【魔の山】トーマス・マン【ヴェニスに死す】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
無かったので、建てました。
皆さん、トーマス・マンの作品について、語り合いましょう! 域をでていないあたりがいわゆる普通の人間らしさが出てるというか、
だから人間とか普通の人とかって概念について考える際にわりとマンが参考になった人がいるんだと思う >>226
いや通じてないよ
影響力による性格の違いが出ているという結果は出ていない 科学的な根拠が存在しないにもかかわらず、
一部の人達の間で根強く科学的な説として扱われることがあるので、今日では疑似科学の1つにも数えられる
現在の血液型性格分類は数々の出版物により一部の者に信じられているが、
科学的検証では性格や気質と血液型との意味があると思われる関連性は発見されていない。
欧米諸国ではそのような血液型性格分類は支持されていない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E6%B6%B2%E5%9E%8B%E6%80%A7%E6%A0%BC%E5%88%86%E9%A1%9E
肯定派の説はどこがおかしいか
肯定派が唱えている説や論理展開はどこがおかしいのかをまとめると下のようになる。
速断: 不十分な証拠で結論を急ぐ。たまたまいた一人だけを見て、 X型は〜だと一般化する。
偏った証拠を根拠: 統計的手法を誤ったり、データを選択的に使用したりする。
つまり、母集団の性質(性別・年齢等)が偏っている、サンプル数が少ない。
そして、 自説を裏付けるような事例だけを用いてそれ以外は無視する、
自説に都合のいいように 文献を引用・解釈する。
手前勝手な議論: 問題を自説に都合のいいように扱う。同一の事柄でも状況により、 肯定したり、否定したりする。
また、否定派の理論・実証を無視したり、 実証を独自の理論で覆そうとする。(理論で実証を覆せない。)
架空の議論: ある意見を自分の都合のいいように解釈、議論を進める。
話題をそらす: 真正面からの議論を避ける。(そのため、話が全くかみ合わない、 話にならない。)
また、反証されても、その場しのぎの仮説を用いて反証を逃れようとする。
世論を根拠とする誤り: 正しいとは限らない世間一般に考えられていることを根拠にする。 血液型をめぐるこれらの「考え方や見方」を支える根拠は証明されておらず、
本人の意思ではどうしようもない血液型で人を分類、価値づけするような考え方は社会的差別に通じる危険がある。
血液型判断に対し、大人は“遊び”と一笑に付すこともできるが、判断能力に長けていない子供たちの間や
大人といえど場のノリに支配されたリテラシーの低い者の間では必ずしもそういうわけにはいかない。
ネタだから甘んじて
\受け入れる/
.∧_∧ ∧_∧
;;;;;、(・ω(:;(⊂=⊂≡ <`∀´ > はいこれはネタだからw
(っΣ⊂≡⊂= ⊂≡ ⊂) 会話のツールだからw
/ B ) ババババ ( \
( / ̄∪ ∪ ̄\ )
これはただのネタ
\芸人のいじられと同じ/
∧_∧ .・,'∧_∧;,. ∧_∧
< `∀´>つ≡つ);;)ω(;;(⊂≡⊂=<`∀´ > そうそう、ネタだからw
(っ ≡つ=つ (っ ⊂) ⊂=⊂≡ ⊂)
/ ) ババババ | B | ババババ ( \
( / ̄∪ ∪ ̄ ∪ ∪ ̄\ ) >>228
A型はこういうタイプ、B型はこういうタイプと言い続けてる社会に
自身が影響しないわけがない。日常会話レベルで行われてるんだから >>212
マンは「ヨセフ」以外は、文学作品はすべて独語、翻訳を読みました。
「ヨセフ」は、その題材が旧約からして好きではないし、マンの解釈も全然合わなくて。
「魔の山」は、読んでいると、本の間からサナトリウムの風が吹いてくるような感じ・・・
「ブッデンブローク」は、溶けそうな雪の上を歩く音が聞こえる感じ・・・
「トニオ」では、風に吹き飛ばされるような感じ・・・
そんな箇所がありますね。 >>231
馬鹿ですか? こんなのがマン読んでるとか身の丈に合ってなさすぎ
血液型の話題は今後スルーで >>233
なにがバカなの?
真偽とは「まったく別次元の」一般レベルのところで影響力があるからずっと日本にはこの手の話が出るんだろ
マンだって同じ。人間愛とか人間性とか民主主義なんてものはタチ悪い概念でしかないけど、
あえてそこに向かってる作家だし 人間愛と血液型とどう関係があるんだよw
和民での合コンならともかく、インテリ同士の会話で血液型の話題が出ることなんて皆無だぜ? >>234
おまえバカなんだから村上春樹でも読んでろ
二度とこのスレにくるな >>235
真偽じゃなくタチの悪い概念と向き合うという点で。
インテリ同士の会話に限定してる時点で間違えてるわ
本当にインテリなら人間性とかすら話題にしないでしょ >>237
春樹でも読んでろってレス自体がいかにもバカらしいわ はいはいお前お利口お利口
でも血液型のウンチクなんぞスレ違いだから早く消えてね 魔の山を読み終えての疑問なんですけど、この小説の語り手は誰なんですか?
あと一人称の「私たち」はなんで複数なんでしょう
普通に語り手プラス読者で「私たち」なのかと思ったら
途中「私たち」と読者が区別されてたりしてよくわからないです
ナフタがイエズス会の人間だと知らされるところでハンスが
ナフタの「私たち」って一人称に引っかかった所とか読むと意味ありげに感じるんですが 三人称小説で語り手が出てくるのはスタンダールにもフローベールにもある
昔から続く物語的手法の一つだろ 義弟(?)のクラウス・プリングスハイム氏は、
亡くなる1か月前に上野駅で見かけた事がある。
背の低い人だった。
カーチャさんの身長は知らない。小塩先生に訊いたら分るかな? ヨセフ文庫化して欲しいな、何冊になってもいいから
ちくまさんお願いします >>249
そんなことないと思うけど。高橋訳ええやん。 冒頭どの訳も
> ひとりの 単純な 青年が
となってるけど「素朴な」ではないの?
「単純な」という語の選択に違和感ある 考え方が単純、みたいに考えると合ってはいるな
その文に相応しいかどうかは知らないが 小説の出だしだから
ある人物が「単純」だとするには無理があると思うが 魔の山だと岩波の関・望月訳と新潮の高橋訳の他に、昔の筑摩の世界文学全集や世界文学大系に佐藤晃一訳があったはずだからそっちあたってみたら?
世界文学全集の端本はブコフでよくあったりする
古い翻訳だから大差ないだろうけど
岸さんが古典新訳文庫で出してくれればまた印象変わるのかな 原文知らないからなんとも言えんな
原文が「素朴」でも向こうではどちらかといえば「単純」に近いのかもしれないし オレの周辺では、圓子修平訳(集英社の世界文学全集)が評判いい。 原文は知らないけど俺は「単純な」の方が好きだな
カストルプを語るなら 芸術家はバンカーの風体をしていなければいけない。
何故なら芸術家の内面とは犯罪者そのものだから、
私にとってこれがトーマスさん。 マンを読んでいるならあれに対して引用かどうか聞くやつに「えっ?」て聞き返したくなるのも分からなくはない
マンのスレだしねえ >>269
>マンを読んでいるなら
質問者>>261がマンをどれだけ読んだ上で聞いたのかわかるわけもないのに
わかった気になって下手な突っ込みをしちゃいましたというのはわかったから なにいってんだこいつ
自演まるわかりなことするなよ >>272
煽りまでショボショボとは
つまらん絡みをするな >>101
主人公とショーシャ、やってたの?
ショーシャって主人公に対してそういう感情あったっけ?
てかショーシャは既婚者じゃないのか? 「魔の山」休日の折に読み進めて二ヶ月弱、ようやく完読。
20代で読んでおくべきだったと、31にしてつくづく思う。
それにしても偏執的なまでに語られる、時間と愛・精神については
これまで自分の中で曖昧模糊としていたそれらを
確かな一つの概念として形作ってくれた。
ただ、あのデンマークの気違い小娘がベルクホーフの
住人達を幻惑する章は本当に興醒めだった。
再読する際には読み飛ばすべきだな。 米國加洲時代の回想は、何か纏って書き残しているのかな?
隣の家にブルーノ・ワルターが住んでいた事だけは有名だが… さっき古本祭りでファウスト博士3巻(1954年版)1000円買えたー、気合いで読むべ!
日本で人気のドストエフスキーは1冊しか読んでないけど、マンはこれでほとんど読むことになるるん
身近の誰とも語れないから虚しくもなってきたが…(笑)
分人の平野氏がたまにマン関係のツイートしてるのを見て、密かにほっこりするくらいだ(笑)
>>278
アメリカで行われたものも含まれた講話集ならあったと思うけど、
回想となると(自分は未読だけど)マン日記とかしかないのかな? ブッデンブロークの家系図や登場人物紹介とかってどこかにありますか?
途中まで読んでたものを久々に読もうと思ったら誰が誰だかわからなくなった… ブッデンブロークは何度も読み返すべき、と言うか、それだけの価値がある本だと思うけどな ブッデンブロークってそんなに長くないじゃん
読み返せ読み返せーそして家系図を自作してうpするよろし 以前どこかに家系図メモったんだけどなくしたんだよなぁ、読み直すお 河出の文学全集の川村二郎訳はブッデンブロークの家系図あったよ >>287
わわーっ、情報ありがとうございますm(_ _)m
図書館でコピってきます ずっと前に「マリオと魔術師」の文庫本が出たので書店で注文し受け取りに行ったら
レジの女の子に「それマンガですか?」と聞かれたよw >>285
読み手によって受け止め方はさまざまだと思いますが、
欧州全体の文化的俯瞰、ドイツの伝統思想、ショーシャ夫人に見られるような東洋的魅力、
サナトリウムを含むダボスの自然・風俗・行事、さらには宇宙、
そこに浮遊する人々・・・いろいろでしょうね。
「ベニスに死す」などにも見受けられると思いますが、
主流は、市民的で健全な実生活&退廃的と言って良いような文化生活の対立かな? 世界史に詳しい読者からすると魔の山は結構笑い所があるらしいね 世界史に限らず宗教等の知識があればあるほど、マンのイロニーやギャグを楽しめるってことだと思う
まぁ俺は前提の知識がたいしてないから生真面目に読んでたけど 俺は>>291じゃないけど,例えば「進歩的知識人」のセテムブリーニが,民族自決主義的な立場からハプスブルク帝国を批判しているのに
ハンスたちが「じゃあロシア帝国はどうなんですか?」って突っ込まれると,ロシア帝国はイタリアの敵であるハプスブルク帝国の敵だから批判を控えるとか。
冷戦期の進歩的知識人がベトナム戦争を批判してプラハの春にはもごもごもごって口を濁すのを思いだしてワロタ。
第一次大戦前のイタリアの西北国境のイタリア語圏はハプスブルク領で,イタリアは自国への帰属を主張して激しく争っていたんだよな。
『ヴェニスに死す』にもそのネタがでてくる。
アッシェンバッハは,当時ハプスブルク領だったフィウメから観光船でヴェニスに入るんだけど,フィウメはイタリア語圏でアッシェンバッハの相客はイタリアびいきなんだよな。
で,当時イタリア領だったヴェニスに入って,ヴェニスでイタリア軍が「おいっちに,おいっちに」って訓練しているのを見て
観光船のイタリア系の客は「いえーい」と盛り上がる。
ヴィスコンティの映画でもその場面はちゃんとフィーチャーしていた。 >>296
普通の描写であって、あまり笑いどころでもないような・・・ ブッデンブローグって25歳くらいの時の作かよ
えらいな、俺25の時なんてローソンでバイトしかしてなかった 25歳のとき、エンジニアとして会社勤めしながら、
「ブッデンブローク」「魔の山」「失われた・・・」を原文で読み始めていた。
文学を専攻したかったが、経済的理由とか色々あってできなかった。
でも、それだけ余裕のある職場だったから恵まれていたんだろうな。 Amazonで岩波ブッテンブローグ買った
ついでにファウストとロッテもと思ったら品切れになってた・・・休刊早いよ 図書館に新潮社の全集があるでしょうから、それを借りるしかないですね。
こういう本は早い者勝ちだから、友人とかから情報を得たらすぐにゲットしないと。 フェーリクス・クルルきっかけでこの作品のモデルの人のこと色々調べてたけど面白いね
これ読んだ後、種村季弘の詐欺師の楽園も読んだけど面白かった。マンのことも割と書かれてる twitterでちょくちょくマンをワード検索してるけど格言ばかりひっかかって萎える この本を肺結核の治療史として読むのも面白いんでないかな?
この本で、1900年当時、欧州ではX線で胸の検査が行われていた事がよくわかる。
日本で、東京帝国大学病院や京都帝国大学病院にX線が胸の検査ツールとして
導入されたのは何時なんだろうね。 病院での利用開始は知らないけど、1898年に日本にX線撮影装置が輸入されており、
1909年には国産機が開発されているらしい
ウィキペディア情報。 ショーシャ夫人のレントゲン写真を隠し持つ主人公とか。
そいえば、冬でも毛布にくるまって日光浴する療法は、
宮崎駿の「風立ちぬ」にも出てきたね。 「魔の山」最後の方でどうして急にオカルトになっちゃったんだろう
いとこの降霊話で一気に覚めたわ
アレさえなければ本当の名作なのに いや、ナフタ登場の段階で近代魔術の話が振られていますが。
あの小説がかかれた時代はドイツに限らずオカルトが跋扈していたわけで。 『魔の山』は従兄弟が死んだところで終わってほしかった。 オカルトに関心のない作家,文芸評論家は現代でも少数派だろうw 第一次世界大戦勃発で、下界に降りていくための
すべては伏線ではないだろうか。
軍服姿のいとこを呼びだしたりね。
マンとオカルトとは特別の関係がある。
実際に交霊術を体験した折の、複雑な胸のうちを漏らしている。
決してオカルトに易々と魂を売り渡したわけじゃない。 前半に出てくる生物学に関する話は当時の科学水準が分かって面白かったよ オカルティストは認めつつも、心霊主義者(スピリチスト)とは区別してるのがマン.
前者は超自然の「探求」だけども、後者は霊魂を喚び出すために
排他的なセクトを作る、それは自己満足的な陶酔であって違う、という感じみたい.
ただオカルティズムの誘惑に心身流れていくままだと、だんだんと
自身は心霊主義者に陥ってしまって、小説書くことにも支障が出てくるからとあって、
超人的な禁欲でもって距離を取るようにしたとか.
「詐欺師の楽園」(種村季弘)の「悪魔博士の正体」ってとこに書いてあるけど面白かった 医学者としての冷徹な目を携えつつ、論理で割り切れない人間の欲望や感情の揺れを愛し、描いた
複眼の流行作家だった。
「僕はね、うまく書けないときにこれを見るんだ」。平成24年に東京・渋谷の仕事場でインタビューしたときのこと。渡辺さんはおもむろに
人体解剖図鑑を開いた。「みんな同じ血管や筋肉、神経がついているでしょ。なのに頭の良しあしや足の速さには大きな差が出る。
人間って不思議だなあと思って書き残したくなるんだ」。科学の視点からこぼれ落ちる個人の能力や感情に思いをはせ、人間への興味
を再燃させる I don't want to answer the question in such a 糞 place. 「 糞 」 と思ってる場で
自分の好悪を表明するのがおもしろいね。 まだ上巻だけだけど、Buddenbrooksのコンズルとトーニの件は面白いですね 「魔の山」・・・新潮と岩波・・・どっちがお薦め?
ずっと前に読んだときは岩波だったような記憶があるんだが。
アホな質問で申し訳ありません。 >>324
高橋義孝訳(新潮)と、関泰祐・望月市恵訳(岩波)ですね。
高橋訳の方が、平易な日本語です。
関・望月訳は硬い感じ。
どっちがいいかは、あなた次第。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています