私はキリスト教に拘りつつも、入信することはずっと拒否している。
 カトリックの人とは友人だからよく話をするし、この人たちと自分とは違う、という違和感が頭から離れないからです。
 ゾシマ長老がアリョーシャに俗世へいざなったように、というと大仰かもしれないが、
 自分のやるべきことがあるとしたらそれは俗世にあると感じています。
 それも聖書の教えでは驕りになるかもしれないが……そういう自分なので、
 イヴァンのことは杯を拒否しながら、その杯を地にたたきつけることも立ち去ることもできずに動けなくなっている人にみえる。
 それを無神論人というのには違和感があるので、無神論人ではないといいました。
 ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とイヴァンとは全く違いますからね。
 解説書で見たことではないので私の誤解があるかもしれないが、ドストエフスキーの小説にでてくる無神論者とは神のありやなしやという問いに対してそもそも個人的意義を認めない人のことです。。