【魔の山】トーマス・マン【ヴェニスに死す】
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無かったので、建てました。
皆さん、トーマス・マンの作品について、語り合いましょう! >>249
そんなことないと思うけど。高橋訳ええやん。 冒頭どの訳も
> ひとりの 単純な 青年が
となってるけど「素朴な」ではないの?
「単純な」という語の選択に違和感ある 考え方が単純、みたいに考えると合ってはいるな
その文に相応しいかどうかは知らないが 小説の出だしだから
ある人物が「単純」だとするには無理があると思うが 魔の山だと岩波の関・望月訳と新潮の高橋訳の他に、昔の筑摩の世界文学全集や世界文学大系に佐藤晃一訳があったはずだからそっちあたってみたら?
世界文学全集の端本はブコフでよくあったりする
古い翻訳だから大差ないだろうけど
岸さんが古典新訳文庫で出してくれればまた印象変わるのかな 原文知らないからなんとも言えんな
原文が「素朴」でも向こうではどちらかといえば「単純」に近いのかもしれないし オレの周辺では、圓子修平訳(集英社の世界文学全集)が評判いい。 原文は知らないけど俺は「単純な」の方が好きだな
カストルプを語るなら 芸術家はバンカーの風体をしていなければいけない。
何故なら芸術家の内面とは犯罪者そのものだから、
私にとってこれがトーマスさん。 マンを読んでいるならあれに対して引用かどうか聞くやつに「えっ?」て聞き返したくなるのも分からなくはない
マンのスレだしねえ >>269
>マンを読んでいるなら
質問者>>261がマンをどれだけ読んだ上で聞いたのかわかるわけもないのに
わかった気になって下手な突っ込みをしちゃいましたというのはわかったから なにいってんだこいつ
自演まるわかりなことするなよ >>272
煽りまでショボショボとは
つまらん絡みをするな >>101
主人公とショーシャ、やってたの?
ショーシャって主人公に対してそういう感情あったっけ?
てかショーシャは既婚者じゃないのか? 「魔の山」休日の折に読み進めて二ヶ月弱、ようやく完読。
20代で読んでおくべきだったと、31にしてつくづく思う。
それにしても偏執的なまでに語られる、時間と愛・精神については
これまで自分の中で曖昧模糊としていたそれらを
確かな一つの概念として形作ってくれた。
ただ、あのデンマークの気違い小娘がベルクホーフの
住人達を幻惑する章は本当に興醒めだった。
再読する際には読み飛ばすべきだな。 米國加洲時代の回想は、何か纏って書き残しているのかな?
隣の家にブルーノ・ワルターが住んでいた事だけは有名だが… さっき古本祭りでファウスト博士3巻(1954年版)1000円買えたー、気合いで読むべ!
日本で人気のドストエフスキーは1冊しか読んでないけど、マンはこれでほとんど読むことになるるん
身近の誰とも語れないから虚しくもなってきたが…(笑)
分人の平野氏がたまにマン関係のツイートしてるのを見て、密かにほっこりするくらいだ(笑)
>>278
アメリカで行われたものも含まれた講話集ならあったと思うけど、
回想となると(自分は未読だけど)マン日記とかしかないのかな? ブッデンブロークの家系図や登場人物紹介とかってどこかにありますか?
途中まで読んでたものを久々に読もうと思ったら誰が誰だかわからなくなった… ブッデンブロークは何度も読み返すべき、と言うか、それだけの価値がある本だと思うけどな ブッデンブロークってそんなに長くないじゃん
読み返せ読み返せーそして家系図を自作してうpするよろし 以前どこかに家系図メモったんだけどなくしたんだよなぁ、読み直すお 河出の文学全集の川村二郎訳はブッデンブロークの家系図あったよ >>287
わわーっ、情報ありがとうございますm(_ _)m
図書館でコピってきます ずっと前に「マリオと魔術師」の文庫本が出たので書店で注文し受け取りに行ったら
レジの女の子に「それマンガですか?」と聞かれたよw >>285
読み手によって受け止め方はさまざまだと思いますが、
欧州全体の文化的俯瞰、ドイツの伝統思想、ショーシャ夫人に見られるような東洋的魅力、
サナトリウムを含むダボスの自然・風俗・行事、さらには宇宙、
そこに浮遊する人々・・・いろいろでしょうね。
「ベニスに死す」などにも見受けられると思いますが、
主流は、市民的で健全な実生活&退廃的と言って良いような文化生活の対立かな? 世界史に詳しい読者からすると魔の山は結構笑い所があるらしいね 世界史に限らず宗教等の知識があればあるほど、マンのイロニーやギャグを楽しめるってことだと思う
まぁ俺は前提の知識がたいしてないから生真面目に読んでたけど 俺は>>291じゃないけど,例えば「進歩的知識人」のセテムブリーニが,民族自決主義的な立場からハプスブルク帝国を批判しているのに
ハンスたちが「じゃあロシア帝国はどうなんですか?」って突っ込まれると,ロシア帝国はイタリアの敵であるハプスブルク帝国の敵だから批判を控えるとか。
冷戦期の進歩的知識人がベトナム戦争を批判してプラハの春にはもごもごもごって口を濁すのを思いだしてワロタ。
第一次大戦前のイタリアの西北国境のイタリア語圏はハプスブルク領で,イタリアは自国への帰属を主張して激しく争っていたんだよな。
『ヴェニスに死す』にもそのネタがでてくる。
アッシェンバッハは,当時ハプスブルク領だったフィウメから観光船でヴェニスに入るんだけど,フィウメはイタリア語圏でアッシェンバッハの相客はイタリアびいきなんだよな。
で,当時イタリア領だったヴェニスに入って,ヴェニスでイタリア軍が「おいっちに,おいっちに」って訓練しているのを見て
観光船のイタリア系の客は「いえーい」と盛り上がる。
ヴィスコンティの映画でもその場面はちゃんとフィーチャーしていた。 >>296
普通の描写であって、あまり笑いどころでもないような・・・ ブッデンブローグって25歳くらいの時の作かよ
えらいな、俺25の時なんてローソンでバイトしかしてなかった 25歳のとき、エンジニアとして会社勤めしながら、
「ブッデンブローク」「魔の山」「失われた・・・」を原文で読み始めていた。
文学を専攻したかったが、経済的理由とか色々あってできなかった。
でも、それだけ余裕のある職場だったから恵まれていたんだろうな。 Amazonで岩波ブッテンブローグ買った
ついでにファウストとロッテもと思ったら品切れになってた・・・休刊早いよ 図書館に新潮社の全集があるでしょうから、それを借りるしかないですね。
こういう本は早い者勝ちだから、友人とかから情報を得たらすぐにゲットしないと。 フェーリクス・クルルきっかけでこの作品のモデルの人のこと色々調べてたけど面白いね
これ読んだ後、種村季弘の詐欺師の楽園も読んだけど面白かった。マンのことも割と書かれてる twitterでちょくちょくマンをワード検索してるけど格言ばかりひっかかって萎える この本を肺結核の治療史として読むのも面白いんでないかな?
この本で、1900年当時、欧州ではX線で胸の検査が行われていた事がよくわかる。
日本で、東京帝国大学病院や京都帝国大学病院にX線が胸の検査ツールとして
導入されたのは何時なんだろうね。 病院での利用開始は知らないけど、1898年に日本にX線撮影装置が輸入されており、
1909年には国産機が開発されているらしい
ウィキペディア情報。 ショーシャ夫人のレントゲン写真を隠し持つ主人公とか。
そいえば、冬でも毛布にくるまって日光浴する療法は、
宮崎駿の「風立ちぬ」にも出てきたね。 「魔の山」最後の方でどうして急にオカルトになっちゃったんだろう
いとこの降霊話で一気に覚めたわ
アレさえなければ本当の名作なのに いや、ナフタ登場の段階で近代魔術の話が振られていますが。
あの小説がかかれた時代はドイツに限らずオカルトが跋扈していたわけで。 『魔の山』は従兄弟が死んだところで終わってほしかった。 オカルトに関心のない作家,文芸評論家は現代でも少数派だろうw 第一次世界大戦勃発で、下界に降りていくための
すべては伏線ではないだろうか。
軍服姿のいとこを呼びだしたりね。
マンとオカルトとは特別の関係がある。
実際に交霊術を体験した折の、複雑な胸のうちを漏らしている。
決してオカルトに易々と魂を売り渡したわけじゃない。 前半に出てくる生物学に関する話は当時の科学水準が分かって面白かったよ オカルティストは認めつつも、心霊主義者(スピリチスト)とは区別してるのがマン.
前者は超自然の「探求」だけども、後者は霊魂を喚び出すために
排他的なセクトを作る、それは自己満足的な陶酔であって違う、という感じみたい.
ただオカルティズムの誘惑に心身流れていくままだと、だんだんと
自身は心霊主義者に陥ってしまって、小説書くことにも支障が出てくるからとあって、
超人的な禁欲でもって距離を取るようにしたとか.
「詐欺師の楽園」(種村季弘)の「悪魔博士の正体」ってとこに書いてあるけど面白かった 医学者としての冷徹な目を携えつつ、論理で割り切れない人間の欲望や感情の揺れを愛し、描いた
複眼の流行作家だった。
「僕はね、うまく書けないときにこれを見るんだ」。平成24年に東京・渋谷の仕事場でインタビューしたときのこと。渡辺さんはおもむろに
人体解剖図鑑を開いた。「みんな同じ血管や筋肉、神経がついているでしょ。なのに頭の良しあしや足の速さには大きな差が出る。
人間って不思議だなあと思って書き残したくなるんだ」。科学の視点からこぼれ落ちる個人の能力や感情に思いをはせ、人間への興味
を再燃させる I don't want to answer the question in such a 糞 place. 「 糞 」 と思ってる場で
自分の好悪を表明するのがおもしろいね。 まだ上巻だけだけど、Buddenbrooksのコンズルとトーニの件は面白いですね 「魔の山」・・・新潮と岩波・・・どっちがお薦め?
ずっと前に読んだときは岩波だったような記憶があるんだが。
アホな質問で申し訳ありません。 >>324
高橋義孝訳(新潮)と、関泰祐・望月市恵訳(岩波)ですね。
高橋訳の方が、平易な日本語です。
関・望月訳は硬い感じ。
どっちがいいかは、あなた次第。 >>325-326
どうもありがとうございます。
文字が見やすいので、高橋義孝訳(新潮)にしました。
独文科ではないのですが、前に、半分くらい原文とパラで読みました。
単語をあらかた忘れていてお笑いです。
ハンスの大学はダンツィッヒだったんですね。
映画『ブリキの太鼓』を思い出してしまいました。
今度は読むのにずっと時間がかかりそうですが、そういうものなのだと思います。 >>327
ハンスが船舶工学を学んでいたダンツイヒでの日々を
描いた『カストルプ』という小説があるという。
ポーランドの小説家パヴェウ・ヒューレ Huelleの作品。
http://fundgrube.exblog.jp/630327
邦訳はないのかな。読んでみたい。 英訳と西語訳は出ていますね。
英語の解説より(素人ですので訳について責任は負いかねます)。
Pawel Huelle は、ハンス・カストルプの、大きな影響を受けやすい時期に関する
信頼できるシナリオを巧みに創作している。
冷静なドイツ人の学生が、プロシア帝国のスラブ語圏東端にさらされたときに
何が起きたかを想像している。
ハンスは、近い将来、経験することになる遭遇を予想させる人々、出来事、観念に巡り会う。
ハンスの妄想になる謎めいたポーランド人女性も含まれる。
『Castorp』は、20 世紀初頭に設定されており、2 つの世界大戦に至る
大混乱が始まった時点での中欧の雰囲気を忠実に再現している。
この作品は、ユーモア、謎、奇矯を込めて美しく描かれており、
欧州文学の傑作に対する感動的な捧げものである。
独語版はハードカバーで 2,000 円くらい、ペーパーバックで 1,000 円くらいみたい。 >>331
ありがとう。なるほど『魔の山』へのオマージュだね。
カストルプ青年がなぜダンツィヒで学んでいたのか、
若い彼がサナトリウムでのくらしになぜすんなり溶け込めたのか、
納得できるような仕掛けになっているんだね。
ダボスのサナトリウムが、大戦前のヨーロッパの縮図だったように、
20世紀初頭のダンツィヒも混沌のなかにあったわけだ。
ダンツィヒは、ドイツ人にとって(もちろんポーランド人にも)
特別な土地なのだろう。
ギュンター・グラスもダンツィヒに生まれたからこそ、
あれらの作品を書いたのだろうし。 マンって手紙で私は平衡の人間であるって言ってたらしいけど
結構思い上がった感覚だと思う 自らを平衡の人間と分析したマンに、思い上がりを感じる?
平衡の人間とは、どちらかひとつを選ばない、選べないということで
率直な心情吐露、冷静な自己分析だと思う。
これが書かれたのは何年のことか、わからないけれど
初めは政治に無関心だったマンは、第一次世界大戦後、転向する。
非合理的なもの、熱狂的なもの、ナチズム、などなどに対する
自らの姿勢を正直に述べたにすぎない。
若い時には非合理に魅せられていた。芸術は熱狂から生まれると。
非合理に耽る、ロマン的な心情はドイツ人の心性でもあるから。
そんな時代を経て、転向。平衡の人間と自らを見定めた。
ナチズムと対決するには、自らを斬る相当な覚悟がいったと思う。 >>334
マン自身も「と」の重要性は語ってたしそれには禿同だけど
それで言えば俺は「ナチズム」と平衡の人間、「非合理な人」と平衡の人間、
みたいな時の「と」にはあまりセンスを感じれないし好きではないですね
ナチズム等がタチ悪いのは勿論だけど、
平衡や保留にかまけてるというのもタチ悪いよ、と自分は思いますね >>335
自分は歳なので、腰砕けになるのよ、なんでも認めちゃう。
マンの不器用さ、小市民性を、愛すべきものに感じてしまう。
タチが悪い、センスが悪い、と責める気持ちになれないんだよね。
誰よりもマン自身が忸怩たるものがあっただろう。
そもそも芸術家と市民の生き方なんて、今の時代に流行らない。
でもそれを生涯かけて追求し続けた愚直な作家だと思う。 小市民性とあるけど、マンってどれくらいブルジョアだったんですかね?
調べ足りなくて自分はまだよくわかってないんだよね マンの実家を反映すると言われるブッデンブローク家の生活の様子は Youtube に上がっています。
たぶん事実に沿っていると思いますが。
「ブッデンブローク家の人々」予告
http://www.youtube.com/watch?v=9IRmUgLLm9Q
ハンス・ローター・ブッデンブローク
http://www.youtube.com/watch?v=ku0yE3ssiCk
「ブッデンブローク家の人々」朗読
http://www.youtube.com/watch?v=_HGtNDANvjk&index=1&list=PL02F7FE5ABDCDDAD8 「魔の山」予告
http://www.youtube.com/watch?v=goom4HBZYjI
これは NHK BS で放送されたことがあるはず。
「ヨアヒムが禿げている」「セッテンブリーニはイメージどおり」
「ショーシャ夫人はシャーロット・ランプリングが良かったのに」とか言っていました。
サナトリウムの建物は小説から再現してセットを作ったそうで、その関連の本も出版されていました。
ハンス役の青年俳優はとても背が高いので、衣装係が苦労したとか。 映画の「魔の山」、 NHK BS で見た。
山上のサナトリウムは下界とは異なる時間が流れる
浮世離れした場所、というイメージを持っていたが、
映画では弾丸のようにドイツ語が飛び交い、
喧騒のなかで物語が進んでいく感じだった。 小市民性ってどういうのを言うのかイマイチわからんです いい加減なことを書いてしまいます。
自分のイメージとしては、マンのところは中ブルジョワ。
トーニエが女子寄宿学校で一緒だった貴族の娘のところとブッデンブローク家では
生活水準はそんなに変わらない感じ。
ただし、貴族は領地の上がりで生活できるので働いていないし、
持ち物も由緒あるものだったりする。
「魔の山」のセテンブリーニとの対話にあったと思うが、
ハンスのいたのは、常にお金のことが問題になる残酷な世界。
サナトリウムでなら利息で生活できるが、
ハンブルクで、結婚し、家族を持ちながら、育った生活水準を維持したいなら
しっかり稼ぐようにと伯父に言われていたんじゃなかった? リューベックの豪商の出だから、ブルジョワもブルジョワ。
傑出した才能を与えられたマンの、
その精神の彷徨は、出自に抵抗して悩むこともあっただろう。
ただ、第一次大戦までは、ドイツへの愛国の思いが強く、
「非政治的人間」として反戦や民主主義的な運動に対立。
小市民というか市民として、保守的な立ち位置に在った。
その後に訪れた「転回点」がマンを変えたといわれるが、
ブルジョワジーの資質は変わりようがなかったと思う。 マンとハイデガーって接触したり、どちらか一方がもう一方について語った記録とかある?
ハイデガー読んでる最中でなんか少し気になってきまして 魔の山で語られる哲学が全部付け焼き刃な知識からくる思いつきで、薄っぺらく感じてしまうのは何故だろう? そりゃ文学は哲学より文学のが上ってのを示すためのものだからだろう。 トーマス・マンを大阪風にすると、山崎豊子っぽくなる。大阪の島之内には、没落して自分たちが食べていくだけを残して店じまいした豪商が結構いる。
ブッデンブロークは、北杜夫がオマージュをささげたからインテリっぽい作品になるので、
「のれん」「ぼんち」の作家だと、こてこてである。
ただし、マンは男の文学という気がする。どうでしょう。この辺。 庶民が生活のために束になって抱える利己的な偏見によって
運命的にツラい思いをさせられるプチ金持ち家庭の子供のための文学 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています