――22年ぶりに小説『伯爵夫人』を発表した理由は

 理由はありません。心に浮かぶものを書きとめているうちに、小説が書けてしまったのです。
というのも、フランスの作家のフローベールを研究して『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房)を仕上げた後、
私は、年来の企画である米国の映画監督を対象とした、『ジョン・フォード論』に取り掛かろうとしました。
しかしこの分析方法が似ていて二番煎じのように思えたので、作業をいったん中断しました。
すると、どこからか「伯爵夫人」が私に訪れたのです。最初の一文を書いたら後はすらすらと。1年もかからずに書き上げてしまいました。

 第2次世界大戦中に「この戦争は間違っている」と感じていた人がいたことを書きたかったのかもしれません。
1941年12月8日に、日本は米国・英国に宣戦布告しました。ちょうどその時東大を目指す高校生だった、
ジャズ評論家の瀬川昌久さんという方がおられます。
瀬川さんは戦争が始まった12月8日の真夜中過ぎに、米国の音楽であるジャズの『愛のカクテル』という曲を大音量で流した。
東大を目指しているが、戦争がどうなるかも分からない。そういうやるせない思いをぶつけたのでしょう。
彼は戦時中ずっとジャズを聴いていたといいます。

 また、これは正確に調べ切れていないのですが、43か44年に法学部の25番教室で、米国映画『風と共に去りぬ』が上映されたそうです。
戦時中ですよ。このフィルムは軍部が接収したものでしょうが、敵国の映画をなぜ東大生に見せたのか。
目的は分かりませんが、もう戦争には負けるから米国のことを少しは知っておけ、と考えた上層部の人がいたのでしょうか。

 社会全体が米国憎しと思っていたのではなく、この戦争は間違いだと考える人も確実に存在していました。
戦時下の日本は奇妙に成熟していたのです。映画の件を考えても、当時の日本は捨てたものではないと思いました。