阿川弘之 [転載禁止]©2ch.net
ご冥福をお祈りします。
海軍ものも好きだけれど、志賀直哉、特にあの終わり方が好きだった。 『雲の墓標』は掛け値無しの傑作
老衰とはいえ惜しい人を亡くした… イデオロギーが合わなそうな阿刀田なんかとも親交あったんだ。
瞬間湯沸かし器の割には懐が深いところあるね。
そうでもなきゃ文壇で生き残れないんだろうが。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150805/k10010179591000.html 遠藤周作先生や北杜夫先生達の下に逝かれたのか・・・ご冥福を心よりお祈りします 高1の現代国語の教科書で、「すずきとおこぜ」を読んだ記憶がある。
本当にこんな小説あるのか? 雲の墓標、春の城、山本五十六、米内光政、井上成美
うぁあああああああ
合掌 そういえば今日は広島原爆の日か。
阿川氏、高校時代の憧れの女性を原爆で失っていたような… >>13
あるよ。
短編では結構海軍関係ない作品も多い。
ファンタジーっぽいのでは「夜光虫」なんていうのもあった。 『春の城』『雲の墓標』は、十代の頃、大好きだった。
老いても背筋が真っ直ぐで、海軍将校の気骨を偲ばせる人だったな。 「黒い煎餅」のようにシモの話で老いの悲しみを書いた佳作もあります。
それにしても阿川弘之や庄野潤三のように気品のある文章を書ける人はいなくなった。
7年くらい前の「文學界」に掲載された大久保房男との対談では
佐多稲子や中野重治はその左翼的党派性ではなく芸術性で評価されるべきだと述べているように、
非情に文章の芸術性にこだわる人です。
そういう意味では尾崎一雄といっしょで文章の品にこだわる志賀門下生なんですね。 一部の若者のおかげでいったん死語になった鎮守府がメジャーになったことは知ってたんだろうか? 命日をやえもん忌としたら怒るだろうか?
あるいはカレーライス忌とか。
まあ、舷燈忌あたりで落ち着きそうな気がしますが。 丸谷才一と同じく旧かな遣いにこだわった作家だったな
もうナチュラルに使える世代は殆どいないんだな ネスカフェのCMに出てたっけ?
違いのわかる男、とかなんとか…
出てたとすれば1970年代頃だったかと。 もう降板してしまったが
阿川(娘)が大竹まことのラジオ番組に週一で出ていた頃
たまに親父さんの近況を喋っていた。
その中で記憶にあるのは
お医者さんに「調子はどうですか?」と聞かれた際に
相手が女医さんだと、見栄をはって「大丈夫だ!」と答えがちだった、という話 第三の新人でも小島信夫とは仲悪いんだよな。
「魔の遺産」をけなされたとかで。
庄野や島尾みたいな元予備学生ともそんなに交友はない。
かと思うと大岡昇平辺りとはまあまあ仲が良いから不思議なもんだ。 島尾はなんかで批判してた記憶がある
「国を思うて何が悪い」だったかな? 島尾に関しては、島尾の側から阿川の作品に納得できなくてもしょうがないかなあという
気もする… なんかレトリックだけの文章だな。
川村湊とか高橋源一郎みたいに思想的に絶対阿川を評価するわけないのにしてるのは、文壇政治的な大人の事情?
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20150811dde018040017000c.html 日本芸術院賞を受賞しておきながら、
天皇陛下による授与式を欠席したのはけしからん
欠席するくらいなら賞を辞退すればいいだろう。
島尾敏雄に対する批判はそんなところです。
まあ、大江健三郎のように文化勲章を辞退しても
やはり文句は言うのだろうけど。
高松宮妃と一緒に高松宮日記編纂に携わっているような人だからそこら辺は仕方ない。
そういえば伊集院静のこともが嫌いだったそうで、
その理由はよく分からないのだけれど、ようするに虫が好かなかったんでしょう。 変わったところでは手塚治虫と宇宙人について座談会やってる。
どんな内容なのか気になる。
われら地球人、宇宙人応答せよ(座談会とカット)(阿川弘之、江上不二夫、小田稔氏)毎日新聞夕刊:69/07/19
ttp://www.kurata-wataru.com/t-osamu/osamu_4.html 阿川さんは第三の新人の中に入れるのはちょっと違和感あるな、まあ交友関係としては自然なんだろうけど
どうしても志賀直哉の弟子ってのが一番にくる 阿川さんの「志賀直哉」いま読んでる。
さすがだな、と。
変に意味づけた評論や自分勝手な解釈は排除されてる。
阿川さんは志賀直哉の最後の弟子だが、
自慢話しや自分に酔ってはしゃいだ所は皆無。
志賀を小説の神様扱い、偉大な善人扱い、していない。
かと言って暴露や批判もしない。
バイアスをかけずに徹底的に突き放して書いてる。
自分の師匠にあたる志賀を書く、その視点の設定は見事であると感じた。
なかば身内の人間の生涯を辿る。そこには自分も登場する。普通なら近すぎて無意識にベタベタした湿度を生みがちのものになるはずだ。
静かに抑制された眼差しで文庫本にして1000ページを書く。事実を丁寧に積み上げてそれ自体に語らせ、作家の全体像を浮かび上がらせていく。
さすが志賀直哉直系の弟子だけのことはあると思った。
恐らく、これを書く時、阿川さんには決意のようなものがあったのではないかと思われる。
志賀直哉もその弟子筋も死に絶えて、残るは自分のみ。
後世に作家・志賀直哉の可能な限り実像に近い姿を
伝える。その役目を全うするのは自分しかあるまいと。
実は阿川さんの小説は読んだことがない。
第三の新人は大好きなんだがね。
しかし、この本は素晴らしいと思った。 >>35
「静かに抑制された眼差しで文庫本にして1000ページを書く。事実を丁寧に積み上げてそれ自体に語らせ、作家の全体像を浮かび上がらせていく。」
まさにこれだな。
最後の2、3ページまで来て、直接的じゃないけれどようやく阿川自身の気持ちが透けて
見えてくる。その終わりかたにもしびれた。 軍ヲタの間では海軍への贔屓の引き倒しと言われてるのに、師匠には一歩引いた視線ができるんだな。 山本五十六はメーソンだったからなぁ
ひょっとしたら志賀や阿川も… 新潮文庫版「春の城」の解説が猪瀬に変わっていた。
あんな汚職野郎なんかより小山清に戻せよ。
あのさらっとした解説の方がよほど合ってる。
志賀と太宰の弟子の仲がいいというのも文壇史上の奇跡だな。 11/24に帝国ホテルでお別れ会あるね
会費1万円だが 行ってきた
三浦朱門、平岩弓枝、倉本聡(代読)、ええ話やった。大久保房男の話も出た。いい会だった。 生没年が同じか。
原節子も志賀直哉とは結構交流があったようだし、阿川さんも本の中で「原節子主演の日独合作映画『新しき土』」と触れていた。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015112501001902.html
元女優の原節子さん死去 日本映画黄金期に活躍
2015年11月25日 22時36分
「東京物語」など小津安二郎監督作品で知られ、
日本映画黄金期を代表する女優として活躍した原節子さんが
9月5日、肺炎のため神奈川県内の病院で死去した。95歳。横浜市出身。 野坂昭如とは麻雀仲間だったけど、ペンクラブの内紛のときには確執があったようだね。
その辺あんまり語ってないけど本当のところどう思ってたんだろうね? お亡くなりになったんだから
「ご冥福をお祈りいたします」
だが、それ以外には何もいうことはないな。
人気流行作家ってそういうもんなだけだな。 野坂が、かつて言い寄ったこともある銀座のバー「カヌー」のマダム
関根庸子には、人生の指南役として?埴谷雄高がいた。
埴谷、反スタ、その他でググってたら上の情報に行き着いた。
反スタは陰湿。
花田清輝が死んでから間もなくの、埴谷による花田への悪口は凄まじかった。
黒田は言わずもがな。 埴谷と北杜夫の対談集読むと、埴谷がすごくやさしいおじいちゃんに見えた。 台湾の総統選挙で民進党が勝ったの見たらどう思ったんだろうね?
阿川さんは基本的に親台湾だけど親国民党だからね。
「南蛮阿房列車」で70年代に台湾に行ったとき
「日本人が去ってから台湾の人には辛い時代が続いた」
と書いてるから、国民党が本省人を抑圧してる当時の日本ではあまり知られていない事実を知ってはいたけど、ボカして書いてた。
蒋介石の追悼文でも「蒋介石は台湾の人にとってはよい指導者とは言えなかったが、共産党よりはマシだった」とも書いてる。
蒋介石に中国から無事復員できたことで恩義を感じていたのと、中共を利することは書きたくなかったんだろうな。 ガラスのコップでぶん殴ったんだから
傷害で起訴されたんじゃないか 昭和30年代に書いた随筆の中で密航してくる韓国人の送還に反対してた。
来たいと思うほど日本が住みよいんだから名誉なことだと思った方がいいとか、
何でも日本が悪いとは言わないが、戦争中に朝鮮神宮に参拝させたり徴用したり、ひどいことして、終戦の後は放り出してその後の戦争で日本が復興したんだからとか、
あんな短い海の間に国境なんてものがあるのが悪いとか、
ネトウヨが読んだら激怒しそうなことが書いてあった。