【ばふりばふり】蓮實重彦 X+1【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
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表現形式における「リアリズム」を
現実の模倣とみなすようなバカは論外として
この中の何人が本当に「ボヴァリー夫人」を読んでるんだ?ww >>297
そんなわけねえだろ
それならロブ=グリエがわざわざ>>272のようにいうはずもない
フローベール以降、何を書くかではなく、いかに書くかの転換が起こって
言語そのものが問題になったのだから >>303
お前がバカなんだよ
いつリアリズムが現実の模倣だといったんだよ
そういう通説について言っているんだろうがドアホ
だから現実の模倣としてのリアリズムではなくとワザワザ断っているだろうが
お前はとっととくたばれボケ
リアリズムがロマンス(物語)のパロディだといわれているのも知らんのかアホ すっげーなww
午前2時台にも炙り出されてきやがったww 24時間体制でこのスレに貼りついてるのか?
バカにされるのが心配でwww 反論できないとこういう言い方し始めるんだよな(笑) >>304
フローベール以前はいかに書くかって作家は腐心しなかったの?本当かよw バカがバカなこと書いてると自分では気づかず
テメエの駄レスに酔ってるだけだよ
マジレスせんでもww 文學界で渡部直己と対談してるね
「大学で「文学」は学べるか」だって
学べるかどうかじゃなくて学ばせる必要なんかないんじゃないの?
ってのが世間の大方の合意だと思うんだけどジャスミンは
ふざけるな実際は文系よりも理系の方が力を落としているのである
国はカネをよこせ
と愚かな主張をしていた
そのあと例のマンコ小説についての釈明があったようなのだが
バスの時間が迫っていたので立ち読み中断
どのような戯言を披露していたのか少々気になる 中村光夫譲りの精神(?)で、伯爵夫人に関して「釈明」などしてないしする必要もない。
学部長や総長になったときの発言はどうなんだ?と聞かれても俺にはわからない。 実は理解しないまま批評家の口真似してる奴がほとんどなんだな。安心した!w >>315-316
オマエら、双子のようにそっくりだな
頭の悪さが 当方、最終学歴は高卒、偏差値40程度のバカ高校でしたがなんとか放り出す事なく読了致しました。なんと言いますか、蓮實さんも…幻の湖以降の橋本忍や晩年の武智鉄二の境地に達したのかと感無量でした。 キミ、それほどの底抜けバカなのに
よく偏差値40程度のバカ高校に入学できたね
裏口入学? なんかフツーの2ちゃんのスレっぽくなってるな。
悪い事ではないw >>314
ヲタはわからなくても鵜呑みにする。
「近代日本の批評」の座談会では柄谷とか結構突っ込んでたよね。
蓮實が「倫理」とかって言葉使うとどういう意味?とか 2ちゃんねるでヲタという言葉を使う奴は頭が悪い、ということが
実によくわかる 人よりだいぶ遅れて読んで、今頃はしゃいでいるムー大陸って… ボヴァリー夫人論は延々とテマティック批評を展開してるの?
小説の原理論的なこともやってるの? 蓮實の『表層批評宣言』の中の「風景論」のくだりなどは、現代の世界では戯れ言、倒錯、無知、浅はかの内のどれかの評言が相応しい。
やはり『批評空間』時代の、蓮實や浅田らの旧帝国大学勤務の学者が「知」を独占できた時代は終わったということなんだ。 http://howardhoax.blog.fc2.com/blog-entry-131.html
……すなわち、蓮實重彦よりミハイル・バフチンの方が偉いし、フローベールよりドストエフスキーの方が偉いのだ、と。 >>329
>蓮實の『表層批評宣言』の中の「風景論」のくだりなどは、
現代の世界では戯れ言、倒錯、無知、浅はかの内のどれかの評言が相応しい。
ほー
その辺について具体的に説明してくれない? その「現代の世界」を担ってるのは具体的に誰なんだよ(笑) >>332
少なくとも、欧米の学者の中には100人ぐらいはいるだろうね。
その中でも、俺ほど頭の切れる奴はおらんだろうが。 >>334
代表的な5名ほどの名前を教えていただけると嬉しいです >>335
日本の批評家や編集者達に貴重な情報を俺が無料で教えるの?
日本のマスコミ、商業文芸誌に貴重な情報が載っていたことなど絶えて久しいし、無料で教えるなど俺にとってデメリットしかない。
彼等の無知を笑うのが俺の趣味なんだ。 >>336
何か風呂なしトイレ共同アパートに住んでるオーラが出てるw まあ、ニーチェのツァラトゥストラも現代で言うと風呂なしトイレ共同アパート暮らしみたいなもんだからな。 >>303
まさか非日常化=非親和化としてのリアリズムといった程度のことで
こいつは屁理屈を言いまくっていたのか?
まあ、ドアホだな
通念上は現実の模写がリアリズムだろうに >>303
現実に対する模倣(ミメーシス)としてのリアリズム、
物語(ロマンス)に対するパロディとしてのリアリズム、
非日常化・異化・非親和化としてのリアリズム以外のリアリズムがあるのなら
是非教えてもらいたいね 社会主義リアリズムも古色蒼然たる通念上のリアリズムの一種だろう フローベールは神のような視点からのミメーシスとしてのリアリズム? 神のような視点はバルザックなどじゃないの?
ミメーシスとしてのリアリズムはフローべール自ら否定しているはず 10日以上前のレスが悔しくて仕方が無いこのバカ>>340-341 に
マジレス返さんでもww >>346
単に屁理屈が言いたいだけなのが完全にばれて
もはや哀れだとしか思えんな このスレでオマエを批判するのは一人だけだと思い込みたいキチガイさん
こんな時間にもすぐ反応するんだね
10日間、ずっと悔しかったんだねwwww 10日間悔しくてわざわざ書かなかったと思っていること自体が哀れだな
こちらの書かなかった事情もよく理解していないくせによく言うわw
非日常化についてなら数日前にとっくに気づいていたわw 勝目 梓(1932年6月20日 - )
幼い頃両親が離婚し、母とともに九州に渡る。高校中退後、長崎で炭鉱夫として働き、労組の責任者となるが闘争に敗れて退職。
ほか養鶏業、自動車教習所教員など、さまざまな職を転々とし、三年間の結核療養中に作家をこころざす。
1962年、初めて書いた小説で文學界新人賞に応募、一次予選通過。
1964年、郷里に妻を残し、愛人とともに上京。運送会社のトラック運転手として働きながら、同人誌『文藝首都』に所属し、
翌年、19歳で入会してきた中上健次を知り、中上の才能に打ちのめされる。
1966年、34歳で、『文藝首都』の推薦作「玩具の花」を『新潮』に発表。
1967年、「マイ・カアニヴァル」(『文藝首都』)で上半期芥川賞候補、1968年、「遠景」を『文學界』に、
1969年、「花を掲げて」を同誌に発表、直木賞候補となるが、芽が出なかった。
1969年、高瀬千図と出会い恋愛関係となる。
高瀬は二女を産むが、勝目が流行作家となってようやく妻との離婚が成立、結婚。しかし高瀬が作家デビューしてのち、協議離婚。
1970年、森敦と出会い、毎朝激励の電話を受けるなどして文学について教わった結果、娯楽小説に転じる決意をする。
1974年、42歳の時に「寝台の方舟」で小説現代新人賞を受賞、1975年から官能小説を中間小説誌に発表するようになる。
1977年、45歳で、初の単行本『マン・フラワー号のハント旅行』(グリーンアロー・ブックス)を刊行。 筒井康隆、勝目梓に小説が評される
日が来るとは思わなかったな ハスミンは『ゴジラ』(1954年)は評価してるの?
ハスミンの『シン・ゴジラ』評も読んでみたい! 蓮實は長身のオランウータン。
彼はチンパンジーではなく、オランウータンなのだ。 オランウータンに似てるのは間違いないけど、ものすごく賢いよな。 チンパンはアフリカ、オランは東南アジアで、
オランはオランダやベルギーの女性の人気者なんだな。
確か、ベルギーの女性が大柄なオランウータンと結婚したという話もあった。 自分もハスミン=オラウータンそっくり説の熱心な信奉者だった
でも、例の会見でTVでまじまじと蓮實重彦の顔を見たら
晩年の田中絹代にも似てた >>360
>確か、ベルギーの女性が大柄なオランウータンと結婚したという話もあった。
kwsk
>>361
イイハナシダナー(;_;) 最近蓮實が話題になって新規層を獲得したものだからTwitterでヒステリーが爆発してて笑える 500 : 吾輩は名無しである2016/09/01(木) 23:14:27.36
白江幸司
蓮實の豊崎追悼文を読んだ。文中の主張に占める党派的我田引水の割合が高すぎる。
哲学研究が解説するデリダと批評理論が解説するデリダとの対比で、
「通俗的な解説などとは異なる卓越した孤立」と仏文研究脈および豊崎褒め。
つくづく下品な野郎だが、そういう操作に気づかない人には魂の慰めを与える。
蓮實のド・マン/豊崎比較が噴飯ものだと指摘されてるけど、
蓮實がやってるのは「ド・マンなどは所詮仏文の知が大したことありませんなぁ。
ブランショをテマティスム批評家と勘違いしてるようだしデリダ特権視してるし、プププー」で、マジ下品w
追悼文にせよ豊崎論にせよ、文章自体は上品めかして流麗に書いてるから下品だと思われないってだけなんで、
要はエレガンスや不合理っぽさを演出すれば、コロッと引っかかる読者が沢山いるということよ。
2016年8月31日 501 : 吾輩は名無しである2016/09/01(木) 23:16:05.89
白江幸司
豊崎追悼文集の蓮實の別稿では、「イメージとして流通すること・イメージの連帯による堕落/孤立と持続」
の対比で読む人豊崎を賞賛しているけれど、この初歩的なミスは「ド・マンはどうせデリダとか言うだけでしょ?」
というイメージだけで書いてるために起きてる点で、悲惨さが際立つ。
あと、蓮實においてはブランショとデリダは比較的小馬鹿にされるのがつねなのに、
豊崎がブランショとデリダにこだわるときだけいつもの蔑視がまるで無くなるのも、我田引水のために豊崎を持ち上げてるように思える。
「ヌーヴェルクリティークにこだだる豊崎」を賞賛してるがそれは蓮實の自画像じゃん。
そんなわけで、蓮實の卑しさばかりが印象に残った。
豊崎光一の死後高まる英名は、日本において批評理論家が活躍しなかった仇花なんだろうか、などと感慨が深まった
(蓮實は基本的に、仏哲独哲独文に対して攻撃されずマウンティングできるように体勢を作るので思弁が形容詞への過剰負荷などになりがち)
あまり学識を誇らない蓮實だが(そもそも学識あるのかという疑いもあるが…)
「ヌーヴェルクリティークにかんする知見でマウンティング」は結構やってる。
あれは若い頃に築いた見解をもって、隙のあるやつはマウントしてボコる感じだが、研究者にありがちな悪しき体質の発露だと思うと腑に落ちる。
蓮實をとりまく情勢は、無邪気な鵜呑み層、酸いも甘いも通り越したはずがなぜか愚直なビリーバーとなった年寄り、
すでにまともに相手してない層、などが浮かぶが、最初の層には逆に届きにくいし、最後の層には必要ないし、
ビリーバーには何言ってももう無駄であり、批判しても意味がない気がしている
2016年9月1日 エマニュエル・リヴァ→マリー=シャンタル・ヴァン・メンケベーク
岡田英次→蓮實重彦
二十四時間の情事 Hiroshima mon amour (1959年)
1966年 - 東京大学博士課程を中退(同年3月)。東京大学文学部助手に就任(同年4月)。
学習院大学文学部フランス文学科非常勤講師を併任(同年9月)。
フランス留学中に知り会ったベルギー人のマリー=シャンタル・ヴァン・メンケベークと結婚(同年12月)。 猿の惑星 - Planet of the Apes(1968年)
マックス、モン・アムール (1987年)
PLANET OF THE APES/猿の惑星 Planet of the Apes -(2001年)
『マックス・モン・アムール』は、聡明であることの美しさを誇る貴重な映画的試みである。〈映画に目が眩んでQ〉
(「マリ・クレール日本版」5月1日、第6巻第5号、328〜329頁)
「作家主義」にさからってティム・バートンを擁護することの困難 『Planet of the Apes 猿の惑星』をめぐって〈【時評】《1》〉
(「批評空間」10月1日、第V期第1号[批評空間]、230〜234頁) ≫文章自体は上品めかして流麗に書いてるから
蓮実の翻訳調の奇形的日本文を「流麗」だと思う人がいるのがふしぎなんだな。
そういう人は、
同先生が批判していた、古典作品の「紋切型」の文で読み込んだらいいのじゃないか。
そうすれば勘違いに気づくはずだ。 蓮実重彦自身は、つまりは、本音ではないこと、ほとんど逆のことばかり言う、
「確信犯」だと思うのだ。「確信犯」は、よくいえば「戦略家」である。
問題はだから、その受け売りをする人たちだろう。 まともな頭の人は蓮實の書いたものなんかよみません。
今や、読むのは彼のビリーバーだけですって。
365のビリーバーは上手い表現だw 三島賞受賞記者会見での取材記者側(複数?)とのやりとりを今日初めて読んだが、蓮實の支離滅裂な答えは爆笑に値する。
意識せざるコメディアンだ。
小林秀雄の曖昧な物言いを批判する一方でこれはないわな。
曰く、「小説が向こうからやってきた。」から書いた。
じゃ、やる気満々だったのかと聞けば、全否定。
大体、小説が
向こうからやって来たとか、島田雅彦の「いつの間にか小説が出来ていました。」並の珍発言だぜ。 蓮實重彦の煽り、脅迫技術は天才的だから。天性の香具師気質。 >>378
蓮實が阿呆なことがばれただけだよ。
蓮實の阿呆を買いかぶっちゃいけない。 >>377
「向こうからやってきた」と「やる気まんまんじゃない」のは両立するよ 既存の文化権力形態を批判することで、その形態の中で地位を得ていく、
という芸風は、よくあるものである。
石原慎太郎、田畑総一郎、などもそうであった。
蓮実の場合は、なにやら「知」的っぽかったので、それらとは少々違うように錯覚する人がいるだけの話で、
じつは本性はおなじである。 石原も田原も審美眼がないけど、蓮實重彦はある。これは決定的な差だな。 今や何の価値もない事が知れ渡ったチャンピオンベルト(しかもちっぽけな)で最大限に派手な話題づくり出来たプロレスラー扱いすると途端に怒りだす。
そこまで出来てこそプロレスラー(勿論それも否定)。
デブ福田や小林よしのりのように、無責任に毒吐いてたくせに立場が劣勢になると「俺はヒールを演じてただけ。これはプロレスなんだから…」と言い訳するような輩とはやはり別格。 >>380
詩なら、向こうからやって来て、それを直ぐにその場で作品化できるわけだが。
だが、小説の場合は制作期間は数カ月に渡り、毎日の睡眠、休息を挟み、持続する制作意思が不可欠になってくるわけだ。
大体が、小説を作ろうという意思があるから、小説が向こうからやって来たという、古代ギリシアのオカルティストみたいなことを言ってしまう。
きちがい以外のものではない。 石原は、流行作家だったし、
田原は、テレビ・映画製作者・監督、であった。
創作力を伴う審美眼がないのに、官学の長のごり押しの偽文化人、
になったのは蓮実だろう。 >>384
僕は蓮實重彦がきちがいだとは思えないけど、中原昌也は「蓮實重彦は狂ってる!彼を文部大臣にすべきだ!」と言っていたな。 >>385
石原慎太郎が撮った映画見た事ある?(笑) 蓮實重彦
「作家には里田まい的な無知蒙昧、 田原総一郎的な傲岸不遜、安倍晋三的な厚顔無恥が許される。批評家にはそれらは許されない」
私がつくづく野球を球場で見るのが嫌になったのは、東京ドームでは、ネット裏ですらみんなメガホンを叩いて騒ぐわけです。
ほとんど私と考えが一致したことのない石原慎太郎まで、巨人戦を見に行ったら、やっぱりあのメガフォンがうるさいんで五回で帰ったと聞きました。 >>388
>蓮實重彦
>「作家には里田まい的な無知蒙昧、 田原総一郎的な傲岸不遜、安倍晋三的な厚顔無恥が許される。批評家にはそれらは許されない」
それマジで書いてたっぽいね。面白い(笑) >>391
その質問待ってましたと、言いたいところだが、俺は蓮實の僅か、一億倍頭が切れるのに過ぎない鈍才だよ。 「小説が向こうから来た」というのは、
なじみの編集者に、「先生、三島賞がぱっとしないんで、
盛り上げたいので、何か小説書いてくださいよ」
とか言われた、という程度のことじゃないの。
どこの誰だか世間が名も知らないようないまどきの作家の小説よりは、
受賞作になれば一部で話題になるだろう。 矢野編集長は、僕の要望にほぼ完璧に応えてくれた。あの人が僕の意見を容れて動いたのではないと思うけど、本当に「わかってる」人。低価格での単行本化を速攻でしてくれた。 ≫中原昌也は「蓮實重彦は狂ってる!彼を文部大臣にすべきだ!」と言っていたな。
ぜんぜん狂っていないよ。中原流のよいしょなんだろうけれど、
しかし、大げさな物言いだな。
まわりがイエスマンばかりになった権威的年寄りは、概してああなるものだ。 中原昌也は蓮實重彦の初期小説を「底の浅いホラー小説」「死ねバカ!」と書いてましたよ(笑) あるいは、「距離を取ってますよ」というアピールとか。
とはいえ、中原氏は、私の所属する文学サークルのインタビューに快く応じてくれた、
ということがあるので、これ以上、批判をしたいとは思わない。
これでもわたしは、「義理」を重んじるので。 そんな話は意味ないでしょ。蓮實重彦と仲良くなる前の中原昌也が蓮實重彦に対してどういう態度を取ってたか、って話をしてるんだけど。何の「よいしょ」だよ(笑) 中☆原☆昌☆也が何言おうと勝手だが
中原☆が業界受けするだけで大成しないまま不摂生が原因でくたばることだけは断言しておく。 蓮實は悪くないけど蓮實に影響受けた映画批評家は全部ダメ
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