☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part43 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
そんなに悩むな若い友! 昔からじゃねーか 80年代に俵万智が驚異的に売れた 同時代に天才詩人◯◯が存在していた、平易な言葉で日常の何気ない場面を美しく切り取って見せた >>529 『罪と罰』のプロットからの考察 ラスコーニニコフのラストは作中ポリフィーリーによって予告されている。 すなわち、「自白するのか?それともズドンとやるのか!」 『罪と罰』って6編+エピソードでエピソードはおまけと思えば(言いたいこと沢山あるけどなw)全6編の構成。 で、最後の章に書かれているのは、前半がスヴィドリガイロフで後半がラスコーリニコフじゃん?(副題つけるなら「自殺と自白」とかかな?) ここでポリフィーリーの予告した二つのラストが示されてる、とも思える。 スヴィドリガイロフってのは、自白したラスコーリニコフじゃなく、ズドンとやったラスコーリニコフで、 じゃ二人を分けたのはなんかていうとドーニャとソーニャじゃん? ラスコーリニコフ:ソーニャ(キリスト教、と言うより古い思想と言ってみる) スヴィドリガイロフ:ドーニャ(社会主義、と言うより新しい思想と言ってみる) 「最後の一人になるまで殺し合って、1人になったら自殺ですよ」(ドスト談) 他人のこと否定(否定主義、ニヒリズム)していくと最後に残るのは自分で、 それさえ否定していく(厭世的、シニシズム)ってのは道筋としてはわかる。 それは、シェストフ(『悲劇の哲学』)なんかに言わせると「ニーチェを経て、キルケゴールへ向かう!」 ってのは論理としてはまぁわかる。(でもやっぱ正しいとは思えないけどなw) つまり、キルケゴール的に言うと、スヴィドリガイロフの自殺ってのは必然、って思った。 古い思想(ソーニャ)だとラスコーリニコフみたいな人間でも受け入れるけど、 新しい思想(ドーニャ)ではラスコーリニコフ的な人間は受け入れられない、ってことだと思う。 と、プロットから言ってみる。 >>532 自分の親を殺したやつに復習したところで そんなに悩むことないと思うけどね >>531 歴史と当時の背景ね まさにドストの生命か革命 かだね 神秘主義とは革命でありよって自殺する 歴史は詳しくないけど頭の情報と別の情報がつ ながった ゲーテ、ファウストは読んだけど、おおまかな あらすじと時よとまれ!おまえは美しい!し か覚えてないよ アメリカ行きあったっけ? この時代は魂に関する作家がとても多い気がする ドストも永遠の不滅の魂か、人生で終わる生命か をいつも見据えていたように感じた >ハムレットにとっても死ぬことは武器をとって戦乱の海にこぎ出でることで、生きることは生きながらえて「眠らずに」苦しむことだった< いい表現だし、言葉が美しい >>540 個人的には、本質は違えど、表面的に社会主義と キリスト教はとてもにていると思う 前にも書いたが、天上を引きずり下ろすかそこに 自分で辿り着くかの違い 古い思想(ソーニャ)と新しい思想(ドーニャ)ね 分かりやすい >「最後の一人になるまで殺し合って、1人になったら自殺ですよ」(ドスト談)< カラマーゾフの兄弟?で立ち止まった文章だ 実は自分もキルケゴールは大好きで死に至る病が すごく難関だったけど読んだなあ そこから思考、 絶望というものをスヴィドリガイロフは背負って いたのかもしれない 彼は分類では自分自身であろ うとする絶望になると思った 神や他人の救済を払って自分自身の意思をすべて においた(正確にはドーニャに最後頼ったけど) >つまり、キルケゴール的に言うと、スヴィドリガイロフの自殺ってのは必然、って思った。< なるほど、しっくりくる >>537 そういう側面で文学を見るのが好きなんだ ドストはとくに思想的で考察が楽しいよ キルケゴールはいった、キリストの真理を受け 入れるより自己の関係の関係性に関するあらゆ る絶望から逃れる方法はない 絶望を意識するか意識しないかは関係ない絶望 てのを今思い出した スヴィドリガイロフの死もさらにスタヴローギン やキリーロフについても説明がつく それにしてもドストってキルケゴールも読んだ のかな そうならなんか面白いw 何を感じるんだろう ドストエフスキー(1821年11月11日 - 1881年2月9日) キルケゴール(1813年5月5日 - 1855年11月11日) 同時代人だけど、双方とも読んでいないと思う。 キルケゴールはデンマーク語だけだしデンマークでしか知られていなかった。(訳は20世紀になってからドイツ語が最初) たぶんお互い読んでいないと思う。(でも読んだとしたら?って考えるの面白いねw ニーチェも読めるわけないんだけど(加賀乙彦は読んだってウソこいたねw) もし読んだら怒ったって気がするw >>547 年表だと同時代か どうも 天才と言われた思想家が一方は文学で一方は哲学 で同じ傾向に辿り着くか つくづく思うのは人間が時代や言語や習慣に関係 なく思う事は文明人も原始人も同じなのかもしれ ない 自分の存在と神について すべての疑問はそこから来てるのかもしれない とても多くの天才が、それこそアイシュタインの ような科学者まで神を肯定する 絶対に証明出来ないように造られ、絶対に観測で きないのに、どうやって信仰に辿り着くんだろう こればっかりは答えはでないけどw 「歴史がある」安倍-電通-在日-朝鮮-麻薬-統一協会-CIAの売国つながり 電通に勤めていた安倍昭恵は、電通の上司に安倍晋三を紹介された 電通は、安倍昭恵が好きな韓流ブームを作り、在日芸能人を使っている 安倍昭恵が大麻、大麻と言ってるのは、晋三の祖父の岸信介は満州開発高官だったが 関東軍とつながりアヘンで大儲けした電通の里見甫に支援されていた因縁からだろう 戦前満州の電通で、諜報やプロパガンダをしていた里見甫が アヘン密売を行う里見機関を設立 里見甫が調停した済南事件では、麻薬売人や売春業の朝鮮人が、中国人に虐殺された 戦後、A級戦犯岸信介とともに電通も寝返り、電通がCIAの下請け組織になる 統一協会の最初の日本拠点は岸信介の自宅の隣で、 祖父の岸、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に渡って統一協会につながる 統一協会は、北朝鮮に自動車メーカ「平和自動車」設立など、北朝鮮と裏でつながる 現在CIAの下で統一協会が世界で麻薬密売をしている 北朝鮮では覚醒剤製造を行い、在日暴力団が日本で覚醒剤の売人をしている 【大麻】安倍昭恵夫人とともに大麻を栽培する青年、大麻取締法で逮捕 共同正犯の適用へ http://vipper.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1488261636/ 満州でやったように、次は日本人を大麻漬けにして金儲けようとしているのか http://okmusic.jp/musichubz/artists/54285/videos/KNCChsXigtE http://blogs.yahoo.co.jp/ooophiooo/39822127.html コーラにコカイン、キャラメルに覚醒剤、菓子工場で何作ってる?→ http://ona.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_1d6/ona/ko_3-c8a2f.jpg >>540 > ラスコーニニコフのラストは作中ポリフィーリーによって予告されている。 > すなわち、「自白するのか?それともズドンとやるのか!」 > で、最後の章に書かれているのは、前半がスヴィドリガイロフで後半がラスコーリニコフじゃん?(副題つけるなら「自殺と自白」とかかな?) > ここでポリフィーリーの予告した二つのラストが示されてる、とも思える。 > スヴィドリガイロフってのは、自白したラスコーリニコフじゃなく、ズドンとやったラスコーリニコフで、 −−−−−−−−−−−−−−− ここまでは納得、しかし以下の部分が、ストンと この胸に落ちてこない > じゃ二人を分けたのはなんかていうとドーニャとソーニャじゃん? > ラスコーリニコフ:ソーニャ(キリスト教、と言うより古い思想と言ってみる) > スヴィドリガイロフ:ドーニャ(社会主義、と言うより新しい思想と言ってみる) ソーニャ(キリスト教、と言うより古い思想と言ってみる) ドーニャ(社会主義、と言うより新しい思想と言ってみる) 「罪と罰」本文に、まったく参照していないから、ぼんやりした記憶だが、どちらの女も、そんな定型的な抽象的な存在だったか? >>542 > 自分の親を殺したやつに復習したところで > そんなに悩むことないと思うけどね ハムレットの苦悩というのは、叔父王を殺害したことなのか? >>543 > ゲーテ、ファウストは読んだけど、おおまかな > あらすじと時よとまれ!おまえは美しい!し > か覚えてないよ ファウストは、16歳で最初に手に取った世界文学だったと記憶する。(神曲のほうが早かったかも、第三番目がカラマなのは、まちがいない) いまでも、ある意味、ドスト以上に高級な文学と勝手にイメージしてる。第一部までしか読了できてないが。 > この時代は魂に関する作家がとても多い気がする > ドストも永遠の不滅の魂か、人生で終わる生命か > をいつも見据えていたように感じた ほんとうにその通りだねぇ! こんな短い言葉で!よくも的確に表現したね!! 「永遠の不滅の魂か、人生で終わる生命か」 > >ハムレットにとっても死ぬことは武器をとって戦乱の海にこぎ出でることで、生きることは生きながらえて「眠らずに」苦しむことだった< > いい表現だし、言葉が美しい 俺もそう思った。ハムレットの文中にあるのかね? この表現は。 結局、 食うことと正義に関する自己批判について 感心ぶる必要はなくて ただ、自分のコンプレックスに対して正直なるだけでいいんだけどね >>514 >ちなみに俺は、カトリック生まれです キリスト教について詳しくないから聞きたいん だけど、カトリックって魂の不滅を認めてるの? キリスト教でも中には死後に復活まで無の状態 と考える宗派はあるみたいだね ドストはロシア正教とイエズス会のは何をよくするけど >>554 >キリスト教について詳しくないから聞きたいん >だけど、カトリックって魂の不滅を認めてるの? たぶん、魂が不滅だから肉体が復活するっていう前提があるんでは >キリスト教でも中には死後に復活まで無の状態 >と考える宗派はあるみたいだね 知らないですが 調べたら、エホバがなんかそう言ってるらしいね どっちも同じだとと思うけど 正教とカトリックもたぶんトップが違うだけだと思うけど 適当ですみません 誤差は気にしない性格なんで 要は、生きたいのか死にたいのかだけみたいな >>555 ドストはキリスト教が嫌いなんだとばかり思ってたが 前にもちょっと書いたが、そして偉そうにいってすまないが ドストを哲学的に捉えようとすると、違う側面へ落ちるというか、本質をとらまえないような気がするんだ たとえばカトリックか正教か?という相対的にどちらがより正しいか?というのはドスト自身も論及してたが、しかしそんなことではないとおもうんだ キルケゴールやニーチェと、ドストはまったく次元が異なると、勝手におれは思っている、格段に重大な存在は後者と考える むしろシェークスピアやダンテ、ゲーテ、トルストイと比較すべきと。 近代の哲学者が考えた抽象論と、古代からの信仰では、その重みはまったく違う。 ドストの登場人物たちも、抽象的な、将棋のコマのような存在には見えない もうそうなら、俺たちはカラマや罪と罰や白痴を、こんなに愛好するだろうか? そこに描かれている思考、信仰の姿、具体的振る舞い、いろいろのエピソード、それらは悉く、 頭で作り出された思考実験のようなものではなく 作者の体験と実際の見聞が書かれていると信ずる。だからこそおれらの心を動かすと −−−−−−− 論理が破綻していてすまん、論理的文章書くのは不得意なんだ >>557 > ドストはキリスト教が嫌いなんだとばかり思ってたが 「キリスト教が嫌い」どころか信仰に賭けていたとおもいます、それがすべてのテーマの行き着く先だと >>555 > カトリックはドストの敵だな これについてカラマに論及されていたが、かれはなんていっていたのか? >>553 > 結局、 > 食うことと正義に関する自己批判について > 感心ぶる必要はなくて > ただ、自分のコンプレックスに対して正直なるだけでいいんだけどね すまん。何か重要なことを言っている気がするが、ちょっと文意が取れない、もう少し補足してくれ ロマン主義の主人公ハムレットというのは手垢のついた、つまらないイメージとされがちだけれども、そうではない 19世紀には世界の関節が外れてしまった(これはハムレットにある言葉)と同じく、「絶望の時代」とされていることをどれだけ重く見るか 小説が成立したのは後に「絶望」と称される「時代精神」に取り付かれた人々が、もはや政治参加やアジテーションで世界を変えることもできない時代 ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」はこう続く どちらが精神にとって高貴であるだろうか to suffer slings and arrows of outrageous fortune, or to take arms against sea of troubles, and by opposing and end them. to die: to sleep シェイクスピアはドイツ人こそ理解できる、と言われた一時代がありました ゲーテは「ウィルヘルム・マイスター」のことです そして犯した罪に煩悶するハムレット的人物はそれぞれが面白い もはやそれは原罪ではない、知識人の罪、合理主義による自然・人間搾取の罪がキリスト教的原罪の「かわりに」出現してくる 形而上学的ハムレットと絶望の時代のハムレットは、20世紀前半のハムレット像と19世紀前半のハムレット像を区別して読解する 直接的な影響関係の有無という瑣末な観点ではなく、類似する状況、時代背景、思考を支配する「力の場」において比較すること 「キルケゴール」の絶望はどのような世界背景をもとにしたものか、「あれかこれか」という言葉は19世紀小説で繰り返される キルケゴールが、オーストリア作家ネストロイに触れていることなど同じ問題圏に生きているからこそキルケゴールを19世紀小説の読解に使いうる ハムレットにおいても「oder entweder」であり、これもまたロマン派においても頻出する 「力の場」はアドルノの言葉から。「絶望の時代」もアドルノ。 ハムレットは「関節をはずしてしまい、正すべきでありながら王位はいずれ手に入ること、関節の外れた世界で王位を継ぐことと関節を正すこと」 The time is out of joint. O Cursed fate, I was born to set it right! 罪業をうちに秘めてもいるのだけれど、「罪を犯した記憶」で生きるべきか死ぬべきかを苦悩する主人公は別の19世紀小説の主人公 基本的に暗記している台詞の引用なので細かく正確ではない >>559 信仰に賭ける、という言葉には 信仰が真実ではないことがわかっているという ギミックがあると思うよ 競馬に賭けるのと同じで >>558 なるほど、確かに信仰をそのまま表現した文学者 と哲学者の抽象論では重みが違うか 比較すべき対象はシェークスピアやトルストイ等 論理的であろうとしたのが正しいベクトルだった かはおそらく違うんだろう 罪と罰、カラマーゾフの兄弟等で受ける感動につ いてニーチェやキルケゴールから受ける知的満足 はまったく別のものだね 実はシェークスピアとゲーテについてはそこまで 詳しくなくてね、ついつい好きなキルケゴール等 で比べてしまった トルストイならある程度読んだから、またいずれ 違う視点で比較してみてここに書くよ >>562 背景と物語論そして知識量が凄いね ここまでは文字の表現を客観視できそうにないよ 主観と共感や便乗が混ざってしまう ハムレットの有名なTo be, or not to be((復讐を) するべきかせざるべきか)みたいにとても人間的な そして悲劇的な話が多い シェークスピアは人間に焦点をあててその特に負 の感情について表現が目立つ 勝手に言えば日本人に向いているんだろう 日本は昔から神を想像する時に人間の延長線上で 神を作ってきた 人間とは次元にの違ういわゆるキリスト教的な神 を想像する欧米等とは違うもの これはシェークスピアを否定してるわけではないよ だからこそなぜドストエフスキーに惹かれたかの自 分の答え、個人的なそして勝手な自己分析でもある >もはやそれは原罪ではない、知識人の罪、合理主義による自然・人間搾取の罪がキリスト教的原罪の「かわりに」出現してくる これの「かわり」を元に戻したドストがシェークスピアと比較した場合、一番の理由になる 俺は、ニーチェとドストエフスキーに加えて、トルストイも同列にできると思う トルストイの強引な自己犠牲は、破滅しかもたらさないと思うしね 横からすみません。 ファウスト、神曲、ハムレットもそうで、ここで挙げられた傑作がどれもヨブ記を参考にしたものばかりでほくそえんでしまった。 ちょうど岩波ででてる内村鑑三のヨブ記講演というのを読んでいたもので。 勿論、カラマーゾフもそうですね。 >>567 ヨブ記講演てよく聞くけどどうだった? 解説本て独特なのが多くてあまり読まないん だけど これは気になってる ヨブ記の解説だけでなくカラマーゾフの事も 書いてるの? >>560 自分への質問ではないが当時のイエズス会に 対する批判だよね ドストはカトリックというよりイエズス会そ のものを批判してるんだ 大審問官もそうで当時のセヴィリアなんかは 魔女裁判とか初めて政治にも食い入ろうとし てたんだ ドストがイエズス会を最も批判した理由はお そらく彼らが自由意思を持たなかったことに ある ローマ本部の命令を絶対として従属こそ 自由と本当の幸福とうたったんだ キリストに与えれた自由の信仰とはかけ離れてる まるで軍隊で個を否定した まあとても神秘主義で信者を集めるには効率が いいとも言えるが 高潔な自由意思ない もちろん今のイエズス会はどうなんだろうか >>569 カラマーゾフでイエズス会だけ限定して批判したところってどのへん? >>571 大審問官の話が終わった後にアリョーシャと 会話をする場面がある、具体的には 「まさか俺が、キリストの偉業を修正する人々の群れに加わるために、これからまっすぐイエズス会の連中のところへ出かけて行くなんて、考えてるんじゃないだろうな?」 この修正するもの→イエズス会 ジェズイットかジェスイットでカラマーゾフ では批判が他にもあったと思う 当時はジェスイットって言うみたいだね フョードルのセリフだったかな? スメルジャイコフがモスクワでイエズス会に会って たんじゃないか、けしからんみたいな 上かんのまさにスメルジャイコフが題名の節だった と思う こっちはよく覚えてなかったわ >>572 そうなんだ。 大審問官はキリスト教全般を批判したものだと思ってたよ キリストが現世で奇跡を捨てたのも、 それによつてキリスト教が狭い宗教になってることも、 全部のキリスト教のことだと思うし >>573 探していた文章を見つけた やっぱり大審問官の後のアリョーシャの会話 「そんなのはローマですよ、それもローマのすべてというわけじゃない。そう言っては間違いです―― そんなのはカトリックの中のいちばんわるい部分ですよ。異端審問官とか、イエズス会のような連中です!…… おまけに、兄さんの大審問官みたいにファンタスチックな人物なぞ、まったくありえませんしね。」 ローマのすべてじゃない=カトリック全体ではない はっきりここで審問官とイエズス会と限定している 「異端審問官とか、イエズス会のような連中です」 ドストは「当時」のイエズス会を否定している 奇跡、神秘、権威の上に信仰を建てようとした キリストは自由意思で信仰することを望んだ ドストもそうだったと思う うん 白痴なんかではローマカトリックは 無神論者より悪い、なんてセリフまである カラマーゾフの兄弟で言ったイエズス会に 限定した言葉も真意だったとは思うけど 当時のカトリックだって中にはキリストの 教えに忠実だった人もいたと ドストは個人信仰を押して、組織教理を否定 したんだとオレ解釈してる 信仰は個人であるべきで権力ではないと >>574 理解はした。 でも、イワンの言ってることがその通りカトリックだけにあてはまるなら イワンは何のために無神論者になったの? スメルジャコフもイワンもイエズス会に毒されたって結論が出てるなら 正教大正義ってだけで話が終わるんだと思うけど イワンも、アリョーシャに説得されて大円団になる筋書きしか見えない ちなみに、俺がドストエフスキー読んでたの10年も前なので チンプンカンプンなこと言ってたらすみません >>578 賛否はあるだろうけどイワンは無神論者ではな かったと思う スメルジャイコフに無神論を語っていようと自 分も「神がいなければ自分が神になる」なんて 言っていようと最後は父殺しを見殺しにした罪 悪感とその自虐に耐えられず、せん妄症で悪魔 と会話するはめになる 悪魔を幻覚と認められないイワンは悪魔の存在 を肯定してる だからもちろん神もそうなる 「おれが受け入れないのは神じゃない、いいか、ここのところをまちがうな。おれが受け入れないのは、神によって創られた世界、言ってみれば、神の世界というやつで、こいつを受け入れることに同意できないんだ」 >>579 はカラマーゾフの兄弟は未完の作品で もし続編があったらそうなる可能性は全然あるよね >>581 パッとしないなあ 君の言ってることじゃなくて そんだけの内容なら 読む価値ねえなとさえ思う それだったらカミュの方がずっと素朴で純真だし トルストイの方がずっと先を見てる まあ読書と本の傾向なんて自分の延長みたいな もんで合う合わないだからね トルストイは理想主義的でドストの人間くささ がオレには合ってたりする 自分にとってはそれだけでも結構な内容だった もちろん良心の呵責のテーマは全然罪と罰だけど 神がいるかどうかのせめぎ合いがあったというなら、 イワンがそれだけ苦しむ価値はあるのに 隣でイエズス会に影響受けてるだけだ 実は正しい協会と神は別に存在してるのだ という結論は アホとしか思えない 早く気付けと言いたい 人間は、気づきたくても気付かない振りをすることがしばしばあるけど イワンとそのイエズス会とやらの間に、それだけの執着があるとは思えないし いまいち納得できない >>578 ロシアでカトリックに改宗する連中はみんなイエズス会に入るんだ! それには理由がある、失われたロシアの大地を埋め合わせようとしてあの忌まわしいイエズス会士、論理に奉仕するイエズス会士になっちまうんだ! 考えつくすやつほど教義論を考えつくして最も忌まわしいイエズス会士みたいになっちまう! 連中は神さえ信じていない!スメルジャコフのように!まるでアリョーシャのように! ムイシュキン公爵はイエズス会士に改宗してしまった高貴な友人を弁護してこう口走るのであった ドストエフスキーがイエズス会を憎んだなんてのは皮相な読み方だね イエズス会ってのはとっくにロシアから追放された時代であって、ドストエフスキーはいろんなイメージ(陰謀者・論理主義者・インテリジェントデザイニスト・法悦者・・・・)で語ってる ポジティブな、絶望したロシアの青年をひきつけるだけの魔力をもつ存在としても描写している それは彼のいびつなキリスト教解釈と一面では対立し、一面では合一しちまうもんだと思うけどね イエズス会、もキリスト教、も言葉だけでアイデンティティ押し付ける読みはいまいちだと思うなぁ ドストエフスキーのキリスト教ってのは連綿と続く正統への異議申し立てとして捉えるべきで、、、とか説教くさくなるとよくないかね イエズス会が猛威を振るったのはまさにロシアの中心そのものとトルコから奪還した辺境の二つで、その中間ではイメジとして語られる これはイエズス会追放が時系列をずらしながら世界中で行われたときに、同じく世界中で起こったこと ヴォルテールやデカルトが君主と辺縁だけに、支持され、中間貴族/既得権益に蛇蝎のごとく嫌われた啓蒙時代もイメジとして重ねてみる 100年前のイギリスおよびアイルランドでのイエズス会描写なんかこそ、イメージでしか語られない「イエズス会」理解には結合するべきと思うけれどな 辺縁に自己同一化したい、けれども中心に住まうドストエフスキー >>586 イワンがイエズス会に影響してるのではなくて イワンが大審問官を通してイエズス会みたいな 個性を否定する当時のまるで西ローマの宗教を 受け継いだ事を皮肉ったんだよ イワンの苦痛は神の有無より、神の創った世界 の是非と容認にある 神の有無はフョードルの方がこだわってたと思 うよ 何度もアリョーシャに尋ねたりとか ようはヨブ記の比喩でもあってこの世の理不尽 と神がそれを介入しない事に納得ができないと だけど大審問官はただのキリスト賛美なんだけどね >>589 もし神がいるなら 個人に是非も容認もする権利はないんじゃないかと思うけど >>589 イエズス会士の霊操っていう本を読むと、いかにドストエフスキーと近いかわかる あれは、神と法悦エクスタシーのもとでいかに同一化するかを体操のように教育課程を踏んで学んでいく教本 カトリックやバチカンなどよりも神との合一を重視する異端だからこそカトリックから追放されまくる そもそもバチカンに閉じこもってカトリックの教義改造しまくっていた時代だということ理解しているのかね ある種の君主や、現実に圧制にあえぐ辺境では異常な信仰を得る 追放された国では、追放した側がプロパガンダで色々言う、その陰謀=ジェズイットってイメージもまたドストエフスキーのインスピレーションなわけ イエズス会なしにアリョーシャは書かれることはない くっそつまらない、イメージだけでドストエフスキーの敵対者=サタン扱いする読解はもったいない、と思うが説教くさくなりすぎるか キリスト教なんてドストエフスキーの時代の数十年前に根本的に変わっているのに突然旧約とかと同一性を見出して無批判に接合するのは詰まらん読み方だと思う 背景も知らずに作家を時代から孤立した天才扱いするの嫌いなもんで >>590 神がいるなら人間に是非の権利はないだろうね でも肯定も出来ず否定も出来ないイワンは苦痛 でしかないだろう 権利はなくとも是非は精神の問題で葛藤を持っ て苦痛するしかない >>591 面白そうな本だね 当時のカトリックが教義を体制と一致するよう にしてるのは分かってるよ ヨブ記についてはカラマーゾフの兄弟そのもの についてであって箇所を限定はしてい ドストがヨブ記を読まなければカラマーゾフの 兄弟はなかったと、言い過ぎだけど >>591 俺がカトリックが嫌いでエホバが好きなのと似てる気がする <<568 んー……まだ半分も読んでいないのでなんともだが、ヨブ記を解説する本としてはヨブ記講演は不十分な気がするかな。 しかしヨブ記を解説するなら独特にならざるをえないでしょうね。 ヨブ記を小説としてとらえるなら神よなぜ私を捨てたもうかを問うドラマであり、ヤハウェがおんみずから人の前にでてもその答えは提出されることがない。 そういう理不尽をどのような切り口から筋道だって語ったとしても、それだけでは人を説得する力は持たないんじゃないかと。 福音書にもあるように、人が信仰を勝ち取るのではなく、神によって選ばれるのですから、そこに理由を求めても正解はでないだろうと私は思いますね。 ロシアでは1820年にイエズス会士追放令があった。 ドストエフスキーの周りにはイエズス会士は居なかった。 カラマーゾフの中でイエズス会ってのは“詭弁家”とか悪口で使われてる。(ステレオタイプ的にイエズス会=アホみたいにw 詭弁の例としては、 スメルジャコフが「ロシアの兵士が敵につかまって棄教を迫られた時、棄教してもOK!」ってのや、 大審問官の「お前(イエス)の教えを守るために大衆を支配する」みたいなの。 直接的にフョードルがスメルジャコフに向かって、 「「いや、お前はなかなかの詭弁家だぞ! なあ、イワン、こいつはきっとどこかでイエズス会の連中と付き合っていたんだぞ。 おい、悪習芬々たるイエズス会野郎め、お前は誰に教わったんだ」って言ってる。 他にもいっぱいあるけど(イワンの譫妄で出てきた悪魔が言ってた「懺悔室での行為」とか(エッチな事した、って言われてたw) でもただの悪口だけじゃない。大審問官の言う「博愛的な独善主義」とでもいうものだってある。 あと、ドストエフスキーのいうキリスト教は「魂の不死」や「罪の自覚」であって、 曲解して教義をへなちょこにするやつら(例えばその典型としてのイエズス会)とかに怒ってるって感じだと思う。 >582が言うようにイワンが改宗(?)するって結末は絶対ないと思う。それはヨブ記を大円団と言ってるようなもんだもんなw (それでもいいけんだけど、少なくともドストエフスキーのヨブ記はそうじゃない、って思う) イワンみたいなのは『悪霊』でもあったようにスタヴローギンみたいな死しかないんじゃないかなぁ? 私は元創価の会員でした。 すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、 自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、 学会本部に送っていました。 別に大したものは写っていません。ゴミ出しとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。 官舎が老朽化して使われなくなってから、 今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのに、 もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。 納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちるから、 朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ 馬鹿らしくなり脱会しました。 それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。 全部自分の出来心から起きたことで、どこに訴えるというわけにもいかないのですが、 なんとかしてあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 寝る前の飲酒は、何も虫歯だけじゃなく肝臓にも負担がかかって良くないよ。 俺は就寝の1時間前は絶対に飲まないようにしている。 逆に朝起きてから仕事に行く前の小一時間の間に俺は泡盛をちょこ半分を4、5銘柄と芋焼酎をちょこ半分を3銘柄くらい、 そして仕上げにコニャックの古酒をブランデーグラスに2杯飲んでから朝飯食って家を出ている。 電車の中で20分程度うとうとしていれば、着いた頃にはすっかり酔いも冷めて気分爽快。 やっぱり酒は晩よりも朝方に飲む方が良いね。 まあねただろうがまともな会社なら間違いなく即首だな! 学生時代ならあり得るかもだが? 濃い紅茶を飲み深夜に部屋の中を歩いて廻るのを習慣にするドストエーフスキースレ住人。 >>596 今日本屋によって立ち読みして一応買ってきた 内村鑑三って教育勅語の不敬事件の人なんだね 薄くて読み終えると思ったけど、文章が… 昔の日本人は文語で喋ってたのかと思うくらい日本語の理解が難しいw ダンテ神曲、ゲーテファウスト、シェイクスピアハムレット、遠藤周作沈黙なんかもヨブ記から構想ってあったけどそんなに多いんかね ヨブ記は人類最初の文学というくらいだけど 俺は、ヨブ記よりハバクク記の方が記憶にあるよ がっつり泣いた ヨブ記から構想というよりも、人間の根本的な自己解決の手段として 生まれた理由とその結末、約束について 誰しも求めうることだから たまたまヨブ記という記号が当てはめやすいだけだと思うね と思うのは、俺がたまたま一神教だ育ったせいなのかな 俺は知識がないし、イメージと曲解でしか話せないけど イワンは無神論者だよ 俺にとって、騙されているもの以外は、皆無神論者 騙されたいと思ってるものも無神論者 イワンは君達が言うように、より忠実に神と同一化を図ろうとしたのかもしれないけど 作為のなかで人間が成し得るものは常に独善であって 独善の理論に対して抵抗するべき、反知性が 人間の還るべきアダムであり 神のもとに、個人など存在しない と、考えるのは 俺が疲れているせいなのかな イメージでユダヤやエホバに共感してるけど ちゃんと勉強して、自分の振る舞い方も考え直した方がいいかなと 思った みんなすごく勉強してるね 真女神転生2のアスタロトの宮殿の話は、いい雰囲気だし、感動するし、泣ける。 笑えるまでプレイしたいゲームだ。 沖縄県石垣島の自宅に大麻を隠し持っていたとして、大麻取締法違反(所持)の罪で有罪判決を言い渡された元女優の高樹沙耶さんが10日、ツイッターを 更新し、ドイツとイスラエルの大学が発表したという「大麻に『脳の若返り効果』 英紙ガーディアンらが報道」という記事をリツイートした。 高樹さんがリツイートした記事はドイツとイスラエルの大学の研究チームが発表したというもので、大麻の有効成分の一つ、THCを少量かつ定期的な摂取 することで、脳機能の経年的劣化を防ぐ働きがあることを突き止めたというもの。 また、9日のツイッターには大麻の権威と呼ばれる専門家を招くティーパーティーの告知もリツイートしている。 そろそろ「カラマーゾフの兄弟」再読したくなって来た。 3度めの挑戦です。 >>613 カラマーゾフ。 「未完の小説」の続編を自己の手になる執筆か 自分の人生で完成したくなってくる頃? エロマーゾフの兄弟 eromazofu.com/ 無料エロ動画. ... 最新AV動画から素人、人妻、企画、個人撮影を中心に紹介!なんでもありの無料エロ動画を毎日更新しています! エロマーゾフの兄弟. 無料エロ動画. 【MM号】一人目最高!若葉のような新卒社会人が ・ 1 【MM号】一人目最高!若葉のような ... 前に買ってあった死の家の記録があった 買ったっきりだったから読んでみよ あなたはわしがたいへん楽しそうな顔をしておると言われたが、そう言っていただくほど、わしにとって嬉しいことはありませんわい。 なぜといって、人は幸福《しあわせ》のために創《つく》られた者ですからな。 じゃによって、本当に仕合わせな人は、『わしはこの世で神のおしえを果たした』という資格がある。 すべての正直な人、すべての聖徒、すべての殉教者は、みなことごとく幸福であったのですじゃ」 −−−−−−−−− こういったすばらしい言葉は、長老の教えの中に宝石のように散りばめられている ところで、こうした思想は、宗派など関係ないと考える 21世紀東アジア日本に住む我々にとって、ロシア正教もジェスイットもないのである。 かの時代に生きたドストが、現実のカトリックを批判し、正教による救いを夢見たとしても、それは 思想哲学としての優劣とは関係がないのである 宗教において大事なのは、カラマにおいて語られていくように、『民衆から遊離しないこと』であり、現実の人間の苦悩の諸課題にたいして、信仰は防波堤になるべきものである 自分の頭の中で明晰な言葉と論理で語れないが、俺の言わんとすることを汲み取ってほしい 「つまり何ですかな」 「わたくしの苦しみは……不信でございます……」 「神さまを信じなさらぬかな?」 「いいえ、違います、違います、そんな大それたことは考えもいたしません。 けれど来世――それが大きな謎でございます! これに対しては誰ひとり、誰ひとりとして答えてくれる者がございません! どうぞお聞きくださいまし。あなたはやまいを治す方、人の心を知りきって おいでの方でいらっしゃいます。 わたくしは、もちろん自分の申し上げることを残らず信じて いただこうなどという、大それた望みは持っておりませんけれど、 けっして軽はずみな考えで、ただいまこんなことを 申し上げるのではないことは、どこまでも立派に断言いたします。 ほんとにこの来世という謎のような考えが、苦しいほど、 恐ろしいほど、わたくしの心をかき乱すのでございます…… それだのに誰にこの苦しみを訴えたらよいか、生涯わたくしは 存じ及びませんでした……けれども今、わたくしは思いきって あなたにこれをお訴えいたします……。まあ、ほんとにあなたは、 このわたくしをどんな女だとお思いあそばすでございましょう!」 夫人は思わず手を打った。 −−−−−−−−− たいへんな長文引用だが、この質問に対する、ゾシマの指導は、極大重要なことが書いてあると、青春時代の俺は直覚したし、今もまったくその考えは変わらない 私はキリスト教に拘りつつも、入信することはずっと拒否している。 カトリックの人とは友人だからよく話をするし、この人たちと自分とは違う、という違和感が頭から離れないからです。 ゾシマ長老がアリョーシャに俗世へいざなったように、というと大仰かもしれないが、 自分のやるべきことがあるとしたらそれは俗世にあると感じています。 それも聖書の教えでは驕りになるかもしれないが……そういう自分なので、 イヴァンのことは杯を拒否しながら、その杯を地にたたきつけることも立ち去ることもできずに動けなくなっている人にみえる。 それを無神論人というのには違和感があるので、無神論人ではないといいました。 ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とイヴァンとは全く違いますからね。 解説書で見たことではないので私の誤解があるかもしれないが、ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とは神のありやなしやという問いに対してそもそも個人的意義を認めない人のことです。。 無神論をとなえるが無神論人ではない、というところはカラマーゾフにおけるイヴァンを語る切り口としてとても意義深い。 そしてそれが父殺しにイヴァンがスメルジャコフを要した要因であろうと私は思う。 イヴァンがごくごくまっとうな信仰をえていたか、それとも正真正銘の無神論人であれば父殺しは起こっていない。 イヴァンがその間にあって迷っていたから、スメルジャコフはその思想をすくいとって父殺しへと昇華させた。 だからこそイヴァンはスメルジャコフを憎悪していた。 自分の理解としてはそんなふうですね。 無神論人→無神論者 お酒入れてたので思い切りでつい書き込んでしまったね。 >>620 同じくそう思う 自分からみるとドストエフスキーは、例えばキルケゴールのように単独者である事を重要視したと思う 信仰とは神の前にただ一人として行うもの 生まれ死ぬ時が一人であるように ムイシュキン公爵のように神を信じつつ無教会主義であった立場を自分も同じくとってる 特定の団体からはその団体の意思に惑わされる そういう前提で考えると、 >>623 のいう通り、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合すると思うんだ >>624 >のいう通り、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合すると思うんだ わかりやすく >>625 カラマーゾフの兄弟でいう民衆とは教養もなく宗派なんて存在すら知らなかった階級になる 正教を善し他は邪教なんて概念すらない たまたま生まれ教わった宗教しか選択肢自体がない つまりカラマーゾフの兄弟の民衆にとって信じるか信じないしか神の問題でしかありえないんだ 何々教に入信するなんて言ってるのは教養や概念を知ってる人間がいった驕りでもあるとドストエフスキーは思ってると感じたんだ で、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合する で民衆と離れないと言うのは>>617 の方がわかりやすく説明してるよ >>626 民衆ってなんか一枚岩みたいにイメージしてないかな・・・ 民衆の信仰ってのも強制された時代だって理解しているのかな 強制移住によって異なる宗教を統制していたわけで 「死の家の記録」に出てくる、政府から改宗を迫られて教会に火を放った心優しい老人とか >たまたま生まれ教わった宗教しか選択肢自体がない すごく違和感のある意見だわ ロシアの民衆ってカトリックの支配地域だったりイスラム圏内だったり色んなとこから強制移住された歴史があって、 土着のロシア信仰なんてそれこそロシア統一のための想像的共同体のための作られた宗教なんだけど ロシア民衆なるアイデンティティを持つのってそういうピョートル大帝以来の目指すところだったわけで ばらばらの民族が宗教を統制されて、ロシアに同一化させられていくなかで反乱が細かいのいっぱい起こっている時代であって 生まれ教わった宗教、なんていう牧歌的なイメージはなんだか「自分の中の民衆」にひきつけていないかなぁ それに言いたい事はそこじゃないよ 「単独者」を重要視したんだって事 どっちの言い分もわかるけど 人間は自由すら生得するものだよ >>629 単独者になるって、言葉にするのはめんどくさいけど そんなに偉いことじゃないよね >>631 偉いかどうかでなくて自分のドストエフスキーの読書は単独者に行き着いたってだけで、解釈だから ではドストエフスキーの信仰は何だか意見をいってほしいしそもそも入信なんてないって言ったのは自分ではないよ そう言う意味で言ったと解釈して便乗しただけさ 君はどう解釈してるんだい? ドストエフスキーの信仰論を あ、ごめん 話の筋がよくわかんないけど 単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって 思いました 単独者になるのも 大審問官も 違わないんじゃないかなと 宗教は、どこから真でどこから偽なんてのは 神にしかわからないし 単独者にとっての神だって、まさか自分だけの神でもなかろう 自分だけのための神ではないものを自分で作り上げるって 勝手に他人を巻き込んでるだけだし 要するに箱庭のファンタジーだよね そんなものに救いを求めても人間は救われないですわ 人間を救う神は、奇跡を起こす神であって 信仰のあり方とか教義や管理方法なんてのは二の次で そんなものを中心に捉えてるのは 自分の正義と戦っているだけだよね 宗教戦争の火種になるだけ 100万くれる神がいるかどうかだけが問題だよ >>633 >宗教は、どこから真でどこから偽なんてのは 神にしかわからないし それを言ったら話自体が終わっちゃうよ もちろん宗教なんて神のみぞしる 絶対はないってのは何も言わなかったのと変わらない 自分には単独者になる事が集団であるより難しいと思うからこそ、独りになることこそカラマーゾフの兄弟のキリストのいう自由だと思った >単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって なんで違うと思ったのか、なら何が信仰なのか を出来れば言って欲しい >>635 >自分には単独者になる事が集団であるより難しいと思うからこそ、独りになることこそカラマーゾフの兄弟のキリストのいう自由だと思った よくわからないです >>635 >>単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって >なんで違うと思ったのか、なら何が信仰なのか >を出来れば言って欲しい 言ってあるよ 自分の神が自分だけの神ではないなら 信仰のあり方を独断したら 自己矛盾があるんじゃないかなあ >>637 ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟で聞いてます 何処でそう思ったのか、教えて欲しい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる