【一次戦後派】もはや読まれない作家達【第三の新人 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
阿部公房、遠藤田吾作、開高健四郎あたりかなあ
まったくきょうみねーな。 安部公房が読まれてないとかねーよ
新潮や又吉にもプッシュされてるし、あの年代なら三島に次いで読まれてる
知名度の割に読まれてないのは石原慎太郎 第三とか今読まれてるの遠藤くさいか?
曽野も生きてるから手に取ってもらうくらいで
ほとんど死んだら読まれなくなる忘れられる作家ばっかだな 町田康や円城塔は、割と新しいことやってるから残りそう
朝井リョウとかは10年したら忘れられてそう 第三の新人に比べると筒井康隆は凄いな
SF作家からスタートして今なお多数の人間に影響を与え、文壇からの評価も完全に逆転した
スレタイには反するが今後一世紀は忘れられる事は無いんじゃないだろうか ロマンロランとソルジェニーツィン
今影響受けてる作家居るのか? >>9見て思ったけどSFとして馬鹿にされてた筒井康隆が残って、第三の新人が消滅してるあたりゼロ年代の純文学はほとんど残らないんじゃないか?
東浩紀見たいな奴がもっと出て来て奈須きのこや虚淵玄、西尾維新辺りが再評価されるんじゃないんだろうか。
もっともこいつらに筒井ほどの教養があるとは思えんが。 生前から大して読まれないが作品だけは残るというのが純文学。
たとえば今後、柴田翔が読まれることは無いとおもうが
いくつかの作品は残るのかも知れない。 読書メーターで語れよ
三島由紀夫-金閣寺 12690
筒井康隆-旅のラゴス 14121
安部公房-砂の女 12801
遠藤周作-沈黙 7688
大江健三郎-死者の奢り 3222
石原慎太郎-太陽の季節 849
ちなみに朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」が13963だから
1万超えてる筒井、三島、工房辺りはガチで読まれてるってことで良いんじゃない?
あと太宰や漱石は青空文庫で読めるにも関わらず5000超えてるのが普通にあったから、実際にはこの面子より人気だと思う 石原wwww
蛭子さんと一緒でモノ書きの方の人としてそもそも今の人間から認識されてるのか?w だって石原の作品、普遍性ないじゃん。
「太陽の季節」にしたって、単なるエログロと時代性で流行ってただけだし。
同系統なら「金閣寺」や「コインロッカーベイビーズ」、「枯木灘」の方が遥かに完成度は高い。
新潮文庫は中上健次を再発して欲しいんだがなあ・・・ まあ時代性と普遍性を両立出来る作家なんかは確実に残ると思うよ
漱石太宰三島は今でも通じるし
村上龍ってここではどういう評価なの?
戦後にデビューした作家なら10指に入ると思うけど文学板で評価されてない気がする 第三の新人はほんと死んだらそこで終わりみたいな作家ばっかだなぁ
遠藤ですらぐうたらシリーズやエッセイとかあっちの方は今はほとんど読まれてないだろ
実際今読み返すと、まあ当時だから読めた読み物みたいな内容だし 筒井はまだ生きてるから
案外死んだらこの人もわからん 高校レベルの教養あれば名前は一応知ってるけど
実際のとこ今も読まれてんのかなとふと思う作家は結構いるな 最後の無頼派とかいう大袈裟なコピーつけてた伊集院静も完全に忘れ去られるな。 戦後の作家とTVタレントのメディアミックスの人は特にそういう傾向が
遠藤周作とかTVにもしょっちゅう出ててモノマネのネタもあった人なんて
今の30歳以下はもうほとんどしらんだろう 伊集院っていったらほぼラジオのデブしか思い浮かべてもらえない昨今 石原が生きてるどころか都知事までやって忘れられてるし、第三の新人も最近まで生きてた奴多いから生きてても死んでても忘れられる奴は忘れられるんじゃないかな
第三の新人は単純にフォロワーが少ないし個性もなかったし何より時代性に大きく頼ってた面もあったんじゃない?
その点だと村上龍や筒井はフォロワー多くて今でも名作スレで名前挙がるから死んでも簡単には忘れられんと思うよ 関係ないけどむかしヨッPとかいう芸能人がいたのを覚えてる人はいるか?いいとものレギュラーもやってたサブカルパンクかぶれな感じの女なんだけど。 >>12
ゼロ年代は文学の空白に過ぎないと信じている
次のオリンピックくらいに新しい風と新人が現れると思う
その人達は子供の頃からケータイ小説とかネットのSSなんかに触れてきた人たちで、さらにハリポタ・ダレンシャンあたりのYAファンタジー最盛の時期に小学校を過ごしている
ペンではなく携帯で文字を書くことが子供の頃から身についていた人たち
具体的に言えば今の10〜20代前半あたりの人間が新しい文体を開発していくんじゃないかな
今のラノベ作家は、それこそ子供の頃からラノベがあった人たちだけど、世代的な空白に生まれていると思う。 ゼロ年代って町田康、中村文則、川上未映子、綿矢りさあたりか(阿部和重も芥川受賞したのはゼロ年代だが)
個人的に作家が駄目というより日本人が文学を読まなくなったというのが大きいと思うけどな
だからあとになって「当時は空白とかいわれてたらしいぜ?」ってなるかもよ
ゼロ年代以降の日本人作家は国内読者よりも先行して海外で評価されていくことが増えていく予感
段々と作家のほうもはじめから海外読者や文学賞まで視野に入れて作品を書くようになるだろうから
結果的には日本語に対する志向性は薄れて、翻訳に耐えうる「セールスポイント」の獲得に躍起になる傾向が強まる
例えばこの「セールスポイント」は、物語みたいな小説の構造における先進性や日本国内に留まらない大きな問題に対する取組み等
簡単にいえば、
「日本人読者(評論家含む)は駄目だからそこそこしたらアッチ(海外)にいこうっと」みたいな作家が増えるということ
あとは「あれ?日本ではそんな売れなかったのにアッチではそこそこ評価されて売れてるみたいだなあ」みたいな作家
というか、文学に限らずいつからかそういう奴等が増えたきがする、理由はたくさん思いつくけど長くなるから書かない 円城塔や伊藤計劃見たいなのを評価すべきだと思うんだよな
春樹とかあんだけ国内の老害にぶっ叩かれても相当な評価と売上を有してるし
未だに「純文学」に拘る、漱石太宰三島で頭止まってる奴等なんて無視した方が良い 筒井康隆なんて所詮SFのゴミ、時代は第三の新人→サブカル界隈でも純文学界隈でも高評価、一方第三の新人は完全に忘れられる
村上春樹・村上龍は日本文学の系統じゃないからゴミ→国内外で高い評価と売上
西尾虚淵舞城なんてラノベエロゲ上がりのゴミ→今ココ!
二度ある事は三度あるって言うしね 良くも悪くも叩かれるというのはそれだけ注目されているってことだからね
でも、西尾虚淵舞城あたりは筒井康隆や村上春樹みたいに叩かれてないきがするが…
どちらかといえば業界も必死で持ちあげてる印象(2ちゃんねら〜はもちろん叩いてるけどな) そもそも筒井って叩かれてないだろ。
浅田彰(笑)以外にいたっけ? 「SFだからゴミ」みたいな叩かれかたをしてたかどうかは知らないけど結構派手に叩かれてはいるよ
筒井康隆は叩かれるというか叩かれることを前提にしたような作品を書いてたからアレだが……
有名なところだと吉本隆明にも叩かれてたしガチなのは90年代以降の団体からの批判だね でも第三の新人がもてはやされて筒井康隆が後々に逆転したみたいな見立てはすこしおかしいな
それこそ第三の新人こそが「すぐに消えるだろう」みたいな扱いをうけていた不遇の世代だから
そもそも第三の新人って呼称からしてどちらかといえば当初は蔑称だしな 西尾は正直言葉遊びも含めて、もう"試されたこと"を繰り返してるだけな気がするから、評価が上がることはないと思うけど
舞城とか上遠野とかはわからんね
ただ、椎名誠くらいの位置に止まりそうな気もするけど 舞城はまだわかるけど西尾はそもそも叩かれる位置にいないからなあ
筒井康隆みたいにジャンルを越境しようとすればそれなりに叩かれるかもしれんが
西尾維新は商業作家に徹している印象だから赤川次郎的にその道のプロになるとおもうわ 【独立〜70年台前半】
海外文学と日本文学の融合を試みた実験的な世代、日本に於ける純文学の全盛期。
安部公房、大江、三島など
【70年台後半〜2000】
純文学の大衆化。社会問題や日々の日常など現代日本の現実を描いたモダニズム小説が人気。
中上健次、W村上、筒井、高橋源一郎など
【ゼロ年代以降】
純粋な純文学はほぼ売れなくなる。しかしファウストなどのサブカルや実験等は旺盛。
町田康、円城塔、伊藤計劃、舞城など
戦後文学を簡単に纏めるとこんなもん?
第三の新人は今でいう朝井リョウとかあの辺だと思うからここには入らないはず 朝井、辻村、佐藤多佳子とか
本屋大賞向けの作家が今の新人だろ
新人といって田中慎弥、青山とか上げないもんな 上遠野浩平って90年代じゃないの
ラノベ系では随一の才能だと思うけど舞城や伊藤計劃の方が評価高いのは不思議 純文学が次再興するとしたらSFとの融合にあると俺は思う
安部公房や三島も晩年にはSFに傾倒してるし円城塔や伊藤計劃見たいなのも出てきてるし
世界的に見てもロシアではターボリアリズム
アメリカでは理数系の知識を使った実験小説が流行ってる
その内ヴォネガットやディックが再評価されることもありそうだ、充分されてるかも知れんけど 村上春樹のパラレルワールド物がミリオンセラーになっているし、
同じく村上龍のパラレルワールド物(5分後の世界)がベストセラーになっている。
ただ、近未来小説である「歌うクジラ」は10万部だったからSFであれば売れるというわけでもない。
小林恭二のように消えていった作家もいるし、
奥泉光(東京自叙伝)のように売れ行きは良くないが賞だけはしっかりととる者もいる。
また、東浩紀のように受賞はするが「日展と変わらない世界だ」と捨て台詞を吐いて
早々に退散するお利口さんもいる。 日本の場合、純文学はまだいいほうで大衆小説のほうがすこしズレているきもする
純文学の分野からは世界的に認められる作家もちらほら輩出されてはいるけど大衆小説はそうでもない
強いてあげるなら村上春樹だけどそれすらも純文学方面から輩出された作家 日本の大衆小説がズレているわけではなくて
日本の大衆文化がズレているんじゃないのか
ただ、ズレているからこそ受けているものもあるけどな 村上春樹が大衆文学というのなら、もはや文学に線引きなど無意味になりつつあるのではないか?
こういう議論すらも時代遅れかもしれない
ジャンルの垣根を超えた作家作品はもうたくさん出てきているし、ジャンルが決まっていても、山田詠美のように純文学と大衆文学の線引きがされないような作家もいる 文学再興の可能性は今のところないね。数百年のスパンで見れば、これまでもこういう時代はあった。
電車で本を読んでいる人は多いが、文学史に後世残るような作品は今は出てこない。 福永武彦、懐かしい
失恋したあとに貪るように読んだ思い出 当の遠藤、三浦とかが第三の新人ではないと言われている始末 小説家というのは、死んでくれないと文学研究の対象として取り上げづらいので
大衆が読まなくなっても日本文学の近現代研究の人達が手ぐすね引いて待ってるよ。
安岡もようやく死んだから今後、紀要論文でバシバシ出てくると思う。
小島信夫なんかバタ臭い文学理論取り入れたものだからやりやすいだろうしね。 第三の新人は忘れられようがないだろ
村上春樹ですら第三の新人の影響下にあるとおもう
本人も日本の作家のなかで親近感を湧くのはこのあたり(第三の新人)だと公言しているしな そういえば村上春樹は庄野潤三を推していたし、
吉行淳之介に可愛がられていた。
それはまあ、納得できることなのだけど
そういう評価はあまりなされない。
世代、デビュー時期、所属党派などで分ける様な見方が多いからね。
この括りから外れるとにたようなモチーフや作風でも別種とみなされる。 村上春樹に影響を与えたみたいな限定的な意味で評価されているってはなしではないからね 村上春樹って叩かれすぎじゃね?
主に柄谷や浅田見たいな老害のせいで 柄谷や浅田彰みたいな論壇がマンセーしてる系の文学って今どれくらい読まれてるの?
主に中上健次、大西巨人、多和田葉子辺りの事なんだけど
中上ですら文学史上の作家になってる感ある 中上健次は作家としての技術面はともかく内容が時代に寄りすぎてたからな
日輪の翼、以外の作品は残らないと思う >>46
その人は時代に寄り過ぎていた上に才能が枯れるのが早すぎた
初期の頃の、ただの一人称を意識の流れのように描く文章は凄味があったけど
今思えばあれは感性だけで書いてたんだな ゼロ年代だと伊藤計劃位かな
阿部和重、町田康は必ずどっかで再評価されるはず特に阿部和重
中上みたいに時代に依拠しすぎて無いし 内向の世代は全部アウトだろうな
その後の世代のほうがはるかに内向的だから おまえら、1度は考えるよな?
なぜ、人や生き物を殺しちゃいけないの????
で、こんなの見つけた。
↓
★友だちを殺した(なぜ、人を殺してはいけないか)★
http://slib.net/71069
題名は怖いが、
人や生き物を殺してはいけない『3つの理由』がここにある!!
! 伊藤計劃はよかったね。
あのひとなら純文学書かせてもいい作品書いていたのではないかな。
若くして亡くなってしまったのがとても惜しい。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 黒革の手帖
50〜60年台の日本文学は、平安王朝期、江戸元禄期と並ぶ日本文学の隆盛期だった、と。
キーンさんが交流した文士の面々みれば、なるほどなと。谷崎、川端、三島、永井荷風、吉田健一
2015年11月12日 上遠野の名前が出ていてビックリした
一般に進出してたけどいかんせん文章力がなさすぎた 埴谷雄高、椎名麟三、武田泰淳、野間宏、梅崎春生、大岡昇平など、
1909(明治42)年から15(大正4)年にかけて生まれた「戦前派」である、
第1次戦後派文学者たちの多くは、戦前に社会主義思想の洗礼を受け、戦争を体験した。
そうした負の体験を踏まえて、戦後は、独自の形而上学、キリスト教的世界観、仏教的世界観、
全体小説(個人の内なる世界、それを包み込む社会の双方を総合的に描く)の理念などをそれぞれに掲げて、
戦争体験、戦後世界の現実に、想像力をもって対峙していった。
これに対して、15年から24年にかけて生まれた小島信夫、安岡章太郎、庄野潤三、吉行淳之介など、
時にその無思想性を揶揄して「第三の新人」と呼ばれた「戦中派」の作家たちは、
そうした自己の外から来る思想には一切の信を置かず、
感性と言語を武器に、狭いけれども確かな、自己の世界を開拓していった。
「第三の新人」たちは、小島信夫を除けばあとはほぼ20年代前半の生まれである。
ちょうど一回り(12年)下の、30年代初めから半ばにかけて生まれた世代は、
古井由吉、後藤明生、黒井千次など、自我と個人の状況にのみ真実を探らんとする、いわゆる「内向の世代」と、
開高健、石原慎太郎、江藤淳、大江健三郎、倉橋由美子など、
状況参加、行動というテーマにそれぞれの方法で改めて取り組んだ作家のグループからなる。
そのほぼ一回り下が、中上健次、村上春樹、村上龍などの全共闘世代ということになる。
(井上健 東京大学大学院総合文化研究科教授 / 2007年) 石坂洋次郎の『青い山脈』は、日本国憲法施行1ヵ月後から朝日新聞で連載
東北を舞台にしてるからか、昭和22年という極めて特殊なDiversityがゴロゴロしていた時代。
連載時期の日本を想像しながら読むと、冒頭から興味が尽きない、まさに戦後文学の奇跡的な偶然の名作。 「群像」の昔の鼎談集に、デビューしたての頃の吉行淳之介や安岡章太郎などが
けっこう大真面目に文学論争してるのを近年読んで、初々しく感じたものだ。
あのすれっからしの吉行さんですら、あんな時代もあったのかと・・・
週刊文春の阿川佐和子対談が、えらく長く続いてるけども、前身に吉行淳之介の
それがあったのを度々思い出すわい。 戦時中は血盟団のような日蓮右翼や革新官僚による国家社会主義
これに北一輝の大アジア主義や権藤成卿の社稷主義的農本主義もある
戦後思想につながるものは戦前・戦中にほぼ出尽くしていて
それがぬるい形で続いているだけです
それよりもキリスト教やその派生たる自由主義や共産主義を
理解したほうがいいと思いますね
きちんと理解せずに雰囲気だけで漠然と受け取っているので
たとえば洋服のファッションのように形を変えて再流行する
文学の場合は風俗や文章に加工を加えるだけで
何か新しいものように偽装することが出来る 存命作家で言うと黒井千次はもっと評価されてもいいと思うんだ 第一次戦後派の作家で今もこれからも読まれるのは埴谷雄高だけだろう
『死霊』は戦後文学の金字塔
第二次戦後派では、三島由紀夫と安部公房は残り、大岡昇平は微妙
第三の新人は小者が多くあまり残りそうにないが、かろうじて遠藤周作くらいか
その後の世代が大江健三郎と高橋和巳 小島信夫はどうだろう
文芸文庫もほとんどの作が健在で、研究者による評伝も出版されているが......
後期の寓話と私小説が混淆した、亜流私小説ともいうべき作品群は本当に貴重と思う 主人公が馬や女に変身しながらダラダラ続く小島信夫の『別れる理由』は超駄作
これを褒めた吉本隆明はバカすぎて話にならない
『抱擁家族』はまあ佳作といっていいだろう >>83
>存命作家で言うと黒井千次はもっと評価されてもいいと思うんだ
黒井といえば「時間」や「群棲」が代表作かな
高度経済成長期からオイルショック後の長期不況時代の
個人の「意識」をうまく描いた、とは言えるのかな
そういう意味ではまさに内向の世代の作家だったとは言えるのだけど
たとえば古井由吉のように
調伏あるいは魔除けというヘンな事を言い出さないぶん
あの作家群の中では常識人だったような気がするのだが
基本的にこの人の作品にはドラマが無いよね
でもまあ「群棲」は時代の空気を上手くつかみ取った傑作だろうね 小沼丹最近読んでるけどつまらん。あの味がわかる日が来るのだろうか。。 100年後に何が残るかはわからん
三浦朱門や石原慎太郎みたく行政に関わった人が読まれるかもしれん 100年後も残るんは夏目漱石だけだと思うよ
1000年前は白居易とかいるけど
今の現役作家はオワコンだろうな 安岡章太郎も該当するのかな
中坊のころ、国語の教科書に短編「サーカスの馬」がのってた
特に興味を引かれたわけでもないのでこの人の小説をよむことはなかったな
ただ随筆(?)「私の?東綺譚」は、永井荷風の作品を読んだ後に読んだのでおもしろかったわ(´・ω・`) 坂上弘死去。これでついに内向の世代で生き残ってるのは
黒井千次ひとりになってしまったか 安岡章太郎『夕陽の河岸』
旧仮名遣いで書いてあったけど若い頃は普通に新仮名遣いで書いてたよね? このスレは文学板の特徴が出ているようにも
もっと言えば純文学のダークサイドが顕在化しているようにも見えるね
他ジャンルなら知られていない面白い作品があったら熱心なファンが推し続けて復刊されて再評価とかのサイクルが目立つのになんで純文学の世界はもう読まれないとかそういう話になるんだろう
本質的に面白くないのか、権威主義と不可分なジャンルなのか 花田清輝はまだまだ読まれるだろ。
野間宏の「狭山裁判」は関西人らしい差別への感性がものを言うだろ。
関東や東北にも被差別部落は一杯あるはずなんだが、隠蔽されている。
これが東の地方の気質なんだろうが。関東地方の差別問題でも、関西人の勘は貴重過ぎる。
柄谷行人の話では、柄谷は中上が自分で公表するまで中上の出自を知らなかったというんだが、
柄谷は嘘をついてるに違いない。 水上勉どうかな
大好きなんだけど今は読まれないのな
今でも残ったのは飢餓海峡ぐらいかなあ
ある種の貧困文学だから時代が変われば読まれなくなるのかな 水上勉『雁の寺』は高校生の時読書感想文を書いたら、先生に褒められたな
それ以後数十年この作家は読んだことない
家には古本屋で買った『金閣炎上』があるが、未読だ
三島の『金閣寺』と比較するために買ったんだが 「土を喰らう」と「一休もの」しか残らないんだろうな 図書館に行くと全集が書庫にあったりする
あまり読まれてないからきれい
中高年がじっくり読んでいくにはいいと思う
最近の若い作家の小説にはあまりひかれないなあ あの時からもう、お前を好きだったんだ」 (あの時っていつ?) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています