>人類から不死の信仰を滅ぼしてしまったならば、人類の愛がたちどころに
枯死してしまうのみならず、この世の生活を続けていくために必要な、
あらゆる生命力を失ってしまう。のみならず、その場合に不道徳というものは
全然なくなって、どんなことをしても許される、人肉嗜食《アンスロポファジイ》さえ
許されるようになるというのです。
まだ、そればかりではなく、現在のわれわれのように、神もおのれの不死をも信じない
各個人にとって、自然の道徳律がこれまでの宗教的なものは全然正反対になって、
悪行と言い得るほどの利己主義が人間に許されるのみならず、かえってそういう状態に
おいては避けることのできない、最も合理的なしかも高尚な行為としてすら認められるだろう、
という断定をもって結論とされたのであります。

「この世の生活を続けていくために必要な、あらゆる生命力を失ってしまう」の一文は特に大事だ。
信仰がなければ まず第一に「生命力を失う」のだ。

>皆さん、このような逆説から推して、わが愛すべき奇人にして逆説家たるイワン・フョードロヴィッチの唱道され、かつ唱道せんとしておられる自余のすべての議論は、想像するにかたくないではありませんか」

俗物からイワンは攻撃される。考えれば罪と罰のラスコは「信仰薄きものの末路を」芸術的筆致で描ききったものでないか。そしてラスコが再生していく物語であると。
ここまで書いて自分はおもった。「俗物」とは我自身でないか?そして我らの2ちゃんを見ても、ありとあらゆるスレにおいて、こうした俗物に満ち満ちているではないかと!