三島は江藤の『成熟と喪失』(1967年)に「うんざりした。」
という感想を述べてるが、母性との葛藤の中での「成熟と喪失」を
江藤が問題にしていたのだとすれば、それは三島自身の意識し得ない
三島の本質だったかもな。
三島や「盾の会」にはギリシャや近東の
キベレ−アティス(コリバンテス)の関係を彷佛させるものが
あるような気がするんだな。
要は母−息子の近親相姦、息子の自殺、来訪神の性格を伴った
息子のコピーである青年群像、などの要素を感じるということ。