に修正している。 0153吾輩は名無しである2016/08/31(水) 19:25:07.66 For a long time I used to go to bed early . これで誤読の恐れ無し 0154吾輩は名無しである2016/08/31(水) 19:33:35.78 フランス語でどうぞ 0155吾輩は名無しである2016/08/31(水) 19:43:53.62 フランス語わかんないから英訳で読んでるんです 0156吾輩は名無しである2016/08/31(水) 19:44:48.80 翻訳家も文学者の端くれなら、上の訳文はないだろw 私は長きに渡って早く就寝することを習慣としていた。 の訳文以外有り得ない。 0157吾輩は名無しである2016/08/31(水) 19:52:33.43>>146
Longtemps, je me suis couche de bonne heure これが「長い間に」とするためにはdepuis longtempsじゃないといけない こう語っている語り手と早く寝る習慣を持っていた対象は同一人物なのか? ジュネットは一人称ではなくて語り手の審級が異なる、としている わざわざ不自然なフランス語になっていて、複合過去と「時間を表す副詞」を共存させている書き方になっている 英語に訳しても分かりやすくはならない、というか英語に訳すほうが難しい カミュの異邦人の書き出しと同じで、フランス語は語り手の場所は特定せずに書くことが出来るが時間は特定せずに書くことは出来ない それに挑戦した文章で、実際に次の文からは複合過去ではない(カミュは複合過去を続ける) 0166吾輩は名無しである2016/09/01(木) 11:54:08.26 フローベール『ボヴァリー夫人』の書き出しも妙だよね?
小倉の清張記念館に移築された書庫を見て、さもありなんと思ったよ 0239吾輩は名無しである2016/09/23(金) 01:00:41.60ID:PemaKHkV>>230 Des le matin, la tete encore tournee contre le mur, et avant d’avoir vu, au-dessus des grands rideaux de la fenetre, de quelle nuance etait la raie du jour, je savais deja le temps qu’il faisait. いくつかありますがスワン家の方へ、で話者が目覚めるとき、同じように光線・カーテン・窓・早朝(matin)という単語が使われています 舞台は冬のパリで、前巻のバルベックで幕を突き破って現れる黄金色の太陽はもはや存在しません バルベックに初めてやってきたときの、ホテルでの目覚めも、季節が夏でありカーテンを透過する太陽光は話者を起こします。 grands rideauxを鈴木先生は分厚いカーテン、と訳しています 分厚い・紫のカーテンなのか、大きくて、でも上の方に隙間のあるカーテンなのか 1-2 パリ 冬 2-2 バルベック 夏の盛り 4-2 バルベック 夏の盛り〜秋 5-1 パリ 秋〜冬 もうひとつ、フランス語では天気を聞くのにquel temps fait-il?と聞きます。このtempsはもちろん「時間」と同じ言葉。 ここでも、頭を窓に向けずに(音や空気の湿り気などの触覚・聴覚で)どのようなtempsか知ることが出来た(半過去を用いて、反復・継続を表します) 視覚ではなく、触覚・聴覚によって「時間」の移り変わりを知る、これは後の方で自分で「こんな描写が何になる」と介入すること含めてそれなりに面白い 0240吾輩は名無しである2016/09/23(金) 03:26:05.21ID:s2gMF0TV>>237 自分もそう。何度も読み直す本でなければ価値がない・・・とか言っていた人いなかった? 個人の価値観の問題だけどね。 プルーストは仏文と翻訳を一部持っている。 Youtube の朗読も聞くけど・・・まだ学力不足。 0241吾輩は名無しである2016/09/23(金) 10:07:25.34ID:0lXEICAW 読む前、買う時点で読み直すかどうかなんてわかるわけないだろ。 0242吾輩は名無しである2016/09/23(金) 12:13:40.97ID:VppN7jkX 俺は読んでから買うか判断する 0243吾輩は名無しである2016/09/23(金) 12:26:20.43ID:V7LCEKrq 10巻読み終わったけど、プルーストの文章は回りくどいね。 訳文は読みやすいのでページは進むけど、読み返す気にはならない。 訳者あとがきは読み返すのだが。 0244吾輩は名無しである2016/09/23(金) 15:53:03.76ID:Vf3NReV7 回りくどいのがプルーストといいところ 0245吾輩は名無しである2016/09/24(土) 00:51:19.37ID:a6udCJ8r 知性と感性の類稀なる融合ともいうべき絶妙な文体を堪能しよう。 ドストエフスキー派の埴谷雄高も20世紀文学ではプルーストを推した。 人間以外の存在のありようを稠密に描写した得難い作家として。 0246吾輩は名無しである2016/09/24(土) 01:07:48.34ID:wV3yoMKr>>218 この話、それなりに面倒くさいんだけれどするかね? ジョゼフ・コンラッドという人がいて、この人がスコット・モンクリフの訳は原文よりも「好ましい」と言ったりしている 英語圏の受容とフランスの受容が微妙にずれていたこと フランスでは1920年代になるまで、プルーストのある側面が見ない振りをされていて、イギリスではその側面が高評価を受けていたこと どちらの国でも高い評価を与えられていて、でも別の理由で評価をされ、また別の理由で毀損されていたこと 吉田健一の時間論は仮想敵として単純化した「プルウスト」を槍玉に挙げていること(単純化、というのはプルウスト研究の達成を経たからいえるのだけど) プルウストが当初英訳者として別の人間を希望していたこと、モンクリフの翻訳への細かい、しかも時として言いがかりに近い不満と正当な不満(ついでに本人に当てての感謝と評価) ドストエフスキーがフランスにあっては受け入れるべきでない、と評価されていた時代にプルーストは作品を発表した いやいやながら、ドストエフスキーでなくプルーストを承認しようというフランスの時代があったって言うのは今では奇妙にすら映るけれど ドストエフスキーというかロシア文学がフランスに導入される切欠となった年に、プルーストが生まれたことの重要性 0247吾輩は名無しである2016/09/24(土) 16:06:21.79ID:nHaWD6// なんで、話者はシャリュルス男爵やヴァントゥイユ嬢のソドムやゴモラの 目撃者になれるのに、アルベルチーヌのゴモラには遭遇できないの? 0248吾輩は名無しである2016/09/25(日) 11:51:53.24ID:RCQDCQ0y 次の「消え去ったアルベルチーヌ」、かつて読んだ井上訳では「逃げ去る女」が好きだ。 彼女に去られた主人公がヴェネチアに感傷旅行するくだりがいい。 0249吾輩は名無しである2016/09/26(月) 01:36:57.91ID:LpAraeu1>>243 回りくどく書いて、イメージを作り上げていくのがプルーストの手法だと思う。
最近は Youtube でスコットモンクリフ訳の朗読を聞いている。 (英語は仕事がら使っているので割と得意) PC で眼を痛めそうなので耳で聞くと楽です。 もちろん全部聞き取れるワケではありませんが。