【書を捨てよ】 寺山修司 【町へ出よう】
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私の墓は、私のことばであれば、充分 寺山修司のスレ 器用貧乏という感じだが、マルチクリエイターとしては一流だよなあ。 なにげに、写真家もやっている 中退した人間は、中退したひとの気持ちを誰よりも理解できる、みたいなことを何かで書いてたな。 本の名前は失念。 流行るのは性器が大きいことに対しての嫉妬なお笑いだろ。 流行るのは性器が大きいことに対しての嫉妬なお笑いだろ。 わたしは、現代人が失いかけているのは『話し合い』などではなくて、 むしろ『黙りあい』だと思っている。 by 寺山修司『東京零年』 開高健がやたら敵視してたのは、寺山が学生時代から名前が売れてた事へのやっかみもあるんだろうな。 開高さんは、みためがきもいし、精神的にもきもい 小説はうまいけどねえwww 文学者で見た目のいい人の方が珍しい 書を捨てて、町に出て、インフルエンザをうつされて、寝込んで暇をもてあまし、そうしてまた書に手をのぱす―― >>213 あの形容詞を読点でつなげる文体は、たまに胃にもたれる。 ハルキ文庫の「啄木を読む」って、 「歩けメロス」という文章以外にも太宰を論じた文章はありますか? 寺山の太宰論に興味があるんですが、 「啄木を読む」がなかなか手に入らなくて… 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。 口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。 そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。 本田宗一郎 「教養特集「人間,言葉,行為」―フィーリング時代の詩―」 出演、寺山修司、吉増剛造、白石かずこ、岡本太郎ほか http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/63706.html 再放送リクエストです。 100超えたら再放送検討。クリック&拡散よろ 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:55e787040b07f9ca8824427c31a04279) >>1 書を捨てよ。とっくに捨ててるよ。スマホを捨てよ。 田園に死す Pastoral: To die in the country (1974) (English subs), Shuji Terayama https://www.youtube.com/watch?v=MThQ8kQHEyg 「出口はたくさんあるのに入り口はいつも一つしかなかった」みたいなフレーズのある詩で、 確か寺山修司さんの作だったと思うんだけどタイトルもどの本にあるのかも分からぬ……。 中高生の時期に色々乱読してた頃に、何故かこのフレーズだけが残ってるんだよなぁ。 え;; こんなスレあったんだ……。嬉しい。 また今度、読む、書く。 >>221 初期から死後作品まで、主要作品はだいたい持っているけど、記憶力のスペックの問題もあり、ちとピンと思い出せません。 が、これを期に寺山の蔵書を開いて、探してみる(かも)。 >>221 寺山のことをパクリ詩人と怒りまくってた開高健にあったような。 その原因になったと思われる「たとえ世界が明日滅ぶとしても」的な言葉については寺山が元ネタを知ってた上でミスティフィカシオンしていた模様 寺山修司の場合、パロディなのかパクリなのかオマージュなのか判断しづらい 初期の短歌に関しては明らかな盗作もあるけど そして、引用元のほとんどがポケットに名言をにでてくるという 寺山の身毒丸の舞台映像を最近になって観たんだが、彼がこれ程折口信夫を研究してるとは思わなかった 折口の短編、身毒丸と寺山の戯曲身毒丸がどう関係してるか理解してる人は少ないだろう かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰を探しに来る村祭 久しぶりに帰った故郷でこんな気分になった マッチ擦るつかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや ねーよ >>232 おお!演出、役者、脚本など、引っかかりはどこにありました? >>233 韓国人を出すってのが不安だったけど、バリカンのどもりの表現がなんかよかったかな >>234 ありがとう。寺山作品のリメイクものには基本、期待してないのだが、これは観に行こうかな >>228 寺山は研究というより、つまむセンスが高く形而上学的に正解な道筋へ進んでいた質問の人というイメージがあります。 折口のくだりは理解できていませんが、そういったドヤれるピースは其処彼処に置いてあると思うとります。 寺山は、2000年代以降の現代アーティスト的にクールであるというレトリックを先取りしていたような、巧みなコピペをブレーキ知らずで散りばめていた。 折口にリンクが云々、これは誰も気付いていないだろう云々は、術中にハマっていますよ。 キリがない。 音楽で言えば当時は、ジャーマンプログレにもウインクしていたし、例を挙げればキリがない サブカルチャーという言葉が本来持っていた横道に逸れて尚且つ、本道への疑問に立ち向かうという総合芸術家としての寺山は大好きですけどね。 マニアはと過小評価している気もいたします。 >>238 訂正 酔ってる サブカルチャーという言葉が本来持っていたリアルや世相を加味しながら、本道への疑問に立ち向かうという総合芸術家としての寺山は大好きですけどね。 「書を捨てよ町へ出よう」を初めて読んで寺山に興味が出た。他に寺山でこれ読んどけってのある? 古本屋にでもネット販売でも、作品をまとめた入門書的ムックや書籍がある それを眺めて、歌集、詩集、小説、エッセイ、シナリオ、演劇論、芸術論、哲学ライクな対談集など興味の持てそうな所から切り崩してけばええ これ、あってる? 「家出のすすめ」 寺山修司 1963年のエッセイだが、「東京へ行こう。行けば行ったでなんとかなるさ」という主張なのだが。 寺山修司は家出などしておらず、19歳で早稲田に受かって青森から東京へ来た。 だいたい人生論についてはひと世代立たないと結果はわからないが、 ぼくの知る限り、東京へ家出した若者のほとんどはなんとかなったりせずひどい目にあった。 幸せにはならなかった。90年代女子高生文化の結果としてはっきりしている。 そして、何よりムカつくのが、東京もんはそういう上京して来る若者をバカにしていることだ。 >>244 お前、「記憶喪失した男」だろ? それでいいよ >>245 入門書とざっくり表現したが、読み応えのある内容の本はあるよ なにせ、彼は多ジャンルかつ多作故、最初は俯瞰で作品群を眺めて、自分のアンテナに引っかかたものを手にしたら如何ですかね >>236 ほお、あなた中々やりますね、あなたの寺山観はおそらく正しいと思います。 私は寺山の事はよく知りませんが、戯曲 身毒丸を見た限りにおいて、寺山 と謂う人は、あなたのおっしゃる通りの人だと推察しましたよ。 折口の身毒丸は青空文庫で読めますから読んでごらんなさい。、 極めて難解な作品で、普通に読んでも何か書きたいのか、何を言わんと しているのか、かいもく見当もつかないという代物ですが。 >>248 御丁寧にどうもです! 恐縮であります。236です。 寺山に限らず、さわりだけ触れて作家性を見抜くとは、哲学ないしは文学の芯をお持ちの方かと推察いたしました。 もし、よろしければ、折口とのリンク、なぜ、どこに、然るに、などを勉強させてください! 字幕あればいんだどもこの監督の作品字幕ねど聞ぎにぐぐて参るじゃな 字幕版をあだらすぐだすよでいねんだべが? 寺山の選集は読んだことはあるけど、意味を忠実に取りすぎることはないよ。 難しいと思っても、自分の文学の印象を変えないでもいいと思う。 いや自分自身は。 ただ、人生を変えたいという願望を持ってる、先輩世代にとっては、 そういうてらいはいらないだろうな。 >>250 ww20年前くらいだろうか、青森の奥地のお婆さんの証言を通訳する娘さんの語り口に字幕がついているニュースを見た記憶があります。 太宰の黄金風景の映像作品では青森弁に字幕がついてたなw >>261 『ポケットに名言を』に出てくる本とかどれくらい原文で読んだんだろう。あの本の中には日本で一般的に広まってる訳とは違う訳され方してる言葉もあるから、修司が原文で読んで自分で翻訳したのかな? >>263 断言はできませんが、彼は原文を読んでいないと想像します。翻訳の解釈を拡げたのだと。 余白を自分の世界に引き寄せる強引、乱暴な演出力が彼の持ち味でもありますし。 青森訛りの英語というくだりは、ジョークであり、彼への愛情も少し込めて書きました。 >>249 >「書を捨てよ町へ出よう」を初めて読んで寺山に興味が出た。他に寺山でこれ読んどけっての >ある? 寺山ので良かったのは死後に思潮社から出てた『寺山修司の戯曲』シリーズですね。 あれで舞台版の「書を捨てよ、街に出よう」や舞台と客席が反転する「観客席」、ラジオドラマ の「コメット・イケヤ」を初めて読んで感動したクチです。 「書を捨てよ、街に出よう」は映画版も良かったですね。虚構の合間に寺山特有の 毒のある仕掛け、幸福の手紙朗読(ほとんど嫌がらせw)や「健さん、愛してる」の唄、 警察から逃れて放浪する過激派青年の独白、などなどが突如挿入。驚く映画です。 出だしから驚く映画でした。だって主役青年が画面から客席に語りかけてくるんです。 「そっちは禁煙だろうけどこっちは吸えるんだよ」と旨そうに吸う。「高倉健の映画みて いい気になったお前に何が起こったんだ!」と指さしてくるとか、過激でしたね。仕掛けが 凄い。 ラストは主役青年の「灯りをつけてください」の声とともに出演者・スタッフが一堂に集ま ってるシーンで「所詮映画は虚構」が宣言され、一人一人の顔が映し出され、やがて暗転。 これも良かったです。DVDで出てます。 寺山修司 堀江秀史編 ロミイの代辯 寺山修司単行本未収録作品集 ISBN978-4-86488-146-3 C0095¥3800E A5上製 384頁 2018年4月下旬刊 夜会、レースの手袋、スタンダールの恋愛論、 バァィオレットフィズ、シュトラウス、 みんなくたばれ。 紳士淑女諸君。 ホルモンの景気はどうですかね。 詩歌、散文、写真――没後35年、いまなお響く、そのロマネスク。 発掘資料より46篇。おもに1960年前後の雑誌発表作品より。 >>272 港町で評判の阿婆擦れ女に、バラを買う金すらない貧乏水夫が 女の部屋に忍び込み、ジャックナイフで女の心臓をひと突き、 真っ赤なバラの贈り物、、、。 >>267 同じく、いいぞ若者! これは嫌味ではない、純粋にいいぞ! とはいえ、寺山修司イコール若者モノとは思わないけどね 当時のトレンドを巧みに内包しつつ、形而上学に真正面で挑んでいた偉大な人だ >>274 コクトーだとオルフェやらトレースしているけど、その一部分をもってしてコクトーだったのか?という論は成り立つのですか? 当方、コクトー不勉強でして。。 なんでしょか、マクロ視点のギリシャ神話、チベット仏教、つまり西洋哲学+東洋哲学ミックスに視座を起きつつ、ミクロ視点の日本ローカル御伽噺を露悪的に乱暴にまでぶん投げた これはオリジナリティであり、コピペ文化では収まらない気がします >>279 絵画 戯曲 映画 舞台 としての広がり。 この広がりはアンディウォーホル とも類似 なんつーか久しぶりに学びたい欲求がフツフツ 詳しい人なんでも教えてください♬ >>281 トレンドセッターであらねばならぬのは、当時も今も日本人の宿命ですね! 特にコクトーは不勉強の限りなので、ご教授願います🤲 いいスレになってほしい! 横尾忠則は寺山修司でもないし、先に羅列したのはビジュアル演出ということでしょうか? これは煽りではなく、対話のキャッチボール(ホームに帰る野球を愛するお父さんのメンタリティとは?的な)を希望しているので、レスバ的なノリではなく、知識カモーンです! >>281 フレンドリーな書き込みを努力したけど、結局のところ、君は大丈夫なのか >>289 寺山とアンディの実験映画フィルム http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_13F/13_58_1F/13_58_1_33.pdf これは、この方の論文であって、 直感的なものへの、後付け情報の価値以上のものではないが、考えるに 特にウォーホルと寺山修司を一緒にしたくもない。 寺山修司は何かを持っていた。 男が女を愛さない様な・・・ 朝が夜を産み落とす様な・・・ >>279 この絵が何故か 寺山修司の様に感じる。 http://blog.livedoor.jp/jean_0214/archives/38685587.html ただそれだけ。 他に理由はなく、ただそれだけ。 誰かやあなたが 寺山修司とは全く違うと感じれば それはそれでいい。 >>291 289です。 もう寝るので後日になり恐縮ですが、貴方の書き込みに対して真摯に向き合わせて頂きます。 悪文、失礼致しました。 同時に、興味深い素材と投げかけ、嬉しく思います。 >>291 大人の対応ありがとうございました。 言い訳ですが、昨晩の私は泥酔しておりました。。。勉強させてくださいませ。 >>293 なんか やわらかい印象 ありがとうございます。 多分奥行きのある主スネ。 このスレの懐の深さをかんじまスた。 わたしは感覚派かもで、誤解をよく撒き おふざけが過ぎ。 ※なんだこりゃ失礼オチャメ こんな風に描きたくなっちゃう〜 えっどな本を捨てて メイドカフェとかリフレとかに 参加しよう! 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。 テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。 小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。 今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。 日本には寺山だけで十分。 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。 テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。 小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。 今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。 日本には寺山だけで十分。 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。 テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。 小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。 今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。 日本には寺山だけで十分。 寺山修司の映画がサブカル範疇に押し留められることに関しては違和感を覚えている人間ですが、上記のレス三連発は宗教の原理主義を想起させて割と怖いのであります! >>294 お、おう。。 あと超ごめんなさい、仕事やらなんやらで熟考至ず。お返事はまた今度させてくださいませ! 寺山修司の寺が 青山修二だったら また運命はちがっていたろう。 もし寺が 鉄山修二だったら 物語は変わっていただろう。 なぜなら 詩 は一瞬だが 文庫本は文字のレール を何度も何度も廻り続けるモノレールで モノレールは色が塗られていて いつも煉瓦色になるように印象操作されているからであるのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる