話が見えづらくなってきたが……私は633の人の言い分はよくわかりますね。
 神の前に一人で立つことと、入信をしないことは近いようだがイコールではない。
 信仰とはかみ砕いてしまえば徹底して信じることです。
 信仰はするが教会には入らない。本来それを血肉にしている人達の中にまじって学ぶことをしない。
 それでいて信仰はあるとは私は言い切れない。言い切ればそこに欺瞞があり、それが私自身の大きな弱点です。
 信仰を持つなら教会に入る。それが自然な筋道で、アリョーシャが僧院へと行きついた道でもある。
 結局ゾシマ長老にいざなわれて出てしまいますけどね。
 644さんはキルケゴールの著作への理解からそういうところに至ったのだろうけど、ちょっと語弊があるんじゃないかな。