夏目漱石 八十四夜 [無断転載禁止]©2ch.net
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十五夜
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1484799164/ 太宰のことは見下していないよ、眼中にすらないからね >>400
漱石(の作品)って意味で、サザエさん(って作品)って意味だよ。
漫画成立期における、日本近代文学の影響、みたいな。 太宰治はすごいだろ
日本の現代文学は太宰から始まったと言って過言でない やっぱ太宰ヲタって浅いよなぁ
おまえは一体なにを以って「現代」とやらを定義付けてるんだ?
漱石の作品に「現代」に通じていないものがあるか?
現代文学?なんだそりゃ笑
一体どうあれば現代文学なんだ?苦笑 太宰は個人々々限り眼中に無之、全体が一向みえて居らぬ。 日本近代文学のイメージの点でいえば
太宰は決定的だけどな
ゴミ男が自分勝手にウジウジするのが日本近代文学の真髄
浮雲から村上までそうだから おまえっていうけど
それはおれじゃないからな
おれは2番目のやつであってそれ以外はおれじゃないから
日本中で漱石好きで、太宰を評価してるやつはおれだけだと思ったら
大きな間違い おれは言ったのは近代文学の総決算といってるのよ
というのも単純な時系列的にみても
ファンとして模倣の対象となった作家一覧をみても
網羅してるってことさ
お手本自体が近代文学のアラカルト的なものになってるのが
太宰なんじゃないかなっていって
でもファン度でいうと芥川、夏目、志賀、室生あたりが四天王らしいけどね
鴎外、島崎、谷崎、武者、佐藤この辺も通過し吸収している
でようは、時系列的にいっても
最後の近代文学というか遅れてきた近代文学作家というかね
川端とか三島とかちょっと系譜がちょっと違うんだよね。
戦後の外人みたいな作家世代はもっとちがう。 俺は今も読まれている作家を
それなりに評価したいな
そう考えると漱石太宰はすごい あと、芥川に憧れた太宰と
実際、芥川のうち弟子の堀辰雄ってのも
戦後ちょこっと活動して近代文学をひっぱてるけどね
漱石に弟子が芥川として(作品の影響を受けたのは漱石でなく鴎外のほう)
これが中学〜高校
でその芥川に憧れたのが太宰で
中学の時に芥川の自殺があって人生観に大きな影を落とすという流れ
太宰 あと芥川の弟子に
立原道造もいたわ
自称芥川の弟子が太宰治で
実際の芥川の弟子が堀辰雄、立原道造で
このへんが中学時代の憧れで
その芥川の師匠が漱石であり、本当の憧れは鴎外という 芥川は当時の文壇や情報見ると
すごい次世代スターだったんだよな
岡潔もファンだっけ
俺は読んでも凄さがわからん
好みの作家だけども いうなれば
明治の黎明期に文語体から口語体でようやく近代文学の礎ができて
漱石逝去 フォロワーによる大正の隆盛期 昭和2年芥川自殺ときて
漱石鴎外藤村泉芥川谷崎志賀と近代文学史というものがかなり整理されたのが子供時代の太宰三島世代ときて
昭和23年芥川自殺でいちおう、明治から続く近代文学も一応一区切りていうの?
太宰が子供時代の憧れた志賀も戦後は作品書けなくなっちゃたし ↑訂正 昭和23年太宰の自殺ですた
太宰は近代文学の申し子も日本文学の分岐点である
戦後民主主義にはほとんど関われずに終了 そっかー
日本近代文学は
芥川自殺が区切りという見方があるのだな
って昭和2年でしょ 人間は年を経るごとに仙に近づくものだと漠然と考えていたが、そう甘いものではないようだ。
市井に過ごせば火宅の苦は年々より深刻に吾身を焦がしていく一方である。
愚かしくも今の私は降りかかる火の粉を打ち払うので精一杯だ。
こんなことでは何も成し遂げられはしないだろう。
焦燥は内面より魂さえも灰にかえんとする。
気が狂いそうだ。 >>449
酔っ払ってんのか単なるバカなのか知らんけど日本語で頼むわ
自分勝手にウジウジするのが日本近代文学の真髄?苦笑
君、はっきり言って読書向いてないよ 愚物の戯言を澄ましてスルーすることは大人なのではなく無責任なだけだ 認知症老人は噛みつく相手の言説が周囲に影響を与えるかどうかの判断さえできない。 >>456
>>445もおれじゃないから
爺さんは見えない敵と戦ってるんだろうけど
太宰ってワードが含まれていると
全部おれの書き込みにみえるんだな
>>431と昨日の連投とその上の人間失格の件でちょこっと触れてるのはおれ
それ以外はすべて別人
>>446でいってるのは>>428の太宰の話題から数えて2番目のやつって意味
ちなみに>>411森鴎外と面識ある?の上げレスもおれ
おれは基本あげるので。あげてないのはおれじゃないから あげてるけど>>441もおれじゃないね
>>445もおれじゃないから その下からだよおれは
>>自分勝手にウジウジするのが日本近代文学の真髄?苦笑
>>君、はっきり言って読書向いてないよ
真髄なんてことばおれは一回も使ってないのに
そことらえておれに説教してもさ(笑)
2人まとめておまえって行ってるのか
見えない敵をまとめてすべて一人称するような性癖なのか
認知症なのかしらないけど。 >>460-461
どうでもいいけど、太宰の話はスレチだよ・・・
それがわからないなら、認知症判定をされても、しょうがないよねw 人工的インスピレーションというのが好きだ
俳句を詠もうと歳時記を引いているうちに、言葉から情景が浮かび上がり自身を満足させるいい句ができる事がある
これも一種の人工的インスピレーションなのだろう >>463
なんだ、まだ気が狂ってなかったのかw
それとも、もう・・・? 好きな詩を口ずさむのはいいよな
俺は10くらい暗記してる
不春看渡
覚風花水
到江還復
君上看渡
家路花水 >>460
いや、おまえがどれとか微塵も興味ないから苦笑
単にアンカー先のやつに言ってるだけ
おまえが誰と戦ってんだよって話だわな >>466
ケチをつける気は毛頭ないんだが、中国語で読めるの? 漱石も漢詩が好きでいくつも作ったけど、中国語の平仄辞典を調べながら作ったそうだ。
訓読では平仄は関係がなくなってしまうが、翻訳詩だとすれば、それはそれで楽しめるんだろうな。 これは有名な考えだが
つまりは日本史を貫く唯一の
文語自由詩なんだな
ちなみに漢文そのものは
もともと朗読や演説に対応した言語ではない
これはラテン語との違い >>471
漢詩、というか、中国の詩は声に出さないとその美しさは出てこないだろ?
うっかり意味だけみると、白髪が三千丈かよ、って話になっちゃう。 しないと駄目という感じではないけど
味わい方に違いがあるということ >>473
翻訳詩を否定する気はないけど、味わいについては似ても似つかない。
日本の漢詩の場合は、たしかに、漢語(風の言葉)を使った独自の詩だとはいえるだろう。
中国の(古典)漢詩の朗読は、聞いてみたいとは思う。 >>474
ならいいじゃん
詩としての味わいは違うと書いている
訓読は翻訳だよ
ただ語彙のイメージは漢字として
ダイレクトに日本語と接続している良さはあるが >>475
日本は中国的感性を至上のものとしてきたから、国産漢詩は中国の感性を元にして作られている。
逆にいえば、中国的感性に一体化することでしか、日本の漢詩は成立しないともいえるだろう。
漱石が作ったものでも、漢詩には中国的な感性、英詩にはイギリス的な感性がまとわりついている。
俳句には駄作が多いが、いいものには、比較的自分の自由な感性が出ているとはいえそうだ。
小説や論理的な思考には、国境や言葉の壁をあまり感じないが、感性の直接的な表現である詩には、民族性といった抽象的な感性が表われてしまうような気がする。
やはり、漱石というのは、近代小説の人であり、「則天去私」の人ではないように思う。 >うっかり意味だけみると、白髪が三千丈かよ、って話になっちゃう。
「百万本の バラの花を 貴方に貴方に貴方に あげる」みたいなフレーズに
「どんだけ多いねん貰った方も大迷惑じゃ! あと何回貴方貴方言うとんねん!!」と
素で突っ込むようなものだからな。 >>478
三千丈というのは、音韻と平仄の問題だという説をどこかで読んだな。
確かその説では、三千丈以外に長いことを表わす表現はできなかったとか。 その点日本語の百万は、一千でも一万でも十万でも千万でも代替可能。
なんと自由度の高いポエム適性言語であることか。 ありえない数でいかにも比喩的に
大きな数を表すのは日本語の特徴とは
思えないけどな
ポエム適性というか漢文と棲み分けて
きたから、統治と学問の言葉としての
歴史は120年くらいしかないし >>481
別の見かたもできる。
日本語の定型詩が、音数による韻律でしか成立しないということが、自由であるのか不自由であるのか。
定型詩と否定形詩の問題は、どちらが良いか悪いか、どちらが自由であるか不自由であるかを論ずるのは難しい。
定型とは力と自由、であるともいえる。 茶道みたいに、まず型を作ってそこから創意工夫をするというのが王道だろう。
料理でも何でも、基本をまず押さえないととんでもない代物が出てきたりする。
まともに火が通っていない生臭い(自称)料理を出され、文句を言うと逆ギレして
ヒステリーを起こす女を嫁にしてしまった男は少なからずいるんだよ。
毎日が日曜日どころか、毎日が死の恐怖だ。
型は基本。そこさえ押さえれば可能性は無限大だし、型を押さえない奴は
百害あって一利なし。
その一方で、型に縛りが多すぎるのはまるでロッテンマイヤーさんの指導だ。
たかが娯楽であるポエム創作にガチガチの方など必要なし。味噌汁で顔を洗って
出直した方がいいレベルだな。 唐突に女批判は草しか生えないね
どれだけストレス溜めて生活してるんだっていう
まあ漱石も近代ストレス小説だけど 鏡子が漱石のストレスの種の一つではあっただろうけど、メシマズだったという話はないな。 >>487
夫人への悪口は、そのほとんどが漱石の遺産をめぐる奥さん(名目上は長男)と古参の弟子の感情的な対立から、古参の弟子の一部が夫人の悪口を言っていたことによる。
だから、子供たちは、漱石(父)を悪くは言っても、夫人(母)を悪く言ったことはない。 「朝起きられないから飯の支度が出来ていない」は当時としてはけっこうな悪妻だけどね。
男女の役割分担は明確だし、空腹のまま出勤だ。弁当は後で持ってきてくれたのかねえ。 >>489
夫人は上級官吏の家で何不自由なく育った。
家事一切は下女の仕事。
上級の学校には行かなかったが、自宅で勉学を続けた。
漱石に嫁いでからは、下女も少なく、自分でやらなければいけない家事もあっただろうが、本来は夫人のやるべきことではない。
夫人の姉妹は上流社会に嫁いでいるから、家事などは終生やることなく過ごしたことだろう。
漱石の一流学者としての立場で、上級官吏の娘と結婚した。
夫人も、自分が少しでも家事をやるとは思っていなかったことだろう。 夏目漱石「韓満所感」(抜粋)
「昨夜久し振りに寸(すん)閑(かん)を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、
筆を執りながら二三行認(したた)め出すと、伊藤公が哈(は)爾(る)浜(ぴん)で狙撃されたと云ふ号外が来た。
哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、
希有(けう)の兇(きょう)変(へん)と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」
「満韓を経過して第一に得た楽天観は在外の日本人がみな元気よく働いてゐると云ふ事であつた」
「歴遊の際もう一つ感じた事は、
余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼(きょく)蹐(せき)してゐる間は、日本人程(ほど)憐(あわ)れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、
満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、
日本人も甚だ頼(たの)母(も)しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた
同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。
彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵(ちょう)児(じ)と云はねばならぬ」 >>491
夫人の父親自身も上級官吏で、上昇志向も強かった。
娘は東大卒にしか嫁がせないと豪語してたそうだ。
当時としては、上級官吏の娘と東大卒の高校講師(結婚翌月には教授)という、いい取り合わせだったのだろう。
ちなみに、妹の一人は東大卒の建築家に嫁いでいるし、もう一人の妹の相手は豪商の跡取りだそうだ。
孫の回想によれば、四姉妹はとても仲がよくて、よく漱石家にも遊びにきたという。
特に四女は美少女で、漱石のお気に入りだったということだ。 >>490
『道草』であるように、鏡子の父親は漱石が着崩した背広を有り難そうに貰って帰ったけどね。
今と違って明治大正期の官僚なんて、政権交代の度に顔ぶれが入れ替わったんだよ?
それから、漱石みたいな中流家庭でも主婦が下女を束ねて家事を取り仕切る。排便時の
清拭でさえ下女にやらせる江戸幕府の大奥の姫様みたいなのと勘違いしてないかね? >>494
夫人の父は野心があって、特定の政治家に強く肩入れしていたから、その政治家の失脚とともに没落した。
普通の官僚は、淡々と業務をこなしていたから、アメリカのような政権ごとに官僚が交代するシステムというわけではない。
結婚したころの漱石は中流ということになるだろうが、夫人の実家は上流に入れてもいいだろう。
複数の使用人がいたはずだから、家事などは女中頭格が取り仕切っているのが普通。
漱石に嫁いで、自分でやる家事があったことに驚愕したに違いない。
それでも気丈な人だから、寝坊の文句を言われても、「寝不足で不機嫌に家事をやるより、ゆっくり寝て気持ちよく家事をやったほうがいい」という正論で、漱石を言い負かしたという話もある。 私はその女に前後四五回会った。
メモ
この書き出しは英文の修辞的後方照応から来てるな
或るではない独特な効果があるが
当時は欧文脈の新鮮さと感じられた
のかもしれない >この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。 硝子戸の中の39好き
結構詰め込んであるけど
そう感じさせないのは素晴らしい
日頃それ情報カード溜めて並べて
書いただろみたいな文章に出会うから
そう思う このスレを読んで学んだのは、漱石を読むとバカになるということ。 読んでもいないのに一体何をしに来たのかな?
他人の心配をする前に君は自分の頭の心配をしたほうがいいよ 2ちゃんねるって変わったやつ多いよね
社会的に生きて生きていけているのか心配になるほどのレベルのね >>507
スレを見に来た
そんなこともわからない低知能なのか
このスレで夏目漱石の話なんてしてないし つまり、君は漱石になんとなく興味が湧いたからスレを開いてみたわけか?
ちなみに、漱石とはほぼ無関係な話をしてるのはいつも一人か二人だけだ
そんな一部を見て全体を知ったような気になるのは君の落ち度と言わざるを得ない
ちゃんとスレを遡ればわかるがそれなりに漱石の話をしている 顧みて他を言う
ここでは通用しない逃げ
まともにやりあうべし いずれにせよ、ルサンチマンの巣窟だ。
楽しく読ませてもらっている。 漱石を読んだことがある人はもちろん、読んだことがない人も、どんどんレスしてね。
政治ネタは荒れるからちょっと勘弁だけど、それ以外なら古典でも戦後文学でも西欧文学でも、少しでも漱石に関係がありそうならなんでもいい。
おれ、読んでないけどあの顔が偉そうで嫌い、とかでもいい。
レスの応酬はスレの消滅に優る、なんちゃって・・・ 猫から明暗まで長編は一応読んだが、まあよくもあれだけ
退屈な小説を次から次へと書けたもんだな。特に明暗なんて
最悪だよ。これが傑作だと持ち上げている奴がいるみたいだが
頭おかしいんじゃないか。無理に一作だけ挙げるとしたら『坑夫』
ぐらいか。 >>516
そんな退屈なのを
読めるお前がすごいわ
おれは大家でもつまらないと感じるのはよまない
だからたとえばトルストイなども多分1冊しか読んでいない >>518
最後まで読み切ってしまうぐらい退屈。
早く読み終わろうとして、一生懸命読んでしまう。 おまえのつまらん書き込みとおまえのあってもなくてもどうでもいい人生ほど退屈ではないけどな 当たり前だろう
おまえは人様の宅に上がるとき挨拶もせんのか? 猫の寒月のヴァイオリンの話はありえねーくらいに長過ぎでたいくつしたな。 吾輩は猫であるって面白い?って聞くのも愚問な気もするけど
読みやすいかな?スラスラ読める? 漱石の作品は、日本が世界の中で置かれた立場を認識している、非常に数少ない、苦悩するエリート、の書いた物。
その意味でfunではないがinteresting
funを求めるなら村上春樹とかじゃないの、ほとんど読んでないから知らんけど。
讀み易いかどうかは、貴君の学力によるから、愚問だね。 interestingとかfunとか中学英語で示す必要無くね? じゃ、funではないがinteresting、を日本語だけで作文してみろ。
無論これより短く、かつ達意でなければならんぞ。 猫は中盤少しだれてる気がする
明治の知識人のうんちく好きな人用みたいな >>527
面白くはないが興味深いって直訳すればいいだけじゃん >>529
面白いって日本語にinterestingの意味があるから難しいわけ。 >>530
結局何が言いたいのか表現出来ないお前が悪い 負けた、と思ったんだね。わかるわかる。
己の馬鹿さかげんを、便所の落書きあたりに晒して、くやしいんだね(笑 >>532
誰に対して言ってるのか分からない文章だね ふとしたきっかけで『こころ』を読んだらめちゃくちゃ面白かったから漱石作品読破したい
全集はちょっと手が出ない(大きいし金銭的にも…)のだけど、どこの出版社のがオススメ?
こころは角川のものを読んだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています