0509吾輩は名無しである
2017/05/08(月) 00:27:41.59ID:JzQlkdqGあの小さい足でことことと歩くのが、たったいっぺん。以前よくわたくしのところへ走って来て、大きな声ではしゃいだり笑うたりしましたが、わたくしはたった一度あれの足音が聞きたい、どうしても聞きたいのでござります。
けれどもお聖人さま、もうあれはおりませぬ、あれの声を聞くときはもうござりませぬ! これここにあれの帯がござりますが、あれはもうおりませぬ。もうあれを見ることはできませぬ。あれの声を聞くことは……」
彼女はふところから小さな組紐の、わが子の帯を取り出したが、それを一目見ると、両手で顔をおおって、身を震わせながら泣きくずれた。そして不意にほとばしり出た涙は指のあいだを伝って流れるのであった。
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おれは、後年22くらいのころか、これとまったく同じ言葉を実際に聞いた
祖母の葬式で田舎へ行ったとき、叔父夫婦が、生まれたばかりの自分の赤ちゃんを、車を発進させる時に気づかずに轢き殺してしまったというのだ
若いお嫁さんの目からは止めどもなく涙が流れていた
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そしてさらに時が流れ、自分が子を持ち、後悔しなければならないことばかりが起きた
そして今も、強い自責の念に責め苛まれつつも、「未来へ向けて、何としても責任を果たすのだ」と身震いする思いだ
カラマーゾフは、ロシヤ正教を中心とした宗教的空気感の中に展開するが、そこに書かれている言葉と内容は人類普遍であり、特定の宗教に依存していないと思う