ヘルマン・ヘッセ part3
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聖母の泉いま読んでるがゴルトムントが修道院ぬけだしたあたりから面白くなってきた
クルチウスが全体がロマン主義とリアリズムの融合したドイツ中世の驚嘆すべき多彩な姿である。果実のようににおうばかりで瑕ひとつない。と書いてるだけある ヘッセすごくわかりやすいと思うが、何で難解とか言うのかわからないんだけど・・・・・ シッダルタ、デミアン、荒野の狼を読んだ、かつてのヨーロッパ人の感想なんじゃね?
うっすら仏教かじってて、中二病を体験し、ラリパッパ世界の存在も認識している
現代日本人には難解なところはなにもないけど。 東洋思想的なところあるからね、ヘッセ
だから日本人にしっくりくるのかも 実は俺もジンクレールの少年時代はのび太を思い浮かべてたw
フランツ・クローマーはジャイアンな 最後にほうは『銀河鉄道の夜』を思い浮かべてたな
2人の少年がいて、どちらか一方がじんわり消えていく、みたいな デミアンは好きなんだが、なんかデミアンの母親が妙な変容をみせていくところは良く分からなかった覚えが デミアンの母親が、卵とか雛がどうとか言ってくれる台詞は最高 藤原新也が著作の中でヘッセの「シッダールタ」を勘違いの極みって皮肉ってたな。 ワイン利きの、なっつったっけ、あーゆーの?
「この料理にはこのワイン」とかって。
オレ、甘い酒って嫌いで飲まないから、どーでもいいけど。
たしかその人だったよね? デミアン読了。う〜ん、確かに評価が難しい作品ですね。
構成は面白かったです。 >>544
その著書読んでみたい。
何を勘違いだと感じたのだろう。
ヨーロッパの仏教研究者って、仏教国の一般人よりはブッダの思想を理解していたようだし。 そんなこといったら日本の仏教こそ勘違いの極みかと
良いか悪いかはまた別として 好き嫌いの差でしかないな
学説に添ってれば誰もが文句なしでそちらを取るとは限らないから
ヘッセが好きなやつは仏教の正しい知識がどうとかよりヘッセがああいう作品を書いたことに共感するんだろ ブッダに会って尚、それとは違う悟りを探そうとするなんて、仏教圏の人間には思いつきにくいのではないか?
と思った。 >>546
写真家兼作家だよ。社会派系のね>藤原新也
昔、彼の本を何冊か読んだ記憶がある 「東京漂流」「渋谷」「空から恥が降る」
何となくこう・・・社会や人間の裏側を冷たく描写(写真付き)してるって感じだったかな
へえ
なんとなく名前は目にしたことがあったけど、どういう写真を撮っているんだろう
今度本屋で立ち読みしてみるかな 万国のネトウヨよ! 今すぐ 団結せよ!*
AKB48からHKT48へ移籍した指原莉乃が22日、
タモリが総合司会を務めるフジテレビ系特番『FNS27時間テレビ』内で、
単独ライブ「指原たった1人の残念ライブ」
(会場は東京・台場の合衆国スタジアム)を行った!☆
指原が1人で「会いたかった」を歌う中、
ステージに前田敦子、高橋みなみ、渡辺麻友らAKB48のメンバーが現れ、
「会いたかった、さしこ〜」と歌って感動の再会を果たし、
“団結”をアピールした!* 今こそ 団結せよ!☆
バラモン兄弟よ! お前ら!☆
あんな ハゲをバカにしたヘアースタイルをしていたら、
死んで地獄に落ちて 生まれ変わったら 全体ハゲ(真性ハゲ)になって
生まれ変わるぞ!*
モコのキンタマの大きさ=バスケットボール大!*
ズルムケした時期=赤ちゃんの時だ!☆
好みのタイプの女性は 天地真理と渚ゆう子と欧陽菲菲(オーヤンフィフィ)だ!*
エドガーベインズ上院議員様がおっしゃるとおり モコは狂気の沙汰だネ…*
モコには社会的責任を感じ取る神経が完全にマヒしてるんだよネ(*)((Φ))
これからは「ウンコウーマン」の時代だ!*
南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏☆
長年にわたって「原子力ムラ」の中心で活動していたヤツらに
これ以上 甘い汁を吸わせるワケにはいかない!*
そんな 弱い心でどうするんヤ!☆ もっと強くなりなさい!*
いっしょに がんばりましょう☆
でも つらかったら ムリしなくてもイイんですよ*
だいじょうぶですよ!☆
CIAの情報戦略の3Sはスポーツ、セックス、スクリーンの三つだ☆
CIAが背後に存在する正力氏が創設した日本テレビ放送網は、
プロレスや野球などのスポーツをテレビ放送網に乗せて、
民衆の関心をスポーツなどに振り向けることに尽力してきた*
プロレスファンとはCIAの情報戦略に
みごとに洗脳された家畜どものことだ!☆ ヘッセの後期作品は高校生くらいがあまり勘違いせずに読むのには向いてると言う感じかなw
皮肉じゃなくて、文明批判の割には落としどころがわりと素直、だから今でも愛読されるのだろ
あの時期の欧州の画家作家なんて大戦ショックでだいたい内面に沈潜して変な精神世界に嵌まってるじゃん 後期作品第一作目『デミアン』の落としどころって素直?
曖昧じゃないですか? 松任谷由美も十代の頃、ヘッセやタゴールを読んでたらしいね。 新潮文庫で車輪の下の特別カバーでちゃったな
あれあんま好きじゃないのになー >>560
はげど
ヘッセならあれより他に読ませるべき本があるだろうに
晩年ヘッセも当時は力不足だったから今では満足いかない本みたいなこと言ってるし 読んだ中では車輪の下が一番よかったかな
でももしかしたら聖母の泉がはるかに完成度高いかも
相当分量あるのに2,3週間で一気に読んだし
ヘッセはストーリーの筋が薄くて泉もやはりそうだったが心理、情景描写がすごいわ 古書店で角川のガラス玉遊戯見つけたんだけど、564を信じて買っていいのか
遊戯は訳が古くて読むの大変だよ。
新潮の演戯でも前半は結構読むの大変だと思うけど。 一度、演戯を読んだ後に遊戯も買って再読してみようとしたけど、途中で挫折した。 ヘッセ知ろうとデミアン読んだが物足りなかったかも
二項対立の中でもがいてるもの自体は好きだが、トーマス・マン、
ヴォネガット、吉本隆明、高橋源一郎(初期)、草野マサムネ(歌詞)あたりの方が
自分にとってはデミアンよりいいかなと思った
戦争のシーンで主人公が人を見くびっていたのを悟ったと語るシーンあったけど、
まさにそうで、その色が少し強すぎたように思う。いわゆるほんの少し厨二病すぎたという感じ ヘッセを知ろうとデミアンを選んだ処がちょっと間違いだったのではないでしょうか。
デミアン、ステッペンウルフ辺りは少し異質な作品です。
初期のペーターカーチメントやゲルトルート、後期のナルチスとゴルトムントやガラス玉演技辺りも読んでみては? ガラス玉はヘッセが好きじゃないと序文で投げると思う
初期〜後期である程度ハッキリした変化ってあるの?
個人的には厨二成分は抑え目で(便宜的に厨二って単語使ってるだけなのでそこのツッコミは勘弁)、
深刻だけどもしなやかに潜ろうとしてる耽美ある文体を求めてるんだけどどうでしょう
574さんのレスになかったシッダールタ、クヌルプあたりも気になってる デミアン以前と以後では全然違うと思うけど…
デミアン以前だとヘッセ自身に明確な答えがないからクライマックスに説得力がない。
答えがないから車輪の下みたいに問いを放置したり(それはそれでよい)、
春の嵐みたいに無理矢理悟りましたみたいなところに落ち着く。 >>576
『クヌルプ』はいい作品
いささかデウス・エクス・マキナ的?ではあるけれども
理屈抜きで、ただもう読んでとても心が暖められたし、終盤特に最後の一文で泣きそうになった
>深刻だけどもしなやかに潜ろうとしてる耽美ある文体
というのがよくわかってないかもだけど・・・
『クヌルプ』、『ナルチスとゴルトムント』、『ゲルトルート』、『ペーター・カーメンチント』
あたりがお勧めかな
例えばドストエフスキーのような、練りに練られた思想みたいな描写は比較的少なめ
(『デミアン』とか『荒野の狼』とか『シッダールタ』とか一部除く後期作品に多いとして)
右往左往しながらも、予感を頼りに、自分の天命を見つけ出そうとする物語だよね
『ペーター・カーメンチント』なんかは、ヘッセ一流の自然風景描写が一際輝いてるし、前期はそういう叙情性が豊かだよ
>>578
そんなにいいんだ。クヌルプは積ん読だったから読んでみるよ。 シッダールタは、仏教の理解なんてあんなもんでいいのかも知れないな。
日本でも禅坊主がよく本書いてるけど、シッダールタ的な理解を否定してかかるでしょ。
狗子仏性ありの公案みたいにさ。 ゴルトムントって見方によってはなかなかのクソ野郎だよね まだ国民という概念もない中世での話しだからそうともいえない ガラス玉も良いんだけど、ヘッセで珠玉はやはり車輪だな。
あれは情念描写では群を抜いてる。大宰すらかすむ。 『始めに神話があった』って、ヘッセ作品を象徴する言葉だよな
田舎の中学生だった頃、本屋で「青春は美わし」(角川文庫刊)を見つけ、貪るように読んだ記憶がある。
ここであまり短編が出てこないけど、「ラテン語学校生」が大のお気に入りだった。
まるで夏の夜の花火のように美しく、心理描写も緻密で、繊細な文章は衝撃的だった。
ヘッセの著作は片っ端から読破して、大学1年の夏にヘッセの生家のあるドイツのカルブという町にも行った。
「黒い森」の中にある本当に美しい町だった。ヘッセはドイツと日本では圧倒的な人気を誇るが、
その他の国では知名度が低いと、ヘッセ博物館の人が言っていたことを思い出す。
「デミアン」を読み、ユング心理学に傾倒して精神科医の道に進んだが、やはりヘッセは自分の原点だと思う。
たまたまこのスレを見つけて、忘れかけていたヘッセへの情熱を思い出した。
まだまだ読まれているんですね。なんかもの凄く嬉しいです。
実はドゥルーズのマゾッホ論でかすかに『デミアン』に言及されているのはあまり聞かない話 ヘッセの作品の中で「精神的危機」と表現されているが、
その危機について、具体的に乗り越えたのはサマセット・モームの
「月と6ペンス」の主人公ではないか? 最近読んだ哲学って題名の詩がよかった、かなしい詩だけど 今始めてヘッセ読んだ。中断された授業時間ってやつ。こんなに共感して胸が締め付けられる作家は初めてかもしれない。 マジか。じゃあヘッセの中では結構珍しい作品なのかな?車輪の下とかもこういう感じなのかと期待してるんだけど >>512
遅レスだけど四反田さんね
話し好きのいい人だよ随分と前のことだけれど
デミアンから引き込まれたがおいらはいまとなってはメルヒェンが一番好きだな
メルヒェンに限らず短編はいつまでも色あせない ヘッセなら是非はともかく『ゆとり教育』を容認するだろうな。 ヘッセが今の時代に生きてたらやっぱり地獄だろうな
ツイッターとかインターネットを忌み嫌っただろうか 意外に自分のブログ立ち上げて、それなりに交流を楽しんでたりしてねw あるある
ヘッセは俺らと同じ根暗だしネット常用するんじゃ 「俺は〇〇を誰よりも理解している!」って発言は嫌いだが、
好きなヘッセについてこんなこと書かれたらさすがにいい気持ちはしないな… ヘッセはネット常用しても反戦だから、ネトウヨにはならないな 最近デミアンを読みました
エヴァ夫人の章が新興宗教とかオカ板で流行りのアセンションみたいで一気に胡散臭くなったんだけど
デミアン好きな方はこの部分をどう解釈してますか? まずなぜその部分がアセンションだと思えるのか、
アセンションとは何なのか、自分にとってアセンションはどういうものなのか
ということを言ってくれないとよく分からない。
で、個人的な考えを言えば、胡散臭いと言われてムッとしているw
あの部分は苦心してきた自分の一側面を肯定することで救済されるってことが含まれているわけで、
「なんだかよく分からないけど救われた」では決して無いと思う。
じゃあ自分の過去や好ましくない一面を肯定するという事の妥当性はどうかというと、
それは認知療法などでもよく行われるし、個人的にもそうして然るべきと思う。
新興宗教の怪しい点は、救済が他者、酷い場合には生存している教祖によって与えられるということだ。
一方でエヴァ婦人というのは読者の頭の中に存在しているのであって、
むしろ自己肯定することを気付かせてくれる存在なのだから何の問題もない。 あの章はデミアンのピークだよね。自己否定からの脱出を予告する。
アセンションみたいな他力本願とかぜんぜん関係ない。 1.「俺がこの作品を理解できないのは、躁鬱激しい奴にしか理解できないモノだからだ!」か、それとも
2.「俺はこの作品を理解できる躁鬱激しい奴なんだ…」
どっちなんだろう。 616にレスくれた方々ありがとうございました
自分が理解できなかっただけなのに胡散臭いとか言ってごめん
理解できる人にとっては凄く価値のある本だよなorz
あの章を現実でのスピリチュアル体験(?)だと勘違いしてました
もしかして最初から他人との出会いはなくて、登場人物はみんな内面を象徴した存在ってことですか? でもデミアンって前半は王道の娯楽小説だよな
漫画でもデミアンとジンクレールみたいな関係性を描写するシーンって良くあるじゃん
風の又三郎に通じる様な一面もある 特に日本人はこういう設定大好きだと思う
ミステリアスなクラスメートに繊細でナヨナヨした主人公がおっかなびっくり惹かれていく学園ストーリー 基本的に人間ってイジメられっ子に感情移入し易いのかな 中学生までに読み、年取ってからまた読み返すべき作家だよ。 車輪の下は中学生の頃に読んで、最近また読み返した
印象がまるで違ってびっくり 最近、新潮文庫のヘッセ作品がよく改版されてるね
この機会にファンが増えてくれるといいんだけど
ところで、復刊ドットコムのガラス玉演技を買おうと思うんだけど、訳としてはどうかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています