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>>586
イワンがイエズス会に影響してるのではなくて
イワンが大審問官を通してイエズス会みたいな
個性を否定する当時のまるで西ローマの宗教を
受け継いだ事を皮肉ったんだよ
イワンの苦痛は神の有無より、神の創った世界
の是非と容認にある
神の有無はフョードルの方がこだわってたと思
うよ 何度もアリョーシャに尋ねたりとか
ようはヨブ記の比喩でもあってこの世の理不尽
と神がそれを介入しない事に納得ができないと
だけど大審問官はただのキリスト賛美なんだけどね >>589
もし神がいるなら
個人に是非も容認もする権利はないんじゃないかと思うけど >>589
イエズス会士の霊操っていう本を読むと、いかにドストエフスキーと近いかわかる
あれは、神と法悦エクスタシーのもとでいかに同一化するかを体操のように教育課程を踏んで学んでいく教本
カトリックやバチカンなどよりも神との合一を重視する異端だからこそカトリックから追放されまくる
そもそもバチカンに閉じこもってカトリックの教義改造しまくっていた時代だということ理解しているのかね
ある種の君主や、現実に圧制にあえぐ辺境では異常な信仰を得る
追放された国では、追放した側がプロパガンダで色々言う、その陰謀=ジェズイットってイメージもまたドストエフスキーのインスピレーションなわけ
イエズス会なしにアリョーシャは書かれることはない
くっそつまらない、イメージだけでドストエフスキーの敵対者=サタン扱いする読解はもったいない、と思うが説教くさくなりすぎるか
キリスト教なんてドストエフスキーの時代の数十年前に根本的に変わっているのに突然旧約とかと同一性を見出して無批判に接合するのは詰まらん読み方だと思う
背景も知らずに作家を時代から孤立した天才扱いするの嫌いなもんで >>590
神がいるなら人間に是非の権利はないだろうね
でも肯定も出来ず否定も出来ないイワンは苦痛
でしかないだろう
権利はなくとも是非は精神の問題で葛藤を持っ
て苦痛するしかない >>591
面白そうな本だね
当時のカトリックが教義を体制と一致するよう
にしてるのは分かってるよ
ヨブ記についてはカラマーゾフの兄弟そのもの
についてであって箇所を限定はしてい
ドストがヨブ記を読まなければカラマーゾフの
兄弟はなかったと、言い過ぎだけど >>591
俺がカトリックが嫌いでエホバが好きなのと似てる気がする <<568
んー……まだ半分も読んでいないのでなんともだが、ヨブ記を解説する本としてはヨブ記講演は不十分な気がするかな。
しかしヨブ記を解説するなら独特にならざるをえないでしょうね。
ヨブ記を小説としてとらえるなら神よなぜ私を捨てたもうかを問うドラマであり、ヤハウェがおんみずから人の前にでてもその答えは提出されることがない。
そういう理不尽をどのような切り口から筋道だって語ったとしても、それだけでは人を説得する力は持たないんじゃないかと。
福音書にもあるように、人が信仰を勝ち取るのではなく、神によって選ばれるのですから、そこに理由を求めても正解はでないだろうと私は思いますね。 ロシアでは1820年にイエズス会士追放令があった。
ドストエフスキーの周りにはイエズス会士は居なかった。
カラマーゾフの中でイエズス会ってのは“詭弁家”とか悪口で使われてる。(ステレオタイプ的にイエズス会=アホみたいにw
詭弁の例としては、
スメルジャコフが「ロシアの兵士が敵につかまって棄教を迫られた時、棄教してもOK!」ってのや、
大審問官の「お前(イエス)の教えを守るために大衆を支配する」みたいなの。
直接的にフョードルがスメルジャコフに向かって、
「「いや、お前はなかなかの詭弁家だぞ! なあ、イワン、こいつはきっとどこかでイエズス会の連中と付き合っていたんだぞ。
おい、悪習芬々たるイエズス会野郎め、お前は誰に教わったんだ」って言ってる。
他にもいっぱいあるけど(イワンの譫妄で出てきた悪魔が言ってた「懺悔室での行為」とか(エッチな事した、って言われてたw)
でもただの悪口だけじゃない。大審問官の言う「博愛的な独善主義」とでもいうものだってある。 あと、ドストエフスキーのいうキリスト教は「魂の不死」や「罪の自覚」であって、
曲解して教義をへなちょこにするやつら(例えばその典型としてのイエズス会)とかに怒ってるって感じだと思う。
>582が言うようにイワンが改宗(?)するって結末は絶対ないと思う。それはヨブ記を大円団と言ってるようなもんだもんなw
(それでもいいけんだけど、少なくともドストエフスキーのヨブ記はそうじゃない、って思う)
イワンみたいなのは『悪霊』でもあったようにスタヴローギンみたいな死しかないんじゃないかなぁ? 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組みの官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミ出しとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのに、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちるから、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなり脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心から起きたことで、どこに訴えるというわけにもいかないのですが、
なんとかしてあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 寝る前の飲酒は、何も虫歯だけじゃなく肝臓にも負担がかかって良くないよ。
俺は就寝の1時間前は絶対に飲まないようにしている。
逆に朝起きてから仕事に行く前の小一時間の間に俺は泡盛をちょこ半分を4、5銘柄と芋焼酎をちょこ半分を3銘柄くらい、
そして仕上げにコニャックの古酒をブランデーグラスに2杯飲んでから朝飯食って家を出ている。
電車の中で20分程度うとうとしていれば、着いた頃にはすっかり酔いも冷めて気分爽快。
やっぱり酒は晩よりも朝方に飲む方が良いね。 まあねただろうがまともな会社なら間違いなく即首だな!
学生時代ならあり得るかもだが?
濃い紅茶を飲み深夜に部屋の中を歩いて廻るのを習慣にするドストエーフスキースレ住人。 >>596
今日本屋によって立ち読みして一応買ってきた
内村鑑三って教育勅語の不敬事件の人なんだね
薄くて読み終えると思ったけど、文章が…
昔の日本人は文語で喋ってたのかと思うくらい日本語の理解が難しいw
ダンテ神曲、ゲーテファウスト、シェイクスピアハムレット、遠藤周作沈黙なんかもヨブ記から構想ってあったけどそんなに多いんかね
ヨブ記は人類最初の文学というくらいだけど 俺は、ヨブ記よりハバクク記の方が記憶にあるよ
がっつり泣いた ヨブ記から構想というよりも、人間の根本的な自己解決の手段として
生まれた理由とその結末、約束について
誰しも求めうることだから
たまたまヨブ記という記号が当てはめやすいだけだと思うね と思うのは、俺がたまたま一神教だ育ったせいなのかな 俺は知識がないし、イメージと曲解でしか話せないけど
イワンは無神論者だよ
俺にとって、騙されているもの以外は、皆無神論者
騙されたいと思ってるものも無神論者
イワンは君達が言うように、より忠実に神と同一化を図ろうとしたのかもしれないけど
作為のなかで人間が成し得るものは常に独善であって
独善の理論に対して抵抗するべき、反知性が
人間の還るべきアダムであり
神のもとに、個人など存在しない
と、考えるのは
俺が疲れているせいなのかな イメージでユダヤやエホバに共感してるけど
ちゃんと勉強して、自分の振る舞い方も考え直した方がいいかなと
思った
みんなすごく勉強してるね 真女神転生2のアスタロトの宮殿の話は、いい雰囲気だし、感動するし、泣ける。
笑えるまでプレイしたいゲームだ。 沖縄県石垣島の自宅に大麻を隠し持っていたとして、大麻取締法違反(所持)の罪で有罪判決を言い渡された元女優の高樹沙耶さんが10日、ツイッターを
更新し、ドイツとイスラエルの大学が発表したという「大麻に『脳の若返り効果』 英紙ガーディアンらが報道」という記事をリツイートした。
高樹さんがリツイートした記事はドイツとイスラエルの大学の研究チームが発表したというもので、大麻の有効成分の一つ、THCを少量かつ定期的な摂取
することで、脳機能の経年的劣化を防ぐ働きがあることを突き止めたというもの。
また、9日のツイッターには大麻の権威と呼ばれる専門家を招くティーパーティーの告知もリツイートしている。 そろそろ「カラマーゾフの兄弟」再読したくなって来た。
3度めの挑戦です。 >>613
カラマーゾフ。
「未完の小説」の続編を自己の手になる執筆か
自分の人生で完成したくなってくる頃? エロマーゾフの兄弟
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買ったっきりだったから読んでみよ あなたはわしがたいへん楽しそうな顔をしておると言われたが、そう言っていただくほど、わしにとって嬉しいことはありませんわい。
なぜといって、人は幸福《しあわせ》のために創《つく》られた者ですからな。
じゃによって、本当に仕合わせな人は、『わしはこの世で神のおしえを果たした』という資格がある。
すべての正直な人、すべての聖徒、すべての殉教者は、みなことごとく幸福であったのですじゃ」
−−−−−−−−−
こういったすばらしい言葉は、長老の教えの中に宝石のように散りばめられている
ところで、こうした思想は、宗派など関係ないと考える
21世紀東アジア日本に住む我々にとって、ロシア正教もジェスイットもないのである。
かの時代に生きたドストが、現実のカトリックを批判し、正教による救いを夢見たとしても、それは
思想哲学としての優劣とは関係がないのである
宗教において大事なのは、カラマにおいて語られていくように、『民衆から遊離しないこと』であり、現実の人間の苦悩の諸課題にたいして、信仰は防波堤になるべきものである
自分の頭の中で明晰な言葉と論理で語れないが、俺の言わんとすることを汲み取ってほしい 「つまり何ですかな」
「わたくしの苦しみは……不信でございます……」
「神さまを信じなさらぬかな?」
「いいえ、違います、違います、そんな大それたことは考えもいたしません。
けれど来世――それが大きな謎でございます!
これに対しては誰ひとり、誰ひとりとして答えてくれる者がございません!
どうぞお聞きくださいまし。あなたはやまいを治す方、人の心を知りきって
おいでの方でいらっしゃいます。
わたくしは、もちろん自分の申し上げることを残らず信じて
いただこうなどという、大それた望みは持っておりませんけれど、
けっして軽はずみな考えで、ただいまこんなことを
申し上げるのではないことは、どこまでも立派に断言いたします。
ほんとにこの来世という謎のような考えが、苦しいほど、
恐ろしいほど、わたくしの心をかき乱すのでございます……
それだのに誰にこの苦しみを訴えたらよいか、生涯わたくしは
存じ及びませんでした……けれども今、わたくしは思いきって
あなたにこれをお訴えいたします……。まあ、ほんとにあなたは、
このわたくしをどんな女だとお思いあそばすでございましょう!」
夫人は思わず手を打った。
−−−−−−−−−
たいへんな長文引用だが、この質問に対する、ゾシマの指導は、極大重要なことが書いてあると、青春時代の俺は直覚したし、今もまったくその考えは変わらない 私はキリスト教に拘りつつも、入信することはずっと拒否している。
カトリックの人とは友人だからよく話をするし、この人たちと自分とは違う、という違和感が頭から離れないからです。
ゾシマ長老がアリョーシャに俗世へいざなったように、というと大仰かもしれないが、
自分のやるべきことがあるとしたらそれは俗世にあると感じています。
それも聖書の教えでは驕りになるかもしれないが……そういう自分なので、
イヴァンのことは杯を拒否しながら、その杯を地にたたきつけることも立ち去ることもできずに動けなくなっている人にみえる。
それを無神論人というのには違和感があるので、無神論人ではないといいました。
ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とイヴァンとは全く違いますからね。
解説書で見たことではないので私の誤解があるかもしれないが、ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とは神のありやなしやという問いに対してそもそも個人的意義を認めない人のことです。。 無神論をとなえるが無神論人ではない、というところはカラマーゾフにおけるイヴァンを語る切り口としてとても意義深い。
そしてそれが父殺しにイヴァンがスメルジャコフを要した要因であろうと私は思う。
イヴァンがごくごくまっとうな信仰をえていたか、それとも正真正銘の無神論人であれば父殺しは起こっていない。
イヴァンがその間にあって迷っていたから、スメルジャコフはその思想をすくいとって父殺しへと昇華させた。
だからこそイヴァンはスメルジャコフを憎悪していた。
自分の理解としてはそんなふうですね。 無神論人→無神論者
お酒入れてたので思い切りでつい書き込んでしまったね。 >>620
同じくそう思う
自分からみるとドストエフスキーは、例えばキルケゴールのように単独者である事を重要視したと思う
信仰とは神の前にただ一人として行うもの
生まれ死ぬ時が一人であるように
ムイシュキン公爵のように神を信じつつ無教会主義であった立場を自分も同じくとってる
特定の団体からはその団体の意思に惑わされる
そういう前提で考えると、
>>623
のいう通り、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合すると思うんだ >>624
>のいう通り、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合すると思うんだ
わかりやすく >>625
カラマーゾフの兄弟でいう民衆とは教養もなく宗派なんて存在すら知らなかった階級になる
正教を善し他は邪教なんて概念すらない
たまたま生まれ教わった宗教しか選択肢自体がない
つまりカラマーゾフの兄弟の民衆にとって信じるか信じないしか神の問題でしかありえないんだ
何々教に入信するなんて言ってるのは教養や概念を知ってる人間がいった驕りでもあるとドストエフスキーは思ってると感じたんだ
で、信仰に入信などないともいえるけどね結局は そしてそれがドストエフスキーの民衆と離れない事を言ったカラマーゾフの兄弟と符合する
で民衆と離れないと言うのは>>617の方がわかりやすく説明してるよ >>626
民衆ってなんか一枚岩みたいにイメージしてないかな・・・
民衆の信仰ってのも強制された時代だって理解しているのかな
強制移住によって異なる宗教を統制していたわけで
「死の家の記録」に出てくる、政府から改宗を迫られて教会に火を放った心優しい老人とか
>たまたま生まれ教わった宗教しか選択肢自体がない
すごく違和感のある意見だわ
ロシアの民衆ってカトリックの支配地域だったりイスラム圏内だったり色んなとこから強制移住された歴史があって、
土着のロシア信仰なんてそれこそロシア統一のための想像的共同体のための作られた宗教なんだけど
ロシア民衆なるアイデンティティを持つのってそういうピョートル大帝以来の目指すところだったわけで
ばらばらの民族が宗教を統制されて、ロシアに同一化させられていくなかで反乱が細かいのいっぱい起こっている時代であって
生まれ教わった宗教、なんていう牧歌的なイメージはなんだか「自分の中の民衆」にひきつけていないかなぁ それに言いたい事はそこじゃないよ
「単独者」を重要視したんだって事 どっちの言い分もわかるけど
人間は自由すら生得するものだよ >>629
単独者になるって、言葉にするのはめんどくさいけど
そんなに偉いことじゃないよね >>631
偉いかどうかでなくて自分のドストエフスキーの読書は単独者に行き着いたってだけで、解釈だから
ではドストエフスキーの信仰は何だか意見をいってほしいしそもそも入信なんてないって言ったのは自分ではないよ
そう言う意味で言ったと解釈して便乗しただけさ
君はどう解釈してるんだい?
ドストエフスキーの信仰論を あ、ごめん
話の筋がよくわかんないけど
単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって
思いました
単独者になるのも
大審問官も
違わないんじゃないかなと
宗教は、どこから真でどこから偽なんてのは
神にしかわからないし
単独者にとっての神だって、まさか自分だけの神でもなかろう
自分だけのための神ではないものを自分で作り上げるって
勝手に他人を巻き込んでるだけだし
要するに箱庭のファンタジーだよね
そんなものに救いを求めても人間は救われないですわ 人間を救う神は、奇跡を起こす神であって
信仰のあり方とか教義や管理方法なんてのは二の次で
そんなものを中心に捉えてるのは
自分の正義と戦っているだけだよね
宗教戦争の火種になるだけ
100万くれる神がいるかどうかだけが問題だよ >>633
>宗教は、どこから真でどこから偽なんてのは
神にしかわからないし
それを言ったら話自体が終わっちゃうよ
もちろん宗教なんて神のみぞしる
絶対はないってのは何も言わなかったのと変わらない
自分には単独者になる事が集団であるより難しいと思うからこそ、独りになることこそカラマーゾフの兄弟のキリストのいう自由だと思った
>単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって
なんで違うと思ったのか、なら何が信仰なのか
を出来れば言って欲しい >>635
>自分には単独者になる事が集団であるより難しいと思うからこそ、独りになることこそカラマーゾフの兄弟のキリストのいう自由だと思った
よくわからないです >>635
>>単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって
>なんで違うと思ったのか、なら何が信仰なのか
>を出来れば言って欲しい
言ってあるよ
自分の神が自分だけの神ではないなら
信仰のあり方を独断したら
自己矛盾があるんじゃないかなあ >>637
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟で聞いてます
何処でそう思ったのか、教えて欲しい >>636
大審問官で審問官が奇跡、神秘、権威で信仰させる事を述べる つまり従属がみんなの幸福でしょって言った
弱い人間が多いからみんな同じく同じ方法がイイよね
裏を返せば反対は個人で自由意思を持つ事の皮肉
→単独者がイイよね
で自分は独りであること自由意思を持つことがいいと思った カラマーゾフの兄弟に沿っていうとね むむ?
話が見えない
良いとか悪いとかが
どんな判断で言ってるのか 589 名前:名無しさん@そうだドライブへ行こう [sage] :2017/05/14(日) 21:22:13.91 ID:PPT0GTGY
>>586
年収は1500万円以下になったことはない
その程度
それって富裕層なのか? なかなかの裕福層だね
貧困は、味合わないとわからないわな 903 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2017/05/14(日) 21:22:13.91 ID:PPT0GTGY
俺、年収1500万円以下になったことはない
その程度の生活水準だよ
それって富裕層なのか?
どう考えても、普通だよな >>640
何が分かってて何が分からないの?
漠然と話が見えないって言われても
すごーく単純に言えば、簡素に出来ないところを、
大審問官の話は悪とするとその反対は善になる
大審問官をどういうふうにより多くの人を従属させるか、って話
じゃあその反対は自由である
自由とは自由意思を思った個人であること
もうこれ以上は砕いて話せない 話が見えづらくなってきたが……私は633の人の言い分はよくわかりますね。
神の前に一人で立つことと、入信をしないことは近いようだがイコールではない。
信仰とはかみ砕いてしまえば徹底して信じることです。
信仰はするが教会には入らない。本来それを血肉にしている人達の中にまじって学ぶことをしない。
それでいて信仰はあるとは私は言い切れない。言い切ればそこに欺瞞があり、それが私自身の大きな弱点です。
信仰を持つなら教会に入る。それが自然な筋道で、アリョーシャが僧院へと行きついた道でもある。
結局ゾシマ長老にいざなわれて出てしまいますけどね。
644さんはキルケゴールの著作への理解からそういうところに至ったのだろうけど、ちょっと語弊があるんじゃないかな。 >>645
はい。
話は逸れるけど、
やっぱり俺は大審問官の話は、キリスト教と教会そのもののことだと思いますわ >>645
言いたいことはよく分かるよ
信仰を持つなら教会に入る。これは最もだ
でも、ここはドストエフスキーのスレッドであって一般論ではないのではないか
ならば例えばムイシュキンに言わせたセリフで
「カトリックは無神論より悪い」
悪霊で、「無神論者は信仰の手前」
なんでこんな事を言わせたのか
ゾシマだってさえあんなに信仰信仰いっても教会に入れとは言わないのか
オレは盲目的な疑問すら「最初から持たない」信者をドストエフスキーは否定してるとしか読めなかった
立ち止まって考えろ、そして自由意思で信仰を選べ!
と解釈してる >>646
話がみえない なんで?
君がやってるのはこう言うことだよ
なんで教会そのものなの?どこのセリフ? 自分はここで話ことはすべてドストエフスキーの解釈についてが前提にある そして主観を話している
従属集団で同じものを目指すことは悪ではないよ
必ずしも自由が尊いとは思ってない
自由ほど苦痛なものはなく幸福から遠ざかる厄介な選択もないと思う現実で
だけどドストエフスキーの話であり
そして解釈なんだよ
カラマーゾフの兄弟や罪と罰でも白痴でも、盲目的になる事を推進してるとは読めなかった
意思が自由に必要な要素にしか読めなかった
違うならそれも尊い意見であり是非聞きたい
でも具体的にそしてドストエフスキーに沿って意見をいって欲しい ひつこくして申し訳ないけど >>647
あのさ、ドストエフスキーのたくさんの登場人物から都合のいい人物を選んで「ドストエフスキーはこう言っている!」と言っても説得力がないよ
白痴で言えば、カトリックは無神論よりも・・・と言っているのはかなり政治的・愛国的な場面でしょう
われわれが維持してきたわれわれのキリストをー彼らの今まで知らなかったわれわれのキリストを、西欧文明に対抗して輝かさなくてはなりません
ここで言っているのは実存主義的なキリスト教観ではないよ
ムイシュキンは教皇首位権のことを言っていて、ロシア正教を擁護している
ロシア正教はそもそも教皇首位権を持たないからね
彼によれば社会主義もカトリックのこの思想の産物となる
それこそ「誇張」なわけで。ドストエフスキーが言ったわけではない
大法官のエピソードは自由意志を持たない信者を排除する、という読みにも言いたいことはあるんだけど、白痴のその文章とくっつけてしまうのはよくないよ 最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情はもてあそばれ、何もかも、何もかもが、金と変わり、卑しい地上の権力と化したのです。
これもムイシュキンの発言だけどさ、カラマゾフの信仰を疑わない者はだめだ、っていう読みとは真っ向から対立するよね
ちなみにこれは西欧の民衆であってロシアの民衆についてではない
ロシアの無神論者になる人は特殊な人であって、「白痴」においてはロシアの民衆は「根っこをなくしていない」人でしょう
なんかいろいろごったまぜにされると、「俺はこう読んだんだ!」と声の大きい人が居座っているだけで会話が通じてない >>651
話を広げ過ぎたのは間違いだった
余計なことと都合よくしたのは分かってる実は
ドストエフスキーの作品は盲目的信仰について否定する文章の箇所が、たくさんある。って言いたかった
なんで信仰信仰直接言わないのか
例えばトルストイなんかは最も直接いう
って余計な話をしてるけど
話を戻す
審問官の単独者であれって言った意見だけど、自由をメインで話してると思うから自由意思と個にこだわった 何が疑問? >>652
こう思った以外にレスする意味はなんなの
意見なんて主観以外に何もないと思うけど ドストエフスキーの時代は「ロシア正教」という教会組織が国家運営され、最も腐敗していた時代でしょう
それに対してカトリックの特に「国家権力の上に立つ」という側面を批判するドストエフスキーの一面がある
社会主義・平等主義に対してもカトリックのこの思想に基づく、というドストエフスキーの一面があり、
その社会主義も暴力になる、という側面があり、
そもそも国家を廃棄しようとするアナキズムの側面があり、
なかにはカトリックやイエズス会をいろんなイメージで
それでもロシア正教という世俗人がトップに立つ組織をカトリックに比べると擁護している一面もある
そもそも彼の人生の間に宗教改革が進んでいるので、作品間を無批判に同じ書かれ方がしているとみなすのも問題
そんな事は分かってるよ、と言いたいのならもう言えることはない >>652
>最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情はもてあそばれ、何もかも、何もかもが、金と変わり、卑しい地上の権力と化したのです。
>これもムイシュキンの発言だけどさ、カラマゾフの信仰を疑わない者はだめだ、っていう読みとは真っ向から対立するよね
どこに教会賛美の意味で言ってるの?
信仰を否定してるんでなくドストエフスキーはキリスト賛美で組織賛美はどこにあるの?
賛美でなくてただの土壌主義でしょ >>656
> >>652
> >最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情は
これは君の言う「信仰を疑わない」民衆を賛美しているでしょう?
なんつーか、君とレスするの疲れるし、実りがない >>657
ドストエフスキーの社会的な主義の批判と肯定について元々話してないんだよ 国家がどうとか
噛み合うわけないじゃん
信仰の個と集団について話してたんだけど
言い訳すれば噛み砕いて言ったのが間違いだった
直接言えるほど簡単じゃあない
657の意味がわかんない それは自分のレスじゃないよ >>648
あ、なんか誤解してるっぽいけど
俺はこんな感じで
改行入れながら話してるやつだけど
俺は普段の俺の気持ちしか話してないのですよ
だから、君が誤読してるとか思ってなくて
煽ってるわけでもないですよ >>660
それは悪かったね 申し訳ない本当
そう思った。言ってたなら自分の勘違いだった
また問題になりそうだけど言っとくと、読書なんて他人の思考を覗いてるに過ぎない
この人はこう書いてる、で終わったら読んだだけになってると思う 読んでこう思った、または読みながら何を思った、読む前から前提をもって読んでた、みたいな主観読書ってのを重要視してる
人間は自分の思想に基づいて思考したことにこそ意味があると思う 価値もある
色々考えてねれなくなったw
もう寝なきゃなのに 今あなたは、わたくしをどんな女だとお思いあそばすでしょう!」と夫人は思わず手を打った。
「わしの思わくなぞ はばかることはありませんじゃ」と長老は答えた。
「わしはあなたの悩みが真心から出ていることをまったく信じきっておりますでな」
............ 略 .............
どうしたら証明ができましょうか、どうしたら信念が得られましょうか? わたくしはまったく ふしあわせ なのでございます。
「それは疑いもなく死ぬほどつらいことですじゃ! しかし、このことについて証明ということはしょせんできぬが、信念をうることはできますぞ」
「どうして? どういう方法なのでございます?」 >>647に
>オレは盲目的な疑問すら「最初から持たない」信者をドストエフスキーは否定してるとしか読めなかった
>立ち止まって考えろ、そして自由意思で信仰を選べ!
>と解釈してる
こうあって、この647に返信していたんだけど、あなたはそれに返信してきてたわけ
>657の意味がわかんない それは自分のレスじゃないよ
647でないんだったら657に意味不明な言いがかり(656)をつけずにすっこんでてください
なんかほんとに会話が通じない・・・
なんで他人に対するレスに自分から突っ込んどいて意味が分からないとかほざきだすかね・・・ もう最初からレスされること自体が嫌なら不特定多数がある所で何も言わなければいい
会話が成り立たないと思うなら、成り立つと思う人とだけ話してればいいのに
そんなのわざわざ言葉する人って結局煽ってるとしか見れないし 結局他スレでもいる荒らしと同じだね
2chの掲示板て不特定多数を文句いってもしょうがないのに 無神論:広義には、また歴史的には「一神教におけるような唯一絶対の造物主を認めない立場」を指す。
(ゆえに仏教は無神論だ!宗教じゃない!!ってのあるよな。世界三大宗教っていうとユダヤ教、キリスト教、イスラム教で仏教ははいらないとか)
狭義には、「神もしくはその他の類似の名前の付いた、人間や自然を超えた存在すべてを認めない立場。(wikiより
※西洋においてこの“無神論”ってのはとてもナイーブだ。今でも血も涙もない冷酷な奴とか、基地外って意味で使われることもある。
また無神論=アカ(共産主義)!って言われた時代もあった。
無宗教:特定の宗教を持たない人。でも宗教的行事はOK!(宗教ってイメージ抜きにクリスマス、初詣、お盆にハロウィーン祝ってる俺らに多いw)
無宗教は置いといて、ドストエフスキーにおける無神論は無神論=社会主義ぐらいに用いられている。
(雲の上にジョニーデップ似やパンチのおっさんが居る、といったファンタジーは置いておく) おれらだと入信とか帰依とか菩提心とか発心とか色々いうけど、キリスト教においては“契約”っていうんだ。
この契約って概念がちょっとつかみずらい(日本のキリスト者でも入信って言うやついるからなw
契約って足かせって意味じゃない。一義的にはとても良い意味で、“特別な関係”になったって意味(たとえば結婚ね
神と私の二者間における特別な関係=契約って図式がある。
自由:「freedom」と「liberty」両方とも々“自由”って言葉なのはどうなんだろ?っていつも思う。
意味の違いは頭の片隅に置いておいた方が良いと思う。 http://www.accessjournal.jp オリエンタルランド&2006/09/05・2012/08/14・2014/11/28の記事
バター犬 六反田(イクスピアリにあるトルセドールの元バーテン・共依存のサイコパス・ガリ)の罪
名誉毀損罪
強要罪
逮捕罪
窃盗罪
労働基準法第24条違反
労働基準法第89条違反
村意識の固まりのベタベタグチュグチュダラダラ基地外骸骨ひょろい腰抜け野郎wみんなでみんなでラリラリラ〜w
以前働いていたブライトンホテルのマートレットwやイクスピアリのトルセドールw酒BAR版にも曝されてま〜すw
あちこちで曝されてる異常性格者・共依存サイコパス。元祖ブラックアルバイトw
マトモな事は何一つ出来ないやってない生活破綻者w
へたれもやしw喧嘩も出来ねえチキン野郎w
チビにびびり裏でコソコソ差し障りなく内弁慶べたたんだ差し障りなくぐじゅお 上のほうでアインシュタインも神を信じてたって言ってたけど、
死って誰も経験したことないけど、見たり聞いたりして誰でも死ぬことを確信できるじゃん?
つまり思弁的に神ってのはたどり着けるんじゃないかな?とも思う。
「私は不信の子です」(ドスト談)
カオスは嫌いじゃないwむしろ大好きだw
疑え!疑え!!もっと疑え!疑い続ければドストエフスキーは全部受け止めてくれる。(その上もっと大きな力で跳ね返してくれるで!! アインシュタインは疑わないんだなw
どれくらいすごい人なのかわからんのにw 神に辿り着くってのは知性や理性や知識によってではないのかも知れないね
そのどのくらいか分からないアインシュタインでさえ4次元が限界で神の証明は出来なかった
世界が何次元で創られてるか分からないのにオレなんて3次元すらあやういw
存在を論理で証明出来そうもないなら受け入れとけってのも一つの方法かも知れない
ブラッドリーだったか凄く曖昧だけど、
神を信じるってのはズボンのジッパーが開いてる時に締めるかどうかのかの問題と言った
意外と自然なことかも知れない
ただ考え抜く!ってのは必要条件だろうけど 日本人が西洋の神の概念なんて理解出来ないだろ当時の宗教の背景が複雑すぎるわ >>672
>当時の宗教の背景が複雑すぎるわ
当時の宗教の背景なんて、しょせん理解できないと
それどころか、今から30年前の日本人の空気感が、今の10代に理解できるだろうか?
自分でも、適切なこと書けてるかわかんないけども。
たとえば鎌倉新仏教の祖師たちが、どういうプロセスを経て、開宗するにいたったか、
私たちがそれを知るとしても、文献によって知るのみ。そこに書いてあることを、信じて受け入れる
同じく、19世紀ロシアの信仰について考えるとき、ドストという信ずるに足る存在に懸けて、その眼(まなこ)で考えたらいいのだ
神のことを考えるためには、一人の生命の森厳を見極めゆくドストという師についていけばいいのだ
あたかもダンテがウェルギリウスに導かれて三界を巡るがごとく アインシュタインが神がいるって言ってるのはポーズだよ
欺瞞を欺瞞と見抜けないと宗教は語れないよ
ちな、ドストエフスキーもニーチェも欺瞞ですからね https://www.amazon.co.jp/アインシュタイン、神を語る-新装版-ウィリアム・ヘルマンス/dp/4875024649
これでしょ?
15年以上前に高校生の頃よんだわ
こういうのはポーズ
しっかりしてよ 何で表面ばかり気にするの
じゃあニュートンでもいいよ
この際言いたかった事は天才ですら証明出来ない事を論理で説明出来ないよね、ってのが言いたいだけ
アインシュタインに聞いてもないだから欺瞞とどうやって決めるのか
言葉ばかりつまむんでると思うけど >>677
>何で表面ばかり気にするの
世の中、天才が証明できないものだけが信じ得ないわけじゃないんだけどなあ
関係ないけど
いかに神を見つけるかは
ドストエフスキーじゃなくて、ラーゲルクヴィストを読んだらいいよ 理系が神を否定しているという前提に立つから話が噛み合わなくなる
理系でも数学の証明なんかを通して神がいると考える人はたくさんいるよ
その神がキリストやイスラムの神かどうかは別として 証明なんてのは、好きにすればいいわけで
世の中に必要なのは
なぜ人は神を求めるのか、という理解であって
健康や貧困や離別について
政治的な判断と
私的な優しさを持つことですわ
自己欺瞞の対決に真剣になってもいいけど
もう少し俯瞰してみることもお勧めするよ
んじゃあ
俺はこの辺で
楽しかったです >>678
出来ないものを信じ得ないわけじゃない、ってよく理解出来ないけど、勘違いしてない?
神の問題は知能で数学とは別って言ってるだけでアインシュタインが無神論者だったらそれを言えばいいだけじゃんね
どっかの本で読んだだけで間違いならそれで認めるし感謝するよ アインシュタインの事は知らないよ
論理で証明出来ないね、ってこと 「論理」で
猿のオレが数字を示してもニュートンにとっくに越されてる
だから論理外に神の問題はあるのか?って問いで天才しか知り得ないと言ってない、むしろ反対なんだけど
勘違いでないないなら悪いけど >>675
> アインシュタインが神がいるって言ってるのはポーズだよ
> 欺瞞を欺瞞と見抜けないと宗教は語れないよ
>
> ちな、ドストエフスキーもニーチェも欺瞞ですからね
その本を読んだことがないけども。 なぜ あなたは「ポーズ」「欺瞞」と感じたの? 批判が多くあるだろうけど、ヨブ記がを構想としたっって本でよく見つけるだけれど、世界最初の文学だかってのもあるだろうけど多いと思うんだ
ファウスト ゲーテ、 神曲 ダンテ、 ハムレット シェイクスピア、カラマーゾフの兄弟他にも遠藤周作の沈黙とかもそうらしい
どれもこの世の不条理に嘆くようなとこをはヨブに似ていると感じる
もし真なら、ヨブ記はそんなに物書くとき魅力的なないようなのかな
ここの人って聖書詳しい人いるよね
ヨブ記に詳しいかたは教えて下さい
出来ればカラマーゾフの兄弟とヨブ記の関係 天才は狂信者か極端な唯物論じゃがおおい
アインシュタインもニュートンもしかり 自信がないからスルーしてたが、一日もレスがないとは…酒が入っているので至らないところは寛容な心でご容赦ください。
カラマーゾフに絡めてヨブ記と、ヨブ記を解説した本をいくつかつまんだだけの人間の意見としていうと、ヨブ記は聖書中の書物としてはかなり特異です。
なにしろ、神が悪魔に人を差し出し、悪魔が人を試みるという理不尽きわまる筋書きなのだから、聖書のなかにこんな記述があるだけでも、予備知識のない人にとっても興味をそそられるでしょう。
その部分はゲーテのファウストに、なんだろうな、まあ、きれいにオマージュされていますが、
それと、4人の論者が次々とあらわれてヨブと意見を戦わせる、その対決を通して神のつくりたまいし世界、ひいては神を見通している構図の妙、
その二つの点がヨブ記の大きな特徴です。
私にはヨブ記が表現の点で優れているとは思えないですね。その点では少なくとも詩編とは比べるべくもないでしょう。
カラマーゾフにおいては、後編の裁判の場面はヨブと論者たちとの対決を容易に想起させますし、大審問官にも、拙い言葉で説明するのは避けますが少なからずヨブ記の影響があります。
単純にイヴァンとヨブを重ね合わせるだけでもいろんな想像ができるのではないでしょうか。
私としては、ヨブ記の神のつくりたまいし世界を見据える特殊な構図が頭のなかに離れず、
部屋のなかを歩きまわりながら小説の構想を練るドストエフスキー、という絵がしっくりくるので、
ヨブ記の影響といっても実際はそんなところかもしれないと思ってますね。だからといって、ヨブ記の影響というのを軽く考えるわけではないですが。 <<655
私は歴史については無知もいいところでして……
ドストエフスキーの時代のロシア正教について、学ぶのに適切な本があれば教えてもらえますか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています