ロマン主義の主人公ハムレットというのは手垢のついた、つまらないイメージとされがちだけれども、そうではない
19世紀には世界の関節が外れてしまった(これはハムレットにある言葉)と同じく、「絶望の時代」とされていることをどれだけ重く見るか
小説が成立したのは後に「絶望」と称される「時代精神」に取り付かれた人々が、もはや政治参加やアジテーションで世界を変えることもできない時代

ハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」はこう続く
どちらが精神にとって高貴であるだろうか
to suffer slings and arrows of outrageous fortune, or to take arms against sea of troubles, and by opposing and end them.
to die: to sleep
シェイクスピアはドイツ人こそ理解できる、と言われた一時代がありました
ゲーテは「ウィルヘルム・マイスター」のことです
そして犯した罪に煩悶するハムレット的人物はそれぞれが面白い
もはやそれは原罪ではない、知識人の罪、合理主義による自然・人間搾取の罪がキリスト教的原罪の「かわりに」出現してくる
形而上学的ハムレットと絶望の時代のハムレットは、20世紀前半のハムレット像と19世紀前半のハムレット像を区別して読解する

直接的な影響関係の有無という瑣末な観点ではなく、類似する状況、時代背景、思考を支配する「力の場」において比較すること
「キルケゴール」の絶望はどのような世界背景をもとにしたものか、「あれかこれか」という言葉は19世紀小説で繰り返される
キルケゴールが、オーストリア作家ネストロイに触れていることなど同じ問題圏に生きているからこそキルケゴールを19世紀小説の読解に使いうる
ハムレットにおいても「oder entweder」であり、これもまたロマン派においても頻出する

「力の場」はアドルノの言葉から。「絶望の時代」もアドルノ。
ハムレットは「関節をはずしてしまい、正すべきでありながら王位はいずれ手に入ること、関節の外れた世界で王位を継ぐことと関節を正すこと」
The time is out of joint. O Cursed fate, I was born to set it right!
罪業をうちに秘めてもいるのだけれど、「罪を犯した記憶」で生きるべきか死ぬべきかを苦悩する主人公は別の19世紀小説の主人公

基本的に暗記している台詞の引用なので細かく正確ではない