>>709
 いや、それは論点がすり替わってますね。
 私のは、聖書を読むのに解説書の助けを借りてもいいのではという主張です。
 大審問官の一遍にそんな記述はありませんが、仮に大審問官が聖書の読解を助けてくれるとしても、
 それは民衆の理解できる程度にレベルを落とし込む、あるいは大胆にキリストの教えを曲解するということになるでしょう。
 大審問官は自分がキリストの教えに反することには極めて自覚的でした。
 大審問官も、大審問官を創造したイヴァンも自分の思想に苦しめられていたのに、それをふまえずにその主張を正しいの正しくないのということには違和感を覚えますね。