ラテンアメリカ文学総合スレッド 8 [無断転載禁止]©2ch.net
旧訳『ラ・カテドラルでの対話』バルガス=ジョサ 桑名一博・野谷文昭訳
集英社 1979年 1984年
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新訳『ラ・カテドラルでの対話(上)』バルガス=リョサ 旦敬介訳
岩波文庫 1320円+税 2018年6月15日発売
バルガス=リョサがノーベル賞を受賞した時、出版社各社が彼の作品を復刊したり文庫化したりしてたのに、なぜ集英社は『カテドラル』を復刊しないのだろう…と思ってたけど、契約上すでに翻訳独占権を失ってたのかもしれないね 桑名一博氏の名前を見かける度にセクシャルバイオレッドNo.1が思い浮かぶ
リョサはフローベール論も復刊してほしいな、個人的にはハスミンのより好き 微妙…『ラ・カテドラルでの対話』は読むの疲れるだけ
電子版ならありか 『カテドラル』はタイトルに惹かれて読んだけど、つまらなかったな >>344
>>347
コルターサル→コルタサル
バルガス・ジョサ→バルガス・リョサ
寺尾隆吉は今でも「バルガス・ジョサ」と表記してるんだよな 新訳は読みやすくなるのかな…
とにかく読書ですはなく苦行としか言いようのない作品だけど アルゼンチンGK→ウィルフレッド・カバジェロ(Wilfredo Caballero)
マリオ・バルガス・リョサ(Mario Vargas Llosa)
やっぱりスペイン語的にはバルガス・ジョサと書くべきでは? >>358
同じスペイン語でもペルーは発音が違うからリョサが正しい
[?ma?jo ?βa??as ??osa]
ジェイスモまたはイェイスモ(スペイン語: yeismo)とはスペイン語の音素 ll /?/ を y と同じように有声硬口蓋摩擦音 [?](ヤ行に近い)や有声歯茎硬口蓋摩擦音 [?](ジャ行に近い)などで発音すること。
また、そのような発音をする人をジェイスタまたはイェイスタ (yeista) という。スペイン、中南米の多くの方言で見られ、硬口蓋側面接近音 [?](リャ行に近い)で発音するのが標準語とされていたスペインでも今ではジェイスモの発音が多くの地域で用いられている。
一方、南米のボリビアとパラグアイの全域、ペルーのアンデス山脈、エクアドルとアルゼンチンの一部、コロンビアの高地では現在も [?] の発音が残っている。 y ヤ行とジャ行
yの発音は歴史的には半母音のヤ行であり(この発音は一部の北部方言に残っている)、時代を下っていくうちに摩擦音のヤ行で発音されるようになった。
アンダルシアなどスペイン南部では同じく摩擦音であるジャ行(フランス語のjと同じ発音)で発音され、マドリードなどのスペイン中部でもヤ行とジャ行の中間的な音で発音されることもある。
スペインの規範を定める機関のレアル・アカデミア・エスパニョーラでは、スペイン北部から中部にかけて優勢であるヤ行を標準としている。
中南米ではメキシコや中米においてヤ行で発音されることが多いが、ペルーなどを除いた南アメリカではジャ行で発音される(ブエノスアイレスでは無声化してシャ行になる)。
ll リャ行とヤ行とジャ行
llの発音は昔はリャ行に近い音で発音されていたが、近年スペインでは北部方言などを除いてリャと発音されることはほとんどなく、yと区別せず発音される。
そのためスペイン南部(特にアンダルシア方言)、中南米ではジャ行に近い音で発音する国もあり、またアルゼンチンやウルグアイなどではシャ行の発音をする方言的な地域もある。
こういうのは、海外との接点の少ない内陸の地で昔の発音が保存されている
ペルーやスペイン中部はその好例
ジェイスモの地域を見るとわかる >>359
>>360
W杯を見てるとスペインと南米の選手名はほとんど「ジャ」音で表記してるけど、「リャ」音はペルー訛りだったんだな
よく分かった。ありがとう イサベル・アジェンデ(Isabel Allende) 90年W杯→カニージャ(アルゼンチン)
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94年W杯→カニーヒア(アルゼンチン)
子供だったからこれも混乱したわ カルペンティエルの失われた足跡買った
文章の息が長くて動的で読み辛いが面白い
原文もこんな感じなのかな
大江健三郎の文体にちょっと近いものを感じる 燃える平原文庫5月に出てるんだ
ハードカバー持ってるけど買っちゃおうかな
短編集はやっぱ文庫いいよね >>1
『フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇』木村榮一訳
定価778円(本体720円+税)
2018年7月18日重版再開(1995年7月17日発行) 某書の解説にあるんだけど、エドワルド・オルンベルグっていう
19世紀のアルゼンチンの作家知ってる人いる?
綴りはEdward Orenburgかと思うんだけど 夜のみだらな鳥再販出てたんだな
ずっとフィクションのエルドラード追ってたけどいつまで経っても出ないからサイト暫く見てなかったわ
明日ジュンク堂行ってくるわ
流石にまだ店頭にはあるよな カテドラルの新訳読みやすくていいけど、どうせならリマ市の地図くらいは併載して欲しかったな
ラテアメ文学の邦訳はその辺不親切なのが多い気がする 夜みだ買ってきた
初版がまだ二冊店頭にあったわ
ちなジュンク堂 夜みだはこのクソ暑い時期に読むと最高だぜ
熱帯夜の悪夢みたいに闇の底から得体の知れない黒いヤツがふつふつと…… カテドラルを読んでて思うのは、学生運動をやっていた(もしくはそれを近くで見ていた人)人間が冷静なになって当時を総括してんだよな
歩んだ歴史や状況が違うから一概に比べられないんだろうが、そうれでもこういうのは日本だと全然みないな 当時熱狂的な左翼だった連中がその反動で右翼になったってタイプならこの国にもゴロゴロいるけどね ガルシア・マルケスはじめ南米作家は左翼が多いが、
バルガス・リョサはそうではないんだよな
共産革命への熱い思いはまるでない 昔はけっこう熱心に左寄りの発言してたんだけど時代を経るごとに右寄りにシフトしていった感じだなリョサは
アルベルトフジモリに選挙で負けたのが原因と言う人もいるけどどうなんでしょうね Obradorを批判しているが
南米の左翼はカリスマが民族主義煽るからな
日本は左翼で混乱した経験が
薄いから結構ナイーブ マルケスは共産革命に懐疑的だったがカストロ個人は好きだった
リョサは共産革命に熱狂したがその後失望したってなんかで見た カテドラルの対話はラシュディの「悪魔の詩」「ムーア人の最後のため息」で読んだ跡を感じたな
悪魔の詩なんかほとんど漫画なのに最後カテドラルの対話っぽくてなんじゃいと思った
ラシュディの方が今の若い人に世代近いし読みやすいとは思う 世界でもまともな共産国家はカストロのキューバだけだよな 元々は反植民地主義闘争だったのが
民族主義をとびこえて一気に共産主義になってしまう
その場合は共産党独裁になるのだが
反対は軍事独裁政権による独裁しかない
南米はこのパターンが多い
特に軍事独裁政権による圧制が
リョサはどちらでもない
欧米先進国のような議会制民主主義の定着を訴えたわけだ
カテドラルでの対話はそういう政治思想で書かれたものなのだけど
あんなにわかりにくい書き方では駄目だと思う あれだけ象徴的にドン・フェルミンとドン・カジョを扱っているんだから分かりにくくはないでしょ
カテドラルの良さは良いところも悪いところもどちらもフェアに描いているところだわ
政争によって平気で遠くの人間を傷つけていくドン・フェルミンも半径数メートルに人間に優しい
作中の言葉を借りれば碌でなしの顔をしていない本当の碌でなしだけど、厳しさしかないドン・カジョよりはマシなんだなと思わせてくれる 結局のところ、バルガス・リョサでは『緑の家』と『世界終末戦争』が残るだろう 水を得た魚もよい
青年時代の自己分析なんか舌を巻いた記憶
いつか読み直したい 緑の家がなぜ評価されてるのかわからない
欧米じゃ別に代表作でも何でもないだろ ウィキペディアではカテドラルが
代表って書きようだな 「緑の家」でロムロ・ガジェーゴス賞を取り、
受賞スピーチで「文学は熱い炎」とか言って、
作家として名前が知られたんだよね。
世界に名を売った代表作といっていいんじゃない? >>375
>カテドラルを読んでて思うのは、学生運動をやっていた
>(もしくはそれを近くで見ていた人)
>人間が冷静なになって当時を総括してんだよな
>歩んだ歴史や状況が違うから一概に比べられないんだろうが、
>そうれでもこういうのは日本だと全然みないな
大江健三郎の「河馬に嚙まれる」がそれに近いような気もするけれど
高橋源一郎や笠井潔のようにのめり込んでいた人の書くものはそうでもない
矢作俊彦もどうだろうかね
平井和正や山田正紀といったSF作家が挫折体験に基づく人間不信を
SFという形で何とか書いている
本当は柴田翔あたりがキチンと書けば良いのだけど
学生の書生談義では終わらない裏社会がらみの話が多いからなあ ネルーダの大いなる歌の完訳が出るそうだが
詩は守備範囲外だからあんまりありがたみがわからない ラテンアメリカ文学選集の誤字率は凄いな
下手すりゃ自費出版並にあるぞ >>392
詩の翻訳は半分しか伝わらない
意味だけで響きは度外視だからな 「汚辱の世界史」いいな
悪、アンチヒーロー、こういった言葉のイメージやニュアンスを次々変容させていく
文学ってええわあ >>397
セクハラ暴露されて終わったろ
もともと主要なアイデアはマルケスのパクりだし才能あるようには思えなかった 夜のみだらな鳥、読んだわ
思ってたよりするする読めた
後半はちょっとゆるくなったな
3分の2くらいまでがカオスを極めてたわ
ラストはベケットっぽくもあって、この一冊読み込めば他が物足りなくなりそうね
場面転換がとにかくうめえ オスカーワオは俺にはおもんなかったな
あれならピンチョンとかボラーニョ読んでおけばよくね? オスカーワオごり押ししてた訳者は信用してない
俺は短編も読んだからな、しかも連作だからちゃんと全部読んだ
あの頃まとめて新しい世代の本読んだけどどれも時間の無駄だった
そろそろまた新しい世代の本読もうかなと思っている
時の侵食作用ってやつでねその世代ごとの物語のサイズやテンポもあると思うんだ
あくまでも表面的なことでまったく時間の無駄なことが多いけど
夜のみだらな鳥読むわ、ベケットうまく使ってそうなだけで惹かれた >>392
ネルーダの分厚い訳詩集が本屋で売っていた
買わなかったけど 曖昧なあやしい統計だが世界文学の固定ファンが日本で3000人だとか。論拠はアレだけど感覚値としてそんな違和感ない。
ラテン文学だと500とかなんだろうか。
俺も昔は読んでたけどいま文学って趣味としてもあまりにも味気なくて時間ばっか取られてもう手に取ることはないな。 狭く深くて愚直な奴より広く浅くて小器用な奴のほうが面白い奴扱いされる時代だからしょうがないよな スレ違いだけどこんなに小説が駆逐されるのはスマホの影響かなやっぱ。
時代の流れだからどうしようもないけど
少数派だろうと多数派だろうと個々が楽しいと感じればそれでいいと思うけど。実がなくても。でもやっぱ小説って数ある文化系娯楽の中でも飛び抜けてつまんないよね。俺はもう二度と小説読まない気がする。
若い頃ラテンや海外文学読み漁ったアラフォーおっさんのボヤキです。 スマホの影響だね
とびぬけてつまらなくはないよ
本は長持ちするのがいいね ジュノ・ディアスはもう50歳になるおっさんなのに若い世代呼ばわりする人って今いくつなんだろ… 深夜のノリで気持ち悪いのは認めるがそれくらいだな
お前もネチネチと暗いな >>410
「若い世代」なんて誰も書いてませんよ
ポスト“ラテンアメリカ・ブーム”世代のことを「新しい世代」と言うんじゃないですか?
寺尾隆吉先生も自分より年上の作家を新世代と呼んでいますよ
寺尾隆吉(1971年- )
オラシオ・カステジャーノス・モヤは、ボラー
ニョやロドリゴ・レイローサと並んでラテンアメリカ文学新世代の代表格
http://www.jca.apc.org/gendai/html_mail/oshirase35_2.pdf
オラシオ・カステジャーノス・モヤ(スペイン語: Horacio Castellanos Moya、1957年 - )
ロベルト・ボラーニョ・アバロス(西: Roberto Bolaño Ávalos、1953年4月28日 - 2003年7月14日)
Rodrigo Rey Rosa (born November 4, 1958) カテゴライズはどっちでもいいんですがそもそもまるでブームになってないですよね?
すいません。文句垂れて。 都甲幸治ってジュノ・ディアスをかなりプッシュしてたけどセクハラの件て何かコメントした?
どう思ってるのか気になるんだが もう老いてるんだもの
新世代の作家は受け入れられないよね
自分の青春時代を共に過ごした作家には愛着あるだろうし 正直読み手としてはこれくらいの規模の方が有難いわ
自分だけが知っているという特別感が味わえるし
当たり前のように石蹴り遊びや2666が読まれるような世の中なんて簡便 規模がないぐらいの規模でしょ?
せめてアンダルシアの犬とかカルト映画ぐらいの固定層はあって欲しくないか?
慎ましすぎるよ もう読んでたのはずっと前だけど
結果今心に残ってるのはオクタヴィオパスだな
今でもあの世界観は好きだ
ガルシアマルケスなら初期の短編かな。
どの作家もだけど長編はビックリするぐらい何にも後に残ってない >>416
それだと翻訳も出なくなって原文で読むしかなくなるよ 俺は10代の頃、サンリオから出てたラテンアメリカ文学の短編集を読んで
ラテンアメリカ文学にハマった。
最近そういうアンソロジーが出てない気がする。
いきなり2666は無理でも、短編集ならきっかけになると思うんだけどなあ。 『緑の家』1年前に読み始めて中断があり、ようやく今月読み終わる
失望もないけど、とくに感動はないな >>414
そういえばそんなことあったと
今夜はnew yorkerの記事の読むわ
ありがとう クラリッセ・リスペクトールの邦訳はほとんどないね
独文学や仏文学に比べるとポルトガル語の専門家が少ないということか 重訳は悪みたいな意識もあるんじゃないかな
世界文学の英訳本集めているけど
そういうことだと思う
古典語学者には英語やドイツ語に頼っているけど
それを表に出さないっていう人もいる
作業は重訳なんだけどw つか翻訳に関してはどういう基準で選んでいるのか分からない
カルペンティエールはそこそこあるのにノーベル文学賞作家のアストゥリアスなんて四冊しかないし 『ROMA/ローマ』(Roma)は、アルフォンソ・キュアロン監督・脚本による2018年のドラマ映画である。
キュアロンの自伝的な内容であり、1970年代のメキシコシティを舞台に中流家庭とその家政婦に焦点が当てられる。
ワールド・プレミアは2018年8月30日にヴェネツィア国際映画祭で行われ、
2018年12月14日よりNetflixでストリーミング配信される。
アルフォンソ・キュアロン・オロスコ(Alfonso Cuarón Orozco、1961年11月28日 - )
監督
最も危険な愛し方 Sólo con tu pareja(1991年)
リトル・プリンセス A Little Princess(1995年)
大いなる遺産 Great Expectations(1998年)
天国の口、終りの楽園。 Y tu mamá también(2001年)
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 Harry Potter and the Prisoner of Azkaban(2004年)
トゥモロー・ワールド Children of Men(2006年)
ゼロ・グラビティ Gravity(2013年)
ROMA/ローマ Roma(2018年) 鼓さんの訃報ここみて知ってビックリしたよ(4月のはじめだったんだね)
後は岩波赤から20世紀ラテンアメリカ短編選出てるねっていう報告(過疎) 鼓さんがいなければマコンドに入ることは出来なかった。
読み直すか 七つの殺人に関する簡潔な記録
単行本 – 2019/6/20
マーロン ジェイムズ (著
史上初 ジャマイカ出身作家のブッカー賞受賞作!
世界が瞠目した巨大小説
1976年12月3日、ボブ・マーリー暗殺未遂。
事件は襲撃犯の思惑を越え、暴力の連鎖を引き起こす。
聞こえるか? 歴史から消された者たちの声が。
1976年12月3日、レゲエ・スターにしてジャマイカの英雄ボブ・マーリーが襲撃された。
その日は、高まる政治的緊張を鎮めるためのコンサートの2日前であり、総選挙が控えていた。
ボブ・マーリーは一命を取りとめるものの、暴力は加速する。
国を二分し、やがてアメリカ合衆国をも巻き込んでゆく。
襲撃したギャング、裏で操る政治家、CIA工作員、アメリカ人記者、
事件を目撃してしまった女性、さらには亡霊まで、70名以上の人物が闘い、
血に塗れながら己が見た真実を語る。
現実の事件をもとに、語られざる歴史をつむぐ途方もない野心、
禍々しくも美しいディテール、多彩に鳴り響く音楽的文体に、 世界の文学ファンが狂喜した!
ジャマイカ出身の作家では史上初のブッカー賞を受賞した巨篇。 >>432
原書まじで難しくてビビった記憶がある
チンプンカンプンな英語
よく訳せたなー 気になってるけど、値段がすごい高いよね
分厚いからしょうがないのかもしれないけど このスレできいていいことか分かりませんが、昔すばるで取り上げられてたメタフィクションの海外文学の作品をさがしています
「小説を書いている男(自分)を小説に書いている。またその小説を書いている男を小説に書いている男を小説に書いている。小説を書いている男を小説に書いている男を小説に書いている男を小説に書いている〜」
みたいなあらすじの何だかマトリョーシカみたいな印象の短編です
たしかラテンアメリカ系の作品だったと思います
先日ふっとこれを思い出して無性に読んでみたくなったのですが果たして何年前のすばるの何月号だったか、その作品は短編か長編か、作者は男性か女性か、本当に中南米文学だったのか鮮明な記憶はほとんどないんですが、文学ガチ勢の方いらっしゃったら教えてください
本当に、何をどうググっても、ラテンアメリカ傑作選メタフィクション傑作選みたいなのを見ても見つからないんです
五大文芸誌スレで聞いても分からず図書館で聞いても分かりませんでした
どなたかよろしくお願いします アルテミオ・クルスの死 カルロス・フエンテス 木村榮一 岩波文庫 1320円 11月16日