ヘルマン・ヘッセ part3
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「乾草の月」だったっけ?
珍しく養老院の話。
昔の人文書院の全集が好きだったなあ。 1990年代は、ヘッセに関する研究本が多く出された恵まれた年代だったと思う。
ヘッセにまつわる書簡集が凄く面白かったな。
「TV何でも鑑定団」に、ヘッセの晩年のエッセイに出てくる人がメガネを鑑定してもらってたっけ。
鑑定団では他にヘッセの水彩画を鑑定してもらってる人もいた。 ヘッセの「デミアン」にある理想像は、中沢新一の「森のバロック」を読めば、答えが書いてあるのを知るだろう。 集英社文庫の「車輪の下」の畑山博の感想文が何よりも面白かった。
いわゆる青年期のための読書ではなく、昔何らかの理由で放り出した作品への
再アプローチで、なかなかああいうユニークな感想文には、お目にかかれない。
歳をとると読者も視点が偏移してきて、感情移入する登場人物まで変わってくる。
ギムナジウムの生徒たちでなく、中高年の大人の世界に目移りする。
昔のヘッセ展(1976の年度)のカタログに載ってた、フォルカーミヒャエル編の「読書について」
というヘッセのエッセイの真髄を体現しているようにも感じたな。 >>846
霧ヶ峰高原の、あの山小屋クヌルプヒュッテは今も健在だろか?
懐かしな。
美しケ原の尾崎喜八の石碑も思い出した。 映画の「ステッペンウルフ」は、原作に忠実だったな。
あれの封切り当時、ヘッセは読まなくなってたが、自分よりかなり高齢の人が、戦前の版のヘッセ全集を懐かしがってたなあ・・・戦火で失ったとか言ってて。
ヘッセ需要、人気が日本ではかなり古くからあったのを、まざまざと知った思いだ。 五十歳の男
揺藍から柩に入るまでは
五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌し 張りがなくなり
だらしなくなり 粗野になる
いまいましいが髪も抜け
歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として
抱きしめるかわりに
ゲーテの本を読む訳だ
しかし臨終の前にもう一度
ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた巻き毛の娘を
その娘を大事に手にとって
口に胸に頬に口づけし
スカートを パンティを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン
若き日に「エリーザベト」なんて詩を書いた詩人は、高齢化してこんな詩を
書いたらしい。
評伝によると、エリーザベトさんは生涯独身で、若い頃ヘッセに要らんこと
言ってそれっきりになったことを生涯悔やんでいたという・・・・・ >>829 >>830
シャクジョウソウとギンリュウソウは、よく似てるが別種ではないか?
自分は、ギンリュウソウだけなら何回か見たことがあるが、神秘的で不気味な草よ。
幽霊を思わせるようで。
隠花植物マニアなら、知っているだろな。 >>880は、プルーストのスレにいる人ね?
ヘッセは昔はまりすぎて、抜け出すのに苦労した作家かな。
ノーベル文学賞受賞作の「ガラス玉演戯」は、他のノーベル賞作品の比較基準にも
なる。 ヘッセはしょせんはニルヴァーナへの憧れ(高橋健二)
プリーストは、いい線(アーラヤ識)いっていたのではないか・・・(バルトだかラカンの言葉) >>867
自分は画家の話なら、「クリングゾールの最期の夏」が好きだな。
ヘッセがイタリアの山中を歩き回っていた時代の・・・
人生の危機を表すにしても、「荒野の狼」よりヘッセ的叙情性がふんだんにあってさ。 Im Shatten des Hauses , im der Sonne des Flussufers bei den Booten
, im Shatten des Salwaldes , im Shatten des Feigenbaumes wuch
Siddhartha auf , der schöne Sohn des Brahmanen , der junge Falke
, zussammen mit Govinda ・・・・・・・・・
どんな小説のイントロでしょうか? schöne
oウムラウトが誤変換しちゃうな・・・ Herr Joseph Giebenrath Zwischenhander und Agent zeichnete sichnete
sich durch keinerlei Verzuge oder Eigenheiten vor seinen Mitburgern
aus .
これは日本では代表作となってる。 Dieses Buch enthalt die uns gebliebenen Aufzeichnungen jenes Manners
,welchen wir mit einem Ausdruck , den er serbst mehrmals gebrachte
, den " Steppenwolf " nannten .
分かり易い単語を入れとかないとな。 Als Knulp die Augen nochmals auftat, schien die Sonne und blendete
so sehr, dass er schnell die Lieder senken musste, Er spurte den Schnee
schwer auf seinen Handen iiegen und wollte ihn abschutteln, aber der
Wille zum Schlaf war schon starker alsjeder andere Wille in ihn geworden . Sogar mein Onkel Matthaus hatte auf seine Art eine Freude daran, mich
wiederzusehen .
Wenn ein junger Mann ein paar Jahre lang in der Fremde gewesen
ist und kommt dann eines Tages wieder und ist etwas Anstandiges
geworden, dann lacheln auch ・・・・・・・・・・・・・・・
これは、「青春はうるわし」のイントロ
>>888 は、一行目に作品の主人公の名が刻まれている。 >>854
マウルブロン神学校の教育カリキュラムに、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語
などが組まれてて、入学当時にハンスが各国語の印象を思う場面があるね。 ルードヴェンガーさんって美人だから、ヘッセも年とってから若い女性に
好かれたのもまんざらでもなかったんだろな・・・ マリア・ベルヌーイさんが、どんな感じの人かは、「婚約」を読むと分かるね。
ヘッセがマザコンな事を指摘した論文もあるけど。 車輪の下の風景描写の文体がゲーテっぽいなと思ってたら、作中でファウスト伝説にゆかりがある場所として校長の執務室が紹介されてたりしてて、おそらくヘッセはゲーテが大好きだったんだろうなと推察した。
それとも単に好きだったり影響受けただけではなくて、何かしら意図があって作中にファウスト伝説をチラつかせたのかな?ハンスの死の暗示としてとかさ。
お前らの見識ではそこんとこどうなんよ?もったいぶらずに教えなさい。 そういや「ゲーテへの感謝」という晩年のエッセイは未読だった。 車輪の下はさえない少年の話なので、あまり好きじゃない。
それよか、ドイツ詩人の名前が色々出てくるヘッセの若い頃の短編って何だったか?
アルニム、ビュヒナー、シュティフター、メーリケ、アイヒェンドルフ、etc
昔、例の流行歌の影響でハイネしか知らない奴ばかりで、ウンザリしたわ。 儚い青春
Der mude Sommer senkt das Haupt
Und shaut sein fable Bild im See.
Ich wandle mude und bestaut
Im Shatten der Allee.
Durch Pappeln geht ein zager Wind,
Der Himmel hinter mir ist rot.
Und vor mir Abendangste sind
ーーーUnd Dammerungーーund Tod.
Ich wandle mude und bestaubt.
Und hinter mir bleibt zogernd stehn
Die will nicht furder mit mir gehn. >>895
ヘルマンハイルナーはカッコいいね。
六脚韻なんて、これで知った。 霧の中
Seltsam im Nebel zu wandern!
Einsam ist jeder Busch und Stein,
Kein Baum sieht den andern,
Jeder ist allein.
Voll von Freunden war mir die Welt,
Als noch mein Leben licht war;
Nun da der Nebel fällt,
Ist keiner mehr sichtbar.
Wahrlich , keiner ist weise,
Der nicht das Dunkel kennt,
Das unentrinnbar und leise
Von allen ihn trennt.
Seltsam , im Nebel zu wandern!
Leben ist Einsamsein.
Kein Mensch kennt den andern,
Jeder ist allein.
この詩をヘッセ自身が朗読したテープを、一度だけ聴いたことがある。
たしか、新潮社の高橋健二のヘッセ全集が刊行された時、
高橋氏と三浦朱門がNHK教育TVに出演して、ヘッセにまつわる
話を少しばかりしてて、その合間に流してたっけ。
ヘッセも朗読会とか、してたらしいし。 あの楓蚕蛾の話って、中一の教科書だったのか? 小学校のだと勘違いしてた。
どこか大手出版社のヘッセの巻にも収録されてる。
庄司薫の「蝶をちぎった男」って、関連あるのだろか?
東大生時代の作品だが、三島由紀夫が確か貶してた。後年の赤ずきんは誉めちぎってたが・・・ >>880
「ヘッセの作品は、万人を裨益するのだ」
というのは、フォルカーミヒャエルの言葉でした。 「神父マチアス」だったっけ?
ヘッセ作品としては、叙情性が弱いと高橋健二が解説してたが、自分の場合逆にその「無さ」に昔関心を抱いた。
柄谷行人が、漱石の「坑夫」を漱石作品の全体像の特異点のように論じる、あざとい事を昔やってたが、ヘッセについても同じような評論が出来そうに想うたわ。 車輪の下って有名な割に未だ映像化されてないのが意外。
大して盛り上がる部分も無いし地味な話だから誰も映像化したがらないのかな。
大衆ウケしそうな部分はエンマのエロさぐらいか・・ 若い頃「ナルチスとゴルトムント」を読んで、「死の観念」に取り憑かれたようになって、数年間鬱っぽくなったことがある。 ヘッセってなんとなく教育的な文学、良い子の文学ってイメージがあって学生時代は避けてたんだけど割とそうでもなくてハマった。
発表順に読んでて今『荒野のおおかみ』
『デミアン』以前の作品は正直学生時代に読みたかったけど後期の作品は割と今(30代)の気分に合う。久々に読書が楽しい!
ところで、ヘッセ好きのみなさんが好む現代の作家って誰です?オススメあったら教えてほしいです。
僕はウェルベックとかカズオイシグロ好き。 ガラス玉の序章きっついなこれ…
要は新しい表現方法と思っとけばいいのね つまらない本だったわ
全体として話の流れを見れば筋は通っているが、
本質はカスターリエンという架空の場所の架空の集団の中での架空の生活について、
中身が何もない掴みどころの全くないことを延々と読まされる。
起きたことほとんどを抽象的に書いているが、そもそも実態が無いので空虚に感じる
ただひたすらこれは高尚で気高いことなんですよ〜ということを文章化しただけ(筆力は凄い)。
東洋思想の禅や悟りを最高のものとみなしているが、悟りも開いてない修行もしてない人が
書いても何の説得力もないし実態が見えてこない。
組織に差し迫った危局を感じ、離れた時には現実との隔たりを推し量れず、
自然の強さに殺されてしまうとこう書けば筋は通っている。ある意味、車輪の下に近い
絶版で、タイトルが超絶カッコよいからインテリ気取りが有難がっただけで
タイトルが「ヨーゼフクネヒトの手記」とかだったら違った評価になってたのではないか
ヘッセを全部読んでしまった人か、正直ジジイが時間つぶしに読むような本
あとは訳されたものだから断定できないが、書き方がくどくて嫌いだ
「〇〇し、××し、△△し、※※され、●●されたものをωωすることが・・・」
こんなんがたまにじゃなくて、しょっちゅう出てくる。自分も気を付けないとと思った。 ヘッセは「知と愛」(ナルチスとゴルトムント)が最高だね
「車輪の下」「春の嵐」「デミアン」「荒野のおおかみ」あたりも好きだ
今は新潮文庫で手に入るのは全部読んだところ
したがって「ガラス玉演技」はまだ読んでいない
「シッダールタ」が上滑りしているようで楽しめなかったんだよね
それのさらに上滑りバージョンって感じなのかな 新潮ヘッセ全集9『ガラス玉演戯』をBOOKOFF100円200円コーナーにて発見したった
一見すると完璧な美品だったがよく見ると背表紙が日焼けしてた
まあ読めりゃいいのさ。やっと読める。 ヘッセって独文科の人に下に見られていると聞いたが今でもそうなのかね 郷愁の序盤を読んでこれは只者ではない!と思ったら序盤が面白いだけだった
後はただの散文といったところで小説としても物語としてもあまりまとまってない
何より孤独や孤高の心というよりは、俺様だけが主役w俺様だけが凄い、他はみんな脇役で大した人間ではない
というスタンスが全編を通して流れているように感じてしまう
人を知って世界を広げようという心に欠けている
他のヘッセの本も大体こんな感じだった気がする 散文として面白い一節を発見出来りゃ良いんだけどね
文学としての完成度を評価の軸にしすぎると何だってほとんど失敗してる デミアン読み始めたけど序盤の主人公の罪悪感が理解できすぎて辛い
少年の心情描写の繊細さには美しさすら覚えてしまうよ 構成に欠点があっても細部の描写に抗しがたい魅力があるのがヘッセだな
系譜としては
・プロットとしても完成度が高い
車輪の下→ナルチスとゴルトムント
・プロットは破綻している問題作だが細部の描写と独自の世界観で読ませる
デミアン→荒野のおおかみ
こういうイメージがある デミアンは前半だけは素晴らしいな
後半は読む価値が無い
解説になぜああなったかちゃんと書かれてて理解はできるが 初期のヘッセは好きだがデミアンあたりからついていけなくなる 『車輪の下』、『デミアン』といわゆる代表作を2作読んで合わなかったので、やめた。3度目の正直で、これだけはってある? おお、ありがとう。ケチをつけるわけでは決してないのだが、高橋健二の訳はどう? 『車輪の下』の彼の訳がどうもしっくりこなかったもので。 高橋健二訳は硬いから極力避けるべき
実吉捷郎訳がこなれていてお勧め >>928
ないね
『車輪の下』『デミアン』だけだ >>929
そうか。じゃ新潮文庫で読むしかないか、残念だけど。 ヘッセというのは好き嫌いの分かれる作家? 自分はどうもあまりピンとこない。訳者のせいだけではないような。
もっとも十代の時に読んでいれば、全然違っていたとは思うが。 シッダールタは遊女のセックスに関する教えだけは良かった 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑。。!! ヘッセは10代のころ読んでいたが、いま読み返してみると、あまりにも俗離れしすぎて、今の自分には合わない、汚れちまったんだなあ。(なんてね)
トーマス・マンなんか読むと、いかにヘッセの文章が豊かで無理のないものか、翻訳でも、なんとなくわかる。
都会人で傲慢で俗物のマンと田舎者で不器用で人間嫌いのヘッセ。 車輪の下
冒頭からゲロがでるほど勉強させられてる描写をみて、すげえ残酷に感じられた 神学校の同級生が主人公にキスしてきたのに、さっさとガールフレンドつくってしまうのはあんまりだと思った
ブロークバックマウンテンのジェイク・ギレンホール並にはた迷惑だ シッダールタとか車輪とかヘッセいくつか読んでて、今日古本屋でメルヒェンを発見したので買った。
最近まで精神的に色々大変で本読める状況じゃなかったんだけど、やっと余裕ができてきた。
小説を読むのは久しぶり。
「アウグスツス」だけさっき読んだけどいいね。素晴らしかった。
愛されるだけでは虚しさが伴うんだって初めて分かったな。
まあ今まであまり読書してこなかったもので浅い事しか言えないけどとにかく嬉しい気持ちでいっぱいだ。 極めて冷静にいうが女一人だけ後で懲戒請求と民事訴訟で責任取らせることも
できるからな
金か減るけど雇われている限り入って来るだろう
あんたあんまりやり過ぎたんだよ とても尊敬しているひと回り以上も歳下の知り合いの女の子が、ヘッセを一番愛読していると話してくれた。なんだか嬉しかった。 からの、
あーーーい、とぅーーーいまてーーーーーーん!!!!!! 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑ーーー! 車輪の下
普通なら、どん底の状況がいかに這い上がって来たかを書くのに
なぜか、あんな結末にした。
長山靖生という評論家がそのことについて書いていたけど読むの忘れた。
でも、悪友と知り合わなかったら、普通に卒業したかも。
そう考えると、変な人とは付き合ったらダメだと感じた。 「ペーター・カーメンチント」=「郷愁」だけど
「青春彷徨」も同じ作品なんだな
Amazonで 関泰祐 訳の「青春彷徨」の文庫本を入手した
これから読む 「素晴らしい教授」
・堀内 明の子孫は全員死刑
・野島正城の子孫は全員 死刑
・水谷 洋の子孫は全員死刑ーー!!? >>931
ヘッセは青春向け文学だな
年を取るとつまらなくなるもんだよ 高校から大学にかけて新潮文庫で読めるのは全部読んだ
その後30年経ってしまったが、ガラス玉演技は未読のまま そんなワテが一つ挙げるなら「知と愛」
あえて高橋健二の訳名で 阿藤快
略して
あい
加藤あい
略して
かい
ヘルマン・ヘッセ
略して
ヘッセ
近松門左衛門
略して
ちん 我々から見たら多少の違和感があるが、
キリスト教文化の中心地にあって仏教理解まで深化していったというのは大したものだろう。
ユングを中核にしているんだろうが、バンデルポストと共に異文化理解が作品に結実している。 >>937
あれはいい映画だな
人生をよく知っている人じゃないとあんな映画は撮れない 小学生の頃に読んだ少年の日の思い出が好きすぎて車輪の下とシッダールタとデミアン読んだ
次何が良いかな
幸福論が気になる
短編みたいだけど少年の日の思い出みたいに心理描写とか良いかな? >>1
ステッペン ウォルフ
ハリーハラーでござんす レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。