【魔の山】トーマス・マン【ヴェニスに死す】
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無かったので、建てました。
皆さん、トーマス・マンの作品について、語り合いましょう! オレの好みは、魔の山よりブッデンブローグ。
ブッデンブローグは繰り返し読みたい愛読書。 >33
泣けるほど素晴らしいのか…
トニオ、魔の山、ヴェニスしか読んでないが、頑張って探してみるかな… ブッデンブローグってもしかして希少なのか!?
二年前に渋谷のブコフでブッデンブローグ全一巻600円を発見して迷ったが
荷物になるからスルーしちゃったよ・・orz 「ヨゼフとその兄弟」を読んだ人に聞きたい。
予備的な学習として何を読めばいいのか、まじめに答えて欲しい。 ブッデンブローグじゃなくてブッデンブロークね
Buddenbrookだから 魔の山以降は、なんだか、日々勉強して書きましたって感じで、
それまでの、ぐいぐいと引っ張っていくような力がないな >>42
面白かったよ。
創世記の該当箇所を読んだことがある程度の予備知識しかなかったけど。
ゲーテだかが、(聖書の記述を)あまりにも面白いのにあまりにも短い、とか言ったんでしょ。
物語の面白さは保証付き。 そうか、面白いか。
ますます読みたくなった。
ところで、「創世記の該当箇所」とはどこか教えてくれ。 >>45
サンキュー。
早速読んでみるよ。しかし、結構長いな。
他に、準備として読むべきものはないかな?
そんなに面白いのに何故読まれないのだろう? 「神の剣」冒頭の晴れやかなミュンヘンのたたずまいが好きだ。 ナフタが現れてから妙にムズくなってきたんだが。
あと680ページ…部分的に小難しくなってるだけであってほしい(^p^;) けど、やっぱ何度も読み直してみると面白いすね。
なんとか粘る! 『魔の山』は、従兄弟が死んでからは、作者のモチベーションがだいぶ下がっているように思う。 俺の中二病を拗らせた要注意作家だった。
ヨゼフとその兄弟たちの世界には没頭したな。
お陰で話が回りくどい、趣旨を早く話せ、
長文ウゼェと言われる性格になった。 長編は魔の山以外なかなか売ってないね
光文社の新訳で2つなんか出てて気になる(評判はなんとなく悪くなさそう?) ブッデンブローク読みたいなあ
書店で見かけた方いますか? 天才的巨匠。もうこういう文学が出る環境ではないのだろうか。
結核文学の最高傑作、「魔の山」
芸術家の悲哀を描いた短編、「トニオ・クレーゲル」
ヨーロッパの斜陽の美学、「ヴェニスに死す」
文学はやっぱりこうでなくちゃ。美と思想と表現技法。
滅びの美学と言っても、太宰とか梶井とかみたいなのはもう読みたくない。美しくはない。 しかし今は仕事が忙しすぎて頭とカラダが破裂しそうなんで、
今日のような休日に堀辰夫を読むのが精いっぱいだ・・
日曜は映画と読書と散歩と買い物ってとこだな・・・魔の山は読む方にも時間とエネルギーと余裕がいる。 やたらと飯を食う場面が出てくる小説だな、『魔の山』はw
小説としては『ヴェニスに死す』の方が面白かったな。
ま、三島先生がマンを好きな理由が何となく分かったけどねw ヴェニスに死すは面白くはない。
美的観賞のつもりで読むもんだとおもうが。 というか『魔の山』はなんであんなに長くなったんだろうね。
三島が『文章読本』の中で「よい短編作家は論理的で細部にこだわるからよい長編が書けない」って
言ってたんだけど。
確かに魔の山には無くても障りない箇所が多いし… 映画監督のヴィスコンティは『ヨーロッパ的デカダンスを描かせたらマンか
私』と言ってたな。『ベニスに死す』も作っちゃったけどね。
実際彼は『魔の山』も映画化の構想があったんだけど予算か何かの関係で
頓挫しちゃったんだよね。
三島は『地獄に堕ちた勇者ども』っていう映画を『生涯忘れえぬ映画』と
絶賛してたんだけどこれもマンの影響を大いに受けた作品。
生涯忘れ得なかっただろうね、観た翌年に三島は死んじゃったんだからw マンは自分の素質の中にデカダンがあるのを見抜いていたから、必死に抵抗してたな。
たぶん、若いころ、世に出なかったときに、まわりの芸術家崩れの連中のいやな部分をさんざんみたせいもあるんだろう。
そういった雰囲気は森鴎外の同時代の翻訳物なんかでも感じられる。 ファウスト博士(下巻)、ブックオフで105円で売ってた。
探してみるもんすなー。上巻ないからまだ読めないけどっ。 勉強して書きましたというのは
ナチスとトーマス・マンの戦いは
精神的に兄弟同士の戦いだったからだとか
どこかで読みました
勉強と執筆が同時進行だったわけです
わかりにくいのも道理と言えます
岩波で読んだブデンブロークはつまんなかったよ。
新潮の魔の山・ヴェニスに死すより、3-4段は落ちる。読まなくていいと思う。
家族ものならモラヴィアの「無関心な人々」の方が素晴らしかった。 マジかよ 岩波を積読してるわ
岩波のが売ってあったことすら奇跡だったから仕方ないが(´・ω・`)ショボ-ン トーマス・マン批判となると、誰が有名になるんでしょ?
他人の発言を探すより、やっぱまだ未読けどハインリヒ・マンとか、
家族を調べてった方がいいのかな。 「選ばれし人」っていうのも結構いいぞ。以外に知られていない。
少し「ヴェルズングの血」みたいなところがある。
唯一の戯曲「フィオレンツィナ」もいい。 面白いよ、ブッテンブローグ
これで、マンに嵌った
魔の山もすきだけど ファウスト博士
ttp://www.iwanami.co.jp/shinkan/repub/2012/07.html 人は記憶型と思考型に大別できる
記憶型はブランドに弱い
権威や有名なものに釣られるのよ
んでリーダーには向いてない
よって権威ある有名なリーダー養成所に集まるのはリーダー不適格者ばかり
ブッデンブロークでトーマスは何で死んだの?
ブッデンブローク家の屋台骨を一人で支え続けたトーマスが死んでブッデンブローク家が一挙に崩壊に向かってゆく有様の叙述は圧巻なんだけれど。 ブッデンブロークスの座右は森川俊夫、でも私も川村さんの方が好き。
『魔の山』の座右は高橋義孝、でも関さんの方が好き。高橋さんを私は全く好きになれない。 圓子訳はネットで評判がいいので読んでみたが、高橋(義孝)訳のほうが私には合っていた。 台湾人の友達の家に『魔の山」中国語訳があった。
冒頭は「一個普普通通的年軽人、在盛夏時節離開自己的故郷
漢堡・・・」となっていて面白かった。 なんとなく読めるけど地名(漢堡=ハンブルク)とかはお手上げだw この前テレビで田嶋陽子先生がこんなことを言ってた。
「私、(三島由紀夫の)豊饒の海を読んだ時、三島って
人は終わりだと思った。だってそうでしょ、トーマス・マンと
同じじゃん」
「豊饒の海」は読んだことあるけど、トーマス・マンと同じだとは
気づかなかった。 『魔の山』の好きな人物は誰ですか。
2人の青年がもちろん一番好きですが、セテムブリーニ氏が
ハンスを「エンジニア」と呼ぶのは嫌味みたいでおかしいし、
教養の無いショーシャ夫人も笑わせてくれます。それと
ペーペルコルン氏もなかなかの人物です。 田嶋陽子の、さっきその部分と思われるところだけネットで見たけど
田嶋嫌いだけどあながち間違ってないようにも思う 田嶋の言うことを真に受けるなよ。
なんでトーマス・マンと同じなんだよ。 俺も魔の山途中まで読んでるけど。 >>92
私がとても印象深かったのは、カーリーン=カールシュテット。結核末期(「モリブンドゥス」)の少女で、ボブスレーのように
遺体を搬送するベルクホーフの墓地を見学して「あそこで寝るのね」と言った場面。確かヨーアヒムが「脱走」した年のクリス
マスの頃に亡くなったと思う。
あと、シュテール夫人。「言い間違い婆さん」で無茶苦茶を言うのがおかしい。
「アルビンさん」。結核の末期で医者から見離されているという自信に満ちて、エキセントリックな言動を繰り返していた筈な
のに第一次大戦まで生きている。
ベルクホーフの院長も面白いですね。シュテール夫人は「おやじ」、セテムブリーニは「悪魔の手代」と呼んでいたと思う。
やたらとご馳走を食べるのは、当時の医療水準で栄養を取ることが明らかに結核の治癒率を高める面があったのは確かだと思う。
今の癌で様々な事を試みるじゃないですか。
あと、フェルゲ。やはり「モリブンドゥス」の一人で「難しいことは何も解らない」が、のち回復してヨーアヒム亡き後主人公
の相棒となったと思う。それがセテムブリーニとナフタが訳の解らん議論をしているのに付き合っているのも面白い。しかもそ
のサークルは主人公ともう一人クラウディアへの片想いが居て、サークル全体の統率者がクラウディアの愛人である「尻切れと
んぼの英雄」ペーペルコルンであるといった滅茶苦茶が成り立つのが「魔の山」なのだということなのだろうか? ペーペルコルンはゲアハルト・ハウプトマン(詩人・ノーベル文学賞)がモデルだとか 最後はハンスが戦地に向かうってこと自体は事前に知ってしまってたのもあって、
どういう心境の変化でそういうエンドに向かうんだろうと期待して読んでもいたので
終わり方としては少し物足りなさもあり。でもああいう風に気持ち無理やりに終わらすことしか
ないのかなと思う面もあり。とにかく物語は置いといて、とてもよかったので
もう一度言葉を拾いつつ、しばらく熟考してみるなう。 訂正)物語は置いといて → 物語について考えるのはひとまず置いといて
物語も楽しかったです。 最初に『魔の山』を読んだ時は例のワルプルギスの夜のあと、
主人公がショーシャとやってたことに全く気が付かなかった。
というか「わたしのクレヨン、忘れずに返しに来てね」という
ショーシャの去り際の台詞の意味が分からず
ああ、ハンスあんなに熱心に口説いたのに結局振られたのか、
と勝手に理解していた。
下巻のペーペルコルンとのやりとりは
そういうショーシャとハンスの関係を理解していないと
筋が通らないのだが、当時は「おかしいな?振られたのに?」と
首をかしげながら読んでいた。 >>98
クラシック音楽好きな人が読了すると、
あそこで自然にシューベルトの音楽が頭の中で鳴り響くと思う。
それはちょっと言葉では言い表せないような感覚であり、
懐かしさと、親しい人を亡くした時の寂寥感の混交に近い。 まあ、はっきり菩提樹を歌ってる描写があるからな。
戦場の轟音が菩提樹の旋律のなかにフェードアウトしていくラストシーンの余音。
あれ以上の終わり方なんてないよな
それは世界的な文豪が映画的表現に屈服した瞬間であった・・・・・
待てよ、「ヴェニスに死す」のラストにしても、とても映画的な表現だなあ 予備知識も先入見もなしに「魔の山」を読み始めたところ。
主人公(まだ名前が覚えられない)は、知的に秀でた人物として設定されてはいないんだな うむ。これから読了するまで、退屈だろうが、がんばってくれたまえ。
まさか、七年はかからないだろうが・・・・ リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大
ワーグナーに否定的な面もあるとも言われているが、読んだ全体的な印象としては
ワーグナーマンセーって感じだ。
次はファウスト博士の復刊読みます。 >>106
俺はリアルで7年かかったぞ。
ところでトーマス・マンって映画を観たことあるのかな。
意外に新しもの好きっぽいから、映画についてなにがしか言及していてもよさそうだけど。
それに、あと20年長生きして映画版『ヴェニスに死す』の感想を聞いてみたかった。
果たしてヴィスコンティとは親しくなれただろうか。 >>109
ヴィスコンティは気難しいからなあ。
黒澤明が会った時、怖くてビビったらしいから。 1955年まで生きてたんだから映画もそれなりに観てるでしょう
特にサイレント期のドイツ映画はフリッツ・ラングなどが活躍して黄金時代だったから
意識はしていたでしょう 「魔の山」や「ヴェニスに死す」のラストなんかは、
映画を知ってしまった世代ならではの文学的表現だと思う。
極端にいえば、マンでも日本の芥川龍之介や谷崎潤一郎でも、
映画が発明されていなければ、
あのような文学は成り立たなかっただろう。 ヴェニスに死すの映画は原作を超えたとは昔からよく言われた事だが実際どうなのだろう。
もちろんマンが小説というゼロから作り上げた種をまかなかったら、この世にヴェニスに死す
は存在しなかったのだが、それを差し引いても映画が上なのかどうか難しいところだ。 あのヴィスコンティ作品は映像のタッチとマーラーの音楽が絶妙にマッチしていた。
感銘の大きさは確かに映画の方が上だな。
「ドクトル・ジバゴ」は小説の方が上。
「シェルタリング・スカイ」は映画の方が上。 そういえば、「小フリーデマン氏」だったかな、ずっと以前に読んだんだが、
主人公が突然、心臓病で倒れるところの描写がヒッチコックの映画見てるみたいに、
視覚的でシャープな印象だった記憶がある。 文学の映画的表現というのは、やっぱり映画の後に生まれたもんなの?
トーマスマンのスレで唐詩の話をするのも何だが
天津橋下陽春水 (テンシンキョウカ ヨウシュンのみず)
天津橋上繁華子 (テンシンキョウジョウ ハンカのこ)
という「公子行」の冒頭とか
洛陽城東桃李花 (ラクヨウジョウトウ トウリのはな)
飛来飛去落誰家 (とびきたりとびさって たがいえにかおつる)
という「代非白頭翁」の冒頭とかは
何となく映画的な映像の使い方だなぁと思ってたんだけど。
先に文学的表現としてこういうイメージの扱い方が存在して、
それを映画がなぞったというわけではないんだろうか。
文学や映画やそれらの歴史に詳しくない俺としては半疑問形に留めておくが >>117
視覚的な表現というだけであれば当然映画の誕生以前からあったわけだけど、
そこで挙げてくれた詩の文句はどこらへんが単に「絵画的」なだけじゃなく、「映画的な映像」だと感じたの? >>118
公子行の句なら、橋の下の水面→橋の上の喧騒という、視点の連続的な移動。
白頭翁の方も、桃李の花びらが舞い飛び→家の前に落ちるという一連の運動を喚起させる。 >>119
「映画的」かどうかは意見が分かれそうだけど、
スタティックな描写じゃないんだっていう指摘はよく分かりましたー
漢詩を味わえるのは素直に羨ましい 「ゲーテとトルストイ」よかった
「ドイツとドイツ人」も読もうかな 川村二郎訳のブッデンブローク家の人々を100円でゲット。
文庫本で再版しないのかね?
確かに売れるような本ではないのは分かるけど。 >>122
岩波文庫では歩みはのろいけど、順調に版を重ねていますよ。 ファウスト博士を読んでるけどこれの世界文学史上での位置づけってどうなんだろう
やっぱり魔の山やブッデンブローク家の人々と比べると散漫な印象も受ける
力作だけどね >>122
河出書房の世界文学全集だろ?
おれもその川村訳でブッデンブロークスを読んだ。
名訳だね。 高校時代、「ファウストゥス博士」の一節に惹かれてその部分だけ
暗唱していた。中世ドイツのイメージを描いた部分。
タウバータールのニクラスハウゼンに現れた聖血への巡礼の群れ、
少年十字軍、地を流す祭餅、飢饉、農民一揆、戦争、ケルンのペスト、
流星、彗星、重大な前兆・・・(円子修平訳)
私は好きな詞がある。
廢墟、暮春、春鳥、挨及、壁畫、藝術、故郷、刀、革、甕、踏青、種を蒔く、
その外イタリア、スパニアの地名、梵語、僧の名などである。
森鴎外「羽鳥千尋」 もうすぐファウスト博士を読み終わるが、やっぱり魔の山やブッデンブローク家ほど
語られないのも分かる。
マンの音楽に対する愛情や、ドイツ的なるものに対する批判と反省などいろいろ盛り込まれて
いるが冗長で構成力に欠けるような気がする。 ファウスト博士ってモデルの一人がニーチェらしいね
マーリオと魔術師とヨセフとその兄弟っていう晩年の作品はどうなんだろう?
魔の山、ブデンブロク、中篇ベニスとインゲ、この辺はやっぱり有名だしすごいよね。それに匹敵する作だろうか?
個人的にはフェリクス・クルルの評価も知りたいね。 >>130
物語としては、マンの小説の中で一番面白いと思う。「ブッテンブログ」よりも面白い。
まあ、元ネタが面白いからなんだろうけど。 「ゲーテとトルストイ」読み直したくなってきた
小説じゃないけど好きです 代表傑作1作だけが有名で後は地味という作家が多い中で、マンの打率は高いと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています