思想はそういうものではない気がする。
ヘッセの思想がユング思想に影響を受けているかに関わらず、
「思想」で同列に語るのは何かおかしい。 暗に反戦を語っているのは分かるとして、デミアンに、こう生きるべきという描写があったでしょうか?
共時性を使った描写という事にも同意できませんか? ユングの思想とは精神学的な事象の説明論であって、ここで言われている様な宗教的バックボーンに相当する
思想とは違うもの。
表現手法として影響を受けたか? Yes
思想的交わりがあったか? No
ではないだろうか? ヒッピーには根幹に西洋的な既成の価値観の否定というのがあるけど
ヘッセは決して否定というわけではなくて、ましてやその為の東洋思想でもないと思うんだよね
シッダールタで終わらせてもよかったのに、あの後最終的にガラス玉まで書かなければならなかった
ガラス玉なんてまさに西洋だし、でもそれも回帰というのとは少し違うような気がする 文明や科学の発展については否定的発言あるよ
ところでヒッピー思想に影響与えたビート作家群がヘッセについて言及してる文献ってある? あんま小説読まないけど岩波のシッダールタ読みました。
シッダールタは川を渡って雅から俗へ。
そして俗を離れ、中間である川に留まる。途中子どものせいで中間からブレるが結局川に留まったんですな。
俺あんまり読解力ないし読んだのだいぶ前だけど、思うところがある。
川ってバランス感覚的な中道ではなくて
常に移ろいゆくもの、全てを包括したものの象徴として扱われてたような気がする。
というかヘッセには、中道という感覚はないと思う。
無常を知ることで結果的にそこに至るとしても。 川の話しって、メルヒェンの中で川下りする話しと通じるものがないかな? >>419
すまん
俺もそういう解釈だけど、あまりに綺麗な構図になってたもんで、「中間」って言葉を使ってしまった。 いやいや
俺の書き方が完全にそうなってたので申し訳ない
ところでデミアンを読みたいのですが、やはり聖書を読んでいないと楽しめませんか?
キリスト教の話が出てきたらその都度調べるとしても、やはり明らかにそれと分かるものばかりじゃないですよね?聖書っぽい言い回しとか
一応カインとアベルみたいな有名なエピソードはある程度わかりますが… なんでヘッセの著作の中でもガラス玉遊戯だけこんなに手に入りにくいの?
ヘッセ全部の文庫が消え失せるなら分かるけど、
新潮文庫であれだけヘッセの作品がある中ガラス玉遊戯のみ絶版になる理由が分らん。 郷愁やクヌルプに比べて?
しかもそれのみ消えるレベルの大差で? 手に入りにくいから、読まれないし
読まれないから、余計に難解に感じられるということもないかな
まあ実際に他の作品と比べて難解ではあるけど >>423
聖書読んでなくても十分楽しめる。原罪、カインとアベルあたりの一般的知識があるならok。
一つ読むなら創世記。引用文などは特にないけどね。 ヘッセの思想が「こう生きていくべき」を示している?
そんな普遍的な解答がないことを彼は自覚しているよ。
だから普遍・永遠に憧れる彼は苦しんだわけだが。
ヘッセは読者と共に悩む者であり、教えるとか、教祖的な作家ではないはず。 ↑匿名自演 低学歴ストーカーはなれ目川上弘美「フチなんてよめない。
ぬのおきだ。おかしいな「ぬのおき」というっても
そのまま苗字に漢字変換されない」
◆精神世界ニュース掲示板
(http://kamiwaza.bb
s.fc2.com/ ) ★布置将臣の顔
VVVVVVVVVVVVVVVVVV
(越えられない人種的なカベ)
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離れ目イエローレプタリアン川上弘美=片目の横幅よりも、
右目と左目の間の間隔のほうが広い=目小さい離れ目能面オカメ
=しかもHNドロごっつい川上弘美猿いかにも臭そう (荒らし、HNドロで有名になった日本猿)。離れ目能面
http://homepage3.nifty.com/ktkt/gallery/portrait/writer/21kawakami.html
ごっつい女プロレスラー能面川上弘美猿いかにもくさそう
↓この左の目をひんむいてる写真とか離れ目 能面 キモオタ
http://www.mammo.tv/interview/archives/no045.html
川上未映子 離れ目能面
http://farm4.static.flickr.com/3237/2848216600_6f466db725.jpg
ピースが匿名でイケているといってあおっている木村
能面離れ目である
http://beebee2see.appspot.com/i/azuYnYXvBQw.jpg
平野離れ目能面 キモオタがお
http://bcnranking.jp/sys_imgs/news/20101129sharp_1.jpg
阿部(和重、龍太郎)、も、津原も能面はなれ目で、
全員「リアルとは全員で将臣クンの一族だと
いいはることだ」といっている。川上弘美組でコミュ障低学歴
何度指摘されても漢字(専門用語、フチ)がよめないヌーヌー詐称してる荒らし。
モコはかなり不器用でバカが付くほど正直な人間と言われてます*
だから、モコは損してばっかりです☆
誰にも負けたくない モコのシュンソクは止まらない!☆
モコがシュンソクをはいて走り出したら
モコと笑顔 つかまえるのさ きっと!*
北尾は今、アドバイザーとして 相撲の世界に戻っているらしい*
プロレスと違って相撲界っていうのは いかに甘いかってことだ☆
あそこはホントにぬるま湯なんだヨ。
モコは すっぴんでもキレイな清純派アイドルに 敵意をむき出し!*
*イヤらしい目でチンポを品定めする恥垢痴女☆モコ*
LOVE is OVER…
愛が終わるのは トテモ悲しいことだけど
それも 前に進むためには 必要なことなのかもしれないネ*
悲しいけれど 終りにしよう きりがないから
ワケなどないよ ただひとつだけ モコのため ☆
MOCO is OVER… 若いあやまちと
笑って言える 時が来るから 泣くな男だろう
モコの事は早く忘れて モコはあんたを忘れはしない
誰に抱かれても忘れはしない
きっとモコの最後の恋だと思うから〜♪*
ウンコの被害者に対しても、モコは完全に知らん顔″☆
裁判においても、モコには、その罪を償おうなんていう誠意は全くない☆
裁判でも終始、「モコの知ったことじゃない*」
と言わんばかりの態度だったという☆ いかにもモコらしい話だ*
やはり、卑しい人間というのは、どんなに よくしてやってもダメだ☆
昨日の花火大会は ウンコのパレード!☆
モコを願う時 募るモコへの想い あふれて 眠れない夜*
誰にも負けたくない モコがシュンソクをはいて走り出したら
ウンコがあふれ出す!* ウンコが止まらない!☆
モコの恋は止まらない まだモコが知らない
この胸の高鳴り モコと明日 手に入れるのさ きっと!* ホイットマン。
詩人だけどヘッセ的なものを持ってると思うよ。 群像今月号掲載の川上未映子「お花畑自身」は川上弘美「真鶴」のパクリ。
「イン歯ー」「ポカリ」いよいよ妄想ネタも尽きてきたか・・・・ ウィルソンの『アウトサイダー』ってヘッセ読んだのかな?
出版年からして可能性あるんだけど、もし読んだのなら反応気になる コリン・ウィルソンはヘッセとドスト好きのアンチシェイクスピア。 群像今月号掲載の川上未映子「お花畑自身」は川上弘美「真鶴」のパクリ。
「イン歯ー」「ポカリ」いよいよ妄想ネタも尽きてきたか・・・・ もう三十年くらい前かな。
ヘッセの全集が出版された。
当時中学生だったから、欲しくても買えなかった。
文庫本を買ってよんだ。
>>448
自分も文庫で集めてます。
何度読んでもいいですよね、ヘッセ。 同時代のドストはともかく、
コリン・ウィルソンがどうやってヘッセ読むんだーw
コリン・ウィルソンは1931年生まれだ.
勝手に殺すな。 新潮の本は大体読みつくしてしまったんだけど、
草思社から出てる諸々の本はどうかな?
啓蒙本っぽいイメージがあるんだけどどうなんだろう 長編ではガラス玉演技だけが未読で残ってる。新潮文庫で読めるのは全部読んだからだが… >>455
「ガラス玉演技」は新潮文庫で出てるでしょ。
品切れ中かもしれないけど。 あれ、品切れ中というの?
絶版と言っていいんじゃないかな。 いやいや普通に絶版でしょ
もはや新潮でガラス玉読みたいなら古本屋行くしかないよ 古本は1万とか2万とか凄い値段ついてたよ。
最近見ないけど 新潮文庫のはまだ一度も見たことないな
角川のは何年か前に古本屋でみたけど 電子書籍だと新潮と同じ高橋訳が上下巻でそれぞれ700円くらいで買える 電子版とブッキング復刻版と角川文庫持ってる。
電子版がいつでも持ち歩けて良い。 古本で良いならスーパー源氏で検索すれば新潮全集の端本で1,000円前後で手に入るよ。
>>464
さよか?
「ナルシスと〜」なんかは二項対立から考え始めてるんじゃないの。
まあオチは二つがくっついて一つになる〜みたいになっちゃったけどw
…確かに一元論だなwwww いやいや
デミアンの「公認された神の世界」と「黙殺された悪魔の世界」は二元論じゃないか?
荒野の狼だって、(一元論とかいう話からはそれるかもしれんけど)人格は多元的なカオスが構築すると書いているし おれはデミアン読んで印象としてはスピノザっぽいと思ったね
対立を作るってところは2元論っぽいけど結論は一元論 デミアン細部忘れた。
ちょっと読みなおしてくるわ。 もちろんヘッセは好きな作家なんだけど、ヘッセはものすごく主語が長く(多く)ない?
述語に入ってから最初の主語を忘れてるってこともある 高橋訳で郷愁読んでるのだが、ボピーが出てくるシーンが唐突すぎないか?
「人間は弁証法的に発展する」という現在は忘れられた命題の変奏 >>473
いいな〜。Amazonにもないし、読みたい。 シッダルタって仏教の知識ほぼ無しでも理解できるものでしょうか? 中途半端に日本的仏教観が有るより素直に読めるのではないでしょうか。
ヘッセとかキルケゴールとか精神病患者を褒めてる。
推奨してるようにすら思われる。芸術家は自分が精神病なのを伏せて活動する人と
そうでない人がいるけど、ヘッセは伏せてないか。
荒野の狼は面白い。どこ読んでも面白い。
文明に対して人間が戦争を起こす幻覚の描写とか、そこで、小学生時代の男らしい同級生が出て来る。
あそこは、俺は、ギャグなんじゃないかと思う。まあ、思索が価値がないとこがない感じがする。
読んで、全部の考えが解った訳じゃないが。 時間は存在しない。とか言うのが解らないのは素朴な知性だとか、
そんなに頭の良くない知性だとか、ショーペンハウアーが、書いてる。
ヘッセも書いてたと思う。ついでに書くとクリシュナムルティとかヘンリーミラーも。
でも、時間は存在しない。とか言われても俺は解らない。
どういう事なのか。まあ、本で読んで知識で解ったとしても、
自分が、掴めて解った訳でもない。 人格が統合したものだとかいうのは、どんな人間でも信じたがる誤りだとか
そんな意味の事を書いてた。一元とか二元とか言う言葉の意味は俺はそんなに解らないが、
人格という物はそういう統一したものでなく、一つの束だとか書いてる。
そう感じだした人間を民衆は病院に入れる。真理の声を聞かされる事が無いように。
一元のものを二元にした時点でその人間はほとんど天才だ。
とかそんな内容の事ヘッセは書いてたと思う。
こんなの日本の精神科医が読んだら何て言うだろうw
統合失調症の兄が自分が統合失調症だと医者に指摘されて自分は統合失調症じゃないと怒ってたのを思い出す。
「ヘッセとかあんな人が統合失調症だった訳が無い」とか兄は言ってた。 統合失調症の人間ってのは、幻覚が見えたり、他の人が見えない裸の主婦とか立ってる訳だけど、
何でそういう症状を『分裂症』とか呼んでたのか? 多重人格の人間を分裂症とか呼ぶんなら、名称として納得出来なくもないよな。 精神って1つ2つと正確に数えられるもんじゃないし、細胞みたいに物理的に分裂する訳もないからね
精神分裂って言葉はいまいちピンとこない もの凄い極論を言うと、
幼児期に事故で高いところから落ちて以来、高所恐怖症の男がいる、と。
でも、霞が好きだから、春になるとわざわざマンションの屋上なんかに足繁く通う。
他人から見たら「なんであいつ高い所嫌いだって言ってるのに、あんなところに行くんだろう?」と思うよね。
つまり、「高いところを忌避する人格」と「高いところに向かう人格」で分裂。
それが「人格カオス説」みたいなものの本質だと思ってるけど。それが「精神分裂」とか「パラノイア」と同一視できるのかは知らんけど。
書きながら、「高い所は嫌いだけどそれに勝って霞が好きだっただけじゃん」って思ったけどここまで書いたから書き込んじゃえ エソロジーでは葛藤状態を脱するために何らかの転位行動が惹起される。
それは精神分裂とは異なる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています