ヘルマン・ヘッセ part3
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
面白かったことだけ覚えている
つまらなかったことだけ覚えている
感動したことだけ覚えている
腹が立ったことだけ覚えいる
いずれも、よくある話。 >>58
本当にそうですね。
何年生きたとしても、一日分の記憶も無いのだから。 >>58
つまらなかった事だけ覚えている
ってのも、改めて読んでみると面白かったりするよな。 ヘッセの文章にユーモアが感じられないんじゃヘッセと相性はそんなに良くないと思ったほうがいい
この人の文章はどれもユーモアに満ち溢れてるよ
だから楽しく読めるんだから
あと『車輪の下』は『車輪の下に』の題名のやつを読んだほうがいい
『デーミアン』は昔の全集のやつだな。『ナルチスとゴルトムント』が『聖母の泉』というタイトルで入ってるやつ
ヘッセ独特のユーモラスな文章を指摘してあげられる
それにしてもヘッセの生涯を描く卒論がまだ1枚も進んでない
20日が締め切りというのに… >>61
>あと『車輪の下』は『車輪の下に』の題名のやつを読んだほうがいい
「下に」の秋山訳はどうも趣味にあわなかったな 『評伝ヘルマン・ヘッセ〜危機の巡礼者〜』の上巻を読み終わった
この評伝は下巻の最初に載ってる写真が衝撃的だ
老熟したヘッセの姿は『ヘッセの読書術』の表紙の凛然とした老紳士の姿で固定化されて
この姿のまま息を引き取ったかのように思っていたが
評伝下巻に掲載されている息を引き取る2年前のヘッセは、意識が朦朧としてそうな
介護センターにいるような老人の姿だ
これほどリアルなヘッセの姿は作品の上でも、ヘッセに関する解説の上でも見たことがない ふむ。ペンギンもといエコだろう。久々に見るな。もうRPGは作らんのか。 モコは 戦争に 負けても 占領されても 力強く しぶとく 生き残るのだ☆
モコは 強い!* いや、愛は 強い!*
最後に モコは勝つ! そして 愛は勝つ!☆
モコだけは 生き残る!☆ そして 愛だけは 生き残る!*
モコは「エリートパンパン」、「セレブパンパン」なのだからッ!!☆
モコは終戦直後、いち早く 国を売り アメリカに寝返って
米兵相手の「パンパン」や「ぶら下がり」をやっていたというじゃないか!☆
挙句の果てに 将校さんの「オンリーさん」になっていたというじゃないか!*
これこそが 痴漢行為にも劣る卑劣な売国行為!☆
非国民! 愚行のきわみだ!*
モコは米兵の将校さんに対して SEXを武器にして
のし上がってきたそうじゃないか!☆
石を投げて批判をしたら、そのときモコは 何て言ったと思う!*
「女の いくさは 生きることです!」
と 憮然たる顔をして のたまったのだ!☆
あきれて ものも言えない!(苦笑)*
モコのマンコから 粘度の濃い淫汁が あふれ出してきたの(*)((φ))
その淫汁の匂いを嗅いで興奮した男たちが(*)((ξ))
チ●ポを立てて 一斉にモコに襲いかかってきたの(*)((δ))
乱交パーティーは10時間も続いたの(*)((Φ))
暴走族はみんな疲れ果ててしまったの(*)((ο))
でも モコだけは 時間が経つにつれて 激しく燃えてきたの(*)((φ))
乱交パーティーが終わっても モコはオナニーをしていたのヨ(*)((ξ))
モコのオマンコをみてくれた人! モコのオマンコをナメてくれた人!☆
モコ一派の実態を、よく知る学者も「これはもう
単なる事業団体とはいえない。まるで暴力団か不法集団だ」と怒っていた*
関東にも、札付きの畜生構成員がゴロゴロいる☆
なかでも、千葉・松戸のモコ!☆ モコは、正真正銘の悪党だ!*
ところが、散々着服して、家のローンを払い終えると
モコのやつは手のひらを返したように、トニーコーポを口汚なく罵りだした*
「二枚舌」どころか、何枚、舌があるのか分からない、コウモリみたいなやつだ!☆ ヘッセみたいな感じでおススメの小説家知りませんか? さして独語はできないが、高橋さんのは妙を得た訳文だと思う ヘッセみたいな感じって。
ヘッセみたいな感じの作家ってないだろ。
作風がヘッセみたいってことなのか?
大体ヘッセにせよある小説家にせよ好きなやつだったら
ヘッセみたいな感じの小説家を所望したりしないわ。
その作家の作風や文体が好きっておかしいだろ。 郷愁 でドイツの作家・詩人をリストアップして
それに影響を受けた国内外の作家を調べる
なんてことは高校生や無学な私大文系にも出来ることだ 昨日のマジすか学園2で、デーミアンの一節を屋上で朗唱する文学不良少女、
松井ジュリナが超かっこ良かった
そのとなりで「我が道をマジで征く、あんたは英雄だね」と皮肉るまゆゆに、
「ヘッセヲタだな」と応じるジュリナ
知性派不良少女同士による屈指の萌えシーンだった そういえば、第1話で車輪の下を愛読しているジュリナに、
まゆゆが、「あたしはハンスみたいに車輪の下敷きにはならない」と宣言するシーンもあった
この調子で最終回までヘッセの小ネタを挿入し続けてほしいw マジすか学園は見たことないけど
教授の部屋でゲーテ像見たハリーを思い出した デミアン以降の作品で1冊読むならどれがいいですか? デーミアンみたいなのが好みなら荒野のおおかみがいいかも
因みに、宇多田ヒカルは荒野のおおかみとシッダールタがお好きらしいね
シッダールタも読む価値あり(お釈迦様の話ではない)
もし一冊だけと云うなら、ノーベル賞のガラス玉演戯も外せない
先日のマジすか学園2はヘッセネタこそなかったものの、
ヘッセヲタ松井珠理奈がマックス・デミアン信奉者の本領を発揮。
盟友まゆゆの仇を報ずる為、たった一人でライバル校にカチコミをかける。
昭和残侠伝シリーズの高倉健を彷彿とさせる熱い漢っぷりに痺れた。 >>83
どうもありがとう。その2冊にします。ガラス玉は売ってたら買いたい
>>85
デミアン・郷愁・春の嵐・車輪しか読んでないんで・・・ 休み中に
ゲルトルートか春の嵐どっちかを読もうと思うんだけど
どっちがいい? >>87
二冊とも読んどけ。
理解が深まると思うぜ >>84
賞は作品群に対してなんだろうけど、契機になった作品って事じゃないかね。 週末にペーター•カーメンチントか郷愁のどちらかを読もうと考えていますが、どちらがより飲んだくれ向けですか? 大学時代にデミアン読んで感動したんだが…
今じゃとても分厚くて読めないよ ヘッセ〓デミアンだと思う。
ガラスや車輪もいいけど。一つ代表作をあげるなら >>17
>『車輪の下』は例のワルの友達との友情がすばらしいな!
モデルになったこの悪友はヘッセの葬儀の時に出席してたらしいね。
その人みたいにヘッセと共に生きてきた人がいるんだよなあ 30になって、ヘッセって結局弱虫だったんだなと思うようになったが、
人にそう言われるとなぜだかすごく腹が立つ自分が・・・ 読むことは読むとは思うが、?な感じが多そうだな
どうなんだろう 車輪の下は読書感想文とかで薦められてるんじゃないのか >>106
高校あたりで?
>>107
ちょwwおま若過ぎw
ヘッセはドイツ出身だけど、こういうヘッセの作品って日本向きなんだろうね
逆に日本の作品がどういう国で広く読まれてるか気になる ヘッセに親近感おぼえる読者は、自殺予備軍が多いから気をつけたほうがいい
でも、その感受性は、高貴で鋭いものがあるので、それは誇りに思ってもよいのだと思う 所謂おおかみの自殺者でしょう
多分自覚的な人ばかりだと思う
このスレで厨二病が使われるとは思わなかった
勿論悪い意味で デミアンは一気に読めたんだが車輪の下とか字が小さいし読みにくい。
デミアンのような感動あるかね? 厨二なら感動するかも、大人なら「♪〜校長先生の言うこと聞いとけ、校長先生の言うこと聞いとけ!」
Willst du mir versprechen, dir ordentlich Mühe zu geben?
Nur nicht matt werden, sonst kommt man unters Rat.
規則正しく努力すると約束してくれるかい?
怠け者にならないことだ、さもないと車輪の下敷きになってしまうぞ
中学生ころの読書感想文で読んだときは
本の読み方も何も知らず、
ただ酔っぱらって死んだだけじゃん!と思った。
初めて読んだ文学でした。 車輪の下はハンスの年代の真っ只中で読むよりは、回想できる年代になってから
読むと味わい深い。
逆にデミアンは思春期真っ只中の間に読むと痺れる。 >>123
デミアンには酔いしれた。あれはヤバいわ。
車輪の下は回想できる年齢だけどまだ精神がそこまで大人になってないから回顧できないわ。
デミアンは高校生〜大学生あたりで読むとかなりの麻薬感があるね 確かにユーモアはこれっぽっちもないな。好きだけど。
トーマス・マンもくそ真面目だが、ひょっとして頑張ってる?ってとこはある。
ドイツ人気質かね。
今となってみると、ペーター・カーメンチントが懐かしい。
十代このかた読んでないけど、ロマンティックとはあのことかと思う。
知と愛(ナルチス ウント ゴルトムント)はお気に入りだよ!
では!
知と愛は芸術家必読だよな
俺は芸術家じゃないけどw >>131
それはヘッセの作品?
まだデミアンと車輪の下しか読んでないからなんか読もうかな〜
お薦めあるかな
ガラス玉とかどうなの >>132
ヘッセのだよ
ヘッセは発表された順番に読んでいくのが良いかも
>>133
わかった。
デミアン、車輪の下以外に読む価値があるとするとなにかね >>134
知と愛かなぁ
たしかヘッセの中で最も小説らしい作品、という評価だったと思うし、万人向けの作品
内容は文句なし
ただ僕の好みなので、あなたに合うかは分からない
steppen wolfは異質という意味で外せないと思う 「ヘルマンヘッセ全集」のガラス玉は良くないの?
角川文庫のは古い漢字が使われてて手を出しづらい 角川の遊戯は本当に読みにくい。
演戯の方も序章が難解だと感じたけど、遊戯の旧漢字を読んだら高橋訳がいかに読み易かった思い知った。 そっか、やっぱ角川買うの止めよう。ただでさえ漢字苦手だし・・ たしか高橋健二の訳って一部ではぼろくそに叩かれてた気がするが、
個人的には硬質な言葉づかいという感じがして、自分は好き 俺は好きだよ。
原文でデミアンや車輪の下読むの流石にキツいだろ
まあ俺はこの人の訳好き こいつの『車輪の下』を読んで、あやうく自殺しかけた
家族・友人が支えてくれたおかげで、ウツ入院で済んだけどな
小説が凶器となることを身をもって知ったぜ やばいのはオレか?
やばいのは、深遠に引きずり込んだ挙句に絶望に叩き落すヘッセの文才だ
高校の課題図書にするのは、狂気の沙汰だ
「デミアン」で躁状態になった。強力なパワーがあるな。
「デミアン」読んだあとはなんかドーパミンが出まくったな。
小説が凶器になる作家はたまーにいる 朝の通学通勤なんかで読んで揺さぶられちゃった日にはもうね >>146
俺は高校の時『人間失格』読んであやうく学校退学か休学するところだったぞ
作者は違うが デミアンはいいかげん、デーミアンに統一すべきだろ
6号戦車をティーゲルと表記し続けるようなもんで今どきハズすぎるわ
結局、健二訳の新潮文庫版が生き残った結果、醜態をさらし続けるハメになってしまった
生きの良い新訳キボンヌ
どうでもいいけど、マジすか学園2でジュリナが愛読してるのも新潮文庫版デミアンだw マジだよ
マジに生きなきゃ申し訳ねーだろーが
byハイデルベルヒのトニオ・クレーゲル はー、俺も小説書いてみたいけど、なんにも思いつかない・・ ちょっと書き始めたよ
完成するか分かんないけど・・
クヌルプが最後に納得して死すのは
自分自身で満足できるなりの、行動を起こしたからなんだよな
同じ死ぬにしても是非そうありたいものだよ。
クヌルプはアマゾンのレビューも素晴らしいね クヌルプは久しぶりに最後の方を流したけど
行動を起こす起こさんではなく
「何もかもあるべきとおりです」の一言に尽きるように思うが
いや、もう眠いからまた後日読みなおすことにしよう デーミアン読んだ感想
クナウアーに萌えてしまいました
従順に調教してチンポくわえさせたいなあ
本当にあの名作での第一の感想がそんなのだったら、ちょっと同情を禁じ得ない人物だな。http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cat/1305013929/459
わからんでもないがw
それと、このスレの人間はその手の下ネタは毛嫌いするみたいだから アマゾンのレビューだとデミアンは満点だ
デミアンと車輪の下はどっちが評価高いんだろうか。。。
一般的(普通の人)には車輪の下の方が知られてるみたいだけどどうなんだろう。
全部読んだわけじゃないけど、「物語として見て」
きちんとまとまってるのは車輪だよね 「詩人になりたい、でなければ何にもなりたくない」
というところに覚悟を感じる
あと「車輪の下」は正攻法的な小説という感じがした
>>168
お前にキョーヨーがねーからだよ、ヘア・アッフェ
ユング心理学やグノーシス主義を知ってればサルにも理解できる
もっともそんなサルはいねーかw 知的に高くしかも小説をよく読む人でも、デミアンはさっぱり分からなかったと言っていた人を2人知っている。
そういう小説なんだろうな。
俺とかは高校のときに読んで胸がギュィィィィィィンとなるほど(笑)引き込まれてしまったが。
面白い物語ではあるけれど、キチガイじみてるという感想も頷けるよ。 AからZまで理解できる小説なんて読みたくもないが。
それとキチガイ、とまでは行かないにしても
ある程度倒錯した内容でないとつまらんだろう?
論理的にうんちくを得たいなら哲学書がいいよ 地獄は克服出来るってヘッセの散文集らしき本ってどう?
あと「わがままこそ最高の美徳」ってのもある
共にヘッセの各作品からの引用で説かれいるが
全部の作品を読んだことない自分にとっても
凄く面白かった
ヘッセいいね!
30過ぎてヘッセにハマってる
>>178
おれは好きだよ
ヘッセが晩年にむけて、
「おれはもうくだらないものは書かないし、くだらないことはせんのだ」
っていう覚悟みたいなのが伝わってくる
自分の弱さを認めた上で、本当に価値のあることについてやわらかく思索してる感じだ 「青春を模倣する老年ほど醜いものはない」というヘッセの言葉が好きだ
歳はとっても心は永遠の青春とかほざいている無責任な日本の政官財のジジ・ババどもに聞かせてやりたい。
若作りして恥じさらすより、未熟な青年を導く老賢者を目指すべきだろう。 >>183
いま俺が読んでいるキルケゴールタンがそんなことを書いていたよ。
>若い者にも負けず劣らず子供染みた幻想を持っている男や女や老人たちが実に多いのである。しかし人は、幻想には本質的に希望の幻想と追憶の幻想という二つの形態があることを見落としている。青年は希望の幻想を持ち、老人は追憶の幻想を持っている。
さすが詩人ヘッセ。絶望に捕らわれないように、希望を本能的に嫌っていたのかもしれない。 >>168
>>170
>>171
[逸話]
>ヘッセの作品は難解であるともされており、「ミッキーマウスは誰もが解るし、ヘルマン・ヘッセは少数しか解らない。
アルベルト・アインシュタインを解るのはほんの一握りしかいないし、そしてノートン1世を理解する者は一人もいない」というジョークが存在する[1]。
分からない奴は分からなくていい。その人たちは普通の人だから。その人たちはある種幸せな人間なのかも。読む人を選ぶ本だ。 デーミアンや荒野の狼みたいな小説に共鳴してしまう精神性はあまり有り難い事ばかりじゃないかもな
自分に理解できない本をキチガイじみたとか云う前に、自らの不明を恥じろ
デーミアンで言及されている神、アブラクサスを辿れば
アカデミックな知識と表裏の関係で、欧州の知識人に脈々と受け継がれている
西洋神秘哲学の流れに気づく事ができるし
ヘッセがデーミアンを書く前にユングと頻繁に書簡を交わしている事を知れば
ヘッセがユングを通じて分析心理学の原型論やグノーシス主義等の神秘学の造詣を深め
その後の作風に変化を来した理由がわかる
頭は生きている内に使えよ、サル野郎
自分の理解の範疇を超えた作品を貶す前に、謙虚に自分の不明に気づく事
そこから、
サルからヒトへの道程がはじまる
デーミアンをキチガイじみた小説と貶して終わりでは
サルは生涯サルのままで終わると知れ >>サルからヒトへの道程がはじまる
生物学的に間違っているな こいつらには余計なお世話だぞ
こいつら全員サル以下の在日なんだからな 荒野じゃなくて
狼を題材にした短編が好きだったな
たしか最後に狼が村人達に殺されてしまう話 そりで遊んでいて大怪我するのは「春の嵐」か「デミアン」か? >>193
まじバカだな、お前
英語でもEvolved monkeysって云うだろ
ただの比喩的表現じゃないか >デーミアンや荒野の狼みたいな小説に共鳴してしまう精神性はあまり有り難い事ばかりじゃないかもな
具体的にどう「共鳴してしまう精神性」でどう「有り難くない」んですか?
詳しくお願いします ねぇジンクレール、君の言う共鳴してしまう精神性ってどういう事なの?
どんな時にそれを有り難くない事だなんて思うんだい?
君だってオナニーしまくってるブタのくせに何を偉そうにほざいてるのさ! >>193
ネット廃人につける薬はないw
クズは相手にするな、沸いてくるから >>192DU Schwul(藁
Ich schäme mich für deine Dummheit. 君らの周りには生きることに謙虚で誠実で思索的な人間っている? 自ら生贄になった雨乞い師親子の話しってどの本に載っていたっけ? 自ら生贄になった雨乞い師親子の話ってどういう意味? >>213
そんな内容の短編を読んだ記憶があるのですが、何に収蔵されていたか思い出せません。 >>214
それ知らないけど、すごいヘッセの主題に合う感じで面白そうだな。まだ自分のなかでヘッセの主題の定義付けは済んでもいないが 孤独を理解させ受け入れて自分のものにするのにヘッセは本当に力になってくれた
人に優しくする事は出来ないけど、人を優しく見つめられるようになった 彼の全生涯は、自分自身への愛なくしては隣人愛も不可能だということを示す実例、
また自己憎悪は、どぎつい利己主義とまったくおなじものであり、
結局はまったくおなじ恐ろしい孤立と絶望を産み出すものだということを示す実例となりました。
こういう状態からなかなか抜け出せない ヘッセに悩み相談の手紙書いて返事もらった人がうらやましい
日本でもまだ大事にヘッセの手紙保管してる人居るかな ヘッセ、T・マン等、青春時代にドイツ文学に親しんだ作家北杜夫の父、
歌人の斎藤茂吉がドイツ留学時代に詠んだ一首をたまたまネットで見つけた
一隊が Hakenkreiz(ハーケンクロイツ)の赤旗を
立てつつゆきぬ この川上に
いち早くナチスに抗議して亡命したヘッセ。
文学は政治に関わるべきではないと主張してナチの席巻を傍観し、
最終的に亡命を余儀なくされたT・マン。
戦前はナチ文学の紹介者、戦中は大政翼賛界文化部長、
戦後はヘッセの翻訳者兼日本ペンクラブ会長として常に勝ち組人生を歩んだ高橋健二。
高橋健二によってヘッセの世界にいざなわれた俺たち。
たまたま見つけた茂吉の歌から色んな感慨が湧いた 高橋健二のヘッセの翻訳すきだったのだが
大政翼賛会文化部長の件を知って以来
彼はヘッセの何を理解していたのだろうと疑ってしまう
翻訳が自分にとってよかったのなら
翻訳者の政治的信条なんて関係ないじゃないの
とも思うのだが・・・ 作家にとって人格と作品の出来不出来は別物。翻訳もおなじと思いたい。
日本の作家・芸術家・知識人って
戦時中協力→戦後くるっと転向
みたいな人が多い気がする
作品の強度も違ってくるだろうね 大政翼賛界文化部長だったり大日本言論報国会会長(徳富蘇峰)だったり
したところで、現代の目からみてそのこと自体を批判の対象にするのは簡単だが、
ことはそう単純ではない。平和主義者であっても、一旦戦争に突入してしまえば、
戦勝を期して言論活動をするのは許されるし、むしろしかるべきことでさえある。
もちろん私は逆に、戦中に軍部を批判して公職を追われたような学者も偉とする。
私が信頼できないと思うのは、戦後180度主張を変えて時流に乗った人々である。
(たとえば現首相の師匠筋に当たる人などがその一人。)
戦後公職追放などになっても節を曲げなかった人、文芸家でいえばたとえば
徳富蘇峰や保田与重郎のほうを私は信頼する。
吉田秀和も嘱託職員で文部省で戦争協力にあたることをしていたと言われるが、
せめて沈黙してくれていれば良い。批判するつもりはない。
難しいからこそ首尾一貫・言行一致が尊ばれるのだろう
ま、考えがころっとかわるのも人間らしいともいえますね ナチ文学の翻訳業もヘッセの翻訳業も当時のドイツ文学主流の紹介という事では一貫している
ただ、高橋センセは戦後になってヘッセにからめて平和主義を鼓吹しすぎたのがうざかった
「お前が言うな」とはいわんが、「お前のことばに誠意はあるのかい」とは言える
ただし社会から断罪されるには値しない。それは当時の文人たちの共通認識でもある
大政翼賛会の文化部長を引き受けたのも業界の事情があったからで
いわば火中の栗を拾わされたのが高橋健二
戦後、日本ペンクラブ会長になったのもそのへんの経緯があったから
ナチ文学の紹介も、もちろん思想的共鳴からではない
現在の目で彼を責めるのは容易いが、俺は絶対に責める側には立つ気はないね
P.S.昨日のマジすか学園2の松井珠理奈はヘッセを愛する不良少女の友愛と激情を熱演して喪男&腐女子の紅涙を絞らしめたw 「愛されることが幸せだと、誰もが思っている。
しかし、実際のところ、
愛することこそが幸せなんだ。」
ヘルマン・ヘッセ >>233
>>234
>>235
ばかやろー
秋元康の歌詞だよ 「愛されるよりも 愛したいマジで」
カルマジーノフ 十何年ぶりにガラス玉読んだが
昔のように入り込めない
年を取るごとに可能性が狭くなり
クネヒトとの違いがより鮮明になり
どこかのすごい人の話を聞いているようで
嫌味ったらしく感じるようになった ゲーテは日記に次のような体験を記している。ドルーゼンハイムの小路を馬に乗って
進んでいたとき馬に乗った自分自身が反対方向からやってきた。その人物は金色をちりばめた
ゲーテの着た覚えのない服を着ていた。それから八年後ふと気づくと同じ小路を馬に乗って
進んでいた。そしてその時彼が着ていたのは八年前に見た服であることに気がついた。
スレチすんまそ サッカーの本田 圭佑もおなじような話していたよ・・・ >>233事故れ狂い氏ね
>>233事故れ狂い氏ね
>>233事故れ狂い氏ね
>>233事故れ狂い氏ね
ヘルマン・ヘッセ
S河の旦那事故死
S河の旦那事故死
S河の旦那事故死
ヘルマン・ヘッセ 「愛されることが幸せだと、誰もが思っている。
しかし、実際のところ、
愛することこそが幸せなんだ。」
ヘルマン・ヘッセ 「なぜかさっきから空を見ているだけで
瞳から涙があふれて止まらない
僕たちがいるこの世界は
誰かへの愛で満ちている」
ヘルマン・ヘッセ? 「失うものに気づいたとき
いても立っても
いられなかった
今すぐ僕に出来るのは
この想いを言葉にすること」
ヘルマン・ヘッセ! 悲しみこらえて微笑むよりも
涙枯れるまで泣くほうがいい
ヘルマン・ヘッセ 「ギロチンに掛けられた人魚の首から上だけが
人間だか人魚だかわからなくなっちゃって
知床の海に身を投げた月の夜だよ。」
ヘルマン・ヘッセ 教室の窓から見る秋は いつも不思議に光ってた
北向きの窓のすリガラス ギリシャの海も見えた
思い出せばもう夢の中 午後の陽射しにまどろめば
遠いアコーディオンのすすり泣く 光と影の世界
やさしい時代を置き去りに やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない 夢の行き場がどこにもない
授業をひとりでぬけ出して 空き部屋の窓から空を見た
幾億年もの時の彼方 空翔ける船を見た
思い出せばもう夢の中 一枚の窓のそのむこうに
見しらぬあしたがふるえていた きらめきふるえていた
いくつも街を歩くうちに いつか外の世界は狭くなる
教室の窓がもう見えない 夢の行き場がどこにもない
やさしい時代を置き去りに やがて街へとび出した僕には
教室の窓がもう見えない 夢の行き場がどこにもない 夢の行き場がどこにもない
ヘルマン・ヘッセ
「僕は見た 狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たちを
裸で夜明けの黒人街を腹立たしい一服の薬を求めてノロノロと歩いていく姿を」
ヘルマン ヘッセ メルヒェンをはじめ、ヘッセには好きな短編が多いなあ。 だよなー。
俺もヘッセ読んでから
愛されることよりも、愛することが幸せだ、
って気づいたよ。 >>257体内被曝
>>257一家離散
>>257癌全身転移
愛の使徒 ヘルマン・ゲーリング
そんな殿方には、『車輪の下』の女子学生版『制服の処女』(Christa Winsloe)がおすすめ
>>220
ヘッセにはロックンロールの精神があると思う
「詩人以外の何者にもなりたくない」なんて、
自分の美意識に忠実なロックスターみたい
oasisの「I need to be myself」の精神に近いものを感じる
最近の日本の相対的なことをいうのが素晴らしいみたいな風潮からは
ヘッセみたいな人はあんまり出てこないと思う
日本にロックスターがほぼいないと感じるのと同じだね モーツアルト至上主義でジャズでさえ受け入れられないヘッセがロックとか何の冗談だよw
恥ずかしいにもほどがある。 音楽のジャンルの話じゃなくて精神の話なんですが?
「自分に正直でいる」姿勢とかそういう話
別にヘッセがロック好んで聞いてたとか、聞いてないとかいう話じゃないからw
そもそもヘッセの時代にロックはまだないだろ(笑)
話がわかんなくて恥ずかしいのはおまえ(笑)
おっさんか? ヘッセの文学の美しさと同等のロックはない。
ジャズでさえボロクソにディスってるのにそんなヘッセがロックの精神性も音楽も肯定するわけがない。
クラシックしかあの人はだめなの。
そしてヘッセの文学の美しさと同じぐらい美しいのはクラシック。
ヘッセの精神性を理解したければモーツアルト聴いたほうがいい。
ドイツの美しい自然を音楽にしたならモーツアルトになるし、ロックはないわなぁ。 まぁ、ヘッセが亡くなった後にロックが生まれたわけだから、
ヘッセがロックを肯定したか、否定したかはわからんよね、実際の話
ヘッセがジャズを否定したからって、ロックを否定したかどうかはわからんしね
というか、ただ俺がヘッセの「詩人以外の何者にもなりたくない」ていう自分に正直でかたくなな姿勢が
ロックの精神に近いと思っただけで
ヘッセ自身がロックの精神を持ってると自認してたとは思ってないし
まぁ、そんなとこだわ
ヒッピーにもてはやされてたんだろ?
ロックとの共通点は反体制的で極左アナーキストなところくらいじゃないの?
ただヘッセの「詩人以外の何者にもなりたくない」ていう自分に正直でかたくなな姿勢が
ロックの精神に近いと思っただけ →ロックとの共通点は反体制的で極左アナーキストなところくらいじゃないの?
それがどうかはわからんが、そうなら結構共通点あるよねw ジョンレノンっぽさはある
丸っこいメガネかけてるし ヘッセは全国民的にまわしてまで自分の主張をするけどロッカーがそこまでできるのか。 魂で読んでしまう作家。こういう作家たまにいるなー。 シッダールタ、荒野の狼と感動したので、デミアンを手にしてみたがこれはさっぱりだった デミアンはユングの影響が色濃いよね。
クヌルプやメルヒェンはどうだろうか?
短めの作品でヘッセらしいと思うのだけど。 シッダールタが気に入ったのなら
・雨ごい師、・ざんげ聴聞師、・インドの履歴書
の、三つの履歴書は薦められる。 少年の日の思い出は最高傑作だと思う。
あの作品は少年の頃を思い出させてくれるから。
異論は認める。 デミアンさりげなく日本人が出てくるのがおもしろい
中国人でもなく日本人なのね 少年の比の思い出は高橋訳より岡田訳の方が良いのかね?
簡単に手に入るのは岡田訳の方みたいだけど。 ヘッセが日本に触れてるようなことって上のデミアン以外にある? デーミアンを漫画化するならジョジョの荒木だな
それかカイジの福本 花はみな果実に、朝はみな夕べになろうとし、
移ろい変わり流れゆくもののほかに、永遠なものが地上にあるわけではない。
どんなに美しい夏でさえもいつかは秋の凋落を感じようとする。
葉よ、根気よくだまって辛抱おし、風がおまえを誘惑しようとしても。
おまえのたわむれの遊びのままに逆らわず、静かに成り行きにまかせるがいい、
風がおまえを吹き折るなら、吹かせて家まで運ばせるがいい。
ヘッセの文体の特徴として、植物や生物じゃないものに語りかけるときの柔らかい口調があるな
そこに読者がヘッセに可愛らしさや優しさ、愛着や抒情性、そしてユーモアを感じさせられる
「石よ!お前は私より強い!」とかどんだけ本人に諧謔の意図があるのかわからないが
ヘッセの作品はどれもユーモアが散りばめられている
そもそもユーモアのない小説なんてろくなものがないし、ユーモアのセンスがない作家は才能がない >>287
私は要するに頭が悪いのだ、みなさんのように内容を深く理解したり覚えていたりできない、
ただ単に文字を数えているようなものだ。
それでも涙を流したり笑ったりチンポを固くしたりして読んでいるのだから、
少しは理解しているのだろう。
ヘッセは『車輪の下』を読んでから次々と読みたくなった、
何故か、人生をまじめに考え悩み苦しむ、心の平安を求めて模索する、自然の中に安らぎを見出す、
これが悩み多い自分に合っていたのであろう。
読書メモより
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・すべてのものがどんなに美しく多彩で、光と呼吸がどんなに万物に流れているか、川がどんなに緑に澄んでいるか、屋根がどんなに赤く、山がどんなに青いかに、私は突然気づいた。
・最後の瞬間に目の光がもう消えてしまってから、私は生まれてはじめて母の冷たいしおれた口にキスをした。
すると、その接触の異様な冷たさがからだに伝わって、私は思わずぞっとした。
寝台のふちにこしかけていると、大粒の涙がぽろぽろとしずかにためらいがちに、ほおにあごに手に流れるのを私は感じた。
・いつも数日の孤独な徒歩旅行に出るのだった。
わずかの金一切れのパンをポケットに入れて遠くまで歩き、いく日もひとりぼっちでさるらいに明け暮れ、たびたび野宿することにも慣れた。
・若いブナの木立のふちで、私は枯れたヨモギ草の中にからだを投げ出して、あたたかな日なたで、午後おそくまで眠りこんだ。
目をさますと頭は草原のにおいでいっぱいになり、手足は快くだるかった。神様の大地に長い間寝たあとでしか感じられないだるさだった。
・死は私たちの賢いよい兄弟であってしお時を心得ているのだから安心してそれを待っていればよいのだ、ということを私は突然また悟った
---------------------------------
あぁ、やはりいいなぁ。
「ヘッセの作品はどれもユーモアが散りばめられ...」、私は気づかないでしまった、
『歳月はなんと早く過ぎ去ることだろうと考えた。やがて自分も腰のまがったしょんぼりとした白髪の老人になって、つらい死の床に横たわることだろう。』、
読みなおすには残された時間が...。
デミアンとか漫画化されてもこまるわ。
あれは文学のままでいい。 誕生日に父親からヘッセの全集を頂きました
懐かしい小説から順に読んでおりますが、歳を重ねるとまた違った感性いや、感覚で文字を感じることができますね
デミアンは僕のバイブルです デミアン山田洋二じゃだめ。
テレンス・マリックかジム・ジャームッシュみたいに映像を究極まで突き詰めた監督がいいわ。 自分は車輪の下とデミアンを大して評価していなかったんだけど人気作なんだな。
もう一度読み返してみるか。 デミアンは厨二臭くてあまり好きじゃない。
どれも大なり小なり、そんな雰囲気を含んでるし良い点でもあるけど、行き過ぎな気がする。
クヌルプとかのほうがよっぽど好き。 文学評論で厨二病はねーだろ
2chに感化されすぎ。三島由紀夫を厨二病で片付けるヤツと大差ない 別に厨二病って言葉を使っても構わないと思うけど、
使うならちゃんと意味を定義しないとね。
「厨二病」に統一された意味のない今のままじゃ、一見内容について言及しているようであっても
単に「デミアンは好きじゃないわー」っていう呟きと同じくらいの発言でしかない。 大半の文学なんて育った環境次第でその価値は大きく左右されるものだからな
イケメンでチヤホヤされて生きてきた人間に若きウェルテルの悩みは理解できないだろうし、明暗や自己の追求を必要としない人にとってデミアンは無価値だろうし
ゲーテ出してすまそ まあ自己実現や内面の葛藤を描いた文学作品はそういうものにとらわれたことのない人間にとっては大概中二病の一言で片付けることもできるよな >>301
もろ中二病まるだしの考え方ですなw
「俺の悩みは誰にもわからない」みたいなwww で、お前のいう中二病っていうのは何のことなんだ?
それは悪いものなのか? >>303
想像力貧困だね
あなたは何の文学を読んでも無意味だろうからこのスレから消えて普通に生きて下さい 飢餓に苦しむ人の懊悩を理解できないのと同じで人の苦しみなんて千差万別
煩悶に普遍性なんてあるわけがない
そんな事もわからない人間が荒らすこの文学板は底辺なのかもな
改めて厨二病という言葉の利便性を知りましたよ >>306
飢餓に苦しむことを懊悩なんて言うか?
なんか変だ 飢餓に苦しむ境遇にあることを懊悩することはできるだろ。 餓死はゆっくり死んでいくからな
その間に懊悩といえるような悩みは存在するだろう
それってもう飢餓に苦しむことを指してないよね?やっぱり変だ >>305
文学から関係ないのが「普通に生き」ることなんだってよwww
俺は、お前らとは違う。特別な人間なんだ。俺は悩み苦悩している特別な存在なんだ!
中二病wwwwwwwwwwwww >>313
理論が飛躍しすぎだろ
まぁここまで馬鹿なヤツがいるとは思わないから釣りだと思うけどね
ヘッセは詩人だし、漱石とかはないだろ。
村上龍なんて問題外。
ぜんぜん違うわ。 ガーディアン紙の「読まずに死んではいけない千冊の小説」に
選ばれているという理由から、「知と愛」を読み始めた。
このおそろしくつまらない邦題はまったく頂けないね。
いかにも、頭で書きました、って感じじゃん。
原題のままで何の不都合があったのか? ヘッセは内的描写と美しい自然の描写が優れているので、
日本で言えば三島由紀夫が描写能力と言う点ではそれに近いと思う。
ただ日本とドイツという国があまりにも違いすぎるのと、
女大好きなヘッセと仮面の告白を書いてしまう三島では女性観が違いすぎる。
川端さんは女性との距離があまりにも遠い感じ。
そうなると結果は日本でヘッセみたいな作家はいないということになるね。
宮本輝の書いた蛍川と泥の河はやや近いかもしれないが、
宮本さんはそれ以降の作品があまりにもダメすぎると思う。
あと堀辰雄の風たちぬともいいかもしれない。 >>325
おーなんか久しぶりに本読み込んでる人がキタなw 太宰治と三島由紀夫と宮沢賢治を混ぜたらどんな味がするんだ 酒煙草大麻ハシシ覚せい剤のドラッグ諸々と女に溺れてた不良のダメ人間ヘッセ
文学や詩はその言い訳
だからこそ愛せます 今まで自分はヘッセの思想の方に感ずるものがあるのだと思っていたけど
彼の性質や感受性のようなものに共通するところがあったのだと気付いた
ヘッセって大麻やってたの?
ヒッピー思想にも影響与えたのも頷ける
年代的にアシッドは使ってないよな ヘッセは覚せい剤より睡眠薬等のダウナー系薬物の方に依存してたんじゃないか
シャブ食って娼婦とキメセクしたりもしてたんかな
ヒッピーならヘッセよりもブローティガンだ。ヘッセの詩的な美しさとかはヒッピーとはかなり違うと思う。 「精神的価値を求める者は肉体労働が向いてる
精神を束縛されないから」
ヘッセの言葉みたいだけど
どの文献からの引用かわかる人いますか?
俺は行員辞めて肉体労働やってます
この言葉に救われた
なんか普段来ないこの板にきたら急にヘッセが読みたくなってきた
高校時代好きだったけどもうずっと読んでなかった
女学生ならば書生臭い初期作品を好むか知らんが、
傑作の名に値するのはやっぱり、美醜入り混じり死の影の差す
シッダールタ以降の晩年の作品だよな。
「車輪の下」ってよく「ライ麦畑でつかまえて」とか「人間失格」と
比較されるけど、お前ら的にはサリンジャーとか太宰ってどうなの?
太宰はなんかあれでしょ、ヘッセの子供のころの精神構造をいい大人が持っていると言う感じで、
なんか勘弁してくれって感じですわな。
タバコ吸って、酒飲んで、浮気して、自殺して、
小説書いて、かわいい奥さんいて何が不満だったんだろうか・・・・
>>344
どれも多感な思春期の、ある種の性質を持った少年たちの自意識を刺激して、その中の幾人かを自殺にまで至らしめた罪な小説だな
>>348
「アウトサイダー」と「青春のイニシエーション」っていう問題に対する
アプローチの仕方が『車輪』と『人間失格』は文学的というか、内罰的。
『ライ麦』は外罰的っていう印象。日本人のメンタリティ的にヘッセの方が
好かれそうなもんだけど、圧倒的に売れてんのは『ライ麦』なんだよなー。 ヘッセと太宰がお互いの作品を読んだらどう思うかね
太宰は小説家ってより芸人って感じ
ライ麦は近所にハルキ訳しか置いてないから未だに手を出せずにいる 春樹は最近の作品はダメだけど翻訳はいいと思うよ。
おれは原著厨だけど >>352
原著が少年の語彙らしい簡単な英語ばかりだからそっちで読んでみたらいい ヘッセの思想の源を知りたいんだけど、何を読めばいいのかな
ヘッセが影響を受けてるのはニーチェ、仏教思想ほかどんなのがある?
というかそもそもニーチェと仏教思想を「決定するのは自己」という点でくくりにしていいのだろうか 「知と愛」(ほんとうにひどい邦題だ)読み終わった。
ものすごく面白かったぜ!
なぜ原題通りの「ナルチスとゴルトムント」にしないのか!? 「ペーター・カーメンチント」がなぜ「郷愁」になったのか ま、題名に登場人物の名前ばかりつけるヘッセのアイデアの無さも大概だけどね。 タイトルがインパクトあって内容がないのに比べればいいだろw
チア男子とかたいがいだぜ・・・・・ 高校時代に読んだ「干草の月」をぼんやり覚えている。
少年の ああいう感覚は大人になると無くなってしまう。 もったいぶったお堅い邦題のおかげで素晴らしい物語が
敬遠され続けるとしたら腹立たしいではないか。
いや〜「ペーター・カーメンチント」と「郷愁」は
とっつきやすさとしてはどっこいどっこいだと思うなぁ 知と愛、の話ではあるまいか。
ちなみにアマゾンjpでの新潮文庫に対するレビュー数は;
車輪の下(48)
シッダールタ
デミアン(28)
知と愛(17)
郷愁
くぬるぷ
春の嵐
メルヒェン
荒野の狼(6)
ちなみにアマusではシッダールタへのレビューが300以上。以下
デミアン、荒野の狼、知と愛、ガラス玉演戯が100前後で四つ巴。
その他大勢はみんなちょぼちょぼでした。 アメリカのアマゾンはシッダールタの電子書籍がなぜか無料だからレビューが一番多い ヘッセの考え方を理解する上で、どちらにしろシッダールタは
デミアンとともに読むべき最上位に位置する作品だと思う 「荒野の狼」と「知と愛」は赤裸々でヘビーでかなり面白かったよ。
日本では初期の道徳的で繊細で清らかで青臭いお話のほうが受けるのか。 初期を読むとおそらく、「ヘッセって胸にグサグサ来るけど
こんなもんか」で終わってしまうと思う。
一方後期から入っていくと初期が青すぎてどうも…w
俺はシッダールタから読んじゃったけど、
理想としてはやっぱり刊行順に読んだらより一層の感動を得られたと思うわ 「ナルチスとゴルトムント」→「知と愛」
「ペーター・カーメンチント」→「郷愁」
「クヌルプ」→「漂泊の魂」
「車輪の下」が他の作品より有名になった理由は「ハンス・ギーベンラート」では無かったからだな。
ヘッセがちょっとは題名を工夫したかいがあったというものだ。 私はプロテスタントだ。
<自由共和党>の主催者だ。検索しなさい。
キリスト教界の発展は先生方に任せるとして、
私は、とにかく日本を安全な国にする為に、本格的な用心棒活動でもしようかな?
・・・と近況。
パウロが<罪人の頭>と表現した以上、それ以上の表現が出来ない。
他人の信じる道を侮辱し、馬鹿だなんだとあざけて勢力拡大をする「カルト」組織はまだまだある。
世界にも沢山ある。
そこで、私は<馬鹿の頭>と言おう。
馬鹿に負けたらどういう事になるか?
身をもって体験してもらおう。
私は主にある皇子なんで、
脳内ホルモンは尽きない。
天然型の麻薬かな?
能天気だよ。いつも。
この国の尚武だよ。
これは<証し>でもなんでもないが・・・確実に仕留める。
こういう方針はどうかな? 私はプロテスタントだ。
<自由共和党>の主催者だ。検索しなさい。
キリスト教界の発展は先生方に任せるとして、
私は、とにかく日本を安全な国にする為に、本格的な用心棒活動でもしようかな?
・・・と近況。
パウロが<罪人の頭>と表現した以上、それ以上の表現が出来ない。
他人の信じる道を侮辱し、馬鹿だなんだとあざけて勢力拡大をする「カルト」組織はまだまだある。
世界にも沢山ある。
そこで、私は<馬鹿の頭>と言おう。
馬鹿に負けたらどういう事になるか?
身をもって体験してもらおう。
私は主にある皇子なんで、
脳内ホルモンは尽きない。
天然型の麻薬かな?
能天気だよ。いつも。
この国の尚武だよ。
これは<証し>でもなんでもないが・・・確実に仕留める。
こういう方針はどうかな? >376
日本ではまあそうかもしらんが、英米では全然人気ないよ。
タイトルのせいで蟹工船みたいなもんかと思われてるんぢゃ(笑) >>344
ライ麦はよんだことないけど人間失格とは比べられんだろ みなさん高橋訳で読んでるのかな。
彼の訳はどうなんだろう。日本語としては読みやすいけど、時に原文のニュアンスを殺している気がする。
あと誤訳も少しある。 誤訳指摘出来るほどドイツ語堪能なら訳書読む必要無いだろ
まともにドイツ文学してるなら、こんなところでしょうもないとこ来ずに、
ドイツ文学学会にでも参加するか、その当たりのサークルにでも行けばいいのにね。
それも出来ないから煽るんですよ。 >>384は私ではないよ。そもそも自分も原書をスラスラ読めるような能力はないし他人のことは言えない。
ただ、原文を読んでて時々高橋訳に疑問がわく事があり、別の人の訳ではうまく訳されていることもしばしばあるなと思って。
例えばある箇所で、ヘッセの原文では文末に「!」が連続して書かれていて、文法上も非常に切迫した文章になってるのに、
高橋訳では「!」をすべて取り去って、サラリとした文章で訳してたりとか。
訳し方の工夫一つで原文のニュアンスが再現出来るのに、やらないのは惜しいよねやっぱり。 ポルシェ老人というのがいるんだね。
掟ポルシェっていまどうしているんだろう? 岩波文庫手塚訳『シッダルタ』読んだ。
この訳は格調があって良かった。草思社の岡田訳も悪くなかったけど、
新潮と併せた3つのなかでは岩波が完璧ではないけど一番気に入った。
光文社新訳はでないのかな?
ついでに72年制作の映画がつべにあったので観てみたんだが、
あっさりしすぎてるように思われた。でも40年前のインドの田舎は美しいねえ。
今でもあんな感じなのだろうか。 そういえば、少し前に全集で読み直したら破棄された結末とかいうのがあったな >>391
ゴーヴィンダが再びシッダールタを訪ねると、もうそこにシッダールタの姿はなく
彼もまた森に去っていったことを若い渡し守に聞かされる
というような内容だったと思う。
詳しくはよくわからないけど、原稿かなんかが残ってて参考程度に訳したという感じだった。
全集は最近の臨川書店のだから、図書館にあればいいんだけど。 う〜んこれは難しい
どちらも言葉自体は平易だし会話や思索に推進力もあるから、
あとはテーマの描き方との相性だろう。
俺はもともと仏教思想に親しみがあったからシッダールタに大変な共感を覚えたが、
前もってヘッセの思想もしくは仏教思想にある程度の理解がないとしっくり来ないかもしれない。
それに対して、デミアンは物語の骨子、テーマはかなり分かりやすく書いてくれているのに対し
フロイトに影響を受けた夢分析的な描写が多く、簡潔な部分と難解な部分が両極端。
ただ一つ言えるのは、ヘッセはその二冊を読む前に
それ以前の作品を何冊か読んできた方がいいってこと。
デミアンとシッダールタはヘッセが生涯かけて悩んできたことへの解答が書かれているから、
いきなりそんなものを味わってしまうのは実に勿体無い。 どうせ読む人は何度も読むんだから何から読んでもいいと思うけどね >>394
ありがとう
車輪の下は読んだけど、ヘッセを知るためにおすすめありますか? 新潮文庫で今も出てるか分からないけど高橋健二訳の詩集が好きだな もう新潮文庫の高橋健二訳ガラス玉って再版されないのかな
なんかの本の解説で「新潮社はあっさりと名作を絶版にしてしまうように思う」みたいな発言があったが、全くその通り。 新潮社文庫のガラス玉演戯はコレクターズアイテムになってるね。
一時期欲しかったけど、値段の割に小汚いのばかりだったので熱が冷めた。
たまに、そんなレア本があるのも面白いと思うよ。
どうしても読みたいなら、デジタルデータで販売されてるし、全集でも読めるし。
というか、もっと電子書籍が増えてくれたら嬉しい。 ヘッセのヒッピー思想への影響は、アメリカでのヘッセ作品の輸入の仕方を見てみるとぼんやりと見えてく
る。ヘッセはポピュラーな作家である分、各国での受け入れられ方の差が割とでかい。よくもわるくも、研
究者という狭い範囲で読まれてきたわけではないので、誤読が多い。ヒッピー思想が何かなどという問いは
無謀であるが、それでもヒッピー思想を特徴付けてみると、西洋文明への絶望からの東洋的神秘主義への傾
倒、といえると私は思う。そのようなヒッピー思想に重なるのは、シッダールダでありデミアンである。つ
まり後期ヘッセの諸作品。アメリカではこれらの作品を中心にヘッセを輸入した。一方で日本におけるヘッ
セは、思春期の多感さ・青春を描く作家としてのイメージが強い。すると、車輪の下を中心とした前期作品
の輸入が積極的に行われたわけだ。しかし、実際のヘッセはあれもヘッセ、これもヘッセ。
仏教的に見えるヘッセ、ユング的に見えるヘッセ、グノーシス的に見えるヘッセ、わがままなヘッセ、世界市民的なヘッセ。
ヘッセは時代の変化により様々な仮面を、ある時は積極的にある時は嫌々に、身に付ける作家であった。
自我の多元化を作品内外で試みている。そのような多元化を行う理由は、彼の生への執着から
であり、永遠への憧れを動機にしているところがあるように私は感じる。
そしてそれはノヴァーリス的なロマン主義でありながらも、当時対立していたゲーテ的な市民としての思想
を凝視した末の、行為であると私は思う。 ヘッセ思想がユング思想の影響を受けたというのは、正確に言えば誤りである。デミアンでユング思想への
積極的アプローチがあるが、それはヘッセが自分の思想とユング思想が近い部分があることに気付き、接近
を試みたということだと思う。つまり、影響を受けているというよりも、似ているという感じ。ヘッセのユ
ング的な部分は、ヘッセがユングを詳しく知らないであろうペーターカーメンチントの序ですでに見受けられる。 仏教的なヘッセ、というのも周知のとおり誤りである。
ヘッセは自分の考えに、ラディカルに(悪く言えばいいように)仏教的なものを取り入れた。
ヘッセの根幹は西洋的。変化を受け入れながらも、永遠への信仰がある。 仮面でないヘッセ、ヘッセの根幹をどのように探れるだろうか。それはやはり、当然といえば当然だが、独
文学としてヘッセを読むことだろう。心理学や仏教などを、ヘッセの根幹に置く読み方は、私は違和感を感
じる。独文学の一つの伝統に、ビルドゥングスロマンがあり、ヘッセはトーマス・マンとともに、よくこれ
を体現した作家である。そこで問題となるのは、自我と社会の比重であり、内面と外面の接触・摩擦・統合
である。ヘッセの言うところの、ふたつの世界をその理解に置くと、彼の文学の揺れ動き悩む様が作品ごと
に感じられる。内面と外面の対立という土台があってこそ、デミアンは彼の転機となる作品になる。ユング
思想にアプローチをかけたことが、彼の転機であるとするという読みは、表面的。 反論はないですけど、「心理学や仏教などを、ヘッセの根幹に置く読み方」
なんてしてる人実際にいます?仮想敵をわざわざ創りだしているように思えますが。
だいたいの人は「内面と外面の対立」を念頭に置いて読むからこそ
デミアンに感銘を受けるし評価されてるんじゃないですかね。
皆がユング思想が根幹だと思って読んでたらもっと人気ないですよ、きっと。 それと、ラディカルってどちらかと言えば根幹からの変化に使われる言葉では? 仮想敵というか、このスレよんでて仏教やらユングやらに注目しすぎだなって思ったんです。もっと他に着
目すべき点があると感じたのです。あと、ヘッセはアイドル的に扱われることがあって、いわゆる俗っぽい
理解があるじゃあないですか。ヒッピーによるヘッセ理解はヘッセの一面に過ぎないと言えると思うんです
。そういうのを敵対視してるところはあるけど、別に誰の論ってわけじゃないから、自分の言いたいことの
ために、無理矢理敵をつくった感はあります。でも、それでもやはり、ヘッセのイメージに対する誤解は、
他の作家に比べ多いと思うんだ。 自分には少なくとも、デミアンについてはユングの影響が無いとは考えられません。
・ユングの心理学クラブ訪問
・ユング派の人による治療
・共時性としか捉えにくいデミアンでの描写
仏教的なものは、当時のヨーロッパに於ける仏教解釈の一端なのかと興味深く感じますが、
ヘッセが全くもって仏教に傾倒していたとは感じられませんね。 ヘッセの思想と仏教思想は「こう生きていくべき」って話で
ユング思想はそういうものではない気がする。
ヘッセの思想がユング思想に影響を受けているかに関わらず、
「思想」で同列に語るのは何かおかしい。 暗に反戦を語っているのは分かるとして、デミアンに、こう生きるべきという描写があったでしょうか?
共時性を使った描写という事にも同意できませんか? ユングの思想とは精神学的な事象の説明論であって、ここで言われている様な宗教的バックボーンに相当する
思想とは違うもの。
表現手法として影響を受けたか? Yes
思想的交わりがあったか? No
ではないだろうか? ヒッピーには根幹に西洋的な既成の価値観の否定というのがあるけど
ヘッセは決して否定というわけではなくて、ましてやその為の東洋思想でもないと思うんだよね
シッダールタで終わらせてもよかったのに、あの後最終的にガラス玉まで書かなければならなかった
ガラス玉なんてまさに西洋だし、でもそれも回帰というのとは少し違うような気がする 文明や科学の発展については否定的発言あるよ
ところでヒッピー思想に影響与えたビート作家群がヘッセについて言及してる文献ってある? あんま小説読まないけど岩波のシッダールタ読みました。
シッダールタは川を渡って雅から俗へ。
そして俗を離れ、中間である川に留まる。途中子どものせいで中間からブレるが結局川に留まったんですな。
俺あんまり読解力ないし読んだのだいぶ前だけど、思うところがある。
川ってバランス感覚的な中道ではなくて
常に移ろいゆくもの、全てを包括したものの象徴として扱われてたような気がする。
というかヘッセには、中道という感覚はないと思う。
無常を知ることで結果的にそこに至るとしても。 川の話しって、メルヒェンの中で川下りする話しと通じるものがないかな? >>419
すまん
俺もそういう解釈だけど、あまりに綺麗な構図になってたもんで、「中間」って言葉を使ってしまった。 いやいや
俺の書き方が完全にそうなってたので申し訳ない
ところでデミアンを読みたいのですが、やはり聖書を読んでいないと楽しめませんか?
キリスト教の話が出てきたらその都度調べるとしても、やはり明らかにそれと分かるものばかりじゃないですよね?聖書っぽい言い回しとか
一応カインとアベルみたいな有名なエピソードはある程度わかりますが… なんでヘッセの著作の中でもガラス玉遊戯だけこんなに手に入りにくいの?
ヘッセ全部の文庫が消え失せるなら分かるけど、
新潮文庫であれだけヘッセの作品がある中ガラス玉遊戯のみ絶版になる理由が分らん。 郷愁やクヌルプに比べて?
しかもそれのみ消えるレベルの大差で? 手に入りにくいから、読まれないし
読まれないから、余計に難解に感じられるということもないかな
まあ実際に他の作品と比べて難解ではあるけど >>423
聖書読んでなくても十分楽しめる。原罪、カインとアベルあたりの一般的知識があるならok。
一つ読むなら創世記。引用文などは特にないけどね。 ヘッセの思想が「こう生きていくべき」を示している?
そんな普遍的な解答がないことを彼は自覚しているよ。
だから普遍・永遠に憧れる彼は苦しんだわけだが。
ヘッセは読者と共に悩む者であり、教えるとか、教祖的な作家ではないはず。 ↑匿名自演 低学歴ストーカーはなれ目川上弘美「フチなんてよめない。
ぬのおきだ。おかしいな「ぬのおき」というっても
そのまま苗字に漢字変換されない」
◆精神世界ニュース掲示板
(http://kamiwaza.bb
s.fc2.com/ ) ★布置将臣の顔
VVVVVVVVVVVVVVVVVV
(越えられない人種的なカベ)
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
VVVVVVVVVVVVVVV
離れ目イエローレプタリアン川上弘美=片目の横幅よりも、
右目と左目の間の間隔のほうが広い=目小さい離れ目能面オカメ
=しかもHNドロごっつい川上弘美猿いかにも臭そう (荒らし、HNドロで有名になった日本猿)。離れ目能面
http://homepage3.nifty.com/ktkt/gallery/portrait/writer/21kawakami.html
ごっつい女プロレスラー能面川上弘美猿いかにもくさそう
↓この左の目をひんむいてる写真とか離れ目 能面 キモオタ
http://www.mammo.tv/interview/archives/no045.html
川上未映子 離れ目能面
http://farm4.static.flickr.com/3237/2848216600_6f466db725.jpg
ピースが匿名でイケているといってあおっている木村
能面離れ目である
http://beebee2see.appspot.com/i/azuYnYXvBQw.jpg
平野離れ目能面 キモオタがお
http://bcnranking.jp/sys_imgs/news/20101129sharp_1.jpg
阿部(和重、龍太郎)、も、津原も能面はなれ目で、
全員「リアルとは全員で将臣クンの一族だと
いいはることだ」といっている。川上弘美組でコミュ障低学歴
何度指摘されても漢字(専門用語、フチ)がよめないヌーヌー詐称してる荒らし。
モコはかなり不器用でバカが付くほど正直な人間と言われてます*
だから、モコは損してばっかりです☆
誰にも負けたくない モコのシュンソクは止まらない!☆
モコがシュンソクをはいて走り出したら
モコと笑顔 つかまえるのさ きっと!*
北尾は今、アドバイザーとして 相撲の世界に戻っているらしい*
プロレスと違って相撲界っていうのは いかに甘いかってことだ☆
あそこはホントにぬるま湯なんだヨ。
モコは すっぴんでもキレイな清純派アイドルに 敵意をむき出し!*
*イヤらしい目でチンポを品定めする恥垢痴女☆モコ*
LOVE is OVER…
愛が終わるのは トテモ悲しいことだけど
それも 前に進むためには 必要なことなのかもしれないネ*
悲しいけれど 終りにしよう きりがないから
ワケなどないよ ただひとつだけ モコのため ☆
MOCO is OVER… 若いあやまちと
笑って言える 時が来るから 泣くな男だろう
モコの事は早く忘れて モコはあんたを忘れはしない
誰に抱かれても忘れはしない
きっとモコの最後の恋だと思うから〜♪*
ウンコの被害者に対しても、モコは完全に知らん顔″☆
裁判においても、モコには、その罪を償おうなんていう誠意は全くない☆
裁判でも終始、「モコの知ったことじゃない*」
と言わんばかりの態度だったという☆ いかにもモコらしい話だ*
やはり、卑しい人間というのは、どんなに よくしてやってもダメだ☆
昨日の花火大会は ウンコのパレード!☆
モコを願う時 募るモコへの想い あふれて 眠れない夜*
誰にも負けたくない モコがシュンソクをはいて走り出したら
ウンコがあふれ出す!* ウンコが止まらない!☆
モコの恋は止まらない まだモコが知らない
この胸の高鳴り モコと明日 手に入れるのさ きっと!* ホイットマン。
詩人だけどヘッセ的なものを持ってると思うよ。 群像今月号掲載の川上未映子「お花畑自身」は川上弘美「真鶴」のパクリ。
「イン歯ー」「ポカリ」いよいよ妄想ネタも尽きてきたか・・・・ ウィルソンの『アウトサイダー』ってヘッセ読んだのかな?
出版年からして可能性あるんだけど、もし読んだのなら反応気になる コリン・ウィルソンはヘッセとドスト好きのアンチシェイクスピア。 群像今月号掲載の川上未映子「お花畑自身」は川上弘美「真鶴」のパクリ。
「イン歯ー」「ポカリ」いよいよ妄想ネタも尽きてきたか・・・・ もう三十年くらい前かな。
ヘッセの全集が出版された。
当時中学生だったから、欲しくても買えなかった。
文庫本を買ってよんだ。
>>448
自分も文庫で集めてます。
何度読んでもいいですよね、ヘッセ。 同時代のドストはともかく、
コリン・ウィルソンがどうやってヘッセ読むんだーw
コリン・ウィルソンは1931年生まれだ.
勝手に殺すな。 新潮の本は大体読みつくしてしまったんだけど、
草思社から出てる諸々の本はどうかな?
啓蒙本っぽいイメージがあるんだけどどうなんだろう 長編ではガラス玉演技だけが未読で残ってる。新潮文庫で読めるのは全部読んだからだが… >>455
「ガラス玉演技」は新潮文庫で出てるでしょ。
品切れ中かもしれないけど。 あれ、品切れ中というの?
絶版と言っていいんじゃないかな。 いやいや普通に絶版でしょ
もはや新潮でガラス玉読みたいなら古本屋行くしかないよ 古本は1万とか2万とか凄い値段ついてたよ。
最近見ないけど 新潮文庫のはまだ一度も見たことないな
角川のは何年か前に古本屋でみたけど 電子書籍だと新潮と同じ高橋訳が上下巻でそれぞれ700円くらいで買える 電子版とブッキング復刻版と角川文庫持ってる。
電子版がいつでも持ち歩けて良い。 古本で良いならスーパー源氏で検索すれば新潮全集の端本で1,000円前後で手に入るよ。
>>464
さよか?
「ナルシスと〜」なんかは二項対立から考え始めてるんじゃないの。
まあオチは二つがくっついて一つになる〜みたいになっちゃったけどw
…確かに一元論だなwwww いやいや
デミアンの「公認された神の世界」と「黙殺された悪魔の世界」は二元論じゃないか?
荒野の狼だって、(一元論とかいう話からはそれるかもしれんけど)人格は多元的なカオスが構築すると書いているし おれはデミアン読んで印象としてはスピノザっぽいと思ったね
対立を作るってところは2元論っぽいけど結論は一元論 デミアン細部忘れた。
ちょっと読みなおしてくるわ。 もちろんヘッセは好きな作家なんだけど、ヘッセはものすごく主語が長く(多く)ない?
述語に入ってから最初の主語を忘れてるってこともある 高橋訳で郷愁読んでるのだが、ボピーが出てくるシーンが唐突すぎないか?
「人間は弁証法的に発展する」という現在は忘れられた命題の変奏 >>473
いいな〜。Amazonにもないし、読みたい。 シッダルタって仏教の知識ほぼ無しでも理解できるものでしょうか? 中途半端に日本的仏教観が有るより素直に読めるのではないでしょうか。
ヘッセとかキルケゴールとか精神病患者を褒めてる。
推奨してるようにすら思われる。芸術家は自分が精神病なのを伏せて活動する人と
そうでない人がいるけど、ヘッセは伏せてないか。
荒野の狼は面白い。どこ読んでも面白い。
文明に対して人間が戦争を起こす幻覚の描写とか、そこで、小学生時代の男らしい同級生が出て来る。
あそこは、俺は、ギャグなんじゃないかと思う。まあ、思索が価値がないとこがない感じがする。
読んで、全部の考えが解った訳じゃないが。 時間は存在しない。とか言うのが解らないのは素朴な知性だとか、
そんなに頭の良くない知性だとか、ショーペンハウアーが、書いてる。
ヘッセも書いてたと思う。ついでに書くとクリシュナムルティとかヘンリーミラーも。
でも、時間は存在しない。とか言われても俺は解らない。
どういう事なのか。まあ、本で読んで知識で解ったとしても、
自分が、掴めて解った訳でもない。 人格が統合したものだとかいうのは、どんな人間でも信じたがる誤りだとか
そんな意味の事を書いてた。一元とか二元とか言う言葉の意味は俺はそんなに解らないが、
人格という物はそういう統一したものでなく、一つの束だとか書いてる。
そう感じだした人間を民衆は病院に入れる。真理の声を聞かされる事が無いように。
一元のものを二元にした時点でその人間はほとんど天才だ。
とかそんな内容の事ヘッセは書いてたと思う。
こんなの日本の精神科医が読んだら何て言うだろうw
統合失調症の兄が自分が統合失調症だと医者に指摘されて自分は統合失調症じゃないと怒ってたのを思い出す。
「ヘッセとかあんな人が統合失調症だった訳が無い」とか兄は言ってた。 統合失調症の人間ってのは、幻覚が見えたり、他の人が見えない裸の主婦とか立ってる訳だけど、
何でそういう症状を『分裂症』とか呼んでたのか? 多重人格の人間を分裂症とか呼ぶんなら、名称として納得出来なくもないよな。 精神って1つ2つと正確に数えられるもんじゃないし、細胞みたいに物理的に分裂する訳もないからね
精神分裂って言葉はいまいちピンとこない もの凄い極論を言うと、
幼児期に事故で高いところから落ちて以来、高所恐怖症の男がいる、と。
でも、霞が好きだから、春になるとわざわざマンションの屋上なんかに足繁く通う。
他人から見たら「なんであいつ高い所嫌いだって言ってるのに、あんなところに行くんだろう?」と思うよね。
つまり、「高いところを忌避する人格」と「高いところに向かう人格」で分裂。
それが「人格カオス説」みたいなものの本質だと思ってるけど。それが「精神分裂」とか「パラノイア」と同一視できるのかは知らんけど。
書きながら、「高い所は嫌いだけどそれに勝って霞が好きだっただけじゃん」って思ったけどここまで書いたから書き込んじゃえ エソロジーでは葛藤状態を脱するために何らかの転位行動が惹起される。
それは精神分裂とは異なる。 幻覚とか幻聴は人間の頭が作り出したもので、
自分の頭の中の声が外側から聞こえるようにまでなったもんで
それがもう一つの人格なのか。でも、裸の主婦がいたからって
それが自分自身の中の人格の中の一つなのかな。
何でああいうのを分裂症とか言うのか。 やっぱそれはアニマ(逆だったらアニムス)じゃないかなあ・・・
まるで夢占いの世界だ シッダ―ルタ読了。
内容豊富な宗教的な人格向上小説です。
「シッダ―ルタは使命を受けている。」
他人と比較しない点が印象深い。 自分は自分に成る
というテーマは見事だったな、シッダールタ シッダールタはガラス玉演技の中の懺悔聴聞師、インドの履歴書に昇華した
と、思う。 市民は放蕩者と聖者の両極端の中間だとかいう描写。
あの三つはこの世界の全ての人間が多分あてはまる。
言ってみればあの説明で世界中の全ての人間をザッと書いたんだろう。
市民か放蕩者か聖者かのどんな人間にせよ、あてはまるんだろう。
ホームレスやニートは市民かと言えば、大体が市民だろう。
無神論者は、聖者と放蕩者の、中間かと言えば、やっぱりそうなんだろう。
牧師は市民だろうし坊主も市民のようだ。
まれに、町内にも、人知れず、坊主や牧師や信仰者より聖者に近い人間が暮らしてたりする。
ヤクザや変態は市民かどうかが気になる。 市民は税金払ってたり働いてるかどうかじゃないわけだな。 >>500
荒野の狼の市民性の説明。
ヤクザも多く市民だろう。
精神病院の患者は?精神病院の患者とかはどのくらいが市民で
どのくらいが市民じゃないだろ 市民はいろんな両極端の中間であろうと常にする試み。
犯罪者も多くヘッセのこの説明によれば市民かもな。 あれは市民全体の一般法則というより
個人の人物描写だそうな でも、個人の事を書いてると思えない。
個人と言うより全体の事だと思う。 市民という言葉は
ヨーロッパの産業社会に登場した中間的富裕層という意味の市民ではない? トニオ・クレーゲルに直接関係ないにしても、
市民に対置されるのは、芸術家辺りではないかと想見しています。
価値観が、一般市民とかけ離れていそうだし。^^;
ヘッセ全集持ってる人いる?
ガラス玉演技の巻だけ買おうと思うんだけど・・・ >>509
俺もガラス玉欲しいが高い。
文庫にしてくれ〜 ヘッセと文通してた日本人が
広島でヘルマンヘッセ文学館やってるらしいが
行ったことある人いる?
西反田さんって方だけど
>つまり、君はそういう奴だったんだな (少年の日の思い出) 悪夢から目覚めたときの暗澹たる風景。
社会悪必要悪存在悪絶対悪
人間が現実に目覚めたとき
忌まわしいゴミ屑の山
冷血漢の無残な姿
一体野郎達は何がしたいのであろうか?
便所の水は甘いぞ
蛆虫たちは便所の水に群がり
中身のないゴミ屑を漁るだけである >ヘルマン・ヘッセ
を仏語読みすると
>エルマン・エッセー
でよかったでつか?
復刊のガラス玉演戯、いつのまにか再発売されてるぜ。
しかし、自分でも持ってるけど四六版で二段書きってのがイマイチ。
そして値段がけっこうする。 そうですか。
自分が手に入れようとしてた頃は、しばらく復刊も売り切れ状態だったので。 ヘッセの後期は思弁的になりすぎ
デミアン以降はほぼ全て失敗作
相反する性格の登場人物を用意して対話しながら自己になるっていう
自分探しのために無駄な描写盛り込んだみたいな
車輪の下の頃のような叙情性がもはや無くなった 失敗作って表現はおかしい
それは作者だけが使える言葉だ むしろ車輪の下のほうが、好きじゃない
単純に、「学校教育が個の輝きを色あせたものにする」というテーマが
現代のアメリカナイズされた日本において、陳腐で手垢まみれなものになってきてるからかもしれないけど でも後期ヘッセはどうせこういうことが言いたいんだろって直感したことを、本当に登場人物に語らせてヘーゲル弁証法的なつまらなさがある
聖母の泉なんてナルチスとゴルトムントに理性と感性を象徴させたうえで分かりきった対話をさせてて薄ら寒い
前期の小説を読んで感動したあとだからなおさら残念 ヘッセは難解と言われるけど、ある性質を持ってる人には一読しただけでスッと入って行けるのかな
分かりきった事とは思わない人には逆に興味をそそられて魅力的に映るかも知れない分かるけど厨二だって一蹴する輩も居るかも知れないしね
ヘッセはうつ傾向の人だと一発でハマると思う
特にデミアンやシッダールタは涙がチョチョ切れる
初期の作品は共感してもらえるだけだが、
ヘッセ自身が立ち直った後の作品は強い励ましの言葉が書かれてるからなぁ
>>523や>>527の言ってることもよく分かる。
ただ、俺の場合は小説の作りよりもそういった根本思想の方を重視して好き嫌いが決まる。 春の嵐なんてさ、初読はいいけど、一度後期を読んじゃうともう読む気がしない。
恋人が友人に盗られる苦悩の描写は、ウェルテルに勝るとも劣らない迫力があるが
一方でそこからの立ち直りに全く説得力がないw
この時点じゃヘッセ自身に明確な解答がないんだな、って透けて見えちゃう。
まぁ車輪の下は最終的に破滅する話だから解答なんてなくても大丈夫だと思うけど。 ヘーゲルの弁証法的構成は面白くて精神が高揚するんだよね俺の場合。
ヘッセは初期も後期も好きだし。
まあ春の嵐を再読しようとは余り思わないが、車輪の下は何度も読み返してるし、
デミアンはもっと読み返してる。クヌルプや青春はうるわしのような小品も好きだし、詩も良いし。
ナルチスとゴルトムント、荒野のおおかみは読んでいて高揚するね。
結局ヘッセは一番好きな作家だ。
聖母の泉いま読んでるがゴルトムントが修道院ぬけだしたあたりから面白くなってきた
クルチウスが全体がロマン主義とリアリズムの融合したドイツ中世の驚嘆すべき多彩な姿である。果実のようににおうばかりで瑕ひとつない。と書いてるだけある ヘッセすごくわかりやすいと思うが、何で難解とか言うのかわからないんだけど・・・・・ シッダルタ、デミアン、荒野の狼を読んだ、かつてのヨーロッパ人の感想なんじゃね?
うっすら仏教かじってて、中二病を体験し、ラリパッパ世界の存在も認識している
現代日本人には難解なところはなにもないけど。 東洋思想的なところあるからね、ヘッセ
だから日本人にしっくりくるのかも 実は俺もジンクレールの少年時代はのび太を思い浮かべてたw
フランツ・クローマーはジャイアンな 最後にほうは『銀河鉄道の夜』を思い浮かべてたな
2人の少年がいて、どちらか一方がじんわり消えていく、みたいな デミアンは好きなんだが、なんかデミアンの母親が妙な変容をみせていくところは良く分からなかった覚えが デミアンの母親が、卵とか雛がどうとか言ってくれる台詞は最高 藤原新也が著作の中でヘッセの「シッダールタ」を勘違いの極みって皮肉ってたな。 ワイン利きの、なっつったっけ、あーゆーの?
「この料理にはこのワイン」とかって。
オレ、甘い酒って嫌いで飲まないから、どーでもいいけど。
たしかその人だったよね? デミアン読了。う〜ん、確かに評価が難しい作品ですね。
構成は面白かったです。 >>544
その著書読んでみたい。
何を勘違いだと感じたのだろう。
ヨーロッパの仏教研究者って、仏教国の一般人よりはブッダの思想を理解していたようだし。 そんなこといったら日本の仏教こそ勘違いの極みかと
良いか悪いかはまた別として 好き嫌いの差でしかないな
学説に添ってれば誰もが文句なしでそちらを取るとは限らないから
ヘッセが好きなやつは仏教の正しい知識がどうとかよりヘッセがああいう作品を書いたことに共感するんだろ ブッダに会って尚、それとは違う悟りを探そうとするなんて、仏教圏の人間には思いつきにくいのではないか?
と思った。 >>546
写真家兼作家だよ。社会派系のね>藤原新也
昔、彼の本を何冊か読んだ記憶がある 「東京漂流」「渋谷」「空から恥が降る」
何となくこう・・・社会や人間の裏側を冷たく描写(写真付き)してるって感じだったかな
へえ
なんとなく名前は目にしたことがあったけど、どういう写真を撮っているんだろう
今度本屋で立ち読みしてみるかな 万国のネトウヨよ! 今すぐ 団結せよ!*
AKB48からHKT48へ移籍した指原莉乃が22日、
タモリが総合司会を務めるフジテレビ系特番『FNS27時間テレビ』内で、
単独ライブ「指原たった1人の残念ライブ」
(会場は東京・台場の合衆国スタジアム)を行った!☆
指原が1人で「会いたかった」を歌う中、
ステージに前田敦子、高橋みなみ、渡辺麻友らAKB48のメンバーが現れ、
「会いたかった、さしこ〜」と歌って感動の再会を果たし、
“団結”をアピールした!* 今こそ 団結せよ!☆
バラモン兄弟よ! お前ら!☆
あんな ハゲをバカにしたヘアースタイルをしていたら、
死んで地獄に落ちて 生まれ変わったら 全体ハゲ(真性ハゲ)になって
生まれ変わるぞ!*
モコのキンタマの大きさ=バスケットボール大!*
ズルムケした時期=赤ちゃんの時だ!☆
好みのタイプの女性は 天地真理と渚ゆう子と欧陽菲菲(オーヤンフィフィ)だ!*
エドガーベインズ上院議員様がおっしゃるとおり モコは狂気の沙汰だネ…*
モコには社会的責任を感じ取る神経が完全にマヒしてるんだよネ(*)((Φ))
これからは「ウンコウーマン」の時代だ!*
南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏☆
長年にわたって「原子力ムラ」の中心で活動していたヤツらに
これ以上 甘い汁を吸わせるワケにはいかない!*
そんな 弱い心でどうするんヤ!☆ もっと強くなりなさい!*
いっしょに がんばりましょう☆
でも つらかったら ムリしなくてもイイんですよ*
だいじょうぶですよ!☆
CIAの情報戦略の3Sはスポーツ、セックス、スクリーンの三つだ☆
CIAが背後に存在する正力氏が創設した日本テレビ放送網は、
プロレスや野球などのスポーツをテレビ放送網に乗せて、
民衆の関心をスポーツなどに振り向けることに尽力してきた*
プロレスファンとはCIAの情報戦略に
みごとに洗脳された家畜どものことだ!☆ ヘッセの後期作品は高校生くらいがあまり勘違いせずに読むのには向いてると言う感じかなw
皮肉じゃなくて、文明批判の割には落としどころがわりと素直、だから今でも愛読されるのだろ
あの時期の欧州の画家作家なんて大戦ショックでだいたい内面に沈潜して変な精神世界に嵌まってるじゃん 後期作品第一作目『デミアン』の落としどころって素直?
曖昧じゃないですか? 松任谷由美も十代の頃、ヘッセやタゴールを読んでたらしいね。 新潮文庫で車輪の下の特別カバーでちゃったな
あれあんま好きじゃないのになー >>560
はげど
ヘッセならあれより他に読ませるべき本があるだろうに
晩年ヘッセも当時は力不足だったから今では満足いかない本みたいなこと言ってるし 読んだ中では車輪の下が一番よかったかな
でももしかしたら聖母の泉がはるかに完成度高いかも
相当分量あるのに2,3週間で一気に読んだし
ヘッセはストーリーの筋が薄くて泉もやはりそうだったが心理、情景描写がすごいわ 古書店で角川のガラス玉遊戯見つけたんだけど、564を信じて買っていいのか
遊戯は訳が古くて読むの大変だよ。
新潮の演戯でも前半は結構読むの大変だと思うけど。 一度、演戯を読んだ後に遊戯も買って再読してみようとしたけど、途中で挫折した。 ヘッセ知ろうとデミアン読んだが物足りなかったかも
二項対立の中でもがいてるもの自体は好きだが、トーマス・マン、
ヴォネガット、吉本隆明、高橋源一郎(初期)、草野マサムネ(歌詞)あたりの方が
自分にとってはデミアンよりいいかなと思った
戦争のシーンで主人公が人を見くびっていたのを悟ったと語るシーンあったけど、
まさにそうで、その色が少し強すぎたように思う。いわゆるほんの少し厨二病すぎたという感じ ヘッセを知ろうとデミアンを選んだ処がちょっと間違いだったのではないでしょうか。
デミアン、ステッペンウルフ辺りは少し異質な作品です。
初期のペーターカーチメントやゲルトルート、後期のナルチスとゴルトムントやガラス玉演技辺りも読んでみては? ガラス玉はヘッセが好きじゃないと序文で投げると思う
初期〜後期である程度ハッキリした変化ってあるの?
個人的には厨二成分は抑え目で(便宜的に厨二って単語使ってるだけなのでそこのツッコミは勘弁)、
深刻だけどもしなやかに潜ろうとしてる耽美ある文体を求めてるんだけどどうでしょう
574さんのレスになかったシッダールタ、クヌルプあたりも気になってる デミアン以前と以後では全然違うと思うけど…
デミアン以前だとヘッセ自身に明確な答えがないからクライマックスに説得力がない。
答えがないから車輪の下みたいに問いを放置したり(それはそれでよい)、
春の嵐みたいに無理矢理悟りましたみたいなところに落ち着く。 >>576
『クヌルプ』はいい作品
いささかデウス・エクス・マキナ的?ではあるけれども
理屈抜きで、ただもう読んでとても心が暖められたし、終盤特に最後の一文で泣きそうになった
>深刻だけどもしなやかに潜ろうとしてる耽美ある文体
というのがよくわかってないかもだけど・・・
『クヌルプ』、『ナルチスとゴルトムント』、『ゲルトルート』、『ペーター・カーメンチント』
あたりがお勧めかな
例えばドストエフスキーのような、練りに練られた思想みたいな描写は比較的少なめ
(『デミアン』とか『荒野の狼』とか『シッダールタ』とか一部除く後期作品に多いとして)
右往左往しながらも、予感を頼りに、自分の天命を見つけ出そうとする物語だよね
『ペーター・カーメンチント』なんかは、ヘッセ一流の自然風景描写が一際輝いてるし、前期はそういう叙情性が豊かだよ
>>578
そんなにいいんだ。クヌルプは積ん読だったから読んでみるよ。 シッダールタは、仏教の理解なんてあんなもんでいいのかも知れないな。
日本でも禅坊主がよく本書いてるけど、シッダールタ的な理解を否定してかかるでしょ。
狗子仏性ありの公案みたいにさ。 ゴルトムントって見方によってはなかなかのクソ野郎だよね まだ国民という概念もない中世での話しだからそうともいえない ガラス玉も良いんだけど、ヘッセで珠玉はやはり車輪だな。
あれは情念描写では群を抜いてる。大宰すらかすむ。 『始めに神話があった』って、ヘッセ作品を象徴する言葉だよな
田舎の中学生だった頃、本屋で「青春は美わし」(角川文庫刊)を見つけ、貪るように読んだ記憶がある。
ここであまり短編が出てこないけど、「ラテン語学校生」が大のお気に入りだった。
まるで夏の夜の花火のように美しく、心理描写も緻密で、繊細な文章は衝撃的だった。
ヘッセの著作は片っ端から読破して、大学1年の夏にヘッセの生家のあるドイツのカルブという町にも行った。
「黒い森」の中にある本当に美しい町だった。ヘッセはドイツと日本では圧倒的な人気を誇るが、
その他の国では知名度が低いと、ヘッセ博物館の人が言っていたことを思い出す。
「デミアン」を読み、ユング心理学に傾倒して精神科医の道に進んだが、やはりヘッセは自分の原点だと思う。
たまたまこのスレを見つけて、忘れかけていたヘッセへの情熱を思い出した。
まだまだ読まれているんですね。なんかもの凄く嬉しいです。
実はドゥルーズのマゾッホ論でかすかに『デミアン』に言及されているのはあまり聞かない話 ヘッセの作品の中で「精神的危機」と表現されているが、
その危機について、具体的に乗り越えたのはサマセット・モームの
「月と6ペンス」の主人公ではないか? 最近読んだ哲学って題名の詩がよかった、かなしい詩だけど 今始めてヘッセ読んだ。中断された授業時間ってやつ。こんなに共感して胸が締め付けられる作家は初めてかもしれない。 マジか。じゃあヘッセの中では結構珍しい作品なのかな?車輪の下とかもこういう感じなのかと期待してるんだけど >>512
遅レスだけど四反田さんね
話し好きのいい人だよ随分と前のことだけれど
デミアンから引き込まれたがおいらはいまとなってはメルヒェンが一番好きだな
メルヒェンに限らず短編はいつまでも色あせない ヘッセなら是非はともかく『ゆとり教育』を容認するだろうな。 ヘッセが今の時代に生きてたらやっぱり地獄だろうな
ツイッターとかインターネットを忌み嫌っただろうか 意外に自分のブログ立ち上げて、それなりに交流を楽しんでたりしてねw あるある
ヘッセは俺らと同じ根暗だしネット常用するんじゃ 「俺は〇〇を誰よりも理解している!」って発言は嫌いだが、
好きなヘッセについてこんなこと書かれたらさすがにいい気持ちはしないな… ヘッセはネット常用しても反戦だから、ネトウヨにはならないな 最近デミアンを読みました
エヴァ夫人の章が新興宗教とかオカ板で流行りのアセンションみたいで一気に胡散臭くなったんだけど
デミアン好きな方はこの部分をどう解釈してますか? まずなぜその部分がアセンションだと思えるのか、
アセンションとは何なのか、自分にとってアセンションはどういうものなのか
ということを言ってくれないとよく分からない。
で、個人的な考えを言えば、胡散臭いと言われてムッとしているw
あの部分は苦心してきた自分の一側面を肯定することで救済されるってことが含まれているわけで、
「なんだかよく分からないけど救われた」では決して無いと思う。
じゃあ自分の過去や好ましくない一面を肯定するという事の妥当性はどうかというと、
それは認知療法などでもよく行われるし、個人的にもそうして然るべきと思う。
新興宗教の怪しい点は、救済が他者、酷い場合には生存している教祖によって与えられるということだ。
一方でエヴァ婦人というのは読者の頭の中に存在しているのであって、
むしろ自己肯定することを気付かせてくれる存在なのだから何の問題もない。 あの章はデミアンのピークだよね。自己否定からの脱出を予告する。
アセンションみたいな他力本願とかぜんぜん関係ない。 1.「俺がこの作品を理解できないのは、躁鬱激しい奴にしか理解できないモノだからだ!」か、それとも
2.「俺はこの作品を理解できる躁鬱激しい奴なんだ…」
どっちなんだろう。 616にレスくれた方々ありがとうございました
自分が理解できなかっただけなのに胡散臭いとか言ってごめん
理解できる人にとっては凄く価値のある本だよなorz
あの章を現実でのスピリチュアル体験(?)だと勘違いしてました
もしかして最初から他人との出会いはなくて、登場人物はみんな内面を象徴した存在ってことですか? でもデミアンって前半は王道の娯楽小説だよな
漫画でもデミアンとジンクレールみたいな関係性を描写するシーンって良くあるじゃん
風の又三郎に通じる様な一面もある 特に日本人はこういう設定大好きだと思う
ミステリアスなクラスメートに繊細でナヨナヨした主人公がおっかなびっくり惹かれていく学園ストーリー 基本的に人間ってイジメられっ子に感情移入し易いのかな 中学生までに読み、年取ってからまた読み返すべき作家だよ。 車輪の下は中学生の頃に読んで、最近また読み返した
印象がまるで違ってびっくり 最近、新潮文庫のヘッセ作品がよく改版されてるね
この機会にファンが増えてくれるといいんだけど
ところで、復刊ドットコムのガラス玉演技を買おうと思うんだけど、訳としてはどうかな? 「ガラス玉演戯」のカスターリエンっていう架空の地名は「知と愛」のカスターニエンの木のもじりだよね? 車輪の下は面白すぎて一気に読んだんだけど
デミアンはあんまり進まなくて結局最後まで読んでないなー
何が違うんだろう デミアンはストーリーあってないようなもんだからじゃないか
内面の世界描くことに終始してるし 新潮の車輪の下が読みにくかったんだけど
デミアンは岩波にするべき? >>637
もう読んでるかな?
高橋訳は個人的には地雷。岩波の実吉訳は読みやすいと思うよ。
ただ『デミアン』は『荒野の狼』以上に人を選ぶ。
ブクステフーデを掛けながら浸りきって読むのが吉。 >>18
異端児が自伝の残り半分
っていう感じだな トラークルの生涯wikiで読んだだけだけど、
ハイルナーまんまみたいな奴だった ラクショーですし僕は勉強ができますけれど、何か?, 2011/3/25
By BOT (@_@) 49 "もあ犬の代理人、「ユトリで行くからユトリでね」各駅停車『ゆ... - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 車輪の下で (光文社古典新訳文庫) (文庫)
ホントーにこの小説って日本の教育制度がナントカってゆー
そんな話なのー?信じられないしー
てゆうかー問題わ貧富の格差とかー地域格差とかによるー
生まれた場所や家が偶然レベル低くってえー教育のチャンスがー
15歳か18歳になるまでー与えられなかったってゆー
本人わ優秀な人たちなんじゃ?
例えば小説「告白」でえー「勉強に追われて可哀想な子供たちと
世間ではよく言われますけれどわたしはそうは思いません。
親が貧乏でないのだから、お金を出してくれて一日に6時間以上も
受験勉強できる小中学生は甘えた身分だと思ってます」ってゆーよなことをー
モリグチ先生とかがー言ってましたけれどー今の日本は親の経済力で
学歴がケテーされてしまう部分のほうがずっと大きいわけで。
21世紀の日本の子供は親が貧乏で生まれたのが田舎なら
勉強やって東大とかに入っても大学内での東大生格差が
待ってるだけってゆーことを完全熟知してるわけで。
人生戦略としては地方国立大学から地方財閥系企業かー
地方公務員上級かーその辺を考えてるわけで。
地方国立大わー公立小中校からでもー本人がフツーに
勉強してればー医学部以外だとーラクショーなわけで。
むしろ青春文学とかってえー感じでーこんな本をジュウダイのときにー
読んじゃってえーその後ー実社会でうまくいかずにー鬱になったりしてたー
オヤジ世代とかーよするに甘えてるだけなわけで。実際のヘルマン・ヘッセわ
90歳過ぎまでースゴーク長生きしたしーノーベル文学賞とかもー
取ったしーよするにー勝ち組なわけで。それもこれもこゆ本が
日本みたいな国でーバカ売れしてー印税で儲かったからだしー
大戦中わースイスに亡命してー平和論やナンかを好き放題カタリまくりーのでー
太平洋戦争でー学徒動員でー戦死したー同世代日本人とー
比較してみればーよくわかるわけで。 「シッダールタ」は、ヘッセの思想・哲学そのものなのかね こちらも過疎だー
今ガラス玉演技読んでる。
が、序盤で躓いてしまった。文字が頭の中でどうにも形にならない。
発行順序追って読むわ…
幾つか読んだが毎度痛くて安心する >>655
ガラス玉演戯とは何か理解しようとして引っかかるよね。
その辺は流して読んでもいい処かも。 >>655
読み終わると分かると思うぞ。長いけど面白い。 >>656>>657
655です。
ありがと、絶対読み切るわ。
今のところシッタールダ、荒野のおおかみ、デミアンは描いてる本質?が同じような感じがする。
個人的にはシッタールダの優しい描写が好き。
荒野のおおかみはあるあるwwってことが多すぎてグサッときまする ようつべにヘッセの自作朗読があったんだな
想像通りの声だった 知と愛読み終わった。
私はこの邦題好きな方だな。
だけどナルチスとゴルトムントを、初めから知識と愛欲の象徴の人物として意識したから、原題だったらもっと別なものを感じて読んだ気がする。
自分が人物名以外に題名つけたらなんとしただろうか。
まず、ドイツの女すごいなぁって…
アホみたいな感想しか出てこない。なんか色々思うことがあったはずだけども ヘッセの小説には或る意味で凄い女が多く出てくる。
ヘッセはノーベル賞受賞の文学者であったが
聖人君子ではなかったことは
あまり知られていない。 ハイルナーはハンスを目覚めさせておいて去ってしまうからな
罪な男だぜ ヘッセは個を確立できた強い人だったんだなあ。
自分の周りにもこんな人いたらいいのになあ…… 個を確立できた強い人って、どういう人?
思いつきが強い人? 学生時代にドロップアウトしたり、第一次大戦でうつ病になったけど、立ち直って長生きしたってことだろ ナルチスとゴルトムントを一推しの熱烈プッシュ。
荒野の狼とシッダールタも良いけれど。 >>672
あれ、もう少し長編にしても良いよね。
そう思うのも面白いからか。 ここにいる人はトーマス・マンにはどういう反応なの?
自分は先にマンにハマってその後ヘッセを読んだが、出生の違いが多少感じられるくらいで
あまり変わらないかなと思って途中で中断してしまうことあるんだけど逆もあるのかな?(ヘッセにハマってマンあまり読まないとか) シッダールタ以前のは柔弱で青臭いのが多くてかなわんな。
もちろん全部を読んではいないけど。 >>675
とっつきにくいのは共通なのかな?
魔の山を手にとったけど進まない。 ヘッセとマンはぜんっぜん違うぞ
リアルでそれ言ったら「お前ほんとに読んでんの?」と笑いながら聞き返すレベル どう違うのか言わずに、レベルなどという自分言葉で語る馬鹿 言ってもらえないと何も分からずすぐに馬鹿という馬鹿www悔しいのうwww そもそも勝手に同じだと思い込んで読むのやめてるんだから違いなんて説明しても無駄
読書を知らない人間は放っておくのが一番 >>678、>>680
そういうレスはアホほどするからいいよ
>言ってもらえないと
何をだよ
>何も分からず
アホの溜まり場見りゃわかるけど、自分言葉でしか喋れない奴の言葉なんてアホ以外誰もわからねーよ
>>681
同じとか言ってないから こいつはいきなりキレはじめて、一体何と戦ってんの? >>682
じゃあまず何があまり変わらないのか、出生の違いしかないのかを具体的に話そうね
自分言葉で話しているのは君なんだよ?
わかったかな? >>685
最初のレスで聞いてるのはそこじゃないでしょ その手の論争どうでもいいから、ヘッセとマンで共通項があったり、或いは全く違う作家だと思ったりしてるならそれを教えてよ。そういう意見にしか興味ないです。 >教えてよ
教えてよ?ただのくれくれ厨かよ 本読めよ 同じドイツ人で大天才ゲーテを最上のものとするのはおんなじ。
音楽的には、モーツァルトかワーグナーのいずれかを好みにしているかがことなる。
ベクトルとしてはこういう違いがある。
トニオ・クレーゲルを通じてはヘッセにも通じるイメージがあゎ 同じドイツ人で大天才ゲーテを最上のものとするのはおんなじ。
音楽的には、モーツァルトかワーグナーのいずれかを好みにしているかがことなる。
ベクトルとしてはこういう違いがある。
トニオ・クレーゲルを通じてはヘッセにも通じるイメージがあゎ ヘッセもマンもお互い学校が苦手だった者同士結構仲良かったんだっけ トーマス・マンは性欲がでてきたのは20歳前後だったとか。
ヘッセの場合もどちらかというと遅咲きだったような印象。 ヘッセは性に関して早熟な方だろ
ただ実体験は遅そうだけど ヘッセは不良だからな。
車輪の下のハンスは自罰的で自殺したけれど、作者のヘッセはむしろ他罰的、不良だな。
不良といっても繊細な詩人の魂を持っている。半端ないエネルギーのある人だったのだろうな。 ヘッセは好奇心旺盛なタイプの不良だよね。
15才で煙草と夜遊びをしてたんだよね。 不良なんだけど詩人になりたいとおもいつづけた辺りが偉い。 今、全体主義みたいなのが一部ではやっていて
全体のためには個人を抹殺する考えがあるようで
こういうのにはヘッセは反対しただろうね。
ナチスに反対したからには。
ナチスも注目を浴びているけれどね。 ハリアーハイブリッドのCMフルバージョンで見ました?
『荒野の狼』の世界観を見事に映像化していると思うのですが。 >今、全体主義みたいなのが一部ではやっていて
これだけじゃ何を指してるのかわからんが 強盗事件にあって自殺したい気持ちがとまらないけど
ヘッセ読めば換わるかな? 出版社は編集者レベルで朝鮮系 だから日本人は作家にすらなれない
反論、異論は認めない、というのも現在の文壇のほとんどが
朝鮮左翼系だから
自虐史観を新聞、テレビと共に
誰が植えつけてきたか考えよう
気づけよ 日本人!!
もはやすべての文学賞受賞者は 朝鮮人認定式 と成り果てましたな
戦後、出版社が朝鮮人にのっとられてどこの賞も日本人が受賞できなくなった
だから文壇は左翼と反日の巣窟
おまいら、本なんて絶対買うなよ、朝鮮人に貢ぐだけだ
おまいら黙過の代償以下 自虐史観にのっとられた受賞作みてもなにも思わないか?
朝鮮人は一度利権を確保するとレイシストだから日本人には絶対手渡さないぜ 車輪の下って面白くないよな
話も田舎の優等生が都会で落ちこぼれて自殺するだけだし
いかにもオチコボレが好きそうな話 高校んとき、オチコボレで嘘つきでまわりから馬鹿にされてる奴がいたんだよ
そいつが車輪の下を読んでてワロタ
で、しかも、そいつ半年経ってもまだその本読み終えてないんだよ。
もっとワロタ。
車輪の下ってそう言う奴向けの話だろ? 車輪の下が一番有名なのって日本くらいだよ
ドイツではガラス玉遊戯が一番売れてる ガラス玉遊戯 新潮のやつ見たけど、訳が全然ダメだな。
あの糞訳家(ふんやくか)、文章ド下手だがや
日本でガラス玉、人気無いというか知られてないのはあの糞訳家にもすこしは責任あるな >>713は、そういう常識を知ったかぶりするところを見るとハンス少年みたいなオチコボレだな 文学なんて何かしらから落ちこぼれた奴が手を出すものじゃないの >>716は勉強もスポーツも恋愛も全部オチコボレてるからもうだめだがや >>713って、みんなが知ってることを知ったかぶって得意げに話して、いっつもいじめられてるんだよ >>713 この外国では、日本と違って○○だよ、とか××なのは日本だけだよ。
とか、そういう、屁理屈言う馬鹿って、まだ居るんだな。
>>713は、ハンス少年みたいなオチコボレのいじめられっ子なんだろうな >>721
屁理屈ではないだろう。解説かなにかに書いてなかたっけ? >>722 文庫本の後ろの解説に載っていることを得意げに自慢するバカ >>725って、ハンス少年みたいなオチコボレのいじめられっ子なんだろうな そうそう、>>725は、ハンス少年みたいに「俺は田舎では一番だったぜ!」ってホラふいてるんだろうな
ハンス少年ってそのくせして、田舎に帰っても歓迎されずに自殺するんだよな >>728って、頭が固くて面白くなくていじめられっ子で落ちこぼれだな。
よかったな、おまえの好きなハンス少年みたいじゃん! >>730の言うとおり>>728は読んでないのに読んだふりちゃん ヘッセが好きなやつってハンス少年みたいなオチコボレのいじめられっ子ばっかなんだろうな ずっと前から一人でID変えて必死すぎる奴がいるな、哀れな >>733アホ発見! ここのスレだと、わざとID変えてるわけねーだろ!
>>733はハンス少年のようなオチコボレのいじめられっ子なんだろうな。
そういう奴に限って「俺は田舎では一番だった」とか地元じゃ負け知らずだぜとか
車輪の下か青春アミーゴみたいなへらずぐちばっかりきくんだよな ヘッセのスレにとんでもない馬鹿が紛れ込んでるな
NGじゃ! クヌルプを買おうと思って調べたら新潮の表紙がかわいくなってた
前は水色一色でそっけなかったから嬉しい 車輪の下を翻訳者別に三冊読んだけどそのうちの一冊が妙にホモホモしかった
あのキスシーンのところ
誰訳かは忘れた高橋健二訳ではない >>703
やっぱりあれ荒野の狼だよね
ハリー・ハラー (。・ω・。) 試験が終わったら釣りに行っても良いかな? 君のためを思って言うのだが、ギリシア語と数学を少しだけ先取りしておくのを勧めるよ 荒野のおおかみの最後のほうってドラッグで頭おかしくなってるの? ブルックリンの発着場じゃあるまいし、ヘッセは過大評価。レベルは高くない。
日本の文学作家のほうが深い作品を書くよ。 コリン・ウィルソンは過小評価されてるって書いてるよ >>748
比喩が現実に先行してる感じがするよな
壊れたラジオからモーツァルト(バッハだったか?)が流れて来て
お前らの現実の見方はまさにこんな感じなのだ、自分自身が壊れていなければ現実は美しいのだ、的な実存主義的な考え
デミアンでも何かおかしくなる >>752
アウトサイダー的な見方では過小評価っつーこと 元アイドルがマ○ヤと組んでト○を洗脳したのと同じ。
ヘルミーネとパブロがハラーを丸裸にする自己啓発セミナーのお話です() >>713
俺がそれでヘッセ嫌いだったんだよなあ。
『車輪の下』読んで、こんなもんか?と読むの止めてしまった。
カフカも『変身』読んで微妙で止めた。
だけど原文で『ガラス玉遊戯』『審判』を読んで評価が一変した。 原文であれだけの長編大作読めるとか凄い
俺は訳本でも途中でやめちまった
結局、狼やデミアンよろしく市民VSアウトサイダーの構図を描こうとしてるだけなんちゃうかって思った kindleで200円のデミアン買ったんだけど
なんか訳がアカン気がする
他で買い直した方がいいかな? 新潮の高橋健二訳の買ってきた
こっちの方がずっといい!
200円のは学生が教科書を訳したみたいな訳だ
危なかった 高橋健ニの訳を叩いているサイトもあるが、
上手い訳文を強いて作ろうとしないヘタウマの上手さがあるような気がする
ヘッセの原文がそういう傾向があるから合っているのかも
ちゃんと香気のようなものがあるんだよね ゴダール絶頂期の傑作、ウィークエンドを観るがよい。
ステッペンウルフ結末部のラリルレロな暴力的カオス&ナンセンスを
ものの見事に映像化しているから。 「ウィークエンド」は心揺さぶられた……。
といっても、一度しか観てないが。 ヘルミーネは実在の娘なのかな?
自分のことが書かれた論文を受け取ったあたりから、現実とは他の世界に入っていて、
登場人物たちはある種ハリーの心の中の存在のような気もする。
ヘルミーネを刺したことには何の意味があったのか?
もう一人の自分を殺すことで、統合されたのか?とも思うけど、
違うような気もする。
ヘッセ論、荒野のおおかみ論が書かれた本ってないかな? 荒野のおおかみって映画になってたのか
残念ながらdvdになってないようだけど
観たいなあ >>767
最後のほうはちゃちなアニメ+特撮みたいであまり印象に残らなかった。 ゴータマにのもとに行くと聞いて激怒した最長老を、シッダールタが不思議な力で操る。
デミアンにもこういう催眠術みたいなモチーフが出てきたけど、これは何だろう?
ヘッセは催眠術に興味があった? 新潮世界文学全集ポチった
沢山作品入っててお得だと思う ヘッセって、フリーメイソンの会員なの?Wikipediaに書いてあるんだけど。
どこかで自分で言ってたっけ?
たしかに『東方巡礼』とか読むとさもありなんって思うけど。 グノーシス主義など神秘主義の造詣が深かったのは確実だけど
フリーメイソンぽくはない気がする ノルウェイの森で主人公が車輪の下を読むシーンがある。
ヘッセごときみたいな扱いだったが、現代ならそういう評価も分かるが、
物語の舞台になっている1969年からそんな扱いだったのだろうか? 中村慎一郎ぐらいしか 評価してくれてなかったよねー 1960年代にヒッピー達に愛読されたり、荒野のおおかみを名前にしたロックバンドが
出たりしたのは、ヘッセにとって幸運だったのだろうか? 「ナルチスとゴルトムント」に感動したぞ。
いやはや強烈な読書体験でした。
「父と子」と「感情教育」ともども
男二人の愛と相克を基軸とした物語であるが、
三者三様に、どれも甲乙つけがたく素晴らしい。
ガラス玉演戯の英語版ペーパーバック、欲しいなあ。 最近、ニーチェ読んでるんだけど、ヘッセ結構影響うけてそうだね 生きているうちにヘッセの作品に出会えた事に感謝します
春の嵐、郷愁、デミアン、シッダルタ、感銘受けました
時空を超えて感謝を伝えずにはいられない、ありがとうヘッセ! 高橋健二訳の「少年の日の思い出」が読みたいのですがAmazonで手に入るのでしょうか? ヘッセって日本人が書きそうな作品を書くよね
苦悩は苦悩だしなんか大袈裟なカタルシスみたいなものがあるわけでもないし 高校大学時代に新潮文庫で手に入るの全部読んだ
社会人になってからもときどき手に取って拾い読みする
何か懐かしい気持ちになる
何か若いときだけ経験できるようなもやもやした、しかし純な気持ちにもなる
主要作品の中ではガラス玉演技だけは手に入らなかったので読んで無い
どこか楽しみに取ってあるという気持ちもある
「韓国人によるレイプ事件一覧」
http://takeshima.takara-bune.net/
↑
絶対に広めるなよ!
韓流ブームがあっという間に終わっちゃうからね!! ゴルトムントみたいな得体の知れないやつに女たちはよく体許したよな 「知と愛」ってヘルダーリンのヒューペリオンを思い出すような作品だな
確かにヘッセは世界の宗教への造詣が深い
グノーシス主義への言及も多い ナルチスとゴルトムントはな、
四十年戦争だかなんだかの長い戦火と疫病に見舞われて荒廃しきった、
死と不条理の世界での出来事だからな。
女の本能が生命力の強い男を烈しく求めるのだ。
モラルなど糞くらえ、である。 美少年だったんだよ
今でいうイケメン
2ちゃんでいう※ 序盤に顔立ちがよくて愛嬌があって誰からも愛されたみたいに書いてなかったっけ? 「シッダールタ」以降の「ナルチスとゴルトムント」、
「荒野の狼(ステッペンウルフ)」、「ガラス玉演戯」のうち
少なくともふたつを読んだことのない人にヘッセを語って欲しくない。
いや、ほんとうに、無意味だからやめて。 岩波文庫のデミアンでは、かの名文「卵は世界だ」はどう訳されているのでしょうか? あなたは40代ロサンゼルス府警工場作りですか?ドーハの悲劇「横浜衝撃イヤフォン」「横浜悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? 新潮文庫のヘッセ詩集を買って今読んでるんですが、
P、200の「晩夏のチョウチョウ」という題の詩の終わりの方に
「老いた夏王の祝宴の〜」とあります。
「夏王」は「かおう」と読むんでしょうか? それは・・・明日から第41期 棋王戦 五番勝負が始まるからきいてるのか? >>810
棋王戦をググると、「きおう」ってあるので
夏王は「かおう」で良いってことですか? ヘッセってモテたんだろうな・・
ヘッセにキモメンの気持ちは分からんわ! デミアン読み終わった。
丁寧に描かれている、少年から青年期にかけての
普遍的な孤独や不安、精神世界の構築に比べて
これまでのシンクレールとは別人のような終盤の
エヴァ夫人への過剰な偏愛と、混沌とした宗教観と時代性から
無理やり捻り出した性急な結論に少しがっかりしながらも
全体的には得るものが多い作品だった。
(これはトーマス・マンの魔の山の終盤で感じた不満にも似る)
時代や衆愚などに流されず、己の中から自ずと涌出る
強い信念のようなものに従い、突き進み生きること
その為に自分を信じるに足る、崇高な魂(精神)を宿す必要性
それをデミアンから改めて教えられた。 春の嵐
何度読んでも中盤のゲルトルートが初めてクーンの曲を唄うとこで泣いてしまう 殆んど読んで、新潮世界文学に映像で載るという、著作は100作内に選ばれなかったね(日本語でおK ヘッセ
車輪の下、デミアン、春の嵐と読んできたが面白かったのは
春の嵐>車輪の下>デミアン だった
次は何を読めばいいかな? 前期の書生臭い作品にあまり現代的な価値はない。
本分に目覚め大人になったヘッセの、
「シッダールタ」とそれ以降の作品を読みなさい。 シッダールタ以降読むならガラス玉演義まで読まないと拗らせたままになりそう ゴルトムントみたいにモテモテになりたいです
両側に美人姉妹を侍らせて寝たいです ヘッセほど、「自分を理解してくれている」と思える作家はいない。 ヘッセは他人が理解してくれなくても自分が良いと思えばそれでいいと思っているよ ▼原文
Daneben die vielerlei Pilze:
der rote, leuchtende Fliegenschwamm,
der fette, breite Steinpilz,
der abenteuerliche Bocksbart,
der rote, vielästige Korallenpilz;
und der sonderbar farblose, kränklich feiste Fichtenspargel.
http://ka2ka.exblog.jp/23138154/
▼秋山六郎兵衛(1900-1971)訳
その近くにはさまざまな茸が生えていた。赤く光っているハエトリタケ、太く、幅の広いアワタケ、奇怪なバラモンジン、
赤く枝がいくつにも分かれているホウキタケ、一風変って無色の、病的に肥ったマツバウド。
▼高橋健二(1902-1998)訳
そのそばにさまざまの種類のキノコがはえていた。つやのある赤いハエトリタケ、肉の厚い幅広いアワタケ、異様なバラモンジン、
赤い枝の多いハハキタケ、など。それから一風かわって色のない、病的にふとっているシャクジョウソウ。
▼秋山英夫(1911-1991)訳
そのそばにはいろいろなきのこがはえていた。赤くひかっているはえとりたけ、肉の厚いはばのひろいあわだけ、奇怪なばらもんじん、
枝がいくつにもわかれている紅色のははきたけ、それから奇妙に色のない病的にふとったしゃくじょうそうなど。
▼実吉捷郎(1895-1962)訳
そのわきには、いろんな種類のきのこ類が生えていた。赤い、かがやくばかりの紅天狗茸、厚い、はばのひろいあわたけ、怪奇なばらもんじん、
赤い、枝の多いほうきだけ。そして妙ににおいのない、病的に肥大したしゃくじょうそう。
▼辻瑆(1923-)訳
その隣には、各種各様の茸がはえていた。赤い、輝くばかりのあしたかべに、厚ぼったくて幅のひろいやまどりだけ、奇怪なすがたのばらもんじん、
赤くて枝のたくさんあるほうきたけ、それに、病的に太って妙に色のないぎんりょうそう、といったたぐいである。 ▼岩淵達治(1927-2013)訳
そのそばに、いろいろな茸が生えている。赤く光ったアカハエトリタケや厚みも幅もあるヤマドリタケ、不可思議な形をしたバラモンジン、
赤くてたくさん腕のでているホウキタケ、それに奇妙に色があせて病的にむくんだシャクジョウソウなどだ。
▼登張正実(1916-2006)訳
それとならんでさまざまなきのこ。赤く光っているあしたかべに、あぶらぎって幅ひろいやまどりだけ、へんちきりんなばらもんじん、
先がいくつにもわかれた赤いほうきだけ、それに、妙に色がなく病的に太ったぎんりょう草。
▼井上正蔵(1913-1989)訳
そのそばに、いろんな茸が生えている。赤く光っているあしたかべに、厚ぼったい大きなやまどりだけ、へんな形のばらもんじん、
赤くて先がいくつにもわかれているほうきだけ、妙に色あせて病的に太っているしゃくじょうそうなど。
▼伊藤貴雄(1973-)訳
そのそばには、いろんなキノコが生えていた。赤く光っているベニテングタケ、ずんぐりむっくりしたヤマドリタケ、風変わりなバラモンジン、
先がいくつにも分かれた赤いホウキタケ、そして妙に色がなく病的にむくんだシャクジョウソウ。
▼松永美穂(1958-)訳
その横にはたくさんの種類のキノコがあった。赤く光るベニテングダケ、肉厚で幅広なヤマドリタケ、奇怪なバラモンジン、
赤くてたくさん枝分かれしているサンゴタケ、そして奇妙に色のない、病的に太ったシャクジョウソウ。 50歳で自殺しようと思って生きてきたので
荒野のおおかみを読んだときは驚いた 晩年の散文にあるようなすばらしい一日を過ごした事があった
まるですべてに祝福を受けているような一日
あんなすばらしい一日を一体どうしたらまた過ごすことが出来るだろうかと思い続けて生きている ガラス玉演戯・遊戯を読みたいんだけど
翻訳はどれがおすすめ? 高橋訳と井出訳しか読んだことないけど井出訳は旧字体使っているので高橋訳のほうがスルッと読めた。 クヌルプ買ったけどほとんどラストシーンのためにあるような本だなこれ。ラストがいいんだけど ノーベル賞受賞はガラス玉演戯が契機らしいが
文庫本版は本当に見かけない ガラス玉演戯ってそんなにいいかな?
俺の求めてるヘッセとは全然違ったから途中で投げ出した。
ヘッセで一番好きなのは「知と愛」
次に「荒野のおおかみ」 昨日、NHKBSの「アナザーストーリー」でスティーブ・ジョブズをやっていたけど、ジョブズは「ガラス玉遊戯」を読んでるはずだと思った
大学中退して、禅の修業をし、創業したアップル社では、テクノロジーとアートの融合をめざした
座右の銘は、「Stay hungry, stay foolish!」 陸亀レスだけど
>>256
他人の要求あれこれに合わせて頑張るんじゃないかな
自分ってものがなくなって、やることなすこと誰のためにもならなくなる
>>261
ピアノソナタ15番とか好きそう
>>265
GONTITIみたいな音楽はどうだろうか
特にヨコハマ買い出し紀行OST(ニコニコに結構ある)の「月の調べ」とかね
何でも合わせられるような作家じゃないのには同意する
>>289
クヌルプのレヒシュテッテンの町なんかは、一度絵で見てみたい… クヌルプを最初に読み終わった時は悲しさも強く感じてたはずだけど
二度目となると心がホワホワになるばかりだった、もの悲しいことには違いないけどね
車輪の下も二周目は違う気分になるんだろうか ヘッセのデミアンは人間の奥深くまで入って
誰も触れなかったような秘密を解き明かしたような作品だ.
まるで暗がりの部屋の扉を開けたような,少し危険で
でも,力強いような 荒野の狼、読みたいんですが
新潮文庫の高橋健二訳と日本ヘルマンヘッセ友の会研究会の訳だったら
どちらの方がオススメですか? クヌルプ
器用貧乏の成れの果てって感じだな
憧れる死に様ではある
雪山を命の灯火が吹き消されるまで歩いてみたい だからお前は全てのものの
兄弟姉妹にならなければならない
の詩と、童話「夢から夢へ」が大好き ガラス玉演技面白いかしらん
「シッダールタ」的に東洋哲学がもりこまれた感じ?
ダイレクトに荘子とか読むのに比べて
ヘッセを通して読むことに何か意義があるだろうか? それってヘッセ唯一の長編だからね
読みごたえはあるよ
ヘッセは世界の宗教観に徹している
グノーシス主義にも触れているし
カフカともマンとも違った重厚な作品が多い 荒野のおおかみ
ナルチスとゴルトムント(知と愛)
は中編扱いなん? 荒野のおおかみ 完全に期待はずれだった。
アウトサイダーの孤独と救済がテーマのわりには物語が短絡的だし
終盤のドラッグでもヤりながら書いたとしか思えない支離滅裂な露悪趣味には辟易した 高橋健二訳『ガラス玉演戯』新潮文庫で復刊キテ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!! では荒野のおおかみ以上のアウトサイダー文学をご教示願いたい ヘッセは短編の名手かもしれない
インド哲学に始まりグノーシス主義への造詣も深い
物凄い勉強になる作家だよ
ヘッセがラテン語の学習したのは聖書の原典を読むためだろう
ヘッセは宗教観にまで手を出しているからある意味カフカやマンとも
一線を画している やっぱ宗教的な視点は外国文学では避けることはできないと思う
ヘッセはやっぱ宗教観の作家かもしれない
あらためて宗教というものを意識したよ ヘッセのおかげで
別に自分が宗教やるということではないにしても メルヒェンは抽象的、概念的な作品が多くて読むのが苦痛だった 天才と双極性障害or統合失調 [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/utu/1473881371/
ドストエフスキー(幻聴、てんかん、癇癪、多弁、)
トルストイ(抑うつ、放浪癖)
ルイスキャロル(てんかん、吃音、小児性愛)
ゴッホ(てんかん、幻聴、幻視、異常行動)
エドガー・アラン・ポー(幻視幻聴、アルコールアヘン依存、白昼夢)
ヘミングウェイ(自殺、自殺家系、躁鬱)
シューマン(幻聴や妄想など神経梅毒症状だが異説あり)
バッハ(神童と呼ばれた息子が成人後障害発症、おそらく統合失調)
アインシュタイン(息子が統合失調)
ショパン(幻視、発作行動、てんかんの疑い)
チャイコフスキー(鬱)
芥川龍之介(躁鬱、自殺、母親が精神分裂)
太宰治(躁鬱、自殺未遂と完遂)
三島由紀夫(自殺)
川端康成(自殺) ヘッセって胸が締め付けられるような作品ばかりだよね。
夏目漱石の「こころ」に似てる 退屈を忘れてるからだ。死を。先陣からの駆け遅れを。 お前らナルチスとゴルトムントならどっちになりたい? 高校の時図書館の推薦本だった車輪の下を読んだ
田舎だからか今どき珍しいくらい抑圧的な校風だったからこんな本推薦していいのかwとか思ってたな
そういえば校風に反抗的な先生はジョージ・オーウェルの1984年をオススメしたりしてて密かに応援してたわ 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 湖畔のアトリエが気になってるんだけど
ここではどんな評価なんだろ 「乾草の月」だったっけ?
珍しく養老院の話。
昔の人文書院の全集が好きだったなあ。 1990年代は、ヘッセに関する研究本が多く出された恵まれた年代だったと思う。
ヘッセにまつわる書簡集が凄く面白かったな。
「TV何でも鑑定団」に、ヘッセの晩年のエッセイに出てくる人がメガネを鑑定してもらってたっけ。
鑑定団では他にヘッセの水彩画を鑑定してもらってる人もいた。 ヘッセの「デミアン」にある理想像は、中沢新一の「森のバロック」を読めば、答えが書いてあるのを知るだろう。 集英社文庫の「車輪の下」の畑山博の感想文が何よりも面白かった。
いわゆる青年期のための読書ではなく、昔何らかの理由で放り出した作品への
再アプローチで、なかなかああいうユニークな感想文には、お目にかかれない。
歳をとると読者も視点が偏移してきて、感情移入する登場人物まで変わってくる。
ギムナジウムの生徒たちでなく、中高年の大人の世界に目移りする。
昔のヘッセ展(1976の年度)のカタログに載ってた、フォルカーミヒャエル編の「読書について」
というヘッセのエッセイの真髄を体現しているようにも感じたな。 >>846
霧ヶ峰高原の、あの山小屋クヌルプヒュッテは今も健在だろか?
懐かしな。
美しケ原の尾崎喜八の石碑も思い出した。 映画の「ステッペンウルフ」は、原作に忠実だったな。
あれの封切り当時、ヘッセは読まなくなってたが、自分よりかなり高齢の人が、戦前の版のヘッセ全集を懐かしがってたなあ・・・戦火で失ったとか言ってて。
ヘッセ需要、人気が日本ではかなり古くからあったのを、まざまざと知った思いだ。 五十歳の男
揺藍から柩に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読む訳だ
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた巻き毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
若き日に「エリーザベト」なんて詩を書いた詩人は、高齢化してこんな詩を
書いたらしい。
評伝によると、エリーザベトさんは生涯独身で、若い頃ヘッセに要らんこと
言ってそれっきりになったことを生涯悔やんでいたという・・・・・ >>829 >>830
シャクジョウソウとギンリュウソウは、よく似てるが別種ではないか?
自分は、ギンリュウソウだけなら何回か見たことがあるが、神秘的で不気味な草よ。
幽霊を思わせるようで。
隠花植物マニアなら、知っているだろな。 >>880は、プルーストのスレにいる人ね?
ヘッセは昔はまりすぎて、抜け出すのに苦労した作家かな。
ノーベル文学賞受賞作の「ガラス玉演戯」は、他のノーベル賞作品の比較基準にも
なる。 ヘッセはしょせんはニルヴァーナへの憧れ(高橋健二)
プリーストは、いい線(アーラヤ識)いっていたのではないか・・・(バルトだかラカンの言葉) >>867
自分は画家の話なら、「クリングゾールの最期の夏」が好きだな。
ヘッセがイタリアの山中を歩き回っていた時代の・・・
人生の危機を表すにしても、「荒野の狼」よりヘッセ的叙情性がふんだんにあってさ。 Im Shatten des Hauses , im der Sonne des Flussufers bei den Booten
, im Shatten des Salwaldes , im Shatten des Feigenbaumes wuch
Siddhartha auf , der schöne Sohn des Brahmanen , der junge Falke
, zussammen mit Govinda ・・・・・・・・・
どんな小説のイントロでしょうか? schöne
oウムラウトが誤変換しちゃうな・・・ Herr Joseph Giebenrath Zwischenhander und Agent zeichnete sichnete
sich durch keinerlei Verzuge oder Eigenheiten vor seinen Mitburgern
aus .
これは日本では代表作となってる。 Dieses Buch enthalt die uns gebliebenen Aufzeichnungen jenes Manners
,welchen wir mit einem Ausdruck , den er serbst mehrmals gebrachte
, den " Steppenwolf " nannten .
分かり易い単語を入れとかないとな。 Als Knulp die Augen nochmals auftat, schien die Sonne und blendete
so sehr, dass er schnell die Lieder senken musste, Er spurte den Schnee
schwer auf seinen Handen iiegen und wollte ihn abschutteln, aber der
Wille zum Schlaf war schon starker alsjeder andere Wille in ihn geworden . Sogar mein Onkel Matthaus hatte auf seine Art eine Freude daran, mich
wiederzusehen .
Wenn ein junger Mann ein paar Jahre lang in der Fremde gewesen
ist und kommt dann eines Tages wieder und ist etwas Anstandiges
geworden, dann lacheln auch ・・・・・・・・・・・・・・・
これは、「青春はうるわし」のイントロ
>>888 は、一行目に作品の主人公の名が刻まれている。 >>854
マウルブロン神学校の教育カリキュラムに、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語
などが組まれてて、入学当時にハンスが各国語の印象を思う場面があるね。 ルードヴェンガーさんって美人だから、ヘッセも年とってから若い女性に
好かれたのもまんざらでもなかったんだろな・・・ マリア・ベルヌーイさんが、どんな感じの人かは、「婚約」を読むと分かるね。
ヘッセがマザコンな事を指摘した論文もあるけど。 車輪の下の風景描写の文体がゲーテっぽいなと思ってたら、作中でファウスト伝説にゆかりがある場所として校長の執務室が紹介されてたりしてて、おそらくヘッセはゲーテが大好きだったんだろうなと推察した。
それとも単に好きだったり影響受けただけではなくて、何かしら意図があって作中にファウスト伝説をチラつかせたのかな?ハンスの死の暗示としてとかさ。
お前らの見識ではそこんとこどうなんよ?もったいぶらずに教えなさい。 そういや「ゲーテへの感謝」という晩年のエッセイは未読だった。 車輪の下はさえない少年の話なので、あまり好きじゃない。
それよか、ドイツ詩人の名前が色々出てくるヘッセの若い頃の短編って何だったか?
アルニム、ビュヒナー、シュティフター、メーリケ、アイヒェンドルフ、etc
昔、例の流行歌の影響でハイネしか知らない奴ばかりで、ウンザリしたわ。 儚い青春
Der mude Sommer senkt das Haupt
Und shaut sein fable Bild im See.
Ich wandle mude und bestaut
Im Shatten der Allee.
Durch Pappeln geht ein zager Wind,
Der Himmel hinter mir ist rot.
Und vor mir Abendangste sind
ーーーUnd Dammerungーーund Tod.
Ich wandle mude und bestaubt.
Und hinter mir bleibt zogernd stehn
Die will nicht furder mit mir gehn. >>895
ヘルマンハイルナーはカッコいいね。
六脚韻なんて、これで知った。 霧の中
Seltsam im Nebel zu wandern!
Einsam ist jeder Busch und Stein,
Kein Baum sieht den andern,
Jeder ist allein.
Voll von Freunden war mir die Welt,
Als noch mein Leben licht war;
Nun da der Nebel fällt,
Ist keiner mehr sichtbar.
Wahrlich , keiner ist weise,
Der nicht das Dunkel kennt,
Das unentrinnbar und leise
Von allen ihn trennt.
Seltsam , im Nebel zu wandern!
Leben ist Einsamsein.
Kein Mensch kennt den andern,
Jeder ist allein.
この詩をヘッセ自身が朗読したテープを、一度だけ聴いたことがある。
たしか、新潮社の高橋健二のヘッセ全集が刊行された時、
高橋氏と三浦朱門がNHK教育TVに出演して、ヘッセにまつわる
話を少しばかりしてて、その合間に流してたっけ。
ヘッセも朗読会とか、してたらしいし。 あの楓蚕蛾の話って、中一の教科書だったのか? 小学校のだと勘違いしてた。
どこか大手出版社のヘッセの巻にも収録されてる。
庄司薫の「蝶をちぎった男」って、関連あるのだろか?
東大生時代の作品だが、三島由紀夫が確か貶してた。後年の赤ずきんは誉めちぎってたが・・・ >>880
「ヘッセの作品は、万人を裨益するのだ」
というのは、フォルカーミヒャエルの言葉でした。 「神父マチアス」だったっけ?
ヘッセ作品としては、叙情性が弱いと高橋健二が解説してたが、自分の場合逆にその「無さ」に昔関心を抱いた。
柄谷行人が、漱石の「坑夫」を漱石作品の全体像の特異点のように論じる、あざとい事を昔やってたが、ヘッセについても同じような評論が出来そうに想うたわ。 車輪の下って有名な割に未だ映像化されてないのが意外。
大して盛り上がる部分も無いし地味な話だから誰も映像化したがらないのかな。
大衆ウケしそうな部分はエンマのエロさぐらいか・・ 若い頃「ナルチスとゴルトムント」を読んで、「死の観念」に取り憑かれたようになって、数年間鬱っぽくなったことがある。 ヘッセってなんとなく教育的な文学、良い子の文学ってイメージがあって学生時代は避けてたんだけど割とそうでもなくてハマった。
発表順に読んでて今『荒野のおおかみ』
『デミアン』以前の作品は正直学生時代に読みたかったけど後期の作品は割と今(30代)の気分に合う。久々に読書が楽しい!
ところで、ヘッセ好きのみなさんが好む現代の作家って誰です?オススメあったら教えてほしいです。
僕はウェルベックとかカズオイシグロ好き。 ガラス玉の序章きっついなこれ…
要は新しい表現方法と思っとけばいいのね つまらない本だったわ
全体として話の流れを見れば筋は通っているが、
本質はカスターリエンという架空の場所の架空の集団の中での架空の生活について、
中身が何もない掴みどころの全くないことを延々と読まされる。
起きたことほとんどを抽象的に書いているが、そもそも実態が無いので空虚に感じる
ただひたすらこれは高尚で気高いことなんですよ〜ということを文章化しただけ(筆力は凄い)。
東洋思想の禅や悟りを最高のものとみなしているが、悟りも開いてない修行もしてない人が
書いても何の説得力もないし実態が見えてこない。
組織に差し迫った危局を感じ、離れた時には現実との隔たりを推し量れず、
自然の強さに殺されてしまうとこう書けば筋は通っている。ある意味、車輪の下に近い
絶版で、タイトルが超絶カッコよいからインテリ気取りが有難がっただけで
タイトルが「ヨーゼフクネヒトの手記」とかだったら違った評価になってたのではないか
ヘッセを全部読んでしまった人か、正直ジジイが時間つぶしに読むような本
あとは訳されたものだから断定できないが、書き方がくどくて嫌いだ
「〇〇し、××し、△△し、※※され、●●されたものをωωすることが・・・」
こんなんがたまにじゃなくて、しょっちゅう出てくる。自分も気を付けないとと思った。 ヘッセは「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)が最高だね
「車輪の下」「春の嵐」「デミアン」「荒野のおおかみ」あたりも好きだ
今は新潮文庫で手に入るのは全部読んだところ
したがって「ガラス玉演技」はまだ読んでいない
「シッダールタ」が上滑りしているようで楽しめなかったんだよね
それのさらに上滑りバージョンって感じなのかな 新潮ヘッセ全集9『ガラス玉演戯』をBOOKOFF100円200円コーナーにて発見したった
一見すると完璧な美品だったがよく見ると背表紙が日焼けしてた
まあ読めりゃいいのさ。やっと読める。 ヘッセって独文科の人に下に見られていると聞いたが今でもそうなのかね 郷愁の序盤を読んでこれは只者ではない!と思ったら序盤が面白いだけだった
後はただの散文といったところで小説としても物語としてもあまりまとまってない
何より孤独や孤高の心というよりは、俺様だけが主役w俺様だけが凄い、他はみんな脇役で大した人間ではない
というスタンスが全編を通して流れているように感じてしまう
人を知って世界を広げようという心に欠けている
他のヘッセの本も大体こんな感じだった気がする 散文として面白い一節を発見出来りゃ良いんだけどね
文学としての完成度を評価の軸にしすぎると何だってほとんど失敗してる デミアン読み始めたけど序盤の主人公の罪悪感が理解できすぎて辛い
少年の心情描写の繊細さには美しさすら覚えてしまうよ 構成に欠点があっても細部の描写に抗しがたい魅力があるのがヘッセだな
系譜としては
・プロットとしても完成度が高い
車輪の下→ナルチスとゴルトムント
・プロットは破綻している問題作だが細部の描写と独自の世界観で読ませる
デミアン→荒野のおおかみ
こういうイメージがある デミアンは前半だけは素晴らしいな
後半は読む価値が無い
解説になぜああなったかちゃんと書かれてて理解はできるが 初期のヘッセは好きだがデミアンあたりからついていけなくなる 『車輪の下』、『デミアン』といわゆる代表作を2作読んで合わなかったので、やめた。3度目の正直で、これだけはってある? おお、ありがとう。ケチをつけるわけでは決してないのだが、高橋健二の訳はどう? 『車輪の下』の彼の訳がどうもしっくりこなかったもので。 高橋健二訳は硬いから極力避けるべき
実吉捷郎訳がこなれていてお勧め >>928
ないね
『車輪の下』『デミアン』だけだ >>929
そうか。じゃ新潮文庫で読むしかないか、残念だけど。 ヘッセというのは好き嫌いの分かれる作家? 自分はどうもあまりピンとこない。訳者のせいだけではないような。
もっとも十代の時に読んでいれば、全然違っていたとは思うが。 シッダールタは遊女のセックスに関する教えだけは良かった 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑。。!! ヘッセは10代のころ読んでいたが、いま読み返してみると、あまりにも俗離れしすぎて、今の自分には合わない、汚れちまったんだなあ。(なんてね)
トーマス・マンなんか読むと、いかにヘッセの文章が豊かで無理のないものか、翻訳でも、なんとなくわかる。
都会人で傲慢で俗物のマンと田舎者で不器用で人間嫌いのヘッセ。 車輪の下
冒頭からゲロがでるほど勉強させられてる描写をみて、すげえ残酷に感じられた 神学校の同級生が主人公にキスしてきたのに、さっさとガールフレンドつくってしまうのはあんまりだと思った
ブロークバックマウンテンのジェイク・ギレンホール並にはた迷惑だ シッダールタとか車輪とかヘッセいくつか読んでて、今日古本屋でメルヒェンを発見したので買った。
最近まで精神的に色々大変で本読める状況じゃなかったんだけど、やっと余裕ができてきた。
小説を読むのは久しぶり。
「アウグスツス」だけさっき読んだけどいいね。素晴らしかった。
愛されるだけでは虚しさが伴うんだって初めて分かったな。
まあ今まであまり読書してこなかったもので浅い事しか言えないけどとにかく嬉しい気持ちでいっぱいだ。 極めて冷静にいうが女一人だけ後で懲戒請求と民事訴訟で責任取らせることも
できるからな
金か減るけど雇われている限り入って来るだろう
あんたあんまりやり過ぎたんだよ とても尊敬しているひと回り以上も歳下の知り合いの女の子が、ヘッセを一番愛読していると話してくれた。なんだか嬉しかった。 からの、
あーーーい、とぅーーーいまてーーーーーーん!!!!!! 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑ーーー! 車輪の下
普通なら、どん底の状況がいかに這い上がって来たかを書くのに
なぜか、あんな結末にした。
長山靖生という評論家がそのことについて書いていたけど読むの忘れた。
でも、悪友と知り合わなかったら、普通に卒業したかも。
そう考えると、変な人とは付き合ったらダメだと感じた。 「ペーター・カーメンチント」=「郷愁」だけど
「青春彷徨」も同じ作品なんだな
Amazonで 関泰祐 訳の「青春彷徨」の文庫本を入手した
これから読む 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑ーー!!? >>931
ヘッセは青春向け文学だな
年を取るとつまらなくなるもんだよ 高校から大学にかけて新潮文庫で読めるのは全部読んだ
その後30年経ってしまったが、ガラス玉演技は未読のまま そんなワテが一つ挙げるなら「知と愛」
あえて高橋健二の訳名で 阿藤快
略して
あい
加藤あい
略して
かい
ヘルマン・ヘッセ
略して
ヘッセ
近松門左衛門
略して
ちん 我々から見たら多少の違和感があるが、
キリスト教文化の中心地にあって仏教理解まで深化していったというのは大したものだろう。
ユングを中核にしているんだろうが、バンデルポストと共に異文化理解が作品に結実している。 >>937
あれはいい映画だな
人生をよく知っている人じゃないとあんな映画は撮れない 小学生の頃に読んだ少年の日の思い出が好きすぎて車輪の下とシッダールタとデミアン読んだ
次何が良いかな
幸福論が気になる
短編みたいだけど少年の日の思い出みたいに心理描写とか良いかな? >>1
ステッペン ウォルフ
ハリーハラーでござんす レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。