マルセル・プルースト20 [無断転載禁止]©2ch.net
『失われた時を求めて』を読んだら
というか読めるような奴は
そりゃどんな人格だろうが文学通と認定できる
普通じゃ読めない うしとき読み切るやつってこれは僕のための本だ!と夢中になって読み切る うしときとか言っちゃう奴はまんがで読破してるのがせいぜい 尼で注文した光文社の高遠訳「失われた時を求めて」これから読みます。 『失われた時を求めて』を全部読んだ奴は文学通というか
間違いなく読み手としてのかなりの力量(何じゃこりゃ)はあるはず
でないとあんな長くて読みにくい中に面白さを感じることはできない
でも逆は成り立たない。嗜好によって強烈な嫌悪や退屈を感じることは当然だから 岩波文庫の井上究一郎訳の一巻を読んでみて、ひらがなが多くて読みにくいと思い筑摩書房の吉川一義訳に変えてみたら、註釈、図版ともに充実してて解りやすくなった
でも9巻までしか出てないからまた井上究一郎訳に戻り、一応10巻まで読み終えた
でまた吉川一義訳でスワン家のほうへを読みたいと思い、図書館を調べたら1巻が無い、不思議に思い係に聞いたら2年半前に借りた人が返さないで連絡不能になったとのこと
ああ、1巻で早くも脱落かよと感心したが、笑ってもいられない、交渉したら新しく購入してくれるらしい
そりゃそうだ、あとの2巻から9巻まで誰にも読まれないで書庫に眠ってるんだもの、可哀想に
http://i.imgur.com/deXA7ma.png 二年半ですか、マナーのない図書館利用者ってやはりいるのですね。 >>64
書き込みしたり迷惑な人はいるものですね
2年半の人は以前は何度も返してくれと催促したとのことで、時も経ってることだし、もうこの世にはいないのかも知れません 高遠訳で読み始めたからさっさと続きだしてほしい
岩波に鞍替えすべきかなあ 高遠訳も愛情伝わるよねえ
良い翻訳が2つもあるなんて
井上の時点でも別に悪くないし >>67
そうです、岩波井上訳から読み始めたのですが、ひらがなが多くて例の改行無しの息の長い文に戸惑い、
また註釈といっても簡素なもので、これはとてもじゃないが続けられそうにもないと絶望的になりましたが、
花咲く乙女たちの影にから筑摩吉川訳に変えたら、註釈が丁寧で図版も多く、何とか読めるようになり、
既刊の9巻のソドムとゴモラ2まで読みました
それからまた井上訳の8巻囚われの女から、最後の10巻見だされた時までの完読に到りましたが、
やはり吉川訳のほうが全然読みやすいですね
特に関連する絵画が載っているのはありがたいです
デルフトの眺望や真珠の耳飾りの少女、エル・グレコの絵などは東京の展覧会で見たことがあるので、
特に親しみが持てました(これは吉川のプルースト美術館に載ってたのかな、混乱してますw)
半年に1巻のペースで出すということなので、吉川訳の10巻の発刊が待ち遠しいです
といっても14巻まであるので、まだまだ先は長いですね >>69
岩波井上訳というのは存在しなくて井上は筑摩ですね。
確か最初の個人完訳で、文庫の初版はかなり誤植が多かった記憶があります。
校正の人もつらかったんだと思います。
原文通りの改行なしで何十ページと延々と続いて、なかなかのものでした。 >>69
半年に一巻のペースですか、高遠よりずっと早いですね。 >>70
あっ、間違えました、筑摩が井上究一郎で岩波が吉川一義でした
最初は井上究一郎の文庫ではないほうを借りたのですが、重くて何かと不便なので文庫にしました
>>71
順調に行っても、完結するのは2年後になります
吉田城という人も壮絶な人生を送ったんだな、読了
http://i.imgur.com/fXWxkBI.jpg >>74
この手の本は4千円も5千円もしますからねえ
図書館にあるのを利用しない法もないと思いまして 昔、筑摩大系でぜんぶ読んだが、すこぶる骨が折れた記憶がある。
岩波文庫は少し読んだが、すらすら読める。 高校の図書室にあった文学全集のは四段になってて、読むのが凄く辛かった 4月28日からちくま文庫の井上訳の1巻で読み始めて、途中岩波文庫の吉川訳で9巻まで行き、またちくまに戻り読み終わったのが7月20日
内容が理解出来ずただ字面を追う時も多々あったが、兎にも角にも最後まで読み終えたのは異様な充足感があって、顧みると楽しい3か月だった
これからは関連本を読みつつ、吉川訳の次巻の発売を待つことにしよう >>70
井上訳で完読したけど、大系5巻本だったので、文庫に誤植が多いのは知らなかった。
昔は新潮社の共訳しかなくて、1980年代後半にようやく井上個人訳が完結した。
そのあと、集英社の鈴木訳が完結し、現在の岩波吉川訳と光文社高遠訳が続いている。
どの訳で読むかで、完読できるか、作品の印象がどうかが大きく変わってくる作品だ。 >>79
岩波吉川一義訳の冒頭に、これまで読者の立場になってよく考えた訳が無かった云々と書いてありました
確かに見開きの左頁の末に註釈を置いたのは一々巻末を見なくてすむし、凄く読みやすく便利でした
数も多いし解説も的確だと思います
ある程度知識がないと難し過ぎる、井上訳とは別の小説かと思ったほどです >>73
この本は7千円です、自前で購入はちと無理ですねw >>73
これは失われた時を求めてに出てくる作品と、関連した絵画について考察してくれるありがたい本だが、惜しむらくは作品はカラーで載せて欲しかった
だとすると価格が1万円超えになってしまって、そこが難しいところだっのかとも推察するが、少し残念 2年半の長い間、行方不明だった岩波のスワン家のほうへを手配してくれた
これで1,2巻を吉川訳で読むことが出来る(3巻から9巻までは既読)
http://i.imgur.com/arysIvM.png 文庫本くらい自分で買えばいいのに。これじゃあ本屋が潰れるわけだ。 仏語ペーパーバック、新宿紀伊国屋書店で 1,370 円。
"Du cote de chez Swann"
和訳は岩波文庫。ネットの朗読も聞いている。
好きな個所は、「スワンの恋」と「ゲルマント家の方」
ここだけは日仏で読みたいと思っている。全部は無理。 11刷で発行日を見たら去年の11月だから、やっぱり新しく買ってくれたんだ
俺のところの図書館は最高だぜ\(^^)/ プルーストなんかを何故わざわざ買うの?不思議だ
原文も英訳その他もネットにいくらでもあるのにね >>89
わかりますよ
フランス語も英語も読めないんでしょ
僕も同じだから 劣等感ってやつですよね
読めるふりしたいんだよね 英語もフランス語も殆ど読めない人がそれらで書かれた本を一杯買ってることは洋書専門の古本屋で10冊程を手にとってページを捲ってみればすぐに分かることなんだが。 プルーストも収集癖は全く無く、資料を買うことはあまりしないで友人から借りたりしてたらしい、セコいw 出来る人→図書館の原書を読破し深く理解
アホな人→原書を買っただけで読んだ気分 近所の公立図書館には英語の原書しかない。それも少数。
大学に行けば、卒業生には原書を貸してくれるが
購入した方が簡単。値段もたいしたことないし。 プルーストの本を図書館で借りて2年半も返さずに他人に迷惑をかけるなど、図書館側としてみれば、「失われた二年半を返して」と、言いたいところだろうが。
ましてや、ただで借りた本に下らん落書きまでする馬鹿までいるとは。
この手の本につきもののエリート意識を読者は持っていることが多いのが原因だろうね。 失われた時だけを購入するなら大したことはないが、関連本とか買ったら100万じゃ済まなくなるよ、絵なんか本場に見に行ったら、あっという間に何千万だな >>97
関連本は読む気があるなら図書館ので良いのではない?
プロの研究者なら別だが。
まだ井上究一郎の個人全訳が出る前から、
一生をかけても、プルーストの研究書はすべて読めないと言われていた。 >>100
もちろん私は図書館利用です、自慢じゃないけど金は無いですからねw 文学を読む人間は貧乏だな。金を稼ぐ術を知らないから。
金を稼ぐ人間は文学に興味がない。 先日、サントリー美術館でエミール・ガレ展を見てきた。
ロベール・モンテスキュー(シャリュルス男爵のモデル)がガレに大きな影響を及ぼしたとかだが
ホイッスラーなら理解できるような気がするが、ガレはねぇ。
暗くてグロテスクで、ジャポニズムの影響?どこがぁ?だった。 岩波文庫吉川精一のスワン家のほうへ1の巻末に略年譜が載っていて、1902年(31歳)12月3日、エミール・ガレを訪れ、友人のための花瓶を注文したとなっている
この年の10月18日にはオランダのデン・ハーグ、マウリツハイス美術館で、プルーストが最高だと称賛する、あのフェルメールのデルフトの眺望を見てるんだな プルーストが見たその110年後に、デルフトの眺望を東京都美術館のフェルメール展で見た訳だが、失われたを読んどけばもっと深く見ることが出来たと思うと残念
ま、人が大勢過ぎて一列目で見るのは断念したし、黄色の壁にも気が付かなかったなぁ 近いうちにマドレーヌとプチフールを買ってきて、紅茶で食してみよう 自分は 1984 年に西洋美術館で見たが。
marie claire という女性誌に「失われて・・・」の連載記事が出たり
フェルメールが注目され始めた頃だったと思う。
観客は少なく、ガラガラで、「青いターバンの少女」の前は皆さん、素通りだった。 都美で見たときは入場規制が掛かり、耳飾りの少女は特別展示で、見るまで確か1時間待ちだったかな
あの絵は青が鮮やかで遠くからでもよく目立った >>105
吉川一義だ。文学板なんだから名前くらい正確に書けよ。 「耳飾りの少女」はインドのnautch girlを思わせる。
売春と東洋趣味はフェルメールの絵の背景になっている。 その吉川一義訳でコンブレーを読むと、井上究一郎ではもやもやとして解らなかった箇所が霧が晴れるように理解できるようになった
何回も繰り返すが、これはやはり丁寧な注釈と掲載されてる多くの図版のためで、浅学非才の身としてはありがたくて滂沱の涙を禁じ得ない サンザシの咲く庭からスコップ担いで表れた愛しのジルベルトw Kindleでフランス語原文、無料で落とせるんだが。 サンザシは epine、epine rose だっけ?
新潮社の和訳で読んでいた頃、母が欧州の花旅行に行くので、
サンザシの写真を撮ってほしいと頼んだ。
引率の講師が教えてくれたそうだが、アホみたいな花だったそうだ。
写真はうまく撮れていなくて不明。サンザシの花弁を張ったロウソクが土産だった。 このビデオの 18 分くらいのところからのイメージかな?とも思いますが
花の名前は言っていないようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=V8mCZXxxHyQ 小説は文章で読んでこそだと思うのでイメージ映像は要らない >>118
凄く広いところに住んでんだな、スワンは 吉川さん(岩波)のが9月にようやく最新刊。
頑張ってください、完結まで早めに頼みます。 >>122
情報サンクス!
全14巻だからあと4巻で完結だな、無事で行ければいいけれど、吉川さんもそんなに若くは無いしな >>122
前巻から10か月も経っている。こりゃ完結まで結構かかりそうだな。
6年でようやく10巻か。あと3年はかかるな。 訳者があとがきで吠えてた光文社版はどうなりましたか 吉川さんは68歳か、病気しないで無事乗り切って欲しい 光文社は先に刊行したんだが、まだ4巻。
一方、岩波はあと4巻。ほぼ計画通りに進んでいる。 吉川さんの訳は、あれだけ絵画や関連した事件、人などへの考察をしてるから時間は掛かるわけだな >>132
半年に一冊ペースの計画なんだけど、『囚われの女』以降は
作者の死後刊行だから、困難が予想されると訳者が書いていた。
いずれにしても、光文社よりも誠実。 >>133
えっ、死んでから出すんですか
プルーストと同じになるのか 作者の死後に刊行したと書いてある。訳者の死後ではない。 この曲からヴァントゥイユの小楽節の着想を得たという、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ一番を聴いて見ると、当該箇所は作者が手紙に書いたような、「感じはいいけれど凡庸というほかない楽節」とはとても感じられない
プルーストは音楽にはあまり感性が無かったのか 晩年のベートーヴェンやワーグナー、フランクが好きだったんだからサンサーンスはものたりなかったのかもね
個人的にプルーストの感性は天才のそれだと思ってる
どんくさいイメージもあるけどねw サン=サーンス : ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ニ短調
総説 2015年11月 執筆者: 中西 充弥
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/23225/
1918年4月20日付の手紙で、
プルーストは「サン=トゥーヴェルト夫人邸の夜会の場面では、私の好きな作曲家ではありませんが、
サン=サーンスの『ピアノとヴァイオリンのためのソナタ』に出てくる、感じはいいけれど凡庸というほかない楽節を念頭に置いていました
(何度もくり返しあらわれるその一節がどの箇所か正確に申しあげることができます。
ジャック・チボーが演奏して大当たりをとった一節です)。」(吉川訳)と述べている。
しかし、好きでもない作曲家の楽曲を、わざわざ自分の小説作品で重要なカギを握る楽節のモデルとするのは不自然である。
実は、以前もっと若かりし頃、プルーストはサン=サーンスに対し好意的で知遇を得ようと思っていた。
プルーストの評価の変化の原因は直接的な証拠がないので断定は難しいが、
恐らく第一次世界大戦時のサン=サーンスによる反ワーグナー・キャンペーンによるものであろう。
当時芸術院会員であったサン=サーンスとまだゴンクール賞をもらう前のプルーストでは芸術家としての地位は圧倒的に違い、
個人的に親しく付き合った形跡もない(上述の名刺の他に書簡が全く残っていない)から、仲違いということではなく、
ワーグナーを評価していたプルーストの側の一方的な心境の変化とみてよいだろう。 ワーグナーなんて長いばかりでどこがいいのかね、ったく
ま、俺はワグネリアンなんだけど ま、確かにベトのゲンヨン15番は素晴らしい曲だと思う 筑摩大系版の井上訳を持っているが、冒頭と最後の訳文が同じで、円環構造になっている。
冒頭「長いあいだに、私は早くから寝るようになった。」
最後「時の長いあいだに。」
ちくま文庫版では違う訳文らしい。 >>146
ちくま文庫10巻の最後の訳は、「時のなかに」で、
原文冒頭の「Longtemps」と最後の「Temps」が韻を踏んでいることが
多くの批評家から指摘されているそうだ。 筑摩書房、プルースト全集、鈴木道彦訳のジャン・サントゥイユを読み始めたが、失われたを読んだあとだから、読みやすいのなんのってw