ウィトゲンシュタイン、55回も読んでるのか。
 わざわざ回数覚えてるのはちょっと気持ち悪いけどw

 ドストエフスキーからいい影響を受けたとか、実際そういうことはあるかもしれないが、自分としてはなんだか違和感があるかな。
 ドストエフスキーを読むとは、打ちのめされ、引き込まれて、波にのまれた小舟みたいな状態になることだと、自分にとっては。
 そのなかでいい教訓をくみ取ることは難しい。
 まあつまりトルストイとかチェーホフのような、ともかくドストエフスキー以外の大家の著作なら、そこから教訓なり有意義な思想信条なりを多少なりくみ取ることができるが、
 ドストエフスキーはそういう読み方が適切な作家ではないんじゃないかと。

 昔、サカキバラ事件があって、事件のことはみな覚えていると思うが、そのサカキバラの部屋には罪と罰がおいてあった、
 というのをニュースでとりあげていた。
 そこから悪い影響を受けたのではないかと、コメンテーターやらがもっともらしく言い腐っていやがって……。
 どういう肩書か忘れたが、露文の畑の誰かでどれだけ罪と罰を読み込んだかしらんが、
 こういうことをいえるのは結局本当の意味では罪と罰を読んでないんだろうと。
 お上品に研究のため教訓なり思想信条なりを汲み取ったにすぎないだろう。
 で、おそらくサカキバラも罪と罰を本当の意味では読んでいない。自分にとって都合のいいところを汲み取っただけだろう。
 私はラスコーリニコフが自分の代わりに殺人を冒したと思っていたから、罪と罰から悪い影響をうけたというコメントには強い反感があった。
 本当の意味では彼らは読んでいない、そのときはそういう確信めいたものがあったね。


 まあしかし、客観的にはいい影響を受けましたと言うより悪い影響を受けましたと言うほうが話としては頷けると、今の自分は思うよw
 長文ですまん。