【魔の山】トーマス・マン【ヴェニスに死す】
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無かったので、建てました。
皆さん、トーマス・マンの作品について、語り合いましょう! ヴェニスの死す、しか知らなくてごめん
勉強して出直してくる 高校生の時に、高橋訳の「魔の山」を読んだ事があるけれど、セテムブリーニとかの話が、さっぱり意味不明だった。
「魔の山」を理解するには、かなり教養が要りそう。 、『ヴェニスに死す』は、作者マンによって、近代ヨーロッパ的秩序=理性が、
海に象徴される原初的美=混沌の前に、その虚構性を暴かれつつ滅びていく作品であり、
この『ヴェニスに死す』で描かれた「死=理性の敗北」と対になるのが、
「死への憧憬から生への意志」への転回、一種の「再生」を描いた『魔の山』だと説明されています。
岩波の「ブッデンブローク家の人々」、絶版なのかあ。
岩波以外に訳無いよね? ブッデンブローク家の人々ってもう売ってないの?
wikipedia見たら2人翻訳してるみたいだけどどっちがいいんだろ。俺も読んでみたいんだが。 >>8
俺はこの川村訳で読んだ。名訳だね。
古本屋で河出版売ってるだろ? 『ヴェニスに死す』面白かったな
冒頭はクソややこしい文章だけど 光文社古典新訳文庫にもマンあるんだね
先月発売したらしい詐欺師フェーリクス・クルルの告白、さっそく買ってみたわ >>12
ノーベル賞はこの作で取った。とても面白いよ。 『魔の山』は集英社の円子修平訳がお勧め。今は絶版か。 最近数作読んで好きだと思ったけど同時になるべく早く卒業したいものだとも思った 円子修平訳で『ファウストゥス博士』を読もうと思っているが、
なかなか読み始める機会がない。本はあるんだがね。 3年前にファウストゥス博士読んだっけ
そして今年ドイツのTV映画版も買ってみた
英語字幕版だがちょっと難しいw
ところで最近出たベニスに死すは新訳なのかしら
短編小フリーデマン氏は泣ける
自分も魔の山とブッテンブローグに挑みたいが読書時間がとれず断念中 映画版のタッジオでかすぎだろ
いくら監督が掘れてたからって・・・ 小フリーデマンは救われないねぇ…。
短編なら、幻滅とか悩みのひとときが好きだな。
幻滅のああいう気持ちを、二十歳過ぎであそこまで形にできるのはすごいね。 >>18
作中人物〜読者という距離感があるからこそトニオはトニオであることを気付かれ好かれてると思って。
トニオのような読者は、トニオと自分を被せてるだけじゃダメだとも自省を込めて少し思ったわけです。
狭間にいてしまってることを受け入れつつも、直視しつつも、やっぱり狭間に留まっていることにも抗いたいというか、
抗わざるをえないという気持ちを大切にしたいとか思うんですよね。(少しこんがらがってきた)
俗人でも芸術家でもないと言いながらも結局トニオは小説家でいるからこそ?トニオとして生き続けているから(?)
小説家として生きられない大半の読者はそう思うともっと別の物も読んだり、
トニオの先をもっと考えるべきなのかなぁとか思ってしまう。(かなりちんぷんかんぷんに…すみません…) トーマス・マンは大好きだけど、作家業じゃないトニオを見てみたかったなぁと。
というか他の作品も見てみます。なんか駄文長文すみませぬ。文学部じゃないしバカでした。 いやいや!
作家でないトニオとは!
考えたことがなかったけれど
なんと豊かな想像力!
すごい! 物語としての面白さは
『ブッデンブローク』 > 『ヨセフ』 > 『ファウスト博士』
かな 魔の山なうだけど、読みやすいけど長いよこれ!うぉう! 大きな書店いろいろ探してもないから諦めてたが、
埼玉の辺鄙な街の小さな書店でブッデンブローグ置いてあって泣けた あー楽しみ オレの好みは、魔の山よりブッデンブローグ。
ブッデンブローグは繰り返し読みたい愛読書。 >33
泣けるほど素晴らしいのか…
トニオ、魔の山、ヴェニスしか読んでないが、頑張って探してみるかな… ブッデンブローグってもしかして希少なのか!?
二年前に渋谷のブコフでブッデンブローグ全一巻600円を発見して迷ったが
荷物になるからスルーしちゃったよ・・orz 「ヨゼフとその兄弟」を読んだ人に聞きたい。
予備的な学習として何を読めばいいのか、まじめに答えて欲しい。 ブッデンブローグじゃなくてブッデンブロークね
Buddenbrookだから 魔の山以降は、なんだか、日々勉強して書きましたって感じで、
それまでの、ぐいぐいと引っ張っていくような力がないな >>42
面白かったよ。
創世記の該当箇所を読んだことがある程度の予備知識しかなかったけど。
ゲーテだかが、(聖書の記述を)あまりにも面白いのにあまりにも短い、とか言ったんでしょ。
物語の面白さは保証付き。 そうか、面白いか。
ますます読みたくなった。
ところで、「創世記の該当箇所」とはどこか教えてくれ。 >>45
サンキュー。
早速読んでみるよ。しかし、結構長いな。
他に、準備として読むべきものはないかな?
そんなに面白いのに何故読まれないのだろう? 「神の剣」冒頭の晴れやかなミュンヘンのたたずまいが好きだ。 ナフタが現れてから妙にムズくなってきたんだが。
あと680ページ…部分的に小難しくなってるだけであってほしい(^p^;) けど、やっぱ何度も読み直してみると面白いすね。
なんとか粘る! 『魔の山』は、従兄弟が死んでからは、作者のモチベーションがだいぶ下がっているように思う。 俺の中二病を拗らせた要注意作家だった。
ヨゼフとその兄弟たちの世界には没頭したな。
お陰で話が回りくどい、趣旨を早く話せ、
長文ウゼェと言われる性格になった。 長編は魔の山以外なかなか売ってないね
光文社の新訳で2つなんか出てて気になる(評判はなんとなく悪くなさそう?) ブッデンブローク読みたいなあ
書店で見かけた方いますか? 天才的巨匠。もうこういう文学が出る環境ではないのだろうか。
結核文学の最高傑作、「魔の山」
芸術家の悲哀を描いた短編、「トニオ・クレーゲル」
ヨーロッパの斜陽の美学、「ヴェニスに死す」
文学はやっぱりこうでなくちゃ。美と思想と表現技法。
滅びの美学と言っても、太宰とか梶井とかみたいなのはもう読みたくない。美しくはない。 しかし今は仕事が忙しすぎて頭とカラダが破裂しそうなんで、
今日のような休日に堀辰夫を読むのが精いっぱいだ・・
日曜は映画と読書と散歩と買い物ってとこだな・・・魔の山は読む方にも時間とエネルギーと余裕がいる。 やたらと飯を食う場面が出てくる小説だな、『魔の山』はw
小説としては『ヴェニスに死す』の方が面白かったな。
ま、三島先生がマンを好きな理由が何となく分かったけどねw ヴェニスに死すは面白くはない。
美的観賞のつもりで読むもんだとおもうが。 というか『魔の山』はなんであんなに長くなったんだろうね。
三島が『文章読本』の中で「よい短編作家は論理的で細部にこだわるからよい長編が書けない」って
言ってたんだけど。
確かに魔の山には無くても障りない箇所が多いし… 映画監督のヴィスコンティは『ヨーロッパ的デカダンスを描かせたらマンか
私』と言ってたな。『ベニスに死す』も作っちゃったけどね。
実際彼は『魔の山』も映画化の構想があったんだけど予算か何かの関係で
頓挫しちゃったんだよね。
三島は『地獄に堕ちた勇者ども』っていう映画を『生涯忘れえぬ映画』と
絶賛してたんだけどこれもマンの影響を大いに受けた作品。
生涯忘れ得なかっただろうね、観た翌年に三島は死んじゃったんだからw マンは自分の素質の中にデカダンがあるのを見抜いていたから、必死に抵抗してたな。
たぶん、若いころ、世に出なかったときに、まわりの芸術家崩れの連中のいやな部分をさんざんみたせいもあるんだろう。
そういった雰囲気は森鴎外の同時代の翻訳物なんかでも感じられる。 ファウスト博士(下巻)、ブックオフで105円で売ってた。
探してみるもんすなー。上巻ないからまだ読めないけどっ。 勉強して書きましたというのは
ナチスとトーマス・マンの戦いは
精神的に兄弟同士の戦いだったからだとか
どこかで読みました
勉強と執筆が同時進行だったわけです
わかりにくいのも道理と言えます
岩波で読んだブデンブロークはつまんなかったよ。
新潮の魔の山・ヴェニスに死すより、3-4段は落ちる。読まなくていいと思う。
家族ものならモラヴィアの「無関心な人々」の方が素晴らしかった。 マジかよ 岩波を積読してるわ
岩波のが売ってあったことすら奇跡だったから仕方ないが(´・ω・`)ショボ-ン トーマス・マン批判となると、誰が有名になるんでしょ?
他人の発言を探すより、やっぱまだ未読けどハインリヒ・マンとか、
家族を調べてった方がいいのかな。 「選ばれし人」っていうのも結構いいぞ。以外に知られていない。
少し「ヴェルズングの血」みたいなところがある。
唯一の戯曲「フィオレンツィナ」もいい。 面白いよ、ブッテンブローグ
これで、マンに嵌った
魔の山もすきだけど ファウスト博士
ttp://www.iwanami.co.jp/shinkan/repub/2012/07.html 人は記憶型と思考型に大別できる
記憶型はブランドに弱い
権威や有名なものに釣られるのよ
んでリーダーには向いてない
よって権威ある有名なリーダー養成所に集まるのはリーダー不適格者ばかり
ブッデンブロークでトーマスは何で死んだの?
ブッデンブローク家の屋台骨を一人で支え続けたトーマスが死んでブッデンブローク家が一挙に崩壊に向かってゆく有様の叙述は圧巻なんだけれど。 ブッデンブロークスの座右は森川俊夫、でも私も川村さんの方が好き。
『魔の山』の座右は高橋義孝、でも関さんの方が好き。高橋さんを私は全く好きになれない。 圓子訳はネットで評判がいいので読んでみたが、高橋(義孝)訳のほうが私には合っていた。 台湾人の友達の家に『魔の山」中国語訳があった。
冒頭は「一個普普通通的年軽人、在盛夏時節離開自己的故郷
漢堡・・・」となっていて面白かった。 なんとなく読めるけど地名(漢堡=ハンブルク)とかはお手上げだw この前テレビで田嶋陽子先生がこんなことを言ってた。
「私、(三島由紀夫の)豊饒の海を読んだ時、三島って
人は終わりだと思った。だってそうでしょ、トーマス・マンと
同じじゃん」
「豊饒の海」は読んだことあるけど、トーマス・マンと同じだとは
気づかなかった。 『魔の山』の好きな人物は誰ですか。
2人の青年がもちろん一番好きですが、セテムブリーニ氏が
ハンスを「エンジニア」と呼ぶのは嫌味みたいでおかしいし、
教養の無いショーシャ夫人も笑わせてくれます。それと
ペーペルコルン氏もなかなかの人物です。 田嶋陽子の、さっきその部分と思われるところだけネットで見たけど
田嶋嫌いだけどあながち間違ってないようにも思う 田嶋の言うことを真に受けるなよ。
なんでトーマス・マンと同じなんだよ。 俺も魔の山途中まで読んでるけど。 >>92
私がとても印象深かったのは、カーリーン=カールシュテット。結核末期(「モリブンドゥス」)の少女で、ボブスレーのように
遺体を搬送するベルクホーフの墓地を見学して「あそこで寝るのね」と言った場面。確かヨーアヒムが「脱走」した年のクリス
マスの頃に亡くなったと思う。
あと、シュテール夫人。「言い間違い婆さん」で無茶苦茶を言うのがおかしい。
「アルビンさん」。結核の末期で医者から見離されているという自信に満ちて、エキセントリックな言動を繰り返していた筈な
のに第一次大戦まで生きている。
ベルクホーフの院長も面白いですね。シュテール夫人は「おやじ」、セテムブリーニは「悪魔の手代」と呼んでいたと思う。
やたらとご馳走を食べるのは、当時の医療水準で栄養を取ることが明らかに結核の治癒率を高める面があったのは確かだと思う。
今の癌で様々な事を試みるじゃないですか。
あと、フェルゲ。やはり「モリブンドゥス」の一人で「難しいことは何も解らない」が、のち回復してヨーアヒム亡き後主人公
の相棒となったと思う。それがセテムブリーニとナフタが訳の解らん議論をしているのに付き合っているのも面白い。しかもそ
のサークルは主人公ともう一人クラウディアへの片想いが居て、サークル全体の統率者がクラウディアの愛人である「尻切れと
んぼの英雄」ペーペルコルンであるといった滅茶苦茶が成り立つのが「魔の山」なのだということなのだろうか? ペーペルコルンはゲアハルト・ハウプトマン(詩人・ノーベル文学賞)がモデルだとか 最後はハンスが戦地に向かうってこと自体は事前に知ってしまってたのもあって、
どういう心境の変化でそういうエンドに向かうんだろうと期待して読んでもいたので
終わり方としては少し物足りなさもあり。でもああいう風に気持ち無理やりに終わらすことしか
ないのかなと思う面もあり。とにかく物語は置いといて、とてもよかったので
もう一度言葉を拾いつつ、しばらく熟考してみるなう。 訂正)物語は置いといて → 物語について考えるのはひとまず置いといて
物語も楽しかったです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています