【魔の山】トーマス・マン【ヴェニスに死す】
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無かったので、建てました。
皆さん、トーマス・マンの作品について、語り合いましょう! マンは好きだけど、三島は読む気しない
数作トライしたけど途中で飽きてしまう そういやトニオとかが好きだって異性の人って、
どういう意味で好きって言ってんだろ 講演集にある「ドイツ共和国について」読んだけど、ずっとモヤモヤモヤモヤしてしまった
センチメンタルな反啓蒙主義こそが敵だ(同時にこれは恥辱だ)とするあたりはなんとなく整理できた気がする一方で、
でも人間性を語るあたりはなんか突っ込みどころが多いような、
マンこそがその恥辱を乗り越えないのかよと思うような?なんかこんがらがってきた
シュペングラーを学者としての思い上がりだとするところとか。んんん… 非政治的人間の省察はまだ読んでないけど、
マンは政治語るのは下手というかセンスはないんだろうなというのはなんとなく感じてる マンは政治と市民社会は双方相入れないものと考えていたんだろうか
まず個人の自由があって−倫理=市民社会でなりたっていたものが
国家政治の出現が個人の自由すべてと社会を束縛し、膨れ上がった倫理のみが市民を形成する
それは真理ではないけど、さしあたって具体的な反論もできないというジレンマ
ファウスト博士のWW1後の世界はその辺のモヤモヤがすごく伝わる気がする 市民社会:おそらくA型(的な人)の幸せを守るためにある場所
倫理:A型の平静を守るためにふわふわ作られる人とのあるべき距離感
B型(的な人):市民社会(混じり合って仲良くし合う場)は永遠の(強い)憧れ、
しかし現状の倫理は自身には(あくまで運命的に)窮屈で(人並みの平静を持つためには)市民社会から離れざるを得ない人
個人の自由が規格外すぎて市民社会ではただの放埒(現実的に害悪)ということになってしまう人
市民社会の外に本格的に出ようとしないと諦念をいつまでも獲得できない人、
外に出ないとA型(的な人)が抱えてる「普通」に気付けない人
人間愛(直接的):O型が市民社会(という概念)を超えてB型に接しようとすること
人間愛(間接的):A型が市民社会の外を生きる運命の者に(あくまで)そこで幸せに生きる在り方を想像すること
リアル:A型が想像したものに(敬意は示しつつも)それはフィクションにすぎないことをB型が素直に示すもの
B型(再):平和的ではあるが、結局、人間愛をうまく持てない人。身近という概念をうまく持てない人
政治:みなが同じことを考える場所、とりあえずみんながつながった気になれる場所
とか考えたことはあった マンは人間愛を恥辱と捉えつつも、人間愛をテーマに書き続けた作家だと思うけど
おそらくA型か、もしくはA型(的な人)のふるまいをすることで
市民社会になんとか留まる生き方を見出せたB型かもな、と予想。
詐欺師になれた(運命に抗えた)B型、的な人。
(なに書いてんだ、自分…) マンを詐欺師呼ばわりとは
なかなか通な方とお見受けした ヒューマニストはみんな詐欺師ですたい
だから人はマン的なものにいつまでも留まってたらいかんとです
人間愛なんてのは、乗り越えるためにあるもんですたい、たぶん ヨセフとその兄弟は面白いの?
読まなきゃと思うけど、不意に腰が重くなる。 裕福な家庭の子ってもっとも人間関係詰んでしまう不幸なタイプだと思う 随分昔だが20世紀の傑作というので「魔の山」を読んだが
ああなるほどこれは傑作や!というほどは読み込むことができんかったな
金持ちのぼっちゃんの療養生活記が自分の心に何をもたらしてくれるのか分からんかった
ただ以前に読んだ「命の初夜」とか福永武彦の小説とかにも通ずるものがあって嫌いじゃないなとも思った ??「自分の心の貧しさを他人のせいにしてはいけないよ」 全集買って最初から読んでるけどブッデンブローグって25歳くらいの時の作品なんだね
たいしたもんだ俺25の時なんてエロゲの事しか考えてなかった えらいねえ全集読むなんて
あれを25歳で書くなんて天才だね
マンの創作意欲は死ぬまで衰えなかったのもすごい バルザック原書で読んでたらしいからフランス語はできたのかな。 アメリカに数年住んでたし、出版前の自作の英訳のチェックもしてたらしいから英語も達者だったのでは マンは学校とかではどんな青年だったんでしょ
学校での成績とかは悪かったような気がしたが、人付き合いとかはどうだったのか気になる ハンパな引用に思えたし、ゾルゲっぽい奴にカストルプと名付けてたのはなんだかなぁと思った ?いや、魔の山を出す必要あったかね、なんのために出したのかね的な。 マンの講演集的なの読んでるけど、マンってしばしば市民階級側アピールしてるけど金持ち家庭の子なんですよね? 庶民面をするのが特権階級。
名家ぶるのが成りあがり者。 経済的には裕福だったみたいね。
他の作家を支援したりしていたようだし。 支援とかもしてたんすね
ブッデンブロークも読んでみます ブッデンブローク家の家系図が描いてあるサイトとかないかなぁ
メモしてなかったからだんだんわからなくなってきたw http://next2ch.net/bookall/1379834614
こちら過疎なんで、気が向いたら何か書いてってくれれば嬉しいです
あるいは2ちゃん規制の時にでも 魔の山読み始めたけど、なんか知らないけど大好きな雰囲気だな。本なんて全然読まないからよくわからないけど。
北杜夫の木精で散々トニオが出てきたから、どんなもんかと思って読み始めたけど、なんかいいな。読み終えたらトニオの方も読んでみよう。
読み終えるまでにどのくらいかかるか分からないけど。 岩波の『魔の山』、字が小さくない?
10年前に買った時はあまり気にならなかったけど
大きな字に慣れてしまったせいか
読むのがつらいな 『ヨセフとその兄弟』は『ブッデンブローグ家』を想い出しながら書いたような作品だ 魔の山の下巻におけるセテンブリーニとナフタとのやりとりは
フリーメーソンが…イルミナティと薔薇十字団が…といった話ばかりで
要するに第一次大戦前後からあの手の話が受けていたんですね。 ヨセフ文庫で出してくれたら何巻になっても買うんだがなあ トーマス・マンは独語でないと面白くないと思う。
特に「魔の山」は原文でないと。
そんなに独語できなくても日本語と合わせながら読むと全然違う。 >>「そんなに独語できなくても」
この一文で独語でマンを読むことの楽しさ難しさが分かっていないのがよく分かった。 森鴎外は日本語でないと面白くないと思う。
特に「渋江抽斎」は原文でないと。
そんなに日本語できなくても独語と合わせながら読むと全然違う。 まあ○○だけが日本文のほうがいい、なんてことはないんだけどね
ま、スレ違いだから他所行ってね
ドイツ人でも日本語読めるんだもんね NHKのクイズ番組に昔出演していたハンス・プリングスハイム氏、トーマス・マンの
親戚だったという事を聞いた事がある。
そのクイズ番組名、忘れたけれど。 もう十年以上前ですがスイスのダヴォスに行きました。
中学生の頃から持っている「魔の山」第1巻(岩波文庫)を持参し、
ホテルのベットに横になって読みました。
横臥療法のつもりでした。 >>174-175
血液型による性格の違い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E
・当初は医学者、教育学者、心理学者などによって、
新しい学説の候補として提案されたが、
その後にその妥当性を巡って学会で議論が起き、
紆余曲折を経た後、学会で否定された。
だが、この説を説く一般向けの本が多数出版されたことや
近年日本のマスコミにより繰り返し流布されたことによって、
日本、韓国、台湾等一部地域で、それを信じる人やそれを信じている言説が増えた。
それらの国々では「血液型」は今や経済的価値を生み出す
コンテンツの一種となっており、無数の関連商品及びソフトが市場に流通している。
血液型と性格との間に特殊な関連を設定した統計的な検証も行われてはいるが、
そのような関連を裏付けるような統計データは得られていない。 >>174-175
科学的な根拠が存在しないにもかかわらず、
一部の人達の間で根強く科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられる
現在の血液型性格分類は数々の出版物により一部の者に信じられているが、
科学的検証では性格や気質と血液型との意味があると思われる関連性は発見されていない。
欧米諸国ではそのような血液型性格分類は支持されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E 「ハルトマン作品集」を読み終えた。
「グレゴーリウス」も読んだ。
でもマンの「選ばれし人」は未読。 マンには第二次世界大戦を背景にした全体小説を描いて欲しかったね
あれほどの大惨事、大事業を多角的に徹底的に描き切った作品は
まだ世界に現れていないからね
20世紀の「戦争と平和」を読んでみたい この人はなんで第一次世界大戦に従軍しなかったの
当時39歳か年齢制限かな
普仏戦争もちょっと前だね
戦闘を経験してたら違った作風になってたかもね
三島と同じで書斎の域をでていないからね
もっともそれがいいって思う人がマンの読者なんだろうけど トルストイは兵士経験あるしな
まあ経験がすべてだとは全く思わないが、すごい経験をしている人間の書き物には迫力があるのは分かる
ウィトゲンシュタインとかもな >>220
血液型占いの真偽(マジレベルの話)は知らないが、血液型占いの影響力はもう普通にべっとりあるんだから
A型的な人、B型的な人、ってのは普通に通じるよ 域をでていないあたりがいわゆる普通の人間らしさが出てるというか、
だから人間とか普通の人とかって概念について考える際にわりとマンが参考になった人がいるんだと思う >>226
いや通じてないよ
影響力による性格の違いが出ているという結果は出ていない 科学的な根拠が存在しないにもかかわらず、
一部の人達の間で根強く科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられる
現在の血液型性格分類は数々の出版物により一部の者に信じられているが、
科学的検証では性格や気質と血液型との意味があると思われる関連性は発見されていない。
欧米諸国ではそのような血液型性格分類は支持されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E
肯定派の説はどこがおかしいか
肯定派が唱えている説や論理展開はどこがおかしいのかをまとめると下のようになる。
速断: 不十分な証拠で結論を急ぐ。たまたまいた一人だけを見て、 X型は〜だと一般化する。
偏った証拠を根拠: 統計的手法を誤ったり、データを選択的に使用したりする。
つまり、母集団の性質(性別・年齢等)が偏っている、サンプル数が少ない。
そして、 自説を裏付けるような事例だけを用いてそれ以外は無視する、
自説に都合のいいように 文献を引用・解釈する。
手前勝手な議論: 問題を自説に都合のいいように扱う。同一の事柄でも状況により、 肯定したり、否定したりする。
また、否定派の理論・実証を無視したり、 実証を独自の理論で覆そうとする。(理論で実証を覆せない。)
架空の議論: ある意見を自分の都合のいいように解釈、議論を進める。
話題をそらす: 真正面からの議論を避ける。(そのため、話が全くかみ合わない、 話にならない。)
また、反証されても、その場しのぎの仮説を用いて反証を逃れようとする。
世論を根拠とする誤り: 正しいとは限らない世間一般に考えられていることを根拠にする。 血液型をめぐるこれらの「考え方や見方」を支える根拠は証明されておらず、
本人の意思ではどうしようもない血液型で人を分類、価値づけするような考え方は社会的差別に通じる危険がある。
血液型判断に対し、大人は“遊び”と一笑に付すこともできるが、判断能力に長けていない子供たちの間や
大人といえど場のノリに支配されたリテラシーの低い者の間では必ずしもそういうわけにはいかない。
ネタだから甘んじて
\受け入れる/
.∧_∧ ∧_∧
;;;;;、(・ω(:;(⊂=⊂≡ <`∀´ > はいこれはネタだからw
(っΣ⊂≡⊂= ⊂≡ ⊂) 会話のツールだからw
/ B ) ババババ ( \
( / ̄∪ ∪ ̄\ )
これはただのネタ
\芸人のいじられと同じ/
∧_∧ .・,'∧_∧;,. ∧_∧
< `∀´>つ≡つ);;)ω(;;(⊂≡⊂=<`∀´ > そうそう、ネタだからw
(っ ≡つ=つ (っ ⊂) ⊂=⊂≡ ⊂)
/ ) ババババ | B | ババババ ( \
( / ̄∪ ∪ ̄ ∪ ∪ ̄\ ) >>228
A型はこういうタイプ、B型はこういうタイプと言い続けてる社会に
自身が影響しないわけがない。日常会話レベルで行われてるんだから >>212
マンは「ヨセフ」以外は、文学作品はすべて独語、翻訳を読みました。
「ヨセフ」は、その題材が旧約からして好きではないし、マンの解釈も全然合わなくて。
「魔の山」は、読んでいると、本の間からサナトリウムの風が吹いてくるような感じ・・・
「ブッデンブローク」は、溶けそうな雪の上を歩く音が聞こえる感じ・・・
「トニオ」では、風に吹き飛ばされるような感じ・・・
そんな箇所がありますね。 >>231
馬鹿ですか? こんなのがマン読んでるとか身の丈に合ってなさすぎ
血液型の話題は今後スルーで >>233
なにがバカなの?
真偽とは「まったく別次元の」一般レベルのところで影響力があるからずっと日本にはこの手の話が出るんだろ
マンだって同じ。人間愛とか人間性とか民主主義なんてものはタチ悪い概念でしかないけど、
あえてそこに向かってる作家だし 人間愛と血液型とどう関係があるんだよw
和民での合コンならともかく、インテリ同士の会話で血液型の話題が出ることなんて皆無だぜ? >>234
おまえバカなんだから村上春樹でも読んでろ
二度とこのスレにくるな >>235
真偽じゃなくタチの悪い概念と向き合うという点で。
インテリ同士の会話に限定してる時点で間違えてるわ
本当にインテリなら人間性とかすら話題にしないでしょ >>237
春樹でも読んでろってレス自体がいかにもバカらしいわ はいはいお前お利口お利口
でも血液型のウンチクなんぞスレ違いだから早く消えてね 魔の山を読み終えての疑問なんですけど、この小説の語り手は誰なんですか?
あと一人称の「私たち」はなんで複数なんでしょう
普通に語り手プラス読者で「私たち」なのかと思ったら
途中「私たち」と読者が区別されてたりしてよくわからないです
ナフタがイエズス会の人間だと知らされるところでハンスが
ナフタの「私たち」って一人称に引っかかった所とか読むと意味ありげに感じるんですが 三人称小説で語り手が出てくるのはスタンダールにもフローベールにもある
昔から続く物語的手法の一つだろ 義弟(?)のクラウス・プリングスハイム氏は、
亡くなる1か月前に上野駅で見かけた事がある。
背の低い人だった。
カーチャさんの身長は知らない。小塩先生に訊いたら分るかな? ヨセフ文庫化して欲しいな、何冊になってもいいから
ちくまさんお願いします >>249
そんなことないと思うけど。高橋訳ええやん。 冒頭どの訳も
> ひとりの 単純な 青年が
となってるけど「素朴な」ではないの?
「単純な」という語の選択に違和感ある 考え方が単純、みたいに考えると合ってはいるな
その文に相応しいかどうかは知らないが 小説の出だしだから
ある人物が「単純」だとするには無理があると思うが 魔の山だと岩波の関・望月訳と新潮の高橋訳の他に、昔の筑摩の世界文学全集や世界文学大系に佐藤晃一訳があったはずだからそっちあたってみたら?
世界文学全集の端本はブコフでよくあったりする
古い翻訳だから大差ないだろうけど
岸さんが古典新訳文庫で出してくれればまた印象変わるのかな 原文知らないからなんとも言えんな
原文が「素朴」でも向こうではどちらかといえば「単純」に近いのかもしれないし オレの周辺では、圓子修平訳(集英社の世界文学全集)が評判いい。 原文は知らないけど俺は「単純な」の方が好きだな
カストルプを語るなら 芸術家はバンカーの風体をしていなければいけない。
何故なら芸術家の内面とは犯罪者そのものだから、
私にとってこれがトーマスさん。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています