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なぜ日本文学は権力構造を描き得なかったか
0019吾輩は名無しである
垢版 |
2013/09/22(日) 08:37:17.01
>>17
あれは山県の死後に崩れた長州閥を当時としては新進の軍務官僚や傍流の非長州閥が再構築しようとして
逆に統制がきかなくなっただけです。
東条英機はこれをまとめあげようとして極端な独裁政治をとらざるをえなかっただけで。
>>18
いやいや、武士階級の大規模リストラは近年の水戸藩研究でも指摘されていることですよ。
武家社会における若衆組による世論形成についてはおもに幕末の事例を通じて柳田国男も指摘しています。
それと農業社会史の分野では田家康さんという人が触れていましたね
田家さんの場合は幕末の異常気象による不作と武家政権の衰退という視点ですが。
0020吾輩は名無しである
垢版 |
2013/09/22(日) 15:12:17.53
>東条英機はこれをまとめあげようとして極端な独裁政治をとらざるをえなかっただけで
教科書的には統制派の東条に大命降下して陸軍の規律を回復しようとした、だけど。
東条は一応統制派ってゆうことになってるけどね、強烈な指導力に必要なカリスマなんか何にもないぼんくらで、
なんの統制も取れなく、むしろ無責任体制に迎合して結果12月8日を迎えただけだよ。
それなのに地位に恋々としてサイパン陥落で宮廷クーデタが起こって辞めさせられるまで辞めず、
結果8月15日まで戦争を継続させた。
近衛の方がまだマシな程だよ。
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