[人間精神が自然認識に向っていた百科事典的なラブレーの時代、
ブルジョワ・イデオロギーの上に、コトバが秩序正しい社会の流通体として機能した快楽にみちたラシーヌやバルザックの古典主義時代、
フローベール以降の古典主義崩壊時代とエクリチュールの変遷を大別することができよう。〕

ところが、いまどきは「ブルジョワイデオロギー」に実感がなく、
トンチンカンなんだから、「社会の流通体」としてのエクリチュールもも何も、
あったもんじゃないのじゃないか。と。