【書を捨てよ】 寺山修司 【町へ出よう】
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私の墓は、私のことばであれば、充分
寺山修司のスレ かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰を探しに来る村祭
久しぶりに帰った故郷でこんな気分になった マッチ擦るつかのま海に霧深し
身捨つるほどの祖国はありや
ねーよ >>232
おお!演出、役者、脚本など、引っかかりはどこにありました? >>233
韓国人を出すってのが不安だったけど、バリカンのどもりの表現がなんかよかったかな >>234
ありがとう。寺山作品のリメイクものには基本、期待してないのだが、これは観に行こうかな >>228
寺山は研究というより、つまむセンスが高く形而上学的に正解な道筋へ進んでいた質問の人というイメージがあります。
折口のくだりは理解できていませんが、そういったドヤれるピースは其処彼処に置いてあると思うとります。 寺山は、2000年代以降の現代アーティスト的にクールであるというレトリックを先取りしていたような、巧みなコピペをブレーキ知らずで散りばめていた。
折口にリンクが云々、これは誰も気付いていないだろう云々は、術中にハマっていますよ。
キリがない。
音楽で言えば当時は、ジャーマンプログレにもウインクしていたし、例を挙げればキリがない サブカルチャーという言葉が本来持っていた横道に逸れて尚且つ、本道への疑問に立ち向かうという総合芸術家としての寺山は大好きですけどね。
マニアはと過小評価している気もいたします。 >>238
訂正 酔ってる
サブカルチャーという言葉が本来持っていたリアルや世相を加味しながら、本道への疑問に立ち向かうという総合芸術家としての寺山は大好きですけどね。 「書を捨てよ町へ出よう」を初めて読んで寺山に興味が出た。他に寺山でこれ読んどけってのある? 古本屋にでもネット販売でも、作品をまとめた入門書的ムックや書籍がある
それを眺めて、歌集、詩集、小説、エッセイ、シナリオ、演劇論、芸術論、哲学ライクな対談集など興味の持てそうな所から切り崩してけばええ これ、あってる?
「家出のすすめ」 寺山修司
1963年のエッセイだが、「東京へ行こう。行けば行ったでなんとかなるさ」という主張なのだが。
寺山修司は家出などしておらず、19歳で早稲田に受かって青森から東京へ来た。
だいたい人生論についてはひと世代立たないと結果はわからないが、
ぼくの知る限り、東京へ家出した若者のほとんどはなんとかなったりせずひどい目にあった。
幸せにはならなかった。90年代女子高生文化の結果としてはっきりしている。
そして、何よりムカつくのが、東京もんはそういう上京して来る若者をバカにしていることだ。 >>244
お前、「記憶喪失した男」だろ?
それでいいよ >>245
入門書とざっくり表現したが、読み応えのある内容の本はあるよ
なにせ、彼は多ジャンルかつ多作故、最初は俯瞰で作品群を眺めて、自分のアンテナに引っかかたものを手にしたら如何ですかね >>236
ほお、あなた中々やりますね、あなたの寺山観はおそらく正しいと思います。
私は寺山の事はよく知りませんが、戯曲 身毒丸を見た限りにおいて、寺山
と謂う人は、あなたのおっしゃる通りの人だと推察しましたよ。
折口の身毒丸は青空文庫で読めますから読んでごらんなさい。、
極めて難解な作品で、普通に読んでも何か書きたいのか、何を言わんと
しているのか、かいもく見当もつかないという代物ですが。 >>248
御丁寧にどうもです!
恐縮であります。236です。
寺山に限らず、さわりだけ触れて作家性を見抜くとは、哲学ないしは文学の芯をお持ちの方かと推察いたしました。
もし、よろしければ、折口とのリンク、なぜ、どこに、然るに、などを勉強させてください! 字幕あればいんだどもこの監督の作品字幕ねど聞ぎにぐぐて参るじゃな
字幕版をあだらすぐだすよでいねんだべが? 寺山の選集は読んだことはあるけど、意味を忠実に取りすぎることはないよ。
難しいと思っても、自分の文学の印象を変えないでもいいと思う。
いや自分自身は。
ただ、人生を変えたいという願望を持ってる、先輩世代にとっては、
そういうてらいはいらないだろうな。 >>250
ww20年前くらいだろうか、青森の奥地のお婆さんの証言を通訳する娘さんの語り口に字幕がついているニュースを見た記憶があります。 太宰の黄金風景の映像作品では青森弁に字幕がついてたなw >>261
『ポケットに名言を』に出てくる本とかどれくらい原文で読んだんだろう。あの本の中には日本で一般的に広まってる訳とは違う訳され方してる言葉もあるから、修司が原文で読んで自分で翻訳したのかな? >>263
断言はできませんが、彼は原文を読んでいないと想像します。翻訳の解釈を拡げたのだと。
余白を自分の世界に引き寄せる強引、乱暴な演出力が彼の持ち味でもありますし。
青森訛りの英語というくだりは、ジョークであり、彼への愛情も少し込めて書きました。 >>249
>「書を捨てよ町へ出よう」を初めて読んで寺山に興味が出た。他に寺山でこれ読んどけっての
>ある?
寺山ので良かったのは死後に思潮社から出てた『寺山修司の戯曲』シリーズですね。
あれで舞台版の「書を捨てよ、街に出よう」や舞台と客席が反転する「観客席」、ラジオドラマ
の「コメット・イケヤ」を初めて読んで感動したクチです。
「書を捨てよ、街に出よう」は映画版も良かったですね。虚構の合間に寺山特有の
毒のある仕掛け、幸福の手紙朗読(ほとんど嫌がらせw)や「健さん、愛してる」の唄、
警察から逃れて放浪する過激派青年の独白、などなどが突如挿入。驚く映画です。
出だしから驚く映画でした。だって主役青年が画面から客席に語りかけてくるんです。
「そっちは禁煙だろうけどこっちは吸えるんだよ」と旨そうに吸う。「高倉健の映画みて
いい気になったお前に何が起こったんだ!」と指さしてくるとか、過激でしたね。仕掛けが
凄い。
ラストは主役青年の「灯りをつけてください」の声とともに出演者・スタッフが一堂に集ま
ってるシーンで「所詮映画は虚構」が宣言され、一人一人の顔が映し出され、やがて暗転。
これも良かったです。DVDで出てます。 寺山修司 堀江秀史編
ロミイの代辯 寺山修司単行本未収録作品集
ISBN978-4-86488-146-3 C0095¥3800E
A5上製 384頁 2018年4月下旬刊
夜会、レースの手袋、スタンダールの恋愛論、
バァィオレットフィズ、シュトラウス、
みんなくたばれ。
紳士淑女諸君。
ホルモンの景気はどうですかね。
詩歌、散文、写真――没後35年、いまなお響く、そのロマネスク。
発掘資料より46篇。おもに1960年前後の雑誌発表作品より。 >>272
港町で評判の阿婆擦れ女に、バラを買う金すらない貧乏水夫が
女の部屋に忍び込み、ジャックナイフで女の心臓をひと突き、
真っ赤なバラの贈り物、、、。 >>267
同じく、いいぞ若者!
これは嫌味ではない、純粋にいいぞ! とはいえ、寺山修司イコール若者モノとは思わないけどね
当時のトレンドを巧みに内包しつつ、形而上学に真正面で挑んでいた偉大な人だ >>274
コクトーだとオルフェやらトレースしているけど、その一部分をもってしてコクトーだったのか?という論は成り立つのですか?
当方、コクトー不勉強でして。。 なんでしょか、マクロ視点のギリシャ神話、チベット仏教、つまり西洋哲学+東洋哲学ミックスに視座を起きつつ、ミクロ視点の日本ローカル御伽噺を露悪的に乱暴にまでぶん投げた
これはオリジナリティであり、コピペ文化では収まらない気がします >>279
絵画
戯曲
映画
舞台
としての広がり。
この広がりはアンディウォーホル
とも類似 なんつーか久しぶりに学びたい欲求がフツフツ
詳しい人なんでも教えてください♬ >>281
トレンドセッターであらねばならぬのは、当時も今も日本人の宿命ですね! 特にコクトーは不勉強の限りなので、ご教授願います🤲
いいスレになってほしい! 横尾忠則は寺山修司でもないし、先に羅列したのはビジュアル演出ということでしょうか?
これは煽りではなく、対話のキャッチボール(ホームに帰る野球を愛するお父さんのメンタリティとは?的な)を希望しているので、レスバ的なノリではなく、知識カモーンです! >>281
フレンドリーな書き込みを努力したけど、結局のところ、君は大丈夫なのか >>289
寺山とアンディの実験映画フィルム
http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_13F/13_58_1F/13_58_1_33.pdf
これは、この方の論文であって、
直感的なものへの、後付け情報の価値以上のものではないが、考えるに
特にウォーホルと寺山修司を一緒にしたくもない。
寺山修司は何かを持っていた。
男が女を愛さない様な・・・
朝が夜を産み落とす様な・・・ >>279
この絵が何故か
寺山修司の様に感じる。
http://blog.livedoor.jp/jean_0214/archives/38685587.html
ただそれだけ。
他に理由はなく、ただそれだけ。
誰かやあなたが
寺山修司とは全く違うと感じれば
それはそれでいい。 >>291
289です。
もう寝るので後日になり恐縮ですが、貴方の書き込みに対して真摯に向き合わせて頂きます。
悪文、失礼致しました。
同時に、興味深い素材と投げかけ、嬉しく思います。 >>291
大人の対応ありがとうございました。
言い訳ですが、昨晩の私は泥酔しておりました。。。勉強させてくださいませ。 >>293
なんか
やわらかい印象
ありがとうございます。
多分奥行きのある主スネ。
このスレの懐の深さをかんじまスた。
わたしは感覚派かもで、誤解をよく撒き
おふざけが過ぎ。
※なんだこりゃ失礼オチャメ
こんな風に描きたくなっちゃう〜 えっどな本を捨てて
メイドカフェとかリフレとかに
参加しよう! 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。
テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。
小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。
今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。
日本には寺山だけで十分。 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。
テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。
小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。
今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。
日本には寺山だけで十分。 寺山修司はテキストとイメージと現実の対応関係を非常にラジカルに考えていたと思う。
テキストからイメージを経て、行動へと誘う方法を考え、実践した。
小津や黒沢なんか、比べようがないくらい偉大で、世界が唯一注目すべき映画監督が寺山だろ。
今さら、小津や黒沢なんか見てもしょうがない,倉庫にしまいっ放しで十分。
日本には寺山だけで十分。 寺山修司の映画がサブカル範疇に押し留められることに関しては違和感を覚えている人間ですが、上記のレス三連発は宗教の原理主義を想起させて割と怖いのであります! >>294
お、おう。。
あと超ごめんなさい、仕事やらなんやらで熟考至ず。お返事はまた今度させてくださいませ! 寺山修司の寺が 青山修二だったら
また運命はちがっていたろう。
もし寺が 鉄山修二だったら
物語は変わっていただろう。
なぜなら 詩 は一瞬だが 文庫本は文字のレール
を何度も何度も廻り続けるモノレールで
モノレールは色が塗られていて
いつも煉瓦色になるように印象操作されているからであるのだ。 読書は人生のインターバル期間に行われるので行動とは結び付かない
むしろ人生=行動の阻害要因にすらなるので
読書に固執してはいけない、というのが寺山の主張だったと思うが
それでも読書自体は否定していなかった 読書と詩とは
磁石におけるS極とN極である
詩とは
音である
風景である
栞である
本はリアカーで轢かれていく粘土々の上に
ぬるりと湿った線弾きのようである >>306
寺山はかつていた吟遊詩人の肉声による詩のエネルギーにある種の架空の望郷を比喩として表現した。それは価値のある投げかけであった。しかし、現実では出版し、舞台をつくり、映画の制作費用に苦しんでいた。彼の死後も尚、九条氏はそれを補填し続けていた人生だった。
それでもなお吟遊詩人の肉声を至高とするなら、それはそれで追及したらいいし、いい意味で魔境に入ればいい。 レトリックに溺れるか、レトリックに心中するかは、人生観に依るものになるのでご自由にであるのだね。 寺山修司は、識者に幾らでも言語解説されてきた、されてしまう形而上学に、余白、ロマンを総合芸術的に落としてきたことに功績があると思っております。 例えば 音 とは雨である
トタン屋根にパラパラとおちるそれは
見てもいない
心に映る
降り積もる雪には音はない
風景は
真っ白な栞深々と
はさんで閉じる
窓枠に灯る橙色の紐
それは詩だった いいですね
見てもいない
のくだりが、ちと蛇足なようにも、、、 >>310
カタカタと湯を沸かす音がする
パラパラとトタン屋根に雨が落ちる音がする
瞼を開けるその刹那、生きていると思った
降り積もる雪に音はない
風景は
真っ白な栞深々
瞼を開けるまでもなく、見えていた
皮膚が死のうと囁いた
はさんで閉じる
窓枠に灯る橙色の紐
明日の色を見ようと思った、まだ 例えば 夏は 劇場である
馴染みの役者が舞台に立つ もう他界した夕立ちなど
幕はいつ降りてくるのか
僕たちが拍手を止める時さ
例えば 秋は シネマである
チカチカと溢れる映写機の光が粒になって
空気を変えるんだ
僕らの光で空気を変えた日
劇場は シネマになる >>315
無粋な質問だが、君はどうしたいの?
「質問の人」であった寺山を表面的にトレースして聞いてみた。 >>316
>>304へのオマージュなのであります。
昨日と今日は別の日だけれど遠い未来からみれば
その二つは だいたい同じ日として映されるのだろう 円周率は決まっているのだ いまのところは。 映写機からのゆるい光がうつしだすもの それは天気のように まわるまわる すべてがまわっているけど >>317
うーむ、なーんか寺山の上っ面だけなぞってみたナルシズムを感じて好きじゃないかも
よくあるパターンでもあるのか
円周率、映写機、光、天気、それらの事象に対して子供のように身を委ね、無責任に投げっぱなしにしていている姿勢が見てとれなくもない
寺山を便利に使わない方がいいんじゃない? いや待てよ。便利に使えるからこそ、時代を超えて彼のイメージが生きながらえているのだから、そういったフォロワーが生まれ続けているのは正解なのだな
無粋なことを書いて反省します 初めてこの方の著書「書を捨てよ〜」読んだ。
どうしても「きみもヤクザになれる」のタイトルと内容を繋げられない…
結局この章で言うヤクザって何の事だろう。 寺山も文学の専門からやりすぎてロックフェラー財団にい力尽きてますよ。
カーネギーやエジソンの努力と結晶からはいって下切りにしながら読みなさい。 敵が多い人は能率的にすべてを編集推敲してカード使いがうまい人で寺山のばくちなど見ておれん。
新世代はオバサン臭くなってもバタクサイないです。 究極Q太郎(@Q81587908)
N画伯妻Yさんの介護者Oさん。日中外出介護後に夜勤介護がある。そちらへ向かう移動中に電話を寄越してくれる。昼間Yさんと一緒に観てきたという全共闘と三島由紀夫の対話ドキュメンタリー映画が良かったとお薦めされる。私は、三島作品は十代の頃読んだ。寺山修司との対談が面白い。 松本圭二
「三島由紀夫と寺山の対談というのも滅茶苦茶面白かった。
三島に対して好戦的なんだ寺山は。
遠慮がない。
日本浪漫派の鬼っ子なんて少しも寺山は怖くなかった。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています