☆★☆★ドストエフスキー☆★☆★Part43 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>635
>>単独者って、果たしてそれが信仰と言えるのかなって
>なんで違うと思ったのか、なら何が信仰なのか
>を出来れば言って欲しい
言ってあるよ
自分の神が自分だけの神ではないなら
信仰のあり方を独断したら
自己矛盾があるんじゃないかなあ >>637
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟で聞いてます
何処でそう思ったのか、教えて欲しい >>636
大審問官で審問官が奇跡、神秘、権威で信仰させる事を述べる つまり従属がみんなの幸福でしょって言った
弱い人間が多いからみんな同じく同じ方法がイイよね
裏を返せば反対は個人で自由意思を持つ事の皮肉
→単独者がイイよね
で自分は独りであること自由意思を持つことがいいと思った カラマーゾフの兄弟に沿っていうとね むむ?
話が見えない
良いとか悪いとかが
どんな判断で言ってるのか 589 名前:名無しさん@そうだドライブへ行こう [sage] :2017/05/14(日) 21:22:13.91 ID:PPT0GTGY
>>586
年収は1500万円以下になったことはない
その程度
それって富裕層なのか? なかなかの裕福層だね
貧困は、味合わないとわからないわな 903 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2017/05/14(日) 21:22:13.91 ID:PPT0GTGY
俺、年収1500万円以下になったことはない
その程度の生活水準だよ
それって富裕層なのか?
どう考えても、普通だよな >>640
何が分かってて何が分からないの?
漠然と話が見えないって言われても
すごーく単純に言えば、簡素に出来ないところを、
大審問官の話は悪とするとその反対は善になる
大審問官をどういうふうにより多くの人を従属させるか、って話
じゃあその反対は自由である
自由とは自由意思を思った個人であること
もうこれ以上は砕いて話せない 話が見えづらくなってきたが……私は633の人の言い分はよくわかりますね。
神の前に一人で立つことと、入信をしないことは近いようだがイコールではない。
信仰とはかみ砕いてしまえば徹底して信じることです。
信仰はするが教会には入らない。本来それを血肉にしている人達の中にまじって学ぶことをしない。
それでいて信仰はあるとは私は言い切れない。言い切ればそこに欺瞞があり、それが私自身の大きな弱点です。
信仰を持つなら教会に入る。それが自然な筋道で、アリョーシャが僧院へと行きついた道でもある。
結局ゾシマ長老にいざなわれて出てしまいますけどね。
644さんはキルケゴールの著作への理解からそういうところに至ったのだろうけど、ちょっと語弊があるんじゃないかな。 >>645
はい。
話は逸れるけど、
やっぱり俺は大審問官の話は、キリスト教と教会そのもののことだと思いますわ >>645
言いたいことはよく分かるよ
信仰を持つなら教会に入る。これは最もだ
でも、ここはドストエフスキーのスレッドであって一般論ではないのではないか
ならば例えばムイシュキンに言わせたセリフで
「カトリックは無神論より悪い」
悪霊で、「無神論者は信仰の手前」
なんでこんな事を言わせたのか
ゾシマだってさえあんなに信仰信仰いっても教会に入れとは言わないのか
オレは盲目的な疑問すら「最初から持たない」信者をドストエフスキーは否定してるとしか読めなかった
立ち止まって考えろ、そして自由意思で信仰を選べ!
と解釈してる >>646
話がみえない なんで?
君がやってるのはこう言うことだよ
なんで教会そのものなの?どこのセリフ? 自分はここで話ことはすべてドストエフスキーの解釈についてが前提にある そして主観を話している
従属集団で同じものを目指すことは悪ではないよ
必ずしも自由が尊いとは思ってない
自由ほど苦痛なものはなく幸福から遠ざかる厄介な選択もないと思う現実で
だけどドストエフスキーの話であり
そして解釈なんだよ
カラマーゾフの兄弟や罪と罰でも白痴でも、盲目的になる事を推進してるとは読めなかった
意思が自由に必要な要素にしか読めなかった
違うならそれも尊い意見であり是非聞きたい
でも具体的にそしてドストエフスキーに沿って意見をいって欲しい ひつこくして申し訳ないけど >>647
あのさ、ドストエフスキーのたくさんの登場人物から都合のいい人物を選んで「ドストエフスキーはこう言っている!」と言っても説得力がないよ
白痴で言えば、カトリックは無神論よりも・・・と言っているのはかなり政治的・愛国的な場面でしょう
われわれが維持してきたわれわれのキリストをー彼らの今まで知らなかったわれわれのキリストを、西欧文明に対抗して輝かさなくてはなりません
ここで言っているのは実存主義的なキリスト教観ではないよ
ムイシュキンは教皇首位権のことを言っていて、ロシア正教を擁護している
ロシア正教はそもそも教皇首位権を持たないからね
彼によれば社会主義もカトリックのこの思想の産物となる
それこそ「誇張」なわけで。ドストエフスキーが言ったわけではない
大法官のエピソードは自由意志を持たない信者を排除する、という読みにも言いたいことはあるんだけど、白痴のその文章とくっつけてしまうのはよくないよ 最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情はもてあそばれ、何もかも、何もかもが、金と変わり、卑しい地上の権力と化したのです。
これもムイシュキンの発言だけどさ、カラマゾフの信仰を疑わない者はだめだ、っていう読みとは真っ向から対立するよね
ちなみにこれは西欧の民衆であってロシアの民衆についてではない
ロシアの無神論者になる人は特殊な人であって、「白痴」においてはロシアの民衆は「根っこをなくしていない」人でしょう
なんかいろいろごったまぜにされると、「俺はこう読んだんだ!」と声の大きい人が居座っているだけで会話が通じてない >>651
話を広げ過ぎたのは間違いだった
余計なことと都合よくしたのは分かってる実は
ドストエフスキーの作品は盲目的信仰について否定する文章の箇所が、たくさんある。って言いたかった
なんで信仰信仰直接言わないのか
例えばトルストイなんかは最も直接いう
って余計な話をしてるけど
話を戻す
審問官の単独者であれって言った意見だけど、自由をメインで話してると思うから自由意思と個にこだわった 何が疑問? >>652
こう思った以外にレスする意味はなんなの
意見なんて主観以外に何もないと思うけど ドストエフスキーの時代は「ロシア正教」という教会組織が国家運営され、最も腐敗していた時代でしょう
それに対してカトリックの特に「国家権力の上に立つ」という側面を批判するドストエフスキーの一面がある
社会主義・平等主義に対してもカトリックのこの思想に基づく、というドストエフスキーの一面があり、
その社会主義も暴力になる、という側面があり、
そもそも国家を廃棄しようとするアナキズムの側面があり、
なかにはカトリックやイエズス会をいろんなイメージで
それでもロシア正教という世俗人がトップに立つ組織をカトリックに比べると擁護している一面もある
そもそも彼の人生の間に宗教改革が進んでいるので、作品間を無批判に同じ書かれ方がしているとみなすのも問題
そんな事は分かってるよ、と言いたいのならもう言えることはない >>652
>最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情はもてあそばれ、何もかも、何もかもが、金と変わり、卑しい地上の権力と化したのです。
>これもムイシュキンの発言だけどさ、カラマゾフの信仰を疑わない者はだめだ、っていう読みとは真っ向から対立するよね
どこに教会賛美の意味で言ってるの?
信仰を否定してるんでなくドストエフスキーはキリスト賛美で組織賛美はどこにあるの?
賛美でなくてただの土壌主義でしょ >>656
> >>652
> >最も神聖で、誠実で、単純で、熱烈な民衆の感情は
これは君の言う「信仰を疑わない」民衆を賛美しているでしょう?
なんつーか、君とレスするの疲れるし、実りがない >>657
ドストエフスキーの社会的な主義の批判と肯定について元々話してないんだよ 国家がどうとか
噛み合うわけないじゃん
信仰の個と集団について話してたんだけど
言い訳すれば噛み砕いて言ったのが間違いだった
直接言えるほど簡単じゃあない
657の意味がわかんない それは自分のレスじゃないよ >>648
あ、なんか誤解してるっぽいけど
俺はこんな感じで
改行入れながら話してるやつだけど
俺は普段の俺の気持ちしか話してないのですよ
だから、君が誤読してるとか思ってなくて
煽ってるわけでもないですよ >>660
それは悪かったね 申し訳ない本当
そう思った。言ってたなら自分の勘違いだった
また問題になりそうだけど言っとくと、読書なんて他人の思考を覗いてるに過ぎない
この人はこう書いてる、で終わったら読んだだけになってると思う 読んでこう思った、または読みながら何を思った、読む前から前提をもって読んでた、みたいな主観読書ってのを重要視してる
人間は自分の思想に基づいて思考したことにこそ意味があると思う 価値もある
色々考えてねれなくなったw
もう寝なきゃなのに 今あなたは、わたくしをどんな女だとお思いあそばすでしょう!」と夫人は思わず手を打った。
「わしの思わくなぞ はばかることはありませんじゃ」と長老は答えた。
「わしはあなたの悩みが真心から出ていることをまったく信じきっておりますでな」
............ 略 .............
どうしたら証明ができましょうか、どうしたら信念が得られましょうか? わたくしはまったく ふしあわせ なのでございます。
「それは疑いもなく死ぬほどつらいことですじゃ! しかし、このことについて証明ということはしょせんできぬが、信念をうることはできますぞ」
「どうして? どういう方法なのでございます?」 >>647に
>オレは盲目的な疑問すら「最初から持たない」信者をドストエフスキーは否定してるとしか読めなかった
>立ち止まって考えろ、そして自由意思で信仰を選べ!
>と解釈してる
こうあって、この647に返信していたんだけど、あなたはそれに返信してきてたわけ
>657の意味がわかんない それは自分のレスじゃないよ
647でないんだったら657に意味不明な言いがかり(656)をつけずにすっこんでてください
なんかほんとに会話が通じない・・・
なんで他人に対するレスに自分から突っ込んどいて意味が分からないとかほざきだすかね・・・ もう最初からレスされること自体が嫌なら不特定多数がある所で何も言わなければいい
会話が成り立たないと思うなら、成り立つと思う人とだけ話してればいいのに
そんなのわざわざ言葉する人って結局煽ってるとしか見れないし 結局他スレでもいる荒らしと同じだね
2chの掲示板て不特定多数を文句いってもしょうがないのに 無神論:広義には、また歴史的には「一神教におけるような唯一絶対の造物主を認めない立場」を指す。
(ゆえに仏教は無神論だ!宗教じゃない!!ってのあるよな。世界三大宗教っていうとユダヤ教、キリスト教、イスラム教で仏教ははいらないとか)
狭義には、「神もしくはその他の類似の名前の付いた、人間や自然を超えた存在すべてを認めない立場。(wikiより
※西洋においてこの“無神論”ってのはとてもナイーブだ。今でも血も涙もない冷酷な奴とか、基地外って意味で使われることもある。
また無神論=アカ(共産主義)!って言われた時代もあった。
無宗教:特定の宗教を持たない人。でも宗教的行事はOK!(宗教ってイメージ抜きにクリスマス、初詣、お盆にハロウィーン祝ってる俺らに多いw)
無宗教は置いといて、ドストエフスキーにおける無神論は無神論=社会主義ぐらいに用いられている。
(雲の上にジョニーデップ似やパンチのおっさんが居る、といったファンタジーは置いておく) おれらだと入信とか帰依とか菩提心とか発心とか色々いうけど、キリスト教においては“契約”っていうんだ。
この契約って概念がちょっとつかみずらい(日本のキリスト者でも入信って言うやついるからなw
契約って足かせって意味じゃない。一義的にはとても良い意味で、“特別な関係”になったって意味(たとえば結婚ね
神と私の二者間における特別な関係=契約って図式がある。
自由:「freedom」と「liberty」両方とも々“自由”って言葉なのはどうなんだろ?っていつも思う。
意味の違いは頭の片隅に置いておいた方が良いと思う。 http://www.accessjournal.jp オリエンタルランド&2006/09/05・2012/08/14・2014/11/28の記事
バター犬 六反田(イクスピアリにあるトルセドールの元バーテン・共依存のサイコパス・ガリ)の罪
名誉毀損罪
強要罪
逮捕罪
窃盗罪
労働基準法第24条違反
労働基準法第89条違反
村意識の固まりのベタベタグチュグチュダラダラ基地外骸骨ひょろい腰抜け野郎wみんなでみんなでラリラリラ〜w
以前働いていたブライトンホテルのマートレットwやイクスピアリのトルセドールw酒BAR版にも曝されてま〜すw
あちこちで曝されてる異常性格者・共依存サイコパス。元祖ブラックアルバイトw
マトモな事は何一つ出来ないやってない生活破綻者w
へたれもやしw喧嘩も出来ねえチキン野郎w
チビにびびり裏でコソコソ差し障りなく内弁慶べたたんだ差し障りなくぐじゅお 上のほうでアインシュタインも神を信じてたって言ってたけど、
死って誰も経験したことないけど、見たり聞いたりして誰でも死ぬことを確信できるじゃん?
つまり思弁的に神ってのはたどり着けるんじゃないかな?とも思う。
「私は不信の子です」(ドスト談)
カオスは嫌いじゃないwむしろ大好きだw
疑え!疑え!!もっと疑え!疑い続ければドストエフスキーは全部受け止めてくれる。(その上もっと大きな力で跳ね返してくれるで!! アインシュタインは疑わないんだなw
どれくらいすごい人なのかわからんのにw 神に辿り着くってのは知性や理性や知識によってではないのかも知れないね
そのどのくらいか分からないアインシュタインでさえ4次元が限界で神の証明は出来なかった
世界が何次元で創られてるか分からないのにオレなんて3次元すらあやういw
存在を論理で証明出来そうもないなら受け入れとけってのも一つの方法かも知れない
ブラッドリーだったか凄く曖昧だけど、
神を信じるってのはズボンのジッパーが開いてる時に締めるかどうかのかの問題と言った
意外と自然なことかも知れない
ただ考え抜く!ってのは必要条件だろうけど 日本人が西洋の神の概念なんて理解出来ないだろ当時の宗教の背景が複雑すぎるわ >>672
>当時の宗教の背景が複雑すぎるわ
当時の宗教の背景なんて、しょせん理解できないと
それどころか、今から30年前の日本人の空気感が、今の10代に理解できるだろうか?
自分でも、適切なこと書けてるかわかんないけども。
たとえば鎌倉新仏教の祖師たちが、どういうプロセスを経て、開宗するにいたったか、
私たちがそれを知るとしても、文献によって知るのみ。そこに書いてあることを、信じて受け入れる
同じく、19世紀ロシアの信仰について考えるとき、ドストという信ずるに足る存在に懸けて、その眼(まなこ)で考えたらいいのだ
神のことを考えるためには、一人の生命の森厳を見極めゆくドストという師についていけばいいのだ
あたかもダンテがウェルギリウスに導かれて三界を巡るがごとく アインシュタインが神がいるって言ってるのはポーズだよ
欺瞞を欺瞞と見抜けないと宗教は語れないよ
ちな、ドストエフスキーもニーチェも欺瞞ですからね https://www.amazon.co.jp/アインシュタイン、神を語る-新装版-ウィリアム・ヘルマンス/dp/4875024649
これでしょ?
15年以上前に高校生の頃よんだわ
こういうのはポーズ
しっかりしてよ 何で表面ばかり気にするの
じゃあニュートンでもいいよ
この際言いたかった事は天才ですら証明出来ない事を論理で説明出来ないよね、ってのが言いたいだけ
アインシュタインに聞いてもないだから欺瞞とどうやって決めるのか
言葉ばかりつまむんでると思うけど >>677
>何で表面ばかり気にするの
世の中、天才が証明できないものだけが信じ得ないわけじゃないんだけどなあ
関係ないけど
いかに神を見つけるかは
ドストエフスキーじゃなくて、ラーゲルクヴィストを読んだらいいよ 理系が神を否定しているという前提に立つから話が噛み合わなくなる
理系でも数学の証明なんかを通して神がいると考える人はたくさんいるよ
その神がキリストやイスラムの神かどうかは別として 証明なんてのは、好きにすればいいわけで
世の中に必要なのは
なぜ人は神を求めるのか、という理解であって
健康や貧困や離別について
政治的な判断と
私的な優しさを持つことですわ
自己欺瞞の対決に真剣になってもいいけど
もう少し俯瞰してみることもお勧めするよ
んじゃあ
俺はこの辺で
楽しかったです >>678
出来ないものを信じ得ないわけじゃない、ってよく理解出来ないけど、勘違いしてない?
神の問題は知能で数学とは別って言ってるだけでアインシュタインが無神論者だったらそれを言えばいいだけじゃんね
どっかの本で読んだだけで間違いならそれで認めるし感謝するよ アインシュタインの事は知らないよ
論理で証明出来ないね、ってこと 「論理」で
猿のオレが数字を示してもニュートンにとっくに越されてる
だから論理外に神の問題はあるのか?って問いで天才しか知り得ないと言ってない、むしろ反対なんだけど
勘違いでないないなら悪いけど >>675
> アインシュタインが神がいるって言ってるのはポーズだよ
> 欺瞞を欺瞞と見抜けないと宗教は語れないよ
>
> ちな、ドストエフスキーもニーチェも欺瞞ですからね
その本を読んだことがないけども。 なぜ あなたは「ポーズ」「欺瞞」と感じたの? 批判が多くあるだろうけど、ヨブ記がを構想としたっって本でよく見つけるだけれど、世界最初の文学だかってのもあるだろうけど多いと思うんだ
ファウスト ゲーテ、 神曲 ダンテ、 ハムレット シェイクスピア、カラマーゾフの兄弟他にも遠藤周作の沈黙とかもそうらしい
どれもこの世の不条理に嘆くようなとこをはヨブに似ていると感じる
もし真なら、ヨブ記はそんなに物書くとき魅力的なないようなのかな
ここの人って聖書詳しい人いるよね
ヨブ記に詳しいかたは教えて下さい
出来ればカラマーゾフの兄弟とヨブ記の関係 天才は狂信者か極端な唯物論じゃがおおい
アインシュタインもニュートンもしかり 自信がないからスルーしてたが、一日もレスがないとは…酒が入っているので至らないところは寛容な心でご容赦ください。
カラマーゾフに絡めてヨブ記と、ヨブ記を解説した本をいくつかつまんだだけの人間の意見としていうと、ヨブ記は聖書中の書物としてはかなり特異です。
なにしろ、神が悪魔に人を差し出し、悪魔が人を試みるという理不尽きわまる筋書きなのだから、聖書のなかにこんな記述があるだけでも、予備知識のない人にとっても興味をそそられるでしょう。
その部分はゲーテのファウストに、なんだろうな、まあ、きれいにオマージュされていますが、
それと、4人の論者が次々とあらわれてヨブと意見を戦わせる、その対決を通して神のつくりたまいし世界、ひいては神を見通している構図の妙、
その二つの点がヨブ記の大きな特徴です。
私にはヨブ記が表現の点で優れているとは思えないですね。その点では少なくとも詩編とは比べるべくもないでしょう。
カラマーゾフにおいては、後編の裁判の場面はヨブと論者たちとの対決を容易に想起させますし、大審問官にも、拙い言葉で説明するのは避けますが少なからずヨブ記の影響があります。
単純にイヴァンとヨブを重ね合わせるだけでもいろんな想像ができるのではないでしょうか。
私としては、ヨブ記の神のつくりたまいし世界を見据える特殊な構図が頭のなかに離れず、
部屋のなかを歩きまわりながら小説の構想を練るドストエフスキー、という絵がしっくりくるので、
ヨブ記の影響といっても実際はそんなところかもしれないと思ってますね。だからといって、ヨブ記の影響というのを軽く考えるわけではないですが。 <<655
私は歴史については無知もいいところでして……
ドストエフスキーの時代のロシア正教について、学ぶのに適切な本があれば教えてもらえますか? >>686
偏った質問に説明してくれてありがとう
イワンと最後にある裁判はよく考えると類似する点が多々あるのが分かった
そこを踏まえて全部ではないけど読み返してみるよ
それにご指摘の通り、神への強い信仰を持ったヨブを悪魔に差し出す、っていう理不尽な話が興味をそそられたんだ やはり聖書の中でも特異なんだね
それに、大審問官の前の辺でイワンが言ってた子供の虐待やトルコ人の戦争の話も思い出した
こんな理不尽な話って、実際に現実でもあるけど、とても悲惨に感じたんだ いずれくる天上の楽園で帳尻合わせ出来るのかと、イワンに賛同してしまう
ヨブ記とカラマーゾフの兄弟の関連性に理解に近づいた気がするよ
> 私としては、ヨブ記の神のつくりたまいし世界を見据える特殊な構図が頭のなかに離れず、
部屋のなかを歩きまわりながら小説の構想を練るドストエフスキー、という絵がしっくりくるので
想像に、目に浮かぶようだね 悪魔ちゃうで
聖書は媒介なしで素直な気持ちで読みたまえ >>689
悪魔が信仰を崩してみせよう、って話でなかったっけ?サタンと悪魔が違うって事?
財産や家族を失えば神に面と向かって呪うだろうみたいな
詳しくないから違ってたら悪いけど 人間が神を持ち出すのは私的な理由じゃねそこら辺にドスもキレてるじゃねカラマも聖書関係も読んでないからわからないけど >>690
話の筋はそんな感じだね
そもそも旧約には悪魔なんて出てこないんじゃない
邪教としてペリシテのバアルは何度も出てくるけど
サタンはあくまでも神のみ使いだね
まあ、余談ですわ 聖書が間違いがないことが前提だけど
無教会とかなんとか色々言ってるけど
本当に影響なしで個人的な読み方しかしないなら
三位一体とかなんとかすら、想像もできないからな
何百年かけてこねくり回した読み方の片鱗すらも
たどり着かないよ
たどり着くのが良いとは思わんけど
記述に矛盾が多すぎて信じる気にもならんと思うがね
ヨブ記しかり
素直な気持ちでいっぺん全部読んでみなよ
調べたらあかんで
そもそも、聖書が記述されてる時点で
間違いがないという前提がありえんけどな 常識的に考えて
教会という知恵なしで信仰に結びつくとは思わんね
奇跡があるからついてくんだよ
モーゼも、ヨシュアも、イエスもそうだろ
国の繁栄と滅亡がその暴虐の手に握られてるから信じるんだろ
大審問官がイエズス会しか言ってないなんてのは大間違い
聖書を読んでないか、頭をリセットしてない
教会、宣教なしで信仰なんか得られるわけないよ キリストが奇跡を捨てたことで民衆が信仰を失ったって言ってるだろ、大審問官が
そりゃその通りでしかないわけで
それ以上に深読みする内容でもない
まあ10年前の記憶だけど もっとも本当に一対一で望むなら聖書すら棄却しろよって感じだわな
その辺の自己矛盾とどう向き合ってドストエフスキーを信奉してるのか知らんけど
欺瞞ですわ 借金地獄に陥り日々のやりくりで心労がかさみ、うつ病になり
現在、薬漬けで死を考えながら日々やりくりしている
こんな人生になんの意味があるんだろうか >>699
借金は返したの?
俺は毎月40万近く借金の肩代わりしてたよ
今は10万くらいに減ったけど、
あと1千万ありますわ
マジ、生きてて良いことないすわ >>700
君が大前提としてる神という概念と
普遍的な信仰にまつわる知識は
全部ミームに決まってんだろ
教会の管理はいりません
でも知識は頂いて料理します
それで単独とか言ってるやつは頭おかしい
アホですわ >>702
これは文学上の話であって理想でもある
現実として教会が信仰を普及させてるのは当然だし、誰もが聖書の登場人物のように生きられないのは明らかだろう
でも文学上の話だから魅力もあって深読みする事が出来るし、その先を想像できる
勝手な主観も持てる
自らも考えられるということだよ
現実だけなら文学が一切不要になる >>703
教会が信仰を普及しているということもあるけど
聖書を編纂したのも教会だからね
聖書に編纂されてる手紙や福音を年代順に整えれば
いろんな理屈があと後付けであることがわかるし
パウロの手紙は福音書の前に書かれてるはすだよ
この辺は記憶が曖昧だけど
元々元祖のキリスト者たちがキリストの再臨を求めていたところに
聖書が作り上げられたわけであって
奇跡のないところに聖書と教会が作られている時点で
大審問官は圧倒的に正しい 気になったので質問です
大審問官が正しいとすれば、なぜキリストが荒野での3つの悪魔の問いを拒否したのかしたのかな?
大審問官はハッキリと、キリストではなく「あれ」と共にいる事を望んだ、って言ってた箇所があったような気がするけど
正確ではないがそんな感じの所がハッキリあったと思う 大審問官は自覚的に、言うなれば多くの信仰を獲得するために、わざとキリストが拒否してた事を進んでやったと言っていた
そうする事で多くの人が救われると
大審問官はキリストの賛美でしかなかったとアリョーシャも最後にセリフをはいてる
決して批判とかではなくて、大審問官が正しいと思う人は、ここの部分をどう捉えてるのかな?っと思いまして >>705
拒否したのかな?です
もちろん僕の確認不足だけど、携帯の自動変換で間違えてしまう すいません何度も 所謂プロテスタントの人だろうか、
色んな見方があるようですが、ヨブ記に登場する敵対者はサタンでありまた悪魔のことですね。
聖書を読んでそのまま信じるというのは、ずいぶんハードルが高いですね。
おそらく私のようにそれが難しいと感じる人が多いから、解説書というのが必要になるんでしょう。
また、聖書は一節ごとに大きな行間がありますから、一節ごとに何が起こったのか想像しなければとても理解が追いつきません。
日本語に翻訳した段階で原文との多少の齟齬もでてきますし、そこで解説書の手ほどきをもらうことはさほど悪いこととは思えないですね。 >>708
ハードルが高いでしょ
だから大審問官がそう言ってるのさ >>709
ハードルは高くていいんだよ
狭き門通りじゃないか
その門が狭すぎるから私が拡げよう、ってのが審問官が言った弁論でキリストの反対をいく
文学上で大審問官を推すなら悪魔を推してるのと変わらないよ
解説書を読む姿勢も、教会に行く、「人の姿勢」を否定してはいない
形骸化された当時の政治的な教会を皮肉ったのが大審問官の節 >>709
いや、それは論点がすり替わってますね。
私のは、聖書を読むのに解説書の助けを借りてもいいのではという主張です。
大審問官の一遍にそんな記述はありませんが、仮に大審問官が聖書の読解を助けてくれるとしても、
それは民衆の理解できる程度にレベルを落とし込む、あるいは大胆にキリストの教えを曲解するということになるでしょう。
大審問官は自分がキリストの教えに反することには極めて自覚的でした。
大審問官も、大審問官を創造したイヴァンも自分の思想に苦しめられていたのに、それをふまえずにその主張を正しいの正しくないのということには違和感を覚えますね。 その「自覚的」、というのが大審問官の文学上で素晴らしい部分でもあるよね
まさに悪を買って出たからこそ、分かりきっていた事を自分で請け負ったからこそ、最後の何も言わず口づけして立ち去る部分が際立つし、大審問官の節がこんなに反響を呼んだ理由でもある
そういう意味で大審問官を推すなら分かるが、彼がしている行為と姿勢を推すのは違うと思うよ >>711
> 大審問官も、大審問官を創造したイヴァンも自分の思想に苦しめられていたのに、それをふまえずにその主張を正しいの正しくないのということには違和感を覚えますね。
なにゆえ? 文学的意味という言葉の意味が理解できない
大審問官が文学の中でしか存在しないと思ってるなら
それは違うよ
偏在してる >>714
文学上と言ったのは、>>696で君深読みする必要はないと言ったからさ
大審問官は深読み出来る文学であって、深読みしてはいけない歴史書のようなものとは違う、という意味で言ったんだ
深読みの先にゾシマ談話があり最後の悪魔との会話に繋がる 現世で奇跡は起きないと断言してる宗教もあれば
ペンテコステみたいに聖霊体験を推してる宗教もあるけど
俺の立場としては、一貫して
奇跡は現世で起こらないという主張のもとに言ってるから
そのへんで認識の乖離があるかもね 旧約聖書・創世記の記述によれば、宇宙も、地球も、生物も、すべては、神が7日間(7日目は休みだから実質6日間)で創造されたのである。
地球創造、生命誕生とほぼ同時期に生まれた最初の人類・アダムとイブから、聖書の記述通りに彼らの子孫の年齢を合算すれば、宇宙の歴史はだいたい6000年くらいである。
恐竜誕生が、今から250,000,000年前だの、
地球誕生が、今から4,600,000,000年前だのそんな馬鹿馬鹿しい数字が正しいわけがないのだ。
歴史学者や考古学者や古生物学者やダーウィン進化論はみんな嘘をついている
全ての生物(当然、恐竜も含む)は、神が創造された。その数日後に人類も創造されている。よって、恐竜と人類は同じ時代を生きていたわけであり、
彼らは日常的に出会っていたのだ。だから人間が、恐竜に騎乗したり、恐竜の赤ちゃんを抱きかかえたことは事実である。
エジプト文明だの、黄河文明だの、長江文明だの、メソポタミア文明だの、インダス文明だの、
人間がサルやチンパンジーから枝分かれしただの、ホモ・サピエンス誕生前に隕石で恐竜が滅亡しただの、
詐偽と誤魔化しとインチキと嘘とペテンのカタマリである歴史学や考古学や生物学を、学校で子供たちに教えてはならない。
子供の教育は教会で聖書に基づいて行われるべきである!!!!!!!!
・・・そう主張している宗派の一つ・セブンスデー・アドベンチスト教会の熱心な信者であるベン・カーソン医師は、妊娠中絶反対と共に、進化論否定を明言している。
彼は2016年アメリカ大統領選挙の2015年11月時点での共和党候補支持率第1位である。
そしてドナルド・トランプ大統領よりアメリカ合衆国住宅都市開発長官への就任を要請され受諾している。 過疎ってきているので一つ問いを述べる
時間があれば是非
ドストエフスキーは魂の不滅にこだわった
それは正教からくるのか、独自の思想だったのかについては、詳しい人に任せよう
すこしズレるが、トルストイもまた魂にこだわったロシアの文学者であると共に、哲学的側面もあった
確か人生論では、人間は生まれる前から存在しているし死んでも存在する神から愛された永遠がある、と言っている 聖書の引用では、死までの生命について、
「この世で自分の魂を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」ヨハネによる福音書を参照している
自分以上に他者を愛してこそ自己の幸福を得る、と結論を示唆した
これは自分の命にこだわるな、という意味だったとも受け取っている 賛否はあるだろう
ドストエフスキーもまた、魂の不滅を肯定している作品の文章に出会う 神か人生かを問いてるのだろう
ここのドストエフスキー読者は、永遠を信じるんだろうか? 自分は、信じたいと願っているけど、他者を自分より優先するまでは至れそうにないよ >>726
君のカキコは、最高の内容だ
>永遠を信じるんだろうか?
もちろん信じるさ さっき ID:ndQ9YC9U 君が
「人は幸せになる為に生まれた訳ではない! 勘違いするな、甘えん坊ども!」と叫んだが、それは絶対に違う
人は幸せになる為に生まれてきた。では どうすれば幸せになれるのか?
それは永遠の生命を信じることだ。「永遠の生命を信じうる」ためには、何を為すか?
それはゾシマの教説のなかにあったね。僕が長々と引用してきた。
キリスト教と関係なく、ぜったいに観念論でもない(と少なくとも僕は信ずる) 「どうしたら? どういう風にいたしたらよろしゅうございましょうか?」
「それは実践の愛を体験することによってですじゃ、つとめて自分の隣人を進んで怠りなく愛するようにしてごらんなされ。
その愛の努力が成功するにつれて、神の存在も自分の霊魂の不滅も確信されるようになりますじゃ。
もし隣人に対する愛が完全な自己犠牲に到達したら、その時こそもはや疑いもなく信仰を獲得されたので、いかなる疑惑も、あなたの心に忍び入ることはできません。
これはもう実験をへた正確な方法じゃでな」 抽象的な「人間愛」や「人類愛」なら簡単ですが、現実の個々の人間への慈愛はむずかしい。
>自分は、信じたいと願っているけど、他者を自分より優先するまでは至れそうにないよ
ホフラコーバ夫人の告白と同じですね
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「実践の愛? それがまた問題でございます。
しかもたいへんな問題でございます! 長老様、
わたくしはときどき、自分が持っているいっさいのものを
投げすて、リーザも見すてて、看護婦にでもなろうかと
空想するくらい、人類を愛しているのでございます。
じっとこう眼をつぶって空想しておりますと、
わたくしは自分の中に押えることのできない力を
感じるのでございます。どんな傷口も、どんな膿《うみ》
だらけの腫瘍《しゅよう》も、わたくしを脅かすことは
できないでしょう。わたくしは自分の手で傷所を
包帯したり洗ったりして、苦しめる人々の看護婦になるでしょう。膿だらけの傷口を接吻することもできるくらいです……」
「ほかならぬそういうことを空想されるとすれば、それだけでもたいへん結構なことじゃ。いや、いや、そのうちひょっくりと、何か本当によいことをなされるときもありましょうわい」 >>726
> 「この世で自分の魂を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」ヨハネによる福音書を参照している
> 自分以上に他者を愛してこそ自己の幸福を得る、と結論を示唆した
> これは自分の命にこだわるな、という意味だったとも受け取っている
>他者を自分より優先するまでは至れそうにないよ
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大胆に書きますが、ゾシマが、またドストが書きたいのは、むしろ次のようなことではないでしょうか?
「他者を自分より優先する」というよりも、よく世間で言われるところの「自分も他人も大切に」
具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にするという戦いではないかと
あまりにも長い引用なので気が引けるが、さっきの続きをコピペしてもいいだろうか? 「けれど、わたくし、そういう生活に長く
しんぼうできるでございましょうか?」と、
夫人はほとんど無我夢中の熱烈な調子でことばを続けた。
略
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と夫人は激白する。それに対するゾシマの答えのなかに
大いなる具体的な智慧が
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◎「人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまり独立した人格としての個々別々の人間を愛することが少なくなる」
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「それはあるひとりの医者がわしに話したのとそっくりそのままじゃ、もっともだいぶ以前の話ですがな」と長老が言った。
「それはもうかなりな年配の、紛れもなく賢い人であったが、
その人があなたと同じようなことを、露骨に打ち明けたことがあります。
もっとも、それは冗談半分ではあったが、痛ましい冗談でしたじゃ。 その人が言うには『わたしは人類を愛しているけれど、
自分でもあさましいとは思いながら、一般人類を愛すること
が深ければ深いほど、個々の人間を愛することが少なくなる。
空想の中では人類への奉仕ということについて、
むしろ奇怪なほどの想念に達して、もしどうかして急に
必要になったら、人類のためにほんとに十字架を背負いかねない
ほどの意気ごみなのだが、そのくせ、誰かと一つ部屋に二日と
いっしょに暮らすことができない。それは経験でわかっておる。
相手がちょっとでも自分のそばへ近寄って来ると、
すぐにその個性がこちらの自尊心や自由を圧迫する。
それゆえ、わたしはわずか一昼夜のうちに、すぐれた人格者を
すら憎みだしてしまうことができる。
ある者は食事が長いからとて、またある者は鼻風邪を引いていて、
ひっきりなしに鼻汁《はな》をかむからといって憎らしがる。
つまりわたしは、他人がちょっとでも自分に触れると、たちまち
その人の敵となるのだ。その代わり、個々の人間に対する憎悪が
深くなるに従って、人類全体に対する愛はいよいよ熱烈に
なってくる』と、こういう話なのじゃ」
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長大なドストの文を 2chの規則に合わせるの たとえコピペでも大変だね! 僕がほんとうに引用したいのは、このあとなんだけど。
今夜はここまでに。そうとう時間使ったからね
ようするにここまでは「凡夫ってそうゆうもんだよね〜」ってことじゃないか?
僕たちは肉親にさえ、こんなんなんだ! いかにいわんや、他人を愛せるわけがない。
であるからこそ「戦い」なんだ。「修行」なんだ。「革命」なんだ!
ゾシマはこのあと「人生の学校」と呼んだね。ひとつの学問だと。
力点はどこにあるかというと、抽象的に観念的に、空想の愛はダメだということだよね
では、大切な同志諸君。また明日! >>734
人類を愛すると個人は嫌いになり個人を愛すると人類がおろそかになるのは、人間がそう創られてると感じた その肉体的な条件から解放されるためにには、霊感的な魂の存在を認めることによる
それに個人より全体を賛美するのは簡単だし、それを声高く叫ぶものは偽善的で嫌悪するよね
ここはまさに現実的だ
>「他者を自分より優先する」というよりも、よく世間で言われるところの「自分も他人も大切に」
具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にするという戦いではないかと
同感だし、>>733の文章はコピペされるまで、ヨハネによる福音書の紐解きになると気がつかなかったよ
自分を愛せないものは他者も愛せないというが、まさに一番の隣人とは自分なのかもしれない >>734
もうすこしシンプルに言いかえることができますよ。
つまり、愛は実践されなければならないということです。
それこそキリストの教えの核心にあるものですね。
知力や体力にも限界がありますが、個々の愛にも限界があることはなかなか意識されないことです。
愛を観念的に考えることも大事なことですが、そのために自分の愛の限界に気付かずにかえって自分を追い込んでしまうのはつまらないことですね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています