【生誕103年】太宰治イベント第2巻【没後64年】
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前スレ 【生誕100年】太宰治イベント情報【没後60年】 >>902
なぜ太宰が気持を偽ってないと思う?
その場しのぎでいい加減なことも相当言ってるんだが >>902=>>905は太宰は真剣に生きた人で、その生き方を美しいと思っているんだね
それを美化と言わずして何を美化というのか 太宰の全集なんか大事に持ってる
全部読んだけどいまは読むこともないね >>906
その場限りの真剣さというのもあるよ?
苦しい状況になった時に、それを逃れるために必死で対処する。
身体に危険が及んだ時に、なりふり構わず逃げる方策を探すのと同じだ。
勇ましく死んでいくのは、真剣なんじゃなくて、社会に絡めとられて自己を失った人間だけだ。
>>907
僕は、「太宰ほど真剣に生きた作家も珍しいと思う」と書いた。
真剣に生きることが美しいとは思っていない。
作品からは、真剣に、必死で生きた様子がよくわかる。 >>909
真剣さがその場限りだからダメ人間なんだよ
結局自分のことしか考えてないということだよ
太宰はダメ人間で、ダメ人間の理屈を包み隠さず書いたところに価値がある
人間は誰でもダメなところがあるからね >>910
真剣さ、などというものは、どんな人間でも常時備えていることなどない。
真剣に寝てる、とか、真剣に排泄してるとか、言葉の遊びだ。
意識が常になにものかに対する意識であるように、人は好むと好まざるとにかかわらず、状況には真剣に対峙せざるを得ないんだ。
ダメ人間とかマジメ人間とかいう括り方があるとは思わないが、あれだけの作品を書くことが、普通の人間にはできないことだけは確かだ。
東大に入り、非合法の共産党に入り、親の金で遊女を身請けし、その遊女が客を取っていたことに悩んでその遊女と心中未遂を起こし、結婚をして、複数の愛人と交際をし、最後に愛人の一人と心中した。
その間に、文学史に残る傑作をいくつも書き残した。
太宰ほど真剣に生きて、密度の濃い人生を送った人間は稀だろうね。 >>913
自分の文学的な素養の無さを他人に転嫁するなよw
無知も無教養も恥じることではないけど、自慢することではないよ。 文学的な素養ww
でもこの人、太宰について何ひとつ具体的な話をしてないよね >>913
教祖を崇める信者になったら駄目ですな
>>914
文学的素養がない奴ほど盲目的な信者になるんだよ >>917
信者というのはどういう意味で使ってるの? >>919
意味を問われて、顔を見ろって?
真性のおバカさん? かくにんなんだけど、命日って13日であって、19日は誕生日かつ遺体が発見された日だよね?
わからなくなってきた >>922
命日ではなく、誕生日にやるのもいいんじゃないだろうか? 桜桃忌のこと?
絶命したのが13日か14日かも不明だし
遺族の気持としてはよその女と入水した日を忌日にしたくなかったんじゃね さあねえ
出たという話もあまり聞かないような
津島家の遺族のほうは今は青森でやってる生誕祭のほうに出てるみたいだよ >>926
そういえば、長女の子供は青森選出の自民党の世襲代議士だから、地元でイベントやったほうがなにかと有利なんだろうね。
本人が生きていたら、娘の夫や孫が代議士にとか、どんな顔をしたんだろう・・・
案外権威好きだった太宰は喜んだんだろうか? 元々津島は政治家の家系でしょ
太宰の長兄も代議士〜青森県知事だし
太宰は兄の文治が終戦後に立候補した時、応援演説とかやってるよ >>928
太宰は、戦後再び共産党に入党している。
学生時代の入党は、思想というより自身の出自に対する弁解だったのだろうが、戦後の再入党は、思想的な根拠もあったと思われる。
自分から、田中英光などを誘ったそうだ。
戦後、天皇万歳を説き、デカダンスによる価値観の否定を体現して見せて、そして共産党に参加する。
この支離滅裂さでは、たしかに生き続けるのは困難だ。
太宰にとって、政治とは、ついに身内の職業に過ぎなかったのだろうか? 太宰は戦中に疎開して昭和21年11月まで津軽の生家で兄の世話になっていたけどどこの共産党に入党したのかね >>930
『戦後期左翼人士群像』には、田中英光が太宰の再入党に刺激されて入党した、とあるだけなので、詳細はわからない。
ただ、保守的な親戚縁者がひしめく青森では、共産党に入るのも大変かも知れない。 日本は無条件降伏をした。私はただ、恥ずかしかった。ものも言えないくらいに恥ずかしかった。
×
天皇の悪口を言うものが激増して来た。しかし、そうなって見ると私は、これまでどんなに深く天皇を愛して来たのかを知った。私は、保守派を友人たちに宣言した。
×
十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。そうして、やはり歴史は繰り返すのであろうか。私は、歴史は繰り返してはならぬものだと思っている。
×
まったく新しい思潮の擡頭を待望する。それを言い出すには、何よりもまず、「勇気」を要する。私のいま夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、
その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。
『苦悩の年鑑』 「新文芸」1946(昭和21)年3月 太宰が共産党に再入党したなら、それはそれで興味深いんだが
再入党のソースはその本一冊なのかね
共産党が党員名簿をソースに出してくれれば一発なのに >>933
さすがに、名簿を公開するほどプライバシー意識の低い団体はあまりないだろう。
太宰の再入党については、いまのところ、この本だけみたいだ。
著者は、長年共産党などの左翼文化活動を担ってきた人らしい。
この著者によれば、田中英光は46年の暮れには共産党の沼津地区委員長をしていてたとのこと。
その田中が、太宰の再入党に触発されて入党したのだとすれば、太宰自身はその前ということになる。
金木で入党することは考えにくいから、再入党の気持ちを固めていて、三鷹に戻ってきてすぐに入党したとみるのが自然だろう。
当時の進歩党に対しての応援と、そのことに対する後悔の念が決意させたのかも知れない。
家族の話などからは、なにも浮かび上がってこないが、金木で書かれた「冬の花火」と「春の枯葉」からは、その葛藤のあとを読み取れないこともない。 なんで太宰の再入党が意外かというと、戦後の作品や生活からは全く党員としての太宰が浮かび上がらないからなんだよね
人間失格でも共産党員時代は黒歴史的な扱いしてるし
太宰関連の逸話はトホホなのもひどいのも、妻、編集者、作家、知人、愛人らによってかなり暴露されてるから
ほんとに入党してるなら「終戦後に断りきれずに再入党して後悔してる」みたいな話が出てくるぐらいのほうがおもしろい >>935
戦後、価値観が大きく揺れ動いたのは、太宰も例外ではない。
進歩党への応援も、兄の選挙だから、ということだけではなさそうだ。
民主主義への微かな憧憬があったとみるのが自然だろう。
太宰が共産党の関係者から勧誘されたかどうかはわからないが、共産党関係者の間からは、太宰に対する批判は強かったようだ。
田中はそれに涙を流して反論したというエピソードがとり上げられている。
確かに、当時の共産党的な文学に太宰の戦後作品がなじむとは考えにくい。
再入党の事実も経緯も不明だが、ただの人気作家というだけでは、共産党関係の文芸誌に批評が載るとも思いにくい。
著者の記憶を疑う理由もないし、再入党は、太宰としてあり得ないということでもない行動だろう。
共産党を否定したいという、おかしな色眼鏡で見る必要もない。 まあ、もし再入党が本当だとしても、まじめな党員じゃなかったことは確かだろうなあ
税金払えなくて泣いたり逆ギレしてた時も、共産党のにおいは全然しない >>934
このページによると田中英光は昭和21年3月に共産党に入党して一年後に離党している
http://www.tokyo-kurenaidan.com/tanaka-tokyo2.htm
田中英光が太宰の影響で入党したとしたら、太宰は金木に疎開中に入党したことになる
共産党員でありながら進歩党の文治の応援演説とかしてたんだろうか?
あるいはそのときはすでに離党してたのか?
ちなみにWikipediaの田中英光の項には「実兄の影響で入党」となってる >>938
いろいろな情報があるね。
僕は、自分で調べたわけではないので、正誤についてはなんともいいようがない。
関係ない話だが、紹介してもらったリンク先に、田中が処女ではない女と結婚したことについて触れていった。
もともと、処女だの違うのというのは、明治になってからのおかしな価値観だろうが、太宰もそれで悩んだ。
最初の心中事件の相手、小山初代が、遊女なのに処女だと信じていた太宰が、友人に真実を知らされて思い悩んだ話だ。
江戸時代は、家の存続が最重要課題だったから、妾の下げ渡しだろうが遊女だろうが、まったく問題にならなかった。
いまでも、処女とかいうことを気にする人もいるらしいけど、なぜなんだろうね? 田中が妻が処女でなかったことにこだわった意味は自著の「野狐」に書いてあるよ
青空文庫で読める
要するに処女でなかったことをごまかしていたことが気にくわなかったようだ >>940
どうかなあ・・・
読んでも、愚かな男の支配欲しか表われてないと思うけどね。
スレ違いだから簡単にしか触れないけど、同じ「処女」に対する感性でも、太宰とは比較にならない、鈍く愚かで身勝手な感性だと思うな。
やっぱり、田中はその程度の作家、ということだよね。 本題に戻って、共産党再入党が事実であるか事実ではないかによって、太宰の評価や受け止め方が変わる人はいるのかな? いないんじゃね?
いまさら太宰関係で何が出てきても、評価は変わらないだろ
もし本当に入党してたなら、その経緯とかには興味あるけど
どっちにしても死んだ時は離党してただろうしな
党員が死んで葬式に来ないほど薄情な党じゃないだろ
共産党は >>943
>葬式に来ないほど薄情な党じゃない
それも不明だね。
情の問題ではなくて、ゼネスト中止命令後だから、共産党員であることを知らしめるような対応はしなかっただろう。
2年後にはレッドパージという時期だから、共産党が自由でいられたのは、戦後のほんの一瞬、といってもいいのかも知れない。 太宰の再入党に関しては共産党の史料が出てこない限り学術的には無意味だよ 昭和二〇年十一月十四日(渡辺惣助の日記による。津川武一によれば九日)、青森県共産党再建会議が、津川武一の家で開かれた。
出席者は<渡辺惣助、雨森 (注−卓三郎)、津川(注−武一)、山中(沙和宗一)、内山、山鹿、唐牛、原、島口、田村(注−文雄)、杉浦、津島(太宰治)の十二名>
(小野正文『太宰 治をどう読むか』弘文堂、昭37.2)であった。<戦後の共産党をどうして再建してゆくかの相談会>
(津川武一「太宰治の死」『東奥日報』昭23.6. 22)であった。
この会に太宰も参加している。しかし、<この時彼はあまり発言しなかった>(田村文雄既出)らしく、<日本共産覚は、ロシアとも世界共産覚とも
手を切ってやるのだと結論が出たとき、太宰は全く口をつぐんでしまった>(津川武一>、そして、途中で退席したという。
この事に対し、小野正文は<太宰には、共産党再建に対する興味も意欲もなかったことは明瞭である。彼は純粋に、故旧忘れ得べき、
こういう人なつかしさで 顔を出したのである>(前出)と語る。戦後の太宰がコミュニズムの運動と直接かかわったのは、この一回きりだと思われる。
太宰治とコミュニズム
渡部芳紀
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/dazai/communizm.HTML
戦後の太宰と共産党の関わりで明らかになってるのはこれだけらしい。
まさかたった一回集会に出ただけで入党したことになってるわけじゃないだろうなあ >>946
青森で再建会議に出席して、東京の幹部が党員と認識してるんだから、党員であったことは間違いないんだろうな。
戦後でも、太宰自身は、社会主義を正しいと考えていると書いている。
しかし、接する党員たちはその言動が戦前と変わらず、太宰を幻滅させたということだろう。
太宰の政治に対する期待と反発は、死を選ぶ理由の一つになったのかもしれない。 >>948
青森の党員は党員と認識してないようだが
共産党こえええ
まあ太宰は党費払ってなかっただろうが >>949
>青森の党員は党員と認識してない
ソースは?
怖いのは、戦前共産党を弾圧して、多喜二などを惨殺したファシズムだと思うよ。
共謀罪条項が、治安維持法のように運用されないように国民は監視しなくちゃいけないし、共謀罪条項の改廃を次期政権に託せるといいな。 ちなみに津川武一は東北初の共産党代議士
太宰の死後昭和23年の段階で太宰を党員と認識している様子はない
田中英光は自分と共産党の関わりも
太宰との関わりもさんざん書き残してるが、戦後太宰が入党したとは一言も書き残してない
太宰の再入党の話は確たる証拠がでない限りは年寄りの勘違いの可能性が大 >>950
よく読めよ
会合の様子が複数の党員によって語られてソースも明らかにされてる
その上で太宰とコミュニズムの関わりはそれだけと結論づけられてる >>951
太宰の再入党の確証がないからといって、必死になって否定するほどのものでもない。
党の地域再建会議に参加し、共産党員だと認識していた文化系の幹部がいた、という状況。
>>952
読んでも、党員であるかないかの話はまったく出てこない。
ソースにはなってないよ。
普通、再建会議というからには、中心的なメンバーが地域の党員の連絡網を構築し、今後の活動のありかたを協議するもの。
無関係な人間が参加するようなものではない。 太宰は無関係じゃないだろ
非合法時代に共産党のシンパだったんだから
合法になって、小野正文がいうように
「故旧忘れ得べき、こういう人なつかしさで 顔を出したのである」じゃないか
太宰が戦後、青森県共産党再建会議に一度だけ出て、途中退席して、それっきりだったという話はけっこう有名みたいだな
松本善明が「津川武一と太宰治」という講演をしていて、ネットでその内容が読めるが、その話もでている。
しかしあくまでも太宰は共産党の外部にいた人という扱いに読める
党員だったと語ってる人は増山太助以外、誰もいないようだ 太宰の自死の6日後に「東奥新報」に載った津川武一の文章。
「敗戦の年の十一月九日のこと、戦後の共産党をどうして再建してゆくかの相談会に、誰から聞いたのか太宰が顔を出して私を驚かした。」
津川は中心メンバーだが、太宰はどう見ても党員でもなければ中心的なメンバーでもないな
太宰と津川武一は戦前二回会っていて、これが三度目の出会いであり、同時に最後の出会いだったそうだ。 >>954
声をかけられなければ参加できないよ。
党の地方組織の再建という重要な会議に、ただのシンパを呼ぶとは思えない。
声をかけた人の期待にはそぐわなかったんだろうが、それは入党の有無とは関係がない。
どちらにしても、戦後の太宰は社会主義に傾倒したが、周囲の共産党員たちを是としなかった、というのが確かなところだろう。 >>955
死んだときの共産党と太宰との距離を表すものではあっても、それが事実とは限らない。
自分が太宰を引き入れた責任を問われることを回避した談話かも知れない。
太宰は、共産党系の文学者から強く批判されていたようだ。 いやいやいや、あんた妄想で補い過ぎw
太宰と共産党との関わりは、太宰側からの証言・共産党側からの証言、双方からさんざん研究されつくされているんだって
入党の事実があったなら、隠す必要は一つもない
2000年代にもなってたった一人、「入党していた」っていう人がいたからって、それを事実認定するのは苦しいなあ >>958
太宰の入党があったとすれば、当時の共産党としては、いわば黒歴史w
当時は社会主義リアリズムでなければ、共産党としての文学ではないとされていた。
少なくとも、地域の責任者であれば、党員の作品を社会主義リアリズムに沿ったものに変えさせなければならない。
その責任を全うできなかったとすれば、責任回避の発言をするしかない。
現在の資料に頼るのもいいが、当時の共産党周辺の時代背景も知っておかないといけない。
立場として、太宰の入党を隠す必要がある人もいる。
隠された事実であれば、事実を書ける人が一人だけであっても不思議ではない。
僕は、太宰の入党の事実認定はしないが、否定しようとも思わない。 もう、完全に妄想で語ってるなあ
たとえば、青森の共産党関係者によって1968年に出された
「太宰治文学批判集」なんて本があるわけよ
津川武一も書いてる
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000415423-00
自分は読んでないが、この中ではっきり、太宰は党員ではなかったことが書かれているらしい >>960
だからさ、共産党にとっての黒歴史かも知れないって書いといただろ?
もし入党してたら、金木の親戚縁者にとっても、凄い黒歴史だろうがw
どちらの側からも否定したい事実というのはあるんだから、現在の資料に頼りすぎるのは本質を見失う元だよ。 だから何がどう黒歴史なんだよ
バカバカしい
転向して共産党批判してる作家なんて山ほどいるし、そういう作家に対する共産党側からの批判もたくさんある
でも、入党していたことを共産党側が隠した話なんて聞いたことねーよ あと、現在の資料というなら増山太助の本が一番新しいだろW >>962
転向などという問題ではなく、責任者として不適切な人間を入党させたのかどうかということだよ。
責任者としては、自分の責任を回避して記録も記憶も抹消するかも知れない。
一番わからないのは、なぜ、君がそんなに太宰の入党を否定したいのかということ。
社会主義に傾倒していた太宰が入党することはありうるし、逆に太宰の作品や行動が共産党の文学観やモラルと相容れないことも確かだ。
だから、入党はしたが一切活動はしなかった、というのも十分ありうることだ。
のちに共産党から離れたひとりの元幹部の記憶の中にあっただけなのだから、事実であるともないとも断定はできない。
必死になって否定するようなことでもない。
なぜ君は、太宰が入党していた可能性を全否定したがってるの? >>964
いやあんたがなんで、そんなに太宰の入党を信じたいのかが不思議でしょうがない
どう見ても一人、勘違いした人が間違ったことを書いたようにしか見えないが
入党はしたが一切活動はしなかった、
→入党したことを隠す意味がない
そんなに隠したいなら、再建会議に参加したことも隠せばいいし、太宰との関わりとかいちいち話す必要もない
会議なんて12人しか参加してないんだから、そっちのほうがよっぽど簡単だろ
そんな陰謀論めいた無理矢理な理屈をこねまわしてるのが気持悪いんだよなあ
のちに共産党から離れたひとりの元幹部の記憶の中にあっただけなのだから、事実であるともないとも断定はできない。
→太宰に近い人でもないでもないし、記憶以外に一切入党したという証拠がないんだから、単なる勘違いという可能性が最も高い 宇宙人がいるかもしれないと信じるのはいいけど、政府が宇宙人を隠していると考え出したらヤバイ
そういうことだよ >>965
まだ言ってるのかよw
信じるも信じないも、太宰が再入党してたと書いた元共産党の幹部がいる。
それだけだよ。
再建会議に参加すれば、党員だとみなされることもあるだろうし、そうはみなさない人もいるだろう。
不適格な人間を党員だとは認めたくない責任者がいても不思議ではない。
そんなことより、なぜ君は太宰の入党を全否定したいんだ?
なにも答えてないぞ?
まさか、証拠がないから慰安婦も南京虐殺も架空の事件だ、という議論に影響されているんじゃないだろうね? >>967
書いてるだろうが
太宰の入党を全否定したいんじゃなくて、太宰の入党を肯定しようとすると、田中英光も青森の共産党員も
太宰の身内も誰もがみんなが口裏合わせて嘘を言ってるとい陰謀論になるんだよ
そういう陰謀論が気持悪いって言ってるの > まさか、証拠がないから慰安婦も南京虐殺も架空の事件だ、という議論に影響されているんじゃないだろうね?
自分は慰安婦も南京虐殺も実際にあっただろうと思ってるよ
どの規模を虐殺というかだの、どういう人を慰安婦というかだの
定義論でゴチャゴチャ言い合ってるだけの話だろう、って
入党したかしないかなんていう、党員名簿みりゃ一発の話とは違うだろ > 再建会議に参加すれば、党員だとみなされることもあるだろうし、そうはみなさない人もいるだろう。
党員なんて入党届け出して党費払わなきゃなれないだろ
党員集会に一回出ただけで党員にされる政党ってなんだそれ >>968
田中が太宰と共産党の関係についてどこでどう言ってる?
青森の共産党の責任者についてすでに書いた。
太宰を再建会議に呼んだ人間がいるはずだが、それが誰だかわからない。
少なくても、自分だと名乗る人がいないということだ。
口裏合わせだのということではない。
ただ、不都合なことは語らないのが普通だと言っている。
政治の世界には、政権党から過激派まで陰謀は当然ある。
ネット工作も、政権党の陰謀だが、政権党は堂々とネット工作宣言をしているw
ゲッペルスの言葉を借りるまでもなく、政治というのは陰謀によって動くことも多い。
陰謀というのは、宣伝工作から事件の捏造、暗殺まで枚挙にいとまがない。
まさか、政治には陰謀がなく、大本営の発表も、関東軍の張作霖暗殺も川島芳子も満州国独立も陰謀ではないとでもいうつもりなのか?
陰謀を否定する方が、よほど気持ち悪いぞ? あんたは太宰を語りたいんじゃなくて、太宰をネタにして自分の政治主張を語りたいだけじゃん
もう話すことはないよ >>969
名簿があったと思ってる?
あったとしても、その後、弾圧されたり内部抗争を繰り返したりした組織に、末端党員の名簿が残ってると思うの? いつの時代の話してんだよ
戦後の話だろ
名簿もなくてどうやって赤旗送ったり党費集めたりするんだよ
なんかもうバカバカしくて脱力するしかないわ >>970
時代錯誤だよ。
そんな手続きがある組織ばかりじゃないw
>>972
自分の時代への無知を相手への誹謗で誤魔化すなよ。
戦後がどういう時代で、その時代の中で太宰がどうあがいていたのか、少しは想像をめぐらせよ。 >>974
戦後だよw
戦後の混乱が収まらない、共産党が武力闘争をはじめる前の時代だよ。
帝銀事件、松川事件、下山事件、三鷹事件と、陰謀、術策が渦舞く時代の直前だよ。
少し戦後史を勉強することだ。 >>974
いまなら名簿も必要に応じてあるだろうが、昔は名簿なんかないことが多かったんだよ。
弾圧の材料になるからね。
いまでも過激派には、名簿なんかないだろうw >>978
どこが脳内なんだよw
自分の無知を相手への誹謗でごまかすな。 >>971
> 太宰を再建会議に呼んだ人間がいるはずだが、それが誰だかわからない。
> 少なくても、自分だと名乗る人がいないということだ。
太宰は従兄弟の雨森卓三郎に誘われて再建会議に行ったはず
雨森本人がたしか全集の月報か何かに書いてた >>980
ありがとう。
いままで太宰研究者がまったく触れてないようだけど、全集の月報までは見てないのかな?
もう少しソースが明確になるとうれしい。 >>981
補足。
月報の内容が分からないという意味です。 >>981
触れてないということはないはずだが?
とにかく太宰関連の研究書や論文はものすごい数が出ているので、概説的なものでは省かれてるだけだろう >>983
なるほど、そういうことか。
具体的なものがあったら教えて。 太宰に「ロシアではカレーを手で食べる」なんてこと吹き込んだのはどこの誰か知りたい
太宰がインドをロシアと間違えて覚えただけかもしれないが >>986
本場というか、インドなどの南アジアでは、カレーは手で食べるらしいから、ロシアでもカレーを食べるなら手で食べても不思議はないな。
太宰の言ってるのは、気取って箸を使う人たちへの皮肉なんだから、「インド」では皮肉になりそうもない。
イギリスカレーだとシチューみたいな感じなんだろうから、手で食べるのは無理だろう。
手で食べるというのは、日本でいうドライカレーなんだろうな。 そもそもロシアにカレーライスが広まったのはかなり最近のことのはず。
中村屋辺りにいって、ライスカレー食べながら誰かが講釈したのを間違って覚えたか、
出たばかりのカレーパンでもかじってて、ロシヤにはピロシキというこういう食べ物があってみたいな講釈を聞いて脳内で混ざったか。 >>988
それがトンデモ豆知識じゃないっていう根拠はあるの?
ロシアはとても広くて多民族だよ? >>986
ロシアとインドの間違いに一票
私はがっかりした。主人は、どういうものだか地理の知識は皆無なのである。西も東も、わからないのではないか、とさえ思われる時がある。
つい先日まで、南極が一ばん暑くて、北極が一ばん寒いと覚えていたのだそうで、その告白を聞いた時には、私は主人の人格を疑いさえしたのである。
去年、佐渡へ御旅行なされて、その土産話に、佐渡の島影を汽船から望見して、満洲だと思ったそうで、実に滅茶苦茶だ。
これでよく、大学なんかへ入学できたものだ。ただ、呆れるばかりである。 まあ「食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。」で始まる文章なんだから、与太話としてあんまりまじめに考えなくてもいいと思う >>991
それは、与太話、ではなく、皮肉というんだよw
ロシア手づかみ問題も、事実がどうであれ、皮肉の文章なんだから。 個人的に人間失格の「空腹というものがわからない」ってすげぇ共感できたんだけど、あそこ変に解釈されることも多いんやね >>993
なぜ共感するの?
変に解釈って、どんな解釈? 共感はそのままだよ
ただただ単純に空腹って感覚がわからない あくまで周期的な栄養の摂取という感覚で食べてる あんまり食べないと頭痛とかするし
小さい頃食事の時間が嫌いだったからそうなのかもね
変な解釈については、太宰の娘みたいな「ある種の強がり」って考え方 >>995
「食事の部屋は薄暗く、昼ごはんの時など、十幾人の家族が、ただ黙々としてめしを食っている」
「寒さにがたがた震える思いで口にごはんを少量ずつ運び、押し込み」
食事への嫌悪は、家族への嫌悪だと思うよ。
この場合の食事というのは、家族のこと。
家族に親愛感情をもてない人は、自分で死ぬことを選ぶことが多い。
太宰の場合は、とても単純。 そりゃ家族に対する恐怖ってのは間違いなく大きな要因だと思うけど、結果であって象徴として空腹がわからないってわけじゃ無いと思う
結果として空腹がわからなくなって、さらにそこから隣人の最も根本であるような苦悩さえ理解出来ないと不安に襲われていたと考えた方がしっくりくる
それに家族に親愛感情がもてないんじゃなく、持っているのにそれを表す方法を持たない人が自ら死ぬ事を選ぶことが多いと思う
ただ感情を持てないだけなら、例えそれがフリだとしても自殺未遂を繰り返すような事はしないはず >>997
太宰が悩んだのは、人の心が日常生活と乖離していること。
自殺未遂は結果であって、フリではないだろう。
太宰の死への渇望は、戦時中の精神的な安定によく表われている。
死が近づいたことで、心豊かに暮らすことができた。 いや逆でしょ
空腹という日常生活の根本をなす、作中の言葉を使えばプラクテカルな苦悩などが人の心を占めていて、尚且つ自分がそれらを理解出来ない事からくるものでしょ
最も根本であるそれさえ理解出来ない自分に、どうして人の心が分かり得ようかという人との剥離こそが太宰の抱えた苦悩だと思う
それに心豊かに暮らしたことがわかる作品なら中期作品こそがそうだと思うし、あの頃は結婚とかでむしろ死とはかけ離れた生活をしていた頃じゃない?
好きな作品も多いけれど、死をより考えていたであろう前期や後期作品に関して心豊かとは到底思えない
まぁ完全にフリだとは思わないけど それでもただ死を渇望していただけではないと思うよ
あと次スレ立てた方が良いのかな 俺は立てた事ないからよくわからないけれども このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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