1801年という物語のはじまる年は英蘭合同の年で、孤児ヒースクリフはそれ(it)は誰に所属する(owner/belongs to)知らず、唖のよう、と非人間、奴隷扱いされて登場する。
it starving, and houseless, and as good as dumb, in the streets of Liverpool, where he picked it up and inquired for its owner.
Not a soul knew to whom it belonged
1830年代からの感情革命によって生まれた憐憫とともに、大飢饉は慈悲深く「酔っぱらいの無法者」アイルランド人を処分してくれる、とした当時のブルジョワ階級の奇妙な歪みとして捉えられます。
ヒースクリフはよく分からない言葉をしゃべる。 some gibberish that nobody could understand
これは当時アイルランド語を描写する際によく使われた表現であるというのは重要で、「大飢饉」以後はアイルランド語が姿を消していく背景にも、神の摂理により消滅していく劣った民族というアイルランドへ向けられた敵意を読み込んでいく。
「ヒースクリフをアイルランド(人)」として寓意的に読んでいくイーグルトンの論考は、そもそもインド人ともアジア人とも黒人との混血とも決定できる描写がない、と認めたうえで「アイルランド性を持つ」として見ていきます。
ヒースクリフ黒人説(スーザン・メイヤー)やアイルランド説をたどる渡部悦子「Wuthering Heightsにおける帝国主義とHeathcliffについての一考察」は日本語で読めます。

S・メイヤーは当時ロンドンに二万人の黒人奴隷がいたこと、リヴァプールに黒人通りなる奴隷市場が開催されていたことなどを指摘し、作中の「インド人水夫の子か、アメリカ人かスペイン人のcastaway」に反しあえて黒人説を唱えています。
リヴァプールから60マイル離れたネリーにもまして、ヨークシャーで黒人をどれだけ知っていたかもわかりませんし、アイルランド難民の捨て子やインドや他国の船員の捨て子、(黒人?)に悪魔や取り換え子のどれにも帰着させないよう作られたと思います。
その中の「アイルランド性」や「黒人性」「植民地性」を当時の時代背景を読んでいくイーグルトンらの読解はよいものだと思います。