☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part43 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>268
> 奇跡や見えない世界も唯の現実と受け入れる
「奇跡や見えない世界」即「唯の現実」ということでは、ないのでは?
第一編 第5長老より 筆者自身による解説
>真のレアリストは、もし彼が不信者であるとすれば、常に奇跡を信じない力と心構えを持っているのである。
そして、もし奇跡が否定すべからざる事実となって現われた場合には、彼は奇跡を許容するよりも、むしろ自分の感覚を信じまいとする。
>けれど、いざ奇跡を許容するとなれば、きわめて自然な事実でありながら、今まで知られずにいた事実として許容するのである。
すなわちそれは「信仰が奇跡を起こす」という自然界に存在しているファクトのことである >信仰が奇跡から生まれるのでなくて、信仰から奇跡が生ずるのである。もしひとたびレアリストが信仰をいだいたならば、まさしくその現実主義を通じて、必ず奇跡をも許容せざるを得ないのである。
>使徒トマスも、見ないうちは信じないと言い張ったが、いよいよ見たときには、『わが主よ、わが神よ!』と言った。
これは、奇跡が彼を信じさせたのだろうか? おそらくそうではなくて、彼がただ信じたいと望んだればこそ、信ずることができたのであろう。たぶん彼が『見ないうちは信じない』と頑張ったときすでに、自己の存在の奥底では、完全に信じていたのかもしれない。
トマスの、この話は、聖書を読んだことがないので、わからない部分もあるが「彼がただ信じたいと望んだればこそ、信ずることができた」という部分がコアだとおもう。
キリストの復活を「見る」という奇跡は、「彼がただ信じたいと望んだればこそ」おきたと
−−−−−−−−
以上、やっと この部分まで読めて、「あ、ここ2ちゃんの彼が書いてたな?」と想起し、カキコに来た次第です それと、この章の前のところで、フョードルが地獄について語るところで
-------------
もしわしを鉤にかけて引きずりこまないとしたら、そのときはどうだろうな、
いったい、この世のどこに、真理があるというんだ?
Il faudrait les inventer(ぜひとも作り出さにゃならんのだ)
ことさらにその鉤をわしのために、わし一人のためにな、なぜと言って、とてもおまえにはわかるまいが、アリョーシャ、わしは実になんとも言えん恥知らずだからな!……」
------
深い信仰への関心と、哲学的な思考をしており、フョードルは俗物ではないな、と感じた。そして自分の人生を責めていること
16歳の時初めて読んだときも印象に残りましたが、年をとってから「自分の人生を責める部分」「後悔する部分」について 共感を感じた
フョードルのこうした部分が、巨大な息子たちへと受け継がれたんでしょうか トルストイに人道主義を読んだり、ドストエフスキーにキリスト教主義を読んだりしているのは、私達の呑気な文化環境がさせた業で、二人を裸にしてみれば、無政府主義的革命家の顔が現れる
と言った人がいたな。 >>284
と言いつつちょっとそんな気もしたりしてねw 「でも地獄には鉤なんかありませんよ」と父を見つめながら、静かにまじめにアリョーシャは答えた。
(ここでちょっと笑いそうになるよなwww)
フョードルは死に対してビビってるんだと思う。
死を極端に怖がってる人が強がって「鉤でやっちゃって!!!」って叫んでる気がしたなぁ・・・
フョードルは茶化してんじゃなく、本音っぽく聞こえる。
だからアリョーシャはギャグととらえずに“静かにまじめに答えた”って思った。 >268
使徒トマスって“疑い深いトマス”ってあだ名思い出した・・・
>274
でもトルストイって馬はいる。 トルストイというのはロシア語で太った、という形容詞だからね、大作家の名前ということを無視して言うと。
なんで名前にしたのかは知らないが。 <<281
ドストエフスキーの書く登場人物で、自らの罪から逃れおおせている人間はいないんだよね、私が読んだなかでは。
ヒョードルは今までの悪業のつけを払うことを予期しているのかもしれないですなぁ、
直接の言及はないから妄想にすぎないが。
今までの人生を後悔するといってもそれは極めてドストエフスキー的に、
自覚がないながらも震えおののいてうわごとを数ページ分、という形になったのではなかろうかと。 >>282
>無政府主義者の顔が現れる。
トルストイについては分からないが
ドストについては、「国家そのものを排除する
ことが理想」としたという意味で同意
だけど、行き着く先はやっぱりキリスト教会だよ
カラマーゾフの場違いな会合?でイワンがいう
「教会が国家の中に地位を求めるべきではない。いずれあらゆる国家の地位が教会に変わるべき」
全部ではないがこんな感じ
ここにすごく政治的な意図をオレは感じた
ドストはフーリエ社会主義を目指した時期が
あるよね けど結局は国家の廃止、世界同時共同体
みたいな、ただしキリストを頂点で、無政府
ユートピアを理想としたと思ってる
政治的な文は悪霊にたくさん見つかるけど >>138
神の有無って当時の問題ではなくて
生まれてくる人間の常の問題だと思うけど >>291
神の有無を居酒屋でウォッカ飲みながら語るのが
ロシアの大学生の流行り、って罪と罰で読んだ
記憶がある おそらく罪と罰だったとおもう
だから、当時ロシアで流行ったと憶測したんだ
このテーゼ時代を問いものではないが、この
発言は大審問官がなぜ特に論争に選ばれるのか?
についての解だから そーいうこと
分かりずらかったかもね このテーゼは時代を問うものではないが
修正ね 携帯記入は誤字が増える わるい >>290
>「教会が国家の中に地位を求めるべきではない。いずれあらゆる国家の地位が教会に変わるべき」
↑キリーロフの人神思想とは違う意味で衝撃受けるよね。 >>294
うん ほんとにね
オレには記憶に残る思想だったよ
キリーロフの人神論も衝撃だった
何度も読み返したし(理解がまだ追いつかないけど)
道徳障害を心と軽く踏みこえる人が隣人だったら
ぞっとする ここに来るとちゃんと読んでいるつもりでも見逃しているものがあるんだなと気付けて面白いよ。
イヴァンが長老の部屋での対談もそうで、大審問官の部分も実はそうなのだが、
ただ……イヴァンの思想に基づいた現実的提案にたいして、どちらもそのすぐあとにゾシマ長老がその意見にあっさりと片をつけている。
僧院でに一幕において、イヴァンの意見のあとすぐに、実際今でも司法の罰というのは形だけにすぎず、キリスト協会があってこそ罪人にたいして本当の罰を与えているといっているし、
大審問官のあと、ゾシマ長老の遺言の形で、若い世代の思想は結局ロシアの人民を救済することができず、それこそキリスト協会の務めであると言っている。
今ふりかえってみてロシアがどういう足跡をたどったかをみると考えさせられる……
実は大審問官を重視する読解に自分が懐疑的なのは、みなここであっさり否定することを殆ど見なかったことにして話を進めているからで。
その点についてはみな関心がないのだろうか? >>296
大審問官が重要と発言する理由はいくつかある
全体の読み取り方の誤差が人によって違うという事
オレはこう読んだんだ、具体的には
大審問官でまず、人間が地上のパンと神秘と権威に
従属することに幸福を感じると述べる
そしてほとんどの大衆は弱くそれを望んでいると
その後ゾシマはそれを否定する「人間は罪を
自覚し傲慢を捨てる先に欲求から解放されて
ほんとの喜びがある云々、全体もみろ云々、
造られたこの世は素晴らしい云々」
でもこの先がある
最初に言ったイワンは自分の思想に苦しめられる
悪魔「神がないなら善行は必要なくなり自分が
神になる、すべてが許されるし、新しい人間は
それを超える権利がある、なんて言った若者がw」
で結局イワンは良心の呵責に耐えきれず
裁判でオレが殺した。なんて言っちゃう
スメルジャコフはそんなイワンに失望して・・
関心がないからみなかったことにしてるんじゃない
よ 後半続きをオレは重要だと思ったって事で
そしてカラマーゾフのは未完だよ まだあるはずだった
長くて申し訳ないが、まず大審問官のくだりが
ないと始まんないから重要って言ったのさ 長たらしく書いたけど、大審問官の伏線が
最後のページまでかかってる、とオレは読んだ
から重要だと思う。って事
読み方だからオレにはこうしか読み取れ
なかったんだよ >>36
> ミーチャ編は苦痛なら適当に飛ばし読みしてもいいのでは
> ただ、中巻最後にミーチャが見るものがありますのでそれだけ頭において下巻へ
> 下巻は大審問官好きのあなたが好きそうな対決シーンがあるよ
--------
このアドバイスは、何とか彼にカラマーゾフを投げ捨てないようにさせる為の方便であることは、わかっていますが
しかし、良い方便であるとは思えません
中巻というのが、第何編から第何編を指すのか、わかりませんが
ミーチャが どういう運命をたどるのかこそ、カラマーゾフが僕等の人生に与えてくれる忘れがたい読書体験だと記憶している
電子テキストの 上巻に該当する部分しか入手できてないが、その
中巻部分について、今後 集中的に書き込みしていきたいです セルヒオ・ガルシア・フェルナンデス(Sergio Garcia Fernandez, 1980年1月9日 - )は、
スペイン・カステリョン・デ・ラ・プラナ出身のプロゴルファーである。
El Nino(エルニーニョ)というニックネームでよく知られている。
英訳すると定冠詞付きの The Boy となることから、日本語訳で「神の子」と呼ばれることが多いが、実際には「暴れん坊」という意味である。
これまでにヨーロッパツアーで通算12勝、アメリカツアーで通算8勝を挙げている。世界ランキング自己最高位は2位。 >では長老とは何者かというに、これは人の霊魂と意志とをとって、自己の霊魂と意志とに同化(結合)させるものである。人はいったんある長老を選み出したら、全然おのれの意欲を断ち、全幅の服従と絶対の没我とをもって、これに自己の意志を預けるのである。
もっぱら精神的訓練を通じ、師弟の間の自然な直観的感応作用でもって伝えられる、その他の仕掛けは存在しない
しかし、たとえ「全幅の服従」を持っていても「絶対の没我」と
「全然おのれの意欲を断つ」ことは困難である
そうであるからこそ
>こうして自己を委託した人は、長い試練の後に自己を征服し、かつ制御する日の来るのを楽しんで、甘んじてこうした試練、こうした恐ろしい『人生の学校』を、自ら進んで双肩に担う
であると 昭和初期の難しい文章ワロタ
オマエの感想厨以来のバカ発見 769 名前:本当にあった怖い名無し@無断転載は禁止 [sage] :2017/04/14(金) 17:53:48.42 ID:MANDKoZq0
サムライ現る!
野グソ続けて43年「妻に逃げられても止めません」
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170413-00000001-withnews-sci 終戦前後の満州国の日本人に襲いかかったソ連の囚人部隊は殺人・強姦はもちろん
人前でも平気で野糞をするとんでもない連中だったと
歴史通 2017年4月春号にありました
最悪ですねロシア人 >>292
> 神の有無を居酒屋でウォッカ飲みながら語るのが
> ロシアの大学生の流行り、って罪と罰で読んだ
> 記憶がある おそらく罪と罰だったとおもう
カラマーゾフじゃね〜w? イワンがアリョーシャと茶を飲みながら、料理屋「都」で、ついたてのある場所で、語るんじゃなかったっけ?
全部記憶だけど 終戦前後の満州国の日本人に襲いかかったソ連の囚人部隊は殺人・強姦はもちろん
人前でも平気で野糞をするとんでもない連中だったと
歴史通 2017年4月春号にありました
最悪ですねロシア人 たとい僕が人生に信を失い、愛する女に失望し、
物の秩序というものを本当にすることができなくなったあげく、
すべてのものは秩序のない、呪われた悪魔的な混沌だと確信して、
人間の幻滅のあらゆる恐ろしさを味わい尽くしたとしても
――やっぱり僕は生きてゆきたい、いったんこの杯に口をつけた以上、
それを征服しつくすまではけっして口を離しはしない!
しかし、三十にもなれば、たとい飲み干してしまわなくっても、
きっと、杯をすててしまう。
行く先などはどこだか分からないけれど、
だが、三十の年までには僕の青春が
いっさいのものを征服してしまうに違いないんだ
――生に対するいっさいの幻滅もあらゆる嫌悪の情も、 アリョーシャ。僕は生活したい、だから、
論理に逆ってでも生活するだけの話だ。
たとい物の秩序を信じないとしても、僕にとっては春の芽を出したばかりの、ねばっこい若葉が尊いのだ。るり色の空が尊いのだ。ときどき何のためともわからないで好きになる誰彼の人間が尊いのだ。そして、今ではとうから意義を失っているけれど、
古い習慣から感情のみで尊重しているような、ある種の功名が尊いのだ。
(以上、中山訳電子テキストを、手作業で 米川訳に近づけた) 大量の引用すまない
気にくわない人は、気にくわないと思う
僕は貼り付けながら、感動を抑えることができなかった
無限に引用したいくらいだが、ここまでに
−−−−−−−−
別のページで、確かグルーシェンカだったと思うが、「理由がなくたって
愛さなくちゃダメよ!」と叫ばせていたと記憶する
愛する根拠も、理由もない。しかし愛することから始める!という この思想? 俺は偶然このスレを目にして幸せだ!
みんなのスレにまともにへんじもしない
自分がカラマ読むことに精一杯で夢中だからさ
激しい感動を覚えずにいられない!
わずかでも再読できて ほんとによかった!
ありがとう もともと一粒の麦のたとえはヨハネ伝しかないわけだし、
その解釈だって色々ある。
ドストエフスキーはむしろ字句通りの解釈をしてるほうで、
さほど福音書の専門的解釈を重視してるわけではない
たとえ話がなくてもいいなら類似の聖句ならマタイ伝にもある
ヨハネ伝が分からなければ読めないというのは一面的
聖書の知識があるに越したことはないが、
聖書の知識がなければ読めないというものではない
それは罪と罰でも同じだよ >>255
> 「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯(ただ)一つにて在らん。もし死なば、多くの果(み)を結ぶべし。」(ヨハネによる福音書12:24)
> これはイエスが磔で死ぬことを悟ったときの言葉で、自身を小さな一粒の麦にたとえてる。
まず、この背景の説明を ありがとう、知らなかったので、なるほどと。
> 種のままだと芽も出ないし実もつけないけど、種じゃなくなることで(これを死と言ってる)実になるってことやで?
> おれらの感覚だと種は生きててそれが発芽し実をつけるってイメージだけど、ここでは種が死ぬことで新たなもの(実)になるって意味。
なんとなくは 分かっていたが、分かりやすく解説ありがとう
−−−−−−−−−−−
初めて読んだとき、非常に印象深い言葉であった。今も深い深い意義を感ずる
俺はキリスト教徒ではないが、「この言葉を文字通りに信じる」
「誠にまことに汝なんじらに告ぐ、一粒の麦、地に落ちて死なずば、
唯ただ一つにて在ありなん、もし死なば、多くの果みを結ぶべし」
とは
カラマーゾフの兄弟たちであり、たとえばイリューシャであり、ゾシマであり、そして誰よりも 俺自身のことだと信じる カミュスレとかでも7年で1スレも消費できてないんだな
ドストスレは異常w >彼がこの道へ踏みこんだのは、当時これひとつだけが、
闇の中から光明をさして突進する彼の心に
驚くべき究極の理想をかかげてくれたからにすぎない。
-----------------
思春期における、信仰の道へ入ろうとするアレクセイの、この真情こそ
>彼がわが国の近代的青年であったことを付け加えればいい。
つまり、天性潔白で、真理を探求し、ついにそれを信じるに
至ったのであるが、いったんそれを信じたうえは、
己おのが心魂を傾けて一刻の猶予もなくこれに馳はせ参じて、
少しも早く功績を立てたい、しかもその功績のためには
いっさいの物を、命さえも犠牲にすることを辞さないという、
必死な希望にかられていたのである。
「わが国の近代的青年」として、ドストは一般化している。ほんとうは日本の青年たちも、そうなのではあるまいか?
命がけの理想さえあれば。
−−−−−−−−−−−−−−−−
(長すぎる行がありますと,エラー頻出。適当に切ってるが、これでいいのか?) >「長老は懺悔の儀式を自分勝手に軽々しく卑しめている」
――ところが、修行僧なり普通世間の人なりが、自分の霊魂の内部を長老にうちあけるのは、もともと儀式として行われているのではないのである
懺悔の神秘でも、儀式でもなく、内発的な魂の開示であろうか。民衆が なぜ?ゾシマに打ち明けるかについて、この後縷々書かれていたと記憶
−−−−−−−−−−
>奴隷状態から自由と精神的完成とに向かって、人間を更生させるところの、すでに千年の経験を積んだこの武器も、場合によっては両刃の凶器となることがある。それで、なかには、
>忍従と完全な自己制御におもむかないで、反対に悪魔的な倨傲へ、すなわち自由へではなくて、束縛へ導かれる者がないとも限らないのである。
なぜ?「悪魔的な倨傲へ、束縛へ導かれる」のだろうか?どういう場合を指すのだろうか?
指導者と懺悔者の関係性によるのか。指導者の資質によるのか。 >>297
意地の悪い質問だと自覚していたが、受け止めてくれて感謝している。
大審問官についてはあくまで私が個人的にひっかかるというのが大きく、そこを鍵にしてカラマーゾフを読み解くというのも道理はわかる。
まあ……小説をひとつ精読しようとすると、どうしてもまっとうに読み解いてでる結論と、読み込んで発見したものとを混同して考えてしまいがちだ、
自戒をこめていうとね。
私が読んだなかでは解説書でさえやることがあるので、いわんや素人をやとも思うが。
あと違うほうへのレスだが、ヨハネの福音書について一応弁解すると、私は信仰という点から読み解くなら必須といったので、聖書の知識がないと読むことはできないとまではいってない。
誤解を与えたならすまん。 >小説をひとつ精読しようとすると、どうしてもまっとうに読み解いてでる結論と、読み込んで発見したものとを混同して考えてしまいがちだ、
自戒をこめていうとね。
ここをもう少し説明してくれ、違いがよくわからん、もっと明確に理解したい >296
信仰を持ってない犯罪者にキリスト者がよってたかってキリスト教を教えた。
で、犯罪者が信仰に目覚めて罪を悔い改めようと思った時、そのキリスト者がよってたかって、
「さぁ罪を償いなさい。死をもって罪を償うのです!!!」
という出来事があった。(『作家の日記』のどっか)
これを聞いたドストエフスキーは「なんて醜悪な!!!」と憤ってたwww
>322
主観的な読み(読み込んで発見)よ客観的読み(まっとうに読み解く)って意味じゃね?
小林秀雄とかみると主観的に読んでるようで「それこそ正しい読みだ!」って思えるしなぁ・・・
この主観的なものと客観的なものが同じようになるのを目指すのが良いんじゃね? >>323
> 「さぁ罪を償いなさい。死をもって罪を償うのです!!!」
> という出来事があった。(『作家の日記』のどっか)
> これを聞いたドストエフスキーは「なんて醜悪な!!!」と憤ってたwww
ここは、おれも凄い印象に残ってたw 『作家の日記』にもあるんだ?
> >322
> 主観的な読み(読み込んで発見)よ客観的読み(まっとうに読み解く)って意味じゃね?
> 小林秀雄とかみると主観的に読んでるようで「それこそ正しい読みだ!」って思えるしなぁ・・・
> この主観的なものと客観的なものが同じようになるのを目指すのが良いんじゃね?
今夜 筋肉痛でキーボード打つのも やばい。また考えて書くね
ありがとう!! 彼のもとへあらゆる人々が、めいめいの心中を打ち明けて、
霊験のあることばや忠言を聞こうという渇望に
燃えながらやって来るので、長老は多年こういう人たちと接して、
その懺悔や、苦悩や、告白を限りなく自分の心に受け入れたので、
しまいには自分のところへ来る未知の人を一目見ただけで、
どんな用事で来たのか、何が必要なのか、
いかなる種類の苦しみがその人の良心を苛んでいるか
というようなことまで、見抜いて、本人がまだ口をきかない先に、
その霊魂の秘密を正確に言い当てて、
当人を驚かしたりきまり悪がらせたり、
ときには気味悪く思わせたりするほどの、繊細な洞察力を獲得しているのであった 最初、長老のところへ差し向かいで話しに来る多くの人が、たいていみな恐怖と不安の表情ではいって行くが、出て来るときには、晴れやかな喜ばしそうな顔つきになっていることであった。全く、恐ろしく陰気だった者が、さも幸福そうな顔に変わるのであった。 涙と共に長老の前にひれ伏して、病人を治癒《ちゆ》してもらった
礼を述べるのであった。はたしてそれが事実、
長老によってなおされたのか、それとも病気の経過が
自然に快方に向かったのか、――そんなことはアリョーシャに
とって問題ではなかった。というのは、彼はすっかり師の精神力を信じきって、その声望を自分自身の勝利かなんぞのように思っていたからである。 亀山郁夫訳の光文社文庫本は誤訳だらけだと言って何ページにもわたる文章掲載している
人がいるどそんなに誤訳だらけなら自分で全部翻訳したら良いと思う。 誤訳が多いのはよくないことだ!
だからといって「自分で全部翻訳したら良いと思う」というのはどうかな。
ドストエフスキー愛読者は亀山訳を選択しないけどね。 亀山訳は誤訳どうこうより柔らかく訳しすぎて文章のリズム感が無い
結局旧訳の方が読みやすかったりする
難しい言葉は辞書引きゃいいだけだし >>328
pdfにまとめて数百ページにまとめている人がいるよ
誤訳の指摘をする際に問題なのは翻訳者が十分に時間をかけて翻訳していない可能性がある、ということ
亀山訳は再版を重ねるたびに誤訳の修正を行っていて、これまでの訳からあえて違う訳にしたことへの信念とか根拠がない
他国の翻訳と比較し、精確な訳文を作ることに力を尽くした形跡が、言ってしまえば乏しい
だから蓄積された研究書と突き合わせて、必ずしもロシア語を介さないアマチュアの読者が多数の疑問を指摘し、ロシア語専門家に問い合わせて誤訳、としている
別に亀山訳にかみつく人のように「この一節を数十年読んできたので、あまりにも無理解な翻訳に愕然とした」などとは言わないけれど、ある意味やっつけ感
そもそもわかりにくい構文のドストエフスキーの分かりやすい普及しやすい翻訳、というコンセプトはいいとして、おそらく学生・院生の下訳を多数使っているだろうというのはたぶん正しい
あんなにも独創的な(過去の翻訳と異なる)のに、翻訳にかかった期間は結構短い
分業で作り上げた(だから指摘されればころころ翻訳を変える)品物という印象
亀山訳を攻撃する人達のスノッブぶりも嫌ではあるけど、一応嫌われる理由がある 亀山の功績はカラマーゾフが売れた事により新潮で未成年が復刊されたり関連書籍が色々出たこと
そこの所だけは感謝してる >>332
事情通のかたがいるなぁ。
私は意訳が多いな、とは思ったが誤訳があるとまではきづかなかった。
そもそも亀山訳ではカラマーゾフの前半部分しか読んでないけれども。
素朴な質問なのだが、そういう情報は研究者でなくとも得られるものだろうか?
ドストエフスキー好きが集まるコミュニティに参加するとか、そういうことで自然と情報が耳に入るものなのかな。
>>322
正直、そこは深く考えて発言してないw
おおよそ323さんの仰るとおりですよ。
読書というのは私にとってはとても主体的な行為で、
一節読むごとにぼうっと自分の昔のことを思い出したりすることもある。
自然、小説の本筋を追うのとはちがい、そういうことが部分の内容を掘り下げることにつながるわけで、
そこで発見したものが個人の読書体験に深みを与えて、まあ、言ってしまえば、結果的に発見したものに愛着も出てしまう、と。
それがダメでは全くないが、他人が同じように読んでも同じようには感じないということは留意しておく必要がある、ということですね。 あと今更ですが、
>>321
>奴隷状態から自由と精神的完成とに向かって、人間を更生させるところの、すでに千年の経験を積んだこの武器も、場合によっては両刃の凶器となることがある。それで、なかには、
>忍従と完全な自己制御におもむかないで、反対に悪魔的な倨傲へ、すなわち自由へではなくて、束縛へ導かれる者がないとも限らないのである。
ここは同じ節の長老制度を説明するところのはじめに戻れば、懺悔の儀式についてではなく長老制度にかかっている文章だとわかるはずです。
ロシアでは長老制度は昔からあるものではなくここ100年ほどからある制度である。他国では1000年の昔から長老制度がある、という説明だったはずです。
ということは、すでに千年の経験を積んだこの武器というのは長老制度のことで、
いなごとみつとで食いつなぐような苦行を超えた人の中には、外界の人間にたいして傲慢な、かえって宗教的立場における優位をふりかざす人もいたのかもしれない。
ゾシマ長老はたびたび、わたしは、われわれはこの世の人のなかで最も罪深い、すべての人にたいして罪をおっている、と語っています。
頭を低くして謙虚な心持ちを忘れてはならない、と語ったところもあったはず。 常に労役と悲哀、――いやそれにもまして、
日常たえまない不正や、自己の罪のみならず
全人類の罪にまで苦しめられているロシア民衆の
謙虚な魂にとっては、聖物もしくは聖者を得て、
その前に倒れぬかずきたいというより以上の、
強い要求と慰謝はないのである。
『よしわれわれに罪悪や、虚偽や、誘惑があっても
かまわない。地球の上のどこそこには
神聖で高尚なかたがおいでになる。
あの人は、われわれにかわって真理を持っていらっしゃる、真理を知っていらっしゃる、つまり真理は地上に滅びていない証拠だ。
してみれば、その真理はいつかわれわれにも伝わってきて、やがては神の約束どおり、全世界を支配するに違いない』と、こんな風に民衆は感じている、感じているのみか考えてさえいることをアリョーシャはよく知っていた。 >>334
> 読書というのは私にとってはとても主体的な行為で、
> 一節読むごとにぼうっと自分の昔のことを思い出したりすることもある。
> 自然、小説の本筋を追うのとはちがい、そういうことが部分の内容を掘り下げることにつながるわけで、
> そこで発見したものが個人の読書体験に深みを与えて、まあ、言ってしまえば、結果的に発見したものに愛着も出てしまう、と。
> それがダメでは全くないが、他人が同じように読んでも同じようには感じないということは留意しておく必要がある、ということですね。
この説明はよくわかりました。ありがとうございます。 >>335
> いなごとみつとで食いつなぐような苦行を超えた人の中には、外界の人間にたいして傲慢な、かえって宗教的立場における優位をふりかざす人もいたのかもしれない。
フェラポントのことですね。自分の魂の一書であるカラマでありながら、いま気がついたw
> ゾシマ長老はたびたび、わたしは、われわれはこの世の人のなかで最も罪深い、すべての人にたいして罪をおっている、と語っています。
> 頭を低くして謙虚な心持ちを忘れてはならない、と語ったところもあったはず。
なるほど、ゾシマには、その心構えがあったればこそ... あぁ、もうだめだ、手元にある一巻本の700頁中まだ28頁だ
予定では、今月中に、全編通読のはずだったのに >>340
ちらしのうらにでもかいてろ、かね。
なぜかがんばって解読してしまったw (´・ω・`)女子社員の無修正ヌードをホームページに掲載しているリコー関連会社が
鳥取にあるがな
https://goo.gl/ewMXag
https://goo.gl/TpxbKo
リコーの弱みを握っとるからこんなものばらまけるがな
リコーは慰謝料3千万円出せ! ゴルァ
https://goo.gl/fz1pHu
鳥取市のリコーの担当者は、この問題で東京のリコー本社から
いろいろ言われているそうだなww
10年前の2007年3月、「社員ヌード」の件で
リコーはプロバイダに圧力をかけ、強制退会させられたが
別のプロバイダに加入しまたリコーに悪質な嫌がらせを現在もしている。 逮捕容疑は、先月5日午後2時50分ごろ、同市内の書店で買い物をし、徒歩で帰宅途中だった
当時中学3年の 男子生徒(15)を約6分間、600メートルに渡ってつきまとい、
「俺は、両方いけるんだよね。2、3千円でパンツ見せてくれる」
などと、不安を覚えさせるような
みだらな言動をしたとしている。 大審問官も面白いけど、
アリョーシャが2日間で食った食事がパンくらいしかなくて凄くまずそう
イワンと会って食ったのもさくらんぼのジャムとウハーくらい。。。
なんぼ僧院で生活しててもあちこち兄貴探して歩き回ってるから、カロリー的に厳しい それは同じく思った
カラマーゾフ一家って基礎体力凄いよね
偉人は常に非常識であり凡人とかけ離れてるだっけ?
精神的にも肉体的にもカラマーゾフ一家は凄いよね 上に聖書も詳しそうな人いるけど分かったら
教えてくださいな
カラマーゾフの兄弟の後半で、引用として、弁護士
が、「あなたのはかる量りではかられるだろう」
みたいな文がある
これの解釈とドストの意図は何だったと
おもう?
オレは、人間が人間を裁くことは出来ないと
言いたかったと思ってる
ゾシマの話も想起した、この世で罪を負わない人間
は存在せず誰もが誰かに罪を負っている
どうして誰かを裁けるのか、などなど
そうしたらこの世のシステムの否定なるがw
まー小説としての解釈はそうなった ⬆︎はカラマーゾフの兄弟で論告で
弁護士が聖書の言葉を引用した文節です 亀山氏の罪と罰ノートを読み、いままで読んだどんな本よりも内容がちぐはぐで、この人、馬鹿なんだ。と思った。芸能人のまごころエッセーの類を読んでも、なるほど。とどこかしら関心する私でさえ、罪と罰ノートには何も思うところがなかった。
ふざけてない、真面目にこの人はこれを書いてるんだ。と思うと、情けなくなった。
それが、カラマーゾフの兄弟を翻訳したとは何事であろうか。ゴーサインを出した出版社の意向にも頭をひねった。
なので、亀山版のカラマーゾフの兄弟は読んでいないが、読む人の印象は亀山版とそうでない版で、ずいぶん違うだろうと思われる。
10年ぐらい前?にも巷間で話題になっていたし、多くの人に読まれ、議論も盛んになるのはいいことだが、お母さん、僕、ホットケーキが食べたい。 「人をさばくな。自分がさばかれないためである。
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。
自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。」(マタイによる福音書 7:1-4)
梁はちりに対して、でっかいゴミくらいの意味で、他人のことを批評するんじゃなく自分の行いを見直せ!って感じ(「人の振り見て我が振り直せ」っての)
他人のことをとやかく言うのは簡単だしやってるけど(これが“さばく”)
そうじゃなくもっと反省せーよっての(善悪ってのは人が決めるもんじゃなく神が決めるんやでー、って感じ)
(>>346の通りで人を裁いちゃダメやでーって意図だと思う)
と、書くといいんだけど、カラマーゾフのこのシーンでは別の意味があると思う。
(弁護士はここで詭弁を振るう(↑を曲解する)) そのころロシアって裁判制度が始まって、ドストエフスキーは裁判を傍聴してる(『作家の日記』のどっか)
で、弁護士ってのは今もだけど、まぁなんくせつけて犯罪者を擁護する。
「(聖書を曲解して)罪を決めて良いのは神だけであぁ〜る(きりり!」って言って無罪を勝ち取ろうとしてんだと思う。
『作家の日記』でドストエフスキーはこの裁判をめっちゃ怒ってて、カラマーゾフのこの裁判シーンは、
そのことを言いいたかったんだと思う。(裁判をパロディー化してる)
あと上のほうで言ってた罪と罰のソーニャって「男の言うことをだまって聞く女」じゃないでぇ〜
そのころ12月革命(通称デカブリストの乱)があって、その時流刑地に送られる人についてった妻たちがいる(「デカブリストの妻」参照)
それを思い起こさせるって意図もあったと思う。 旅行中なので携帯から。
自分のはかりであなたも計られるだろう、という一節はまさにヨブ記にありますよー。既にご存じであればすみません、とりあえずはヨブ記のその一節を解説しているサイトをぐぐって探すといいでしょうね。 なるほど、ドストが当時のロシア裁判で
聖書の引用を行なっても勝ちたい弁護士
への批判ね 背景を見落としてたわ
そして裁くなの引用はマタイのみだと思ってた
ヨブ記にもあるんだね 探してみる やっぱ詳しい人多いなここは
オレはつねぬ作者の意図をまず前提で
読書したい
この場合はドストの意思が何なのか。
本からよむとるのは難しいね ホント 聖書とか自分勝手に読んで解釈して新しい宗教作ったりするじゃん?(仏教もだけどなw
で、そういういかがわしい宗教をけしからん!勝手な解釈けしからん!ってのあるなw
(けど、カトリックなんかは自分勝手な読みをある程度認めてる)
そうは言うけど、やっぱ自分で嚙み砕いて咀嚼することで初めて肉となり血となる、って気もする・・・
「わたしは世紀の子です。不信と懐疑の子です。
もしだれかがわたしに向かって、キリ ストは真理の外にあることを証明し、
また実際に真理がキリストの外にあったとしても、
わたしはむしろ真理よりもキリストとともにあることを望むでしょう。」 (ドスト談) ほんとの読み(真理)は別にあっても「おれはこれを信じる!これで生きてく!」(キリストとともにある)
と思える読みってあったらいいな!とも思う。
客観的みたいなのって知識じゃん?そんなの本読めば誰でも知ることできるじゃん?
で本読んで、解説本とか読んで“分かった気になる”ってことののほうがよっぽど害悪だ!とも思う。
自分の読みを推し進め!で、間違ってたら直せばいい!くらいでいいのかなぁ?・・・と思ってる。 俺は生涯読書で作者の意図は気にしたことがない
文学部とかは文脈の整理とか解釈とかやると思うけど
俺は全然 >>356
真理が別のところにあってもキリストの真理
と共にあることを望む
って悪霊のスタヴローギンがシャートフに言う
言葉だね aruko-ru
nannka
haitte
naiyo ドストは本当に多種様々な言葉を書いていて
覚えておきたいと思う文節によく出会う
1番印象に残ってるのは
「神がいなければ、すべて許される」
【国連安保理】北朝鮮非難の声明を全会一致で発表 異議を唱えたロシアも同意
.
/ ̄ ̄ ̄Y ̄ ̄ \
l l
ヽ,,,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ,,ノ
|::: ::|
|:: __ __ ::|
(6 \●> <●ノ .|)
! )・・( l
ヽ (三) ノ < オラオラ!かかってこいよ!!
, -‐- 、. 二 ノ
┌、. / ヽ ─ 一' \
ヽ.X、- 、 ,ノi ハ
⊂>'">┐ヽノ〃 / ヘ
入 ´// ノ } ,..,.._',.-ァ
/ `ー''"´ ,' c〈〈〈っ<
/ __,,..ノ ,ノヽー'"ノ >>359
>俺は生涯読書で作者の意図は気にしたことがない
あなたはお亡くなりになっているんですか? >>367
彼が言いたいのは、読書で大事なのは、ましてドストのような巨大な思想と感情の作家を読むのには
文文句句の解釈ではなく、熱鉄の大確信、疾風怒濤の感情に、触れることであり、目と頭で読むのではなく、登場人物のごとく生きること−−−−−−−−
そう言いたいのだ!! ずーっと自分が読んでいるところで、印象を受けたところを、貼り付けてたものだが、おとといから高熱でて作業継続できん
治り次第続けるぞぉ! 誰が文句つけよーとな!! >>369
印象に残った文を紹介するのは楽しく見てる
ただ、自分の感想ってか解釈も一緒に載せて
もらえるとレスしやすいよ よろしく ドストの意図にも興味があるが、ドストに関わって
印象を受けた読者にも興味がある
テレンティウスの話も罪と罰でなかったっけ(余談)
だから自分の感想と解釈も是非
自分の興味で悪いけどね 今白痴を読んでる
カラマーゾフの兄弟、罪と罰、悪霊、地下室と
読んできたけど白痴は後になった
ムイシュキン公爵のキャラが魅力的で面白い
まだ50ページだけど シベリア抑留のときの恨みをはらすときがついにやってきたのだ
さあ国境に派遣されてきたロシア軍も潰すぜ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています