イタリア文学総合
>>2これとね、これにレスポンスするひとってぜったい100ぱーカンサイジンだよ。しかもね、レスポンスするひとキョートジン!
ゲヒンやからいっぱつでわからーw とりあえずは、エーコの新翻訳『バウドリーノ』はもう読みましたか?
『薔薇の名前』や『フーコーの振り子』のような面白さと読みやすさが並存している作品? さっき昼休みに買ってきたばかりだからまだわからないな(笑)
知りたかったら自分で買って読めよ、ゴルァ(←なつかしい) 古いからでしょう。いまアンチムッソリーニをむきだしにした小説を読んでも
おもしろくもないし。 さすがカルヴィーノは人気あるが、モラヴィアはダメなんだねえ。 俺の狭い読書範囲の中で言えば、カフカの父親と月ノ石、その夜の嘘、エウラリア鏡の迷宮、周期律と天使の蝶、
時代は離れるが、この前抄訳で出たエルサレム解放は面白かったな。パピーニ等はそれ程のものとは思えなかった。 >>18
内容へ一切言及することもなく、自分の見知ったイタリア作家のすべてを
なんらの脈絡もなく羅列していただいてありがとうございます。 ランドルフィは「カフカの父親」は傑作だが、「月ノ石」は駄作だよ。
二流作家レーヴィを遥かに上回るパピーニの面白さがわからないとは
18はかなり不幸な奴だな。ご愁傷さま。 くだらん。>>20の指摘もあるから少しだけ言及するか。
パピーニは洒落た知的小噺という程度で価値は見出せんな。同じ系統ならばヴォルテールやルゴーネス、影響を与えたボルヘスの方が遥かに優れているw
もっとも俺の読んだのは「逃げてゆく鏡」だけだから、ある程度の長さを伴った未邦訳作品をよめば印象が換わるかもしれないが。
レーヴィは人間の痛みを相当醒めた視線で描写するから、普通の人間ではかけないような話が書ける。単なるSF作品だと思って読んでいると火傷するぞw
天使の蝶に収められている短篇の幾つかはもう凄まじかった。
俺からすればレーヴィの凄さを認めないで、パピーニなどの大したことのない作品を褒めるなんて、ということになってしまうw
少なくとも>>21は俺を説得するには到らなかったようだな。 「月ノ石」は気持ちよく読み終われる一篇だろ。内容があまり思い出せないほどにな。文学にはこういうものも必要だ。
反対に「カフカの父親」は頭で弄んで作った短篇群という感じがあり、一等落ちる。 確かに、時には作品としての完成度すら投げ捨ててまで真に迫ったものを突きつけてくるレーヴィは、
ただ空想のイメージを弄ぶだけが好きな日本の幻想文学オタクからしたら生温く感じられるのだろうがなw
そういう幻想文学オタク(まさにそれしか読まない文字通りのオタク)の褒めるものはむしろ退屈なんだよな。
幸い俺は彼らのような暗い情熱は持っていないので、そこから外れた、語られない作家の方にむしろ興味を感じるのだが。 >>22-24
>俺を説得するには到らなかったようだな。
不幸な馬鹿を説得してあげようとするほど
博愛的な精神も暇な時間ももてあましてないんでね(笑
「同じ系統ならばヴォルテールやルゴーネス」って書いてる時点で
もうきみは終わってるよ。
パピーニはヴォルテールの対極に位置するといっても過言じゃないな。
それ以前にルゴーネスなんて三流作家の名前を出す時点でアウトだ。
だからルルフォも「読めない」わけなんだよ。
ご愁傷さま(笑 >>25
くだらん。お前の文章を読んでもなぜルゴーネスが三流作家だかは分からんな。さっさと説明することだ。
パピーニはヴォルテールの影響を確実に受けているよな。ボルヘスはどうした?
実際あれは劣化した哲学コントであって、それ以上の能はない。遥かにヴォルテールの方が優れているし、面白い。
ルルフォもただ曖昧な話を曖昧に書いているだけで明瞭な輪郭に基いてストーリーを作る才覚にかけている。
まぁこれはイタリア文学ではないので深くは言わないがw¥ パピーニのコントは大体単純な分身譚であって、小説にはならないそれ以前のものだ。
渋沢ごときに志怪風に翻案されてしまった”泉水のなかの二つの顔”などその最たるもので、
単に自分の分身が現れた、喜んだ、次第に嫌になったから殺したというだけの話で、
何か意味深に書いただけの非常にモノローグ的な小説でしかない。ポリフォニカルではない。
”返済されなかった一日”なども小説というには単純で女性の回想録に怪奇的な要素を付随させたような短篇なら数多く存在する。 そもそもジョイス、カフカの時代になぜあのような単純素朴な、
ある意味鈍感としか思えないようなコントを書けるのか俺は全く分からんな。
ボルヘスのそれは更に壮大なイメージが付与されているが、
パピーニは小さく纏まり過ぎで矮小な感想しか出ないw まぁ渋沢的能天気なトリヴィアリズムでつまらない作家を褒めるのは止めておけ。 これほどの馬鹿に遭遇したのはひさしぶりだ(笑
きみのいう「劣化した哲学コント」という言葉は
ボルヘスにこそあてはまるものであり、
ポリフォニックでない「非常にモノローグ的な小説」というのも
ボルヘスに対する形容としてなら有効なものでしかないし、
「明瞭な輪郭に基いてストーリーを作る才覚」に欠けているというのも
これもまたボルヘスに対してあてはまるものだろう。
そしてパピーニの影響を受けているのがそのボルヘスってわけだよ。
矮小な一物からは「矮小な感想しか出ない」のも当然だ(笑
ご愁傷さま。 ふむ。俺もこれほどの馬鹿は初めて見たぞw
大体、哲学コントというのは基本的に非常にモノローグ的なものである。
作者のイディオロギーを読者に伝えるのが目的としてあるのだから当然のことであろう。
これが第一前提としてある訳で、だがそのモノローグ的小説でも優れた作品もありうる、というのが第二の前提だ。
このメソッドにパピーニのコントを当てはめれば、自ずから答えは導き出される。
ルゴーネスやボルヘスはコントとしては優れたものを書くことができる。
正直言って俺はボルヘスが嫌いだが、しかしバベルの図書館やエル・アレフなどからあふれるイメージには看過できないものがあるのはいうまでもあるまい。
曖昧な輪郭で物が描かれるのではなく、あくまで明瞭にイメージが描かれているのは俺が言わずとも、言われていることではないか。
ところがパピーニのコントにはイメージも、萌芽は見られるがいまだ未発達なものだし、
描かれた主題などもあやふやで後代の作家に追い越されたものが多い。影響を与えたから凄いのではなく、ボルヘスはもうパピーニを越えている。
もう一人のルゴーネスは的確に動物などを選び、主題を指定し、それに中心としてコントを上手に仕立て上げる。この器用さはパピーニには欠けている。 >>32
初めて鏡を見たのか?(笑
きみのすべての前提からして間違いだ(笑
そして「ボルヘスはどうした?」と書いておきながら、
パピーニからの影響を指摘されるや否や、
「正直言って俺はボルヘスが嫌いだが」という逃げ口上も見苦しい(笑
誤った前提の上で何をほざいても間違いの屋上屋を重ねるだけだが、
その上、言ってることが矛盾だらけで何の脈絡もない。
「非常にモノローグ的なものである」というそれこそ曖昧なモノローグの感想を述べるだけのきみの主張は
結局のところ、内田百閧フ作品は読めない、赤川次郎のように明瞭に書いてほしい、
という自分の浅薄な読解力を告白しているに等しいものだな。
ご愁傷さま(笑 さらにいえば、「ボルヘスはもうパピーニを越えている」という言葉も
ツリー状の系統樹、あるいはダーウィン的な進化論に犯された、
一度も反省されたことのないきみの脳内の暗黙の前提を露呈しているだけで、
どこが優れているかが明瞭に言及されずに曖昧に主張されるだけでしかなく、
そもそも「優れている」という価値基準も暗がりの中で曖昧にされたままなのだよ。
そうしたきみの感想自体が「非常にモノローグ的なものである」のは勿論、
明瞭さをまったく欠いた曖昧であやふやなものでしかない。
村上春樹はブローティガンを超えている、という笑止千万な感想と何ら変わらないな(笑 俺は最初からパピーニはボルヘスに影響を与えた、と書いているだろうがw
その上で、パピーニをボルヘスは越えているという発言が出てくる訳だ。
以上、その指摘は破綻する。
お前の論理こそボロボロになってきたようだな。
「曖昧なモノローグの感想を述べるだけのきみの主張」というが、
お前の指摘こそパピーニがどこが凄いのか、ルゴーネスのどこが劣るのか指摘できていない。
指摘できない雲を掴むような言い草ではないか。
対して俺はサンプルとして二つの作品を取り上げ、具体的に批判している。
ここが凄い、と提示すれば俺は逐一それを論破してやろう。
それができない限り、お前は負け続けだw >>35
即レスくん、
「パピーニをボルヘスは越えているという発言が出てくる」か…
やはり矛盾だらけだな(笑
ご愁傷さま(笑 >>34
くだらん。自然主義でもあるまいし、いまどき系統樹を信奉している奴の方が数少ない。
だが影響関係というのは絶対にありえるものだ。
お前の内田百鏃S赤川次郎だなどという噴飯ものの対立構造を見せ付けられた後で、もう言うことはないのは分かりきっているだろう。
俺がした簡潔な指摘をお前は明らかに読み飛ばしている。その上で自分の所信を表明するのをためらい、冷やかしてばかりだろうが。
衆目がどちらに決するかはすでに分かりきっているw >>36
最初に、
”影響を与えたボルヘスの方が遥かに優れているw ”
といっているだろうが。目もろくについていないらしいw >>37
頼むからくだらない落書きをしつこく続けるのはやめてください。
>>38
ばか丸出しですよ。 >>37
おやおや(笑
きみが明瞭なストーリーを持つ赤川次郎を好むのは自由だが、
そのトンデモ理論は何とかならないのか?(笑
>>38
きみは読解力だけじゃなく表現力も乏しく曖昧だな。
「影響を与えた」の主格も書けないのかね?
本質的に言えば、影響は与えられるものであって、
そこは「パピーニから影響を与えられた」と書くべきだろうに。
そして個としての力に自信がない者ほど、
架空の「衆目」というこれまた曖昧な概念に頼るわけだ。
非常に残念な輩だな。ご愁傷さま。 >>43
ふむ。
お前の意見は揚げ足取りにしか見えんな。
「影響を与えたボルヘスの方が遥かに優れているw」の前に「パピーニが」という主語が省略されているのは自明のことだろうがw
「衆目」という言葉を使ったのはお前が愚かにも引っかかると思ったからだw
結局お前の発言が全て揚げ足とりに過ぎないことが判明したようだな。 >>44
デリダに批判されたサールがそんな言い訳してたな(笑
まあきみがパピーニを批判する際に使った「曖昧さ」「モノローグ性」が
きみ自身の読解力と表現力にこそ当てはまるという脱構築的批判を
ただの揚げ足取りにしたい欲望を抑えきれないんだろうな。
ご愁傷さま。 ストーリーを作れずにコントを書くしかなかったのはボルヘスだ。
流産した短篇小説といってもいいだろう。
ただそれはボルヘスの欠点ではなく特異性だけどな。
パピーニのほうは短篇のほかに長篇も書ける作家だ。
ダンテやキリストをテーマにした長篇もある。
24人の思想家を論じたエッセイを読んでもわかるが
ユーモア精神にも富んでいる。
ボルヘスとパピーニの質的差異を読めないと
浅薄でくだらない感想しか出てこないわけだよ。