ああ、ドストエフスキーは処女厨なとこあるな。
極度に純なものを愛している。そこは川端康成も同じものを抱えているという気が自分はしてる、なんて露文専攻してる人らにいうと笑われるけど。
ただし川端康成は純なものに手を触れずに観察するが、ドストエフスキーはアクのありすぎる奴等と一緒に処女を地獄の釜みたいな小説の中にぶちこんでしまう。