【菜っぱのおしたし】尾崎翠2【チョコレエト玉】
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マグナ=佃煮=N=川上 この定式の頭の悪さを指摘すると黙っちゃうんですよね。 チェックメイトをやり直した事や、スレを削除した事を持ち出しても黙ります。 負け戦ばかりだった所へ可能先生の燃料。天にも昇る思いでしょうね。 そうそう。佃煮マニアさんは謙虚に東京芸大経歴詐称を認めたのにね。 往生際悪いよね。 でも川上と津原の共通点は「尾崎翠が好き」。 接点があってよかったよかった。 佃煮は川上よりも佃煮の悪口を言ったやつを許さない(たとえばムー大陸は川上の悪口なんて言ってない) 角秋は「尾崎は20世紀初頭のドイツ表現主義の影響を受け・・・」とか、 言うんだが、違うと思うんだよな。むしろ、象徴主義からシュール レアリズムへ動こうとする中途にあったと思う。あえてドイツで言えば german dadaismか。尾崎の場合、それはyeatsらの 影響だと思うんだな。だが、イエーツらの 象徴主義からシュール レアリズムへの動きを媒介したのはoccultismだった。 order of hermetic golden dawn というオカルト・クラブみたいなものに 当時のイギリスのインテリの多くが参加していたんだな。その中にwilliam sharpやbutler yeatsもいた。オカルトの研究によって、民話への関心も 高まった。 william sharpのfiona macleodのペンネームが william sharpやbutler yeatsが作品の題材を得たケルト民話に登場するfinn mac Cumhailかfinn maccoolの女性形であることはほぼ、間違いないだろう。 (ちなみに、フィネガンズ・ウェイクのフィネガンはfiona againの 意味らしい。) 取り分け、sharpの場合はスコットランド西沖の小島イオナのカルディーの 歴史に深い思いを寄せていた。その一つが個人の内面での女性性と男性性の 合一によって、人間は再生することができるという思想なんだな。 カルディーはクムランの死海文書の書き手ではないかとして有名になった essene派の流れを汲むとも言われてる。 sharpのfiona macleod誕生にはrinder wingateという若い女性ライターの 存在があったからだと言われてるが、性関係はなかったとも言われてる。 だが、fionaがペンネームであると同時に「隠し女」の意味が込められてる ことを、尾崎は強く意識していたと思うんだな。「第七官界彷徨」での 彼女の一部の意図は「私こそfionaなのだ。」というのは当然であるとしても、そこでの尾崎の意図は「隠し女」というところに、「女流詩人」よりも大きなウエイトが置かれていたのではないか? 尾崎の良く使うモチーフに「盆踊りでの妹の影」、「地下室」、「屋根裏」 という言葉らに共通するのがカモフラージュであったり、「隠し場所」 なんだな。 一体、尾崎翠は誰の「隠し女」だったのか? >>638 の続き 1920ー30年代は世界的には大恐慌の時代だけど、バブル崩壊後から 今までの日本と似てる。だが、文化的にはミニ・ルネッサンスの ような状況を呈していたのだろう。それを経てきたからこそ、花田は 「復興期の精神」の題名を思いついたのだ。花田が日本の室町時代 後期を日本のルネッサンスとして注目するのはずっと後だ。 龍胆寺や花田も昔のアンシクロぺディストや普遍人気取りだったが、 龍胆寺の実践力はまさにレオナルド気分だった。それは女性作家の 中にも影響を及ぼしていたかもしれない。大体は林芙美子や 片山廣子、吉屋信子などセックス面が強く強調されてるが、尾崎翠は 彼女らとは一線を画して、相当にorder of hermetic golden dawn を 研究していただろう。簡単に言えば、hermeticism.そうでなければ、 fiona macleodの名前を持ち出すはずがない。これほどいわくつきの 名前を、中途半端な知識で出せるはずがないのだ。 1920ー40年代前半は混沌期であり、作家達の文体は急速に 変化して行った。批評家においても、板垣鷹穂のルネッサンス論と 花田のルネッサンス論とでは雲泥の差がある。そういう中での尾崎の 自然主義批判だったことを踏まえておく必要があるだろう。 スカトロネタ書いてる人が鈴木の忍法帖レベルと同じだから鈴木本人という事で良いな 推理外しまくりでミステリーなら何名も死んでますよ。 >>639 ふぐすまか、高知ぷらら、のどちらかなんですよ。 うんこを煮る第七官界という作品のことを思えば、スカトロネタはここがふさわしいのかも。 他のスレで展開すんなよ。 >>640 の続き (長いので途中はぶく。) 龍胆も、あるいは竜胆もまさに鮮やかな瑠璃色をしている。 龍胆寺雄のペンネームを考案したのは彼が「放浪記」で 雑誌『改造』においてデヴューした時だろうが、それは 「瑠璃玉の耳輪」を尾崎翠が書いたと世間ではなっている1928年と 同年であることも、添えておく。 (続かない) 稲垣真美が尾崎の遺族から預かった資料の中から、 台本『瑠璃玉の耳輪』の原稿を発見したんだろうが、 その経緯を彼から良く聞いてみなければいかんのではないか? このおっさんは、資料を返還しないでヤフ−オークションで金に 代えたりしてるらしいが、とにかく食わせ者だよ。 考古学の藤村教授事件みたいな原稿捏造の可能性だってあるぞ。 俺はwikiの、稲垣真美が東大の大学院を出たという話もたぶん、 嘘だと思ってる。プラトンを研究したという話も。 応募してボツになった原稿を定本の下巻に入れるという判断も、 編集者として、ちょっと苦しいところだろう。 本のボリュームを膨らませて定価を高くし、自分の取り分の 編集料のかさ上げをねらったのだろうが。それにしても、ちょっと 功を焦り過ぎた感もするし。 そんなに気になるんなら、尾崎フォーラム行って質問してくりゃよかったのに。 そのうち、尾崎=松下説でも出すのかな。がんばって。 >>656 負け惜しみ抜かすなw 俺が本気になれば、今までの尾崎翠研究のほとんどを反古の山に できるってことがまだ分からないのかよw >>658 だから、尾崎翠フォーラムは駄目なんだよw 馬鹿ばかりが集まって同じことばかりほざいてる。 旅費と宿泊費とギャバクラ接待があれば、フォーラムに行ってやるがw >>638-640 で川崎賢子より、俺がはるかに上という片鱗は 見せたはずだがw >>660 へらへらのごますりだけで世の中渡れると思うなよw >>660 無能の業界人きどりのクズ、それがお前、可能涼介だろうw >>659 がんばれがんばれー。でもどこかに発表しないと評価されようもないよ。 「はるかに上という片鱗」か…味わいのある素晴らしい表現。 >>659 川崎へのその異様なライバル意識はなぜ? 憧れの知性だから? >>664 お前が無能の可能涼介だろうがw 俺は尾崎翠についての山崎や浜野の疑問に答えることができる。 その他の尾崎研究者の疑問に対してもだ。 >>666 俺のパンチがほんの少しかすっただけで川崎は即死するという意味だ。 これだけでも川崎よりはるかに上だろうが。 >>667 川崎を至上とする尾崎翠研究者達の誤解を正したいからだけで、 あんな鼻くそを俺は歯牙にもかけていない。 俺は確かに可能涼介だけど、なんでわかったの?「介」だけで全てを見破ったのか?はるかに上という片鱗を感じるぜ… >>673 じゃ、これからはお前のことは可能と呼ぶからなw >>679 念のため早稲田大学に連絡するか、警察に通報した方がいいかね。 >>681 データの示し方、保存の仕方を教えていただけますか? 早稲田大学、警察への連絡も必要ですが、講演会の運営者などへの連絡も必要かと。 >>683 わたしは警視庁に通報しておきました。そこが一番確実だと思うんで。 そんな大事にする前に、とりあえず卑猥な言葉を連投してスレを荒らしてる奴を運営に通報して下さいよ。それが先でしょ。 文学者になるって言うのは難儀なことだね。 同棲期間はいついつまでとか、性交はいつしただとか、 何十年経っても言われちゃうんだもんね。 Sun, Moon, Mercury, Venus, Mars, Jupiter, and Saturn.が7つの官界の 象徴であり、尾崎翠は人間の感覚を7つの星に喩えた。無論、この場合人間は 地球に当たり、尾崎翠はこの作品で、感覚というものを外部世界に属する ものとしていることになる。これ自体は18世紀的な考え方に近く?、 これらの7つのplanetそのものが語源的にはwanderer(彷徨う者)の意味を 持ち、彷徨する者の象徴なのだ。 絶えず、誰かが恋をしたり、失恋したり、は7つの星の接近したり、 離れたりを象徴しているのだろう。ここでは、普通の象徴的な小説と、 ところを全く逆に入れ替えて、自然界や天体界の象徴として人間達の営みが 描かれているのだろうと推測する。それが、地球を含めた七つの星、すなわち 『第七官界彷徨』の中の八人の登場人物達の恋愛の彷徨に対応しているかも 知れない。 694の訂正 >地球を含めた七つの星→地球を含めた八つの星 >>694 に続けて言えば、saturnから数えて7番目の地球のこと、 すなわち自分自身を第七官界に喩えているのではないか? >>696 に続けると、「7」は西洋のシンボリズムではアテナ、処女神を 指すことがある。町子のことか。 >>694 八人の登場人物は誰がどの惑星に相当するのか? >>696 の「saturnから数えて7番目の地球のこと、 すなわち自分自身を第七官界に喩えているのではないか? 」 を訂正して、「太陽から数えて7番目のsaturnこそ、第七官界の星なのかも しれない。」に。 >>698 >>八人の登場人物は誰がどの惑星に相当するのか? それは『第七官界彷徨』を完全に読み解くことに近い。 >>701 完全じゃなくてもある程度言ってもらわないと検証できないじゃん口からでまかせじゃん 川崎賢子ぶっとばせないじゃん >>703 >>703 saturnの意味するものが何かを探り出せば、後はさほど重要でない 可能性もある。ま、少し時間をくれ。尾崎翠研究は俺の本筋じゃなくて、 ごく派生物的な存在だから、そう性急に答を急がれても困るw 時々このスレには山崎行太郎が紛れ込んでいるんじゃないかと思うことがある >>705 人間性は似てるかもね、704氏と行太郎 >>705-706 山崎かよw お前らのお里が知れるなw 山崎なら、この間、書評で松浦輝におべっかを使ってたがw >>694 の画期性が分からん奴はしょうがないw >>708 新聞に書評が出てたので、初めて山崎の文章を読んだ。 俺がお前らと同レベルな訳がないw 消えろや、バイキン野郎w >>704 うんこ煮てるんだからサタンじゃなくて農業神サトゥルヌスのほうじゃないの? >>714 尾崎翠の第七官界がsaturn=chronos=時間であり、第七官界彷徨とは 過去の時間の中を彷徨するという意味なのではないか?saturnの息子の jupiterは未来を予測する第6官の象徴だ。 尾崎翠は五官を現在の視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚とし、未来を予知する 能力を第6官、過去を追憶したり、無意識を拾う能力を第7官としたの だろう。これが、saturn=chronos=time=pastのmysticismと一致する。 fiona macleodやyeatsが熱心だったカルト・クラブの the hermetic order of the golden dawnの窮極の目的は alchemy of consciousness(意識の錬金術)を達成することだったとすれば、 意識の流れを叙述するのがそれに相当すると言って良いのではないか。 yeatsのsong of wandering aengusはdream of wandering aengusが その原型であり、意識の流れのプロトタイプとも言える。 joyceはceltic revivalの詩人達より自分の方が上だと主張したけど、 尾崎翠はyeatsやwilliam sharpの中にはっきりと、意識の流れに向かう 萌芽を見つけていたのだと思う。 第七官界彷徨の出た昭和6年の前年の5年から雑誌『詩・現実』で ジョイスの『ユリシーズ』の連載が始まり、その前の4年には 土井光知の部分訳と解説も出てるし、川端は5年11月に 『針と硝子と霧』という、自ら認める、ジョイスの意識の流れの影響を 受けた作品を発表し、横光もそれに倣った作品を続いて発表したように、 当時は「意識の流れ」ブームだったんだな。 *メベッド・シェリフの論文「昭和初期における「意識の流れ」受容を 巡って ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』と川端康成の 「針と硝子と霧」」を参考にした。 >>716 俺がコテハンだったことは一度もないが。 >>717 コテハンよりもコテハン状態っつーことよ。君の場合。漏れ漏れりん。 >>718 だからayanarinでもマグナでもないってw >>718 おめーは誰に対してもそう言ってるな。精神科行けキチガイ >>721 我輩の名は変態マントおじさんだよ フハハハハ! >>723 歴史の浅い文化ってのは語彙が貧弱なんだよ。 当時の朝鮮人が話していたのは、カラスの鳴き分けよりも語彙の乏しいものだった。 だから政治や学問にも充分使えるように、日本が共通ハングル語を定めて教えてやったんだろうが。 手マンは痛いから嫌い。 女友達たちに 「あいつ手マンしてきやがって、マンコが痛いんだよ〜。ムカつくんだけど」 とか、言いふらすもん。 自分のはわかりづらいから 他人のチンコマンコを嗅ぐしかないね。風の谷の ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる