阿川弘之 [転載禁止]©2ch.net
ご冥福をお祈りします。
海軍ものも好きだけれど、志賀直哉、特にあの終わり方が好きだった。 『雲の墓標』は掛け値無しの傑作
老衰とはいえ惜しい人を亡くした… イデオロギーが合わなそうな阿刀田なんかとも親交あったんだ。
瞬間湯沸かし器の割には懐が深いところあるね。
そうでもなきゃ文壇で生き残れないんだろうが。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150805/k10010179591000.html 遠藤周作先生や北杜夫先生達の下に逝かれたのか・・・ご冥福を心よりお祈りします 高1の現代国語の教科書で、「すずきとおこぜ」を読んだ記憶がある。
本当にこんな小説あるのか? 雲の墓標、春の城、山本五十六、米内光政、井上成美
うぁあああああああ
合掌 そういえば今日は広島原爆の日か。
阿川氏、高校時代の憧れの女性を原爆で失っていたような… >>13
あるよ。
短編では結構海軍関係ない作品も多い。
ファンタジーっぽいのでは「夜光虫」なんていうのもあった。 『春の城』『雲の墓標』は、十代の頃、大好きだった。
老いても背筋が真っ直ぐで、海軍将校の気骨を偲ばせる人だったな。 「黒い煎餅」のようにシモの話で老いの悲しみを書いた佳作もあります。
それにしても阿川弘之や庄野潤三のように気品のある文章を書ける人はいなくなった。
7年くらい前の「文學界」に掲載された大久保房男との対談では
佐多稲子や中野重治はその左翼的党派性ではなく芸術性で評価されるべきだと述べているように、
非情に文章の芸術性にこだわる人です。
そういう意味では尾崎一雄といっしょで文章の品にこだわる志賀門下生なんですね。 一部の若者のおかげでいったん死語になった鎮守府がメジャーになったことは知ってたんだろうか? 命日をやえもん忌としたら怒るだろうか?
あるいはカレーライス忌とか。
まあ、舷燈忌あたりで落ち着きそうな気がしますが。 丸谷才一と同じく旧かな遣いにこだわった作家だったな
もうナチュラルに使える世代は殆どいないんだな ネスカフェのCMに出てたっけ?
違いのわかる男、とかなんとか…
出てたとすれば1970年代頃だったかと。 もう降板してしまったが
阿川(娘)が大竹まことのラジオ番組に週一で出ていた頃
たまに親父さんの近況を喋っていた。
その中で記憶にあるのは
お医者さんに「調子はどうですか?」と聞かれた際に
相手が女医さんだと、見栄をはって「大丈夫だ!」と答えがちだった、という話 第三の新人でも小島信夫とは仲悪いんだよな。
「魔の遺産」をけなされたとかで。
庄野や島尾みたいな元予備学生ともそんなに交友はない。
かと思うと大岡昇平辺りとはまあまあ仲が良いから不思議なもんだ。 島尾はなんかで批判してた記憶がある
「国を思うて何が悪い」だったかな? 島尾に関しては、島尾の側から阿川の作品に納得できなくてもしょうがないかなあという
気もする… なんかレトリックだけの文章だな。
川村湊とか高橋源一郎みたいに思想的に絶対阿川を評価するわけないのにしてるのは、文壇政治的な大人の事情?
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20150811dde018040017000c.html 日本芸術院賞を受賞しておきながら、
天皇陛下による授与式を欠席したのはけしからん
欠席するくらいなら賞を辞退すればいいだろう。
島尾敏雄に対する批判はそんなところです。
まあ、大江健三郎のように文化勲章を辞退しても
やはり文句は言うのだろうけど。
高松宮妃と一緒に高松宮日記編纂に携わっているような人だからそこら辺は仕方ない。
そういえば伊集院静のこともが嫌いだったそうで、
その理由はよく分からないのだけれど、ようするに虫が好かなかったんでしょう。 変わったところでは手塚治虫と宇宙人について座談会やってる。
どんな内容なのか気になる。
われら地球人、宇宙人応答せよ(座談会とカット)(阿川弘之、江上不二夫、小田稔氏)毎日新聞夕刊:69/07/19
ttp://www.kurata-wataru.com/t-osamu/osamu_4.html 阿川さんは第三の新人の中に入れるのはちょっと違和感あるな、まあ交友関係としては自然なんだろうけど
どうしても志賀直哉の弟子ってのが一番にくる 阿川さんの「志賀直哉」いま読んでる。
さすがだな、と。
変に意味づけた評論や自分勝手な解釈は排除されてる。
阿川さんは志賀直哉の最後の弟子だが、
自慢話しや自分に酔ってはしゃいだ所は皆無。
志賀を小説の神様扱い、偉大な善人扱い、していない。
かと言って暴露や批判もしない。
バイアスをかけずに徹底的に突き放して書いてる。
自分の師匠にあたる志賀を書く、その視点の設定は見事であると感じた。
なかば身内の人間の生涯を辿る。そこには自分も登場する。普通なら近すぎて無意識にベタベタした湿度を生みがちのものになるはずだ。
静かに抑制された眼差しで文庫本にして1000ページを書く。事実を丁寧に積み上げてそれ自体に語らせ、作家の全体像を浮かび上がらせていく。
さすが志賀直哉直系の弟子だけのことはあると思った。
恐らく、これを書く時、阿川さんには決意のようなものがあったのではないかと思われる。
志賀直哉もその弟子筋も死に絶えて、残るは自分のみ。
後世に作家・志賀直哉の可能な限り実像に近い姿を
伝える。その役目を全うするのは自分しかあるまいと。
実は阿川さんの小説は読んだことがない。
第三の新人は大好きなんだがね。
しかし、この本は素晴らしいと思った。 >>35
「静かに抑制された眼差しで文庫本にして1000ページを書く。事実を丁寧に積み上げてそれ自体に語らせ、作家の全体像を浮かび上がらせていく。」
まさにこれだな。
最後の2、3ページまで来て、直接的じゃないけれどようやく阿川自身の気持ちが透けて
見えてくる。その終わりかたにもしびれた。 軍ヲタの間では海軍への贔屓の引き倒しと言われてるのに、師匠には一歩引いた視線ができるんだな。 山本五十六はメーソンだったからなぁ
ひょっとしたら志賀や阿川も… 新潮文庫版「春の城」の解説が猪瀬に変わっていた。
あんな汚職野郎なんかより小山清に戻せよ。
あのさらっとした解説の方がよほど合ってる。
志賀と太宰の弟子の仲がいいというのも文壇史上の奇跡だな。 11/24に帝国ホテルでお別れ会あるね
会費1万円だが 行ってきた
三浦朱門、平岩弓枝、倉本聡(代読)、ええ話やった。大久保房男の話も出た。いい会だった。 生没年が同じか。
原節子も志賀直哉とは結構交流があったようだし、阿川さんも本の中で「原節子主演の日独合作映画『新しき土』」と触れていた。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015112501001902.html
元女優の原節子さん死去 日本映画黄金期に活躍
2015年11月25日 22時36分
「東京物語」など小津安二郎監督作品で知られ、
日本映画黄金期を代表する女優として活躍した原節子さんが
9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去した。95歳。横浜市出身。 野坂昭如とは麻雀仲間だったけど、ペンクラブの内紛のときには確執があったようだね。
その辺あんまり語ってないけど本当のところどう思ってたんだろうね? お亡くなりになったんだから
「ご冥福をお祈りいたします」
だが、それ以外には何もいうことはないな。
人気流行作家ってそういうもんなだけだな。 野坂が、かつて言い寄ったこともある銀座のバー「カヌー」のマダム
関根庸子には、人生の指南役として?埴谷雄高がいた。
埴谷、反スタ、その他でググってたら上の情報に行き着いた。
反スタは陰湿。
花田清輝が死んでから間もなくの、埴谷による花田への悪口は凄まじかった。
黒田は言わずもがな。 埴谷と北杜夫の対談集読むと、埴谷がすごくやさしいおじいちゃんに見えた。 台湾の総統選挙で民進党が勝ったの見たらどう思ったんだろうね?
阿川さんは基本的に親台湾だけど親国民党だからね。
「南蛮阿房列車」で70年代に台湾に行ったとき
「日本人が去ってから台湾の人には辛い時代が続いた」
と書いてるから、国民党が本省人を抑圧してる当時の日本ではあまり知られていない事実を知ってはいたけど、ボカして書いてた。
蒋介石の追悼文でも「蒋介石は台湾の人にとってはよい指導者とは言えなかったが、共産党よりはマシだった」とも書いてる。
蒋介石に中国から無事復員できたことで恩義を感じていたのと、中共を利することは書きたくなかったんだろうな。 ガラスのコップでぶん殴ったんだから
傷害で起訴されたんじゃないか 昭和30年代に書いた随筆の中で密航してくる韓国人の送還に反対してた。
来たいと思うほど日本が住みよいんだから名誉なことだと思った方がいいとか、
何でも日本が悪いとは言わないが、戦争中に朝鮮神宮に参拝させたり徴用したり、ひどいことして、終戦の後は放り出してその後の戦争で日本が復興したんだからとか、
あんな短い海の間に国境なんてものがあるのが悪いとか、
ネトウヨが読んだら激怒しそうなことが書いてあった。 まあ、事実上の難民だから。
かつての宗主国である日本政府が難民認定をしないで
送り返すのは人道に反するでしょう。
難民と認定した上で法治したら
ネトウヨの八つ当たりの対象となる犯罪組織の温床にならないの。
基本的に偏屈な頑固爺さんだけど腐ったことは言わないよ。 最近になって海軍もののアニメやゲームが増えてメジャーになってるのを知ったらどういったんだろう?
スタートしたばかりのアニメ「はいふり」、1話放送後に「ハイスクール・フリート」にタイトル変更
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160410-00000012-it_nlab-life カレーライスの唄読んだ
面白かった
やっぱり作家だね。海軍もの以外でももっと評価されるべき カレーライス買ったけど絶賛積読中だわ
ちくま文庫のリバイバル路線ってなんかいいよね 海軍もの以外だと末の末っ子もおもしろかった。
でも海軍もの以外で圧倒的だったのはやっぱり「志賀直哉」だったと思う。 「志賀直哉」図書館で借りて読んだな
末の末っ子も読んでみたいと思っている 『暗い波濤』は登場人物の氏名は変えてあっても基本的に史実だと思っていたが、
そうでもないようだな。
例えば、伊号53潜の話、wikiで調べてみると回天は4基しか積んでいなくて、最初は1基しか
発進していないし、その操縦者は海兵卒。
(小説だと6基積んでいて、最初に3基発進して、最初に発進したうち一基は予備士官が操縦士を務めていた)
予備士官たちを主人公にした本だから、史実のままだとこのエピソード全体が登場しないはず。
多分、それ以外の所も、実際とは多少変えてあるところが多々あるんだろうね。
もちろん、それで文学的な価値が下がるわけではないけど、ノンフィクションだと思っていたから、
ちょっと意外だった。 暗い波濤好きだ。
史実に忠実ではないけど、例えば海兵の津島教頭なんかは井上成美大将が
モデルだと思われるし、史実と創作を織り交ぜて書かれてるんだろうね。
提督3部作のような評伝ではないから、フィクションにしてるのかな? 暗い波濤は好きだけど、読み返すと矛盾を見つけてしまった。
中平という霞空の教官で登場して終盤翁と国分まで出てくる人がいる。
霞空の頃は戦闘機乗りと言ってたのにいつの間にか艦爆乗りだったことになってる。 >>61
月村少佐はモデルがいそうだよね?
誰なんだろ。 一体何時まで代表作を「山本五十六」にしておくんだよ。インタビューでも、人から頼まれた。
本当はよく知らないって言ってたのに、死人に口無しで相手の一方的無な言い分だけ載せて。
だから整合性も無い。
どうせ海軍アンチの陸軍系の人物から頼まれたのだろうけど、ふざけてる。 「ぽんこつ」読了。
海軍もの以外でも面白いの書いておられたんだな
絶版になってた作品また出してくれないかな 七地かな
史実で志賀が、親しい間だった安倍能成と、弟子の阿川とで麻雀をしていた時、
「志賀君にはいい弟子がいて羨ましい」といわれ、阿川も照れたが志賀も照れて
「うん、だけど麻雀でも好きでないと、こういう弟子はなかなかできないよ」ってごまかした話すごく好き。
『文士の好物』阿川弘之著
阿川さんのしがなお評伝ほんと好きなんだけど
「師匠の書いていることはその意見に賛成でなくても全部わかる。
でも評論家が師匠について書いているのは何のことかほとんどわからない。
面白いのは事実。だから、評はさけて、事実だけを積み重ねた師匠を書きたいと思って(意訳)」書いたって。すき。
2017年2月3日 戦争中の呉と広島を舞台にしてるアニメ映画がヒットしてるけど、もし阿川大尉が見たらどんな感想だったかな? 基本的に「雲の墓標は」反戦小説であり、
阿川弘之は大東亜戦争に対して批判的な人間
ただ、戦前や天皇の権威まで全否定する戦後民主主義や
憲法9条に基づく非武装中立論には
批判的なだけだったというだけであって
昔よく見かけた頑固爺さんの考えに過ぎない
あの人に大した思想はないよ 作家の政治思想を云々すること自体邪道かもしれないが、まあ硬いことは言わないで反論してみる。
阿川が残した著作の中で、彼の素直な心情として思い出すこと(海軍関係のあれこれを除く)…
●真珠湾攻撃の放送を聴いたときは感動した。
●終戦、帰国した時には若輩の立場で「戦争に負けてすいませんでした」などという挨拶を本気でやって笑われている。
●戦後、アメリカに行くまではかなり極端な反米だった。
●アメリカに行って、親米になった。
●家庭においては極端な亭主関白であった。
●基本的にすべて、志賀直哉の考えに無条件で染まっていた。
要するに、阿川は非常に単純、ある意味まじめな人間だった。しかし、
●故郷の広島を原爆で焼かれたにもかかわらず、「もし日本が原爆を持っていたら間違いなく日本も使っていた」として、
教条主義的にアメリカの原爆投下を非難する姿勢に対しては拒否の立場だった。
●大江健三郎に代表される教条主義的左翼は大嫌いだった。
●天皇に関して教条主義的な考え方を非難する一方、皇室に親近感を持ち、皇室の側からも好感を持たれていた。
要するに、教条主義的なまじめすぎる「思想」を非常に嫌っていた。
単純でまじめな人間は教条主義になる。阿川はもともとは教条主義的な人間だったんだろうと思う。海軍や志賀直哉に対する思い入れの強さなどにもそれがうかがえる。
一方で、だからこそ阿川はまさにその海軍の「合理性」や「リアリズム」、志賀直哉の「対象から距離を置く姿勢」に魅力を感じてそれらに育てられ、彼自身をそこに措定し、そういう作家になっていったんだと思う。
阿川の魅力は先天性の子供みたいな単純さと後天性の海軍的合理性、志賀直哉的冷静さが彼自身の中に共存してる点にあると思う。相反する性質の共存は一般論としても文学の魅力、価値だと思う。
ところで「雲の墓標」は反戦小説ではない。「反戦」は教条主義的イデオロギーにすぎない。あれは同世代への鎮魂小説だ。 反戦毛嫌いしてる時点であんたもイデオロギー的には保守ってことじゃん
保守は政治的に中立!と自称したいんだったらともかく >>73
あと北朝鮮や中共は嫌いだったけど、それ以外の朝鮮や中国そのものに対しては違った
軍事政権下の韓国や国民党独裁下の台湾といった反共政権にはむしろシンパシーを示していた
在日についても初期は好意的に書いてた
なお東欧に関してはユーゴもルーマニアも一緒くたに「だから共産国はダメなんだ」という感じだった >>75
まさに「冷戦時代の自由主義者」そのものだったよね。でもやっぱり本来は、作家の政治思想を問うのは邪道だと思う。作家は作品のみで文学として評価されるべきだ。
しかし阿川は私小説の最後の旗手のひとりでもあり、また本人が政治色豊かな(笑)随筆もずいぶん書いているものだからしょうがないね(笑
ぜんぜん話は違うけれど、北杜夫を作家として尊敬していたんだと思う。いろんな対談集を観てもふだんは皮肉屋の阿川が年下の北に対してだけはいつもすごく気を使っている。
茂吉が好きだったって事もあるけれど、あれは「楡家の人々」にぶっ飛ばされて「これは勝てない」と思ったんじゃないか。
楡家の約10年後に阿川は「軍艦長門の生涯」を書いた。楡家と同じくひとつのインスティテュート(青山脳病院、軍艦長門)を中心に時代の移り変わりを描く。しかし、長門は小説として楡家におよばない。
のちの「志賀直哉」で、今度は阿川独自のアプローチで再度楡家に挑戦して、これは形は違うけれども楡家に匹敵する名作になったと思う。
海軍は阿川にとって決定的なモチーフでもあり、しかし作家としては足かせになっていたのかもしれない。
阿川が頭では重視していた「ユーモアのセンス」、これも作品としては北が初期の頃からずばぬけていた。阿川はユーモアが大事だといいながら自分にたいしたユーモアのセンスがないので困ったと思う。しかし「末の末っ子」で立派に巻き返しましたね。
阿川弘之、いい作品をたくさん残してくれました。山本・米内・井上三部作も大好きです。そして北杜夫という友達がいてよかった。 >>73
昭和30年代の頃は皇居を潰して自動車道路を造れなんて書いてたけどね 阿川作品も、北杜夫も一通り読んだけど、楡家の人々は確かに良かった。
でも、暗い波濤もなかなか良い作品だと思う 昨夜本屋に行ったら、阿川の「乗りもの紳士録」という本が出てた!中公文庫。
ずいぶん古い(1970年代)エッセイみたいだけど、こういうのを新しく出してくれるとうれしい。中身は中身は初めて読む内容だった。これからも文庫で昔の作品出し続けて欲しい。
【阿川佐和子 結婚していた】阿川佐和子が、69歳の一般男性と5月9日に結婚。
亡父・阿川弘之さんが入院中、交際について尋ねてきた一幕も明かす。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170517-00002537-bunshun-ent
亡父・阿川弘之さんが入院中、「S氏」との交際について尋ねてきた一幕も明かしている。
「ある日、入院中の父から電話がありました。いつものように『病室にチーズを持ってこい。ビールが切れた』といった用件だと思いきや、静かな口調で言ったのです。
『今日はお前とプライベートな話がしたい』『は?』『噂によると付き合っている人がいるそうだが……』『へ?』(中略)
狼狽しつつ、
『実は一度父さんのところへ挨拶に連れていこうとは思ってたんです』と心にもない言い訳をした途端、
『その必要はない』
ぴしゃりと言われてしまいました。加えて父は、『それでお前は幸せなのか?』と聞いてきます。
『えーと、幸せかどうかと聞かれたら、はい、幸せです』
応えると、父は一言、
『お前が幸せなら、それでいい』
それだけ言うと、電話を切りました。」
「子を持つ夢」が叶わないと悟った頃の思いや、35年前に遡る「S氏」との出会いなど、率直に綴った8ページに及ぶ手記の全文は、5月18日(木)発売の週刊文春に掲載される。 佐和子さん
おめでとうございます。
>>81
阿川少将
宮脇車掌
北さんはタイガースのユニフォームだっけ?
遠藤さんは?
見たかったなあ。 >>82
遠藤、カルメンの闘牛士
吉行、吉原の妓夫太郎 開高健とはいつから仲よかったのかな?
追悼文書いてるし食べ物のエッセイではよく登場するけどどういう経緯で知り合ったかとか作品の批評はわからない なんかたまたま小さなことで喧嘩別れしたままのうちに開高さんが亡くなってしまったって残念がる文章書いてたね。
カナダのどこかで開高さんが釣りをやるというので阿川さん、どこか別の取材先から開高さんのホテルに行ってつきあった話もあった。仲がよかったんだろうね。
いいよ、天国で一緒に酒呑んでるよ。 >>86
開高が死ぬ前に和解はできてたらしいよ
この前出た「開高健 ─生きた、書いた、ぶつかった!」という本によると最近阿川さんの手紙が見つかったって >>87
なんかほっとした。
それ読んでみるありがとう。 「春の城」の智恵子との恋みたいなことは現実にあったのかな? 私小説の大家だから、あったと言いたいところだけど、どうなんだろうね あの耕二は智恵子には結構ひどいと思うけどね
断ったのにキスしたりやっちゃったりして中途半端に未練を残させるんだから 半藤一利と阿川さんって憲法や日本の戦後の評価にかなり溝があると思うけど、お互い見事に触れずに褒めあってるね。
元担当編集者と作家の上下のある関係で十歳以上離れてるから半藤の方が自重していたんだろうけど。 「あひる飛びなさい」読んだ。
このほんわかした読後感はなんだ!やっぱ阿川さんの文章はいいわ。米内を再読した後にこれを読んで、阿川の安定した、それでいて幅の広い表現力に圧倒された。
>>94
この文章、あひる飛びなさいの解説にあったけれど、阿川淳之氏の文章初めて読んだ。
阿川氏息子といえば「海の友情」の慶応の尚之氏を筆頭に、自衛隊に入った人と「末の末っ子」の人の3人がいるはずだが、淳之氏が「末の末っ子」なのかな。
「あひる飛びなさい」おすすめですよ。なんだろうこのホンワカした安心感。 金子兜太とは元海軍大尉どうしでつきあいなかったのかな 文壇海軍の会だっけ?
あれは作家だけで、俳句の人は入ってないかな 佐和子さんは金子兜太と対談してるし伊藤園の俳句大賞の選考委員を一緒にしてたな 今週の週刊文春の佐和子さんと鴻上尚史の対談読んだら、鴻上の本を読むまで陸軍でも特攻してたの知らなかったらしい
弘之さんはそんなに陸軍嫌いなのか 文芸海族飲み会のほうが。ええじゃない会みたいな。なにをやってもいいのかもしも。 佐和子さんの小説の原作のドラマ評判よくないな
娘の小説の感想を聞いてみたかった 確か前に佐和子さんが、父も寄る年波には勝てず、車手放した。
ドナドナされて行く時は寂しそうだったってエッセーか何かに書いてたの読んだことがある 随筆も含めて阿川作品の愛読者だけど、阿川さんの海軍善玉論みたいなのには
違和感があるんだよな。そりゃ帝大出て速成の将校になって、ある程度大事に
されればああいう感想を持つのだろう。でも、零細農家の末っ子に生まれてろ
くな学歴もなく、「人が嫌がる兵隊に志願していく馬鹿もいる」と言われなが
らもやむなく志願兵になったうちの爺さんの遺した話を思うと、軍隊なんか陸
海を問わず酷いところだよ下っ端にとっては 今肺炎で話題になってる武漢というか漢口って春の城の舞台じゃないか それ俺も思った
阿川さん支那方面艦隊に転勤になって喜び勇んで上海に赴任したら、
上官から「君、ご苦労だが漢口に行ってくれ」って言われたんだよな 漢口に聖地巡礼してみたかったけどしばらく無理か
当時の面影は残ってるんだろうか? 徹子の部屋 ゲスト予定
6月15日 月曜 傑作選初登場「鶴瓶&所」編 笑福亭鶴瓶 所 ジョージ
6月16日 火曜 傑作選幸せ一杯「パパと愛娘」編 阿川弘之&阿川佐和子 関根 勤&関根麻里 前川 清&前川侑那ゆきな
6月17日 水曜 大谷亮平 高校時代に大病で生死をさまよい…
6月18日 木曜 傑作選「BG」コラボ編 斎藤 工 菜々緒 間宮祥太朗
6月19日 金曜 小島よしお ピークを知る男が再ブレイク! 今ごろ李登輝とつもる話でもしてるんだろうか
でも弘之さんは蒋介石を尊敬してるし台湾独立派じゃなくて国民党が中国を併呑する派だったと思う
https://www.sankei.com/life/news/200810/lif2008100004-n1.html >>95
尚之 (2年) 佐和子 (8年) 知之 (11年) 淳之
長男から末っ子まで21年 ポールセルー著、阿川弘之訳の鉄道大バザールっていう旅行記
文章も読みやすく内容もまあまあ面白かったけど、作者はなんか性格悪そうで好感が持てなかった 半藤が死んだか
リベラル派に持ち上げられてる現状を見たらどう思うか? 阿川さん偶然ホテルのロビーで会った高峰秀子に抱きついたらしい
欧米では当たり前の挨拶とかいって (前略)幸いにして日本は、左がかりの戦後派文士たちが望むような国にはならなかった。
おかげで、才能豊かならざる怠け者作家でも、何彼と美味いものの食える世の中が来た。
それはよかったけれど、文壇やジャーナリズムの一部から白眼視されている感じは
今尚残っている。こちらにもそれを睨み返す思いがあって、食って行けるかぎり
余計な文章に精根傾け、命を縮めるようなことはしたくない。だからこんなもの書くのいやだ(後略)
(私の履歴書 - 第三の新人 日経ビジネス人文庫 2007)
初出は昭和62年12月31日、日経私の履歴書の最終回 芸人が知らないのは仕方ないがテレビ局が知らないのはね
千鳥ノブ 阿川佐和子の父親を「鉄道関係の人」と誤って紹介…そのまま放送した番組に「無知すぎる」と批判続出
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd0b15abf35b0b3cc6d10b2ca6b4dac473d9f8d9 枕からおっさんのにおいがするようになったけど、枕も年取るんだな