【魔の山】トーマス・マン【ヴェニスに死す】
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無かったので、建てました。
皆さん、トーマス・マンの作品について、語り合いましょう! >>744
年齢ごと、その人ごとに色々な読み方ができる小説だと思う。
冒頭に時間概念のことが出てきて、若い頃は「カント由来かな?」と思ったが
時間という概念を初めて出してきたのはアウグスティヌスみたいね。
内的時間と外的時間の問題は20世紀文学の大きなテーマだと思う。
シュテール夫人について「病気で馬鹿なのは悲惨だ」と言ったことをハンスが行っていたが、
若い頃はノヴァーリスの進化論(?)のことかと思っていた。
鉱物・植物・動物・人間といった宇宙の階層構造のことを言いだしたのはオリゲネスみたい。
看護婦婦長の名前が「アドリアティカ・フォン・ミュレンドルク」というのは
13世紀頃に亡くなった人のの名前みたいだとハンスとセッテンブリーニが笑って話し合うが
ヒルデガルト・フォン・ビンゲンという12世紀のベネディクト派女子修道院長で有名な人がいた。
ヒルデガルトは今は聖女にと申請中と聞いているが、様々な才能を持つ天才的な女性と言われている。
ヒルデガルトの作曲した曲は Youtube に沢山ありますよ。グレゴリオ聖歌に近い感じ。
若い頃はヒルデガルトのことなんか知らなかった。 >>744
あの状況で「早く告白しろ」と思うほうが
むしろ気持ち的に若者のような気がするんだが 時間の流れについて、かなりこだわりを見せていますね。
それから著者も冒頭で言ってるけど、とにかく描写が徹底して緻密!
だから素人の感想を言えば、なんか本当にあのサナトリウムで一緒に
生活しているような感覚に時々襲われる・・。 プルースト(1871〜1922)とマンは(1875〜1955)はよく似ている。
ほぼ同時代を生きている、「時間」に対する関心、音楽に対する異常な嗜好、
同性愛的傾向、…互いに言及した文はあるのかな。プルーストとマンを並べて
論じた評論があれば読みたいが、そんな力量のある評論家はいないだろうな。 プルーストはホモを露骨に描いているけど
マンは仄めかしに留めている プルーストとマンと云えば、日本では辻邦生くらいしか浮かばないな。 >>749
ぜんぜん似てないよ
そんなの表面的な類似にすぎない 古本屋で「ワイマールのロッテ」二冊700円で売っていたので、ついふらふらと
買ってしまった。これ読んだ人いる?あまり有名じゃないよね。 岩波文庫に入っているくらいだから有名だろ。
昔読んだが、さっぱり覚えていない。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ >>749
関係代名詞でつないでいって、一文が長いというのは似ている。
でも、プルーストの場合は感情のうねりを長文の中で表現している。
一方、トーマス・マンはより正確に書き込み、時に長文にライトモチーフを組み入れて人物像を作り上げている。 >>754
僕は好きだよ。
途中でかったるく思うかもしれないし、ゲーテが俗物っぽく描かれて幻滅するかもしれない。
でも、最後の馬車のシーンはトーマス・マンの全作品の中でも叙情豊かで絶品だと思う。 >>757
感想有難う、長編で読んでいないのはこれとヨゼフだけなんだよね、
当分は読めそうもないけど、楽しみにしておこう。 >>756
方法に違いはあっても、対象を表現し尽そうという意志は甲乙つけ難いな。 >>758
ご返事ありがとう。
当方の未読は詐欺師とヨゼフです。
一番好きなのは、ファウスト博士、次点がブッデンブロークかな。 1位 「ヨセフとその兄弟」
2位 「ブッデンブローグ家の人々」
3位 なし 現代日本版のファウストゥス博士やなこれは…
ASKAのブログ(2016.01.09公開分/キャッシュ)
http://togetter.com/li/923645 ドクトル・ファウストスは、冒頭と末尾の語り手の述懐がいいんだよね。
辻邦生の春の戴冠は、そっくり借用している。 ヨセフとその兄弟は、あのまったく話が進まない書き方で読ませてるのが凄いと思うわ。 最初の長編の冒頭で、母国語でなくいきなりフランス語で書く心境は、
日本人の俺には理解できない。
「この子は、猿ですよ」 >>767
ブッデンブローク?
「それが問題じゃな、可愛いお嬢さん」
老ヨハン・ブッデンブロークはこだわりを貫くときにはとくに
「フランス語と低地ドイツ語しか使わない」との一節がある。
マン自身がこの小説を「市民性の年代記」と言っているので。
19世紀上流階級の市民はフランス語の素養があったことは
たとえばトルストイ『戦争と平和』冒頭にも。 >>768
ご返事ありがとう。
「それが問題・・・」なら、私でもフランス語でしゃべれそうだ。 昔の日本にも説教とかだといきなり漢語でしゃべり始めるじいさんとか
いそうだ ドストエフスキーやプルーストは新訳が出ているのだから、トーマス・マンも出ないかな。
村上春樹が言うように、原文は古くならないが日本語訳は古くなる。 高橋義孝訳好きだけどな。
俺なんか中学生のときから
ロシア文学は米川正夫訳読んでるから
慣れちゃって苦にならない。
最初の頃は辞書をよく引いて苦労はしたが。 内容を読み取るわけだしそこまで古くなるかな
新鮮な印象も始めだけだし
研究の深まりで正確さが増すのはあるかもしれないね あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? >>771
ドストエフスキーやプルーストに比べると、需要が少ないんだよ。 トーマス・マンに飽きたらヘルマン・ヘッセ読むよ
そしてまたトーマス・マンを読む ゲーテ読みたいな。ウィルヘルム・マイスターシリーズ、読んだ人いる? トーマス・マンが愛読した作家って、ゲーテ以外には誰がいたのかな?
どうも印象が薄いんで。 魔の山のペーペルコルンて何で自殺したの?
いまいち分からないんだが 巨人が病んで行く時の絶望感みたいなのは普通サイズの人間にはわからない
んじゃないか? ってことだと思うのでそれでいいんじゃないか? 何でも人に聞いてばかりだと何もわからないってことじゃないかな 日本では人文系の方や業界がやたらとプッシュしてるように見えるドストエフスキーを
自分は読んだことないんですが、マンとドストエフスキー両方読んでる方からして
ドストエフスキー作品ってマン作品と比べてどういう感じですか?
(自分はマンの出自に親近感あったのもありマン作品を割と読む非人文系の一般人です) >>791
ドストエフスキーは、読んでみると意外と大衆小説的で、さっさっと進む。
トーマス・マンで同じようによめるのは、『ブッデンブロークス』と短編だけ。
後は相応の読書力がないと、読み進めめない。 ドストエフスキーはやたら声がデカいよくしゃべる変人を書く
マンは普通程度にしゃべる一見常識的な人を書く
マンが作中に書いてるロシア人家族の様子を読んだ後でロシア文学を読むと
一層おもしろい >ドストエフスキーはやたら声がデカいよくしゃべる変人を書く
わろたw
ロシア人どんだけ喋りやねん、って思うな確かに トーマス・マンは26歳で『ブッデンブロークス』を書いた後、『魔の山』を書くまでの23年間、『ベニスに死す』以外はほとんど評判にならなかった。
よく、作家業を続けられたものだ。 >>792
『ヨセフとその兄弟』もサクサク読めるよ。 魔の山は内容よりも舞台が悪い
会話がどんなに哲学的だろうが高邁だろうが、感染病の患者が
喉をゲボゲボ言わせながらモノを飲み食いする場面に生理的嫌悪を感じる人は多いと思う 瀕死の患者が身にならない大量の飲食物を摂取し続けるのがデカダンでいいんじゃないか
「ブッデンブローグ」でも同居してるやせの大食いの子がいい味出してる(名前忘れた) >>784
シュティフターの「石さまざま」の翻訳を読んでいたら
巻末の解説にトーマス・マンがシュティフターを高く評価していたと書いてあった。 >>792
>大衆小説的
自分は読んでないけど、読んでる人らの話聞いててなんとなくそうなのかなとは自分も感じてた ドストエフスキーは借金とかあったから売れなくちゃいけなかったからね
大衆小説的になる トーマス・マンのドストエフスキー評。
「この人は全身これ神経の塊だった。ぶるぶる震えていて、絶えず痙攣におそわれるのだ。彼の感覚鋭敏なことは、
まるで皮膚がはぎとられて、空気に触れることさえ激痛を与えるというほどだ。にもかかわらずこの人は60歳まで生きた。
そして40年間にわたる文学活動で、無数の人物の住む、かつて見たことも聞いたこともない新奇と大胆さに満ちた詩的世界を創造した。この世界には巨大な情念が荒れ狂っている。
この世界は、人間についての我々の知識を押し広げるような、「限界を超える」思想と心情の激発が見られるが、
またそこには愉快な気分も生き生きと湧き起こっている。というのもこの磔にされた殉教者のような男は、諸々の性質に加えて、驚嘆に値するユーモリストでもあったからだ 「選ばれしひと」「フェリッゥスクルル」「大公殿下」なんてものも名作だよ
確かにマンはゲーテの後継者といってもいい
「魔の山」の「ワルプルギスの夜」はゲーテの「ファウスト」からきている
また「魔の山」はその流れが「ヴィルヘルム・マイスター」の焼き直しだし
「ワイマールのロッテ」はゲーテの作品をすべて網羅している
やはりマンはゲーテの後継者だ
ドイツで不評だったゲーテを盛り立てたんだ 小塩節先生の「トーマス・マンとドイツの時代」を読み、人間精神への動揺に対する免疫力をつける知恵を学ぼう!!
2016年2月12日
http://comingdragon.com/archives/5760
著者:『人生と芸術、生と精神、愛と創作、それはご夫君トーマス・マンの
一生を通じてのテーマだったし、緊張をはらんだ対立ですね。
ことばを変えれば愛と孤独、家庭生活と芸術創作と言える−、
これはただの緊張関係じゃない。
あれか、これか、二者択一の問題でしょう。・・・(以下、省略)』
カチア夫人:『いいえ、二者択一じゃない。綜合すべきことよ。
それに必要なのは堅忍不抜の忍耐力と深い愛、互いへのおもいやり、
そしてね、ほんの少しばかりの狡猾かしら、人生への。・・・
(以下、省略)』 石川義正
トーマス・マン「魔の山」
マンは家族や友人に執筆中の小説を読んで反応を探る癖があった。
ある時「このエピソードちょっと長いわね」という娘に「そうだね、削除しちゃお」と50p分丸ごとカット。
「え、いいのお父さん?」「いいんだいいんだ」と。自分のテキストに対する巨匠の愛のなさは凄い。
2016年4月30日 >>795
奥さんのカーチャの父が富裕なユダヤ人数学者で
義父からの経済的援助を受けていたみたいです。
米国亡命中も裕福な生活をしながら反ナチ活動をしていたらしい。
第二次大戦終了後、ドイツではなくスイスで暮らしたのも
ドイツ人の中にマンに対する反感があったんじゃないかと思う。 >>771
プルーストについては、以前はプレイヤッド3冊本だったんですよ。
新潮社から出ていた第二次大戦中の訳はもちろんこれ。
井上究一郎のは3冊本の個人全訳。
プルーストの研究が進みプレイヤッド4冊本になった。
吉川一義は井上究一郎の愛弟子で、彼のはプレイヤッド4冊本の翻訳。 トーマス・マンは「トニオ・クレーゲル」でリザベータに言われたように
道を踏み外した Burger だったから、ドストエフスキーの深淵に入り込まなかった。
生まれ育ちも時代状況も違うってのがあるんだろうが。 >>807
ゲーテの後継者らしさを全く感じない・・・ ゲーテは「Sturm und Drang」とか言われる「理性に対する感情の優越」があると思う。
マンは極めて理性的な感じがする。 『ブッデンブローグ』読み終えたぞ
面白い作品だったが最後にあの子を殺したのが気に入らない トーマス・マン(Thomas Mann、1991年9月27日 - )は、米国の俳優。 映画「グランドフィナーレ」
舞台は「魔の山」のモデルのサナトリウム(今はホテル)らしい
友人が見に行ったが・・・ 新潮の魔の山読んでる
岩波は知らないけど新潮読みやすいわ みすず書房のワーグナーと現代は読み辛い
訳がクソですね 『魔の山』は集英社の圓子修平訳で読んだが、良かったね。 岩波だったと思うが、「ファウスト博士」は読みにくかった。
共訳者の一人の方は大学時代に独語習った先生なんだけど。
「魔の山」、今は新潮のを読みかけ中だが、前は岩波のを読んでいた。
これを日本語で読みやすくするなんて凄い翻訳力だと思う。 お邪魔しますよ
投票実施中 9/11(日)23:59までに投票して下さい
文学板ID制を導入に関する投票スレ [無断転載禁止]©2ch.net
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/vote/1473074707/ いま「魔の山」下巻に入ったとこだけど
上巻の最後おもしろかったー
けど上にも書いてるひといたけど
映画みたいな手法だと言えるね
文学的な展開のしかたではないかもしれん
けどおもしろいからかまわん >>821
『ドクトル・ファウストゥス』は、ドイツ語でも読みにくい。その体験を邦訳でも読者に堪能して欲しいのかも(笑) >>824
とはいえ、私は一番好きな小説ですけれど。まさに、トーマス・マンの集大成だと思います。 ファウストゥス博士を1日1章ずつ読んで行こうという計画。順調にいけば1ヶ月そこらで終わる。
しかし、3章からいきなり長い。4章冒頭でツァイトブロームさんが3章思ったより長くなってしまったスマンと謝ってる。オマケに4章も長い。
9章に至っては長く書きすぎたのわかってるけど、見直すの怖いわーとの事。オイ。 2,3年前一度全て読んだものの、読んでる最中はとても辛かった。
とはいえ最後の展開が圧巻過ぎてそんなものは吹き飛んでしまったけどね。
レーヴァーキューンの作曲技法はあまり十二音技法とかシェーンベルクとかそういう感覚はなかった。もう少し無調よりな作風のイメージ。
ツァイトブロームも異様に不協和な「和音」と述べてる。マーラーの10番クラスター風のイメージじゃないのかな。アドルノも確か後期マーラーについて言及してたように思うし。 ワイも魔の山上巻読み終わった
カストルプなかなかの変態だな 魔の山は5回読んで、5回とも上巻で挫折してるな
そしてまだ諦めきれない
ブッデンブローク家の人々買ったから、先にこっちを読もうか 「ヨセフとその兄弟」を読んだという人を見たことがない
まあ、私も未読ですが
ローゼンベルクの「二十世紀の神話」への反証として書かれた
「ヨセフとその兄弟」にこそマンのヒューマニズムがあらわれているのかもしれない
しかし、、旧約聖書中のユダヤ人の物語を書くことすら
ご法度だったというのは本当に狂った時代だったとしか言いようがない >>813
そんなことを言ったら、『ファウストゥス博士』の最後の方での子供が死ぬシーンなんて、本当に許せないぞ。 >>827
同意。ツァイトブルームの言葉ですよね。
ツァイトブルームの独白で最初と最後を押さえる手法は、辻邦夫が『春の戴冠』でそのまま使っていますね。
あと、中巻に出てくるイタリアの別荘の話も恐ろしい。ネタバレになるので、これ以上書けませんが。 ナフタとセテムブリーニの会話は目で追うだけで理解しようとは思わなかった
あんなの理解したらほんとにナフタみたいになっちまうよ 魔の山、面白いか?
ブッテンブロークス、魔の山、ワイマルのロッテ、ファウスト博士を読んで、
魔の山が一番退屈だった_| ̄|○ 物語という物語ではないよね
世の中にはいろんな人がいて、いろんな考え方がある、ってのをマンが披露しただけかもしれん 欧米人の名前って聖書由来のが多いが、ヨアヒムは何なんだろうと思っていた。
聖書外典より、聖母マリアの父がヨアキム、母がアンナだそうだ。
(持っている新共同訳の外典にはあるのかな?)
キリスト教を理解するためにはカトリックの人に聞くのが一番と思う。 バイロイト音楽祭でのヘアハイム演出のパルジファルでは、両大戦が舞台となり、ナチス(クリングゾル)のハーケンクロイツの旗は、パルジファルの槍の一閃で木っ端微塵にされる。
トーマス・マンの「ファウスト博士」を参考にしているに違いない。 19世紀から20世紀にかけてのドイツは、世界人類史における「壮大な実験場」でした。
後進国の悲劇は、同じく東洋における日本にも影響を与えてきました。
「トーマス・マンとドイツの時代」を読むことで、「時代の転換期と人間精神の動揺に対する免疫力」を
身につける知恵を学びましょう。 俺も魔の山読み切るのに一年かかりそう
やっぱりブロークスのが面白かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています