ドストエフスキーが神秘主義者というのは違うと私も思う。
 少なくともカラマーゾフの中で著者として神秘的なものを支持している様子はない。
 ただ本当のリアリストは神秘主義を否定しないと言っているだけで。
 カラマーゾフの中にあるロシア正教の聖人を説明するエピソードひとつとっても、
 
 葬儀中に「信仰なきものは出でよ」と唱えたとたん聖人の遺体が外にけしとぶということが三度まであった。

 という面白すぎるエピソードを持ち出すあたりで、もう、ね。
 自分がその場にいたらこらえきれず爆笑しているよ。

 ゾシマ長老の遺体が匂ったのは、人が心中最も大事にしているものをあざ笑う、
 得体の知れない、ドストエフスキーのいうところの「ロシア的な」ユーモアにゾシマ長老も取り込まれてしまったということだと私は解釈している。
 アリョーシャを含め長老を崇拝している人の心中を揺さぶるため、
 信仰ある人の言葉でいうと「信仰心をためす」ための一幕だったんだろう。
 旧約、新約の神は人間を試すものだからね。
 ゾシマ長老の遺体の匂ったのは、神が人間を試すということをロシア的にしたものだったんだろうと、
 すこし変な見方かもしれんが、私はそう思ってますな。