ヘルマン・ヘッセ part3
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>500
荒野の狼の市民性の説明。
ヤクザも多く市民だろう。
精神病院の患者は?精神病院の患者とかはどのくらいが市民で
どのくらいが市民じゃないだろ 市民はいろんな両極端の中間であろうと常にする試み。
犯罪者も多くヘッセのこの説明によれば市民かもな。 あれは市民全体の一般法則というより
個人の人物描写だそうな でも、個人の事を書いてると思えない。
個人と言うより全体の事だと思う。 市民という言葉は
ヨーロッパの産業社会に登場した中間的富裕層という意味の市民ではない? トニオ・クレーゲルに直接関係ないにしても、
市民に対置されるのは、芸術家辺りではないかと想見しています。
価値観が、一般市民とかけ離れていそうだし。^^;
ヘッセ全集持ってる人いる?
ガラス玉演技の巻だけ買おうと思うんだけど・・・ >>509
俺もガラス玉欲しいが高い。
文庫にしてくれ〜 ヘッセと文通してた日本人が
広島でヘルマンヘッセ文学館やってるらしいが
行ったことある人いる?
西反田さんって方だけど
>つまり、君はそういう奴だったんだな (少年の日の思い出) 悪夢から目覚めたときの暗澹たる風景。
社会悪必要悪存在悪絶対悪
人間が現実に目覚めたとき
忌まわしいゴミ屑の山
冷血漢の無残な姿
一体野郎達は何がしたいのであろうか?
便所の水は甘いぞ
蛆虫たちは便所の水に群がり
中身のないゴミ屑を漁るだけである >ヘルマン・ヘッセ
を仏語読みすると
>エルマン・エッセー
でよかったでつか?
復刊のガラス玉演戯、いつのまにか再発売されてるぜ。
しかし、自分でも持ってるけど四六版で二段書きってのがイマイチ。
そして値段がけっこうする。 そうですか。
自分が手に入れようとしてた頃は、しばらく復刊も売り切れ状態だったので。 ヘッセの後期は思弁的になりすぎ
デミアン以降はほぼ全て失敗作
相反する性格の登場人物を用意して対話しながら自己になるっていう
自分探しのために無駄な描写盛り込んだみたいな
車輪の下の頃のような叙情性がもはや無くなった 失敗作って表現はおかしい
それは作者だけが使える言葉だ むしろ車輪の下のほうが、好きじゃない
単純に、「学校教育が個の輝きを色あせたものにする」というテーマが
現代のアメリカナイズされた日本において、陳腐で手垢まみれなものになってきてるからかもしれないけど でも後期ヘッセはどうせこういうことが言いたいんだろって直感したことを、本当に登場人物に語らせてヘーゲル弁証法的なつまらなさがある
聖母の泉なんてナルチスとゴルトムントに理性と感性を象徴させたうえで分かりきった対話をさせてて薄ら寒い
前期の小説を読んで感動したあとだからなおさら残念 ヘッセは難解と言われるけど、ある性質を持ってる人には一読しただけでスッと入って行けるのかな
分かりきった事とは思わない人には逆に興味をそそられて魅力的に映るかも知れない分かるけど厨二だって一蹴する輩も居るかも知れないしね
ヘッセはうつ傾向の人だと一発でハマると思う
特にデミアンやシッダールタは涙がチョチョ切れる
初期の作品は共感してもらえるだけだが、
ヘッセ自身が立ち直った後の作品は強い励ましの言葉が書かれてるからなぁ
>>523や>>527の言ってることもよく分かる。
ただ、俺の場合は小説の作りよりもそういった根本思想の方を重視して好き嫌いが決まる。 春の嵐なんてさ、初読はいいけど、一度後期を読んじゃうともう読む気がしない。
恋人が友人に盗られる苦悩の描写は、ウェルテルに勝るとも劣らない迫力があるが
一方でそこからの立ち直りに全く説得力がないw
この時点じゃヘッセ自身に明確な解答がないんだな、って透けて見えちゃう。
まぁ車輪の下は最終的に破滅する話だから解答なんてなくても大丈夫だと思うけど。 ヘーゲルの弁証法的構成は面白くて精神が高揚するんだよね俺の場合。
ヘッセは初期も後期も好きだし。
まあ春の嵐を再読しようとは余り思わないが、車輪の下は何度も読み返してるし、
デミアンはもっと読み返してる。クヌルプや青春はうるわしのような小品も好きだし、詩も良いし。
ナルチスとゴルトムント、荒野のおおかみは読んでいて高揚するね。
結局ヘッセは一番好きな作家だ。
聖母の泉いま読んでるがゴルトムントが修道院ぬけだしたあたりから面白くなってきた
クルチウスが全体がロマン主義とリアリズムの融合したドイツ中世の驚嘆すべき多彩な姿である。果実のようににおうばかりで瑕ひとつない。と書いてるだけある ヘッセすごくわかりやすいと思うが、何で難解とか言うのかわからないんだけど・・・・・ シッダルタ、デミアン、荒野の狼を読んだ、かつてのヨーロッパ人の感想なんじゃね?
うっすら仏教かじってて、中二病を体験し、ラリパッパ世界の存在も認識している
現代日本人には難解なところはなにもないけど。 東洋思想的なところあるからね、ヘッセ
だから日本人にしっくりくるのかも 実は俺もジンクレールの少年時代はのび太を思い浮かべてたw
フランツ・クローマーはジャイアンな 最後にほうは『銀河鉄道の夜』を思い浮かべてたな
2人の少年がいて、どちらか一方がじんわり消えていく、みたいな デミアンは好きなんだが、なんかデミアンの母親が妙な変容をみせていくところは良く分からなかった覚えが デミアンの母親が、卵とか雛がどうとか言ってくれる台詞は最高 藤原新也が著作の中でヘッセの「シッダールタ」を勘違いの極みって皮肉ってたな。 ワイン利きの、なっつったっけ、あーゆーの?
「この料理にはこのワイン」とかって。
オレ、甘い酒って嫌いで飲まないから、どーでもいいけど。
たしかその人だったよね? デミアン読了。う〜ん、確かに評価が難しい作品ですね。
構成は面白かったです。 >>544
その著書読んでみたい。
何を勘違いだと感じたのだろう。
ヨーロッパの仏教研究者って、仏教国の一般人よりはブッダの思想を理解していたようだし。 そんなこといったら日本の仏教こそ勘違いの極みかと
良いか悪いかはまた別として 好き嫌いの差でしかないな
学説に添ってれば誰もが文句なしでそちらを取るとは限らないから
ヘッセが好きなやつは仏教の正しい知識がどうとかよりヘッセがああいう作品を書いたことに共感するんだろ ブッダに会って尚、それとは違う悟りを探そうとするなんて、仏教圏の人間には思いつきにくいのではないか?
と思った。 >>546
写真家兼作家だよ。社会派系のね>藤原新也
昔、彼の本を何冊か読んだ記憶がある 「東京漂流」「渋谷」「空から恥が降る」
何となくこう・・・社会や人間の裏側を冷たく描写(写真付き)してるって感じだったかな
へえ
なんとなく名前は目にしたことがあったけど、どういう写真を撮っているんだろう
今度本屋で立ち読みしてみるかな 万国のネトウヨよ! 今すぐ 団結せよ!*
AKB48からHKT48へ移籍した指原莉乃が22日、
タモリが総合司会を務めるフジテレビ系特番『FNS27時間テレビ』内で、
単独ライブ「指原たった1人の残念ライブ」
(会場は東京・台場の合衆国スタジアム)を行った!☆
指原が1人で「会いたかった」を歌う中、
ステージに前田敦子、高橋みなみ、渡辺麻友らAKB48のメンバーが現れ、
「会いたかった、さしこ〜」と歌って感動の再会を果たし、
“団結”をアピールした!* 今こそ 団結せよ!☆
バラモン兄弟よ! お前ら!☆
あんな ハゲをバカにしたヘアースタイルをしていたら、
死んで地獄に落ちて 生まれ変わったら 全体ハゲ(真性ハゲ)になって
生まれ変わるぞ!*
モコのキンタマの大きさ=バスケットボール大!*
ズルムケした時期=赤ちゃんの時だ!☆
好みのタイプの女性は 天地真理と渚ゆう子と欧陽菲菲(オーヤンフィフィ)だ!*
エドガーベインズ上院議員様がおっしゃるとおり モコは狂気の沙汰だネ…*
モコには社会的責任を感じ取る神経が完全にマヒしてるんだよネ(*)((Φ))
これからは「ウンコウーマン」の時代だ!*
南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏☆
長年にわたって「原子力ムラ」の中心で活動していたヤツらに
これ以上 甘い汁を吸わせるワケにはいかない!*
そんな 弱い心でどうするんヤ!☆ もっと強くなりなさい!*
いっしょに がんばりましょう☆
でも つらかったら ムリしなくてもイイんですよ*
だいじょうぶですよ!☆
CIAの情報戦略の3Sはスポーツ、セックス、スクリーンの三つだ☆
CIAが背後に存在する正力氏が創設した日本テレビ放送網は、
プロレスや野球などのスポーツをテレビ放送網に乗せて、
民衆の関心をスポーツなどに振り向けることに尽力してきた*
プロレスファンとはCIAの情報戦略に
みごとに洗脳された家畜どものことだ!☆ ヘッセの後期作品は高校生くらいがあまり勘違いせずに読むのには向いてると言う感じかなw
皮肉じゃなくて、文明批判の割には落としどころがわりと素直、だから今でも愛読されるのだろ
あの時期の欧州の画家作家なんて大戦ショックでだいたい内面に沈潜して変な精神世界に嵌まってるじゃん 後期作品第一作目『デミアン』の落としどころって素直?
曖昧じゃないですか? 松任谷由美も十代の頃、ヘッセやタゴールを読んでたらしいね。 新潮文庫で車輪の下の特別カバーでちゃったな
あれあんま好きじゃないのになー >>560
はげど
ヘッセならあれより他に読ませるべき本があるだろうに
晩年ヘッセも当時は力不足だったから今では満足いかない本みたいなこと言ってるし 読んだ中では車輪の下が一番よかったかな
でももしかしたら聖母の泉がはるかに完成度高いかも
相当分量あるのに2,3週間で一気に読んだし
ヘッセはストーリーの筋が薄くて泉もやはりそうだったが心理、情景描写がすごいわ 古書店で角川のガラス玉遊戯見つけたんだけど、564を信じて買っていいのか
遊戯は訳が古くて読むの大変だよ。
新潮の演戯でも前半は結構読むの大変だと思うけど。 一度、演戯を読んだ後に遊戯も買って再読してみようとしたけど、途中で挫折した。 ヘッセ知ろうとデミアン読んだが物足りなかったかも
二項対立の中でもがいてるもの自体は好きだが、トーマス・マン、
ヴォネガット、吉本隆明、高橋源一郎(初期)、草野マサムネ(歌詞)あたりの方が
自分にとってはデミアンよりいいかなと思った
戦争のシーンで主人公が人を見くびっていたのを悟ったと語るシーンあったけど、
まさにそうで、その色が少し強すぎたように思う。いわゆるほんの少し厨二病すぎたという感じ ヘッセを知ろうとデミアンを選んだ処がちょっと間違いだったのではないでしょうか。
デミアン、ステッペンウルフ辺りは少し異質な作品です。
初期のペーターカーチメントやゲルトルート、後期のナルチスとゴルトムントやガラス玉演技辺りも読んでみては? ガラス玉はヘッセが好きじゃないと序文で投げると思う
初期〜後期である程度ハッキリした変化ってあるの?
個人的には厨二成分は抑え目で(便宜的に厨二って単語使ってるだけなのでそこのツッコミは勘弁)、
深刻だけどもしなやかに潜ろうとしてる耽美ある文体を求めてるんだけどどうでしょう
574さんのレスになかったシッダールタ、クヌルプあたりも気になってる デミアン以前と以後では全然違うと思うけど…
デミアン以前だとヘッセ自身に明確な答えがないからクライマックスに説得力がない。
答えがないから車輪の下みたいに問いを放置したり(それはそれでよい)、
春の嵐みたいに無理矢理悟りましたみたいなところに落ち着く。 >>576
『クヌルプ』はいい作品
いささかデウス・エクス・マキナ的?ではあるけれども
理屈抜きで、ただもう読んでとても心が暖められたし、終盤特に最後の一文で泣きそうになった
>深刻だけどもしなやかに潜ろうとしてる耽美ある文体
というのがよくわかってないかもだけど・・・
『クヌルプ』、『ナルチスとゴルトムント』、『ゲルトルート』、『ペーター・カーメンチント』
あたりがお勧めかな
例えばドストエフスキーのような、練りに練られた思想みたいな描写は比較的少なめ
(『デミアン』とか『荒野の狼』とか『シッダールタ』とか一部除く後期作品に多いとして)
右往左往しながらも、予感を頼りに、自分の天命を見つけ出そうとする物語だよね
『ペーター・カーメンチント』なんかは、ヘッセ一流の自然風景描写が一際輝いてるし、前期はそういう叙情性が豊かだよ
>>578
そんなにいいんだ。クヌルプは積ん読だったから読んでみるよ。 シッダールタは、仏教の理解なんてあんなもんでいいのかも知れないな。
日本でも禅坊主がよく本書いてるけど、シッダールタ的な理解を否定してかかるでしょ。
狗子仏性ありの公案みたいにさ。 ゴルトムントって見方によってはなかなかのクソ野郎だよね まだ国民という概念もない中世での話しだからそうともいえない ガラス玉も良いんだけど、ヘッセで珠玉はやはり車輪だな。
あれは情念描写では群を抜いてる。大宰すらかすむ。 『始めに神話があった』って、ヘッセ作品を象徴する言葉だよな
田舎の中学生だった頃、本屋で「青春は美わし」(角川文庫刊)を見つけ、貪るように読んだ記憶がある。
ここであまり短編が出てこないけど、「ラテン語学校生」が大のお気に入りだった。
まるで夏の夜の花火のように美しく、心理描写も緻密で、繊細な文章は衝撃的だった。
ヘッセの著作は片っ端から読破して、大学1年の夏にヘッセの生家のあるドイツのカルブという町にも行った。
「黒い森」の中にある本当に美しい町だった。ヘッセはドイツと日本では圧倒的な人気を誇るが、
その他の国では知名度が低いと、ヘッセ博物館の人が言っていたことを思い出す。
「デミアン」を読み、ユング心理学に傾倒して精神科医の道に進んだが、やはりヘッセは自分の原点だと思う。
たまたまこのスレを見つけて、忘れかけていたヘッセへの情熱を思い出した。
まだまだ読まれているんですね。なんかもの凄く嬉しいです。
実はドゥルーズのマゾッホ論でかすかに『デミアン』に言及されているのはあまり聞かない話 ヘッセの作品の中で「精神的危機」と表現されているが、
その危機について、具体的に乗り越えたのはサマセット・モームの
「月と6ペンス」の主人公ではないか? 最近読んだ哲学って題名の詩がよかった、かなしい詩だけど 今始めてヘッセ読んだ。中断された授業時間ってやつ。こんなに共感して胸が締め付けられる作家は初めてかもしれない。 マジか。じゃあヘッセの中では結構珍しい作品なのかな?車輪の下とかもこういう感じなのかと期待してるんだけど >>512
遅レスだけど四反田さんね
話し好きのいい人だよ随分と前のことだけれど
デミアンから引き込まれたがおいらはいまとなってはメルヒェンが一番好きだな
メルヒェンに限らず短編はいつまでも色あせない ヘッセなら是非はともかく『ゆとり教育』を容認するだろうな。 ヘッセが今の時代に生きてたらやっぱり地獄だろうな
ツイッターとかインターネットを忌み嫌っただろうか 意外に自分のブログ立ち上げて、それなりに交流を楽しんでたりしてねw あるある
ヘッセは俺らと同じ根暗だしネット常用するんじゃ 「俺は〇〇を誰よりも理解している!」って発言は嫌いだが、
好きなヘッセについてこんなこと書かれたらさすがにいい気持ちはしないな… ヘッセはネット常用しても反戦だから、ネトウヨにはならないな 最近デミアンを読みました
エヴァ夫人の章が新興宗教とかオカ板で流行りのアセンションみたいで一気に胡散臭くなったんだけど
デミアン好きな方はこの部分をどう解釈してますか? まずなぜその部分がアセンションだと思えるのか、
アセンションとは何なのか、自分にとってアセンションはどういうものなのか
ということを言ってくれないとよく分からない。
で、個人的な考えを言えば、胡散臭いと言われてムッとしているw
あの部分は苦心してきた自分の一側面を肯定することで救済されるってことが含まれているわけで、
「なんだかよく分からないけど救われた」では決して無いと思う。
じゃあ自分の過去や好ましくない一面を肯定するという事の妥当性はどうかというと、
それは認知療法などでもよく行われるし、個人的にもそうして然るべきと思う。
新興宗教の怪しい点は、救済が他者、酷い場合には生存している教祖によって与えられるということだ。
一方でエヴァ婦人というのは読者の頭の中に存在しているのであって、
むしろ自己肯定することを気付かせてくれる存在なのだから何の問題もない。 あの章はデミアンのピークだよね。自己否定からの脱出を予告する。
アセンションみたいな他力本願とかぜんぜん関係ない。 1.「俺がこの作品を理解できないのは、躁鬱激しい奴にしか理解できないモノだからだ!」か、それとも
2.「俺はこの作品を理解できる躁鬱激しい奴なんだ…」
どっちなんだろう。 616にレスくれた方々ありがとうございました
自分が理解できなかっただけなのに胡散臭いとか言ってごめん
理解できる人にとっては凄く価値のある本だよなorz
あの章を現実でのスピリチュアル体験(?)だと勘違いしてました
もしかして最初から他人との出会いはなくて、登場人物はみんな内面を象徴した存在ってことですか? でもデミアンって前半は王道の娯楽小説だよな
漫画でもデミアンとジンクレールみたいな関係性を描写するシーンって良くあるじゃん
風の又三郎に通じる様な一面もある 特に日本人はこういう設定大好きだと思う
ミステリアスなクラスメートに繊細でナヨナヨした主人公がおっかなびっくり惹かれていく学園ストーリー 基本的に人間ってイジメられっ子に感情移入し易いのかな 中学生までに読み、年取ってからまた読み返すべき作家だよ。 車輪の下は中学生の頃に読んで、最近また読み返した
印象がまるで違ってびっくり 最近、新潮文庫のヘッセ作品がよく改版されてるね
この機会にファンが増えてくれるといいんだけど
ところで、復刊ドットコムのガラス玉演技を買おうと思うんだけど、訳としてはどうかな? 「ガラス玉演戯」のカスターリエンっていう架空の地名は「知と愛」のカスターニエンの木のもじりだよね? 車輪の下は面白すぎて一気に読んだんだけど
デミアンはあんまり進まなくて結局最後まで読んでないなー
何が違うんだろう デミアンはストーリーあってないようなもんだからじゃないか
内面の世界描くことに終始してるし 新潮の車輪の下が読みにくかったんだけど
デミアンは岩波にするべき? >>637
もう読んでるかな?
高橋訳は個人的には地雷。岩波の実吉訳は読みやすいと思うよ。
ただ『デミアン』は『荒野の狼』以上に人を選ぶ。
ブクステフーデを掛けながら浸りきって読むのが吉。 >>18
異端児が自伝の残り半分
っていう感じだな トラークルの生涯wikiで読んだだけだけど、
ハイルナーまんまみたいな奴だった ラクショーですし僕は勉強ができますけれど、何か?, 2011/3/25
By BOT (@_@) 49 "もあ犬の代理人、「ユトリで行くからユトリでね」各駅停車『ゆ... - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 車輪の下で (光文社古典新訳文庫) (文庫)
ホントーにこの小説って日本の教育制度がナントカってゆー
そんな話なのー?信じられないしー
てゆうかー問題わ貧富の格差とかー地域格差とかによるー
生まれた場所や家が偶然レベル低くってえー教育のチャンスがー
15歳か18歳になるまでー与えられなかったってゆー
本人わ優秀な人たちなんじゃ?
例えば小説「告白」でえー「勉強に追われて可哀想な子供たちと
世間ではよく言われますけれどわたしはそうは思いません。
親が貧乏でないのだから、お金を出してくれて一日に6時間以上も
受験勉強できる小中学生は甘えた身分だと思ってます」ってゆーよなことをー
モリグチ先生とかがー言ってましたけれどー今の日本は親の経済力で
学歴がケテーされてしまう部分のほうがずっと大きいわけで。
21世紀の日本の子供は親が貧乏で生まれたのが田舎なら
勉強やって東大とかに入っても大学内での東大生格差が
待ってるだけってゆーことを完全熟知してるわけで。
人生戦略としては地方国立大学から地方財閥系企業かー
地方公務員上級かーその辺を考えてるわけで。
地方国立大わー公立小中校からでもー本人がフツーに
勉強してればー医学部以外だとーラクショーなわけで。
むしろ青春文学とかってえー感じでーこんな本をジュウダイのときにー
読んじゃってえーその後ー実社会でうまくいかずにー鬱になったりしてたー
オヤジ世代とかーよするに甘えてるだけなわけで。実際のヘルマン・ヘッセわ
90歳過ぎまでースゴーク長生きしたしーノーベル文学賞とかもー
取ったしーよするにー勝ち組なわけで。それもこれもこゆ本が
日本みたいな国でーバカ売れしてー印税で儲かったからだしー
大戦中わースイスに亡命してー平和論やナンかを好き放題カタリまくりーのでー
太平洋戦争でー学徒動員でー戦死したー同世代日本人とー
比較してみればーよくわかるわけで。 「シッダールタ」は、ヘッセの思想・哲学そのものなのかね こちらも過疎だー
今ガラス玉演技読んでる。
が、序盤で躓いてしまった。文字が頭の中でどうにも形にならない。
発行順序追って読むわ…
幾つか読んだが毎度痛くて安心する >>655
ガラス玉演戯とは何か理解しようとして引っかかるよね。
その辺は流して読んでもいい処かも。 >>655
読み終わると分かると思うぞ。長いけど面白い。 >>656>>657
655です。
ありがと、絶対読み切るわ。
今のところシッタールダ、荒野のおおかみ、デミアンは描いてる本質?が同じような感じがする。
個人的にはシッタールダの優しい描写が好き。
荒野のおおかみはあるあるwwってことが多すぎてグサッときまする ようつべにヘッセの自作朗読があったんだな
想像通りの声だった 知と愛読み終わった。
私はこの邦題好きな方だな。
だけどナルチスとゴルトムントを、初めから知識と愛欲の象徴の人物として意識したから、原題だったらもっと別なものを感じて読んだ気がする。
自分が人物名以外に題名つけたらなんとしただろうか。
まず、ドイツの女すごいなぁって…
アホみたいな感想しか出てこない。なんか色々思うことがあったはずだけども ヘッセの小説には或る意味で凄い女が多く出てくる。
ヘッセはノーベル賞受賞の文学者であったが
聖人君子ではなかったことは
あまり知られていない。 ハイルナーはハンスを目覚めさせておいて去ってしまうからな
罪な男だぜ ヘッセは個を確立できた強い人だったんだなあ。
自分の周りにもこんな人いたらいいのになあ…… 個を確立できた強い人って、どういう人?
思いつきが強い人? 学生時代にドロップアウトしたり、第一次大戦でうつ病になったけど、立ち直って長生きしたってことだろ ナルチスとゴルトムントを一推しの熱烈プッシュ。
荒野の狼とシッダールタも良いけれど。 >>672
あれ、もう少し長編にしても良いよね。
そう思うのも面白いからか。 ここにいる人はトーマス・マンにはどういう反応なの?
自分は先にマンにハマってその後ヘッセを読んだが、出生の違いが多少感じられるくらいで
あまり変わらないかなと思って途中で中断してしまうことあるんだけど逆もあるのかな?(ヘッセにハマってマンあまり読まないとか) シッダールタ以前のは柔弱で青臭いのが多くてかなわんな。
もちろん全部を読んではいないけど。 >>675
とっつきにくいのは共通なのかな?
魔の山を手にとったけど進まない。 ヘッセとマンはぜんっぜん違うぞ
リアルでそれ言ったら「お前ほんとに読んでんの?」と笑いながら聞き返すレベル どう違うのか言わずに、レベルなどという自分言葉で語る馬鹿 言ってもらえないと何も分からずすぐに馬鹿という馬鹿www悔しいのうwww そもそも勝手に同じだと思い込んで読むのやめてるんだから違いなんて説明しても無駄
読書を知らない人間は放っておくのが一番 >>678、>>680
そういうレスはアホほどするからいいよ
>言ってもらえないと
何をだよ
>何も分からず
アホの溜まり場見りゃわかるけど、自分言葉でしか喋れない奴の言葉なんてアホ以外誰もわからねーよ
>>681
同じとか言ってないから こいつはいきなりキレはじめて、一体何と戦ってんの? >>682
じゃあまず何があまり変わらないのか、出生の違いしかないのかを具体的に話そうね
自分言葉で話しているのは君なんだよ?
わかったかな? >>685
最初のレスで聞いてるのはそこじゃないでしょ その手の論争どうでもいいから、ヘッセとマンで共通項があったり、或いは全く違う作家だと思ったりしてるならそれを教えてよ。そういう意見にしか興味ないです。 >教えてよ
教えてよ?ただのくれくれ厨かよ 本読めよ 同じドイツ人で大天才ゲーテを最上のものとするのはおんなじ。
音楽的には、モーツァルトかワーグナーのいずれかを好みにしているかがことなる。
ベクトルとしてはこういう違いがある。
トニオ・クレーゲルを通じてはヘッセにも通じるイメージがあゎ 同じドイツ人で大天才ゲーテを最上のものとするのはおんなじ。
音楽的には、モーツァルトかワーグナーのいずれかを好みにしているかがことなる。
ベクトルとしてはこういう違いがある。
トニオ・クレーゲルを通じてはヘッセにも通じるイメージがあゎ ヘッセもマンもお互い学校が苦手だった者同士結構仲良かったんだっけ トーマス・マンは性欲がでてきたのは20歳前後だったとか。
ヘッセの場合もどちらかというと遅咲きだったような印象。 ヘッセは性に関して早熟な方だろ
ただ実体験は遅そうだけど ヘッセは不良だからな。
車輪の下のハンスは自罰的で自殺したけれど、作者のヘッセはむしろ他罰的、不良だな。
不良といっても繊細な詩人の魂を持っている。半端ないエネルギーのある人だったのだろうな。 ヘッセは好奇心旺盛なタイプの不良だよね。
15才で煙草と夜遊びをしてたんだよね。 不良なんだけど詩人になりたいとおもいつづけた辺りが偉い。 今、全体主義みたいなのが一部ではやっていて
全体のためには個人を抹殺する考えがあるようで
こういうのにはヘッセは反対しただろうね。
ナチスに反対したからには。
ナチスも注目を浴びているけれどね。 ハリアーハイブリッドのCMフルバージョンで見ました?
『荒野の狼』の世界観を見事に映像化していると思うのですが。 >今、全体主義みたいなのが一部ではやっていて
これだけじゃ何を指してるのかわからんが 強盗事件にあって自殺したい気持ちがとまらないけど
ヘッセ読めば換わるかな? 出版社は編集者レベルで朝鮮系 だから日本人は作家にすらなれない
反論、異論は認めない、というのも現在の文壇のほとんどが
朝鮮左翼系だから
自虐史観を新聞、テレビと共に
誰が植えつけてきたか考えよう
気づけよ 日本人!!
もはやすべての文学賞受賞者は 朝鮮人認定式 と成り果てましたな
戦後、出版社が朝鮮人にのっとられてどこの賞も日本人が受賞できなくなった
だから文壇は左翼と反日の巣窟
おまいら、本なんて絶対買うなよ、朝鮮人に貢ぐだけだ
おまいら黙過の代償以下 自虐史観にのっとられた受賞作みてもなにも思わないか?
朝鮮人は一度利権を確保するとレイシストだから日本人には絶対手渡さないぜ 車輪の下って面白くないよな
話も田舎の優等生が都会で落ちこぼれて自殺するだけだし
いかにもオチコボレが好きそうな話 高校んとき、オチコボレで嘘つきでまわりから馬鹿にされてる奴がいたんだよ
そいつが車輪の下を読んでてワロタ
で、しかも、そいつ半年経ってもまだその本読み終えてないんだよ。
もっとワロタ。
車輪の下ってそう言う奴向けの話だろ? 車輪の下が一番有名なのって日本くらいだよ
ドイツではガラス玉遊戯が一番売れてる ガラス玉遊戯 新潮のやつ見たけど、訳が全然ダメだな。
あの糞訳家(ふんやくか)、文章ド下手だがや
日本でガラス玉、人気無いというか知られてないのはあの糞訳家にもすこしは責任あるな >>713は、そういう常識を知ったかぶりするところを見るとハンス少年みたいなオチコボレだな 文学なんて何かしらから落ちこぼれた奴が手を出すものじゃないの >>716は勉強もスポーツも恋愛も全部オチコボレてるからもうだめだがや >>713って、みんなが知ってることを知ったかぶって得意げに話して、いっつもいじめられてるんだよ >>713 この外国では、日本と違って○○だよ、とか××なのは日本だけだよ。
とか、そういう、屁理屈言う馬鹿って、まだ居るんだな。
>>713は、ハンス少年みたいなオチコボレのいじめられっ子なんだろうな >>721
屁理屈ではないだろう。解説かなにかに書いてなかたっけ? >>722 文庫本の後ろの解説に載っていることを得意げに自慢するバカ >>725って、ハンス少年みたいなオチコボレのいじめられっ子なんだろうな そうそう、>>725は、ハンス少年みたいに「俺は田舎では一番だったぜ!」ってホラふいてるんだろうな
ハンス少年ってそのくせして、田舎に帰っても歓迎されずに自殺するんだよな >>728って、頭が固くて面白くなくていじめられっ子で落ちこぼれだな。
よかったな、おまえの好きなハンス少年みたいじゃん! >>730の言うとおり>>728は読んでないのに読んだふりちゃん ヘッセが好きなやつってハンス少年みたいなオチコボレのいじめられっ子ばっかなんだろうな ずっと前から一人でID変えて必死すぎる奴がいるな、哀れな >>733アホ発見! ここのスレだと、わざとID変えてるわけねーだろ!
>>733はハンス少年のようなオチコボレのいじめられっ子なんだろうな。
そういう奴に限って「俺は田舎では一番だった」とか地元じゃ負け知らずだぜとか
車輪の下か青春アミーゴみたいなへらずぐちばっかりきくんだよな ヘッセのスレにとんでもない馬鹿が紛れ込んでるな
NGじゃ! クヌルプを買おうと思って調べたら新潮の表紙がかわいくなってた
前は水色一色でそっけなかったから嬉しい 車輪の下を翻訳者別に三冊読んだけどそのうちの一冊が妙にホモホモしかった
あのキスシーンのところ
誰訳かは忘れた高橋健二訳ではない >>703
やっぱりあれ荒野の狼だよね
ハリー・ハラー (。・ω・。) 試験が終わったら釣りに行っても良いかな? 君のためを思って言うのだが、ギリシア語と数学を少しだけ先取りしておくのを勧めるよ 荒野のおおかみの最後のほうってドラッグで頭おかしくなってるの? ブルックリンの発着場じゃあるまいし、ヘッセは過大評価。レベルは高くない。
日本の文学作家のほうが深い作品を書くよ。 コリン・ウィルソンは過小評価されてるって書いてるよ >>748
比喩が現実に先行してる感じがするよな
壊れたラジオからモーツァルト(バッハだったか?)が流れて来て
お前らの現実の見方はまさにこんな感じなのだ、自分自身が壊れていなければ現実は美しいのだ、的な実存主義的な考え
デミアンでも何かおかしくなる >>752
アウトサイダー的な見方では過小評価っつーこと 元アイドルがマ○ヤと組んでト○を洗脳したのと同じ。
ヘルミーネとパブロがハラーを丸裸にする自己啓発セミナーのお話です() >>713
俺がそれでヘッセ嫌いだったんだよなあ。
『車輪の下』読んで、こんなもんか?と読むの止めてしまった。
カフカも『変身』読んで微妙で止めた。
だけど原文で『ガラス玉遊戯』『審判』を読んで評価が一変した。 原文であれだけの長編大作読めるとか凄い
俺は訳本でも途中でやめちまった
結局、狼やデミアンよろしく市民VSアウトサイダーの構図を描こうとしてるだけなんちゃうかって思った kindleで200円のデミアン買ったんだけど
なんか訳がアカン気がする
他で買い直した方がいいかな? 新潮の高橋健二訳の買ってきた
こっちの方がずっといい!
200円のは学生が教科書を訳したみたいな訳だ
危なかった 高橋健ニの訳を叩いているサイトもあるが、
上手い訳文を強いて作ろうとしないヘタウマの上手さがあるような気がする
ヘッセの原文がそういう傾向があるから合っているのかも
ちゃんと香気のようなものがあるんだよね ゴダール絶頂期の傑作、ウィークエンドを観るがよい。
ステッペンウルフ結末部のラリルレロな暴力的カオス&ナンセンスを
ものの見事に映像化しているから。 「ウィークエンド」は心揺さぶられた……。
といっても、一度しか観てないが。 ヘルミーネは実在の娘なのかな?
自分のことが書かれた論文を受け取ったあたりから、現実とは他の世界に入っていて、
登場人物たちはある種ハリーの心の中の存在のような気もする。
ヘルミーネを刺したことには何の意味があったのか?
もう一人の自分を殺すことで、統合されたのか?とも思うけど、
違うような気もする。
ヘッセ論、荒野のおおかみ論が書かれた本ってないかな? 荒野のおおかみって映画になってたのか
残念ながらdvdになってないようだけど
観たいなあ >>767
最後のほうはちゃちなアニメ+特撮みたいであまり印象に残らなかった。 ゴータマにのもとに行くと聞いて激怒した最長老を、シッダールタが不思議な力で操る。
デミアンにもこういう催眠術みたいなモチーフが出てきたけど、これは何だろう?
ヘッセは催眠術に興味があった? 新潮世界文学全集ポチった
沢山作品入っててお得だと思う ヘッセって、フリーメイソンの会員なの?Wikipediaに書いてあるんだけど。
どこかで自分で言ってたっけ?
たしかに『東方巡礼』とか読むとさもありなんって思うけど。 グノーシス主義など神秘主義の造詣が深かったのは確実だけど
フリーメイソンぽくはない気がする ノルウェイの森で主人公が車輪の下を読むシーンがある。
ヘッセごときみたいな扱いだったが、現代ならそういう評価も分かるが、
物語の舞台になっている1969年からそんな扱いだったのだろうか? 中村慎一郎ぐらいしか 評価してくれてなかったよねー 1960年代にヒッピー達に愛読されたり、荒野のおおかみを名前にしたロックバンドが
出たりしたのは、ヘッセにとって幸運だったのだろうか? 「ナルチスとゴルトムント」に感動したぞ。
いやはや強烈な読書体験でした。
「父と子」と「感情教育」ともども
男二人の愛と相克を基軸とした物語であるが、
三者三様に、どれも甲乙つけがたく素晴らしい。
ガラス玉演戯の英語版ペーパーバック、欲しいなあ。 最近、ニーチェ読んでるんだけど、ヘッセ結構影響うけてそうだね 生きているうちにヘッセの作品に出会えた事に感謝します
春の嵐、郷愁、デミアン、シッダルタ、感銘受けました
時空を超えて感謝を伝えずにはいられない、ありがとうヘッセ! 高橋健二訳の「少年の日の思い出」が読みたいのですがAmazonで手に入るのでしょうか? ヘッセって日本人が書きそうな作品を書くよね
苦悩は苦悩だしなんか大袈裟なカタルシスみたいなものがあるわけでもないし 高校大学時代に新潮文庫で手に入るの全部読んだ
社会人になってからもときどき手に取って拾い読みする
何か懐かしい気持ちになる
何か若いときだけ経験できるようなもやもやした、しかし純な気持ちにもなる
主要作品の中ではガラス玉演技だけは手に入らなかったので読んで無い
どこか楽しみに取ってあるという気持ちもある
「韓国人によるレイプ事件一覧」
http://takeshima.takara-bune.net/
↑
絶対に広めるなよ!
韓流ブームがあっという間に終わっちゃうからね!! ゴルトムントみたいな得体の知れないやつに女たちはよく体許したよな 「知と愛」ってヘルダーリンのヒューペリオンを思い出すような作品だな
確かにヘッセは世界の宗教への造詣が深い
グノーシス主義への言及も多い ナルチスとゴルトムントはな、
四十年戦争だかなんだかの長い戦火と疫病に見舞われて荒廃しきった、
死と不条理の世界での出来事だからな。
女の本能が生命力の強い男を烈しく求めるのだ。
モラルなど糞くらえ、である。 美少年だったんだよ
今でいうイケメン
2ちゃんでいう※ 序盤に顔立ちがよくて愛嬌があって誰からも愛されたみたいに書いてなかったっけ? 「シッダールタ」以降の「ナルチスとゴルトムント」、
「荒野の狼(ステッペンウルフ)」、「ガラス玉演戯」のうち
少なくともふたつを読んだことのない人にヘッセを語って欲しくない。
いや、ほんとうに、無意味だからやめて。 岩波文庫のデミアンでは、かの名文「卵は世界だ」はどう訳されているのでしょうか? あなたは40代ロサンゼルス府警工場作りですか?ドーハの悲劇「横浜衝撃イヤフォン」「横浜悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? 新潮文庫のヘッセ詩集を買って今読んでるんですが、
P、200の「晩夏のチョウチョウ」という題の詩の終わりの方に
「老いた夏王の祝宴の〜」とあります。
「夏王」は「かおう」と読むんでしょうか? それは・・・明日から第41期 棋王戦 五番勝負が始まるからきいてるのか? >>810
棋王戦をググると、「きおう」ってあるので
夏王は「かおう」で良いってことですか? ヘッセってモテたんだろうな・・
ヘッセにキモメンの気持ちは分からんわ! デミアン読み終わった。
丁寧に描かれている、少年から青年期にかけての
普遍的な孤独や不安、精神世界の構築に比べて
これまでのシンクレールとは別人のような終盤の
エヴァ夫人への過剰な偏愛と、混沌とした宗教観と時代性から
無理やり捻り出した性急な結論に少しがっかりしながらも
全体的には得るものが多い作品だった。
(これはトーマス・マンの魔の山の終盤で感じた不満にも似る)
時代や衆愚などに流されず、己の中から自ずと涌出る
強い信念のようなものに従い、突き進み生きること
その為に自分を信じるに足る、崇高な魂(精神)を宿す必要性
それをデミアンから改めて教えられた。 春の嵐
何度読んでも中盤のゲルトルートが初めてクーンの曲を唄うとこで泣いてしまう 殆んど読んで、新潮世界文学に映像で載るという、著作は100作内に選ばれなかったね(日本語でおK ヘッセ
車輪の下、デミアン、春の嵐と読んできたが面白かったのは
春の嵐>車輪の下>デミアン だった
次は何を読めばいいかな? 前期の書生臭い作品にあまり現代的な価値はない。
本分に目覚め大人になったヘッセの、
「シッダールタ」とそれ以降の作品を読みなさい。 シッダールタ以降読むならガラス玉演義まで読まないと拗らせたままになりそう ゴルトムントみたいにモテモテになりたいです
両側に美人姉妹を侍らせて寝たいです ヘッセほど、「自分を理解してくれている」と思える作家はいない。 ヘッセは他人が理解してくれなくても自分が良いと思えばそれでいいと思っているよ ▼原文
Daneben die vielerlei Pilze:
der rote, leuchtende Fliegenschwamm,
der fette, breite Steinpilz,
der abenteuerliche Bocksbart,
der rote, vielästige Korallenpilz;
und der sonderbar farblose, kränklich feiste Fichtenspargel.
http://ka2ka.exblog.jp/23138154/
▼秋山六郎兵衛(1900-1971)訳
その近くにはさまざまな茸が生えていた。赤く光っているハエトリタケ、太く、幅の広いアワタケ、奇怪なバラモンジン、
赤く枝がいくつにも分かれているホウキタケ、一風変って無色の、病的に肥ったマツバウド。
▼高橋健二(1902-1998)訳
そのそばにさまざまの種類のキノコがはえていた。つやのある赤いハエトリタケ、肉の厚い幅広いアワタケ、異様なバラモンジン、
赤い枝の多いハハキタケ、など。それから一風かわって色のない、病的にふとっているシャクジョウソウ。
▼秋山英夫(1911-1991)訳
そのそばにはいろいろなきのこがはえていた。赤くひかっているはえとりたけ、肉の厚いはばのひろいあわだけ、奇怪なばらもんじん、
枝がいくつにもわかれている紅色のははきたけ、それから奇妙に色のない病的にふとったしゃくじょうそうなど。
▼実吉捷郎(1895-1962)訳
そのわきには、いろんな種類のきのこ類が生えていた。赤い、かがやくばかりの紅天狗茸、厚い、はばのひろいあわたけ、怪奇なばらもんじん、
赤い、枝の多いほうきだけ。そして妙ににおいのない、病的に肥大したしゃくじょうそう。
▼辻瑆(1923-)訳
その隣には、各種各様の茸がはえていた。赤い、輝くばかりのあしたかべに、厚ぼったくて幅のひろいやまどりだけ、奇怪なすがたのばらもんじん、
赤くて枝のたくさんあるほうきたけ、それに、病的に太って妙に色のないぎんりょうそう、といったたぐいである。 ▼岩淵達治(1927-2013)訳
そのそばに、いろいろな茸が生えている。赤く光ったアカハエトリタケや厚みも幅もあるヤマドリタケ、不可思議な形をしたバラモンジン、
赤くてたくさん腕のでているホウキタケ、それに奇妙に色があせて病的にむくんだシャクジョウソウなどだ。
▼登張正実(1916-2006)訳
それとならんでさまざまなきのこ。赤く光っているあしたかべに、あぶらぎって幅ひろいやまどりだけ、へんちきりんなばらもんじん、
先がいくつにもわかれた赤いほうきだけ、それに、妙に色がなく病的に太ったぎんりょう草。
▼井上正蔵(1913-1989)訳
そのそばに、いろんな茸が生えている。赤く光っているあしたかべに、厚ぼったい大きなやまどりだけ、へんな形のばらもんじん、
赤くて先がいくつにもわかれているほうきだけ、妙に色あせて病的に太っているしゃくじょうそうなど。
▼伊藤貴雄(1973-)訳
そのそばには、いろんなキノコが生えていた。赤く光っているベニテングタケ、ずんぐりむっくりしたヤマドリタケ、風変わりなバラモンジン、
先がいくつにも分かれた赤いホウキタケ、そして妙に色がなく病的にむくんだシャクジョウソウ。
▼松永美穂(1958-)訳
その横にはたくさんの種類のキノコがあった。赤く光るベニテングダケ、肉厚で幅広なヤマドリタケ、奇怪なバラモンジン、
赤くてたくさん枝分かれしているサンゴタケ、そして奇妙に色のない、病的に太ったシャクジョウソウ。 50歳で自殺しようと思って生きてきたので
荒野のおおかみを読んだときは驚いた 晩年の散文にあるようなすばらしい一日を過ごした事があった
まるですべてに祝福を受けているような一日
あんなすばらしい一日を一体どうしたらまた過ごすことが出来るだろうかと思い続けて生きている ガラス玉演戯・遊戯を読みたいんだけど
翻訳はどれがおすすめ? 高橋訳と井出訳しか読んだことないけど井出訳は旧字体使っているので高橋訳のほうがスルッと読めた。 クヌルプ買ったけどほとんどラストシーンのためにあるような本だなこれ。ラストがいいんだけど ノーベル賞受賞はガラス玉演戯が契機らしいが
文庫本版は本当に見かけない ガラス玉演戯ってそんなにいいかな?
俺の求めてるヘッセとは全然違ったから途中で投げ出した。
ヘッセで一番好きなのは「知と愛」
次に「荒野のおおかみ」 昨日、NHKBSの「アナザーストーリー」でスティーブ・ジョブズをやっていたけど、ジョブズは「ガラス玉遊戯」を読んでるはずだと思った
大学中退して、禅の修業をし、創業したアップル社では、テクノロジーとアートの融合をめざした
座右の銘は、「Stay hungry, stay foolish!」 陸亀レスだけど
>>256
他人の要求あれこれに合わせて頑張るんじゃないかな
自分ってものがなくなって、やることなすこと誰のためにもならなくなる
>>261
ピアノソナタ15番とか好きそう
>>265
GONTITIみたいな音楽はどうだろうか
特にヨコハマ買い出し紀行OST(ニコニコに結構ある)の「月の調べ」とかね
何でも合わせられるような作家じゃないのには同意する
>>289
クヌルプのレヒシュテッテンの町なんかは、一度絵で見てみたい… クヌルプを最初に読み終わった時は悲しさも強く感じてたはずだけど
二度目となると心がホワホワになるばかりだった、もの悲しいことには違いないけどね
車輪の下も二周目は違う気分になるんだろうか ヘッセのデミアンは人間の奥深くまで入って
誰も触れなかったような秘密を解き明かしたような作品だ.
まるで暗がりの部屋の扉を開けたような,少し危険で
でも,力強いような 荒野の狼、読みたいんですが
新潮文庫の高橋健二訳と日本ヘルマンヘッセ友の会研究会の訳だったら
どちらの方がオススメですか? クヌルプ
器用貧乏の成れの果てって感じだな
憧れる死に様ではある
雪山を命の灯火が吹き消されるまで歩いてみたい だからお前は全てのものの
兄弟姉妹にならなければならない
の詩と、童話「夢から夢へ」が大好き ガラス玉演技面白いかしらん
「シッダールタ」的に東洋哲学がもりこまれた感じ?
ダイレクトに荘子とか読むのに比べて
ヘッセを通して読むことに何か意義があるだろうか? それってヘッセ唯一の長編だからね
読みごたえはあるよ
ヘッセは世界の宗教観に徹している
グノーシス主義にも触れているし
カフカともマンとも違った重厚な作品が多い 荒野のおおかみ
ナルチスとゴルトムント(知と愛)
は中編扱いなん? 荒野のおおかみ 完全に期待はずれだった。
アウトサイダーの孤独と救済がテーマのわりには物語が短絡的だし
終盤のドラッグでもヤりながら書いたとしか思えない支離滅裂な露悪趣味には辟易した 高橋健二訳『ガラス玉演戯』新潮文庫で復刊キテ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!! では荒野のおおかみ以上のアウトサイダー文学をご教示願いたい ヘッセは短編の名手かもしれない
インド哲学に始まりグノーシス主義への造詣も深い
物凄い勉強になる作家だよ
ヘッセがラテン語の学習したのは聖書の原典を読むためだろう
ヘッセは宗教観にまで手を出しているからある意味カフカやマンとも
一線を画している やっぱ宗教的な視点は外国文学では避けることはできないと思う
ヘッセはやっぱ宗教観の作家かもしれない
あらためて宗教というものを意識したよ ヘッセのおかげで
別に自分が宗教やるということではないにしても メルヒェンは抽象的、概念的な作品が多くて読むのが苦痛だった 天才と双極性障害or統合失調 [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1473881371/
ドストエフスキー(幻聴、てんかん、癇癪、多弁、)
トルストイ(抑うつ、放浪癖)
ルイスキャロル(てんかん、吃音、小児性愛)
ゴッホ(てんかん、幻聴、幻視、異常行動)
エドガー・アラン・ポー(幻視幻聴、アルコールアヘン依存、白昼夢)
ヘミングウェイ(自殺、自殺家系、躁鬱)
シューマン(幻聴や妄想など神経梅毒症状だが異説あり)
バッハ(神童と呼ばれた息子が成人後障害発症、おそらく統合失調)
アインシュタイン(息子が統合失調)
ショパン(幻視、発作行動、てんかんの疑い)
チャイコフスキー(鬱)
芥川龍之介(躁鬱、自殺、母親が精神分裂)
太宰治(躁鬱、自殺未遂と完遂)
三島由紀夫(自殺)
川端康成(自殺) ヘッセって胸が締め付けられるような作品ばかりだよね。
夏目漱石の「こころ」に似てる 退屈を忘れてるからだ。死を。先陣からの駆け遅れを。 お前らナルチスとゴルトムントならどっちになりたい? 高校の時図書館の推薦本だった車輪の下を読んだ
田舎だからか今どき珍しいくらい抑圧的な校風だったからこんな本推薦していいのかwとか思ってたな
そういえば校風に反抗的な先生はジョージ・オーウェルの1984年をオススメしたりしてて密かに応援してたわ 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 湖畔のアトリエが気になってるんだけど
ここではどんな評価なんだろ 「乾草の月」だったっけ?
珍しく養老院の話。
昔の人文書院の全集が好きだったなあ。 1990年代は、ヘッセに関する研究本が多く出された恵まれた年代だったと思う。
ヘッセにまつわる書簡集が凄く面白かったな。
「TV何でも鑑定団」に、ヘッセの晩年のエッセイに出てくる人がメガネを鑑定してもらってたっけ。
鑑定団では他にヘッセの水彩画を鑑定してもらってる人もいた。 ヘッセの「デミアン」にある理想像は、中沢新一の「森のバロック」を読めば、答えが書いてあるのを知るだろう。 集英社文庫の「車輪の下」の畑山博の感想文が何よりも面白かった。
いわゆる青年期のための読書ではなく、昔何らかの理由で放り出した作品への
再アプローチで、なかなかああいうユニークな感想文には、お目にかかれない。
歳をとると読者も視点が偏移してきて、感情移入する登場人物まで変わってくる。
ギムナジウムの生徒たちでなく、中高年の大人の世界に目移りする。
昔のヘッセ展(1976の年度)のカタログに載ってた、フォルカーミヒャエル編の「読書について」
というヘッセのエッセイの真髄を体現しているようにも感じたな。 >>846
霧ヶ峰高原の、あの山小屋クヌルプヒュッテは今も健在だろか?
懐かしな。
美しケ原の尾崎喜八の石碑も思い出した。 映画の「ステッペンウルフ」は、原作に忠実だったな。
あれの封切り当時、ヘッセは読まなくなってたが、自分よりかなり高齢の人が、戦前の版のヘッセ全集を懐かしがってたなあ・・・戦火で失ったとか言ってて。
ヘッセ需要、人気が日本ではかなり古くからあったのを、まざまざと知った思いだ。 五十歳の男
揺藍から柩に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読む訳だ
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた巻き毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
若き日に「エリーザベト」なんて詩を書いた詩人は、高齢化してこんな詩を
書いたらしい。
評伝によると、エリーザベトさんは生涯独身で、若い頃ヘッセに要らんこと
言ってそれっきりになったことを生涯悔やんでいたという・・・・・ >>829 >>830
シャクジョウソウとギンリュウソウは、よく似てるが別種ではないか?
自分は、ギンリュウソウだけなら何回か見たことがあるが、神秘的で不気味な草よ。
幽霊を思わせるようで。
隠花植物マニアなら、知っているだろな。 >>880は、プルーストのスレにいる人ね?
ヘッセは昔はまりすぎて、抜け出すのに苦労した作家かな。
ノーベル文学賞受賞作の「ガラス玉演戯」は、他のノーベル賞作品の比較基準にも
なる。 ヘッセはしょせんはニルヴァーナへの憧れ(高橋健二)
プリーストは、いい線(アーラヤ識)いっていたのではないか・・・(バルトだかラカンの言葉) >>867
自分は画家の話なら、「クリングゾールの最期の夏」が好きだな。
ヘッセがイタリアの山中を歩き回っていた時代の・・・
人生の危機を表すにしても、「荒野の狼」よりヘッセ的叙情性がふんだんにあってさ。 Im Shatten des Hauses , im der Sonne des Flussufers bei den Booten
, im Shatten des Salwaldes , im Shatten des Feigenbaumes wuch
Siddhartha auf , der schöne Sohn des Brahmanen , der junge Falke
, zussammen mit Govinda ・・・・・・・・・
どんな小説のイントロでしょうか? schöne
oウムラウトが誤変換しちゃうな・・・ Herr Joseph Giebenrath Zwischenhander und Agent zeichnete sichnete
sich durch keinerlei Verzuge oder Eigenheiten vor seinen Mitburgern
aus .
これは日本では代表作となってる。 Dieses Buch enthalt die uns gebliebenen Aufzeichnungen jenes Manners
,welchen wir mit einem Ausdruck , den er serbst mehrmals gebrachte
, den " Steppenwolf " nannten .
分かり易い単語を入れとかないとな。 Als Knulp die Augen nochmals auftat, schien die Sonne und blendete
so sehr, dass er schnell die Lieder senken musste, Er spurte den Schnee
schwer auf seinen Handen iiegen und wollte ihn abschutteln, aber der
Wille zum Schlaf war schon starker alsjeder andere Wille in ihn geworden . Sogar mein Onkel Matthaus hatte auf seine Art eine Freude daran, mich
wiederzusehen .
Wenn ein junger Mann ein paar Jahre lang in der Fremde gewesen
ist und kommt dann eines Tages wieder und ist etwas Anstandiges
geworden, dann lacheln auch ・・・・・・・・・・・・・・・
これは、「青春はうるわし」のイントロ
>>888 は、一行目に作品の主人公の名が刻まれている。 >>854
マウルブロン神学校の教育カリキュラムに、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語
などが組まれてて、入学当時にハンスが各国語の印象を思う場面があるね。 ルードヴェンガーさんって美人だから、ヘッセも年とってから若い女性に
好かれたのもまんざらでもなかったんだろな・・・ マリア・ベルヌーイさんが、どんな感じの人かは、「婚約」を読むと分かるね。
ヘッセがマザコンな事を指摘した論文もあるけど。 車輪の下の風景描写の文体がゲーテっぽいなと思ってたら、作中でファウスト伝説にゆかりがある場所として校長の執務室が紹介されてたりしてて、おそらくヘッセはゲーテが大好きだったんだろうなと推察した。
それとも単に好きだったり影響受けただけではなくて、何かしら意図があって作中にファウスト伝説をチラつかせたのかな?ハンスの死の暗示としてとかさ。
お前らの見識ではそこんとこどうなんよ?もったいぶらずに教えなさい。 そういや「ゲーテへの感謝」という晩年のエッセイは未読だった。 車輪の下はさえない少年の話なので、あまり好きじゃない。
それよか、ドイツ詩人の名前が色々出てくるヘッセの若い頃の短編って何だったか?
アルニム、ビュヒナー、シュティフター、メーリケ、アイヒェンドルフ、etc
昔、例の流行歌の影響でハイネしか知らない奴ばかりで、ウンザリしたわ。 儚い青春
Der mude Sommer senkt das Haupt
Und shaut sein fable Bild im See.
Ich wandle mude und bestaut
Im Shatten der Allee.
Durch Pappeln geht ein zager Wind,
Der Himmel hinter mir ist rot.
Und vor mir Abendangste sind
ーーーUnd Dammerungーーund Tod.
Ich wandle mude und bestaubt.
Und hinter mir bleibt zogernd stehn
Die will nicht furder mit mir gehn. >>895
ヘルマンハイルナーはカッコいいね。
六脚韻なんて、これで知った。 霧の中
Seltsam im Nebel zu wandern!
Einsam ist jeder Busch und Stein,
Kein Baum sieht den andern,
Jeder ist allein.
Voll von Freunden war mir die Welt,
Als noch mein Leben licht war;
Nun da der Nebel fällt,
Ist keiner mehr sichtbar.
Wahrlich , keiner ist weise,
Der nicht das Dunkel kennt,
Das unentrinnbar und leise
Von allen ihn trennt.
Seltsam , im Nebel zu wandern!
Leben ist Einsamsein.
Kein Mensch kennt den andern,
Jeder ist allein.
この詩をヘッセ自身が朗読したテープを、一度だけ聴いたことがある。
たしか、新潮社の高橋健二のヘッセ全集が刊行された時、
高橋氏と三浦朱門がNHK教育TVに出演して、ヘッセにまつわる
話を少しばかりしてて、その合間に流してたっけ。
ヘッセも朗読会とか、してたらしいし。 あの楓蚕蛾の話って、中一の教科書だったのか? 小学校のだと勘違いしてた。
どこか大手出版社のヘッセの巻にも収録されてる。
庄司薫の「蝶をちぎった男」って、関連あるのだろか?
東大生時代の作品だが、三島由紀夫が確か貶してた。後年の赤ずきんは誉めちぎってたが・・・ >>880
「ヘッセの作品は、万人を裨益するのだ」
というのは、フォルカーミヒャエルの言葉でした。 「神父マチアス」だったっけ?
ヘッセ作品としては、叙情性が弱いと高橋健二が解説してたが、自分の場合逆にその「無さ」に昔関心を抱いた。
柄谷行人が、漱石の「坑夫」を漱石作品の全体像の特異点のように論じる、あざとい事を昔やってたが、ヘッセについても同じような評論が出来そうに想うたわ。 車輪の下って有名な割に未だ映像化されてないのが意外。
大して盛り上がる部分も無いし地味な話だから誰も映像化したがらないのかな。
大衆ウケしそうな部分はエンマのエロさぐらいか・・ 若い頃「ナルチスとゴルトムント」を読んで、「死の観念」に取り憑かれたようになって、数年間鬱っぽくなったことがある。 ヘッセってなんとなく教育的な文学、良い子の文学ってイメージがあって学生時代は避けてたんだけど割とそうでもなくてハマった。
発表順に読んでて今『荒野のおおかみ』
『デミアン』以前の作品は正直学生時代に読みたかったけど後期の作品は割と今(30代)の気分に合う。久々に読書が楽しい!
ところで、ヘッセ好きのみなさんが好む現代の作家って誰です?オススメあったら教えてほしいです。
僕はウェルベックとかカズオイシグロ好き。 ガラス玉の序章きっついなこれ…
要は新しい表現方法と思っとけばいいのね つまらない本だったわ
全体として話の流れを見れば筋は通っているが、
本質はカスターリエンという架空の場所の架空の集団の中での架空の生活について、
中身が何もない掴みどころの全くないことを延々と読まされる。
起きたことほとんどを抽象的に書いているが、そもそも実態が無いので空虚に感じる
ただひたすらこれは高尚で気高いことなんですよ〜ということを文章化しただけ(筆力は凄い)。
東洋思想の禅や悟りを最高のものとみなしているが、悟りも開いてない修行もしてない人が
書いても何の説得力もないし実態が見えてこない。
組織に差し迫った危局を感じ、離れた時には現実との隔たりを推し量れず、
自然の強さに殺されてしまうとこう書けば筋は通っている。ある意味、車輪の下に近い
絶版で、タイトルが超絶カッコよいからインテリ気取りが有難がっただけで
タイトルが「ヨーゼフクネヒトの手記」とかだったら違った評価になってたのではないか
ヘッセを全部読んでしまった人か、正直ジジイが時間つぶしに読むような本
あとは訳されたものだから断定できないが、書き方がくどくて嫌いだ
「〇〇し、××し、△△し、※※され、●●されたものをωωすることが・・・」
こんなんがたまにじゃなくて、しょっちゅう出てくる。自分も気を付けないとと思った。 ヘッセは「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)が最高だね
「車輪の下」「春の嵐」「デミアン」「荒野のおおかみ」あたりも好きだ
今は新潮文庫で手に入るのは全部読んだところ
したがって「ガラス玉演技」はまだ読んでいない
「シッダールタ」が上滑りしているようで楽しめなかったんだよね
それのさらに上滑りバージョンって感じなのかな 新潮ヘッセ全集9『ガラス玉演戯』をBOOKOFF100円200円コーナーにて発見したった
一見すると完璧な美品だったがよく見ると背表紙が日焼けしてた
まあ読めりゃいいのさ。やっと読める。 ヘッセって独文科の人に下に見られていると聞いたが今でもそうなのかね 郷愁の序盤を読んでこれは只者ではない!と思ったら序盤が面白いだけだった
後はただの散文といったところで小説としても物語としてもあまりまとまってない
何より孤独や孤高の心というよりは、俺様だけが主役w俺様だけが凄い、他はみんな脇役で大した人間ではない
というスタンスが全編を通して流れているように感じてしまう
人を知って世界を広げようという心に欠けている
他のヘッセの本も大体こんな感じだった気がする 散文として面白い一節を発見出来りゃ良いんだけどね
文学としての完成度を評価の軸にしすぎると何だってほとんど失敗してる デミアン読み始めたけど序盤の主人公の罪悪感が理解できすぎて辛い
少年の心情描写の繊細さには美しさすら覚えてしまうよ 構成に欠点があっても細部の描写に抗しがたい魅力があるのがヘッセだな
系譜としては
・プロットとしても完成度が高い
車輪の下→ナルチスとゴルトムント
・プロットは破綻している問題作だが細部の描写と独自の世界観で読ませる
デミアン→荒野のおおかみ
こういうイメージがある デミアンは前半だけは素晴らしいな
後半は読む価値が無い
解説になぜああなったかちゃんと書かれてて理解はできるが 初期のヘッセは好きだがデミアンあたりからついていけなくなる 『車輪の下』、『デミアン』といわゆる代表作を2作読んで合わなかったので、やめた。3度目の正直で、これだけはってある? おお、ありがとう。ケチをつけるわけでは決してないのだが、高橋健二の訳はどう? 『車輪の下』の彼の訳がどうもしっくりこなかったもので。 高橋健二訳は硬いから極力避けるべき
実吉捷郎訳がこなれていてお勧め >>928
ないね
『車輪の下』『デミアン』だけだ >>929
そうか。じゃ新潮文庫で読むしかないか、残念だけど。 ヘッセというのは好き嫌いの分かれる作家? 自分はどうもあまりピンとこない。訳者のせいだけではないような。
もっとも十代の時に読んでいれば、全然違っていたとは思うが。 シッダールタは遊女のセックスに関する教えだけは良かった 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑。。!! ヘッセは10代のころ読んでいたが、いま読み返してみると、あまりにも俗離れしすぎて、今の自分には合わない、汚れちまったんだなあ。(なんてね)
トーマス・マンなんか読むと、いかにヘッセの文章が豊かで無理のないものか、翻訳でも、なんとなくわかる。
都会人で傲慢で俗物のマンと田舎者で不器用で人間嫌いのヘッセ。 車輪の下
冒頭からゲロがでるほど勉強させられてる描写をみて、すげえ残酷に感じられた 神学校の同級生が主人公にキスしてきたのに、さっさとガールフレンドつくってしまうのはあんまりだと思った
ブロークバックマウンテンのジェイク・ギレンホール並にはた迷惑だ シッダールタとか車輪とかヘッセいくつか読んでて、今日古本屋でメルヒェンを発見したので買った。
最近まで精神的に色々大変で本読める状況じゃなかったんだけど、やっと余裕ができてきた。
小説を読むのは久しぶり。
「アウグスツス」だけさっき読んだけどいいね。素晴らしかった。
愛されるだけでは虚しさが伴うんだって初めて分かったな。
まあ今まであまり読書してこなかったもので浅い事しか言えないけどとにかく嬉しい気持ちでいっぱいだ。 極めて冷静にいうが女一人だけ後で懲戒請求と民事訴訟で責任取らせることも
できるからな
金か減るけど雇われている限り入って来るだろう
あんたあんまりやり過ぎたんだよ とても尊敬しているひと回り以上も歳下の知り合いの女の子が、ヘッセを一番愛読していると話してくれた。なんだか嬉しかった。 からの、
あーーーい、とぅーーーいまてーーーーーーん!!!!!! 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑ーーー! 車輪の下
普通なら、どん底の状況がいかに這い上がって来たかを書くのに
なぜか、あんな結末にした。
長山靖生という評論家がそのことについて書いていたけど読むの忘れた。
でも、悪友と知り合わなかったら、普通に卒業したかも。
そう考えると、変な人とは付き合ったらダメだと感じた。 「ペーター・カーメンチント」=「郷愁」だけど
「青春彷徨」も同じ作品なんだな
Amazonで 関泰祐 訳の「青春彷徨」の文庫本を入手した
これから読む 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑ーー!!? >>931
ヘッセは青春向け文学だな
年を取るとつまらなくなるもんだよ 高校から大学にかけて新潮文庫で読めるのは全部読んだ
その後30年経ってしまったが、ガラス玉演技は未読のまま そんなワテが一つ挙げるなら「知と愛」
あえて高橋健二の訳名で 阿藤快
略して
あい
加藤あい
略して
かい
ヘルマン・ヘッセ
略して
ヘッセ
近松門左衛門
略して
ちん 我々から見たら多少の違和感があるが、
キリスト教文化の中心地にあって仏教理解まで深化していったというのは大したものだろう。
ユングを中核にしているんだろうが、バンデルポストと共に異文化理解が作品に結実している。 >>937
あれはいい映画だな
人生をよく知っている人じゃないとあんな映画は撮れない 小学生の頃に読んだ少年の日の思い出が好きすぎて車輪の下とシッダールタとデミアン読んだ
次何が良いかな
幸福論が気になる
短編みたいだけど少年の日の思い出みたいに心理描写とか良いかな? >>1
ステッペン ウォルフ
ハリーハラーでござんす レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。