【魔の山】トーマス・マン【ヴェニスに死す】
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無かったので、建てました。
皆さん、トーマス・マンの作品について、語り合いましょう! ヴェニスの死す、しか知らなくてごめん
勉強して出直してくる 高校生の時に、高橋訳の「魔の山」を読んだ事があるけれど、セテムブリーニとかの話が、さっぱり意味不明だった。
「魔の山」を理解するには、かなり教養が要りそう。 、『ヴェニスに死す』は、作者マンによって、近代ヨーロッパ的秩序=理性が、
海に象徴される原初的美=混沌の前に、その虚構性を暴かれつつ滅びていく作品であり、
この『ヴェニスに死す』で描かれた「死=理性の敗北」と対になるのが、
「死への憧憬から生への意志」への転回、一種の「再生」を描いた『魔の山』だと説明されています。
岩波の「ブッデンブローク家の人々」、絶版なのかあ。
岩波以外に訳無いよね? ブッデンブローク家の人々ってもう売ってないの?
wikipedia見たら2人翻訳してるみたいだけどどっちがいいんだろ。俺も読んでみたいんだが。 >>8
俺はこの川村訳で読んだ。名訳だね。
古本屋で河出版売ってるだろ? 『ヴェニスに死す』面白かったな
冒頭はクソややこしい文章だけど 光文社古典新訳文庫にもマンあるんだね
先月発売したらしい詐欺師フェーリクス・クルルの告白、さっそく買ってみたわ >>12
ノーベル賞はこの作で取った。とても面白いよ。 『魔の山』は集英社の円子修平訳がお勧め。今は絶版か。 最近数作読んで好きだと思ったけど同時になるべく早く卒業したいものだとも思った 円子修平訳で『ファウストゥス博士』を読もうと思っているが、
なかなか読み始める機会がない。本はあるんだがね。 3年前にファウストゥス博士読んだっけ
そして今年ドイツのTV映画版も買ってみた
英語字幕版だがちょっと難しいw
ところで最近出たベニスに死すは新訳なのかしら
短編小フリーデマン氏は泣ける
自分も魔の山とブッテンブローグに挑みたいが読書時間がとれず断念中 映画版のタッジオでかすぎだろ
いくら監督が掘れてたからって・・・ 小フリーデマンは救われないねぇ…。
短編なら、幻滅とか悩みのひとときが好きだな。
幻滅のああいう気持ちを、二十歳過ぎであそこまで形にできるのはすごいね。 >>18
作中人物〜読者という距離感があるからこそトニオはトニオであることを気付かれ好かれてると思って。
トニオのような読者は、トニオと自分を被せてるだけじゃダメだとも自省を込めて少し思ったわけです。
狭間にいてしまってることを受け入れつつも、直視しつつも、やっぱり狭間に留まっていることにも抗いたいというか、
抗わざるをえないという気持ちを大切にしたいとか思うんですよね。(少しこんがらがってきた)
俗人でも芸術家でもないと言いながらも結局トニオは小説家でいるからこそ?トニオとして生き続けているから(?)
小説家として生きられない大半の読者はそう思うともっと別の物も読んだり、
トニオの先をもっと考えるべきなのかなぁとか思ってしまう。(かなりちんぷんかんぷんに…すみません…) トーマス・マンは大好きだけど、作家業じゃないトニオを見てみたかったなぁと。
というか他の作品も見てみます。なんか駄文長文すみませぬ。文学部じゃないしバカでした。 いやいや!
作家でないトニオとは!
考えたことがなかったけれど
なんと豊かな想像力!
すごい! 物語としての面白さは
『ブッデンブローク』 > 『ヨセフ』 > 『ファウスト博士』
かな 魔の山なうだけど、読みやすいけど長いよこれ!うぉう! 大きな書店いろいろ探してもないから諦めてたが、
埼玉の辺鄙な街の小さな書店でブッデンブローグ置いてあって泣けた あー楽しみ オレの好みは、魔の山よりブッデンブローグ。
ブッデンブローグは繰り返し読みたい愛読書。 >33
泣けるほど素晴らしいのか…
トニオ、魔の山、ヴェニスしか読んでないが、頑張って探してみるかな… ブッデンブローグってもしかして希少なのか!?
二年前に渋谷のブコフでブッデンブローグ全一巻600円を発見して迷ったが
荷物になるからスルーしちゃったよ・・orz 「ヨゼフとその兄弟」を読んだ人に聞きたい。
予備的な学習として何を読めばいいのか、まじめに答えて欲しい。 ブッデンブローグじゃなくてブッデンブロークね
Buddenbrookだから 魔の山以降は、なんだか、日々勉強して書きましたって感じで、
それまでの、ぐいぐいと引っ張っていくような力がないな >>42
面白かったよ。
創世記の該当箇所を読んだことがある程度の予備知識しかなかったけど。
ゲーテだかが、(聖書の記述を)あまりにも面白いのにあまりにも短い、とか言ったんでしょ。
物語の面白さは保証付き。 そうか、面白いか。
ますます読みたくなった。
ところで、「創世記の該当箇所」とはどこか教えてくれ。 >>45
サンキュー。
早速読んでみるよ。しかし、結構長いな。
他に、準備として読むべきものはないかな?
そんなに面白いのに何故読まれないのだろう? 「神の剣」冒頭の晴れやかなミュンヘンのたたずまいが好きだ。 ナフタが現れてから妙にムズくなってきたんだが。
あと680ページ…部分的に小難しくなってるだけであってほしい(^p^;) けど、やっぱ何度も読み直してみると面白いすね。
なんとか粘る! 『魔の山』は、従兄弟が死んでからは、作者のモチベーションがだいぶ下がっているように思う。 俺の中二病を拗らせた要注意作家だった。
ヨゼフとその兄弟たちの世界には没頭したな。
お陰で話が回りくどい、趣旨を早く話せ、
長文ウゼェと言われる性格になった。 長編は魔の山以外なかなか売ってないね
光文社の新訳で2つなんか出てて気になる(評判はなんとなく悪くなさそう?) ブッデンブローク読みたいなあ
書店で見かけた方いますか? 天才的巨匠。もうこういう文学が出る環境ではないのだろうか。
結核文学の最高傑作、「魔の山」
芸術家の悲哀を描いた短編、「トニオ・クレーゲル」
ヨーロッパの斜陽の美学、「ヴェニスに死す」
文学はやっぱりこうでなくちゃ。美と思想と表現技法。
滅びの美学と言っても、太宰とか梶井とかみたいなのはもう読みたくない。美しくはない。 しかし今は仕事が忙しすぎて頭とカラダが破裂しそうなんで、
今日のような休日に堀辰夫を読むのが精いっぱいだ・・
日曜は映画と読書と散歩と買い物ってとこだな・・・魔の山は読む方にも時間とエネルギーと余裕がいる。 やたらと飯を食う場面が出てくる小説だな、『魔の山』はw
小説としては『ヴェニスに死す』の方が面白かったな。
ま、三島先生がマンを好きな理由が何となく分かったけどねw ヴェニスに死すは面白くはない。
美的観賞のつもりで読むもんだとおもうが。 というか『魔の山』はなんであんなに長くなったんだろうね。
三島が『文章読本』の中で「よい短編作家は論理的で細部にこだわるからよい長編が書けない」って
言ってたんだけど。
確かに魔の山には無くても障りない箇所が多いし… 映画監督のヴィスコンティは『ヨーロッパ的デカダンスを描かせたらマンか
私』と言ってたな。『ベニスに死す』も作っちゃったけどね。
実際彼は『魔の山』も映画化の構想があったんだけど予算か何かの関係で
頓挫しちゃったんだよね。
三島は『地獄に堕ちた勇者ども』っていう映画を『生涯忘れえぬ映画』と
絶賛してたんだけどこれもマンの影響を大いに受けた作品。
生涯忘れ得なかっただろうね、観た翌年に三島は死んじゃったんだからw マンは自分の素質の中にデカダンがあるのを見抜いていたから、必死に抵抗してたな。
たぶん、若いころ、世に出なかったときに、まわりの芸術家崩れの連中のいやな部分をさんざんみたせいもあるんだろう。
そういった雰囲気は森鴎外の同時代の翻訳物なんかでも感じられる。 ファウスト博士(下巻)、ブックオフで105円で売ってた。
探してみるもんすなー。上巻ないからまだ読めないけどっ。 勉強して書きましたというのは
ナチスとトーマス・マンの戦いは
精神的に兄弟同士の戦いだったからだとか
どこかで読みました
勉強と執筆が同時進行だったわけです
わかりにくいのも道理と言えます
岩波で読んだブデンブロークはつまんなかったよ。
新潮の魔の山・ヴェニスに死すより、3-4段は落ちる。読まなくていいと思う。
家族ものならモラヴィアの「無関心な人々」の方が素晴らしかった。 マジかよ 岩波を積読してるわ
岩波のが売ってあったことすら奇跡だったから仕方ないが(´・ω・`)ショボ-ン トーマス・マン批判となると、誰が有名になるんでしょ?
他人の発言を探すより、やっぱまだ未読けどハインリヒ・マンとか、
家族を調べてった方がいいのかな。 「選ばれし人」っていうのも結構いいぞ。以外に知られていない。
少し「ヴェルズングの血」みたいなところがある。
唯一の戯曲「フィオレンツィナ」もいい。 面白いよ、ブッテンブローグ
これで、マンに嵌った
魔の山もすきだけど ファウスト博士
ttp://www.iwanami.co.jp/shinkan/repub/2012/07.html 人は記憶型と思考型に大別できる
記憶型はブランドに弱い
権威や有名なものに釣られるのよ
んでリーダーには向いてない
よって権威ある有名なリーダー養成所に集まるのはリーダー不適格者ばかり
ブッデンブロークでトーマスは何で死んだの?
ブッデンブローク家の屋台骨を一人で支え続けたトーマスが死んでブッデンブローク家が一挙に崩壊に向かってゆく有様の叙述は圧巻なんだけれど。 ブッデンブロークスの座右は森川俊夫、でも私も川村さんの方が好き。
『魔の山』の座右は高橋義孝、でも関さんの方が好き。高橋さんを私は全く好きになれない。 圓子訳はネットで評判がいいので読んでみたが、高橋(義孝)訳のほうが私には合っていた。 台湾人の友達の家に『魔の山」中国語訳があった。
冒頭は「一個普普通通的年軽人、在盛夏時節離開自己的故郷
漢堡・・・」となっていて面白かった。 なんとなく読めるけど地名(漢堡=ハンブルク)とかはお手上げだw この前テレビで田嶋陽子先生がこんなことを言ってた。
「私、(三島由紀夫の)豊饒の海を読んだ時、三島って
人は終わりだと思った。だってそうでしょ、トーマス・マンと
同じじゃん」
「豊饒の海」は読んだことあるけど、トーマス・マンと同じだとは
気づかなかった。 『魔の山』の好きな人物は誰ですか。
2人の青年がもちろん一番好きですが、セテムブリーニ氏が
ハンスを「エンジニア」と呼ぶのは嫌味みたいでおかしいし、
教養の無いショーシャ夫人も笑わせてくれます。それと
ペーペルコルン氏もなかなかの人物です。 田嶋陽子の、さっきその部分と思われるところだけネットで見たけど
田嶋嫌いだけどあながち間違ってないようにも思う 田嶋の言うことを真に受けるなよ。
なんでトーマス・マンと同じなんだよ。 俺も魔の山途中まで読んでるけど。 >>92
私がとても印象深かったのは、カーリーン=カールシュテット。結核末期(「モリブンドゥス」)の少女で、ボブスレーのように
遺体を搬送するベルクホーフの墓地を見学して「あそこで寝るのね」と言った場面。確かヨーアヒムが「脱走」した年のクリス
マスの頃に亡くなったと思う。
あと、シュテール夫人。「言い間違い婆さん」で無茶苦茶を言うのがおかしい。
「アルビンさん」。結核の末期で医者から見離されているという自信に満ちて、エキセントリックな言動を繰り返していた筈な
のに第一次大戦まで生きている。
ベルクホーフの院長も面白いですね。シュテール夫人は「おやじ」、セテムブリーニは「悪魔の手代」と呼んでいたと思う。
やたらとご馳走を食べるのは、当時の医療水準で栄養を取ることが明らかに結核の治癒率を高める面があったのは確かだと思う。
今の癌で様々な事を試みるじゃないですか。
あと、フェルゲ。やはり「モリブンドゥス」の一人で「難しいことは何も解らない」が、のち回復してヨーアヒム亡き後主人公
の相棒となったと思う。それがセテムブリーニとナフタが訳の解らん議論をしているのに付き合っているのも面白い。しかもそ
のサークルは主人公ともう一人クラウディアへの片想いが居て、サークル全体の統率者がクラウディアの愛人である「尻切れと
んぼの英雄」ペーペルコルンであるといった滅茶苦茶が成り立つのが「魔の山」なのだということなのだろうか? ペーペルコルンはゲアハルト・ハウプトマン(詩人・ノーベル文学賞)がモデルだとか 最後はハンスが戦地に向かうってこと自体は事前に知ってしまってたのもあって、
どういう心境の変化でそういうエンドに向かうんだろうと期待して読んでもいたので
終わり方としては少し物足りなさもあり。でもああいう風に気持ち無理やりに終わらすことしか
ないのかなと思う面もあり。とにかく物語は置いといて、とてもよかったので
もう一度言葉を拾いつつ、しばらく熟考してみるなう。 訂正)物語は置いといて → 物語について考えるのはひとまず置いといて
物語も楽しかったです。 最初に『魔の山』を読んだ時は例のワルプルギスの夜のあと、
主人公がショーシャとやってたことに全く気が付かなかった。
というか「わたしのクレヨン、忘れずに返しに来てね」という
ショーシャの去り際の台詞の意味が分からず
ああ、ハンスあんなに熱心に口説いたのに結局振られたのか、
と勝手に理解していた。
下巻のペーペルコルンとのやりとりは
そういうショーシャとハンスの関係を理解していないと
筋が通らないのだが、当時は「おかしいな?振られたのに?」と
首をかしげながら読んでいた。 >>98
クラシック音楽好きな人が読了すると、
あそこで自然にシューベルトの音楽が頭の中で鳴り響くと思う。
それはちょっと言葉では言い表せないような感覚であり、
懐かしさと、親しい人を亡くした時の寂寥感の混交に近い。 まあ、はっきり菩提樹を歌ってる描写があるからな。
戦場の轟音が菩提樹の旋律のなかにフェードアウトしていくラストシーンの余音。
あれ以上の終わり方なんてないよな
それは世界的な文豪が映画的表現に屈服した瞬間であった・・・・・
待てよ、「ヴェニスに死す」のラストにしても、とても映画的な表現だなあ 予備知識も先入見もなしに「魔の山」を読み始めたところ。
主人公(まだ名前が覚えられない)は、知的に秀でた人物として設定されてはいないんだな うむ。これから読了するまで、退屈だろうが、がんばってくれたまえ。
まさか、七年はかからないだろうが・・・・ リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大
ワーグナーに否定的な面もあるとも言われているが、読んだ全体的な印象としては
ワーグナーマンセーって感じだ。
次はファウスト博士の復刊読みます。 >>106
俺はリアルで7年かかったぞ。
ところでトーマス・マンって映画を観たことあるのかな。
意外に新しもの好きっぽいから、映画についてなにがしか言及していてもよさそうだけど。
それに、あと20年長生きして映画版『ヴェニスに死す』の感想を聞いてみたかった。
果たしてヴィスコンティとは親しくなれただろうか。 >>109
ヴィスコンティは気難しいからなあ。
黒澤明が会った時、怖くてビビったらしいから。 1955年まで生きてたんだから映画もそれなりに観てるでしょう
特にサイレント期のドイツ映画はフリッツ・ラングなどが活躍して黄金時代だったから
意識はしていたでしょう 「魔の山」や「ヴェニスに死す」のラストなんかは、
映画を知ってしまった世代ならではの文学的表現だと思う。
極端にいえば、マンでも日本の芥川龍之介や谷崎潤一郎でも、
映画が発明されていなければ、
あのような文学は成り立たなかっただろう。 ヴェニスに死すの映画は原作を超えたとは昔からよく言われた事だが実際どうなのだろう。
もちろんマンが小説というゼロから作り上げた種をまかなかったら、この世にヴェニスに死す
は存在しなかったのだが、それを差し引いても映画が上なのかどうか難しいところだ。 あのヴィスコンティ作品は映像のタッチとマーラーの音楽が絶妙にマッチしていた。
感銘の大きさは確かに映画の方が上だな。
「ドクトル・ジバゴ」は小説の方が上。
「シェルタリング・スカイ」は映画の方が上。 そういえば、「小フリーデマン氏」だったかな、ずっと以前に読んだんだが、
主人公が突然、心臓病で倒れるところの描写がヒッチコックの映画見てるみたいに、
視覚的でシャープな印象だった記憶がある。 文学の映画的表現というのは、やっぱり映画の後に生まれたもんなの?
トーマスマンのスレで唐詩の話をするのも何だが
天津橋下陽春水 (テンシンキョウカ ヨウシュンのみず)
天津橋上繁華子 (テンシンキョウジョウ ハンカのこ)
という「公子行」の冒頭とか
洛陽城東桃李花 (ラクヨウジョウトウ トウリのはな)
飛来飛去落誰家 (とびきたりとびさって たがいえにかおつる)
という「代非白頭翁」の冒頭とかは
何となく映画的な映像の使い方だなぁと思ってたんだけど。
先に文学的表現としてこういうイメージの扱い方が存在して、
それを映画がなぞったというわけではないんだろうか。
文学や映画やそれらの歴史に詳しくない俺としては半疑問形に留めておくが >>117
視覚的な表現というだけであれば当然映画の誕生以前からあったわけだけど、
そこで挙げてくれた詩の文句はどこらへんが単に「絵画的」なだけじゃなく、「映画的な映像」だと感じたの? >>118
公子行の句なら、橋の下の水面→橋の上の喧騒という、視点の連続的な移動。
白頭翁の方も、桃李の花びらが舞い飛び→家の前に落ちるという一連の運動を喚起させる。 >>119
「映画的」かどうかは意見が分かれそうだけど、
スタティックな描写じゃないんだっていう指摘はよく分かりましたー
漢詩を味わえるのは素直に羨ましい 「ゲーテとトルストイ」よかった
「ドイツとドイツ人」も読もうかな 川村二郎訳のブッデンブローク家の人々を100円でゲット。
文庫本で再版しないのかね?
確かに売れるような本ではないのは分かるけど。 >>122
岩波文庫では歩みはのろいけど、順調に版を重ねていますよ。 ファウスト博士を読んでるけどこれの世界文学史上での位置づけってどうなんだろう
やっぱり魔の山やブッデンブローク家の人々と比べると散漫な印象も受ける
力作だけどね >>122
河出書房の世界文学全集だろ?
おれもその川村訳でブッデンブロークスを読んだ。
名訳だね。 高校時代、「ファウストゥス博士」の一節に惹かれてその部分だけ
暗唱していた。中世ドイツのイメージを描いた部分。
タウバータールのニクラスハウゼンに現れた聖血への巡礼の群れ、
少年十字軍、地を流す祭餅、飢饉、農民一揆、戦争、ケルンのペスト、
流星、彗星、重大な前兆・・・(円子修平訳)
私は好きな詞がある。
廢墟、暮春、春鳥、挨及、壁畫、藝術、故郷、刀、革、甕、踏青、種を蒔く、
その外イタリア、スパニアの地名、梵語、僧の名などである。
森鴎外「羽鳥千尋」 もうすぐファウスト博士を読み終わるが、やっぱり魔の山やブッデンブローク家ほど
語られないのも分かる。
マンの音楽に対する愛情や、ドイツ的なるものに対する批判と反省などいろいろ盛り込まれて
いるが冗長で構成力に欠けるような気がする。 ファウスト博士ってモデルの一人がニーチェらしいね
マーリオと魔術師とヨセフとその兄弟っていう晩年の作品はどうなんだろう?
魔の山、ブデンブロク、中篇ベニスとインゲ、この辺はやっぱり有名だしすごいよね。それに匹敵する作だろうか?
個人的にはフェリクス・クルルの評価も知りたいね。 >>130
物語としては、マンの小説の中で一番面白いと思う。「ブッテンブログ」よりも面白い。
まあ、元ネタが面白いからなんだろうけど。 「ゲーテとトルストイ」読み直したくなってきた
小説じゃないけど好きです 代表傑作1作だけが有名で後は地味という作家が多い中で、マンの打率は高いと思う 清水書院の「人と思想」シリーズにもトーマス・マンあるんですね
少しずつ読みながらほくほくしてまふ
人付き合いもなく、文学好きな方のように大量に本読めることも読もうとすることもなく、
少ない資料でひたすら脳内で作家と格闘してる系ガチぼっち フェリクス・クルルはだんだんつまらなくなる。途中までは傑作だと思うけど。
第三巻とか列車の中のやりとり以降読む価値がない ブッデンブローク後の1903年あたりの作品、
特に戯曲のフィオレンツィアが気になります。全集(8)早く読みたい。 社交とかに顔をだす西洋的なかっちりした文豪としては20世紀最大だろうね
単純なインパクトとかではプルーストやロレンスやカフカには及ばないが トーマス・マンという名のヒューマニズムを越えたい
マンに従属されたくはにゃい 99人の著名なドイツ語作家・文芸評論家・ドイツ文学者が1999年に選んだ
Best German Novels of the Twentieth Century
1.Robert Musil: The Man Without Qualities
2.Franz Kafka: The Trial
3.Thomas Mann: The Magic Mountain
4.Alfred D?blin: Berlin Alexanderplatz
5.G?nter Grass: The Tin Drum
6.Uwe Johnson: Anniversaries. From the Life of Gesine Cresspahl
7.Thomas Mann: Buddenbrooks
8.Joseph Roth: Radetzky March
9.Franz Kafka: The Castle
10.Thomas Mann: Doctor Faustus 本物の芸術家というものが、実はとてもかっこ悪いものだということを見抜いている→「トニオ・クレーゲル」
中年以降大成し、市民に対する威厳と優越を克ちえた芸術家とその転落→「ヴェニスに死す」 >>139
ヨーンゾンのその遺作(6位)だけ未訳だね。読んでないわ。だれか訳してくれ。
マンが3作、カフカが2作も入っている。
ノサック、ホフマンスタールもいいのにな。
1位は不動だね。文句なし。 ヨーゼフ・ロートってドイツじゃメジャーなのか?
日本じゃ一部にしか知られてないが 日本で人気のヘッセが入ってないな。
ロートはいいよね。ボヘミアンの香りがする。 ヘッセは二流の文学者というのは世界的に定着してるのかな ま、小説って感じはしないな
どれ読んでも思想書って感じがする
ただ1流ではあるよ フェリクス・クルルって名前はキリスト教のフェリクス・クルパ(幸いなる罪)のもじりだって今気づいた。いや確認は取れてないけど ピーター・グリーナウェイがヴェニスに死すを再映画化するらしい 情報中毒な時代で人の考えを見すぎて、囚われすぎてよく我を見失いかけてしまうが
トーマス・マンを思うと、なんとかかんとか自分を取り戻せる感覚がある ソクラテスの弁明と国家(上)だけ読んだ
他のももっと読んでみるよ ブッデンブローク家の人々三冊セットで800円で買えた
かなり状態も良い
これだから古本屋巡りはやめられない そりゃ安い ネットで見ても中古1冊800円くらいだしね
そういや高橋源一郎もブッデンブローク最高だって言ってた
あの人、ゲーテ論集とか短編集とかも作品内に出してたしマン好きだと思う 魔の山ってさぁ・・・
ぶっちゃけて言うがデミアンのパクリやん 魔の山はデミアンよりも前、1913年から書き始めてる
一方でマンはデミアンを相当評価してたことも言われてるね、著者がヘッセだということに気付かない時から >>153
今日神保町の古本屋の100円バーゲンセールに3冊並んでたよ
古本屋の相場はわからんね 「ブッデンブローク家」は版を重ねているから、絶対量が多い。 マンの二項対立に梱包されてはいけないぃぃぃ あああーーー 今日大学の図書館に行ったら、ブッデンブロークが借りられてた
人気あるんだな マンは好きだけど、三島は読む気しない
数作トライしたけど途中で飽きてしまう そういやトニオとかが好きだって異性の人って、
どういう意味で好きって言ってんだろ 講演集にある「ドイツ共和国について」読んだけど、ずっとモヤモヤモヤモヤしてしまった
センチメンタルな反啓蒙主義こそが敵だ(同時にこれは恥辱だ)とするあたりはなんとなく整理できた気がする一方で、
でも人間性を語るあたりはなんか突っ込みどころが多いような、
マンこそがその恥辱を乗り越えないのかよと思うような?なんかこんがらがってきた
シュペングラーを学者としての思い上がりだとするところとか。んんん… 非政治的人間の省察はまだ読んでないけど、
マンは政治語るのは下手というかセンスはないんだろうなというのはなんとなく感じてる マンは政治と市民社会は双方相入れないものと考えていたんだろうか
まず個人の自由があって−倫理=市民社会でなりたっていたものが
国家政治の出現が個人の自由すべてと社会を束縛し、膨れ上がった倫理のみが市民を形成する
それは真理ではないけど、さしあたって具体的な反論もできないというジレンマ
ファウスト博士のWW1後の世界はその辺のモヤモヤがすごく伝わる気がする 市民社会:おそらくA型(的な人)の幸せを守るためにある場所
倫理:A型の平静を守るためにふわふわ作られる人とのあるべき距離感
B型(的な人):市民社会(混じり合って仲良くし合う場)は永遠の(強い)憧れ、
しかし現状の倫理は自身には(あくまで運命的に)窮屈で(人並みの平静を持つためには)市民社会から離れざるを得ない人
個人の自由が規格外すぎて市民社会ではただの放埒(現実的に害悪)ということになってしまう人
市民社会の外に本格的に出ようとしないと諦念をいつまでも獲得できない人、
外に出ないとA型(的な人)が抱えてる「普通」に気付けない人
人間愛(直接的):O型が市民社会(という概念)を超えてB型に接しようとすること
人間愛(間接的):A型が市民社会の外を生きる運命の者に(あくまで)そこで幸せに生きる在り方を想像すること
リアル:A型が想像したものに(敬意は示しつつも)それはフィクションにすぎないことをB型が素直に示すもの
B型(再):平和的ではあるが、結局、人間愛をうまく持てない人。身近という概念をうまく持てない人
政治:みなが同じことを考える場所、とりあえずみんながつながった気になれる場所
とか考えたことはあった マンは人間愛を恥辱と捉えつつも、人間愛をテーマに書き続けた作家だと思うけど
おそらくA型か、もしくはA型(的な人)のふるまいをすることで
市民社会になんとか留まる生き方を見出せたB型かもな、と予想。
詐欺師になれた(運命に抗えた)B型、的な人。
(なに書いてんだ、自分…) マンを詐欺師呼ばわりとは
なかなか通な方とお見受けした ヒューマニストはみんな詐欺師ですたい
だから人はマン的なものにいつまでも留まってたらいかんとです
人間愛なんてのは、乗り越えるためにあるもんですたい、たぶん ヨセフとその兄弟は面白いの?
読まなきゃと思うけど、不意に腰が重くなる。 裕福な家庭の子ってもっとも人間関係詰んでしまう不幸なタイプだと思う 随分昔だが20世紀の傑作というので「魔の山」を読んだが
ああなるほどこれは傑作や!というほどは読み込むことができんかったな
金持ちのぼっちゃんの療養生活記が自分の心に何をもたらしてくれるのか分からんかった
ただ以前に読んだ「命の初夜」とか福永武彦の小説とかにも通ずるものがあって嫌いじゃないなとも思った ??「自分の心の貧しさを他人のせいにしてはいけないよ」 全集買って最初から読んでるけどブッデンブローグって25歳くらいの時の作品なんだね
たいしたもんだ俺25の時なんてエロゲの事しか考えてなかった えらいねえ全集読むなんて
あれを25歳で書くなんて天才だね
マンの創作意欲は死ぬまで衰えなかったのもすごい バルザック原書で読んでたらしいからフランス語はできたのかな。 アメリカに数年住んでたし、出版前の自作の英訳のチェックもしてたらしいから英語も達者だったのでは マンは学校とかではどんな青年だったんでしょ
学校での成績とかは悪かったような気がしたが、人付き合いとかはどうだったのか気になる ハンパな引用に思えたし、ゾルゲっぽい奴にカストルプと名付けてたのはなんだかなぁと思った ?いや、魔の山を出す必要あったかね、なんのために出したのかね的な。 マンの講演集的なの読んでるけど、マンってしばしば市民階級側アピールしてるけど金持ち家庭の子なんですよね? 庶民面をするのが特権階級。
名家ぶるのが成りあがり者。 経済的には裕福だったみたいね。
他の作家を支援したりしていたようだし。 支援とかもしてたんすね
ブッデンブロークも読んでみます ブッデンブローク家の家系図が描いてあるサイトとかないかなぁ
メモしてなかったからだんだんわからなくなってきたw http://next2ch.net/bookall/1379834614
こちら過疎なんで、気が向いたら何か書いてってくれれば嬉しいです
あるいは2ちゃん規制の時にでも 魔の山読み始めたけど、なんか知らないけど大好きな雰囲気だな。本なんて全然読まないからよくわからないけど。
北杜夫の木精で散々トニオが出てきたから、どんなもんかと思って読み始めたけど、なんかいいな。読み終えたらトニオの方も読んでみよう。
読み終えるまでにどのくらいかかるか分からないけど。 岩波の『魔の山』、字が小さくない?
10年前に買った時はあまり気にならなかったけど
大きな字に慣れてしまったせいか
読むのがつらいな 『ヨセフとその兄弟』は『ブッデンブローグ家』を想い出しながら書いたような作品だ 魔の山の下巻におけるセテンブリーニとナフタとのやりとりは
フリーメーソンが…イルミナティと薔薇十字団が…といった話ばかりで
要するに第一次大戦前後からあの手の話が受けていたんですね。 ヨセフ文庫で出してくれたら何巻になっても買うんだがなあ トーマス・マンは独語でないと面白くないと思う。
特に「魔の山」は原文でないと。
そんなに独語できなくても日本語と合わせながら読むと全然違う。 >>「そんなに独語できなくても」
この一文で独語でマンを読むことの楽しさ難しさが分かっていないのがよく分かった。 森鴎外は日本語でないと面白くないと思う。
特に「渋江抽斎」は原文でないと。
そんなに日本語できなくても独語と合わせながら読むと全然違う。 まあ○○だけが日本文のほうがいい、なんてことはないんだけどね
ま、スレ違いだから他所行ってね
ドイツ人でも日本語読めるんだもんね NHKのクイズ番組に昔出演していたハンス・プリングスハイム氏、トーマス・マンの
親戚だったという事を聞いた事がある。
そのクイズ番組名、忘れたけれど。 もう十年以上前ですがスイスのダヴォスに行きました。
中学生の頃から持っている「魔の山」第1巻(岩波文庫)を持参し、
ホテルのベットに横になって読みました。
横臥療法のつもりでした。 >>174-175
血液型による性格の違い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E
・当初は医学者、教育学者、心理学者などによって、
新しい学説の候補として提案されたが、
その後にその妥当性を巡って学会で議論が起き、
紆余曲折を経た後、学会で否定された。
だが、この説を説く一般向けの本が多数出版されたことや
近年日本のマスコミにより繰り返し流布されたことによって、
日本、韓国、台湾等一部地域で、それを信じる人やそれを信じている言説が増えた。
それらの国々では「血液型」は今や経済的価値を生み出す
コンテンツの一種となっており、無数の関連商品及びソフトが市場に流通している。
血液型と性格との間に特殊な関連を設定した統計的な検証も行われてはいるが、
そのような関連を裏付けるような統計データは得られていない。 >>174-175
科学的な根拠が存在しないにもかかわらず、
一部の人達の間で根強く科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられる
現在の血液型性格分類は数々の出版物により一部の者に信じられているが、
科学的検証では性格や気質と血液型との意味があると思われる関連性は発見されていない。
欧米諸国ではそのような血液型性格分類は支持されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E 「ハルトマン作品集」を読み終えた。
「グレゴーリウス」も読んだ。
でもマンの「選ばれし人」は未読。 マンには第二次世界大戦を背景にした全体小説を描いて欲しかったね
あれほどの大惨事、大事業を多角的に徹底的に描き切った作品は
まだ世界に現れていないからね
20世紀の「戦争と平和」を読んでみたい この人はなんで第一次世界大戦に従軍しなかったの
当時39歳か年齢制限かな
普仏戦争もちょっと前だね
戦闘を経験してたら違った作風になってたかもね
三島と同じで書斎の域をでていないからね
もっともそれがいいって思う人がマンの読者なんだろうけど トルストイは兵士経験あるしな
まあ経験がすべてだとは全く思わないが、すごい経験をしている人間の書き物には迫力があるのは分かる
ウィトゲンシュタインとかもな >>220
血液型占いの真偽(マジレベルの話)は知らないが、血液型占いの影響力はもう普通にべっとりあるんだから
A型的な人、B型的な人、ってのは普通に通じるよ 域をでていないあたりがいわゆる普通の人間らしさが出てるというか、
だから人間とか普通の人とかって概念について考える際にわりとマンが参考になった人がいるんだと思う >>226
いや通じてないよ
影響力による性格の違いが出ているという結果は出ていない 科学的な根拠が存在しないにもかかわらず、
一部の人達の間で根強く科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられる
現在の血液型性格分類は数々の出版物により一部の者に信じられているが、
科学的検証では性格や気質と血液型との意味があると思われる関連性は発見されていない。
欧米諸国ではそのような血液型性格分類は支持されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E
肯定派の説はどこがおかしいか
肯定派が唱えている説や論理展開はどこがおかしいのかをまとめると下のようになる。
速断: 不十分な証拠で結論を急ぐ。たまたまいた一人だけを見て、 X型は〜だと一般化する。
偏った証拠を根拠: 統計的手法を誤ったり、データを選択的に使用したりする。
つまり、母集団の性質(性別・年齢等)が偏っている、サンプル数が少ない。
そして、 自説を裏付けるような事例だけを用いてそれ以外は無視する、
自説に都合のいいように 文献を引用・解釈する。
手前勝手な議論: 問題を自説に都合のいいように扱う。同一の事柄でも状況により、 肯定したり、否定したりする。
また、否定派の理論・実証を無視したり、 実証を独自の理論で覆そうとする。(理論で実証を覆せない。)
架空の議論: ある意見を自分の都合のいいように解釈、議論を進める。
話題をそらす: 真正面からの議論を避ける。(そのため、話が全くかみ合わない、 話にならない。)
また、反証されても、その場しのぎの仮説を用いて反証を逃れようとする。
世論を根拠とする誤り: 正しいとは限らない世間一般に考えられていることを根拠にする。 血液型をめぐるこれらの「考え方や見方」を支える根拠は証明されておらず、
本人の意思ではどうしようもない血液型で人を分類、価値づけするような考え方は社会的差別に通じる危険がある。
血液型判断に対し、大人は“遊び”と一笑に付すこともできるが、判断能力に長けていない子供たちの間や
大人といえど場のノリに支配されたリテラシーの低い者の間では必ずしもそういうわけにはいかない。
ネタだから甘んじて
\受け入れる/
.∧_∧ ∧_∧
;;;;;、(・ω(:;(⊂=⊂≡ <`∀´ > はいこれはネタだからw
(っΣ⊂≡⊂= ⊂≡ ⊂) 会話のツールだからw
/ B ) ババババ ( \
( / ̄∪ ∪ ̄\ )
これはただのネタ
\芸人のいじられと同じ/
∧_∧ .・,'∧_∧;,. ∧_∧
< `∀´>つ≡つ);;)ω(;;(⊂≡⊂=<`∀´ > そうそう、ネタだからw
(っ ≡つ=つ (っ ⊂) ⊂=⊂≡ ⊂)
/ ) ババババ | B | ババババ ( \
( / ̄∪ ∪ ̄ ∪ ∪ ̄\ ) >>228
A型はこういうタイプ、B型はこういうタイプと言い続けてる社会に
自身が影響しないわけがない。日常会話レベルで行われてるんだから >>212
マンは「ヨセフ」以外は、文学作品はすべて独語、翻訳を読みました。
「ヨセフ」は、その題材が旧約からして好きではないし、マンの解釈も全然合わなくて。
「魔の山」は、読んでいると、本の間からサナトリウムの風が吹いてくるような感じ・・・
「ブッデンブローク」は、溶けそうな雪の上を歩く音が聞こえる感じ・・・
「トニオ」では、風に吹き飛ばされるような感じ・・・
そんな箇所がありますね。 >>231
馬鹿ですか? こんなのがマン読んでるとか身の丈に合ってなさすぎ
血液型の話題は今後スルーで >>233
なにがバカなの?
真偽とは「まったく別次元の」一般レベルのところで影響力があるからずっと日本にはこの手の話が出るんだろ
マンだって同じ。人間愛とか人間性とか民主主義なんてものはタチ悪い概念でしかないけど、
あえてそこに向かってる作家だし 人間愛と血液型とどう関係があるんだよw
和民での合コンならともかく、インテリ同士の会話で血液型の話題が出ることなんて皆無だぜ? >>234
おまえバカなんだから村上春樹でも読んでろ
二度とこのスレにくるな >>235
真偽じゃなくタチの悪い概念と向き合うという点で。
インテリ同士の会話に限定してる時点で間違えてるわ
本当にインテリなら人間性とかすら話題にしないでしょ >>237
春樹でも読んでろってレス自体がいかにもバカらしいわ はいはいお前お利口お利口
でも血液型のウンチクなんぞスレ違いだから早く消えてね 魔の山を読み終えての疑問なんですけど、この小説の語り手は誰なんですか?
あと一人称の「私たち」はなんで複数なんでしょう
普通に語り手プラス読者で「私たち」なのかと思ったら
途中「私たち」と読者が区別されてたりしてよくわからないです
ナフタがイエズス会の人間だと知らされるところでハンスが
ナフタの「私たち」って一人称に引っかかった所とか読むと意味ありげに感じるんですが 三人称小説で語り手が出てくるのはスタンダールにもフローベールにもある
昔から続く物語的手法の一つだろ 義弟(?)のクラウス・プリングスハイム氏は、
亡くなる1か月前に上野駅で見かけた事がある。
背の低い人だった。
カーチャさんの身長は知らない。小塩先生に訊いたら分るかな? ヨセフ文庫化して欲しいな、何冊になってもいいから
ちくまさんお願いします >>249
そんなことないと思うけど。高橋訳ええやん。 冒頭どの訳も
> ひとりの 単純な 青年が
となってるけど「素朴な」ではないの?
「単純な」という語の選択に違和感ある 考え方が単純、みたいに考えると合ってはいるな
その文に相応しいかどうかは知らないが 小説の出だしだから
ある人物が「単純」だとするには無理があると思うが 魔の山だと岩波の関・望月訳と新潮の高橋訳の他に、昔の筑摩の世界文学全集や世界文学大系に佐藤晃一訳があったはずだからそっちあたってみたら?
世界文学全集の端本はブコフでよくあったりする
古い翻訳だから大差ないだろうけど
岸さんが古典新訳文庫で出してくれればまた印象変わるのかな 原文知らないからなんとも言えんな
原文が「素朴」でも向こうではどちらかといえば「単純」に近いのかもしれないし オレの周辺では、圓子修平訳(集英社の世界文学全集)が評判いい。 原文は知らないけど俺は「単純な」の方が好きだな
カストルプを語るなら 芸術家はバンカーの風体をしていなければいけない。
何故なら芸術家の内面とは犯罪者そのものだから、
私にとってこれがトーマスさん。 マンを読んでいるならあれに対して引用かどうか聞くやつに「えっ?」て聞き返したくなるのも分からなくはない
マンのスレだしねえ >>269
>マンを読んでいるなら
質問者>>261がマンをどれだけ読んだ上で聞いたのかわかるわけもないのに
わかった気になって下手な突っ込みをしちゃいましたというのはわかったから なにいってんだこいつ
自演まるわかりなことするなよ >>272
煽りまでショボショボとは
つまらん絡みをするな >>101
主人公とショーシャ、やってたの?
ショーシャって主人公に対してそういう感情あったっけ?
てかショーシャは既婚者じゃないのか? 「魔の山」休日の折に読み進めて二ヶ月弱、ようやく完読。
20代で読んでおくべきだったと、31にしてつくづく思う。
それにしても偏執的なまでに語られる、時間と愛・精神については
これまで自分の中で曖昧模糊としていたそれらを
確かな一つの概念として形作ってくれた。
ただ、あのデンマークの気違い小娘がベルクホーフの
住人達を幻惑する章は本当に興醒めだった。
再読する際には読み飛ばすべきだな。 米國加洲時代の回想は、何か纏って書き残しているのかな?
隣の家にブルーノ・ワルターが住んでいた事だけは有名だが… さっき古本祭りでファウスト博士3巻(1954年版)1000円買えたー、気合いで読むべ!
日本で人気のドストエフスキーは1冊しか読んでないけど、マンはこれでほとんど読むことになるるん
身近の誰とも語れないから虚しくもなってきたが…(笑)
分人の平野氏がたまにマン関係のツイートしてるのを見て、密かにほっこりするくらいだ(笑)
>>278
アメリカで行われたものも含まれた講話集ならあったと思うけど、
回想となると(自分は未読だけど)マン日記とかしかないのかな? ブッデンブロークの家系図や登場人物紹介とかってどこかにありますか?
途中まで読んでたものを久々に読もうと思ったら誰が誰だかわからなくなった… ブッデンブロークは何度も読み返すべき、と言うか、それだけの価値がある本だと思うけどな ブッデンブロークってそんなに長くないじゃん
読み返せ読み返せーそして家系図を自作してうpするよろし 以前どこかに家系図メモったんだけどなくしたんだよなぁ、読み直すお 河出の文学全集の川村二郎訳はブッデンブロークの家系図あったよ >>287
わわーっ、情報ありがとうございますm(_ _)m
図書館でコピってきます ずっと前に「マリオと魔術師」の文庫本が出たので書店で注文し受け取りに行ったら
レジの女の子に「それマンガですか?」と聞かれたよw >>285
読み手によって受け止め方はさまざまだと思いますが、
欧州全体の文化的俯瞰、ドイツの伝統思想、ショーシャ夫人に見られるような東洋的魅力、
サナトリウムを含むダボスの自然・風俗・行事、さらには宇宙、
そこに浮遊する人々・・・いろいろでしょうね。
「ベニスに死す」などにも見受けられると思いますが、
主流は、市民的で健全な実生活&退廃的と言って良いような文化生活の対立かな? 世界史に詳しい読者からすると魔の山は結構笑い所があるらしいね 世界史に限らず宗教等の知識があればあるほど、マンのイロニーやギャグを楽しめるってことだと思う
まぁ俺は前提の知識がたいしてないから生真面目に読んでたけど 俺は>>291じゃないけど,例えば「進歩的知識人」のセテムブリーニが,民族自決主義的な立場からハプスブルク帝国を批判しているのに
ハンスたちが「じゃあロシア帝国はどうなんですか?」って突っ込まれると,ロシア帝国はイタリアの敵であるハプスブルク帝国の敵だから批判を控えるとか。
冷戦期の進歩的知識人がベトナム戦争を批判してプラハの春にはもごもごもごって口を濁すのを思いだしてワロタ。
第一次大戦前のイタリアの西北国境のイタリア語圏はハプスブルク領で,イタリアは自国への帰属を主張して激しく争っていたんだよな。
『ヴェニスに死す』にもそのネタがでてくる。
アッシェンバッハは,当時ハプスブルク領だったフィウメから観光船でヴェニスに入るんだけど,フィウメはイタリア語圏でアッシェンバッハの相客はイタリアびいきなんだよな。
で,当時イタリア領だったヴェニスに入って,ヴェニスでイタリア軍が「おいっちに,おいっちに」って訓練しているのを見て
観光船のイタリア系の客は「いえーい」と盛り上がる。
ヴィスコンティの映画でもその場面はちゃんとフィーチャーしていた。 >>296
普通の描写であって、あまり笑いどころでもないような・・・ ブッデンブローグって25歳くらいの時の作かよ
えらいな、俺25の時なんてローソンでバイトしかしてなかった 25歳のとき、エンジニアとして会社勤めしながら、
「ブッデンブローク」「魔の山」「失われた・・・」を原文で読み始めていた。
文学を専攻したかったが、経済的理由とか色々あってできなかった。
でも、それだけ余裕のある職場だったから恵まれていたんだろうな。 Amazonで岩波ブッテンブローグ買った
ついでにファウストとロッテもと思ったら品切れになってた・・・休刊早いよ 図書館に新潮社の全集があるでしょうから、それを借りるしかないですね。
こういう本は早い者勝ちだから、友人とかから情報を得たらすぐにゲットしないと。 フェーリクス・クルルきっかけでこの作品のモデルの人のこと色々調べてたけど面白いね
これ読んだ後、種村季弘の詐欺師の楽園も読んだけど面白かった。マンのことも割と書かれてる twitterでちょくちょくマンをワード検索してるけど格言ばかりひっかかって萎える この本を肺結核の治療史として読むのも面白いんでないかな?
この本で、1900年当時、欧州ではX線で胸の検査が行われていた事がよくわかる。
日本で、東京帝国大学病院や京都帝国大学病院にX線が胸の検査ツールとして
導入されたのは何時なんだろうね。 病院での利用開始は知らないけど、1898年に日本にX線撮影装置が輸入されており、
1909年には国産機が開発されているらしい
ウィキペディア情報。 ショーシャ夫人のレントゲン写真を隠し持つ主人公とか。
そいえば、冬でも毛布にくるまって日光浴する療法は、
宮崎駿の「風立ちぬ」にも出てきたね。 「魔の山」最後の方でどうして急にオカルトになっちゃったんだろう
いとこの降霊話で一気に覚めたわ
アレさえなければ本当の名作なのに いや、ナフタ登場の段階で近代魔術の話が振られていますが。
あの小説がかかれた時代はドイツに限らずオカルトが跋扈していたわけで。 『魔の山』は従兄弟が死んだところで終わってほしかった。 オカルトに関心のない作家,文芸評論家は現代でも少数派だろうw 第一次世界大戦勃発で、下界に降りていくための
すべては伏線ではないだろうか。
軍服姿のいとこを呼びだしたりね。
マンとオカルトとは特別の関係がある。
実際に交霊術を体験した折の、複雑な胸のうちを漏らしている。
決してオカルトに易々と魂を売り渡したわけじゃない。 前半に出てくる生物学に関する話は当時の科学水準が分かって面白かったよ オカルティストは認めつつも、心霊主義者(スピリチスト)とは区別してるのがマン.
前者は超自然の「探求」だけども、後者は霊魂を喚び出すために
排他的なセクトを作る、それは自己満足的な陶酔であって違う、という感じみたい.
ただオカルティズムの誘惑に心身流れていくままだと、だんだんと
自身は心霊主義者に陥ってしまって、小説書くことにも支障が出てくるからとあって、
超人的な禁欲でもって距離を取るようにしたとか.
「詐欺師の楽園」(種村季弘)の「悪魔博士の正体」ってとこに書いてあるけど面白かった 医学者としての冷徹な目を携えつつ、論理で割り切れない人間の欲望や感情の揺れを愛し、描いた
複眼の流行作家だった。
「僕はね、うまく書けないときにこれを見るんだ」。平成24年に東京・渋谷の仕事場でインタビューしたときのこと。渡辺さんはおもむろに
人体解剖図鑑を開いた。「みんな同じ血管や筋肉、神経がついているでしょ。なのに頭の良しあしや足の速さには大きな差が出る。
人間って不思議だなあと思って書き残したくなるんだ」。科学の視点からこぼれ落ちる個人の能力や感情に思いをはせ、人間への興味
を再燃させる I don't want to answer the question in such a 糞 place. 「 糞 」 と思ってる場で
自分の好悪を表明するのがおもしろいね。 まだ上巻だけだけど、Buddenbrooksのコンズルとトーニの件は面白いですね 「魔の山」・・・新潮と岩波・・・どっちがお薦め?
ずっと前に読んだときは岩波だったような記憶があるんだが。
アホな質問で申し訳ありません。 >>324
高橋義孝訳(新潮)と、関泰祐・望月市恵訳(岩波)ですね。
高橋訳の方が、平易な日本語です。
関・望月訳は硬い感じ。
どっちがいいかは、あなた次第。 >>325-326
どうもありがとうございます。
文字が見やすいので、高橋義孝訳(新潮)にしました。
独文科ではないのですが、前に、半分くらい原文とパラで読みました。
単語をあらかた忘れていてお笑いです。
ハンスの大学はダンツィッヒだったんですね。
映画『ブリキの太鼓』を思い出してしまいました。
今度は読むのにずっと時間がかかりそうですが、そういうものなのだと思います。 >>327
ハンスが船舶工学を学んでいたダンツイヒでの日々を
描いた『カストルプ』という小説があるという。
ポーランドの小説家パヴェウ・ヒューレ Huelleの作品。
http://fundgrube.exblog.jp/630327
邦訳はないのかな。読んでみたい。 英訳と西語訳は出ていますね。
英語の解説より(素人ですので訳について責任は負いかねます)。
Pawel Huelle は、ハンス・カストルプの、大きな影響を受けやすい時期に関する
信頼できるシナリオを巧みに創作している。
冷静なドイツ人の学生が、プロシア帝国のスラブ語圏東端にさらされたときに
何が起きたかを想像している。
ハンスは、近い将来、経験することになる遭遇を予想させる人々、出来事、観念に巡り会う。
ハンスの妄想になる謎めいたポーランド人女性も含まれる。
『Castorp』は、20 世紀初頭に設定されており、2 つの世界大戦に至る
大混乱が始まった時点での中欧の雰囲気を忠実に再現している。
この作品は、ユーモア、謎、奇矯を込めて美しく描かれており、
欧州文学の傑作に対する感動的な捧げものである。
独語版はハードカバーで 2,000 円くらい、ペーパーバックで 1,000 円くらいみたい。 >>331
ありがとう。なるほど『魔の山』へのオマージュだね。
カストルプ青年がなぜダンツィヒで学んでいたのか、
若い彼がサナトリウムでのくらしになぜすんなり溶け込めたのか、
納得できるような仕掛けになっているんだね。
ダボスのサナトリウムが、大戦前のヨーロッパの縮図だったように、
20世紀初頭のダンツィヒも混沌のなかにあったわけだ。
ダンツィヒは、ドイツ人にとって(もちろんポーランド人にも)
特別な土地なのだろう。
ギュンター・グラスもダンツィヒに生まれたからこそ、
あれらの作品を書いたのだろうし。 マンって手紙で私は平衡の人間であるって言ってたらしいけど
結構思い上がった感覚だと思う 自らを平衡の人間と分析したマンに、思い上がりを感じる?
平衡の人間とは、どちらかひとつを選ばない、選べないということで
率直な心情吐露、冷静な自己分析だと思う。
これが書かれたのは何年のことか、わからないけれど
初めは政治に無関心だったマンは、第一次世界大戦後、転向する。
非合理的なもの、熱狂的なもの、ナチズム、などなどに対する
自らの姿勢を正直に述べたにすぎない。
若い時には非合理に魅せられていた。芸術は熱狂から生まれると。
非合理に耽る、ロマン的な心情はドイツ人の心性でもあるから。
そんな時代を経て、転向。平衡の人間と自らを見定めた。
ナチズムと対決するには、自らを斬る相当な覚悟がいったと思う。 >>334
マン自身も「と」の重要性は語ってたしそれには禿同だけど
それで言えば俺は「ナチズム」と平衡の人間、「非合理な人」と平衡の人間、
みたいな時の「と」にはあまりセンスを感じれないし好きではないですね
ナチズム等がタチ悪いのは勿論だけど、
平衡や保留にかまけてるというのもタチ悪いよ、と自分は思いますね >>335
自分は歳なので、腰砕けになるのよ、なんでも認めちゃう。
マンの不器用さ、小市民性を、愛すべきものに感じてしまう。
タチが悪い、センスが悪い、と責める気持ちになれないんだよね。
誰よりもマン自身が忸怩たるものがあっただろう。
そもそも芸術家と市民の生き方なんて、今の時代に流行らない。
でもそれを生涯かけて追求し続けた愚直な作家だと思う。 小市民性とあるけど、マンってどれくらいブルジョアだったんですかね?
調べ足りなくて自分はまだよくわかってないんだよね マンの実家を反映すると言われるブッデンブローク家の生活の様子は Youtube に上がっています。
たぶん事実に沿っていると思いますが。
「ブッデンブローク家の人々」予告
http://www.youtube.com/watch?v=9IRmUgLLm9Q
ハンス・ローター・ブッデンブローク
http://www.youtube.com/watch?v=ku0yE3ssiCk
「ブッデンブローク家の人々」朗読
http://www.youtube.com/watch?v=_HGtNDANvjk&index=1&list=PL02F7FE5ABDCDDAD8 「魔の山」予告
http://www.youtube.com/watch?v=goom4HBZYjI
これは NHK BS で放送されたことがあるはず。
「ヨアヒムが禿げている」「セッテンブリーニはイメージどおり」
「ショーシャ夫人はシャーロット・ランプリングが良かったのに」とか言っていました。
サナトリウムの建物は小説から再現してセットを作ったそうで、その関連の本も出版されていました。
ハンス役の青年俳優はとても背が高いので、衣装係が苦労したとか。 映画の「魔の山」、 NHK BS で見た。
山上のサナトリウムは下界とは異なる時間が流れる
浮世離れした場所、というイメージを持っていたが、
映画では弾丸のようにドイツ語が飛び交い、
喧騒のなかで物語が進んでいく感じだった。 小市民性ってどういうのを言うのかイマイチわからんです いい加減なことを書いてしまいます。
自分のイメージとしては、マンのところは中ブルジョワ。
トーニエが女子寄宿学校で一緒だった貴族の娘のところとブッデンブローク家では
生活水準はそんなに変わらない感じ。
ただし、貴族は領地の上がりで生活できるので働いていないし、
持ち物も由緒あるものだったりする。
「魔の山」のセテンブリーニとの対話にあったと思うが、
ハンスのいたのは、常にお金のことが問題になる残酷な世界。
サナトリウムでなら利息で生活できるが、
ハンブルクで、結婚し、家族を持ちながら、育った生活水準を維持したいなら
しっかり稼ぐようにと伯父に言われていたんじゃなかった? リューベックの豪商の出だから、ブルジョワもブルジョワ。
傑出した才能を与えられたマンの、
その精神の彷徨は、出自に抵抗して悩むこともあっただろう。
ただ、第一次大戦までは、ドイツへの愛国の思いが強く、
「非政治的人間」として反戦や民主主義的な運動に対立。
小市民というか市民として、保守的な立ち位置に在った。
その後に訪れた「転回点」がマンを変えたといわれるが、
ブルジョワジーの資質は変わりようがなかったと思う。 マンとハイデガーって接触したり、どちらか一方がもう一方について語った記録とかある?
ハイデガー読んでる最中でなんか少し気になってきまして 魔の山で語られる哲学が全部付け焼き刃な知識からくる思いつきで、薄っぺらく感じてしまうのは何故だろう? そりゃ文学は哲学より文学のが上ってのを示すためのものだからだろう。 トーマス・マンを大阪風にすると、山崎豊子っぽくなる。大阪の島之内には、没落して自分たちが食べていくだけを残して店じまいした豪商が結構いる。
ブッデンブロークは、北杜夫がオマージュをささげたからインテリっぽい作品になるので、
「のれん」「ぼんち」の作家だと、こてこてである。
ただし、マンは男の文学という気がする。どうでしょう。この辺。 庶民が生活のために束になって抱える利己的な偏見によって
運命的にツラい思いをさせられるプチ金持ち家庭の子供のための文学 >>347
これからは、山崎豊子を「浪速のトーマス・ウーマン」と呼ぼう。 マンにはユーモアがあるからな
やはり大人の文学でしょう 岩波の『魔の山』旅行先で読もうと久々に開いたら、1折目あたりからページが抜けて取れて悲しい。
さっき本屋行って、高橋訳の新潮文庫の方が製本上丈夫だったのでつい買ってしまった。
岩波文庫って厚い本になるともろいよな。糊を天まで入れてほしいわ 新潮文庫で読み始めて上巻の1/3ぐらいまできたが挫折しそうだ... 1/3でも200ページくらいあるもんね、たしか。笑 上巻の1/3の山を越えると
あなたも立派な入院患者に。
もう少しの辛抱だ。 上手い作家が書くと三分の一くらいで書けそうな話ばかりだし >>361
うまいんじゃなくて描写ができなくて
説明と会話だけしか実質できないから
3分の1にしかならないんだろ 『魔の山』は、はてしない時間と病気の進行と、
精神の彷徨、そして戦争の物語。
小説や短編ではないから、モーパッサンと比べるのは無理な話。 『失われたときを求めて』も『チボー家の人々』も、モーパッサンなら30ページにまとめてくれる。 モーパッサンなんてそこまで大した作家か?
「脂肪の塊」の一発屋に近い 「まとめ」ていいのは、テスト問題(○字以内にまとめよ)でしょ。
ロマーン(長編物語)に対して、ノヴェレ、エアツェールング、
などなどのクルツゲシヒテ(短編)などあって、
それぞれ独立したジャンルなんだけどね。 別に読むのに何年かかってもええんよ。
1日5回の豊富な食事と、高山の清々しい空気をゆっくりと味わいませう。 トーマス・マンはゾラと一緒で、長くなってしまう体質でしょ。
短くなってしまう体質は、モーパッサンやクライスト。 ドイツ文学の流れの延長にマンもあるのだから
ゾラやモーパッサンと並べても意味ないよ。
クライストはまず劇作家として評価するべきだし。
体質なんかじゃなくて、書こうとすることが違うと。 「モーパッサンなら30ページでまとめる。」って表現、以前に何回か見かけたことあるよ。
有名な表現なんじゃないの? >>373
長い長編小説を揶揄するのに、使われそうな言葉だね
私は教養が無いから、出典がわからないけど
日本で言えば、「芥川なら30ページでまとめる」ってなるのかな
あの人は、短くしかかけなかった人だから 「人生は一行のボードレールにも若かず」は
芥川のことばだね。
芸術至上主義というか、人の生の一断面をとらえて
鮮やかに描いて見せる芥川は、確かに短く書く体質の人。
作家としての資質が、国籍、民族などと別に
存在するってあたりまえのことでしょ。
でも「マンは長くなる体質だから」短くまとめられない
というのは、あまりにムチャクチャな意見。
前に、マンが嫌いって言ってた人? 「トニオ」や「ベニス」のような短編の傑作もありますわ。
『ワイ丸のロッテ』や『ファウスト博士』は、もうちょっと短くならないか、と思ったけど。
(『ブッデンブローグ』や『ヨセフ』は長いけど面白いから良し) マンの書斎にはサヴォナローラの像があった、というのを読んだが
それがなんか印象的だった 『選ばれた人』だけは、性に合わないのか、つまらなかった。 1/3を過ぎてからいっこうに進まなくなった。
小説内の時間が長くなったからだと思う。 >>382
新刊の感情教育に挟まってた刊行予定作品一覧によると、
岸美光という人の訳で出るらしいです。 岸美光かぁ…
岸の「ベネツィアに死す」は不満が残った。
ほかの高橋訳や実吉訳(岩波)の古風で優雅な香りが消えていて。 岸美光ね。過去のこの文庫のマンはこの人が訳してるけど、とても残念な訳だった。解説読んで、この人、頭の固い性格悪そうなジジイだなって思ったことを覚えている。魔の山の新訳ってだけで無条件で買うけど、この人の翻訳で出ることは残念でならない。 なぜ岸美光なのか?
新しく訳出する意味がまるで感じられない。
あたらしくもないし、読みやすくもないし、
瑞々しくもないし、文章にセンスや艶があるわけでもない。 光文社古典新訳文庫のマン作品は全部この人かな
フェーリクス・クルル(上)だけ読んだ やっと魔の山読み終わった。ここの人達は内容をどのくらい理解できるの?
やっぱり聖書、ギリシャ神話とかは常識で
世界史や宗教や哲学もかなり詳しいのでしょうか。
自分は無教養なので、ナフタとセテムブリーニの論争はきつかった。
ペーペルコルンと大脳二人のからみとかは面白くて笑ってしまったけど。 >>389
おれも同じような感じで、セテムVSナフタは分からん部分多すぎなんだけど、
ペーペルコルンが一蹴してくれてオチをつけてくれるんだよねw >>389,391
オレも同じだ。(笑)結局、西洋の精神史の知識がないとシンドイんだよね。 まじで魔の山は読んでる時苦痛しかなかった…
会話の抽象度が高すぎて手に負えなかった
誰かもう一度読むモチベーションになる助言プリーズ 抽象的な会話は
「こっちがウヨでこっちがサヨね」くらいでてきとうに流すもの
ただ、人間や服装や食べ物に興味がないと無理かもな マンはつまらないよ
面白くないから読むというくらいの人にいい作品なんだと思う >>396
人間に興味持つこと自体がつまらないんだから 目次の勇敢な軍人としてっての見てから
あ〜これ完全にヨーアヒム死ぬわと思っていつ死ぬかいつ死ぬかと読んでたよ
自分もフェルゲみたいに高尚な話は分からない人間だけど
セテムブリーニとナフタが喧嘩してても
お互いの主張がごっちゃになってたりする描写もあるし
こんな話についてける西洋人は教養すげーなと思ってたら
カストルプがセテムの真似で使ってた「ラダマンテュス」のこと
人物主義の言葉か何かなんでしょうとか言ってて
お前意味知らなかったのかよと思った
オカルトも出てくるしあんま気負って読むものじゃないのかもしれない ドアの開け閉め乱暴な女むかつく! あるある!
とかで読むのが吉かと いまファウスト博士50pほど読み出したけどいい感じ
マンは長編だとどれが1番面白いんだろう ブッデンブロークの一番はじめのトーニの発話が、
川村訳だと「なんだっけ」
望月訳だと「それはなんですか」
松浦訳だと「それは何か」
になってるけど、松浦訳の注にあるとおりこの部分もルターの教義問答の一部だとすると、
川村訳は誤訳ということでいいのかな?
川村訳だと、暗唱ではなくて、トーニ自身の言葉として訳されているよね。 英訳は(penguin modern classics)、
’And-and-what comes next?’
である。「そして…、そして…、次は何?」と、次の文句を思い出せなくて、
トニーが口ごもるように理解していたが、「ルターの教義問答の一部」という
解釈があるのを初めて知った。(’And-and-)の部分がそれにあたるか。
改めてみると、望月訳は全体に引用符がついている。原文はどうなっているのか。 >>403
@ブッデンブローク Aファウスト博士 B 魔の山 の順かな。
@は文句なしに面白い。
Aはマンの音楽の理解に驚く。芸術家と創作の問題として興味深い。
Bはこちらの教養不足を痛感。
「ヨゼフ」をいつか読んでみたい。 いまファウスト博士の中巻の半ば、つらくなってきた
(き、きりたい・・・) >>408
もし作品世界に入り込めないのなら、ここは一度やめて、
数年後、再挑戦もありかと。
中村真一郎は、三十年(!!)かかったとか。一年に一章読むのもありかと。 戯曲仕立になってるから背後にある劇舞台情報の組み立ては読者まかせ。
中世・近世の科学(占星術・錬金術)や刑事法制のザッとした知識がないと大道具小道具がわからなくて舞台が組み立てられないところは多い。
だけど読めないところは飛ばしちゃえばいいんだよ。それだけだよ。文学の読み方ってのはそれでいいんだよ。 もとい。ゲーテの「ファウスト」のことだと思った。取り消す。失敬。 ファウスト博士って絶版?
本屋に置いてなくて残念…… >>413
ほんまに読む気あんのなら、Am****とか見てみ。 トニオとブッデンブローグ読んだけど次何がいいかな? >>409-410
おお、レスありがとう 一度中断して手塚治虫(ネオ・ファウスト、ファウスト)とか
それ関連の映画いくつか借りて見てるなう しばらくしたらまた再開してみます ファウスト関連より「ベニスに死す」とか「ブッデンブローグ」、
を読んだほうが関係あると思う。もう読んだかもしれないが ファウスト博士は新潮社の全集だと(『ファウストゥス博士』表記)メイキング小説にあたる『ファウストゥス博士の誕生』もあるからオススメ
少し大きめの図書館なら置いてあるかと ファウスト博士は小説らしいが、ゲーテの「ファウスト」を読む前に、
こちらを先に読んだほうがいいですか?
以前、ゲーテの「ファウスト」を読んでみようとしたが、劇は馴れていなくて、
挫折したので。 ファウスト伝承がどういうのか知ってれば
どっち先に読んでも同じじゃないのかな
ゲーテのはとっつきにくいから、オペラとか翻案ものの映像で概略を知るのもいいと思う あとマンのは現代音楽の概略を知っておいたほうがいいかも
大戦あたりのドイツの歴史と まあ文庫に解説ついてたような >>422>>423
レス、ありがとう。
ついでに、ファウスト関連の、「オペラとか翻案もの」「現代音楽」
って、どんなものがありますか?外側から攻めるのも一手かと思うので。 >ファウストゥス博士(円子修平訳)(※理由は不明だが、訳が省略されている箇所がいくつもある)
とあるがマジか? ベルリオーズの「ファウストの劫罰」とか俗っぽくて普通におもしろいよ。 魔の山読んでる最中なんだが、カストルプとセテムブリーニの会話はある程度読めた。
つまり、理解しながら読めたのだが、セテムブリーニとナフタの議論を理解しながら
問題なくスラスラ読めた人っている? >>428
いないと思う。自信を持って進んでください。 ルネサンスはミシュレやブルクハルトあたりが19世紀に言い出したことだし、
この時代は黄金の夜明け団のような神秘主義団体が跋扈していた時代だから。
ナフタはユマニスム的進歩史観や啓蒙主義は宗教の亜種に過ぎないと指摘したわけだし、
実際、20世紀ドイツで生じたのは黒魔術的ナチズムだったわけだね。
後年のマンは偉大なるドイツ精神の“てんかん”的痙攣に
詐欺師的ナチスがつけこんだに過ぎないとしていたのだけど、そんなことはない。
そこら辺は同じユダヤ系ドイツ人でもハイネの指摘の方がはるかに鋭い。 >>429 最初、セテムブリーニいなかったと思ったのに急に議論に参加し始め
したら、ハンスが喋ってるのかナフタが喋ってるのかそれともセテムブリーニが
喋ってるのか訳分からなくなってきて、そうか、誰が云々よりマンの語りたいことだけを
読み取ればいいんだなと会話の内容だけ読み取ろうとするも読み取れない。
まあ拷問が理性的選択により人類が選択した手段という見解は面白かったけどね。 北杜夫や辻邦生も初読時に面食らったらしいから何回も読めば自ずと理解出きるだろ、くらいに思えばいいよ マンのシンパと知り、勇んで北や辻を読んでみたが
まったく面白くなくがっかりした思い出。楡家とか…… >>432 それを何故高く評価できるの?ただ、魔の山を有難がってるとしか思えないんだけど
文学ってそうものなの? 何か理解できない小難しいものを読んだから凄いということ? その部分の細かい内容が分かるか分からないかが作品の肝じゃないからじゃないの?
というか、あそこが分からないから良さが分からないっていうなら、
あんまり君が読むのには向いてない作品だったんじゃないのかな 教養小説は近代市民社会の理想たる人格的陶冶と世界的調和を目指したものであり、
「魔の山」の後半ではセテンブリーニが水先案内人となって主人公を導いている。
この思想的善導に対して鋭い反証を投げかけるのがナフタの中世思想なわけ。
ナフタとセテンブリーニの対決はほぼ相打ちという形に終わり、
主人公や混迷した世界に投げ出される。 これを読んでいると「魔の山」の思想的背景がわかりやすいという推薦本は
ある? >>435 向いてね〜とか何だよ?それでおしめ〜じゃね〜か。
>>437 ないよね。カラマゾフ読本はあるけどマン読本はない。松原正剛の千夜一夜ぐらいか。 おしまいにしとけばいいのでは。他に向いてる本があるでしょ 魔の山は思想を説いた小説ではないだろう。
思想の苦手なオレは、理屈っぽいところは適当にスキップして、
有閑階級の恋愛遊戯として読んだ。
それでも、ひじょうに面白い。 >>439 どこにでもいる人間だけど、つまらない奴www馬路で。 >>443
それって、マンの思想を解説しているのでない?
ヨーロッパの精神史を解説したようなものがあれば、と思うのだが。 >>444
西洋哲学史や政治思想史の本ならたくさんあるよ >>446 有難う。
初めて見る書名だけど、これは良さそうだな。しかしかなり難しそう。これの解説書
ってある? 脇圭平『知識人と政治』岩波新書
マンの政治的なスタンスについてはこれがやはりおもしろい。著者は今年亡くなった。 >>448 有難う。
こっちの方が、とっつきやすそう。 とっつきやすさとか解説のための解説を求めるような奴が
そもそもトーマス・マン読んでおもしろいか? トーマス・マンのような深遠な作家であればあるほど、そのバックグランドを
知ろうとするのは極めてまっとうな態度である。また、その分野に無知であれば、
アドバイスを仰ぐというのも賢明なことである。また、はじめから難しいものでなく、
まずとっつきやすいものからというのはこれまた道理である。
こういう風に情報が得られるのがインターネットの長所である。
450のように文句を付けるばかりが能ではない。 深遠かどうかも分からないよ。魔の山を理解する為に丁寧に何回も読んでそれを理解する価値があるのか?
ナフタやセテムブリーニの議論するテーマを別の本で理解した場合、魔の山の面白さは倍増するかも知れないけど
だったら最初から関連する学術書を読んだ方がその方面の知識が深まるわけで
やはり小説はストーリーがなくてはいけないのだけど、マンは自慰の為に自分の意見を
作品に盛り込みストーリーにしたがストーリーは大したことない。そして魔の山を教養小説とすることで
誰かがそれも日本の誰かが有難がることで価値を得ているのであって普遍的ではない。
議論の中身が一般にもっと親しみ易い内容ならば兎も角そうじゃないテーマが多い。
これが欠陥なんだよ。だから、深遠ということはないし、これを深遠と有難がるのが馬鹿と言っているようなもんだね。 面白いのと「深遠といってありがたがる」のをごっちゃにしてる奴って
面白いってのがどういうことか分からないんだろうな
文学はありがたがるもんじゃなくて面白いもんなんだよ ちなみに「魔の山」は面白いのであって、
面白さが分からないなら分かる時期がくるまで放っておけばいいだけのこと
その時期はずっと来ないかもしれないけど、世の中のすべての面白さを味わえる人間は
いないわけで、分からないならあきらめよう 本を読むというのは、自分を読むことで(プルースト)、そこに何を見るかは
読者の問題であり、本は、読むもの次第で、深遠にも軽薄にもなる。
面白いという素朴・無邪気な感想は無論大切であるが、一歩でも二歩でも
深遠なところを目指したいものである。ここに挙がっている参考書はぜひ読んでみたい。 バカは素直にドストエフスキーでも読んでありがたがっててくれ そういやヘンリー・ミラーがマンを好きな作家の一人にあげてるのを知って意外だなと思った
なんとなくナボコフみたいに嫌ってそうなイメージだったから >>464
それはお前がダウンタウンをみて笑ってるような品性下劣で低能な猿だから うそーん 笑いに溢れすぎてるでしょ
シュテール夫人など、何回読み返しても噴き出す ユーモアかくあるべしみたいなのって、ユーモアの精神から一番離れてるね ここまで誰も「かくあるべし」までは言ってないと思うが 「かくあるべし」みたいなのみたいなのファジーさをご一考願いたいねぇ すべての作者の本がという気はないが、マンの作品は
読み手の立場によってはゲラゲラ笑えるものなんだろうなとは思うよ 新参者から見た組織は、自分の過去の経験から奇異に感じるんだけど、自分がそこに入ると同化してしまう、って様が恐ろしい
ものに感じてしまった。
要はなれ、ってことなんだけど(笑 >>474
たぶんサナトリウムにハンスが慣れてくことについて書いてるんだろう。
変な文だけど >>473 そうじゃなきゃ転職など出来ないよ。そうやって人間は成長し生きていくもんだし
まさか七年かけて慣れるわけにもいかない。 なんでいきなり転職の話になるのか分からないが、とりあえず
サナトリウム並みに変な生活に感じられる会社には転職するなよとw 読むという行為は興味があればスラスラ流れるが
興味や感心を抱かせない内容であったり難解だと
読むという行為は苦痛を伴うのか流し読み斜め読みなど内容把握が疎かになり
つい、分らないところはそれでいいんだと思い勝ちだが魔の山に限っては
その飛ばしていいと思われる箇所は飛ばしてはいけない箇所である。
なぜならば、魔の山の内容はほとんどがこの難解な部分で占められ
それを理解する為に読むような作品だからだ。話の筋ストーリーなどはせいぜい100ページぐらいに収まり
魔の山において飛ばし読みを容認する者はこの点を分っていないから本末転倒なことになる。
ナフタvsセテムブリーニの論戦などは物語に関係ないと言うが
魔の山はストーリーこそ蛇足であり、この過激な論戦論争語りこそが本筋なのだ。
だから、読了後に検索により各ブログの抜粋などをじっくり読むと感心する。 もし、セテムブリーニの登場とハンス・ハンゲンとの関わりと議論を
読者に理解させる為に簡潔に必要不可欠な部分だけ人物紹介と合わせて記述したら
魔の山の魅力はどうなるか?
同じようにナフタとセテムブリーニの論争も、彼Aと彼Bは激しく〇×〇について議論した。
とだけ簡潔に記述したらどうなるか?
そしてハンス・ハンゲの細胞に関する物思いなどをも簡潔に記述し
上記すべてを簡潔にした魔の山はストーリーだけで90年近くたつ現代まで古典として残っていたのか?
残っていたとおまえら思いますか?世界文学として認識され残っていたと思いますか?おまえら。
あれこそがこの作品の本筋でありストーリーそれもショーシャとの関わりなどは裏筋でしかない。 残ってるのは魔の山だったとしても俺は他作品の方が好きかな マンのような大教養人で思想家の作品を読むためには、それなりの準備がいる。
そういう準備もせずに読んで、難しい、何を言っているのか分からない、
とこぼすのは、当たり前である。事前に、解説などで参考書を調べ、勉強しよう。 私は逆だ
『魔の山』を読んで、興味のある部分についていろいろ調べた。 >>484
教養面ばかりに注目する見方は偏ってるよ、アドバイスとしても >追記
というか言ってることが固い
マンは逆で、固いこと言ってるようで固くない 読んで→勉強して→読んで→勉強して→…、このフィードバックが大切だな。 終盤で、ショーシャ夫人の夫ペーペルコルンが登場して、
ハンスはガツンと殴られたような衝撃を受ける。
学問や理論だけの人間の薄っぺらさに気づいて、
実人生で充実した人物の魅力に心を奪われる。
しかし、これとても物語の本筋なんかじゃない。
この小説世界のどこかに俯瞰する視点があって、
つまり主役は人や理論ではなく、「時間」であるかのような。 「ベニスに死す」は、誤って「ペニスに死す」と云い間違いやすので、
これからは「ヴェネチアに死す」と、云うことにした。 >>489
ほっといてくれ、ワシはそうしたいんじゃ。 >>489 同意。調べるならば学術書で十分。魔の山で学ぶ必要はない。勿論、魔の山から学ぶのも結構だけど
小説とはそういうもんじゃないと思う。
何か中世のお坊さんの説教を有難く思っているのに似ている。
>>490 同意。時間だと思う。その長い物語の中に自分の考えていることを登場人物に語らせて
疑問が氷解するのを期待したんだと思う。
疑問が解けなければそれはそのままにして物語を進行させた。マン自身の考えを作品の中に
散りばめただけで、意図的かどうかは分らないけど時間が中心となった。
あのわけの分らない議論も小説の時間を長く感じさせる。 魔の山解説本なんてのもあっていいと思うが全くないね。
以前、インドのバガヴァッド・ギータというのを読んだのだが
その前にギータ読解本案内書みたいなのも読んだ。ちくま文庫から出ていた。
いきなり岩波文庫を読んでも意味が分らないだろうから、こういう副読本はありがたいのだけど
魔の山にはないね。 >>495
同意。446,448にあがっているよ。 >>497
ベートーベンの後期のピアノソナタとシェーンベルク、
アルバンベルクの作品はよく聞いておくよとよい。
それから、中世の魔術についても本を読んでおくとよい。
わっかていたら、お節介ごめん。 トニオ・クレエゲルもトニオが女のイヴァノーヴァさんと話すシーンが長くて魔の山みたいで苦痛だった。
高橋翻訳だけどそれが30ページぐらい続くのだが、じっくり読んでも意味が分らない。
岩波の方がよさ下。高橋は固いね。
それにマンは何を考えているのかね。二人の人物が会話するときにこんな会話あるわけないし
一方が一方的に自論を展開して相手が相槌打つだけの会話とか。。 >>492
小5の頃、友人から、「ちんこのこと、正しくはぺニスって言うんだぜ」と教えを受けて、
「えっ、それじゃあ、イタリアのぺニスは?」と心のなかで考えた俺。
あの頃はベニスではなくぺニスだと思ってた。 国立国語研究所によると、濁音を半濁音にいい間違えるのは、その逆より、
おこりやすい。バナナ→パナナ、バス→パス ベニス→ペニス。
理由はわからない。 ドイツ語なんだから
ベネディヒ(VENEDIG)に死す で。 >>461
晩年のミラーは、必ずしもマンを贔屓にしていない。
米谷ふみ子の「ミラー、メイラー会談傍聴記」に、「ベネディヒ客死」について、
「文章が長ごうて手の中でへなへなと感じだしたんを覚えてますわ。」とか、
「彼はとても優秀な大工やと思います。飾り戸棚作りや(キャビネット・メーカー)
と思います。」と、なぜか関西弁で論じている。
「大工」「飾り戸棚作り」というのは、完全なほめ言葉ではないだろう。 それは小説とはどういうものかということについての
見解の相違だと思うけどね。たとえば座れない椅子作って芸術、っていうタイプの
ものは小説は違うわけで ちょっと打ち間違えた。つまり、
言った当人はその時点では完全な褒め言葉として言ったわけではないかもしれないが、
同時にこれはもとからの深い理解に基づく分析であって、マンの読者からすれば、わりと
完全な褒め言葉として捉えうる言葉だと思う まあだから贔屓云々ではなく単に「私の道は彼と違う」ってことだと 外観(形式)はよいけれど、中身を伴わない、という意味だろう。
ミラーのような形式破壊者からすれば、マンの文学がそう見えたということだ。
「人々はヘミングウェイのよい点を認めますやろが、僕は、ただ細工の
仕方を知っている、小心で几帳面な作家や、とだけしか思わん。あんなの
を技術屋というんや。ところで、性格は違いますが、トーマス・マンもそうやと
思う。」(米谷ふみ子の「ミラー、メイラー会談傍聴記」) マンの周囲、自殺者多すぎ
批評本の、息子の死に関しての部分ほんの少し立ち読みしたけど
お前にとって身近ってなんなんだよ?って思った 小心で几帳面な作家、とは確かにマンのこと。
そもそもマンが自分のことをそう分析している。
刻苦勉励を旨とする人間だと。作家としての持ち味の違い。
「技術屋で、中身がない」ということとは違う。 岩波(関・望月訳)
・仮名遣いや言い回しが古く、原作に近い味わいがある。
・原作の「構文」を極力変えずに訳してある。(一つの文が長い)
・訳注が多い。ヨーロッパのインテリの共通認識や、セテムブリーニのセリフについての解説が詳しい。
・誤訳が多い。
新潮(高橋)
・岩波に比べるとまだしも翻訳が新しいので、現代人には読みやすい日本語になっている。
・原作の長い文を読みやすく分割している。そのため、原作とはかなり異なった単純な構文になっている箇所が多い。(原作に比べると一文が短く、句点が多い。)
・訳注が少なく、本文中で解説できるものはそうしている。
・後から出版されただけあって、岩波よりも誤訳は少ない。
読みやすさを重視するなら新潮、原作の文体や言い回しに近いほうを選ぶなら岩波 新しいとは言え、高橋訳から50年経とうとしている。
ほかの訳(円子修平、川崎芳隆、佐藤晃一)はどうなの? 日本語の翻訳が、「原作の文体や言い回しに近い」とはどうゆことか、想像不可能。 ワイフの本、家の中のマンとか(家族に朗読する習慣とか)
登場人物のモデルについてのこととか、亡命生活のこととか
結構な数の著名人との交流(文学者に限らずアインシュタイン、チャップリンとかも)とか
いろいろ書かれててそこそこ面白かった。けどその割には子が亡くなったことについてとか
そういうのは書かれてないんだな、ちょっと違和感もあった 岩波の方がいいぞ。新潮がいいと言うけど結局、ナフタセテンブリーニの会話など意味不明だから。
だったら岩波を推すね。 魔の山は名著補正甚だしいな。ヨーロッパの人間には読めても日本人には無理。
ヨーロッパ史やヨーロッパ思想を専攻科目してる人間に楽しんで読めるくらいだよ。 無理じゃない読者はどんな知識を持ち合わせてんだ?
楽しめることがそんなにエレ〜のか? 少なくとも読めない人が読める人を貶すよりかは読めて楽しめる方がいいと思います 普通「自分は楽しめなかった」で完結するところを、
「楽しめるって言ってる奴は見栄はってるだけ」とかいった方向にいく
思考回路がな 思うのだけど理解できて楽しめた読者は、魔の山副読本として
事前に誰の本を読んでおくといいか、どんな学術書を読んでおくといいか。リストアップするといいと思う。
そんなだから、いつまで経っても526みたいな読者が増える。 魔の山は青春の必読書だ
もうすぐ夏休み
中高生のみんな、この夏は魔の山でクールにいこうぜ! といってもこんな夜中に中高生諸君が起きてるとは思われないので
年寄りの僕ひとりで読み進めていくこととしよう
優れた小説はどれもそうだけど、素晴らしい書き出しだ
・・・夏の盛り、ある素直な性質の若者が生まれ育ったハンブルクからダヴォス高原へと旅をしている
ダヴォス高原には三週間ほど滞在する予定である
長旅の割には短い滞在である・・・ >>532 と言って誰もリストアップできないのが笑える。しょうがね〜から先ず俺からリストアップ。
ゲーテのファウストを筆頭に関連書物
あとこういうの→も役に立つと思う。中世哲学への招待―「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために (平凡社新書) 誰だったか「オレはいま、知的好奇心に燃えている。『魔の山』だって読めそうだ」と書いていた。
この人にとっては『魔の山』を読めるということが知的レベルの指標のようである。 魔の山を必読書なんて特に思わないし、マンなら他の方が面白い ドイツ題名は知らんが英語題名はtheMagicMountainなんだよな。
邦題が魔の山なんだがコレは見事としかいいようがないくらいに吸引される。
で、内容と題名が合うかと言えばソンナことはなく外れてると思う。
だから題名で日本では名著補正がかかっているのだろう。
現に魔の山がいかに素晴らしいか!?名著であるかを語るコメントないもんな。 モーツアルトの『魔笛』も、英語では"The Magic Flute"ですね。 ドイツ語でも「魔法の山」Der Zauberberg
魔法使いとか呪文とかの「魔法」だから、内容と書名はぴったり合致。
魔法のお山での人々のくらしを
(俯瞰的に、あるいはドタバタ気味に)描いた人間喜劇ですからね。
魔法のかかったお山の外(下界)は、政治も経済も混沌として、
ついには人類史上初めての世界大戦がひきおこされる。
実はお山の上でも、下界の混沌のミニチュァ版の世界が
繰り広げられるのですが、そこは魔法の粉がふりまかれていて、
時間も間延びしていて、何やらおとぎ話的な悠長さが支配している。
確かに、当時の難解な思潮や政治がエキセントリックに議論されるけれども
それは主題ではないから。人間喜劇を書こうとして、しかもシニカルなマンの
面目躍如の傑作ではないですか。 たぶん>>542みたいなのは、「名作」=難しくてふざけてないもの
と思ってるんだろうな。
魔だと難しそうでかっこいいけど魔法は子供っぽい!
だから本当は駄作なの! と言い張る小学生、みたいな…… で?!如何に魔の山が名著であるかを誰も説明していない件について誰も語れない。 なんでここでそれが分からん奴にあえて説明しないといけないんじゃ
甘えんなボケ ベニスに死すとすげ替えられた首は見たけど、マン作品の映像化されたもので
日本語訳があるものってどれくらいあるん?あとは魔の山くらい?
ブッデンブローク、マリオと魔術師も海外ではあるらしいけど情報不足でよくわからん そもそも名著補正のかかった作家なだけで面白くないから翻訳数も少ない。 名著補正もかからない作家の方が圧倒的多数なんだからかかっただけでも大したもんなんだよ というか、いくら補正かけても名著に見えないものは見えない ブッデンブローク(08年版)は以前、新宿で上映されてたのか・・
そのときは字幕あったのかな 名著?の証になるかどうかはおいといて、
たとえば松岡正剛の「千夜千冊」
http://1000ya.isis.ne.jp/0316.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:8a1d671deac21a48eb6b1e34309afde7) 未だ名著であることを語れるコメントのなさwww
松岡正剛が取り上げると名著になるのか?読んだ記憶あるな。
みんな分かってねんじゃね。 >>556
まずあなたが自分の考える「名著」とは何かを
言ってごらん。聞いてあげるから。 『魔の山』は読み応えがあるね。
分量から言えば『ブッデンブローグ』や『ヨゼフとその兄弟』には及ばないかもしれないが、読了後の充実感はマンの小説の中でピカ一。 >>561
しっかり勉強して読むと、深さがわかるよ。 >>561 で、どんな感じなの? まだ読んだことないんだ、僕。 おしえてよ。
事前に読むべき本とかさ。 Bildungsromanとは、教養小説と言われているが、正確には、「人格形成小説」である
若者が、一人前の大人になっていく過程を描いたものだ
『魔の山』は、サナトリウムを大学に変えてみればよくわかる
大学の授業において、啓蒙主義とロマン主義の間で揺れ動き
パーティのどさくさで一夜かぎりの初体験
新興宗教の勧誘のわながあり
親友の死をきっかけに、その誘いに乗ってしまう
就活で実業界の人物に接触して現実に目覚める
恋の相手は去ってしまい
最後は平凡な大人になって就職して行く >>566
>最後は平凡な大人になって就職して行く
ハンス・カストルプは7年をお山で過ごすが、
第一次世界大戦が勃発すると、
弾かれたように下界に降りていき、
最後は…。 いとこが死んでから、ハンス・カストルプの運気は下がりっぱなし。
最後は亡命ユダヤ人と同じテーブルに座り、挙句の果てに徴兵されて死ぬ。 それでおもろいか?www 日本のそれそのままを比喩的に書いたに過ぎず
566の言説のままならば非常につまらない名著だなぁ 571は煽りなんだろうけど、正直、面白くないから読んでるってのはある
以前同じことレスしたけど 翻訳家の力量によるのかもな。分からんけど。
あれ、原文に忠実じゃなくてもうちょっと日本語日本人よりの文章に翻訳してはいけないもんかね?
子供とターミネーター3見てたのだが、普段字幕が子供一緒だから吹き替えだったんだけど
爆笑しっぱなしだった。多分、字幕じゃ爆笑しなかったと思うんだな。
それを日本人の文章と同じような感じで翻訳できないもんかね?
原文忠実だとどうしても硬くなるんじゃないかと想像する。 外国文学はみんなそうだけど、やっぱり原語で読まないとダメだよ。
俺はマンのドイツ語の感触が好きだから、ヨーゼフを原文で完読できた。
こんなの日本語訳で読んでも面白くもなんともない。 好きだと言いつつ「こんなの」よばわり……
原語至上主義は日本語の感覚の悪さのせいという疑念が 原語で読めるのは限られてしまうから、やはり翻訳をもうちょっと柔軟にして欲しい。
原語読めるならそのニュアンスとか雰囲気も分かるわけでしょ。
それを原語に忠実に訳すとつまらないものになるんじゃないかなぁ。
魔の山は本当につまらなかった。原語読める人に原語と翻訳の雰囲気の違いを教えて欲しい。
やはり違うんじゃないの? 「柔軟な翻訳」の日本語は気色悪いことが多いのでやめてほしい どの訳者を言ってるのかわからんが実吉捷郎はなんとなく好きだぞ 「魔の山」読み終わったあ!深いというより豊かだ、この小説は。退屈だけど良かった。 >深いというより豊かだ、この小説は。退屈だけど良かった。
シュティフターの『晩夏』を読み終えたときに、
同じ感想をもった。 >>583
絶版だけど、集英社の圓子修平訳が味わい深い。 トーマス・マンの妻はナスターシャ・キンスキーに似ている。 ナスターシャ・キンスキー
好きだった。きりっとした美人だったな。 そろそろ『ファウストゥス博士』を新潮社の圓子修平訳で読もうかな。 >>590
ベートーベンの後期のピアノ・ソナタ、新ウイーン楽派、シエーンベルクや
アルバンベルクの予習は大丈夫ですか?また、十二音技法についても少し
勉強していたほうがよいと思います。 ウイーン シエーンベルクwww
カッコつけたつもりがww ウイーン、シエーンベルクとは傑作だ。
それにアルバンベルクじゃなくて
アルバン・ベルクだろ。
「魔の山」の最後の方に出てくる「菩提樹」は
フランツペーターシユーベルトの作曲な。
急にヨハンシユトラウス作曲ウイーンの森の物語が聴きたくなった。
ウイーンフイルハーモニー管弦楽団の演奏でw >>591
おじいちやん、ヴェ、ウィ、シェ が出来ないみたいだね。
ベートーヴェン、ウィーン、シェーンベルクで書いてみ。
御託を並べるより文字変換の仕方を先に覚えやうね。 学生時代の友人がヴェートーベンって書いててワロタのを思い出した。 http://s1.gazo.cc/up/150822.jpg
僕が所有するトーマス・マン関連書籍です。
これだけは読んでおけ、という本があれば是非知りたいです。
よろしくお願いします。あくまで趣味です。 >>601
これだけ所有している奴が2ちゃんで聞くことじゃないだろうw >>601
趣味ということだけど、大学生? 文系かな。
ライブラリーは充実してると思うよ。それと「魔山」2冊は中国語訳なの? >>605
大学2年、専攻は生命分子化学です。
ドイツ文学、特にマンは中学時代から好きです。
「魔山」は中国語訳です。友人が台湾に旅行時、書店で
見つけて買ってきてくれました。
文豪のわりには関連書籍が少ないかなと感じます。 冒頭付近にサナトリウムの婦長の名前がアドリアティカ・フォン・ミュレンドンクというので
13 世紀の女子修道院長の名前みたいだと、ハンスとセッテンブリーニが冗談めかして話すシーンがある。
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンという 12 世紀の初期女性神秘家で、ベネディクト女子首藤院長、
作曲家である人がいる。Youtube にいっぱいアップロードされている。
数年前に彼女の生涯が映画化されたみたいね。日本じゃ公開されないだろうが。 ファウスト博士は、イタリアで悪魔が登場するシーンがいい。埴谷雄隆の死霊第5章はここを参考にしているに違いない。
全然出てこないが、ワイマルのロッテの最後の馬車の中の会話が絶品だと思う。 マンはやっぱゲーテを基本にしているよ
「魔の山」はゲーテのヴィルヘルム・マイスターの焼き直しだ
ワルプルギスの夜なんて「ファウスト」からきているものだ
ワイマールのロッテなんてゲーテの集大成
「ファウスト博士」だってゲーテから名付けたんだろう
「フィオレンティーナ」って唯一の戯曲だよ ヴィルヘルムマイスターの直接の焼き直しは
フェーリクスクルルだよね、
っていうか何を今更感がすごいんですが >>612
そんなことはぜ〜んぶどっかの本に書いてあるはず。 魔の山と短編しか読んでないけど
いつの日か全集読みたいね トーマスマン全集を置いている図書館は少ない
自分はヨセフとその兄弟以外は全部読んだ
ヨセフは古本屋で買った
13,000円もしたな
そのうちじっくり読んでいこう いつの日かマン全集読みたい
来年あたり実現するかな 初めてトニオグレーゲルを読んで泣いたあの感覚を忘れたくない だれか全集の11巻くれ
11巻と間違えて9巻を2冊買っちまった >>627
ドイツ人の友達が言っていたが、関係代名詞でつなげていくので、やたら一文が長い。
国語の授業のジョークで、「3センテンス読めばいい」と教師から言われてラッキーと思っても、それが数頁にわたるなんていうオチになるとか。
その面ではプルーストと似ていると思った。 いきなり質問ですみません。
下記画像のドイツ語を読んでいただき、
書名と(全部でなくて結構です)日本語版全集の
第何巻に出ているかを知りたいのです。
ネットで知り合ったドイツ人大学院生が僕の誕生日の
お祝いに送ってくれた1922年発行の本です。
僕はドイツ語が出来ないため、彼とは英語でやりとりを
しています。トーマス・マンが好きで最近全集を買ったと
書いたら送ってくれました。
わかる範囲で結構ですので、よろしくお願いします。
http://s1.gazo.cc/up/164063.jpg
http://s1.gazo.cc/up/164064.jpg
http://s1.gazo.cc/up/164065.jpg 文系の学生さん?
俺にもさっぱりわからん。誰か答えてくれよ。
全集どんな感じ?よかったら見せてよ。 目次の118ページのところが、「フリードリヒ大王と大同盟」なのはわかった >>635
有益な回答ありがとうございます。
http://s1.gazo.cc/up/164174.jpg
全集第10巻「講演と評論」に見つけました。
「ビルゼと私」「演劇試論」も間違い無いでしょう。
>>634
法学部です。
全集は新潮社から発売された古書で経年による汚れは
ありますが、読むには問題ありません。明日撮影します。 >>634
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1448508543.JPG
大学近くの古書店で見つけました。2万円。
函につける帯はすべて本体についています。
日焼けによる退色を防ぐため書店のオジサンが
そうしたのでしょう。
原語でスラスラと読める日本人はいるのだろうかと
思ってしまいます。 >>634だけど、折角upしてくれたみたいだけど、画像見えないよ。
俺も日本語全集買うつもりなんで2万だったらどの程度の状態か見てみたいんだよ。
しかし、あれだな、翻訳は誰が良いとか言ってる奴は当然原書で読めるからそれが
言えるんだろ?? >>635以外に答えが無いってことは、お前さんら、全然大した
ことないんだな。ダンマリだもんな。 クラ板にて原書で読んでる人見かけた
案外詳しい人はそういうとこに行っちゃうのかも >>638
大変失礼しました。
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1448577925.JPG
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1448578300.JPG
2冊を大きく写しました。古書でこの状態なら満足
すべきかと思います。13冊の原書セットも購入しました。
ケースの矢印部分が破損しているため21,000円でした。
ドイツ語はまったく読めませんが、マンの書いたままの
文章を手元に置いておきたかったため、同時購入しました。
>>640
そのスレッドを教えていただけませんか。 >>638だけど、ありがとう!
2万円でこの状態ならホントいい買い物したな。ネットの古書購入は
リスクがあるからなあ、でも試しに買ってみようという気にはなっている。
それと、すまんが「ファウストゥス博士」をちょっと見て欲しいのだが、
マンの中世ドイツのイメージが列記されている箇所があるんだよ。ペスト、
前兆、みたいな単語が列記されているだけなんだがそれが妙に魅力的でさ、
その部分を紹介した本を読んだのがもう20年以上前になるし、その本も
どこかで失くしてしまったで、急がないからヒマな時にちょっと見てもらえたら
ありがたい。よろしく頼む。 >>641
確かこの曲知らんと損みたいなスレだったと思う >>643
もう購入されましたか。
さて、「ファウストゥス博士」はまだ読んでいないから
難しい宿題でした。ここかも知れないと思う箇所を赤線で
囲みました。どうですか。
原文も調べました。ドイツ語はわかりませんが、
多分ここで間違いないはずです。
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1448688620.JPG
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1448688784.JPG
>>642
そうですか!
独文科の学生ではないから、ほどほどにはするつもりです。
>>644
ありがとうございます。
探してみます。 やるなあ、お主!
これだよこれ。ホントありがとうな。君はいい人柄だな。ありがとう。またよろしくな。 >>645
マンの作品をより深く理解するためには音楽の知識が不可欠です。
>>635が回答した「フリードリヒ大王と大同盟」冒頭の「ワーグナーの変ホ音」が一体何か
を知って置く事が必要です。 マンの奥さんのエッセイもよかったよ
カーチヤ・マンの思い出だったかな>>645 >>646
お役に立てたようでうれしいです。
>>648
「ワーグナーの変ホ音」は星印をつけた部分です。
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1448766705.JPG
これが「神々の黄昏」開始部では変ホ短調になっています。
聴く者はジークフリートに起きる危険の到来を瞬時に察知
出来ます。とても明確な書法です。
>>651 >>652
是非探して読みます。
ドイツ文学者の小塩節氏が最晩年の
カーチャさんと交流していますね。
彼女の人柄が想像出来て、魅了されます。 楽譜持ってるw
なんかあったらワーグナースレにも遊びに来なよ ありがとうございます。
やっぱりワグネリアンはこちらのトーマス・マンも
見ておられるんですね。ワーグナー・スレは時々見ています。
内容はなかなかのものだと思います。
書き込みをするときは名前をTMにしますね。 >>653
ワーグナーの変ホといえば、普通は《ラインの黄金》冒頭の話だよ。 ↑ そんなこと、>>653 が総譜で答えてるだろ。しっかり画像見ろや。何を今更。 マンは年代順に読んだ方がいいですか
魔の山と短編集は読みましたけど 世界的に人気だが周りにマン知ってそうな奴がいなくて悲しい ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』の主演の美少年ビョルン・アンドレッセンは
映画で有名になった後、しばらく日本に住んでたらしいね。
ジャニーさんとでも同棲してたかw >>653
君を見込んでお願いがあります。
ブッデンブローク家の家系図があれば見せて欲しいのです。
途中でちょっと読むのを止めていたらわからなくなってしまって。 ブッデンブローク家の家系図といえば、
音楽好きでひ弱なハノー少年が、自らの名前のあとに終止線を引いて
父にひどく怒られるという ありがとう!
随分詳細な資料を持ってるんですね。助かりました。
>>664 より 変な書き方をしてしまいました。
>>653 >>669
ありがとう!
随分詳細な資料を持ってるんですね。助かりました。 >>671
お役に立ててうれしいです。
>>654
マンはワーグナーの音楽を「懐かしき子供部屋の郷愁」と
呼んだとか。当時は今のように全曲盤レコードもない時代
ですから実際に劇場で聴いていたのでしょう。ミュンヘンや
バイロイトの客席にトーマス・マン。なんと厳かな情景でしょう! 音楽の話題ばかりだとつまらないと感じる人もいるかもな
ちなみにマーラーはバルガスリョサが好きな音楽家
彼の一押しはマラ2 >>674
譜面を拝見し「そう来たか」が第一印象でした。
これがその曲の初演後、マンが作曲者に宛てた手紙です。
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1449180538.JPG
画像に写っている箇所の次の小節からGloria, Gloria
Patri Domino です。歌詞がわかるとすぐに検索が出来て
しまいます。だから直前の管弦楽の部分だけをupされたと
推察します。「そう来たか」と思ったのはこのためです。 >>676
リョサも好きなのか
ブコウスキーも好きっていうのしか知らなかった >>677
法学部だっけか。頭良さそう。なんか楽器やってた? >>674だけど、>>677は図星だよ。参ったな。 そりゃあ『アンリ4世の青春』。
『完成』はつまらん。 ありがと。ヤフオクか古書店で探すよりほか仕方なさそうだな。 今日、古書店から下記3冊が届きました。
http://getworld.ddo.jp/pt/file/1449477490.JPG
『夫トーマス・マンの思い出』 >>652さんご紹介
『ウンラート教授』『小さな町』>>665さんご提案
『思い出』を少しだけ見ましたが、いきなり面白い話が
目に飛び込んできました。指揮者ブルーノ・ワルターと
マン家が親しく交際するきっかけとなったエピソードです。
「御宅の息子さんがうちの娘の髪の毛を引っ張るの止めさせて
もらえませんか」というワルターの苦情の電話です。
世紀の大指揮者と大作家の一般人と変わらない日常の
一端を垣間見られて面白いです。
>>680
幼少よりヴァイオリンを弾いています。大学のオケでは
1st担当です。
『アンリ四世の青春』(>>683さんご紹介)は明後日
到着予定です。 >>685
よっ、青年!
>>686
今、なんか読めない理由がある? 全然つまらなくないし、マンは個人的に影響受けた稀な存在なんだけど
途中で読むのを長期中断してしまうタイプだわ。
長い作品は一年くらいじっくりかかってしまう 『アンリ四世の青春』が届きました。
本文485頁二段の大作です。相当の読み応えが
ありそうです。 「アンリ〜」昔つまらなくて途中でやめて売ってしまったが、
弟が「非政治的人間の考察」で兄をディスりまくってるのを読んで
あ〜これの資料にするためにとっとけば良かったと少しだけ後悔した >>686
>俺も早くマンが読みたい →俺も早くマンガ読みたい
本心は、マンガが読みたいんだ! 魔の山やっと読み終わったよ。世界文学としてドストエフスキーより深いな。
深いわ。ドストエフスキーが闇の奥に切り込んだのに対して、
マンは赤ちゃんをどんどん成長させたような健全さがある。素晴らしい。 そんなあなたには「ゲーテとトルストイ」がおすすめ
ドストエフスキーとトルストイ、シラーとゲーテの比較が
作家っぽい直観のもとに面白く語られている >>694
それは残念。マンのよき理解者北杜夫は小説は読まずにマンガを読む
といううほどの熱狂的ファン、マンガのユーモアとロマンは、マンや北の
文学とどこか通じるのでは。ハヤオ・ミヤザキの「風立ちぬ」に
魔の山がでてきたね、日本のアニメはレベルが高いね、 >>696
「楡家」がブッデンブローグだって噂を聞いたので昔読もうとしたが、
面白くなくてすぐやめてしまった 先まで読めば面白かったのかもしれないが >>696
戦時中、清楚な女学生と高原の空の下で野外セックスをする話はなかなかよかったよ。
題名忘れたけど。 マンの描写力はトルストイをも超えている
また長文という意味でも例外といえるほどのものをもっている ドクトルマンボウシリーズは昔よく流行った、怪盗ジバコとかもね。
「楡家」はブッデンブローグを真似して書いたんだよね、本の箱の
裏の三島の長文の推薦文は忘れられないな。マンと言えば、北と辻邦夫。
彼らによってマンの文学に導かれたものは多いと思う。 >>702
「北の親父」って居酒屋の店名っぽいなw >>70
北杜夫の楡家→初期作品(幽霊とか)→マン(トニオやベニスに死す)
→ヘッセ、リルケ→カフカときてしまった。 ワーグナー→渡辺護氏の解説本→トーマスとハインリヒ・マン→北杜夫を飛ばして→
斉藤茂吉→正岡子規→契沖ときてしまった。 北杜夫→手塚治虫→ベルサイユのばら→花より男子→ケイオン
現在、アルバイトをしながら、メイドカフェに通う毎日です。 トーマス・マン→鈴木貫太郎→ニ・ニ六事件→北一輝→阿部定→
局部を毎日触る毎日です。 >>706
>斉藤茂吉→正岡子規→契沖
次は万葉集を予言する。 >>709
予言も何もあなた、万葉集に来てますがな。
茂吉、子規、契沖だけで本棚ひとつ埋まってしもうた。 >>707
メイドカフェの回数を減らし、正社員を目指して就活をしよう。
>>708
相当危ない状態です。すぐ病院へ行ってください。
>>710
少し本題を節約して、老後に備えよう。 >>712
お見それしました。ゆたかな余生、羨ましいです。お達者で。 >>714
私は日本語でしか読めないから偉そうな事は
いませんが、少しだけ書きます。
まず、辻邦生は「精妙な塑像的描写力と緻密な
物語構成によって主題を深く掘り下げた小説世界の
見事さ」と書いています。
「魔の山」のハンス・カストルプはゲイだ、という
論文をドイツ人学生が発表して物議をかもしたことが
あり、それに対する反論をザビーネ・レアが書いています。
レアによると読者を酔わせるマンの小説の魅力はアンビヴァレンス
だと。たしかにこのアンビヴァレンス(ハンスがかつて愛した
少年の面影を持つショーシャ夫人)は私も魅了されました。 70未満が2ちゃんやってんのかよw
いい若いもんがなんだ。もっとマシなことをやれwww 精妙な塑像的描写力と緻密な 物語構成によって主題を深く掘り下げた小説世界の
見事さ
いいね そうかね。みんな当たり前の条件のように思えるけどな。マンに限らず、
トルストイでもゲーテでもいいだろう。 トーマス・マンは
少年愛好きなの?
それとも、
成人した男性好きなの?
どっちなんでしょうか? っていうか「少年愛好き」と「成人男性好き」では対になってない Paul Ehrenberg との関係は神秘的だ。 トーマスマン 同性愛、で検索したらすぐ論文出てくるよ 世界には色んな論文書いてる奴がいる。
トンデモ説や、箸にも棒にもかからん内容のも多い。
日本にもうじゃうじゃいる。 ドストエフスキー 同性愛、で検索しても出てくるし
たぶんどんな作家の名前をあてはめても出てきそう ベニスに死すはオペラになってるな。
マンはどっちかというと「ファウスト博士」をオペラ化してほしかったらしいが
ベルクを尊敬してた事もあったブリテンには酷な注文であろう。 >>728
読んだ上でトンデモ説かどうかを語ろうや、そういう言葉でまとめないでさ 魔の山を、このクソ寒い季節に合わせて年末年始に読んでるんですけど、数年前は面白くて嘘みたいにスラスラ読了できたのに、
今回はなかなか前に進みません。
読書の進行ってその時の気分にもよるんですね。 >>740
成長した証では?
青年時代面白く読んで、二十年ぶりくらいに再読すると、いろんなところで
躓いた、年齢によって本は変わる。 年を取るとボリュームがある本を読むのが辛くなってくるね。 本には読み時と読まれ時がある。
?啄同時というか、両者が一致するときが一番面白く本を読める。 この小説って、ハンスカストルプの恋愛と、彼とヨーアヒムとの友情と、進歩・啓蒙思想の3つがメインだと
思うのだけど、歳とって来ると「おい、イジイジ妄想してないで、早いとこショーシャ婦人に告白しろよ!」などと野暮な
ことをついつい考えてしまう。
新潮文庫版など、ようやく告白するのが分厚い上巻のラストだし・・。若者向けなのかなこの小説。 >>744
年齢ごと、その人ごとに色々な読み方ができる小説だと思う。
冒頭に時間概念のことが出てきて、若い頃は「カント由来かな?」と思ったが
時間という概念を初めて出してきたのはアウグスティヌスみたいね。
内的時間と外的時間の問題は20世紀文学の大きなテーマだと思う。
シュテール夫人について「病気で馬鹿なのは悲惨だ」と言ったことをハンスが行っていたが、
若い頃はノヴァーリスの進化論(?)のことかと思っていた。
鉱物・植物・動物・人間といった宇宙の階層構造のことを言いだしたのはオリゲネスみたい。
看護婦婦長の名前が「アドリアティカ・フォン・ミュレンドルク」というのは
13世紀頃に亡くなった人のの名前みたいだとハンスとセッテンブリーニが笑って話し合うが
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンという12世紀のベネディクト派女子修道院長で有名な人がいた。
ヒルデガルトは今は聖女にと申請中と聞いているが、様々な才能を持つ天才的な女性と言われている。
ヒルデガルトの作曲した曲は Youtube に沢山ありますよ。グレゴリオ聖歌に近い感じ。
若い頃はヒルデガルトのことなんか知らなかった。 >>744
あの状況で「早く告白しろ」と思うほうが
むしろ気持ち的に若者のような気がするんだが 時間の流れについて、かなりこだわりを見せていますね。
それから著者も冒頭で言ってるけど、とにかく描写が徹底して緻密!
だから素人の感想を言えば、なんか本当にあのサナトリウムで一緒に
生活しているような感覚に時々襲われる・・。 プルースト(1871〜1922)とマンは(1875〜1955)はよく似ている。
ほぼ同時代を生きている、「時間」に対する関心、音楽に対する異常な嗜好、
同性愛的傾向、…互いに言及した文はあるのかな。プルーストとマンを並べて
論じた評論があれば読みたいが、そんな力量のある評論家はいないだろうな。 プルーストはホモを露骨に描いているけど
マンは仄めかしに留めている プルーストとマンと云えば、日本では辻邦生くらいしか浮かばないな。 >>749
ぜんぜん似てないよ
そんなの表面的な類似にすぎない 古本屋で「ワイマールのロッテ」二冊700円で売っていたので、ついふらふらと
買ってしまった。これ読んだ人いる?あまり有名じゃないよね。 岩波文庫に入っているくらいだから有名だろ。
昔読んだが、さっぱり覚えていない。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ >>749
関係代名詞でつないでいって、一文が長いというのは似ている。
でも、プルーストの場合は感情のうねりを長文の中で表現している。
一方、トーマス・マンはより正確に書き込み、時に長文にライトモチーフを組み入れて人物像を作り上げている。 >>754
僕は好きだよ。
途中でかったるく思うかもしれないし、ゲーテが俗物っぽく描かれて幻滅するかもしれない。
でも、最後の馬車のシーンはトーマス・マンの全作品の中でも叙情豊かで絶品だと思う。 >>757
感想有難う、長編で読んでいないのはこれとヨゼフだけなんだよね、
当分は読めそうもないけど、楽しみにしておこう。 >>756
方法に違いはあっても、対象を表現し尽そうという意志は甲乙つけ難いな。 >>758
ご返事ありがとう。
当方の未読は詐欺師とヨゼフです。
一番好きなのは、ファウスト博士、次点がブッデンブロークかな。 1位 「ヨセフとその兄弟」
2位 「ブッデンブローグ家の人々」
3位 なし 現代日本版のファウストゥス博士やなこれは…
ASKAのブログ(2016.01.09公開分/キャッシュ)
http://togetter.com/li/923645 ドクトル・ファウストスは、冒頭と末尾の語り手の述懐がいいんだよね。
辻邦生の春の戴冠は、そっくり借用している。 ヨセフとその兄弟は、あのまったく話が進まない書き方で読ませてるのが凄いと思うわ。 最初の長編の冒頭で、母国語でなくいきなりフランス語で書く心境は、
日本人の俺には理解できない。
「この子は、猿ですよ」 >>767
ブッデンブローク?
「それが問題じゃな、可愛いお嬢さん」
老ヨハン・ブッデンブロークはこだわりを貫くときにはとくに
「フランス語と低地ドイツ語しか使わない」との一節がある。
マン自身がこの小説を「市民性の年代記」と言っているので。
19世紀上流階級の市民はフランス語の素養があったことは
たとえばトルストイ『戦争と平和』冒頭にも。 >>768
ご返事ありがとう。
「それが問題・・・」なら、私でもフランス語でしゃべれそうだ。 昔の日本にも説教とかだといきなり漢語でしゃべり始めるじいさんとか
いそうだ ドストエフスキーやプルーストは新訳が出ているのだから、トーマス・マンも出ないかな。
村上春樹が言うように、原文は古くならないが日本語訳は古くなる。 高橋義孝訳好きだけどな。
俺なんか中学生のときから
ロシア文学は米川正夫訳読んでるから
慣れちゃって苦にならない。
最初の頃は辞書をよく引いて苦労はしたが。 内容を読み取るわけだしそこまで古くなるかな
新鮮な印象も始めだけだし
研究の深まりで正確さが増すのはあるかもしれないね あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? >>771
ドストエフスキーやプルーストに比べると、需要が少ないんだよ。 トーマス・マンに飽きたらヘルマン・ヘッセ読むよ
そしてまたトーマス・マンを読む ゲーテ読みたいな。ウィルヘルム・マイスターシリーズ、読んだ人いる? トーマス・マンが愛読した作家って、ゲーテ以外には誰がいたのかな?
どうも印象が薄いんで。 魔の山のペーペルコルンて何で自殺したの?
いまいち分からないんだが 巨人が病んで行く時の絶望感みたいなのは普通サイズの人間にはわからない
んじゃないか? ってことだと思うのでそれでいいんじゃないか? 何でも人に聞いてばかりだと何もわからないってことじゃないかな 日本では人文系の方や業界がやたらとプッシュしてるように見えるドストエフスキーを
自分は読んだことないんですが、マンとドストエフスキー両方読んでる方からして
ドストエフスキー作品ってマン作品と比べてどういう感じですか?
(自分はマンの出自に親近感あったのもありマン作品を割と読む非人文系の一般人です) >>791
ドストエフスキーは、読んでみると意外と大衆小説的で、さっさっと進む。
トーマス・マンで同じようによめるのは、『ブッデンブロークス』と短編だけ。
後は相応の読書力がないと、読み進めめない。 ドストエフスキーはやたら声がデカいよくしゃべる変人を書く
マンは普通程度にしゃべる一見常識的な人を書く
マンが作中に書いてるロシア人家族の様子を読んだ後でロシア文学を読むと
一層おもしろい >ドストエフスキーはやたら声がデカいよくしゃべる変人を書く
わろたw
ロシア人どんだけ喋りやねん、って思うな確かに トーマス・マンは26歳で『ブッデンブロークス』を書いた後、『魔の山』を書くまでの23年間、『ベニスに死す』以外はほとんど評判にならなかった。
よく、作家業を続けられたものだ。 >>792
『ヨセフとその兄弟』もサクサク読めるよ。 魔の山は内容よりも舞台が悪い
会話がどんなに哲学的だろうが高邁だろうが、感染病の患者が
喉をゲボゲボ言わせながらモノを飲み食いする場面に生理的嫌悪を感じる人は多いと思う 瀕死の患者が身にならない大量の飲食物を摂取し続けるのがデカダンでいいんじゃないか
「ブッデンブローグ」でも同居してるやせの大食いの子がいい味出してる(名前忘れた) >>784
シュティフターの「石さまざま」の翻訳を読んでいたら
巻末の解説にトーマス・マンがシュティフターを高く評価していたと書いてあった。 >>792
>大衆小説的
自分は読んでないけど、読んでる人らの話聞いててなんとなくそうなのかなとは自分も感じてた ドストエフスキーは借金とかあったから売れなくちゃいけなかったからね
大衆小説的になる トーマス・マンのドストエフスキー評。
「この人は全身これ神経の塊だった。ぶるぶる震えていて、絶えず痙攣におそわれるのだ。彼の感覚鋭敏なことは、
まるで皮膚がはぎとられて、空気に触れることさえ激痛を与えるというほどだ。にもかかわらずこの人は60歳まで生きた。
そして40年間にわたる文学活動で、無数の人物の住む、かつて見たことも聞いたこともない新奇と大胆さに満ちた詩的世界を創造した。この世界には巨大な情念が荒れ狂っている。
この世界は、人間についての我々の知識を押し広げるような、「限界を超える」思想と心情の激発が見られるが、
またそこには愉快な気分も生き生きと湧き起こっている。というのもこの磔にされた殉教者のような男は、諸々の性質に加えて、驚嘆に値するユーモリストでもあったからだ 「選ばれしひと」「フェリッゥスクルル」「大公殿下」なんてものも名作だよ
確かにマンはゲーテの後継者といってもいい
「魔の山」の「ワルプルギスの夜」はゲーテの「ファウスト」からきている
また「魔の山」はその流れが「ヴィルヘルム・マイスター」の焼き直しだし
「ワイマールのロッテ」はゲーテの作品をすべて網羅している
やはりマンはゲーテの後継者だ
ドイツで不評だったゲーテを盛り立てたんだ 小塩節先生の「トーマス・マンとドイツの時代」を読み、人間精神への動揺に対する免疫力をつける知恵を学ぼう!!
2016年2月12日
http://comingdragon.com/archives/5760
著者:『人生と芸術、生と精神、愛と創作、それはご夫君トーマス・マンの
一生を通じてのテーマだったし、緊張をはらんだ対立ですね。
ことばを変えれば愛と孤独、家庭生活と芸術創作と言える−、
これはただの緊張関係じゃない。
あれか、これか、二者択一の問題でしょう。・・・(以下、省略)』
カチア夫人:『いいえ、二者択一じゃない。綜合すべきことよ。
それに必要なのは堅忍不抜の忍耐力と深い愛、互いへのおもいやり、
そしてね、ほんの少しばかりの狡猾かしら、人生への。・・・
(以下、省略)』 石川義正
トーマス・マン「魔の山」
マンは家族や友人に執筆中の小説を読んで反応を探る癖があった。
ある時「このエピソードちょっと長いわね」という娘に「そうだね、削除しちゃお」と50p分丸ごとカット。
「え、いいのお父さん?」「いいんだいいんだ」と。自分のテキストに対する巨匠の愛のなさは凄い。
2016年4月30日 >>795
奥さんのカーチャの父が富裕なユダヤ人数学者で
義父からの経済的援助を受けていたみたいです。
米国亡命中も裕福な生活をしながら反ナチ活動をしていたらしい。
第二次大戦終了後、ドイツではなくスイスで暮らしたのも
ドイツ人の中にマンに対する反感があったんじゃないかと思う。 >>771
プルーストについては、以前はプレイヤッド3冊本だったんですよ。
新潮社から出ていた第二次大戦中の訳はもちろんこれ。
井上究一郎のは3冊本の個人全訳。
プルーストの研究が進みプレイヤッド4冊本になった。
吉川一義は井上究一郎の愛弟子で、彼のはプレイヤッド4冊本の翻訳。 トーマス・マンは「トニオ・クレーゲル」でリザベータに言われたように
道を踏み外した Burger だったから、ドストエフスキーの深淵に入り込まなかった。
生まれ育ちも時代状況も違うってのがあるんだろうが。 >>807
ゲーテの後継者らしさを全く感じない・・・ ゲーテは「Sturm und Drang」とか言われる「理性に対する感情の優越」があると思う。
マンは極めて理性的な感じがする。 『ブッデンブローグ』読み終えたぞ
面白い作品だったが最後にあの子を殺したのが気に入らない トーマス・マン(Thomas Mann、1991年9月27日 - )は、米国の俳優。 映画「グランドフィナーレ」
舞台は「魔の山」のモデルのサナトリウム(今はホテル)らしい
友人が見に行ったが・・・ 新潮の魔の山読んでる
岩波は知らないけど新潮読みやすいわ みすず書房のワーグナーと現代は読み辛い
訳がクソですね 『魔の山』は集英社の圓子修平訳で読んだが、良かったね。 岩波だったと思うが、「ファウスト博士」は読みにくかった。
共訳者の一人の方は大学時代に独語習った先生なんだけど。
「魔の山」、今は新潮のを読みかけ中だが、前は岩波のを読んでいた。
これを日本語で読みやすくするなんて凄い翻訳力だと思う。 お邪魔しますよ
投票実施中 9/11(日)23:59までに投票して下さい
文学板ID制を導入に関する投票スレ [無断転載禁止]©2ch.net
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/vote/1473074707/ いま「魔の山」下巻に入ったとこだけど
上巻の最後おもしろかったー
けど上にも書いてるひといたけど
映画みたいな手法だと言えるね
文学的な展開のしかたではないかもしれん
けどおもしろいからかまわん >>821
『ドクトル・ファウストゥス』は、ドイツ語でも読みにくい。その体験を邦訳でも読者に堪能して欲しいのかも(笑) >>824
とはいえ、私は一番好きな小説ですけれど。まさに、トーマス・マンの集大成だと思います。 ファウストゥス博士を1日1章ずつ読んで行こうという計画。順調にいけば1ヶ月そこらで終わる。
しかし、3章からいきなり長い。4章冒頭でツァイトブロームさんが3章思ったより長くなってしまったスマンと謝ってる。オマケに4章も長い。
9章に至っては長く書きすぎたのわかってるけど、見直すの怖いわーとの事。オイ。 2,3年前一度全て読んだものの、読んでる最中はとても辛かった。
とはいえ最後の展開が圧巻過ぎてそんなものは吹き飛んでしまったけどね。
レーヴァーキューンの作曲技法はあまり十二音技法とかシェーンベルクとかそういう感覚はなかった。もう少し無調よりな作風のイメージ。
ツァイトブロームも異様に不協和な「和音」と述べてる。マーラーの10番クラスター風のイメージじゃないのかな。アドルノも確か後期マーラーについて言及してたように思うし。 ワイも魔の山上巻読み終わった
カストルプなかなかの変態だな 魔の山は5回読んで、5回とも上巻で挫折してるな
そしてまだ諦めきれない
ブッデンブローク家の人々買ったから、先にこっちを読もうか 「ヨセフとその兄弟」を読んだという人を見たことがない
まあ、私も未読ですが
ローゼンベルクの「二十世紀の神話」への反証として書かれた
「ヨセフとその兄弟」にこそマンのヒューマニズムがあらわれているのかもしれない
しかし、、旧約聖書中のユダヤ人の物語を書くことすら
ご法度だったというのは本当に狂った時代だったとしか言いようがない >>813
そんなことを言ったら、『ファウストゥス博士』の最後の方での子供が死ぬシーンなんて、本当に許せないぞ。 >>827
同意。ツァイトブルームの言葉ですよね。
ツァイトブルームの独白で最初と最後を押さえる手法は、辻邦夫が『春の戴冠』でそのまま使っていますね。
あと、中巻に出てくるイタリアの別荘の話も恐ろしい。ネタバレになるので、これ以上書けませんが。 ナフタとセテムブリーニの会話は目で追うだけで理解しようとは思わなかった
あんなの理解したらほんとにナフタみたいになっちまうよ 魔の山、面白いか?
ブッテンブロークス、魔の山、ワイマルのロッテ、ファウスト博士を読んで、
魔の山が一番退屈だった_| ̄|○ 物語という物語ではないよね
世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方がある、ってのをマンが披露しただけかもしれん 欧米人の名前って聖書由来のが多いが、ヨアヒムは何なんだろうと思っていた。
聖書外典より、聖母マリアの父がヨアキム、母がアンナだそうだ。
(持っている新共同訳の外典にはあるのかな?)
キリスト教を理解するためにはカトリックの人に聞くのが一番と思う。 バイロイト音楽祭でのヘアハイム演出のパルジファルでは、両大戦が舞台となり、ナチス(クリングゾル)のハーケンクロイツの旗は、パルジファルの槍の一閃で木っ端微塵にされる。
トーマス・マンの「ファウスト博士」を参考にしているに違いない。 19世紀から20世紀にかけてのドイツは、世界人類史における「壮大な実験場」でした。
後進国の悲劇は、同じく東洋における日本にも影響を与えてきました。
「トーマス・マンとドイツの時代」を読むことで、「時代の転換期と人間精神の動揺に対する免疫力」を
身につける知恵を学びましょう。 俺も魔の山読み切るのに一年かかりそう
やっぱりブロークスのが面白かった 「魔の山」の原文朗読 CD を購入しようと思ったら発売終了。
販売されているものはダイジェスト版で、購入者から文句が出ていた。
「ブッデンブローク家」は全文朗読があるのに。
「魔の山」が好きなのでガッカリ。 ヨセフとその兄弟だけ読んでいない
ヨセフは10年前に古書市で買った
今度こそ年内に読みこなしてやる http://sokuup.net/img/soku_34905.jpg
>>845
えっ?『ブッデンブローク家』の全文朗読あるの?凄いな。
『トニオ・クレーゲル』でもCD3枚あるのに。
『魔の山』の全文朗読も知らないなあ。
『ヴェニスに死す』音楽入りのを持っている。
『トニオ・クレーゲル』はマン自身が声優みたいな声で
読んでいて聞きほれる。ドアのチャイムが鳴って、犬が吠え、
女性と来訪者の男性の声がかすかに聞こえる。その女性が
カーチャ夫人かお手伝いさんかはわからないけど、ああいう
生活音の混入はすごくいいね。稀代の文豪が少し身近に感じ
られる。 「魔の山」は15年前に読んだ
この小説って、ゲーテのヴィルヘルム・マイスターに似ている
第2章でハンス・カストルプの生い立ちがでてくるところとかは
ゲーテに似ているよな
ファウスト博士も12年前に読んだ
これはトーマス・マンの音楽の聖地の描写だ
もしかしたらファウスト博士は20世紀最高の作品かもしれない
ワイマールのロッテにはゲーテも出現している
俺はあと読んでいないのは ヨセフとその兄弟だけかな
一応は古書市で買ったからそのうち読もうと思う ファウスト博士そんなにいいんだ
気になってたさんきゅ ヨセフとその兄弟 高かった
3冊で万の金額だった
ワイマールのロッテ 魔の山 ファウスト博士 ブッデンブローク家の人々
は読んだから これを読んで完読だ
フィオレンツィーナなんて唯一の戯曲もいいな その『ヨゼフとその兄弟』は小塩・望月訳(筑摩書房)ですか。
うちの家には父親が学生時代に買った新潮の全集があります。
古い本です。 >>854
これだね。俺も全集を持っている。
http://sokuup.net/img/soku_34932.jpg
http://sokuup.net/img/soku_34933.jpg
古書店で買ったのだけど、商品には「帯有」とシールが
貼ってあるのに、箱にも本体にも帯らしきものは見当たらない。
店主に尋ねたら別に取ってあると。理由は、帯だけを万引きする
者がたまにいるための措置らしい。いろんな人間がいるんだなと
思った。 トーマス・マン全集の画像見せてよ。俺も欲しいんだけど、いい状態のが
なくて困ってるんだ。函のヤケ、帯無しとかばっかり。 ついに「ヨセフとその兄弟」読み始めたぞ
第二部まで読んだ
ヨセフが井戸に捨てられて
拾われてエジプトへ行くところで今日は終わった
明日 といっても今日だけども残りを読んでいくことにする
来週中には終えることにしたい
これでトーマス・マンは完全読破ということになる ついにトーマス・マン全集を読み終わったぞ
全部読むのに10年かかった
ドイツ文学ではほかにヘルダーリン、ヘッセ、カフカ、
ビューヒナー、ノバリースの全集を読んだ
次はゲーテの全集を仕留めていこうと思う 全集狂いもいいじゃん
マンを読みはじめて15年
締めくくりとしての全集攻略だよ 俺はAmazonで原書の全集(13巻、フィッシャー)を買った。
運がいいと出くわすよ。 詐欺師フェリクスクルルは非常に読みやすいよ
最後に兵役の検査で癲癇の症状が出る
おかげで軍隊に行かないですんだ
でもトーマス・マンはすごい描写だ
ドストエフスキーも癲癇を扱うけどもマンのほうが赤裸々だ
なお今後読み進めていくのであれば「大公殿下」「選ばれしひと」
なんていいかもしれないね
「すげかえられた首」「掟」「ヴェルズングの血」もいいかも マンの映画で日本語翻訳のあるものってベニスに死すしかないのかな?
国内の映画祭でブッデンブロークが上映されたことは聞いたことあるけど たしか『魔の山』もあったはず。
昔にNHKBSとかで見た記憶ある ほんとだ、アマゾンにありますね
日本語版はオリジナル(5時間超?)のダイジェスト版みたいですな
オリジナル版含めマン映画、色々商品化してほしいもんですな トニオ・クレーゲル読み終わったが、トニオがデンマークで出会ったハンスとインゲボルグ
すっかり本人だと思って読んでいた。 岩波の短編集は翻訳がよくないのであまり好きではない
全集の短編のほうが好きだね 実吉訳の「デミアン」「親和力」は良かったけどな。
「マン短篇集」は読んでない。 やっとヴェニスに死すが読み終わる。
序盤の主人公が物書きになった成り行きとか
読解が難しくて途中で挫折しそうになったよ。
ドイツ文学って本当に読みにくいね。
車輪の下はかなりきつかったし、
若きヴェルテルの悩みは途中で挫折した。
イギリスやフランス文学ならそこまで苦痛に
感じることはないんだけど。 873
リサヴェーダに語る芸術論と終盤の
リサヴェーダへの手紙がイマイチ意味が
わからんかった。マンは読み易い箇所と
難解な箇所の落差が激しいな。 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 闘う文豪とナチス・ドイツ - トーマス・マンの亡命日記 (中公新書)
池内 紀 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/8/18) 五つの証言 (中公文庫プレミアム)
トーマス・マン (著), 渡辺 一夫 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/8/22)
第二次大戦前夜、戦闘的ユマニスムの必要を説いたドイツの文豪トーマス・マン。
戦争末期、空襲が激化するなか、マンへの共感から戦後を見据えて翻訳した渡辺一夫。
この渾身の訳業によるマンの文章と、寛容論ほか渡辺の代表的なエッセイ、中野重治との往復書簡を併せて一冊にする。
文庫オリジナル。解説・山城むつみ マンすごいな
物語の面白いって感覚の肝をがっしり掴んでる
文章がそっけないからナボコフみたいなやつに舐められがちだがそんなことちっぽけなことだわ
俺は話が面白いやつが好き 今の文庫版のポイントで再販して欲しい。
老眼になると、過去の岩波文庫でトーマス・マンの長文を読むのはキツイ(T_T) 岩波文庫は色々と頑張ってくれてるから悪く言う気はないけど、
さすがにマンの訳が未だに望月市恵というのはどうかと思う。
『ブッデンブローク家の人々』とか文庫でじっくり読みたかったけど途中で諦めて川村二郎版の方を図書館で借りて読んだ。 岩波文庫で復刊してほしい。
あと「ヨハネとその兄弟」は文庫化したことないのね。 『ブッデンブローク家の人々』は川村二郎訳、
『魔の山』『ファウストゥス博士』は円子修平訳が良い マンって「カフカが私を捉えて放さない」と日記で書くほど意識していたんだなぁ
色々知れて面白かった ヴァルブルキスの夜まで行くと、なんか達成感があるんだよね。 下巻はセテンブリーニとナフタの議論を読んで
どきどきわくわくするかどうかで面白さが違ってくる 彼らの議論を読んでわくわくする人って
ドイツ人でも多くなさそう。 死ぬまでにThomas Mannの本をドイツ語で読みたい。68歳にしてようやく3分の一迄来た。今年はJoseph und seine Bruederを一年がかりでチャレンジしたい。 以前魔の山とブッデンブロークに手を出したが
歯が立たなかった。カフカとかホフマンとかヘッセは
何冊か読んだんだが、マンはちょっと手強いな。 >>900
40を過ぎた大人が読むなら、「ドクトル・ファウストゥス」が良いのでは。 面倒なので書かなかったが
>>900は>>899宛です。
>>902
岩波の紺表紙版(こんな言い方ないとは思うが)
読みました。大判の文庫本。
もっとも殆ど覚えてない。ドイツ語で読んだら
上の二冊よりさらに難航しそうだ。 スレチだがカフカとかホフマンは
意外に難しくなかったな。
変身とかグリム童話やMOMOの次に読んだが
特に苦労しなかった 今の読書人は、トーマス店マンの一文の長い文章は読みこなせないだろう。
ドストエフスキーの亀山訳のように長文をぶち切った日本語訳はでないものか。
良い悪いはともかく、そうした日本語訳が出版されないと、トーマス・マンは日本人から消えていきそう。 ↑誤変換すみません
トーマス店マン→トーマス・マン 『魔の山』程度で難渋しているようでは『特性のない男』は数ページで投げ出すだろう トマス・マンの日記読んでるけど
年下の美青年に恋して悶々としてるところとかあって可愛い
やっぱゲイだったんだよね
奥さんのカーチャからも、トーマスはセックスが下手だったみたいなこと言われてたみたいだし
女じゃ勃たなかったんだろうか サナトリウムでのハンスの部屋は34号室。
従兄の部屋はその右隣。
その3つ向こうの部屋が28号室。
意味不明。
映画では右隣が露助夫婦の部屋になっていた。
34号室の左隣は33号室。 映画での、食堂における7つのテーブルの配置が変だ。
ハンスがプリービスラフから鉛筆を借りるシーンも原作とは異なる。 >>908
同性愛が芸術の世界で流行ったのは、19世紀末と1970年代だから、その影響を受けているのでは。 素朴な疑問だが。
サナトリウム帰りの者はたとえ志願しても軍隊に入れなかったのではないの?
半病人は足手まといになるだけだし。 当時のドイツは志願制じゃないからね
五体揃っていれば全員徴兵 >>915
原作に「志願兵」と書いていなかったっけ? いま手元に原作ないけど"Einjährig-Freiwilliger"なら、食費や装備品を自弁する代わりに兵役を短縮する手段であって、いわゆる志願兵制度ではないよ。 斎藤女史は、池田名誉会長が高校生向けの著作『青春対話』
を出版されるにあたり、「学園生はかわいそうだ」と言われ
たのを耳にしたそうです。斎藤女史のお子様も学園で学ばれ
ており、「なぜこんな素晴らしい教育を受けている学園生が
かわいそうなのか」と怪訝に思われたとのこと。
すると、池田名誉会長は、次のように言葉を続けました。
「学園生の前にはあまりに偉大な結論が突きつけられている。
もっと自由に考える機会があってもいいのではないだろうか。
そう考えて、今回の『青春対話』発刊に踏み切ったんだ」 >>916
原作は"Freiwilliger"だから単語の訳は「志願兵 」で間違いないけど、冒頭の章でハンスが一年志願兵の資格を取ったことをことのほか喜ぶ記述があったので、ここではやはり一年志願兵のことじゃないかな 素朴な疑問だが。
サナトリウム帰りの者はたとえ志願しても軍隊に入れなかったのではないの?
半病人は足手まといになるだけだし。
結核患者なら再発すれば他の兵たちにも伝染するリスクがあったわけだし。
(繰り返し) もともとたいしたガフキー号数じゃなかったし、喀痰塗抹陰性だったんでしょ >>921
それなら7年間も療養しなかったと思うが。 >>922
たいした病状じゃないのに魔の山の魔力に囚われて7年間も逗留するからこそ"Lebens treuherziges Sorgenkind"なんでしょう Alles Gute zum Geburtstag! >>924
ネタバレになりそうだから、内容を書けないけれど、最後の馬車のシーンが感動的だった。 >>926
トーマス・マンに感動的なシーンなんてあるのか???
シニカルなシーンでなけりゃ滑稽な場面しか描けないだろ? >>929
・1816年9月の終わり、63歳の未亡人となったシャルロッテがワイマルを訪れる。目的は44年振りに若きウェルテルであったゲーテに再会するためだった。
・シャルロッテの宿にゲーテの友人や親族まで立ち寄り、ゲーテの複雑な人間像を語る。しかし、なかなかゲーテから声がかからない。
・ようやく9月25日、ゲーテは「彼女は俺の名声をつまみ食いしたいだけだ」と言い捨て、大人数での昼餐で義理を果たす。シャルロッテが昔話をしようとしても、周りがそれを阻止する。 シャルロッテは「ひとりの老人と初対面しただけだ」と失望する。
・10月9日、ゲーテからシャルロッテに手紙が届き、ゲーテの仕切席での観劇を招待するものだった。馬車はゲーテが手配した。彼女はひとりで観劇した。
そして・・・
・舞台がはね、シャルロッテが馬車で宿に戻ろうとすると、ゲーテが乗り込んで来た。最後にゲーテは語る。「愛する君、私の安らぎに満ちた魂の中で静かに安らえ」 >>930
美しいね。
ヨゼフと兄弟たちの再会の場面も美しい。 >>935
ゲーテがとても複雑な人間であったも、延々と語るノベルだからね。 このくだり読んで感動するのは恐ろしいね
小説の筋としては別にいいけど >>938
読破してからのコメントが欲しいですね。
あれがないと、無味乾燥して終わる感もあるから。 『ドクトル・ファウストゥス』は音楽に興味ないとキツイんじゃない? 『ファウスト博士』の音楽の部分は、アドルノから受けたレクチャーを元にしてるんだよね
ただ音楽の専門家であるシェーンベルクはこの小説を酷評してる
「マンは音楽がわかっていない」
シェーンベルクの伝記に書いてあったよ >>933
辻邦生の「春の戴冠」の冒頭は、ファウストスのパクリ。 >>896
神の国と悪しき救済めちゃくちゃ面白いだろ トーマス・マンはドイツ人には人気ないと聞いたことがある。そりゃ、ガンガン爆撃受けて、食うや食わずだった内国人からすれば、カリフォルニアの豪邸に住みながらヒトラー批判しても、説得力はないわな。 >>949
戦後は西ドイツに戻らず、スイスで生涯を閉じたんだよね。 閉鎖病棟入院中に魔の山読もうとフト思ったけど
持ってすらいなかったし外出許可もおりてなかった頃だったかも
そもそも薬の副作用の眼精疲労で小説とか無理。 マンガがやっと トーマス・マンというやはり「魔の山」なんだな
私は苦手で、好きなのは「ブッデンブローク」「ワイマル」「ファウストゥス」なんだけど トーマス・マンで一番流布しているのは
「魔の山」であるのは否定しがたいが >>954
「魔の山」は議論が長過ぎ
他のもっと短い
ドストエフスキーも長いことはあるが、トーマス・マンは別格だ >>951
読まなくていいよ。マンなんて、所詮、思想らしきものをまとった風俗小説家だよ。 風俗小説として読めばいい。
ゼテムブリーニとナフタの議論なんて爆笑ものだろ
他にもここそこにくすぐりがちりばめてある 河出書房版世界文学全集(昭和四十四年)の『ブッデンブローク家の人々』では冒頭のトーニーの
台詞の訳が「なんだっけ」で、子どもがなにかを思いだそうとしている言葉だと読めるが、
岩波文庫の訳では明らかに問答示教書の暗唱の一部で、「”それはなんですか”」と訳されており
引用符がついている
岩波のほうが正しいのかな >>955
『カラマーゾフ』の長い議論は読みやすいが、『魔の山』のは読みにくいね
訳文のせいもあるかもしれないけど ドイツ文学の翻訳者は、ロシア文学やフランス文学に比べるとはるかにレベルが低いから
その上に関係代名詞でつなげて厳密な説明を加える構文のトーマス・マンの文章を日本語にするのは難行といえる
亀山郁夫みたいに長文を短文にぶった切る翻訳家が出れば面白いのだが、批判も多いだろうし、何よりトーマス・マンなど売れないからな 自由間接話法を潰して通常の会話のように
鍵括弧でやる翻訳は問題あるよな
原田義人のカフカはそれだった トーマス・マンの作品で、新訳するら価値があるのは何だろう
「ベニスに死す」はありそうだが、長編では何かな。「魔の山」ではありそうにない 「魔の山」面白かった
軍人、啓蒙家、中世キリスト教徒、医者、「停滞のアジア」のお姉さん、
空気読めないおばさんなど、色んな人が居ておもしろい
ユーモアあって笑えるのもいい
自分も長い間人生を魔の山で浪費?して現世に帰って来たような読後感ですごく満足
ただ今の時代これを読むのは相当な暇人だと思われるw 普通に面白かったよ
お勉強作家なイメージのその先行ってた 毎年秋に昔から読んだ大長編を再読しているのだが、今年は「魔の山」にするかな
当初の予定では「白痴」か「アレクサンドリア四重奏」だったが 魔の山、第4章まで読んだ。続けて第5章に進む
とはいえ、冗長感は半端でない
・時間の感覚
・身体の健康と心の健康
など面白い議論もあるが、何せ長い
第5章からカストルプも病人となるのだが、これまでは仕込みで、こそから果たして小説として格段に面白くなるのかいな >>972
ダラダラした冗長感を楽しむのがいいんだろ。 >>974
あれが続くのか_| ̄|○
後のストーリーへの伏線ならいいんだけど、単なる雑談だからなあ だらだら魔の山読んでたら6章から急に面白くなってびびった
とりあえずナフタやべえ
しかしラストは物悲しいなこれ >>976
> しかしラストは物悲しいなこれ
重病人がいきなり戦場に行くってのは、いくら世界大戦でもかなり不自然だと思った。 >>979
後遺症はあるはず。
たとえば肺活量が少ないとか。 半病人が戦場にやってきても足手まといにしかならないだろ。 ある人にこの本の話をされてうっかり読んだことにしてしまった
何とか読みたいが自分だけでは読み通す自信がない
誰か一緒に読まないかい 病人の人事の方が死に呵責なく何人もうてるけどな。悲壮感で。 病気を怖がるより経過にまかせて死に急ぐ方が予後がいいということだ。 魔の山
トーマス・マンの長編は何冊か読んでいるが、この本が絶望的につまらない
ワイマルのロッテはゲーテ論、ファウスト博士は音楽理論があるから、ダラダラ感の中でも読んで良かった感があるが、
魔の山は無駄な雑談ばかりだ 光文社文庫のだまされた女。訳がひどすぎ。地の文はまだ読めるが、
話し言葉が全然日本語になってねえ。想定される年齢と言葉遣いがあってねー >>988
> 魔の山は無駄な雑談ばかりだ
そのダラダラした展開が好きな人もたくさんいるわけで。 >>989
独文は新訳ではなくて前世紀ミドルごろまでじゃないとダメ ショウセツ=サブカルなナニモノカ世代の翻訳に期待するほうがおかしい このスレッドは1000を超えました。
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