点線で囲んだ部分は、青春時代の僕が緑のアンダーラインをしてる。
キリスト教であれ他宗派であれ、その哲学的側面にフォーカスすれば、ぜんぜん違う。
ぼくが信仰する宗派では「具体的な身近な「一人」から離れず、その「一人」を絶対に幸福にする」ということが最重要視される。
当時のぼくにとって、ゾシマの言葉はストンと この胸に落ちてきた。100パーセントその通りと感じられた。思春期のぼくが 日々現実に感じている実感と 100パーセント符合していた!
今、年老いたぼくは青春時代の感激を忘失すること年久しい。しかしその種は決して消えない。
「実践の愛」「不死」言葉は多少違っても、僕等が抱いていた理想と、毛筋ほども変わらない。
そうだ...たしかに非常に困難だ...他人にかかわっていく信仰実践は。
君が書くように「知力や体力にも限界が」、でもそこにしか歓喜はない!
これもまた確かだ。